空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
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食事の乗ったトレイを手にマルクト軍部の廊下を歩きながら、あのハナタレディストめ、と顔をしかめて小さく呟く。
日々の囚人食に、アレが嫌だコレは嫌いだと毎回 文句をつけるあの男は、そういうわりにはいつも完食しておかわりまで要求してくる。
正直なところ本当に嫌いな食べ物があるのか、ただ俺に文句をつけたいだけなのかは分からないが、昨日とうとう堪忍袋の緒を切った俺は、ならば徹底的に好物で埋め尽くしてやる、と方向性の間違った闘志を燃やした。
それゆえ不本意な事にディストの好物を大佐と陛下に訊ねる羽目になったわけだが、甲斐あって今日の食事は完璧だ。二の句も継がせてなるものか。
試合前の選手のようにぐっと拳を握り、牢に通じる扉を開けると、中で慌ただしく駆け回る兵士達の姿。
何事かと目を丸くした俺の耳に飛び込んできた、脱獄、脱走、囚人番号A-9643731ほか複数の単語たちに一瞬呆然として、すぐ我にかえる。
言葉にならない何かをいくつか口の中で転がした後、俺は力いっぱい叫んだ。
『馬鹿ディストーーっ!!!』
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悲鳴のひとつも上げずに倒れて行くレプリカ達。
体のすぐ脇を通り過ぎる銃撃にさえ反応を返せないまま、頭上を仰ぐ。
「ネビリム先生を甦らせれば、あなたも昔のあなたに戻るでしょう。先生と共にもう一度あの時代を……!」
奇妙な譜業兵器の隣でいつもの浮遊椅子の上に立ち、口元に薄く笑みを乗せた男。
熱の入った語り口を遮るように足をひとつ前へ踏み出した。
「ディストっ!!」
「……お前ですか」
ティアさん達がレプリカを退避させる声を背に聞きながら、こちらを見下ろして眉根を寄せたディストを鋭く睨み上げる。
「モースの護送船を襲ったのは、アンタなのか」
「そうですよ」
「なんで乗ってた人たちまで手にかけた!」
「おや、あの中に知り合いでも?」
淡々とした調子で返されたそれに口をつぐみ、短い沈黙の後、ちいさく首を横に振った。するとディストが呆れたような息をひとつ吐いて目を細める。
「なら別に構わないじゃないですか。何をむきになる事があるんです」
言葉になり損ねた空気が、ひゅうと頼りない音を立てて肺を巡った。
ほぼ毎日牢屋の中と外で顔を突き合わせて、口論とも呼べないバカな会話ばかりしていたから、忘れていた。
忘れていたんだ。
奴と俺とは、進む道を違えているのだという分かりきった現実を。
願っていたんだ。すこしだけ。
もしかしたら同じ道を歩めるかもしれないなんて、そんな――夢みたいな未来を。
「アンタ、馬鹿だ」
渇いた喉の奥から無理やり押し出した声は、微かに震えていたかもしれない。
痛いほど強く拳を握り締める。
言いようのない激情に顔が歪んだ。
「……大馬鹿だ」
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『すみませんでした!』
謁見の間。
深々と頭を下げた俺に、陛下は「気にするな」と鷹揚に笑った。
頭は上げないまま視線だけでそちらを窺い見ると、玉座に腰を下ろす陛下の脇に控えた大佐が肩をすくめ、優雅な動きで眼鏡を押し上げる。
『もともと看守でも何でもないわけですから、いいんじゃないですか?』
しかし怪我が治ってからは ほぼ専任の看守と化していた身として、脱獄を許してしまったこの現状は中々痛いものがあった。
すみません、とまた零せば、隣に並び立つガイがぽんと背を叩いてくれる。
それで俺がようやく緩々と姿勢を戻したところで、陛下は足を組み直しながら息をついた。
『まあ、今回ばかりは看守の責任も問わんがな。むしろ鉢合わせにならなくて幸いした』
その言葉を聞き、分かっているようでいて実は忘れていた事実を思いだす。
ディストはあんなでも六神将だったのだ。例え脱走の現場に居合わせたとして、普通の兵士では止めようがなかっただろう。
『そういえば、なんでディストが脱走したって分かったんですか?』
ふと思い立った疑問を口にする。
配膳役さえ軍内部でたらいまわしだったディストなのだ。
最低限の警備として定刻の見回りこそあれど、それ以外であの牢に近づく人間はあまりいない。いつ逃げ出したのか知らないが、次の見回りまではまだ時間があった。
『ああ。実はアッシュが……』
ガイがそれに答えてくれようとしたところで、謁見の間の大扉が勢いよく開かれた。
よほど急いでいたのかノックもせず駆け込んできた兵士が、伝令ですと陛下に敬礼する。
『元大詠師モースを乗せた護送船が何者かに襲われました! モースの行方は不明!』
彼はそこで、わずかに言葉を切った。
『乗組員は――――』
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脱獄くらい、勝手にすればいい。
護送船や見知らぬ乗組員の安否だって知るもんか。
好きにすれば、どこへなりと行ってしまえば。
どこか遠くですきなように生きれば、よかったんだ。
あんたがどうしようと俺には関係ない。
だけど知らせを受けたとき、何も言わず僅かに眉を顰めたピオニーさんの姿と、小さく息をついたジェイドさんの眇められた赤い瞳が、痛みにも似た切なさを伴って、胸の奥に揺れる。
「なんでだよ、なんでよりによって……アンタは!」
「リック」
俺の名を呼ぶ、泣きたくなるほど落ち着いた声。
ぐっと口を引き結んで言葉を飲み込む。
ゆっくりと俺の横を通り過ぎていく直前、彼の手が背中に触れたのが分かった。
宥めるような、ねぎらうようなそれは、丁寧に背から離れて行く。
「……今まで見逃してきた私が甘かったようですね」
滲みかけた視界をそのままに俯いて、緩く歯を食いしばった。
ああ、同じ道を歩めないのならせめて、決して交わることのない道の先で生きてほしかった。
とても強くて不器用なこのひとの前に立ちふさがってほしくは無かった。
あんたには。
あんただけは。
「さようなら、サフィール」
彼の手で決着をつけさせる事を、したくなかったのに。