空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
「全ての屍を踏み越え我が元へたどり着け。アッシュ、そしてルークよ」
大きな鳥型の魔物、ガルーダの足に掴まって飛び去っていくヴァン達の姿が視界から消えたところで、俺はようやく肩の力を抜いた。
元から十分すぎるほどのプレッシャーを放っていたのに、ローレライまで取り込んだヴァン。
大佐に褒めてもらえた余韻のおかげか精神状態は意外に良好だが、やっぱり全身に走る緊張はどうにもならない。先ほどローレライの宝珠に反応して暴走しかけた、現在のヴァンが持つすさまじい力の片鱗を思う。
あれでルークが宝珠を持っていることは完全にバレてしまったけれど、そのおかげで一旦引いてくれたと思えばある意味助かった。
みんなはラルゴと戦ったばかりなわけだし、あの顔ぶれと連戦するのは体力的にもきついだろう、とそこまで考えたところで、はっとしてナタリアを見る。
宝珠の件についてルークに警告したアッシュが去っていく背中を見つめるナタリアの横顔は、やはりどこか青ざめていた。
けれど揺れる瞳の奥には確かな光を宿していたから、やっぱりナタリアは強いなと、思った。
「少しだけ、祈る時間をくれますか?」
アブソーブゲートの入り口に向かって、祈りを捧げるナタリア。
その背中をみんなと一緒に少し離れたところで待ちながら、俺は考える。
……違う。考えていた、ずっと。
あのときバチカル港で、俺が伝えたかったことは何なんだろう。
ナタリアに何を伝えてあげられるんだろう、と。
だけどどうにも俺の頭は良くなくて、どれだけ考えても、きれいに纏まった答えなんて出てこなかった。
「お待たせしてごめんなさい。さあ、参りましょう」
みんなでアルビオールに戻っていく途中で俺はぴたりと足を止めて、最後尾を少し遅れ気味に歩いていたナタリアを振り返った。
「……ナタリア」
「リック?」
気づいたナタリアも立ち止まり、不思議そうにこちらを見上げる。
その深緑色の瞳に映る自分はひどく泣きそうな顔をしていた。ああ、まただ。
一番泣きたい人より先に泣くという、ティアさんと話したときとまるで変わらない自分に呆れもするけれど、きっと俺にはこのやり方しか出来ないのだろう。
「オレはナタリアが普通の女の子だってこと知ってる」
たまに悩んで、元気に怒って、優しく笑う、王女様じゃないナタリアを知っている。
「だけどやっぱり、ナタリアは王女様なんだ……とも思う」
レプリカが普通の“人間”と変わらない事をみんなが知ってくれていて、それでもルークや俺が“レプリカ”であるという事実は、何一つ変わることが無いように。
「王女様は、あまり弱音を吐いたらいけないのかもしれない。……簡単に涙を流しちゃ、いけないのかもしれない」
目を丸くしているナタリアにかまわず、俺は言葉を重ねていく。
「でもオレは、王女様でもあるナタリアって女の子の味方だから!」
俺には弱音を吐けなくてもいい。涙を見せられなくてもいい。
だけどそんな君が大好きだっていう俺がいることを、どうかどうか、忘れないで。
格好つかない涙目のまま祈るように見据えた深緑の瞳が、ぱちりと大きく瞬く。
「……ふふ」
そして思わずといったように笑みをこぼしたナタリアが、わずかに潤んだ目尻を指先で拭った。
「なんだか、イニスタ湿原を思い出しますわ」
それはナタリアがインゴベルト陛下の実の娘ではないという事が決定的になり、バチカルを追われたとき。
俺がまだ自分の中の矛盾に気づかずに、被験者と自分は同じ存在だと思いこんでいたころのことだ。
己の存在について悩むナタリアやルークの気持ちを欠片も理解できていなかった俺が、それでも必死にかけた言葉を、ナタリアは覚えていてくれたらしい。
「王女かどうかは関係ないと……ふふ、大好きだと、言ってくださいましたわね」
「……うん。王女様じゃないナタリアも、王女様のナタリアも、オレの大好きな仲間だよ」
「まあリック。少しガイに似てきたのではなくて?」
「そ、そうかなぁ」
さすがにガイみたいな台詞はぽんぽん出てこないけど、精一杯の思いを伝えきった安堵で力が抜ける。
