審判のチェンジコールと共に、みんなが安堵と共に帰ってきた。ツーアウトまでは安定していたのに、最後のアウトを取るまでに打者を3人迎えるはめに。
やはり疲れが出てきたのだろう。1、3塁からサードにライナー性の打球が出たときは思わずベンチから立ち上がってしまっていた。そのボールがもしサードのミットに収まらなかったら負けが確定してしまっていたことだろう。あの投手から2点以上は望めそうにないし。
マウンドで肩で息を付かせる彼女。打たせて取るピッチングをしてくれた園崎さんも、最後に疲れを見せつつのマウンドで終えてくれた。ベンチに戻るとタオルを顔に置いて、ぐったりと脱力していた。そんな姿に僕が出来ることは労いの言葉を掛けることだけだった。
「お疲れ様」
「あはは……流石に少し疲れたよ」
「ずっと投げ続けているんだもん。良く投げ抜いたと思うぐらいだ」
「……篠原なら2回ぐらいでばてそうなのです」
1回でばてないと言ってくれる古手さんに優しさを感じそうだ。
「次はレナの打席だね」
その次は誰だっけと思っていたとき、審判から一時休憩のコールがかかる。どうやら誰かの指摘に応じて、グラウンド整備を行うことになったらしい。トンボを用意してグラウンドを整備しようと動き回る相手チームの子供兼スタッフを眺める事になった。
公式的な大会でもないために、そのようなことまで考慮する必要があるのかも怪しいが、逆に言えばそういう緩さが公式じゃないのかもしれない。
「……圭ちゃん。これは何かの作戦なのかい?」
タオルを外すことなく、この状況を耳で悟った園崎さんは前原君にそう尋ねていた。
「いやぁ俺には何のことかさっぱりだぜ? 勘繰りすぎじゃないのか?」
「圭一くん。さっき審判の人に話し掛けてたもんねー」
審判に話しかけたことについては本当のことなのだろう。そのことについて隠そうとせず、表情でその判別をさせてくれた。
時間稼ぎ……ということなのだろうか。それにしては穏便なやり方である。
「孝介、少し来てもらっていいか?」
「うん? 何か作戦でもあるの?」
「お前にはとっておきのことをしてもらいたいからな、付いてきてもらわないと」
「とっておきって?」
自分は試合に出るわけでもないのに、何かすることでもあるのだろうか。
「いいから。……必要なことなんだ」
「必要ねぇ……」
説得か何かかもしれないけど、それを言わないあたり、穏便なやり方で済むのかが怪しい。別に止めるつもりとかは無いのだけれど、大きくなって収集がつかないなんて事態が起こらないことを祈るばかりだ。
「大丈夫だって。相手チームを壊滅させるとかはないから」
「そこまでのことは考えてないよ」
みんなも興味深々といった感じで内容についてヒントを得ようとする。前原君に色々と詰め寄っては何をするかという直球的な質問ばかりしていた。それに対して、前原君は答えを見せてくれない。
「それはお楽しみ」なんて曖昧な答えで全てをかわしていた。
北条さんと2人で話していたこともあるのだから、トラップとかそういう話になるだろうか……。なんてあらぬ噂さえ立ち上がる中、水筒の水を飲みほした前原君は自分の肩を叩いて活動の開始を伝えてくれた。
「早くしないとあいつが戻ってきちまう」
「あいつ?」
「それは付いて来てからのお楽しみだぜ」
前原君が意気揚々と先導して導いてくれる。グラウンドの一旦外に出たかと思うと、そのまま近くに置かれていた豆腐のような形のトイレへと向かう。いや、正確に言えばトイレが近くに見える隣の木や茂みの後ろに隠れるように待機することになっていた。しかしグラウンド近くというのは何故こうも清潔さがないだろうか。中に続く前の道は地面の土で汚れていて、壁は白いゆえに風化した姿をありのままに見せていた。でも今はそんな場所の解説についてはどうでもいいことだろう。
トイレで何か仕掛けるのだろうか。そんな自分の予想に反して、前原君が立ち止まって姿勢を低くする。
「……何してるの?」
「しッ! 黙って見てれば分かるぜ」
詳細な作戦も伝えられていないのに、分かると言われても何も納得が出来ない。怪訝な表情をするしかなかった自分を見てくれないことに、更に口を曲げようとしていたところで前原君は口角を上げていた。
「よし、来たぞ」
「……え? あれって……相手チームの……」
「そういうことだ」
今日一番の注目を浴びている投手の姿であった。時間が出来たので、用を足しに来たのだろうか。試合中に見せた余裕顔をそのままに、口笛までつけているのだからある意味舌を巻きたくなる。園崎さんを見ればそうなのだが、炎天下であっても涼しげな表情でいられるところを見ると、体力も相当あるように思えるからだ。
でだ。こうやって隠れるようにして、相手チームの様子を眺めることに何か意味があるのだろうか。そう思っていると、前原君がその投手を指差して説明してくれた。
