空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
大きな雪玉の上にひとまわり小さな雪玉を置き、よしと呟いて背筋を伸ばす。
ささやかな達成感と共に吐き出した息が白く空へ浮き上がった。
「大佐に見られたら、行動がワンパターンだって言われそうだなぁ」
目の前に並べた三体の雪だるまを見下ろして苦笑する。
時は深夜。場所はケテルブルク広場。
豪華絢爛なホテルを抜け出して、俺はひとり雪だるま生産工場と化していた。
ふかふかすぎて吸収されそうなベッドが落ち着かなかったのか、いよいよ明日となったロニール雪山行きに緊張しているのか。自分でも定かではないけれど、ひたすら雪玉を転がす作業は妙に安心するものだった。
あまり毎回ホテルの前でやるのも何かなと思って、一応今日は広場まで来てみたんだけど、大の男が黙々と雪だるまを作る光景の異様さは結局変わらなかったかもしれない。
どんな時間帯でも多少は人の出入りがあるホテル前と比べて、夜の広場には子供一人、チーグル一匹見当たらなかった。
これがモンスター溢れる森の奥とかだったら怖いけど、あちらこちらに残る生活の気配が、無人の広場もどこか温かいものに感じさせてくれる。
昼間のうちに近所の子供が作ったらしい小さなかまくらを見て口の端を緩めてから、俺は四つ目の雪だるまに取りかかろうと身を屈めた。
「ゆーきだーるまー、ゆーきだー……ん?」
とても歌とは呼べない音の羅列を口ずさみながら雪を一掴みしたところで、ふと何かが視界の端を過ぎった気がして顔を上げる。
子供一人チーグル一匹いないはずの広場。
灰色の雲に覆われた空。夜光を反射して僅かに青みを帯びた雪の白。
そんな中で強烈な存在感を放つ、緋色。
あっと声を上げる余裕もなかった。
名前を呼んだからって立ち止まってくれるとも思えない。
一瞬で混乱の極みへと達した俺の脳は、己が何をしようとしているのかも分からないまま、最近ずっと練習している譜術の構成をもはや無意識に展開させた。
そして。
「ピコハンッ!!」
奇跡か、悪運か。
初めて成功してしまったその譜術は、完全な形を保って、その人物の頭上に落下したのだった。
ぴこっ、と軽い音が辺りに響く。
すると術の効果も相まってか、ぴたりと足を止めた人影が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「テメェか、リック」
視線だけで攻撃できそうなほど鋭い翠の瞳が俺を睨んだ。
弾かれたように両手をあげて抵抗の意思がないことを示しつつも、今更ながらやらかしたことを自覚して血の気が下がる。俺、これ、生きて帰れないかもしれない。
「いや、あの、何ていうか出来心で、えーと……ごめん、アッシュ」
ちょっとだけ言い訳を試みるも、すぐさま空気に耐えかねて平謝りする。どうしたら立ち止まってくれるかなって考えてて気付けばこんなことに。
「本当にごめん! あっ、でも今初めてピコハン成功したんだ! ていうかアッシュやっぱりオレの名前呼んでくれたよな!! 前回のも幻聴じゃなかっ、」
「うるせぇ黙れ」
「ごめん」
恐怖と喜びと驚きで混乱してて。
そうしてアッシュはしばらく眉間の皺を三割増にしていたけれど、やがて疲れたように息をついて、その場で腕を組みながら俺を見た。
「で、何の用だ」
「いや特に用はなかったんだけど、姿が見えたから」
「斬り捨てるぞ滓」
「またカスって言った!」
用がなきゃ声かけちゃいけないって事はないだろう。いや声はかけてないけど。ピコハンだったけど。重ね重ねごめん。
アッシュが苛立たしげに髪をかきあげた。
「用がないなら俺は行く」
「みんなには会っていかないのか?」
今にも立ち去ってしまいそうな様子に、とっさに訊ねる。
するとルークより少しだけ濃い翠が鋭く細められた。
「何のための別行動だと思ってる。こんな所でのこのこ雁首揃えてたら意味ねぇだろうが」
「いや、そりゃそうだけど」
ローレライの剣を持つアッシュと、宝珠を持つルーク。一緒にいるところを他の六神将に見つかったら大変なことだ。まぁ向こうにとっては一石二鳥、一ピコハンで二チュンチュンだろうけど。
