空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
海を漂う孤島の次は、空に浮かぶ大陸。
いい加減頭が痛くなりそうなこの情報過多な感覚は、外殻を旅していたころのものととてもよく似ている。
胸のどこかに被験者家族の存在が引っ掛かったまま、しかし何も知らずに日々安穏と生きていた己の価値観を、全てひっくり返したあの旅に。
浮かびゆく巨大な塊を見上げながら、俺はどこか他人事のように、そんなことを考えていた。
レプリカ達はあの大地を“新生ホド”と呼んだ。
そしてモースは彼らをそこに迎え入れる約束を交わしていたらしい。
だが新生ホドは、彼らを残して浮かびあがった。
それが何を意味するのか汲み取れずにいるレプリカ達はレムの塔という場所へ向かうと言う。
そこが約束の場所であるから、必ず迎えに来て下さる、と。
まるで疑う事を知らない小さな子供のように、それを口にする。
もうこちらには目もくれず屋敷の中に戻って行った彼らの背を見送った。
「俺にはモースがあの人達を受け入れるとは思えないけど」
ルークが眉を顰めて、小さく息をつく。
まあ私なら見捨てますねとすぐに大佐が言葉を繋いだ。
レプリカ情報さえ残っていれば、わざわざ彼らを搬送する必要はない。
モースはただ、同じ情報を持ったレプリカをまた作ればいいだけだ。
「……ある意味、モースは彼らとの約束を破ってはいないんですね」
あの新生ホドには、やがて確かに“同じ”情報から作りだされた“同じ”レプリカが存在することになる。モースにとってはそれが成就の形なのかもしれない。
言葉の意味を掴みかねたらしいルークが首を傾げるその脇で、赤い瞳を厳しく細めた大佐に気づき、はっとして口を閉ざした。
「…………、なあ、あの空に浮かぶ島は本当にホドなのか? そうだとしたらあれはヴァンの計画していたレプリカ大地って事になるぜ」
そこでガイの言葉が空気を揺らしたことで皆の意識がそちらにそれる。
零しかけた溜息を何とか呑み下して、横目で大佐を窺った。
逸れない赤。
真正面から受け止められず、また静かに目をそらし、軽く頭をかいた。
(分かってる)
例え元となる情報が同じであっても、そこから作られたレプリカは一人一人が全く違う人間だ。
外殻大地を巡る旅で知ったこと。俺がおかした罪の発端。
(分かって、いるのに)
もうレプリカと被験者が同じだなんて思わない。
思ってなんかいないのに、胸の中でとぐろを巻く感情が心にもない言葉を押し出そうとする感覚が、先ほどから消えないのだ。
「ノエルに頼んで、あの空に浮かんでる島へ行ってもらおう」
これからの行動を定めるルークの言葉が耳に届いて、一度きつく目を瞑ってから、自分の体に動けと指令を出す。
いつもの定位置である最後尾を行こうとやや歩調を緩めて歩き出した俺の横を、大佐が通り抜ける直前、いやに静かな声が耳に届いた。
「物騒ですね」
行ってしまった上司の背中をぼんやりと眺めて、意味を考える。
なんだかいつか同じような言葉を聞いただろうか。
「…………、あ」
そこで俺はようやく、左手をいつのまにか剣の柄に添えていたことに、気がついた。
*
アルビオールで新生ホドに乗り込もうとしたノエルが、激しく揺れる機体を必死に立て直しながら、これ以上は近づけません、と声を張る。
どういう原理かなんて俺の頭では説明出来るはずもないが、島の周りにはプラネットストームが渦を巻いていた。
外殻を押し上げる力を失った本来のセフィロト。
しかしヴァンはセフィロトすらレプリカとし、その力を使って大地を空へ押し上げたのだと大佐は言う。
少し距離を取って揺れの収まったアルビオールの窓からプラネットストームを見て目を細めたルークが、あれがある限り近づけないってことか、と悔しげに眉根を寄せる。
「仕方ありません。グランコクマに行きましょう」
軍本部にホドの情報が保管されているという大佐の言葉にルークが頷いて、ノエルがアルビオールの舵をきった。
グランコクマ。
普段は聞いているだけで心が凪いでいく水音も、今は効果を発揮することなく、ただ耳の手前を過ぎて行く。
自分でも持て余す訳の分からない感情に、聞き咎められない程度の溜息を零したとき、いつもは水の音と住民達の陽気な話し声に満ちているはずの噴水広場のほうから、剣呑なざわめきが聞こえてくるのに気付いた。
どうかしたのかと首を傾げた俺たちの脇を、兵士が数名 広場に向かって走り過ぎて行く。
反対に広場のほうからは、市民の方々が走ってくるところだった。
そのうちの一人の男性が、早く逃げたほうがいい、と俺たちに声を掛けてくれた後、また足早に去っていく。
「ただ事ではありませんわね! 参りましょう!」
瞳に強い光を宿したナタリアが、止める間もなく騒ぎのほうへと行ってしまった。
伸ばしかけた手はむなしく宙をきり、苦笑して俺もすぐ地面を蹴る。
逃げる人々の間を縫って逆走して行き、やがて辿り着いた噴水広場。
