空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken-   作:甘味RX

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Act46.5 - いつつ!自分の気持ちに正直になりましょう

 

「シュタインメッツ伯爵、並びにリース様、ご到着です」

 

 

 

 

 謁見の間から聞こえてくる真面目な話し声を聞きながら、扉の外で待機していた俺とガイの耳に、ディストの深いため息が被さった。

 音素学の権威として今回の審議に参加する予定のディストだが、混乱を避けるために今はこうして部屋の外で待機している。

 

「なんで貴方達なんですか。ジェイドはどうしたんです?」

 

「だーかーらっ、……ジェイドさんは忙しいんだって……」

 

 しかしディストは自分を連行するのが大佐じゃないのが不服らしく、じっとりと俺達を睨んだ。

 それに思わず声を張り上げそうになり、すぐに声を潜めて言い直す。俺だってここでこうしてディストといるより、大佐の脇で控えているほうがどれだけ幸せか。

 

 はぁ。

 

 今度はふたつ同時に零れた溜息に、ガイが苦笑する。

 

「ほら、そろそろ出番だぞ。しゃんとしろよ」

 

 そう言ってぽんと肩をたたかれて、俺はあわてて背筋を伸ばした。

 

 中からは大佐が淡々と紡ぐ言葉が聞こえる。

 やがて、ガイラルディア伯爵、と掛かった呼び声に、ガイと顔を見合わせ、小さく頷き会ってから、ディストを引き連れて中に入る。

 

 俺は兵士としてディストの脇についたまま、ガイが数歩前に出てうやうやしく礼をした。

 

「こちらが音素学の権威、かの有名な譜業博士サフィール・ワイヨン・ネイス様です」

 

 現在マルクト軍で拘留中だと大佐が付け足せば、リース様は、そのような犯罪者に証明ができるのか、と声を荒げた。

 

 犯罪者かどうか以前の問題として俺もその点はかなり疑問なんだけど、いや、何度も言うようだがこれでもフォミクリー開発者。技術や頭脳はずば抜けているはずだ。

 

 そのディストによれば、リース様とフランツ様の音素構成と振動数に重なるところはなかったという。

 それがどういうことになるのか俺の頭では一切理解できなかったけど、内務大臣さんが「つまり?」と尋ねると、ディストは至って分かり易く、言い直してくれた。

 

「血縁関係の認められない他人だと言うことです」

 

 それは、だから、えーと。

 

「御落胤じゃない!?」

 

「うん、そうだな。ちょっとしずかにしてような」

 

 じっくり考えた末に弾き出しされた結論に、目を丸くして顔を向けたら、なぜかガイに優しくあやされた。え、なに。

 

 そんな俺を置き去りにして、話はどんどん進んでいく。

 結果を聞き、目に見えてうろたえたリース様がシュタインメッツ伯爵に詰め寄っている。

 

 どうやら騙すつもりではなく、彼は本当に自分がフランツ様の子供だと思っていたようだ。それじゃあ誰が彼にそれを吹き込んだのか。

 

 視線が、ひとりの人物に集まった。

 彼はやけに落ち着き払った様子で、すいと手を掲げる。

 

「落ち着いてください、リース様。どうかこれをお受け取りくださいませ」

 

 瞬間。ぴりっとした感覚が皮膚を走った。

 

 慣れた感じ。

 具体的に言うならば、最近すこし回数が減ったがかつて日課のごとく味わい続けたもの。ジェイドさんと比べればはるかに荒削りだけど、間違いない。

 

「第五音素よ。灼熱の炎となりて、かの者と融合し、その力となれ!」

 

 ――音素の流れだ。

 

 気づいてとっさに剣へ手をかけたが、そのときにはもう、音素はリース少年の体へと急速に収束しつつあった。彼が胸を押さえて苦しげに膝をつく。

 

「おまえはピオニーの傍で爆発するための手駒だ!」

 

 反皇帝派、という言葉が脳裏に浮かび上がった。

 最初からそのつもりだったのだろう、シュタインメッツ伯爵の挙動は堂々としたものだ。

 

「ガイ! リック!」

 

 鋭く名を呼ばれて、はっと意識を引き戻した。

 その隣でガイが「はいよ」と軽く返事をして、非戦闘員の方々を逃がそうと動き出す。

 

「り、了解です!」

 