「でもちょっとくらいナタリアと……ルークに、顔見せてってあげれば、」
いいのに、と最後まで言い切ることは出来なかった。
瞬きするほどの間で、眼前に突きつけられた剣の切っ先。
その向こう側から俺を射抜くのは、降り続く雪より冷たくて、ザレッホ火山の溶岩みたいに煮えたぎった翠の色。
「よく、そんな脳天気なことが言えるな。知らねぇわけじゃねえだろう」
喉の奥から絞り出すみたいに発せられる声。
そこにはあまりにも色んな感情が複雑に混じり合っていて、バカな俺ではうまく察することが出来ない。
だけど。そんな俺でもひとつだけ分かることがある。
「――だってアッシュは、本当にきらいじゃないだろ?」
雪明かりの中。
鈍く光る翠の瞳をまっすぐに見据える。
痛いほどの静寂は、さほど長く続かなかった。
剣を鞘に収める かちんという音が、やけに大きく聞こえた気がした。
無言で背を向けたアッシュが遠ざかっていく。
今一度呼び止めることは、さすが出来なかった。
姿が完全に見えなくなったところで、俺はがっくりと雪の中へ倒れ込む。
「こここここ、こわかったぁ」
染み込んでくる雪の冷たささえ温泉もかくやというほど温かく感じられるくらいには怖かった。
まぁそんな心象的な温度はさておき、地面についた手の平から伝わるひやりとした感触に、ようやく頭が現実に戻ってくる。
深く息を吐いてそのまま仰向けに寝転がった。
正直震えるほど寒いが、今はそれが何だか心地良い。
視界いっぱいに落ちてくる白い結晶を眺めながら、短い邂逅を思い起こして、呟く。
「オレ、ビビリだけどさ。それでも殺意の有る無しくらいは分かるよ、アッシュ」
というより、臆病だから、だろうか。
突きつけられた剣に、凶器としての鋭さは感じなかった。
だからこそあの場で泣き出さずに済んだわけだけど、斬られないだろうと思っても目の前にある刃はやっぱり怖い。
要するにどうしてここで寝転がっているのかって、今歩いたら生まれたてのブウサギみたいになれる自信があるからだ。
ほんと怖かった。殺気とは違う、もっと色んなものをぐちゃぐちゃにして、自分でも何を入れたか忘れてしまったカレーみたいな、途方もない感情の色。
「…………はー」
こうして吐き出せば、息だって目に見えるようになるのに。
そっと瞼をおろすと、真っ暗な世界に雪と空気の冷たさだけが伝わってくる。
身じろげば、地面に敷き詰められた白がぎしぎしと軋んだ音を立てた。
遠くで風の唸る音がする。
周囲で音素が渦を巻いた。
背筋を伝う嫌な予感。
「タービュランス」
「ぅわー!!!」
がばっと身を起こして転がるようにその場から退避する。
そうして先ほど自分が作った雪だるまの背に隠れてから、俺は涙目で声がしたほうを見やった。
「なんでいきなりタービュランスなんですかぁ!!」
「いえいえ、ここに来る度に雪と戯れているようなので、やはり凍死がしたいんだろうと思いまして、そのお手伝いを」
「じ、事前に意思確認してほしかったです!」
言われる前に察するのが優秀な軍人ですよと涼しい顔で笑ってみせた上司は、音素の名残を払うようにしながら手を下ろした。
どうやら今は「攻撃対象が味方」なわけではなかったのか、しっかり役目を果たした味方識別のおかげで、避けるまでもなくタービュランスが当たる心配はなかったみたいだ。
「ジェイドさん、こんな時間にどうしたんですか? あっもしかして迎えに来てく、」
「ハハハそんなわけないじゃないですか」
「ですよね……」
「ネフリーにロニール雪山の様子を訊いてきた帰りですよ」
知事としての仕事が忙しいようで、会おうと思ったらこの時間しかなかったのだとか。
エルドラント進軍の準備も大詰めに差し掛かっている今、直接関わるわけじゃなくても、それなりの立場にある人達はみんな大変らしい。
「それでネフリーさんはなんて?」
「そうですねぇ、出発前に心残りは出来るだけ無くしておいて下さい」
「えっ、ちょっ、ネフリーさんなんて言ってたんですか!!?」
「冗談です」
特に変わりないようだと本当の情報を付け足した大佐は、俺と足下に並ぶ三体の雪だるまを見やって肩をすくめる。
「貴方も本当にワンパターンですねぇ」
やっぱり言われた!