そんな俺を見ていたナタリアが、ふいに優しく微笑んだ。
「では私からも、ひとつよろしいかしら」
「うん?」
深緑の瞳がまっすぐにこちらを映す。
そこに宿るしなやかで強い意思に気圧されるようにして、背筋を伸ばした。
「あなたは確かに臆病かもしれない、けれど、それは必ずしも弱さとは限らない……。私、そう思いますの」
「……ナタリア?」
「恐怖を知っているからこそ寄り添える。誰かの励みになれる。そんなときもあるのです」
だから、と彼女が両手で俺の手を包む。
「自分の中の臆病さを、決して恥じたりしないでください。怖がりで、涙もろくて、やさしい……私はそんなリックが『大好き』ですわ」
そう言って今度は花が咲くように顔をほころばせたナタリアに、俺の涙腺がぶわりと緩んだ。
「ナタリアぁぁ~」
「そんなに泣いては目が溶けてしまいますわよ。さあ、涙を拭いて」
「ううぅ……今のナタリアもちょっとガイっぽい……」
「まあ。私はあそこまでじゃありませんわ」
ナタリアが心外だと言うように眉をつり上げる。
しかしその瞬間響いてきた「リック!ナタリア!出発するぞー!」というガイの声に、二人で顔を見合わせて笑った。
「行こう、ナタリア!」
「ええ」
王女様で女の子で、友達で、仲間である彼女の手を引いて、俺はアルビオールに向かって駆けだしたのだった。
*
それから向かったのはダアトの教会。
ヴァン達が――というか、モースが置き去りにしていったイオン様のレプリカである少年を保護してもらうためだ。
アニスさんが道中ずっと面倒を見ていたからだろう、教会でトリトハイムさんに紹介しようとすると、少年はすがるように彼女の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ。ここの人達はあなたに預言を詠むように強制したりしないから」
そう言ってアニスさんが宥めると、彼はようやくそろりと顔を見せる。
イオン様とうり二つな姿にトリトハイムさんはさすがにやや驚いた顔をしたものの、それだけだった。教会でレプリカをたくさん保護しているから、“同じ”でも“同じじゃない”ことを十分知っているんだろう。
「彼はなんとお呼びすればよろしいのでしょうか。イオン様では……」
トリトハイムさんの言葉に、ティアさんが「アニスが名付けてあげたら?」と提案すると、アニスさんは少し考えた後、口を開いた。
「フローリアン」
古代イスパニア語で『無垢な者』という意味の名前を、大事に手渡すように呼んで、アニスさんは彼の――フローリアンの手を取った。
「また来るからね、フローリアン」
「……アニスは……残らないの?」
「うん。やらなきゃいけないことがあるから」
「………………」
親に捨てられる子供みたいな顔で俯いてしまったフローリアンの姿に、かつての自分が重なる。
青の軍服と、金茶の髪と、赤の瞳。
部屋の中でただそれだけを待ち続けた遠い記憶を思うと、アニスさんには彼の傍にいてほしいと思ってしまうけど。
状況的に叶えられるはずもない願いにへなりと眉尻を下げた俺の胸元で、歯車の首飾りが揺れる。
あ、と思わず声が零れた。
「あのっ! アニスさん!」
「ふえ?」
肩越しに振り返ったアニスさんに、俺は急いで首飾りの鎖代わりに使われていたリボンをほどいた。
きれいなオレンジ色のそれは、アニスさんがくれたものだ。
「これ、フローリアン……さまに、あげてもらえますか?」
胸の内を侵食する寂しさを乗り切るために必要なのは、そんなに大層なものじゃない。
たとえば大好きなひとの面影ひとつ、それだけで、俺たちは明日を待てるんだ。
「いいの? 首飾り」
「あー、いいですよ、ディスト生きてましたし」
いっそ歯車のほうも投げ捨てたい気分ではあるが、今までずっと大切に身につけていたから何だかんだと思い入れもある。アニスさんの問いかけに苦笑しつつ、煤けた歯車をポケットにつっこんだ。
そうしてリボンを受け取ったアニスさんは、うん、と小さく頷いてフローリアンに向き直ると、オレンジのリボンを彼の手のひらに乗せる。
「フローリアン、またね」
「……うん、アニス……待ってる」
フローリアンはそのリボンをぎゅっと握りしめ、心細そうな表情をわずかに和らげて、笑った。