「お願いだから、こんなことしないで」
「何故ですか? 私は沙都子を救おうとしているんですよ?」
「本当に、そのスタンガンで助けられると思ってるの?」
手に持ったスタンガンはバチバチと音を立て、誰かを襲いたいと火花を散らしているようにも見えた。それを見やり、その後園崎さんは僕を見て歪んだ微笑みを見せていた。
思わず引いてしまいそうになるのを、奥歯を噛んで踏みとどまる。
「助けるんですよ。あいつには常識が通用しないなら、身体で教えるしかないじゃないですか」
もう既に口調は詩音さんそのものだ。だが、ここまでの態度と表情はまるで違う。
朗らかで毒舌を吐いていても、優しかったあの園崎さんは、今鉄平さんと同じ立ち位置で物事を考えてしまっている。いや、それ以上に酷いかもしれない。
「……どいてください」
彼女が先に行こうとするのを、両腕を広げ、通さなかった。
当然、彼女は僕のことを鬱陶しそうに見つめてくる。その目をしっかりと合わせて、ちゃんと向き合う。
じゃないと、彼女は僕の話なんて聞くはずがないから。
「それをしたらどうなるか、分かるでしょ?」
「因果応報です。これ以上沙都子に危害を加えるならどうなるか……伝えないと」
「それじゃあ鉄平さんと同じだよ」
止めないと、いけない。
しないときっと、彼女は僕たちの想像以上のことをしでかす。力には力では何も意味を成さないのに。むしろ北条さんに余計な火の粉がかかるかもしれないのに。
園崎さんはそれを理解してくれない。唾を飛ばして、己の感情をさらけ出していた。
「私は約束したんです! 沙都子を守るって」
「これじゃあ……守れないよ」
「じゃあどうやって助けるっていうんですか!?」
「……話し合う」
「無理です!!」
スタンガンを目の前で振り回し、俺を退かそうとする。
目を瞑ってしまう。ただ、足は動かさないように、しっかりとその場で立ち止まった。
スタンガンは、当たらない。
彼女は動きを止め、抑えきれない気持ちを吐息として出していたのだった。
「優しいだけでは意味が無い! 悟史くんだって……消えてしまったのに……!」
「……園崎さん」
彼女の目には涙は無くても、深い悲しみがあった。そこに彼女の悟史さんという人の想いも詰められている。
北条さんもだ。見たとき、彼女は苦しそうに胸の前で握りこぶしを作っている。思い出したくない過去。消えてしまった兄のことを想っているはず。
悟史くんがどんな存在だったか、会ったことのない僕には分かることはない。僕と違って、優しいだけじゃないのかもしれない。立ち向かう勇気があったのかもしれない。
でも、それでも分かることがある。話を聞いていただけの僕でも分かる。
優しい彼は、きっとこんなことはしない。
北条さんのことを考えて、きっと両親のことも考えて、みんなが仲良くなれることを考えていたはずだ。諦めなかったはずだ。
そして、その気持ちは僕だって同じ。
「園崎さんが辛い気持ちは誰よりも強いと思う……。でもだからこそ、それを力に向けたら駄目だよ。それじゃあ悟史くんが悲しむと思うから」
「あなたが悟史くんを語らないでください!! 何も知らないくせに!」
「分かるよ。……だって、優しいだけの僕でさえ、今の園崎さんを見るのが辛いんだから」
その言葉で、彼女の動きが一瞬止まる。
「辛い……?」
「悲しそうで、絶望していて、何をどうしたら分からないでいて……でも変わりたい、待ち続けたいって思ってる」
「そんなこと……!」
「園崎さんは自分がどうしたらいいか分かってるからこそ、迷ってる。それをやり場のない形で終わらせようとしてる」
「間違っているって言うんですか!?」
「……多分、それじゃあ何も解決してくれない。この状況も、そして、園崎さん自身も」
胸倉を掴まれた。脅しをかけるように、スタンガンをこちらに向けられる。
「じゃああなたなら終わらせられると言うんですか!? この状況を、この絶望を!」
「……ごめん。終わらせられるとは、思ってないよ」
「なら――――」
「でも……変えることは出来ると思う」
その一言で、彼女が見せたのは嫌悪だった。
「無理です。孝介さんがしたところで、何も変わりません」
「でも……お願い」
こうするしかない。園崎さんを落ち着かせるのには、自分から歩み寄るしかないのだ。
どんなに難しいと言われても、今の状況を変えないと、何も改善されないだろうから。
園崎さんの手は未だに自分の胸倉を掴んでいる。力は弱まったものの、離してくれることはない。どうすれば彼女を抑えることが出来るか。
そう思っていた時だ。
「……私からも、お願いしますわ」
園崎さんの傍に駆け寄って、頭を下げてくれた人がいた。
「沙都子……」
「……」
それ以上は何も言わない。ただの北条さんは園崎さんの服の裾を掴んで必死に訴えかけるだけ。
北条さんだって辛いはずだ。鉄平さんに暴力を振るわれ、耐え忍んでいる日々から解放されることを望んでいるのは間違いない。
でもそれ以上に、友達や誰かが傷つけようとする姿を見るのが耐えきれない。
それがしかも自分のためであればなおさらなはずだ。
彼女は園崎さんと目線を合わせることなく、ただ目を伏せるだけ。