まぁこれだけ来るたび同じことをやってれば言われもするか。
反論の余地もなく、というか反論する気はそもそもないので、俺は情けなく笑って頭をかく。
「雪だるま作ってるのなんか落ち着くんです。そうだ! ジェイドさんも一緒に作りませんか!」
「遠慮しておきます」
「……ですよねぇ……」
「そういえばさっきの譜術、とっさのわりには良かったんじゃないですか?」
「ホントですか!? オレも初めて成功したから驚い、」
めったに聞けないジェイドさんの褒め言葉に頬を紅潮させかけた俺は、その言葉が意味するところに気づいて動きを止める。
「み、見てたん、ですか?」
「ええ」
しかもピコハンが成功したところって最初からだ。
まるで気配を感じなかった。まあでもジェイドさんだからなぁ。
いや、別に、アッシュと話してたところは見られてたって困りもしないけど。
そろりと伺いみた赤い目は、いつもと変わらない。
俺はひとつ息を飲んで問いかけてみる。
「怒らないんですか?」
「おや、怒られたいんですか?」
「いや! そういうわけではないんですけど! だって、グランドダッシャーもまだ使いこなせてないのに、新しい譜術を覚えようとしてたわけで、その……」
「一通りのことは教えました。その先をどうしていくかは貴方の自由ですよ」
中途半端を怒られるかと思っていた。
しかしジェイドさんは怒りも呆れもせず、静かに眼鏡を押し上げる。
「身の丈に合わない術に、安易に手を出すのはどうかと思いますが」
声にほんの一瞬だけ苦い色が混じった気がしたのは、多分気のせいではないのだろう。
グランコクマで音素暴走を起こしたカシムを思い出す。
それとも、その言葉は、過去のジェイドさん自身に向けられたものなんだろうか。
「ま、そうでないなら別にいいんじゃないですか?」
勝手にやりなさい、とジェイドさんは言った。
まるで突き放すようなその言葉は、でも、俺にとっては全く違う意味になって響く。
(勝手にやれって、自由にやれって、それは)
本当に本当に、ほんのちょっとかもしれない。エンゲーブライス一粒より小さいかもしれない。
でも、それは。
(しんじてくれてるって、ことだ)
凍える空気も何のその、じわじわと熱くなる頬と目の奥をそのままに勢いよくジェイドさんに飛びつこう……として、輝く笑顔と音素の気配に動く前から阻止される。早い、早いです大佐。
自製の雪だるまを抱えてさめざめと泣き出した俺の耳に、溜息というほどでもない小さな吐息が聞こえた。
雪だるまの向こうで軍人らしくすらりと立つ上司は「ひとつだけ」と前置いて静かに話し始める。
「自分が何のためにその力を欲したのかを覚えていなさい。手段と目的は、いつのまにか、容易に入れ替わってしまうものです」
警告というには鋭さのない、助言と呼ぶにはどこか苦々しい響きを帯びた、ことば。
「ジェイドさん」
心配しなくてもいいんですよと、大丈夫ですよと、言いたかったけど。
胸の内にある想いを力強く口に出来るだけの自分はまだいなくて。
「……オレは、兵士として皆さんのお役に立てれば、それで十分ですよ!」
もどかしさと照れくささに音をさまよわせた末、答えになっているような いないような、本当だけど本当じゃないような、なんとも半端な返事をした俺に、ジェイドさんが目を丸くする。
「兵士として、ねぇ……」
かと思えばなぜか愉快げに細められた赤にぎくりとして、俺は慌てて雪を払って立ち上がる。
「明日も早いしそろそろ戻りましょうか! ねっ大佐!」
「おやそうですかぁ? 別に朝までここで雪にまみれていても構いませんよ。何なら付き合いましょうか?」
「えっ。あ、いや! か、帰ります! ここは!」
ジェイドさんと雪遊び。
楽しげなフレーズに弾みかけた心を押さえつけて、身を翻す。
「貴方も中々、強情ですね」
「え? なんですか、大佐」
「いーえ」
降りしきる雪の中、来るときには一人分だった足跡を二人分にして、俺はジェイドさんと一緒に帰路についた。
まがりなりにも軍人として生きてきて、本当「は」嫌いじゃないんだろなんて言えるほどリックだって楽天的ではない。でも本当「に」嫌いなだけじゃないだろうって思えるほどには、人の心を信じてる。かといってそれを当人に直接伝えたらどうなるかということには考えが及ばないヘタレプリカ。