空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
「シンク、あいつ……空っぽだなんて寂しいこと言って……さっさと死んじゃった」
ぽつりと零して俯いたアニスさんの茶色の瞳が、黒い髪の向こう側に消える。
微かな光だけを残して、イオンさまと同じように消えていった彼がいた場所を見つめて、シンクのばか、と叫ぶ涙声を聞きながら、俺は震える両手をゆっくりと握りしめた。
決して交わることのない道だったかもしれない。
もしかしたら彼の言うように、歪んだ親近感だったのかもしれない。
それでも。
「……友達になれたらいいなって、思ったんだ」
シンク。
他の誰でもない。
ひねくれ者の、おまえと。
届く宛のない手紙を書くような切なさが胸に滲む。
けれど哀しくてたまらないはずなのに、何度目の当たりにしても恐ろしくてしょうがないもののはずなのに。
俺は生を憎んだ彼のもとにようやく訪れた“終わり”を、心のどこかで、自分勝手にも少しだけ安堵したような気がした。
「…………っ、」
言葉にならない感情に涙が溢れそうになる。
そんな俺の肩を、宥めるように軽く叩いたのは、青い手袋に包まれた左手だった。
はっとして目元をぬぐった俺の横をするりと通り抜けていった大佐は、そこで――おもむろにナタリアの頬をひっぱたいた。
心なしか既視感を覚える光景に思わず口元がひきつる。
いや、俺のときはもっと容赦なかったけど。
「あなたがアッシュに好意を抱くのは自由です。ですが、やるべきことを忘れてはいけません」
目前のやりとりに若干ハラハラしつつも、俺を含めみんなが止めずに見守っているのは、ジェイドさんがナタリアを“叱って”いるからだろう。
気に入らない人間を叱ったりはしないというマクガヴァン元帥の言葉を、器用で不器用なジェイドさんの飾らない“言葉”を、知っているから。
「…………ええ、そうね……本当にごめんなさい。辛いのは、私だけではないものね」
やがて二人の会話に一区切りつき、ほっと胸をなで下ろす。
それからルークが、先ほどの力が本当に第二超振動というものならこれをくれたのはアッシュだ、と胸に手を当てた姿に、俺は目を細める。
アッシュはヴァンとの決着をルークに託した。
それならあの場所で同じようにアッシュに助けられて、背中を押してもらった自分には、何が出来るのだろうか。
「リック。進みますよ」
「あっ、はい!」
臆病でヘタレな俺が、それでも今、“俺のままで”。
(――できることは)
前をゆくみんなの後ろ姿を見つめながら、俺はそっと剣の柄に手を添えて、目を伏せた。
「……なんだか怖いですの。尻尾がびりびりするですの」
エルドラント最深部を目前に、ミュウがそう言って怯えたように大きな耳を下げる。
かくいう俺もまだヴァンの影も形もないというのに、どんどん増していく見えない圧力に胃がひっくり返りそうだ。
戦いの時が、すぐそこまで迫っていた。
気を引き締めるみんなの様子をざっと見回したジェイドさんが、目的はあくまでローレライを解放し、エルドラントのフォミクリーを停止させることだと、ここへ来た意味を見失わないよう念押しするように告げる。
ルークが頷いて、そのためにローレライの鍵があって、ティアさんの譜歌があるのだと言った。
「私たちは総長をガンガン攻撃だね」
アニスさんの言葉に、大佐が「いえ」と首を横に振る。
「退路を考え、二人程は戦闘に参加せずに待機とします」
「全員で戦うべきではありませんの?」
ナタリアに問われると、大佐は改めて、目的はヴァンを倒すことではないと言葉を重ねた。
「最悪の状況に陥った時、ここのフォミクリーだけでも壊せる人間が必要です」
「うん……そうだな。ジェイドの言うとおりに、」
ルークが返そうとした肯定を、俺はあえて遮るように、意を決して口を開いた。
