空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
Act1 - 僕の上司を紹介します
覚えているのは、無機質な室内と鼻を突く消毒液の匂い。
そして部屋に負けず劣らず人の体温を感じさせない気配のする幾人かの人。
なんの衣類も身につけずぼんやりと床に腰を下ろしている人たちは揃いも揃って無表情で、自分もまた彼らと同じように、ただ何の意思もなくそこに在った。
霞に支配された頭でゆっくりと顔を上げると、この部屋の中でただひとり、立って自分たちを見下ろしている人がいた。
青っぽい服と、茶の髪と、赤い目。その三色がやけに印象に残った。
彼が小さく何かを唱えると、一番向こうにいた人が黒い光に包まれて消えた。
だれも悲鳴なんてあげないからなんの音も無い。
ひとり、またひとり。
彼が何かを唱えるたび、あの黒い光に消されていくのを自分たちは生気の無い目で眺める。
ひとり。
ひとり。
カタ、と指先が震えた気がした。
しかし自分はなんの思考力も持たず、ただなんとなく、静かな表情で消え行くものたちを見送る彼を見ていた。
やがて隣にいた人がまた音もなく消えた。
レンズ越しの真っ赤な目がひたりと自分を捕らえる。
そのとき、また指先が震えた。
今度は収まる事無く、それどころか震えは全身へと広がっていく。
「―――ア」
喉の奥を締め上げられたような空気が口から抜けていった。
ひどくなる震え。
頭がすぅっと冷えていき、目から液体が零れ始める。
心臓を握りつぶされるようなこの感覚を恐怖と呼ぶのだとこのとき俺はまだ知らなかったけど、ただ何か漠然と、抗わなくてはいけないと感じた。
じゃないと、
(消えてしまう)
「ぅああアァアああぁア!!」
目を逸らすことも出来ず直視していた赤い目が、驚いたように丸くなった。
その間にも喉から吐き出される悲鳴がわんわんと部屋の中を反響して、自分のものでありながら耳が痛くなる。
「うぁあああん! アアアー!」
震え、泣き喚きながらカタカタとおもちゃのように首を横に降る自分に、立ち尽くしていた彼の、あの黒い光を出すために軽く前に出していた腕が下げられていく。
そして下ろされた腕とは反対の手が、ゆるゆると顔を半分覆った。
呆然と見開かれた目や、握り締められた拳が何を表すのか、このときの自分にはわからなかった。
だけどその後、かすかに、かすかに歪められた表情がとても気になって、俺は押さえきれない震えをそのままに、青い服の端に手を伸ばした。
「あー! 大佐、大佐っ!」
捜し求めていた人の姿を資料室の最奥で見つけて、場所を忘れて大声で呼びかけた俺に大佐は目もくれないまま ぶ厚い本を投げつけた。
見事 顔面に当たった本をなんとかキャッチしてから、ずきずきと痛む鼻に手を当てる。
なんでこっち見てないのに当てられるんだろうとかそんなこと今更だ。大佐だからだ。
これはひそかに軍内での合言葉と化している。だって大佐だから。(ちなみに派生系として「陛下だから」も存在している)
投げつけられた本の表紙にちらりと目をやったが、俺にはタイトルからして理解が出来なかった。
きっとページをめくれば専門用語でぎっちり書き込まれた眩暈がしそうなモノが出てくるに違いない。
だから中は見ずに手渡そうとすると、大佐は指で軽く本を指した。
どうやらこれは自室に持ち帰って読む分らしい。
本を抱えたまま脇に立っていると、ようやく大佐が本から目を離してこっちを向いた。呆れたような赤い目が見える。
「そんなバカみたいに叫ばなくても聞こえてますよ。資料室では静かにしてくださいね」
時間差で届けられた入室時のお説教に俺は情けなく眉尻を下げた。
「だって大佐ぁ、陛下が大佐のこと探して来いって言うんですよ。しかも三分以内ですよ、とうに過ぎちゃいましたよ、カップメンじゃないんですから無理ですよ……」
しかもこんな広い城でどこにいるかも分からない人を探せなんて無茶だ。
いや、でも、大佐だから目撃証言は取りやすかったけど。
「早く行かないと俺が陛下のひまつぶしに付き合わなきゃいけなくなるんですよぅ」
「いいじゃないですか付き合ってあげれば」
