空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
俺には、覚悟っていうものが分からなかった。
時に自分の身さえ投げ出せるほどの強固な思いは、どんなときも自分の命を優先させてしまう俺にとっては理解出来ないもので、何よりも恐ろしいものであった。
知らない。分からない。理解できない。
だからそんな言葉で思考に蓋をしたのは、“理解したくなかった”からなのかもしれない。
それが自分の命を投げ出す結果に繋がるものならば、“分かりたくもない”と思っていたんだろうか。
『
本当はずっと、“知っていた”のに。
「あっ大佐!」
しんしんと雪降る、深夜のケテルブルク広場。
雪だるまを量産する俺を見て、大佐はもはや何も言わずにひとつ息をついた。
「ネフリーさんに会ってきたんですか?」
「逆です。今から会いに行くところですよ」
無事に戻ってきたことを報告に行くのだろう。
“彼女”の件をどこまで伝えるつもりなのかは、分からないけど。
雪だるまを作る手がふと止まる。
ロニール雪山を降りたあと、俺達はケテルブルクホテルで一泊していくことにした。
このあと予定通りバチカルに向かうにしても、戦いの後でみんな疲れていたし……というか俺がろくに動けなかったから。
そして、ジェイドさんはそこで――みんなにネビリムさんのことを話した。
すべてを聞き終えた後。
「ジェイドを責めないでくれ」と言ったルークに、分かってると微笑んだみんなを思い出す。
生物レプリカの復活を許そうとしなかったその姿を、自分達もちゃんと見てきたのだからと。
責められて当然の過去なので逆に心苦しいと眼鏡を押し上げるジェイドさんの側で、俺はぼろぼろと泣きながら、海のような青の瞳を思い浮かべていた。
ピオニーさん、ピオニーさん。
ジェイドさんは だいじょうぶです。
もうとっくに、俺達だけじゃなかったんです。
安堵と、嬉しさと、ほんの少しの寂しさ。
言葉にできない感情がぜんぶ涙に変わったみたいに泣き続ける俺に、みんな呆れたように笑いつつも、その空気はひどく暖かかった。
「……そういえばどうでした? キルマカレー」
記憶に沈んでいた間をごまかすついでに問いかけたのは、その大佐の話の後、泥のような体に鞭打って作ったキルマカレーのことだ。
「まぁ、悪くはなかったですね」
淡々と返された評価をきいて、へへ、と笑みがこぼれる。
ルークには「もう少し動けるようになってから作りゃいいのに」と呆れられたけど(そう言いつつ色々手伝ってくれた)どうしても今日この日に、あのカレーを完成させたいと思ったから。
ていうかザレッホ火山で苦し紛れで言ったことが、本当にコツになるとは思わなかったなぁ……凍らせれば、いや乾燥させればよかったのか。
「ところで、体調はどうですか?」
「ほぼ良好です!」
「リック一等兵。報告は正確にお願いします」
「……体中ぎしぎしします」
「でしょうねぇ」
でも直後と比べたらだいぶ楽になったと思う。それでもあと二、三日は譜術を使わないように、との大佐からのお達示だった。
ピコハンが成功(アッシュに)したのでティアさんに報告がてら見てもらいたかったんだけど、そんなわけで数日後に持ち越しだ。まぁ仕方ないか。
譜術ってちゃんとした手順を踏まないとあんなに大変なものなんだなぁ。
いや、俺にはっていうことで、大佐ならまた違うんだろうけど。
