空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
「広いですねぇ! 大きいですねぇ! バチカル、バチカル!これが! あっ、天空客車! うわー俺はじめて見た!」
目を爛々と輝かせて落ち着きなく歩くリック。
いくら一般兵といえど、まがりなりにもグランコクマからの使者があれだ。
後ろを歩いていたジェイドは軽く笑いながら気持ちばかり距離をとった。今更他人のふりも出来ないから、本当に気持ちだけだが。
いや、しかし、あれがアホなのは自分の責任じゃない。
ブウサギを心から愛するあの男の影響だと内心で言い訳をしていると、すぐ脇を歩いていたガイがふと苦笑した。
「リックも喜んでんなぁ」
彼の視線の向こうには、同じように興味津々と街中を見回すルークの姿。
ああ、と相槌を打って、ジェイドは笑みを浮かべる。
「ていうか、あいつ片田舎の出とかじゃないよな?」
「正真正銘グランコクマ育ちのはずなんですけどねぇ」
「あの馬鹿でかい街にいて、今更バチカルで驚くか?」
「おや~ガイ、詳しいですねぇ。グランコクマに来た事がおありで?」
「……卓上旅行が趣味って言ったろ?」
そういう事にしておきましょうと肩をすくめて、再びリックに視線を向けた。
相変わらずチョロチョロと歩き回っている。
「あの子はきっと大きな街というだけで楽しいんですよ。十歳児ですから」
「はははっ。リックだって、いくらなんでもそこまで精神年齢ひくかないだろー」
「いえいえ、十歳児ですから」
「……へ?」
呆気に取られた様子のガイを笑顔で一蹴して、歩く足取りを速める。
背中に不思議そうな視線を感じながら、ジェイドはまたひとつ、肩をすくめた。
本当に十歳児ですから、ねぇ。
*
とりあえず、親書をバチカルへ届けるという任務は果たした。
後はどういう展開になるか、静観するほかない。
ふぅ、と溜息を吐く。
そして一人用というには過分すぎる寝台に、なぜか我が物顔で寝転ぶ部下を半眼で見やった。
「リック、いつまでここにいる気ですか。貴方にも専用に客室が与えられているでしょう」
リックはぎくりと身をこわばらせると、恐る恐る起き上がり、寝台の上に正座する。
「だって大佐、あんな部屋 落ち着かないですよ。家具はどれも一級品だし、ベッドは物凄く大きいし、きらびやかだし……」
「それは私のところに来ても同じでしょうが。だいたい三十五歳の男の部屋に外見二十五歳の男が入り浸っている絵面の気色悪さを考えなさい」
「ジェイドさん酷いぃい!!」
相手をするのが面倒になってきた。
煌びやかな椅子に腰を下ろして、これまた高価そうな机に向き直る。
皮膚に刺さるすがるような視線を感じて、ジェイドは溜息と共に言葉を押し出した。
「好きにしなさい」
「は……ハイっ! はいジェイドさん! 俺おとなしくしてます! 絶対おとなしk 」
「うるさい」
「…………はい」
いつしかこんなやり取りに慣れ始めている自分に苦笑したい気持ちを抑えて、机の上に報告書を広げた。
リックは言葉どおりしばらくは大人しくしていたが、やがてぽつりぽつりと他愛ない雑談をし始めた。
とはいっても返事はしていないから、ほとんど独り言だ。
それでも構わないらしいリックの話は、そのうち今日の出来事についてになっている。
「ナタリア殿下はお綺麗でしたねぇ! なんだかテキパキしてて格好よかったですし!」
今日という日についてジェイドが思うのは、とりあえず親書を無事に届けられた事と、王との謁見でこのビビリが卒倒しなくて良かったという安堵につきる。
あと、とリックが前置きした。
「シュザンヌ様、優しそうでしたね」
耳の端でぼんやりと話を聞いていたジェイドは、ふいに穏やかになった声に、少しだけ視線を滑らせた。
そこにはいつもどおり、何が嬉しいのかニコニコと笑っている子供がいた。
母、という存在は、“彼ら”には存在し得ない。
「……嫌ですねぇ。あなたにもちゃんといるじゃないですか、母親のようなものが」
「へ? だれですか?」
「今ごろブウサギを愛でているであろう例のアレです」
「あれですか!?」
あの男も一応 皇帝なのだが、彼はそれをちゃんと認識しているだろうか。微妙な反応を見るに怪しいところだ。
しかしジェイドとしても、あれが皇帝なのかと問われて即座に頷けるかといえば、少々、自信が無かった。
*
夜も更けて、部屋の中にはジェイドがペンを走らせる音だけが響いていた。
寝台の上ではリックが眠たげに舟をこいでいる。
絶え間なく動いていたペンが止まった瞬間と合わせるように、リックの頭がひときわ大きく揺れた。
ぐ、と息が詰まる音が聞こえて、すぐに何やら唸りながら目を擦りだした子供を視界の端に見ながら、ジェイドは静かに口を開いた。
「ヴァン謡将のこと、どう思いますか?」
「はひ? じぇーどさん? なんれふか?」
「……眠いのは分かりましたから少しだけ会話を成立させてください。ヴァン謡将ですよ。純粋に貴方から見た彼の印象で結構です」
「そうですー……ねー……」
話している間に寝てしまいそうだが、それならそれでいいかと急かすことなく返事を待つ。
「こわいです」
「怖い?」
ようやく戻ってきた答えに、ジェイドは少し目を見開いた。
確かに、彼がヴァン謡将に好意的ではない様子はあったが、行動を共にしていた限りで、恐怖を感じさせるような出来事はなかったはずだ。……腹の底はどうあれ。
「何が怖いと思ったんです?」
「わからないです。自分が、ホントにあのひとをこわいと思ってるのかすら、よく、わかりません~……あのひと、怖いですか?」
「いや、聞かれても分かりませんよ」
「ですよねぇ~……」
へらりと笑って、リックはいよいよ布団に倒れ込んだ。
すぐさま聞こえてきた寝息に苦笑する。このへんで限界らしい。
机に向き直り、ペンを握る。それを紙に押し付ける直前、ジェイドはふと目を細めた。
「怖い、か」
子供の戯言だ。
何の証拠にも、判断材料にも、ならない。
しかしジェイドはなぜか彼の言葉を頭の端に引っ掛けてから、報告書の作成を再開した。
そしてリックにベッドを取られたという事実にジェイドが気付くのは、もう少し先だった。