 俺もすぐに頷いて、掴んでいた剣の柄を離し、駆け出した。

 陛下も早く、とアニスさんが声をかけているのが聞こえる。リース少年のほうは大佐がなんとかしてくれているようだ。

 

 あれ、そういえば。

 

 ちょっとした疑問が胸を掠めたとき、ふいに背後から羽交い絞めにされた。

 

「へ……!?」

 

 驚いて目と首のわずかな動きで後ろを見れば、そこには見慣れた制服。

 マルクト帝国軍の軍服を着た男が、俺を押さえつけていた。

 

「ギャーー!!」

 

 その向こうから絹……もとい厚紙を裂いたような悲鳴が聞こえてくる。

 ディストってどうしたっけ、と考えたのがついさっき。どうやら無事ではあるようだけど、彼の前にも兵が立ちふさがっている。

 

 見れば俺だけじゃなく、アニスさんやガイも同じように捕まろうとしていた。

 いつのまにか謁見の間にはマルクト兵が溢れかえっている。

 

「我らマルクト義勇軍は預言の撤廃に異議を唱える!」

 

「預言をないがしろにする皇帝に、ローレライとユリアの天罰を!」

 

 マルクト兵はマルクト兵でも、彼らは軍内の不穏分子とされる集団だ。

 大佐の杞憂どおり、この謁見の間での発表は皇帝暗殺の絶好の機会とされていたんだろう。

 

 いや、それにしても聞き捨てならない発言があった。

 

「ローレライは分かんないけど、ユリアさまはこんなことで怒らないっつーのぉッ!!」

 

 怒りに任せて顔を上げれば、後頭部への衝撃に合わせて鈍い音と微かな悲鳴が聞こえてくる。

 その直後、回されていた腕の力が抜け、拘束が解ける。

 

 そして俺はぐったりと倒れたその男に向けて、びしりと人差し指を突きつけた。

 

「ユリアさまはいつも元気に手を振ってくださるし、前に一回お花畑の間にある川で俺が溺れてたときも大爆笑しながら助けてくれた優しい方だ!!」

 

「待てリック。それはなんの話だ」

 

「川渡んなくてよかったねリック」

 

 同じく義勇軍から逃れて剣を抜いていたガイがなぜか神妙な顔で言い、アニスさんが微妙に遠い目で笑っていた。

 

 それからすぐ、トクナガを巨大化させたアニスさんは、きりっと眉を吊り上げて、こちらを攻撃しようとしていた義勇軍の兵を睨んだ。

 

「あんたたちに預言がどうこうなんて言わせないよ!」

 

「ほざけ! ネイス博士共々死ね!」

 

 一人の兵が、剣を掲げて一番傍にいたディストに切りかかろうとする。

 それに気づいて俺たちも動こうとするものの、間に合わない。

 

 ああもうこういうとき譜術が使えたら、と思ったところで、ディストと兵の間に割り込んだ影があった。

 

「陛下!?」

 

 ピオニー陛下がすばやく相手の剣を叩き落す。

 それにほっとした瞬間、視界の端にきらめく銀色が見えた。

 

「……今だ、覚悟!」

 

 シュタインメッツ伯爵。すっかり忘れていた。

 彼の手には鋭利な刃。あぶない、とアニスさんの声が響く。

 

 そして、その背にその銀が突き刺さり、陛下が冷たい床にくずれおちた。

 

「ぴおっ……」

 

 とっさにピオニーさんの名を呼ぼうとしたところで、ふと思い出す。

 そうか。そうだった。

 

「ピオニー!!」

 

 俺が微かに安堵の息をついたとき、響いた声が誰のものだったか。

 考えるまでもなく分かって驚いたあと、聞こえてきた詠唱にもっと驚いた。

 

「……天光満るところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり……!」

 

 ひ、と喉から悲鳴がこぼれる。

 しかしこの喧騒に満ちた空間にもよくとおる声は、非情にも続きを紡いでいく。

 

 出でよ、と押し殺した低い声。

 

「――神の雷、インディグネイション!!」

 

 その瞬間、俺は誰とも知れぬ何かに祈った。

 

 ああ思い起こせば十年のこの生涯、わりと一生懸命過ごしてきたけど、やっぱり最期はジェイドさんの手に掛かることになるなんて廻り廻って原点回帰っていう感じだろうか。

 