「みんなで、行ってください」
真剣に作戦会議をしていた仲間達の視線が自分へ集まったことを認識しながらも、言葉を続ける。
「オレが残ります」
そう言い切ったところで、我に返ったらしいルークが詰め寄ってきた。
「おまっ、いきなり何……!」
「あっ別にビビリで言ってるわけじゃないからな! ……いや怖いのは怖いんだけど!!」
あの痛いほどまっすぐな覚悟を宿した青い目は、やはり俺には苛烈すぎる。
最初のころよりは随分マシになったと思うけど、それでもヴァンを前にするとすくむこの足を、慣らしている時間はない。
俺は一度深く息を吐いて気持ちを落ち着けてから、目の前のルークを、その向こうのみんなを、静かにこちらを見つめる赤い瞳を見て、笑みを浮かべた。
「オレ、たぶんそんなに弱くないんだと思う」
すごい人達に囲まれて過ごしてきたからかなり感覚が麻痺しているけど、俺の剣の腕はそう悪くない。
自分で言うのはなんだか調子に乗っているようで気が引けるけど、たいていの人間や、通常出会うような魔物が相手ならまず負けることはないだろう。
「でも……ヴァンには届かない」
みんなの横に並ぶためには、決定的に何かが足りない。
長い階段の先にある圧倒的な力の気配が、俺に出来ることは何ひとつないのだと告げている。
分かっていた。
俺はただの兵士で、世界を守る正義のヒーローにも、世界征服をもくろむ悪の幹部にもなれない。
「だけど、みんなの退路を確保できるくらいの力なら、あるつもりです」
ナタリアを助けたバチカルの人達のように。
俺達の道を切り開いてくれた、イエモンさん達のように。
ヒーローを応援する……名も無き誰かのように。
「だからみんなで行ってください」
特別な力がなくても、俺が俺のままでも、
「いざとなったらオレがこの手で、エルドラントのフォミクリーを破壊してみせます!」
――大好きなひと達のために、出来ることがあるんだ。
一瞬の沈黙のあと、ふふ、と笑い声をあげたのはナタリアだった。
「出会ったころを思うと、見違えるようですわね」
まだアッシュのことを受け止めきれたわけではないだろうに、彼女の深緑色の瞳は確かな光を宿して、今度はしっかりと俺を映している。
「でも本質的なところは何も変わっていませんわ。リックは何度も、私を助けてくれましたもの」
「……えっ、いつ?」
「あら。覚えていませんの?」
たとえばカシムのとき、ラルゴのとき、さっきの譜陣のとき、とつらつらと上げられていくのを聞きながら記憶を探ってみるが、どれひとつ、どう考えても助けたというほどのことは出来ていない気がする。
困惑する俺に向かって、彼女はまるで騎士に勲章を授ける王女様みたいな顔で微笑んだ。
「貴方はいつも自分に出来る精一杯で、誰かを守ろうとしていましたわ。……そして今も。そうでしょう?」
ナタリアはそう言って、他の仲間たちに顔を向ける。
つられてそちらを見ると、みんなは思い思いの表情で俺を見ていた。
まず目のあったティアさんが、その青い瞳を柔らかく細める。
「前にユリアシティで私が言ったこと、覚えている? あなたはあの時、納得がいかなかったみたいだけれど」
それはピコハンの練習のあとで、ティアさんをさしおいて大号泣してしまったときだろうか。
「あの言葉をもう一度送るわ。あなたは何も出来なくなんてない。そう、たとえ、出来ることが何もないときでも」
一緒に悩んであげることが出来る。
一緒に泣いて、喜んであげられる。
「ねぇリック。それはとても……すごいことだと思うわ」
記憶の中と、今目の前にいるティアさんの声が重なった。
「…………っ」
何か返そうとして、しかし何も言えずに頷く。
その拍子に零れた涙で滲んだ視界に、「は~あ」と大げさなため息をついたアニスさんのツインテールが揺れた。
