空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
扉を押し開けた手の平に伝わった、がつんという音と感触に既視感を覚える。
何か前にもこんなことあったような、と思いつつ扉の隙間から外をのぞくと、そこには額を押さえて悶絶するリックがうずくまっていた。
「うわ、悪い。大丈夫か?」
「……だ、だいじょう、」
頷きかけて途中ではたと言葉を引き留めたリックが、涙目のまま俺を見上げて笑う。
「オレ、体は丈夫なんだ」
だから気にすんなよ、といつになく気安い語調で続けられた言葉に目を丸くして、そこでようやく既視感の正体に気付いた。
エンゲーブで初めて会ったときだ。あのときもこんなふうに、俺が開けた扉にリックがぶつかったんだっけ。
さほど昔のことではないはずなのに、遠い記憶を探るような気持ちで苦笑を零す。
「ごめんなリック」
「うん?」
「いや、あのときの分」
謝罪を繰り返した俺に首を傾げたリックへそう告げると、「あのときも謝ってもらったよ」と笑われた。だが、どう思い出しても謝った記憶はない。
「勘違いじゃねえの?」
「まあ、言葉ではなかったけど。ごめんなさいって顔してたよ」
「……どんな顔だよ」
何だか妙に気恥ずかしい気分で顔を顰める。
思い返せば酷かったとしか言いようがないあの頃の自分は、イオンやリックの目にはどう映っていたのだろう。
知りたいような知りたくないような、と息をついた俺に、ようやく痛みから復活して立ち上がったリックが「ところで」と問いかけてくる。
「ルークは今から出かけるのか? 結構寒いよ、凍死させられるかもよ」
「何だ凍死させられるって。誰にだよ。俺は……お前探してたんだけど、見つけたから出かけなくてよくなった」
「オレ?」
きょとんと目を丸くしたリックに、俺がお前を探すのがそんなに不思議か、とまた謎の苛立ちを感じて黙ったまま頷く。
しかし探しているときは伝えたい事がいっぱいあると思ったのに、こうして本人を前にしたら、ひとつも音にならなかった。
自分の感情を上手く言葉に出来ないことがもどかしい。
言葉にならない感情が、ちゃんと伝わらないことがくやしい。
けれど。
『オレには、――仲間がいる』
脳裏を過ぎった迷いのない声に、深く息を吐き出して口元に笑みを乗せる。
一番聞きたかった言葉を聞いた。
それだけで、自分の中に積もっていた色んな思いが雪のように解けていくのを感じてしまったから、俺は代わりに別の言葉を押し出した。
「なぁ、スパ行かね?」
*
「良いお湯だねぇルーク」
「……そーだな」
こんな時間で男二人でスパって、と自分で提案しておきながら若干遠い目になるが、俺だって何の意図も無くこんなことを言い出したわけじゃない。
前回、何だかんだで喧嘩したみたいになってしまったから、ちゃんと最初から最後まで、楽しい思い出としての記憶を残したいと思ったんだ。
隣から聞こえてくる音外れの鼻歌に小さく笑って、まぁこんなのもいいよなと暖かなお湯に体を沈めて力を抜く。
そのまま二人でぽつりぽつりと雑談を交わした。
完成したキルマカレーの事とか、ケテルブルクやっぱり寒いとか、カジノってどんな感じなんだろうとか、なんだか前にも話したことあるような、ありふれた話題ばかりだったけど、それでもなぜか楽しかった。
こんなふうにしてると、まるで何もないみたいだと思う。
世界の危機も、別れの予感も、なにもかもが無かったんじゃないかと錯覚しそうになる。
だけど俺はそんな都合の良い幻を、ひとつ息をついて振りはらった。
「なぁ、リック」
「なんですか?」
突然の呼びかけに思わず、というように零れた敬語にリックをじとりと睨むと、慌てて「すみません」と口にしてさらに慌て出す。
その姿に、俺は半ば無理やり作っていた渋い顔を崩して小さく噴き出した。
「ル、ルーク?」
「そんな情けない顔するなって。いいよ、もう。それもお前なんだもんな」
敬語が混じると、何だか距離を置かれているような気がして嫌だった。
リックが、到底手の届かない眩しいものであるように“みんな”と口にするのが悔しかった。
俺達がいるのは空の上と下じゃない。
俺もお前も、同じ地面に立ってるんだと伝えたかった。
(――……ああ、そうか、やっと分かった)
向けられる笑顔に何だか腹が立った、その理由。
ずっと形のなかった感情に、ようやく言葉が追いついた気がした。
あいつは俺が声をかけただけで、名前を呼んだだけで、まるでそれがありえないことみたいに、いつもちょっとだけ驚いた顔をする。
そして自分に向けられるそれが、とても特別なことであるかのように、喜ぶから。
(俺は、それが当たり前だって思ってほしかったんだ)