 うん生まれたてのときに保留にされていたのが今になったと思えば、まあ、なかなか長い延長レプリカ人生だったと思わなくもないが、ないけど、だけどでも。

 

「やっぱ死にたくないですぅううー!!」

 

 号泣しながら頭を抱えて丸くなる。

 だが、いつまで経っても状況に変化はない。

 

 そのうちに、瞼を閉じていても分かる強烈な閃光がおさまったのを感じて、俺はおそるおそる目を開いた。

 

 そこは想像していたお花畑ではなく、ぼろぼろになった謁見の間。

 いるのはユリアさまじゃなくて、倒れ伏す義勇軍の人々。

 

 俺は自分の手をまじまじと見つめながら立ち上がり、ぽむぽむと体中を軽くたたいてみた。どこもなんともない。

 最後に頬をおもいきり引っ張ってみてから、傍らにたたずんでいたガイのほうを勢いよく振り返った。

 

「ガガガガイ! すごいオレに味方識別(マーキング)がついてる!!」

 

「そ、そうか良かったな! でもとりあえず後にしてくれ!」

 

 衝撃に近い感動に目を輝かせていた俺は、そう言ったガイの真剣な顔をきょとんと見返す。

 

「なんで?」

 

「なんでじゃないだろ! 陛下がっ!」

 

 アニスさんや大佐が倒れる陛下に駆け寄るのを横目に見ながら、ガイがもどかしげに怒鳴る。

 

「リック、はやく治療士を呼んできてくれ!」

 

「え? だってピオニーさん、このあいだから服の下に鎧……」

 

「いいから急い……――、え?」

 

 着て、ました、よ。

 消え入るような俺の声が謁見の間にむなしく響く。

 

「…………」

 

「…………」

 

 耳に痛い沈黙のあと、みんなの視線が倒れたままの陛下に集まった。

 そこから少しの間をおいて、陛下がおもむろに起き上がる。

 

「…………ハハハ! おどろいたか、ジェイド!」

 

 そして若干笑顔を引きつらせながら、軽くヤケになった感じの陛下が片手を挙げた。

 

 再び謁見の間に静寂が広がる。こんなに心安らがない静寂はなかなか無いだろう。

 俺の背にも冷や汗が浮かびだしたころ、大佐がゆっくりとした動きでこちらを顧みた。

 

 浮かべられた極上の笑顔。無意識に数歩あとずさる。

 

「知ってましたね?」

 

「だ、だだだだって陛下がシーッて! シーッて!!」

 

 シーッて言うから!

 

 そのあと、低い声で陛下の名を呼んだ大佐に、俺たちは瘴気を封じた今にして魔界にいるような心地を味わうことになった。

 

 

 

 

 あれから数日。

 

 暗殺騒動については、公表はせず緘口令を敷くに留まった。

 預言が読まれなくなってまだ日も浅いし、これ以上 国民を不安にさせる話はないほうがいいのかもしれない。

 

 かくいう俺たちも事後処理でてんやわんやしていたのがようやく落ち着いてきたところで、大佐の執務室でいつものように書類の整理なんかをしていた。

 

 そのとき扉をノックする音が部屋に響く。

 ちらりと大佐に視線を向けると、赤い目は一度俺を見てからまた書類へと落とされた。続く言葉を察して、扉のほうに向かう。

 

「入れ」

 

 そして大佐の声と合わせて扉を開けると、姿を見せたのは元気な桃色。

 

「お邪魔しま~す!」

 

「おや~。アニスじゃないですか」

 

 聞き慣れた声を聞いて大佐もまた顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。

 あれからアニスさんもグランコクマに滞在していたけど、そろそろダアトに戻るということで大佐に挨拶に来てくれたらしい。

 

 反乱分子の粛清がどうだディストがどうだとこの間のことについての世間話が進む中、先ほど閉めたばかりの扉が再び、かなりの勢いを持って開かれた。

 

「ジェイド! かくまえ!!」

 

 飛び込んできたのはこの国の皇帝陛下。

 

 だけど今は威厳もなにもなく、アニスさんの姿を見つけて嬉しげに笑みを浮かべている。

 ガイに追われていると言っていたけど、今度は何をしたんだろう。またサボリかな。

 