「それすなわち陛下と俺が遊ぶ、じゃなくて、陛下が俺で遊ぶ、だからイヤです!」
「ハイ静かに」
パンとまた本で額を殴られる。今度は軽くだったけど。
その本をまた受け取って、腕に抱えたさっきの本に重ねてからまた大佐に向き直る。
「陛下の相手が出来るのは大佐しかいないんですから~……。俺もう陛下の遊び道具になるの嫌ですよ」
「あの人なりの愛情表現なんですよ。受け止めてあげなさい」
人にあらゆる無理難題を押し付けるのは本当の愛じゃないと思います。
俺はスーパーマンじゃないから城のてっぺんから飛んだりとか出来ません陛下。けっこう新しい愛され記憶に思わず遠い目になる。
本気で飛ばせるからあの人は怖い。そのあと自分も飛ぶし。無傷だし。
「今度は素潜りとかさせられたらどうするんですかぁ」
かの人はまた別の本を手にしていて、目はずらりと並んだ文字から離れない。
「大佐~」
しつこく情けなく大佐の言葉を待ち続けていると、短い溜息が聞こえてきた。
手にしていた本は今度は顔面を打つことはなく、俺が抱えた本の上に重ねられた。
再び赤い目がこちらをとらえる。
「……大佐…?」
神に祈る気持ちで赤い目を見つめていると、顰められた表情がほんの少しだけ緩んだ。
「少しくらい待たせておきなさい。子供じゃないんですから、彼だってそれくらい平気です」
「だって三分って」
「そこからもう からかわれてると気付きませんか。このだだっ広いところで、どこをどうしたら三分で人を見つけられます?」
なんとなく予感はしました。
脳裏にえらくさわやかな顔で笑う陛下の姿が過ぎる。
自分で認めたら終わりな気がして考えたくなかったけど、大佐に言われたならもう認めざるを得ない。
どんよりと鬱なオーラを撒き散らしていると、また腕の中に本が積まれた。
「もうすぐ終わります。そこで待っていなさい」
告げられたその言葉を何度か頭の中でくりかえして、俺はようやく理解した。
いきおいよく顔を上げると、赤い目はすでにそらされてまた本棚に向かっていたが、ゆっくりと意味が脳にしみこんでくるにつれて自分を取り巻いていた影が一気に晴れていくのを感じた。
それは、つまり、一緒にいてもいいということだ。
影ではないキラキラとした何かが湧き上がってくる。
「は……はい、ハイっ!」
おもわず声を上げると即座に本が一冊飛んできて額に当たった。
「し・ず・か・に」
「………………はぃ」
今のは角が当たって本気で痛かった。
額をさすりながら本を抱え直して、静かに、大佐の横で待機する。
しかし表情ばかりはどうしようもなく、嬉しさがそのまま顔に出てしまう。
ああ、でも、
うっとうしいと言われる事は数あれど、どこかへ行けと言われた事はなかった。
とはいえ大佐公認で近くに居ていいと言われることは中々無いからかなり貴重だ。歌い出しそうな気持ちで笑みを深める。
「まったく、どうして、あなたは……」
ふと耳に届いた呟きに顔を上げると、忌々しげともいえる顔をした大佐。
赤い目が苦く歪んでいる。
「大佐?」
呼びかければツイとそらされた赤。やがて深い溜息が聞こえてきた。
「なんで私についてまわるんですかね……」
そんな資格はないでしょう。
暗い色を落とした赤がそういった気がした。
俺はその言葉にしばし目を丸くする。
そしてまた、笑った。
服のすそを掴まれた彼は今度は驚きに目を見開いて、それからひどく不器用な顔で笑った。
今なら分かる。
あれは人が、俺たちが、後悔と呼ぶ感情。
「大佐、俺けっこう幸せだと思います」
唐突に過ぎった思いをそのまま口に出せば、うさんくさげな視線と共に、なんですか気持ち悪い、と戻ってくる。
とっさに返そうとした言葉をひっこめて、代わりに少し声を上げて笑った。
俺は幸せだし、あなたが大好きだから、そんな顔をしなくても大丈夫なんですよ。
でもそれを言ったら譜術のひとつかふたつ飛んでくるだろうから、とりあえず今は言わないことにして、どんどん積み上げられていく本を抱え直した。
初期称号『カーティス大佐 直属部下』
大佐の部下だけど、第三師団じゃないんです。
彼は大佐専用 パシリ 小間使い。