そこまで考えたところでふと気付く。
「あの、大佐に向かってこんなこと聞くのも何なんですけど……惑星譜術なんて大きな術使って大丈夫だったんですか? 反動とか」
今更ながら心配になってきた。
あれだけ強力な譜術ともなればいくら譜陣があっても大変だったのではと眉尻を下げつつ尋ねると、大佐がひょいと肩をすくめた。
「ご心配なく。全快しましたから」
「全快?」
「
「…………………………あっ!!」
「もしかしなくてもさーっぱり忘れてましたねぇ?」
だって俺が封印術の存在を忘却してしまうくらい大佐がいつも颯爽と戦ってたから。
あの直前にちょうど解除出来たのだといつもの笑顔を浮かべているけど、本当にそのタイミングで解けたのかは謎なところだ。いや、まぁ、結果的に助かったからいいんだけど。
「にしてもすごい威力でしたね、惑星譜術」
惑星譜陣の上から“彼女”を封印するための譜陣が書き足されていたそうで、あれは完全な形ではなかったらしいのだが、それでもあの破壊力。
大佐が習得していたらすごい事になっていたんじゃないかと思うけど、惑星譜術の譜陣はあの直後に消えてしまった。
もしかしたらディストが資料を持っているかもしれないけど、多分それにも詳しい情報は載ってないだろうと大佐は思ってるみたいだった。何にせよあの力が新生ローレライ教団の手に渡ることがないならそれで十分だろう。
「……そういえば、逮捕しなくてよかったんですか?」
「ディストならどうせ後から追いかけてきますよ」
「あいつのことはいいですっ」
ロニール雪山に放置してきた例の男を思い出しつつ首を横に振る。
すると分かっていて俺をからかっただけらしい大佐が、小さく息をついた。
「捕らえるとは言いましたが、万が一捕縛できていたとしても入れておく牢がなかったでしょうね。それこそ封印術でも用意しなければ、被害だけ増やして終わりです」
「あー……」
そういえばそうだ。ていうかあの“彼女”が入った牢屋の番なんて絶対にしたくない。確実に勤務時間五秒で命ごと終了だ。
狂気に揺らめく銀を思い出しつつ、俺はゆっくりと息を吸った。
「ジェイドさん」
「なんですか」
雪玉を転がすためにしゃがみ込んでいた俺が隣を見上げれば、こちらを見下ろす硝子越しの赤い瞳が見える。
それを真っ直ぐに見つめ返して、俺はややキリッと眉を引き上げた。拳を握って勢いよく立ち上がる。
「オレだって、ネビリムさんには負けませんから」
勝てる日は絶対に来ないのだろう。何せ相手は思い出の中だ。
それでも挑むことは諦めない、羽ばたくことは止めない。
――あの、にわとりのように。
それだけ告げてまた情けなく笑った俺を見て、少しだけ驚いたように目を見開いていたジェイドさんは、やがて静かに眼鏡を押し上げて口の端を緩めた。
「……まぁ、何かひとつくらいなら勝てるかもしれませんね」
「えっ! ホントですか!?」
絶対勝てないと確信した直後のまさかの言葉に一瞬目を輝かせたが、すぐ我に返ってジェイドさんを伺う。
「そ、それって、ビビリ具合がとかヘタレ具合がって事じゃないですよね?」
「さぁ?」
愉快そうに細められた赤はそれ以上何も語らず、やがてジェイドさんは「さて」と身をひるがえした。
「私はもう行きますが、貴方もそろそろ戻って休みなさい。明日こそバチカルに向かいますよ」
「あっ、じゃあこの雪だるま完成させたら、」
「凍死させますよ」
とうとう死因が直接的なものに!!!