 しばらく俺が怪我で動けなかったから、その間はガイが陛下の見張り……いやいや補佐をしてくれていたのだけど、彼の苦労が察せられるようで俺はそっと涙をぬぐった。

 

 陛下たちが話している間に、開かれたままの扉から通路のほうを覗き込む。

 するとあたりをきょろきょろと見回しながら歩いている金色の髪を見つけたので、彼に向かって無言で手招きをした。

 

 ガイもすぐに気が付いて、こちらに向かってすごいスピードで走ってきたのだが、足音が一切しないのがすばらしい。

 たどり着いた彼をそのまま部屋の中へと招き入れる。

 

「見つけましたよ!」

 

 中でゆったりと会話を楽しむ陛下に、いつもは温和な空色の瞳をくいと吊り上げてガイが人差し指を突きつけた。

 

「貴族院から予算案の書類がまわっているはずです!」

 

 だが陛下はすぐさま「嫌だ!」と首を横に振る。

 

「今日はブウサギたちと戯れる日と決まってるんだ!!」

 

「あ、陛下! あんなところにネフリーが!」

 

 しかし突如響いた大佐の声に、え、と陛下がにやけた顔で窓のほうに走っていく。

 その隙を逃さず大佐が確保命令を出せば、ガイが さっと陛下を捕まえて見せた。

 

 ガイって貴族なんだよなぁと自分に確認を出してしまうほど、その手際は鮮やかだ。かなり命令を聞き慣れてる感がある。ガイって貴族だよなぁ。俺はもう一度自分に確認してみた。

 

 

 そして「ジェイドぉおおお」と断末魔を残しながら、ガイに引きずられていった皇帝陛下を生ぬるい笑みで見送った後、部屋の外に避難していたアニスさんがひょいと顔をのぞかせた。

 

「それじゃ私ほんとに戻るから」

 

「あ、じゃあ街の入り口までお見送りします」

 

「いいのいいの。リックも仕事中でしょ~」

 

 明るい笑みを浮かべて手を振ったアニスさんは、身を翻す直前になって「あ、そうだ」と声をあげて軽い足取りで戻ってくる。

 

 俺の前で背中のトクナガのあたりをごそごそと探ると、やがてそこから出てきたのは、包装された四角いもの。

 

「はい リック! 手紙で頼まれてたやつ!」

 

 ぽんとそれを胸元に押し付けられ、礼を返そうとしたところで、視界の端に大佐の存在を感じてはっとする。

 

「ア、アニスさん! その、大佐、ちょっと、オレ、軍部の外まで送ってきます!」

 

 アハハハハ、と乾いた笑いを零しながら、俺は彼女の小さな肩を押して部屋の外に出た。

 

 後ろ手に扉を閉めたところで、深く息をつく。

 それから改めてアニスさんに向き直った。

 

「ありがとうございます、アニスさん」

 

「……ふーん。やっぱりまだ大佐には言ってないんだ」

 

 半眼で見られて、ぎくりと身を揺らす。

 冷や汗をかく俺をしばらく見つめた後、彼女はひょい肩をすくめた。

 

「ま、いーけどぉ」

 

「はは……すみません」

 

 苦笑を返せばアニスさんはまた笑みを浮かべて、それならちゃんと出口まで送ってってよねーと言いながら歩き出す。

 俺もその後について歩き出し、アニスさんの隣に並んだ。

 

 そして軍基地の出口についたところで、数歩前に出て振り返ったアニスさんがふざけ半分の敬礼をみせる。

 

「ここまででいいよ!」

 

「あ、はい。お気をつけて」

 

「うん」

 

 そう頷いた後、アニスさんはなにやら考えるように目をまたたかせた。

 

「リック」

 

 意味ありげな笑みと共に名を呼ばれ、不思議に思いながらも、はい、と返事をする。

 たたた、と駆け寄ってきたアニスさんが、背伸びをして俺の耳に顔をよせた。

 

「自主練もいいけどさ、そろそろ勇気だしなよっ」

 

「ぅえ……っ!?」

 

 目を見開いておののいた俺にかまわず、今度こそ身をひるがえした彼女は出口の扉に手を当てて、もう一度だけ振り返った。

 

「大佐、頼めばきっと教えてくれると思うけどなー」

 

「そ、そんな恐れ多い! だから剣の達人にテーブルナイフなんですってば!」

 

