空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
アルビオールから降りて、深い積雪に足を取られながら顔を上げる。
ロニール雪山。
その中腹に、俺達は今度こそ足を踏み入れていた。
資料に書いてあった場所まではもうしばらく歩かないといけないけど、それでもケテルブルクからひたすら徒歩で登っていた今までを思えば、時間も体力もはるかに節約できる位置からのスタートだろう。
これもアルビオールを強化してくれたシェリダンのみんなと、吹雪の中を的確に飛ぶノエルの操縦技術のおかげだ。
色んな人の手を借りて、助けてもらって、ようやくたどり着こうとしている最終目的地。
何だか妙にドキドキしてきた胸を片手で押さえつつ、俺は反対の手で新しい剣――マルクト領事館で貰ってきた軍の規格品――の重心を確かめた。だってザレッホ火山のときみたいなことが二度もあっては困る。本当に困る。
「それにしても、相変わらず凄い雪だなぁ。ねえルーク」
「……そーーだな」
隣からのぶっきらぼうな返事に苦笑を零す。
スパでの一件からルークはちょっと怒ったままだ。
アニスさんいわく「拗ねてるだけでしょ」とのことだが、どちらにせよ許してもらう手段がないことに代わりはなかった。
前の喧嘩みたいな深刻さはないものの、やっぱりこういう状況は心臓に悪いというか泣きそうになる。
謝って済むなら、いくらでも謝りたいところだけど。
『ルークは、あなたに謝ってほしいわけではないと思うわ』
謝罪に走りたい気持ちをぐっと堪え、先ほどから取り留めのない話題を振るに留まっているのだが、それに対して不機嫌そうながらもちゃんと相づちを返してくれるあたりが、何ともルークらしかった。
そんな俺達を見て肩をすくめたアニスさんが、雑談の流れを継ぐように「いよいよだね」と言った。
その言葉を聞いたルークもはたと翠の瞳から鋭さを抜いて、目の前にそびえる雪山に視線を移す。
「惑星譜術か……どんな術なんだろうな」
ここまでずっと触媒を集め続けてきたわけだけど、言われてみればどういった譜術なのかはあまり聞いていなかった。
オールドラントの力を解放するというものらしいけれどと、そう口にしたナタリア自身も想像がつかないのか不思議そうに首を傾げている。
「簡単に言うと、星の質量を相手に重ねてぶつけるんです」
考え込んでいるところへ大佐からポンと放り込まれた回答を受けて、今度はみんなでその図をイメージしてみる。星を、相手に。
「す、すげぇなソレ」
「重そうだよね」
「それに、かなり痛そうですわ……」
「オレも陛下もそれは……さすがにちょっと……」
ルークは引きつり気味に、アニスさんは淡々と、ナタリアは言葉通り痛ましげに、そして俺は小刻みに震えつつ述べた感想にガイが苦笑する。
「四人とも、何か物凄い絵面を想像してないか?」
あとなんでリックは自分と陛下がくらう前提なんだと付け足された言葉に俺が答える間もなく、大佐が「まぁいいじゃないですか」といつもの笑顔で眼鏡を押し上げる。……やっぱり惑星譜術なんて見つけないほうが今後のためなんじゃないかという気がしてきた。
だが無情なる出発の合図を受けて、俺は浮かんだ涙も凍り付きそうな雪道に、寒さのせいだけでなく震える一歩を踏み出したのだった。
強弱をつけて襲い来る吹雪は、進む足を重くさせる。
こんな視界の悪い中で突然魔物が出てきたらと思うせいか、ロニール雪山を進むときは毎回いつもの倍くらい怖い。なのに。
「リックー、魔物っぽい気配あるー?」
「な、ない、ないですけど! 後ろ下がりたいですぅ!!」
どうしたことか、俺はみんなの先頭に立って歩いていた。
理由は……なんだか前もこんなことがあった気がするが、俺が一番魔物に気付くのが早いからだ。なぜってビビリだからだ。
だがその怖いものに対する第六感は、みんなの後ろにいるときは安心感ゆえか結構鈍る。そのことをしかと承知しているジェイドさんに先頭へと蹴り出されたのは、出発してすぐの事だった。
なお皆も微妙に俺のことを怖いもの探知機と認識しているようで、この布陣に関して特に異論が唱えられることはなかった。
たまに恐怖に負けて後ろを振り返ると、ルークがちょっと心配そうにこっちを見ているのに気付く。だけど目が合うと慌てたようにそっぽを向いてしまう。うう、まだダメか。
そんなことを何度か繰り返し、そのたび大佐に促されて前を向き、途中で「あぁもーうざったい!」と叫んだアニスさんにびくりとしつつ(ガイがなだめていた)、どれくらい歩き続けただろうか。
ずっと吹き続けていた強い風が ふいに止まる。
不思議に思って顔を上げると、いつのまにか、目の前には巨大な岩壁がそびえ立っていた。
これが風を遮ったのだろう。
大自然の迫力に口を開けて見入っていると、大佐が隣に並んで足を止めた。
「地図に記してあった場所は、この奥のようですね」
そう言われて見上げていた視線を下ろせば、少し先の岩壁に、奥へと入って行けそうな裂け目があった。
いよいよだ。ごくりと息を飲み、岩の通路を見据える。
……な、なんか暗そうだなぁ。
怖じ気づいた瞬間を見計らったかのように、大佐がさっさと俺を通路の中へ蹴り込んだ。心の準備はゼロです。
だけどおそるおそる歩き出したその道は思ったより広くて明るかった。
