空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken-   作:甘味RX

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ジェイド、ガイ視点


Act60 - オトナの気持ち

 

 

 この幻想的な街ユリアシティの市長テオドーロの自宅であると同時に、ティアの住居でもある建造物の中から歩み出たガイは、左肩を右手でとんとんと叩きながら顔を上げた。

 

 すると視線を滑らせる間もなく、目の前にある通路の端、腰ほどの高さにある柵に軽く体重を掛けて立っているジェイドの姿を見つける。

 僅かに伏せられた瞼の下から覗く揺れのない赤の瞳が、あの男が思考に沈んでいる事を表していた。

 第一目前にある家から人が出てきてすぐに気付かない時点でそれは疑いようもない。

 

 おもむろに足を進め、隣に並んで同じように柵に寄り掛かると、ジェイドはそこでようやくこちらに一瞥をくれる。

 そして何事も無かったかのような、いつもの作りものめいた笑顔を浮かべた。

 

「おや、ガイ。二人の様子はどうでした?」

 

「ルークはティア、リックはナタリアが診てるよ」

 

 正直、怪我と呼べる怪我はどちらにも無い。あるのは頬、お互いの一発ずつだけだ。

 だから今診てもらっているのは実のところ身体ではなく内面のほうなのだが。

 

「アニスは、まあ色々あったからな。ティアの部屋で仮眠を取ってる」

 

 ルークとリックがあの状態ではテオドーロに会いに行くわけにもいかない。

 少々強引ながらも良い機会とみることにして、報告は半日ほど休んでから向かうことになった。

 

 そうですか、とジェイドの軽い返事が耳に届く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……………………………」

 

「……ガイ。貴方が言いたい事は分かってますから無言で圧力を掛けないで貰えますか」

 

「分かるか。なら良かった」

 

 一足早く根気負けして眼鏡を押し上げながら零すと、にこりと一見 人の好さそうな笑みを見せたガイに、ジェイドは彼が言われるほど穏やかなだけの青年では無いことを改めて実感する。それでも普段なら押し負けるつもりもさらさら無いのだが。

 

「俺だっていつまでも付き合いきれないってことだよ」

 

 相手にもうはぐらかす気がない事を知ると、ガイは意地悪く笑って言う。

 

 これ以上不器用な遠回りを繰り返すつもりなら いくらなんでも見放してやろうと心に決めたのは、彼らの譜術訓練が終了した日のグランコクマだ。

 まあ本気ではなかったが、今日のルークとリックよろしく一発殴るくらいは、きっとユリアにも許されるだろう。

 

 やがて男はひとつ溜息をついて、口を開いた。

 

「陛下のところで少しはましな顔になったと思ったんですがねえ」

 

「軽くはなったろうさ。だけど結局、根本的なところはリックにしか解決できない。それが分かってるから陛下も必要以上のことは言わなかったんじゃないか?」

 

 “あんたも、俺も”

 続けかけた音を飲み込んで、ガイは苦笑を零す。

 

 本人が乗り越えるべき問題であることは確かだ。

 だがここまでほとんど干渉せずにきた理由を改めて考えると、本当は初めての事態に戸惑っていただけなのかもしれない。

 いくら大人と呼ばれる年齢とはいえ、当然ながらガイもジェイドも子を持った親ではない。

 

 戸惑うに決まっているだろう。

 己がそれを通り過ぎたのもさほど昔の話ではないのに、今度は他人のものを、しかもこうして見守る立場で迎えるなど。

 

「反抗期、か。思えばフリングス将軍の時も、イオン様の時も、静かすぎたんだよなぁ」

 

 いつもなら誰より先に泣きわめく男が、揺れを覗かせたのはほんの僅かな時間だった。

 そう。誰より先に泣きわめくはずだった子供は、外殻大地を巡る旅を経て、感情を抑えることを知ったのだ。

 

 悪い事ではない。こみ上げる想いを表に出さず胸の内にとどめる事は“大人”に必要な技能。

 特に軍という組織の中に組み込まれる存在であるからには、不可欠であるに違いない。

 

 悲しみを行動力に変えて、強く前を見据えたあの目が嘘だったとは思わない。

 しかし。

 

「リックは、辛くても哀しくても、今やらなきゃいけないことのために頑張れるようになった。だけど子供は、突然大人になれるわけじゃない」

 

 かつての、もしかしたら今の自分達さえそうであるように。

 

 ここ最近の感情の揺れの少なさは、たぶん、それがリックの思い描く“大人”だったのだ。

 

 自分の気持ちを押し込めて、辛い時こそ冷静に。

 おやなんだか誰かに似ているじゃないかと思えば、場違いに笑いがこみあげてくる。

 

 そんな、理想の大人というには十倍も百倍も規格外な男を横目で見やった。

 

「あいつがなんであんなふうになってるか、旦那ももう気付いてるんだろ?」

 

 反抗期と、端的に言ってしまえばそれで間違いないだろう。

 だがリックを取り巻くものについて、もっと具体的に表現する言葉があるのに、この嫌味なほど聡い男が気付いていないはずは無い。

 

 水を向けると、ジェイドは苦笑するように口の端を上げた。

 

「はじめての反抗期は、はじめての“劣等感(コンプレックス)”ですか」

 

 劣等感。

 

 それは己の命を何より最優先するくせに、オタオタをも下回る ある意味すがすがしいほど低い自己評価に裏打ちされた、もはや卑屈という枠さえ飛び越えていたリックの腰の低さが、人並み程度に改善されてきたという証だった。