それだけで、十分だったのかもしれない。
次の時には、僕は胸倉を掴まれていなかった。
「……沙都子がそう言うなら」
「ありがとうね」
園崎さんは何も言わない。期待の籠っていない目を向けられただけ。
それでも怒りの炎は下火に変わっていたのだった。
「……にーにー」
呟くようにして伝えられたその言葉には、期待や不安が込められていた。
大丈夫だとは言葉で伝えず、頭を撫でることで少しだけでも安心させようとした。
「とりあえず、頑張ってみるよ」
その言葉だけを残して、僕はもう一度北条さんの家、そして二階にいる北条鉄平さんへ。
相手からは自分がどう見えているのだろうか。弱弱しい姿と取られているのだろうか、面倒な相手だと思われているのだろうか。
「北条……鉄平さん」
「あ、なんじゃい?」
「……お願いです。北条さんを、縛らないでやってください」
正直な想いを言って、頭を下げた。
「はぁ!? 何やねん。ワシが縛ってるとでも言うんかい!」
「北条さんだって、自分のやりたいことがあるんです。それを理解してほしいんです」
「ワシの言う事だけ聞けばいいねん!」
「せめて、学校に行くだけでも……北条さんはいつも楽しみだったんです」
「そんなん知るか!」
「お願いします」
「嫌なのが分からんのかい! このどアホ!」
「お願いします……!」
まるで噛み合っていない会話をしているようだ。キャッチボールをしているだろうに、一向に受け取ってくれず、相手はどこかへ投げ捨ててしまう。
そんなのは分かっていた。でも、あちらが受け取ってくれない限り、こちらから何度だってボールを投げるしかないのだ。
法律という力で抑え込むことも考えた。しかし、子供がそのような言葉を用いたって力としては薄く、むしろ変に威圧されてしまうだろう。
結局、自分の出来ることは、相手が罵倒しようが、酒の缶を投げつけてこようが、必死に願いがかなうようにお願いをするだけ。
優しさだけなのかもしれないけど、少しでも相手の気持ちが変われば、状況は大きく変わるのだ。
それを願って、必死に頭を下げる。お願いしますと何度も言う。
北条さんたちが不安そうに見ていても関係ない。これが、自分が納得するやり方だった。
……何分ぐらいそんなやり取りをしていたのだろうか。少しだけ後頭部に缶が当たった箇所が痛んでいたころだった。
「あぁ、面倒や!」
痺れを切らしたように、鉄平さんは壁を強く蹴っていた。その次に、「沙都子!」と、僕から話の矛先を変える。
「早よ戻って、飯の準備せんかい!」
「……で、ですけれど」
「何を躊躇ってんじゃ! こんな奴、ほっとけばええねん!」
そう言って僕の話をスル―しようとしていた。実際、鉄平さんはもう面倒だと感じているのだろう。このまま家に籠るつもりである。
北条さんは困ったようにこちらを見つめ、そして小さく首を横に振った。
「……で、出来ませんわ」
か細く、頼りない声。でも、それは唯一彼女の抵抗だったのかもしれない。
「何やと、このダラズがぁあ……!」
一時の僕への情けで出た、その抵抗。
それは鉄平さんにとって、最も面倒なことだったようで。
大きな舌打ち、そして坊主頭を掻き毟るように苛立ちを見せながら、彼はもう一度壁を蹴っていたのだった。
「このくそガキが……行かせりゃあいいんやろうが!」
「……え?」
「はよ出て行かんかい、この邪魔モンが!」
そう言って窓を閉めた。乱暴に荒々しく、大きな音を立てた後、急に外は静けさを取り戻したようになった。
無言のまま、お互いの顔を見合う。
真っ先に口を開いたのは園崎さんだった。
「……これで、沙都子は学校に行ける……と考えていいんですか?」
「……多分」
相手は先生とのやり取りからも、北条さんが学校に連れて行かないことを良しとは思っていなかったのかもしれない。後に面倒事となるなら行かせるしかない……そんな意図もあったかもしれなかった。
僕がやったことで、それがほんの少し早まっただけかもしれない。本当に、ほんの少しだけしか変わっていないかもしれない。
……でも、それでも行くことが早まった。みんなと少しでも時間が長くなった。
それが、今は一番の良かったことなのかもしれない。
「これだと、後で暴力が待っていますよ。必ず」
憎しみを込められた目で見られる。相手を激昂させるだけさせて、了承を得させたのだ。
解決していないと考えても、何もおかしくないだろう。
「……いいえ、とても、嬉しいですわ」
そう言って、北条さんは気丈にも笑って見せてくれる。
「本当に、大丈夫ですか。無理しなくていいのですよ?」
「みんなと一緒にいられるなら、多少のことは我慢できますわ」
「そうだと、いいけど……」
「孝介さんが言わないままでしたら、私はきっと、学校に行けた頃にはみんなが見えなかったかもしれませんでしたから……」
脅された上での登校。そんな不吉な予感が頭の中でよぎってしまう。
「私は、負けませんわ。決して、負けませんわ……」
僕の問いかけに対して、彼女は何度も、そう自分に言い聞かせている。
そして僕自身も、彼女がこれで少しは救われたと、信じるほかなかった。