薄く積もった雪が、隙間から入り込む光を反射して青白く輝いている。
周囲の様子を伺いつつ慎重に進むことしばし。
たどり着いた道の終点は、高い岩壁に囲まれたひとつの空間だった。
行き止まり、と端的に言ってしまえばそうなんだけど、まるでそんなふうに思わせない独特の雰囲気がある場所。
宮殿の広間みたいだと思いつつ辺りを見回していた俺は、「ここじゃないか?」というルークの声に、はっとして顔を向けた。
そこにあったのは、地面に描かれた大きな譜陣。
俺にはその図形の意味はさっぱり分からなかったけど、ナタリアが言うには、指定の位置に触媒を設置しなければちゃんと機能しないらしい。
じゃあさっそく設置していこうと動きかけた俺達を止めたのは、大佐の声だった。
おかしい、と。
「この譜陣は、別の譜陣の上に新しく書き足されたものです」
「書き足された?」
「ええ」
どういうことだろう。
首を傾げた俺の前で、大佐はその譜陣を見つめて眉を顰める。
「これは、封印の……」
だがそこで大佐の言葉を遮って、誰かの高笑いがこの空間に響き渡った。
周囲で唸る風の音もかき消すほどけたたましい、聞き覚えのある声に目を見開く。
「はーっはっはっは! さすがですね、かつての我が友よ!!」
それは、世界一空気が読めない男の声。
「……死神ディスト! 生きてたのか!?」
振り返ったルークが、後ろにいるらしいその男の名を呼ぶ。
「薔薇です!薔薇!」と言い返す声を背中で聞きながら俺はいつにない手早さで首に掛かる歯車の首飾りを外し、
「まぁ六神将での名前など、もうどうでもいいですけぁ痛っ!!」
――振り返りざまに思い切り投げつけた。
そいつの頭に当たった歯車が、すっかん、と軽快な音を立ててバウンドする。
そしていつぞやの大佐の呪いの効力なのか、きれいに俺の足下まで戻ってきた。
「い、いきなりなんてことしてくれるんですか! このノミレプリカ!」
「やかましい! オレの、なんかこう……っ色々を返せバカディスト!!」
謎の悔しさと憤りで滲む視界をそのままに怒鳴りつけつつも、戻ってきた歯車の首飾りをまたかけ直してしまう自分がさらになんか悔しい。いや、これはアニスさんのリボンに免じてってやつだ。歯車はもはやついでだ。
あの状況で生きてるなんて虫並みの生命力だと呟いたアニスさんに「ほんとですよ!」と怒りながら同意すると、なぜか皆から生ぬるい視線をいただいた。え、なんですか。
俺達の言葉を聞いて不満げに顔を顰めていたディストだが、ふと譜陣のほうを見ると一転、上機嫌そうに口の端をつり上げた。
「……私が探していた触媒を、あなた方が揃えてくれるとはねぇ」
突然現れた男から唐突に飛び出してきた単語に眉を寄せる。
いや、惑星譜術の資料を一部持ち去ったのはディストなんだから、別に触媒について知っていても不思議ではないけど、譜業博士が“惑星譜術”の触媒に何の用があるっていうのか。
ディストの様子を観察するように目を細めていた大佐は、真剣な顔でみんなのほうへ向き直った。
「何が起こるか分かりませんが、構いませんか?」
全員が頷くのを確認して、俺達は今度こそ触媒を譜陣に設置していく。
その様子をディストがにまにまと笑いながら見つめているのにどうも釈然としない気持ちを感じるが、現状ではこれといって対処のしようもない。
ひとつ、またひとつと触媒が置かれていき、最後のひとつは一番最初に荷物に入っていたあの怖い剣だった。
「いくぞ」
心なしか緊張した声のルークが、剣を譜陣に突き刺す。
それと同時に大佐が全ての触媒の譜術封印を解除した。
ぶわりと、譜陣から光が溢れる。
何かの術式らしい紋章が大きく広がったと思った瞬間、唸るような地響きと共に、目の前の岩壁が左右に分かれていく。
「やった、やりましたよ! これでネビリム先生が復活する!」
驚きと共にその光景を見やっていた俺は、後ろから響いてきたディストの言葉に動きを止めた。
今あいつは、なにを、言ったのか。
ぎこちない動きでそちらを見れば、ディストは見たこともないほど嬉しそうに岩壁の奥を見つめている。すぐ隣で「まさか」と呟いた大佐の声が、少し掠れている気がした。
それを聞いたディストは笑みを深めて、まるで舞台役者のように両手を広げる。
「ええ、そうですとも! ここにはあなたが最初に生み出したレプリカがいます!」
ひゅっと短く息を飲んだのは誰だっただろうか。
大きく脈打った心臓が、振り返れと俺に促す。その目で、見ろと。
「我らが愛する、ゲルダ・ネビリム先生がね!」
それでも足は動かずに、肩越しに顧みた岩壁の裂け目。
冷気に白く揺れる空気の間を、ゆっくりと進んでくる影があった。
それは。
――それは?
「ネビリム先生! 先生にお話ししたいことがたくさん……っ」
感極まった声で語りかけようとするディスト。
その瞬間、ふと視線を鋭くした大佐が声を張り上げた。
「まずい! 伏せろ!」
いつもの敬語が取り払われた厳しい声の指示に、固まっていたはずの俺の体がしっかりと反応してみせる。
とっさに体勢を低くしたみんなの間を通り抜けたのは、一筋の光。
思わず伏せた瞼を次に開いたとき。
目に飛び込んできたのは、椅子ごと地に落ちたディストと、そして。
「ごくろうさま、サフィール」
そう言って美しく微笑んだ―――― “魔物”の姿だった。