 

 他人をうらやむ気持ちというのは、大なり小なり、誰でも持っているものだ。

 だからこそ人は学べるのであり、上を目指せるのであり、理想の自分を追いかけていける。

 

 嫉む闇だけに囚われてしまう者も確かにいるだろう。

 だがいつかその闇を糧にして前を向ける日が来るなら、嫉妬もあながち悪いばかりの感情ではないはずだ。

 

 赤ん坊が誰に教えられずともふたつの足で歩き出そうとするように、経験で自然と身につけていく、喜怒哀楽以外の心。

 親兄弟や、友達や、仲間の中で、わりと最初のころに知るはずの感情。

 

「あのビビリ具合じゃなあ。前までなら、嫉妬なんてとんでもない!ってとこだったろ?」

 

「そもそも嫉妬という言葉を知っているかも怪しかったですね」

 

 淡々とした声で返せば隣の青年が、そんなまさか、と軽く否定することもなく視線を漂わせたのを見てから、ジェイドはちらりと正面の家屋に目をやった。中では今も二人の少女がふたりの子供に手を焼いているのだろうか。

 

「初めての感情に加えて、まあ、相手と時期が悪かったんでしょう」

 

「ああ。あいつ、ルークのこと大好きだもんな」

 

「嫌う事も、苛立ちをぶつける事も出来ず、……かといって芽生えた劣等感も消えない。ま、あの子の頭じゃ熱暴走も起こしますか」

 

 さらに今は世界の危機真っ最中。

 加えて立て続けに起こる事件に、どちらも精神的な余裕は無かったに違いない。

 

「結果がアレってことだ」

 

 しみじみと口にしてから、ガイは口の端を緩めて後頭部に両手をまわした。

 

「しかし、まぁ、いいんじゃないか?」

 

「リックがですか?」

 

「いや、ルークもさ。 思えば“友達との喧嘩”って初めてだろ」

 

 喧嘩をする、という話だったアラミス湧水洞での一戦はルークの戦意不足で不発だったはずだ。

 残りは元々諍いを好む性質ではないリックの戦意不足で、やっぱり喧嘩と呼べるほどの事は起きなかった。

 

 こんなことでも無ければ、ずっとその延長線だっただろう。

 だが嫉妬と同じく、実を言うと喧嘩もそう悪いものではない。

 

 ぶつかり合わなければ、分からないこともある。

 

 頭の後ろで組んだばかりの手を外して、ガイは隣にたたずむジェイドの背をぽんと叩いた。

 薄い硝子越しに覗いた、リックが手放しで褒める赤の瞳を見返して微笑む。

 

「俺たちは見守ろうぜ。子供同士のはじめてのケンカを、さ」

 

「……いやはや、面倒ですねぇ」

 

 作り物めいた笑みはすでに無く、ただゆっくりと頭上を仰いだ男の横顔に不器用な困惑が見えた気がして、「子育てってのはそういうもんだ」と続けたガイは今度こそ、声を上げて笑った。

 

 

 本当はジェイドも分かっているのだろう。

 今までリックが反抗的な態度を取らなかった、そんな感情を自覚することさえなかった、その理由を。

 

 男は自分の罪から作り出してしまった子供に一線を引いていた。

 

 リックには申し訳ない例えだが、それは期限付きで動物を預る感覚に近かったはずだ。

 最後には離れる存在に、まかり間違っても情を移さぬようにと気を配る、人間のそれに。

 

 そしてリックは自分達の間に横たわる溝に、無意識か意識か気付いていた。

 

 自分が一瞬でも見失えば、男は二度と戻ってこない。

 そのことにどこか気付いていたから、必死に追いかけた。

 

 人ごみで親とはぐれまいとする子供のように、追いかけて追いかけて。

 切り捨てられぬよう、見放されぬよう、あの臆病さに見合わぬ執念で必死に食らいついていたリックは、考えたのだろう。

 

 臆病であるながらに考えて、頑張って、一生懸命 “ジェイドの傍にいられる自分”であろうとした。

 時にそれが的外れで、盛大に空回ったものだったとしても。

 

 

 思考を巡らせていたガイの隣で動く気配がして意識を戻すと、寄り掛かっていた柵から身を起こしたジェイドが、目の前の家に向かってゆっくりと歩き出すところだった。

 

 どうやらジェイドは本当に、これ以上 遠回りするつもりはないらしい。

 安心が半分、随分時間が掛かったなと呆れる気持ちが半分の苦笑を零し、その背中に声を掛ける。

 

「入ってすぐ正面。テオドーロさんの私室にいる」

 

「どうも」

 

 簡潔ながらもしっかりとした返事を聞いて、ガイは改めて柵に手を掛け、先ほどのジェイドと同じように頭上を仰いだ。

 視界の外から、いつ聞いても不思議な音を立ててテオドーロ邸の入り口が開閉した音がする。

 

 そのことに満足して、ひとつ息をはいた。

 

 ルークのほうはティアがなんとかしてくれるだろう。

 俺もそろそろ子離れしないとな、とあの皇帝陛下に聞かれたら笑われそうな事を大真面目に考えながら、残された青年はゆるりと笑みを浮かべた。

 

 





前は反抗なんてしようものなら容赦無く切り捨てられる予感に戦々恐々としてたのが、今こうして反抗期になれたのは、リックがどうというよりジェイドの変化であることを知ってるガイ。

(ちょっとくらい面倒なことになったって、もうアンタはアイツを切り捨てないだろ?)
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