「……なにそれ。まぁまぁ、アニスちゃんには関係ないし、いーいーけーど~ぉ」

 

 そう言いながらアニスさんはひとつ舌を出して、扉の外に身をくぐらせた。

 

「がんばってね、リック!」

 

 閉まる直前、隙間から顔をのぞかせたアニスさんの笑顔と激励に、俺はあわてて「はい!」と返事をしながら敬礼をした。

 

 微かな音を立てて閉じきった扉。

 その向こうに消えていく足音を聞きながら、さっきアニスさんに受け取った包みを開く。

 

 『誰にでも出来るやさしい譜術(中級編)』

 

 やわらかい字体で印刷された題字を そっと指でなぞり、俺は小さく息をついた。

 

 

 

***

 

 

 

 本来は厳かな静寂に満ちているはずの宮殿の通路を、ずるずると引きずられていく一人の男。

 その男、ピオニーの首根っこを掴んで引きずるガイは、まったくもう、と語気を荒げた。

 

「激務続きなのは分かりますが、やらなきゃいけないことは終わらせてください!」

 

「今日出来ることなら明日でもいいだろうが」

 

「だから明日じゃ間に合わないんです!!」

 

 そう言ってから押し詰まった執務予定を思い起こして、ガイはピオニーを引きずっていないほうの手で頭痛をこらえるように眉間を押さえた。

 

 そのまま少し、ただ人を引きずる音だけが響く。

 そして執務室が近づいてきたころ、ピオニーがふいに口を開いた。

 

「なあガイラルディア」

 

「あと五分ってのは無しですよ」

 

「リックの奴はな、覚悟ってものが分からんらしいんだ」

 

 突拍子も無いことを言い出すことが多い男だが、それにしても唐突過ぎる話の流れと、落ち着いた声色にガイは思わず足を止めて、その襟首を掴む手を離す。

 ばたりと頭から床に倒れこんだピオニーが「いて」と呟くのが聞こえた。

 

 だが服を手で軽く払いながら立ち上がったピオニーは何事もなかったかのように歩き出したので、ガイも慌ててそれを追い、隣に並んだ。

 

「突然なんですか」

 

「いや、なんとなくだ」

 

「なんとなくって……いや、いいですけどね。覚悟というと?」

 

 ピオニー相手に理屈を通そうとするのが間違いなのかもしれない。

 諦めて聞き返すと、彼は考えるように顎に手を添えた。

 

「覚悟、信念、決意。まあ呼び方はどうでもいい。つまりは自分を投げ出してでも叶えたい何か。強い願い。気持ち……そういうもんだ」

 

「それがリックに理解できないんですか?」

 

 口にしてから、そういえばつい最近似たような言葉を耳にしたと思考をめぐらせる。

 御落胤騒動の発端となった日。宮殿前の庭だ。

 

 『私は、人の死というものが理解できないのです』

 

 理解できないとする対象も人物も違うのに、今の流れがひどくそのときと被る。

 

「分からんというんだ、本人はな」

 

 そう言って息をついたピオニーは、まるで手のかかる弟を思うような表情で緩く苦笑してみせた。

 

「そんなはずは無いんだがな。なあ聞くがガイラルディア、覚悟ってのは言葉や頭でするものか?」

 

「……己に強く言い聞かせる意味で口に出すことはあるかもしれませんけど」

 

「ああ、そんなのは考えるもんじゃない。ここでするもんだ」

 

 ここ、と言うときに心臓のあたりをピオニーがトンと拳でたたいた。

 それと同時に、いつのまにか執務室の前まで行き着いていたことに気づく。

 

 ピオニーはそこで一度思い切り背伸びをして、ノブに手をかけたまま、首をかしげた。

 

「それだけでいいのによ、ジェイドもリックもいちいち理屈を欲しがる。あいつら親子そろって融通利かねえんだよ」

 

 そうですねと流れで返事をしかけて、それから今の言葉を頭の中で反芻し、きょとんと目を丸くする。

 そしてガイは、ふわりと口の端を持ち上げた。

 

「親子、ですか?」

 

 笑み交じりのその問いに、振り返ったピオニーが楽しげに目を細める。

 

「親子だろ」

 

 

 ふたりの人間を飲み込んだ扉が、笑うような軋みを上げて、ゆっくりと閉じていった。

 

 

 




『マルクト帝国騒動記』編、終了!
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