「全力でホテルに帰還します……」
「そうですか。では」
そんな簡潔な返事だけを残して、青色の軍服が広場から離れていく。
敬礼と共にその背を見送った俺は、誰もいない広場の真ん中で空を仰いだ。
はらはらと落ちてくる白い結晶を少しの間 眺めて、目を伏せる。
薄く残るだけの腹部の傷跡に、服の上からそっと手を添えた。
あのとき俺は、守れたと思った。
ジェイドさんを。
やっと、ほんの少しでも、俺の手で守れたんだって。
そんなあの瞬間の自分が選んだ精一杯の「まもる」が、間違っていたとは思わないけど。
「……“あんな思いをするのは誰だっていやだ”」
いつか自分で思ったことを口に出してみる。
知った顔がいなくなったときの、体の中が空っぽになるような、それでいて重たい何かをぎゅうぎゅうに詰め込まれたような感覚。
同じものをジェイドさんが感じているとは限らない。
だけど“彼女”と対峙しているときにふと思ったんだ。
俺が死んだら、どうなるんだろうと。
死ぬことは俺にとって絶対的な恐怖だった。
それは何が何でも、何をおいても回避しなければいけないこと。
長い間――それこそ生まれてこの方、思考はそこで停止していた。
だけどあの強烈な死の気配を放つ存在の前で、俺の頭は初めて“その先”に進んだんだ。
自分がいなくなった後。
みんなは……ジェイドさんは、どうするだろうって。
いや、どうっていうか戦力としては居ても居なくてもって感じだし、手伝わせてもらってる執務もほとんど雑用だから俺じゃなくても全く問題ないに違いなかった。
何か涙が出そうだけど紛れもない事実なので仕方ない。ほんのちょっと目頭を押さえた後、一息ついて気を取り直す。
そうだ。俺がいなくなっても世界は変わらない。
でも、きっとジェイドさんは忘れないんだろうと思った。
こんなビビリでヘタレでちっぽけなレプリカのこと。
自分が作り出して、そして目の前で消えていったことを。
いつもどおりの赤い目の奥で、フォミクリーやネビリムさんの事みたいに、死んだ俺のこともずっと背負って生きていくんだろうかって、そう思ったら何だかすごく哀しかった。
伏せていた瞼を持ち上げると、自分の息が白く霞んで空に消えていくのが見える。
何に代えても相手を生かすことが守るということだと思っていた。
だからこそ死を恐れる俺はその行動が怖かったし、それを可能にする“覚悟”という強い意志が信じられなかった。
だけど。
イエモンさん、タマラさん。ヘンケンさん、キャシーさん。
今なら分かるんです。
あなた達は、「命をなげうつ覚悟」をして、リグレットやヴァンの前に立ちはだかったわけじゃないんですね。
みんなは「俺達の道を守る覚悟」をしてくれたんだ。
本当に感謝してもしきれない。
ああ、それでも、俺は。
(あなた達に、生きていてほしかった)
ようやく理解したみんなの覚悟が嬉しくて、誇らしくて、くやしい。
じわりと滲んだ視界を振り切るように、一度深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
命を賭してでも叶えたい思いだけを、人は覚悟と呼ぶのだと思っていた。でも、そうじゃない。
それだけじゃないんだ。
「…………」
誰もいない広場で俺は丁寧に剣を抜いた。
銀の刀身に、白い雪がひらりと落ちて光る。
偉い人に謁見するとき以上の緊張を感じながら、俺は青い軍服が消えた方向を向いて、その剣を胸の前ですいと立てた。
公式行事のときくらいしかやらない構えだ。どきどきと鳴る己の心臓を少し笑ってから、表情を引き締める。
何のために力を欲したのかを覚えていなさいと、ジェイドさんは言った。
俺が譜術を覚えたかったのは、みんなを守りたいから。
こんな自分でも、たった一人でも守れる人が増えるかもしれないと思った。
そして、俺が剣を握る、理由。
いつのころからか胸に灯ったそれを、言葉にする勇気さえ無いままどれだけ過ごしただろう。
(今だってオレは臆病者のままだ)
だけど、それでも。
曖昧なまま手にしてきた剣を捨てて、それを誓いに変えて握りしめよう。
死にたくないから戦うんじゃない。
命をかけて守るんじゃない。
真っ赤な瞳と金茶の髪、青色の軍服を、脳裏に描いた。
「この剣は、あなたと共に」
生きて守る。
――――それが俺の、“覚悟”だ。
「ぶぇくしゅっ」
くしゃみだ。
なんかこう、色々と台無しだった。
何で俺は肝心なところで決まらないんだろうと涙目になりつつ、反射的に下ろしてしまった剣をそっと鞘に戻す。
ていうかいい加減ホテルに帰らなきゃ、戻ってきた大佐と鉢合わせしたらその時点で俺の覚悟が人生ごと終了してしまう。
そして慌てて広場を後にした俺が、たどり着いたケテルブルクホテルの扉を開けようとした瞬間。
その扉が一足早く動いたことに気付いたのは、がつんという鈍い音と共に鋭い衝撃が脳天を突き抜けてからだった。
ああ何か前にもこんなことあったな、と思いつつ、俺はお花畑の幻を見たのだった。
(そしてお花畑で。俺がびしりと人差し指を突き付けて言った「宣戦布告」の言葉に、銀色の髪の彼女は、その美しい顔を少女のようにほころばせて微笑んだ。)