「あいつは亀田っていうらしいぜ」
「ふーん……よく知ってるね」
「魅音からの情報だからな」
「それで、何をするの?」
僕の問いかけに答えてくれない。そのまま亀田さんはグラウンドに戻ろうとしているのを見て数秒。タイミングでも見計らっていたのか。
そこで前原君はもう一度歩き出したかと思うと、亀田さんのところまで歩いていった。背中越しに伝える事になった前原君は相手に物怖じすることなく呼びかけた。
「おい、確か亀田って言うよな」
「うん? お前は、相手チームで叫んでた……」
両者対面。相手側も喚いていた人だという認識で覚えてくれていたようだ。すぐに警戒心を露わにし、こんな場所でどうしてといった顔をしている。それに正面からではなく後ろから。
前原君はその表情を笑い飛ばしながら、何もしないと証明するかのように両手をひらひらとさせていた。
「ちょっとな。お前と交渉がしたいんだよ」
「は? 交渉……?」
「そうだ」
「なんだ? サインなら後でまとめてやってやるさ。そんな交渉なら別に――――」
「まぁ簡単に言うと、俺たちに勝たせろという話をしに来たんだ」
「は?」
自分もそうだが、亀田さんは口を開けて『お前は馬鹿か?』と言いたげな怪訝さで前原君のことを見ていた。
「お前……何言ってるんだ?」
「だから試合に勝たせてほしいんだよ」
まさか直球で伝えてくるとは思わなかった。いつもの部活スタイルならもっと計画的なもの。伏線を張っていきなりズドン! みたいなやり方が前原君たちのやり方だと思っていたからだ。
遠回しに伝えず、いきなり強気な姿勢に相手もどう対応していいかを迷っていた。
その間も腕組みで堂々としている前原君、それどころか歯を見せて挑発しているのだから、勝つための確固たる証拠を握っているのだろう。
グラウンド整備の指示が耳の中で飛び交うなか、亀田さんが軽く鼻で笑うのが見て取れた。
「ふざけるな。俺が何でそんなことしないといけないんだ」
当然の対応だ。何もメリットも提示されていないのに相手が応じるわけがないだろう。
それに対して前原君は大げさに肩を動かしていた。
「駄目か?」
「悪いな。冗談は試合の喚き声だけで頼む」
「お前のことは聞いてるぜ。プロデビューを約束された投手だってな」
まさかの高校生相手にお前呼ばわりする前原君です。
「それがどうした?」
「そう警戒するなよ。……そういえばお前って以前に取材を受けていたそうじゃないか」
「そうさ。暇なお前たちと違って忙しいんだからな」
「その時にお前はこう言ったよな? 好きな食べ物は肉といった油っこい物だと甘い物は口にしないと」
そこで亀田さんの表情から余裕が消えてしまった。今のところ特段おかしな箇所はなかったはずなのに、まるで心中を知られたかのような表情だ。
それでも亀田さんは強気な想いは抜け落ちていない。警戒心を残したままの彼は口を一度強く閉めてから、大きく開く。
「そ……それがどうした?」
焦る亀田を諌めるように手で制止をかける前原君。それだけで分かる。何かを握って、それを交渉材料にしようとしていることに。
「孝介!」
「え、何?」
唐突の招集。木の後ろで気配を消していたというのに、何を今から求めるのだろうか。
木陰の涼しさを抜けて日光の暑さに目を細める。急いで駆けよれば、肩に手を置いて前原君は歯を出して笑ってきた。
「孝介、お前の好きな物はなんだ?」
「え? 何でそんな話に……」
「いいからさ。何だ?」
「まぁ……大学芋が好きかなー」
甘くて、最初は固くも中はフサッとしたあの感触。そして口の中に広がる甘味がおいしいのだ。
ありきたりな答えしかもっていなかった僕に、前原君は大きく、何度も頷いていた。明らかに過剰表現である。
「そうか! 甘いのが好きなのか!」
「うん? 別に甘いのが特別好きかは……」
何で甘いことを強調してきたのか分からずに、前原君にそう言いかえしてしまう。
亀田さんは相変わらず表情を強張らせているだけである。何も言えないところに彼の想いを感じ取れるような気がする。
「パフェとかはどうなんだ?」
「え?」
「パァーフェ」
……あ、そういうこと。
「そりゃあ好きだよ。もう食べちゃいたいくらい」
「馬鹿かお前はー食べ物なんだから当たり前だろぉ!」
「あーそうでした。ごめんごめん」
じゃれ合う僕らを亀田さんは腕組みをして見ている。胸中にあるものを必死に抑え込もうと腕に力を入れているけど、表情だけは変えない様にと努力をしていた。
「あのソフトに盛り付けられたクリームがおいしいんだよねぇ」
「そうだぜ。まるで美少女のような可憐さに、トッピングという衣服を装飾して魅せるのがパフェの特徴だもんなー」
「ええっと……さ、最後にイチゴをちょこっと乗せる辺りに儚さ……なのかな、それを感じるもん」
「儚さよりは耽美にさせるものとして完璧なんだよなぁー」
「お、おぅふ?」