数人の兵士に囲まれた、その中心で、一人の男がうずくまっていた。
男の周囲には音素がひどく荒れた渦を巻いている。
「どうなっていますの?」
「……あれって」
眉を顰めるナタリアを背に庇いながら、目を細めて男を見やる。
「カシム!」
追いついたルーク達の中、大佐があの男の名を呼んだ。
やっぱりあれはカシムだ。
「え、だれだれ? 知り合い?」
アニスさんとナタリアが顔を見合わせる様子に、そういえば前にカシムと会ったとき二人はいなかったっけなとふいに思い出す。
先ほどの俺はあそこに荒れた音素があるということしか分からなかったが、ティアさんはこの様子を見てすぐに、音素の乖離現象を起こしている、と言って表情を厳しくした。
「ええ、譜眼でしょう」
大佐がティアさんの言葉を継ぐ。
しかも第七音素を取り入れたモースと同じように、制御が出来ず暴走しかけているらしい。
せめて他人に迷惑が掛からない場所でやればいいのにと軽く付け足された音に、目を眇めて、まったくです、と小さく零した俺を大佐がちらりと見た瞬間、ナタリアが彼を助けなければと言った。
「始末しましょうか。一番簡単な処理方法です」
どうすればよいのかと尋ねたルークに返された淡々とした音を聞いて、ナタリアはカシムも民も助けるのだと、ルークは殺さなくていい時は殺したくないと、それぞれ声を上げる。
その返答を予想していたように、僅かに苦笑を浮かべた大佐が、ティアさんを呼んだ。
譜歌で音素暴走を止めている間に自分が譜眼の処置を取り除くからと。
「 トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ…… 」
そして、周囲で荒立っていた音素が、ゆっくりと静まって行く。
カシムの体から力が抜けたのが見えた。
やがて一件落着と周囲の人々や兵士が息をついた中心で、何故かカシムが呆然と手を震わせる。
己の手を見つめる目は、妙にうつろだった。
「目が……僕の目が……」
そこで俺もようやく気付く。
譜眼を取り除いた代償として、彼は目の光を失ったんだ。
入念な準備と素質を必要とする譜眼を、聞きかじりの知識で施した。
自業自得だと、それでも責めるようではなく、静かな調子で口にした大佐を、カシムがもう見えない目で鋭く睨む。
「こんなことになるなら、どうして大佐はもっと強く止めてくれなかったんですか!」
頭のどこかが軋んだ気がした。
「止めましたよ。死ななかったのは偶然です」
「うるさい! もっとちゃんと止めてくれれば……」
ぎしりと歯を食いしばる。
踏み出そうと強く足に力を込めた俺の視界の端に、すっと赤がよぎった。
思わず目を見開いて足を止めたときには、すでに俺の脇を通り過ぎたルークが、思い切りカシムを殴り飛ばしていた。
「てめぇは生きてるだろうがっ! 死ななかっただけ、ありがたいと思え!!」
ああ、まただ。
――軋んだ、音がする。
彼を捕らえに来たマルクト兵に、大佐は自分が身元引受人になると言ってカシムを引き渡した。
兵士達に連れられて行くカシムを見送った後、それを意外だとガイが目を丸くする。
アクゼリュスの時も、今回も、説明する手間を惜しまなければ、別の結果が訪れていたかもしれないからと大佐が肩をすくめた。
「だけどアクゼリュスの時は、俺が悪かったから……」
「あなたが悪くないとは言っていませんよ」
「わ、わかってるよ」
あの後みんなにこっぴどく叱られたし、とばつが悪そうに頬をかいたルークに、アクゼリュスを崩落させたからではなく、言い訳ばかりで反省をしなかったから叱ったのだと、そう付け足した大佐を見て、ガイが少しからかうような笑みを浮かべる。
ちゃんと自分の責任を思い知った今のルークだから、こうして面倒をみるようになったのだろう、と。
告げられた言葉に一瞬固まった大佐が、照れたように視線を泳がせ、無駄話をしてないで行きますよと身をひるがえした。
「はぅあ! 大佐が照れた! めっずらし~」
すぐさま、アニース、と低い声が戻ってきたけれど、みんなはおかしそうに笑い声を上げていた。
妙な騒ぎに巻き込まれたが、本来の目的地である軍本部を目指して再度歩き出す。
みんなの後ろ。少し離れたところで黙りこんでいると、隣に並んだナタリアが不思議そうに首を傾げて俺を覗き込んだ。
「どうしましたの、随分静かですけど」
透き通る深緑色を見返してちょっとだけ言い淀んだ後、ナタリアから顔をそらし、前を向いて眉を顰める。
「……ほっとけばよかったんだよ」
「それは あのカシムという人のこと?」
沈黙で肯定を示して、ゆっくりと目を細めた。
「あんなやつ。大佐の言うとおり自業自得だ」
ナタリアの表情は俺からは分からない。
だけど彼女は寸の間 口を閉ざした後、静かな吐息と共に言葉を紡いだ。
「そんな冷たい言い方、リックらしくありませんわね」
どこか心配そうなその声に笑顔を返す余裕もないまま、
「……そんなこと、ないよ」
俺はただ一言、ぽつりとつぶやいた。