ありえないものじゃない。特別でもない。
向けられたものを、ただ当然に受け取ってほしかった。
だけどそれは俺のわがままだ。
リックにはリックの過去があって、立場があって、思いがある。
“当然”と思ってほしいという気持ちは変わらないけど、それは今のリックを否定してまで押し付けたいものじゃない。
そんなことで困らせるより、もっと、もっと色んな話をしたかった。
――残された、わずかな時間の中で。
「なぁリック。俺さ、お前の話が聞きたいんだ」
「……オレの?」
「ああ。今のお前のこと、昔のお前のこと。嬉しかったこと、哀しかったこと。なんでもいいから」
突然の言葉に戸惑いつつも「そうだなぁ」と記憶を探る仕草を見せたリックが、ふと真顔になって黙り込んだ。
こいつの無表情が若干怖い俺は冷や汗と共に身をのけ反らせかけたけど、横から見える瞳がひどく真剣な色を帯びていたので、なんとか耐えて返答を待った。
「今は、やだな」
やがてぽつりと落とされた言葉に、目を見開く。
「……な、なんでだよ」
「なんとなく」
何となくって。
らしくない淡々とした受け答えと内容に、さすがに落ち込みそうになった俺の様子に気付いたリックが、はっとしたように言葉を続けた。
「ルークに話すのが嫌とかじゃないからな!?」
「じゃあ、何だよ……」
「いや、だから、なんていうか」
いつもどおりの情けない顔で慌てていたリックは、自分を落ち着けるようにひとつ息をついて、俺を見据える。
「……全部、決着がついたら。そのあとで、たくさん話そう、ルーク」
それは、全てが終わった後の話。真っ直ぐと向けられたそれに、ぐっと胸が詰まった。
ぐるりと渦を巻いた感情が、知られたくないと思う理性の枷を外す。
「あのさ、俺、お前に言ってないことが」
「知ってる」
それを遮って、返された言葉。
一瞬だけ時が止まったような錯覚を覚えた。
どこかから落ちた水滴がぴしゃりと水を打つ音に、時間がしっかりと進んでいることを教えられる。
「……知ってる」
もう一度 繰り返された声は、少しだけ震えていたような気がした。
だけどビビリでヘタレで泣き虫なはずの彼が、泣きもせず真っ直ぐに俺を見ていてくれたから、俺も無様に取り乱すことはなかった。
「ジェイドか?」
「や、大佐はそういうの、言う人じゃないから。ごめん、ベルケンドで聞いちゃったんだ」
「何だよ。そんな最初からバレてたのか」
ジェイドにミュウにティアに、リック。
バレまくりじゃないかとふてくされる俺にリックが苦笑する。
「オレはただの偶然だけど、何をどうしたってジェイドさんにはバレてたと思うよ。ジェイドさんだから」
「そりゃ俺だってジェイドはしょうがないと思うけど。ジェイドだから」
そんなふうに口を揃え、顔を見合わせて笑う。
近い将来の不安が、恐怖が消えたわけではないけれど、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
「あ。そういえばお前もここしばらく何か言いかけてたの、なんだったんだよ」
妙に真剣な顔で何かを言いかけて止める、ということが何回かあったはずだ。
そのときは俺もまたリックに伝えたい言葉を探すのに必死で、さほど深く考えられなかったが、今思えばかなり変な様子だった。
それを聞いて気まずそうに頬をかいたリックが、「あれは」と口を開く。
「もうちょっと待ってって、言おうと思って」
「何を」
「ルークが伝えようとしてくれてること、ちょっとだけ分かってたから、だ、だからみんなの仲間だって胸張って思えるオレになるまで、待っててって」
それも気付いてたのかよ。
なら早く言えよ。
いや言おうとしてたらしいけど。
待てって何だよ。
お前の準備が整うまで仲間って思っちゃいけないのかよ。
「………………はぁ!?」
脳内を怒涛のように駆け抜けた言葉と感情を、俺はその一言に全部乗せた。
とにかく怒られ慣れているこの男はそれで俺の言いたいことを察したようで、ごめんなさいすみませんと横でひたすらに謝っていた。
「その、今思うと勝手な話だなって分かるんだ。みんなはもう、多分ずっと、俺のこともそうだって思ってくれてたのに」
「……多分?」
「いや、ええと、多分でなく」
「……そうだって?」
「な、なかま、だって」
敬語を訂正するのはもう止めようと思うが、これはまた別だ。
とにかく自覚はしてくれたんだから、後は逐一教えていこう。
お前も俺達の“仲間”なんだぞって、物分かりの悪い“ともだち”に、俺はちゃんと伝えてやらなきゃならない。
(――全部、決着がついたら。そのあとで、か)
本当にたくさん話せたらいいのになと、どこか遠い夢を思うように、俺は目を細めた。