空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
軋みとも雄叫びともつかない音を上げ、これから戦いが始まるのだと知らしめるがごとくその“何か”が大きく剣で虚空を薙げば、幾本かの樹木が積み木細工のように吹き飛んだのを見届けてから、一応剣を構えてはいるもののどうしようもなく遠い目をしたルークは、傍に立つリックに問い掛けた。
「……おい博士、あれ何ていう魔物だよ」
「……博士? いやぁ……どの魔物辞典にも軍の資料にも、あんなの載ってなかったけど……」
まあ聞いておいて何だが、当然だろう。
むしろあんなのが辞典に載るほど当たり前のように生息していてたまるものか。
剣が喋って、黒い霧が出てきて、かと思えばあの姿。
ジェイドでさえ何も言わないところを見るとコレは、ていうかどう考えてもアレは。
一瞬。重い沈黙が横たわる。
「っおまえ幽霊とか平気って言ってたじゃん!! なんとかしろよ!」
「オオオオオバケは見えないから平気なんだって言っただろ!? あれ明らかに目に見える危機だよ!!!」
「ふたりともっ! そんなことより! めのまえの戦闘にしゅうちゅうしてっ!!」
なぜか目尻に涙を滲ませたティアに、そこはかとなく覚束ない呂律でもって怒られ、そのいつにない勢いに二人で慌てて謝りながらそちらへ向き直ったところで、ひくりと口元が引きつった。
まさに集中していなかった罰が当たったのか、いやこれから当たるのか。
気付けば目前には、剣を携えた“何か”の腕、そのうちの一本が、自分達に向かって振り下ろされようとしている光景があった。
すっかり警戒を解いてしまっていたこちらの剣はだらりと地に落ちている。すでにどうするにも間に合わない状況になっていた。
というかあれズルくないか。こっちにはどこが正面かも良く分からないのに、攻撃は全方位なんて、死角の捜しようがないだろう。
そんな現実逃避に走っている間に剣身が鋭く空気を裂く音が耳に届き、さっと息をのんだ。
「おいおい、よそ見してる余裕はないだろ、っと!」
「ほんとほんとぉ!」
刃が細木のように自分達を薙ぎ払う直前。
跳び込んできたガイが素早くルークの首根っこを掴み、同時にアニスを乗せたトクナガがリックを小脇に抱え上げて、勢いそのままに、こちらからしてみれば後方へと跳び退った。
斬撃の風圧が鼻先をかすめたような気がして、ルークはひやりと肝を冷やす。
危うく二人揃って真っ二つにされるところだ。しかもあんな言い合いが原因で。
ナタリアが弓で奴の気をそらしてくれたのを確認してから手を離したガイが、ぽんとルークの肩を叩いて「油断するなよ?」と微笑む。
ルークは少々気恥ずかしい思いで頬をかいてから、しっかりと剣を持ち直した。
「とりあえず、あんまり深く考えないことにしよう! おし、そうするぞ! 行こうリック!!」
色んなことをごまかすためにあえて景気良く声を張りながら、少し後ろにいるはずのリックに語りかける。
だが、いくら待っても返事が戻って来ない。
不思議に思い振り返ると、そこには剣を正面に構えたまま、小刻みに震えつつ、ひたすら首を横に振るリックの姿があった。
おい、まさか。
「……お前ここにきてビビリとか、」
「だってアレどう考えても無理だよ勝てっこないよ!! ていうか今 剣が顔すれすれでブワッて! ごわって!!」
リックの両目からそれこそブワッと涙が溢れかえる。
何だコレ。いや、少し懐かしいやりとりな気もするが、どう考えても今はその懐かしさを噛み締めていられる状況じゃない。
傍にいたアニスがトクナガの手でぐりぐりとリックの頭を抑えつけながら怒鳴る。
「てゆーか何で今さら!? ここ最近はあんまりビビらないですんごいキッチリ戦ってたじゃん! ディストのときとかー!!」
「そのときオレどうかしてたんですっ!!」
トクナガの動きに沿ってぐらぐらと頭を揺らしながら、わっと両手で顔を覆って乙女のように泣くリックの背を、苦笑を浮かべたガイが「いやそんな力いっぱい言い切らなくても」と撫でてやっている。
そんな怯え倒す姿を見ているうちに、ふと思いついた。
「そうだ、それなら後衛やれよ。譜術覚えたんだろ?」
「うわルーク甘っ」
「な、何がだよ!!」
提案するや半眼で呟いたアニスの言葉に反射的に言い返してから、ティアの言うとおりとにかく目の前の戦闘に集中しようと身をひるがえした。
途中で肩越しにリックを振り返って声を張る。
「援護! 頼んだぞー!」
「……っう、うん!!」
どこか呆気にとられていた様子だったリックが、心なしか頬を紅潮させて頷いたのを見届けて、ルークは隣を走るなぜか微笑ましげな顔のガイを怪訝そうに見やってから、共に剣を構えた。
「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」
リックの術で奴が少し体勢をくずしたところに流影打を加えたアニスは、相手が間もなく立て直したのを見てとり一度大きく距離をとった。
そして見慣れない後衛位置に立つリックの隣に着地すると、やや据わった目でギッと睨みつける。
「リック~! ほかに何かドカーンとアイツを倒せる譜術ないの!?」
「そ、そういうのは大佐の担当でお願いします!」
アニスも本気でリックにそんな芸当を望んでいるわけではなく、ただ普通の生き物と違って息を乱すわけでもない敵(何せ例のアレだ)を相手に、先の見えない戦闘を続けるストレスの発散ついでに怒鳴っただけのようだが、返ってきた即答に片眉をあげて首を傾げた。
「でもロックブレイクだけーってわけじゃないでしょ?」
「まぁ、あとひとつだけ、ある事はあるんですけど……」
視線を泳がせたリックが空笑いで頬をかく。
そういえばロックブレイク以外の術を使っているのはまだ見たことがない。
「ほえ? じゃあそれも使えばいいじゃん」
「いや、でもそれ上級譜術で、オレにはまだ難しいっていうか、どうにもこうにも、練習をもうちょっと、なんというか」
「いいからぐだぐだ言ってないでやってみなさい。でないとどれだけ経っても出来るようになるわけないでしょう」
どこから聞いていたのか、少し離れたところからでもしっかりと届くジェイドの声が、ためらう言葉をぴしゃりと遮って告げる。
とっさに姿勢を正したリックが横目でそろりとジェイドを窺った。
手にしていた槍の柄を肩にあてたジェイドが、それはそれは整った笑顔を浮かべる。
「駄目で元々です。自主練習中に術を暴発させてテオルの森から本部に担ぎこまれた人間にはそもそもひとかけらも期待していませんから安心して盛大に失敗してきなさい」
「ジェイドさん……もう忘れてやってください……」
はたはたと涙を滴らせつつもとりあえず決心はついたのか、リックは精一杯 眉尻をつりあげて、両手を正面に構えた。
「い、いきます」
譜術のことはあまり分からないが、周囲の空気が動くのが何となく感じとれた。
上級術というだけありその流れも中級術のロックブレイクのときより大きい、ような気がする。
「――大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙!」
差し出した手の先に淡い黄色の譜陣が広がった。
その光景に、おお、と声が零れる。そういえばリックが術を使うところをまじまじと見るのは初めてかもしれない。
強い視線で奴を見据え、狙いを定めたリックが、深く息を吸いこんだ。
気の波が勢いよく高まっていく。そして。
「グラン ごっ、」
……噛んだ?