「やっぱり私、かわいそうな人ってどーしても嫌いになれないんだよねぇ」
言葉だけを聞けば身も蓋もないけれど、アニスさんの茶色の瞳は、とても穏やかな温度を持って俺を映している。
「ぜんぶ終わったらリックのおごりでグランコクマ観光だからね。いっぱい買い物するから、覚悟しといてよ!」
「ベ、ベストを尽くします」
帰ったら頑張って貯金しよう、と心に決めたところで、明日の世界がどうなるかも分からないのに次の給料のことを考える自分が何だかおかしくて、ちょっと笑った。
そこで突然、横から肩をがしりと掴まれる。
驚いて振り返れば、何やら感極まった様子の空色の瞳。
「お前、本っ当に立派になったな……!」
「ガイなんかお母さんみたい」
「今に限ってはそれでいいと思えるくらい感動してる」
アラミス湧水洞で再会したルークにありがとうって言われたときと同じレベルで、と解説されたがいまいちよく分からなかった。
とりあえず喜んでくれているらしいことは分かるので、俺も「ありがとう」と告げておく。
そしてガイは呆れ顔のアニスさんに腕を引かれて後方へ下がっていったのだが、ふいうち気味なその接触にも一瞬びくっとしただけで、大人しく引きずられていく姿に今度はこっちが感動した。
ただでさえメイドさん達の人気者なのに、女性恐怖症が完治したらすごいことになりそうだ。なんか色々と。
世界が無事に続けば遠からず訪れるであろう未来を思って苦笑していると、ふいに強い視線を感じた。
そこには心配そうに歪んだ、翠の瞳。
もの言いたげな顔をしたルークは、けれど「やめろ」とも「大丈夫なのか」とも言わずに、ギッと俺を睨み上げて苦々しげに口を開いた。
「……何か言えよ」
「な、何かって?」
「なんか……何でもいいけど、何かあるだろ。気合い入れるとか、激励みたいな……何か言え」
髪が長かったころの彼を彷彿とさせる、ぶっきらぼうな言い方だった。
というと本人はたぶん気まずそうにするんだろうけど、やっぱり俺は“ルークさん”も大好きだったから、懐かしさに思わず顔が緩んだ。
先へ進む自分のほうがよほど危険なのに、残る俺のことを心配してくれる“仲間”に。
俺の覚悟を分かってくれているからこそ、心配だと言えない代わりに、お前がこっちの背中を押せと促す“ともだち”に。
相応しい言葉は、なんだろうか。
(ああ……そうだ)
脳裏を過ぎったのは、行ってこいと背中を押してくれた太陽みたいな青と、終わらせて来いと送り出してくれた不機嫌な緋色だった。
「いってらっしゃい、ルーク」
そうして口から零れたのは、何の変哲もない、日常の音。
決戦の地へ向かう相手に送るにはあまりにも平和な響きを帯びたそれに、ルークは一瞬ぽかんと呆気にとられた後、すぐに「はぁ!?」と声を上げた。
「~~~っお前なぁ! 買い出しの見送りじゃあるまいし! もっとなんか、鼓舞する感じのこと言えよ!!」
「で、でもオレが『行ってこい!』とか言ったら偉そうじゃないですかぁ……」
「まぁイラッときますね」
大佐がいつもの笑顔で肯定した。ですよね。
赤い瞳はそれ以上何も語らず、そのまま颯爽と身を翻して歩き出す。
ガイがその背中に、もう少しまともに声を掛けていかなくていいのかと苦笑混じりに零す声を聞きながらも、俺は十分だと思っていた。
(だって)
あのひとが黙ってこの場を託してくれたこと。
その事実だけで、俺には十分だった。
緩む口元をそのままに、青い軍服の背中と、ルーク達に向けて敬礼をする。
「いってらっしゃい、みんな!」
きっちりした軍仕込みのそれには不釣り合いな激励の言葉を、今一度繰り返した俺に、仲間たちはそれぞれ頷いたり、手を振ったりしながら背を向けて歩き出していく。
ルークは、やっぱりそれなのかと呆れたように眉根を寄せたけど、やがて小さく噴き出して肩の力を抜き、
「いってきます」と、笑った。