「まずあのパフェに使われるグラスに様式美を感じるんだよなぁ」
「……」
段々前原君の会話に付いていけなくなってきたぞー。当の本人はもう自分の世界に陶酔しきっているんだけど。
「正直パフェって人生なんだよな。盛り付けられていくところがまるで人生の軌跡になっているようにとさえ思えるんだ。……まずはホイップクリーム、あれは生まれた瞬間の綺麗な姿に思える。柔らかい触感はまだ無垢な気持ちを忘れていないものの暗喩になってるんだ。そして経験というフルーツが盛り付けられていく。そこにまるでため込むように、色付けされていく姿はそのパフェを大人への美しさへと変えていくんだ。そして自分の軌跡を証明するかのように、一つのソースが垂れる。そこには色んな経験を総称した人生のタイトルでもあるんだ。そして他にもゼリーといった他人の関係性を含めているような気がしているんだ」
「ほほー」
何故パフェだけでそんな言葉がポンポン生まれるのだろうか。人生と結び付けられる辺りにセンスを感じてしまいそうになる。もうなにか宗教でも立ち上げればそれなりの信者が集まってくれるのではないだろうか。それぐらいに彼の言葉には迷いがなく、流暢な言葉使いであった。
とりあえず聞き入るしかない自分と違って、亀田さんは何かを共感したように何度も小さく頷いていた。自分では隠そうとしているような小さな微動なのだが、こちらから見れば大きなものでしかない。
「そんなパフェのことを……亀田は嫌いなのか?」
「え……あ、あぁ。俺は油っこいのを、肉を食うのが好きだからな」
「嘘はよくないぜぇ、亀田さんよぉ」
「なに……?」
亀田さんは緊張からか唾を飲みこんで次の前原君の言葉を待つことになる。
前原君は亀田さんを指し、とどめとばかりに宣言する。
「お前の情報は知ってるんだ! お前はファミレスで焼肉なんか食べずにパフェを頬張っていることをな!」
「あッ!?」
「亀田さんよ……しかも御用達のお店まで構えてるらしいじゃないか。その名前を教えてやろうか……」
「ま、まさか……!」
「エンジェルモート、だろ?」
「うわーーー!!」「あれ? 聞いたことあるぞー?」
エンジェルモートってパフェをメインに出すところなのかな。いや、今はとりあえず置いておこう。
畳み掛ける前原君の言葉に亀田さんは顔を歪めていた。がっくりと膝を地面に落とし、手を天に仰いで悶絶していたのだ。まるで心理戦で相手の手のひらで踊らされたことを知ってしまったようだ。
術中にはまるとはまさにこのこと何だろうなと思っていると、前原君はまだ攻勢に出ていく。
「そこで愛でるようにパフェを眺めているお前の姿を……見た事があるんだぜ」
「やめろぉ!! 俺のいめーずぃがぁ!」
「野球少年のようなあつーい奴がそんな可愛らしい趣味を持っているのは異端と思われるわなぁ?」
なるほど、炎天下で投げるような野球少年がグラスを撫でて、イチゴを幼女を優しく見守るかのように観察しては頬張る。なんてイメージはないかもしれない。
「ぐッ……みんなに隠し通せていたことなのに……」
「大丈夫だ。まだ誰にも伝えていない」
「ほ、本当か……!」
縋り付く亀田さん。必死になる彼はもう道がないとばかりに前原君に頼ろうとする。必死に、求めるかのように。前原君の服を強く握って、逃げないで欲しいとさえ見えてしまう。
何でだろう……その姿はとても辛いものだった。
「言っただろ? 俺は交渉したいんだ」
「だ、だが。それって……」
試合に負けろ。口には出さずとも内容についてはそう言われていた。確かに亀田さんはこの回に二点を失えば僕らの勝ちではある。しかし、亀田さんは即答できない。出来ずに頭の中で自分の迷いを顔にさらけ出し続ける。それは己のプライドがあるからこその葛藤なのだろう。
それも計算に入っている前原君はばっさりと言いのけた。
「名誉とプライド。お前ならどっちを捨てるんだ?」
「あぁ……」
「ったく。ここまで決めかねると、俺は両方を捨てさせることをしないといけないかもなぁ」
「な……!」
「考えても見ろ。今日はプロのやつを観に来た野次馬も多い。そんなところで俺が大々的に声を出せばその後はどうなるか……予想がつくだろ?」
「あぁ……確かにこのメンタルだと投球どころじゃないだろうね……」
ストライクを入れるどころじゃないだろう。頭から試合のことなんてどうでも良くなってしまうことは今の状況を見ればよく分かることだ。
だからこその交渉。説得と言わないのは、これは彼に選択肢がないぞということを言うための発言なのか。
確かに、そう思えばそうかもしれない。
「ぐぅ……なら一択しかないと言うのかよぉ! うわーーん!」
「だから交渉してあげてるんだぜ? 両方か、片方だけか?」
「くそぅ……くそぅ……!」
「……ねぇ、前原君」
でも、何かが嫌だと思った。
遅れてすみません><
ちょっと交渉パートが長くなったので、次に続くことにしました。