空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
Act93 - そらとぶ にわとり
エルドラントでの戦いから、三ヶ月。
「よう。カーティスの旦那」
背後から掛けられた声が呼んだ名前に、俺はぎしりと固まるように足を止めて振り返る。
「その呼び方やめてくれよガイ……」
「なんだ、まだ慣れないのか?」
「慣れるわけないじゃないですか畏れ多い!!」
めずらしくからかうように笑うガイに向けて、青ざめた顔でぶんぶんと首を横に振った。
そう。
今ガイが呼んだ“カーティスの旦那”は、ジェイドさんのことではない。
「もうなんか……自分の存在に対してファミリーネームが重すぎて、呼ばれるたび震えそうになる」
「そう言いつつすでに震えてるな」
震えもするだろう。
なにせ今の俺はもうただのリックではなく、『リック・カーティス』だというのだから。
エルドラントが落ち、ヴァンが消え、目前に迫っていた危機は去った。
しかしそこでめでたしめでたしと終わるわけにいかないのが現実で、プラネットストームを停止したことによる影響など、残された課題は山積みだ。
でもそれも世界が……未来が続いたからこそと思えば、大変であっても、辛くはない気がした。
いやピオニーさんは「ブウサギになりたい」とか真顔で口走るほど忙しいみたいだし、ジェイドさんも執務とフォミクリー研究を再開するための根回しとか、正直いつ寝てるんだろうってくらい毎日仕事漬けなので辛いかもしれないが。なんか本当にお疲れさまです。
というと他人事のようだが、この三ヶ月は俺も、一応それなりに忙しい日々を送っていた。
各国が怒濤の事後処理に追われる中で、さしあたって共通の急務が、世界中に散らばったレプリカ達への対応だ。
各国は連携してレプリカ問題に当たる部署を設けることを決め、マルクトでもレプリカ対策部を開くことになった。
そしてエルドラントに行く前に頼み込んだとおり、ピオニー陛下はその新設レプリカ対策部に俺を押し込んでくれた。
――“レプリカ保護官”として。
自分は雑用だと何の疑いもなく思っていたところでの大抜擢に、なんかもう最初は喜ぶより、俺が頼んだせいで陛下に必要以上の職権乱用をさせてしまったのかと恐れおののいた。
だが、どうもそういうわけではないらしい。
他にも十数人がレプリカ保護官に任命されたのだが、そこには俺のように、あまり階級が高くない人もけっこう居たのだ。
なんでもレプリカに嫌悪感を持っていないことを優先した人選だそうで、何もなくても俺はこの部署に組み込まれる事になっていただろうとのことだった。
「頼み損だったな」なんて笑われたけど、それよりも俺が深く考えずに口にした“レプリカ保護官”という役職名が国際的に採用されている事実にびっくりしましたピオニーさん。しかしそんな驚きは間もなく更なる驚きに上書きされて、すぐ些細なものに変わることになったのだが。
まずレプリカ保護官への任命にあたり、俺がレプリカであるという事実が公表された。
いや、これは別に構わないのだ。
事前に聞かされてなかったのでちょっと驚いたけど、陛下や大佐がいいというなら、もはや俺に隠しておく理由はなかった。
ガイなどは、何も世間がレプリカに過敏になっているこの時期にしなくても、と心配そうにしていたけれど、大佐は「だからこそ」だと言っていた。
痛い腹も探られる前に開いてしまえば楽なもの、らしい。
それに保護官としてレプリカ達に接触するなら、自分もレプリカだと周知されているほうが動きやすいだろうという話だった。
確かに、俺が同じレプリカであるという情報が出回っていれば、警戒心も少しは緩むかもしれない。
もちろんそれだけで無条件に信用してもらえるとは思っていないが、とっかかりにはなるはずだ。
誰も彼もが動物的な勘で同種を見分けられるわけじゃないですからねぇ、と言ったジェイドさんのぬるい眼差しをふと思い出す。な、なんですか。
……さて、このへんからようやく、俺の名前がものすごく荘厳になってしまった話に関係してくる。
会議室の偉い人達は、突然明かされた事実にそれはもうざわついていた。
仕方のないことだろう。
現状においてレプリカは、突然現れた得体の知れない、誰かと同じ姿をした別人なのだから。
中にはあまり驚いていない様子の方々も数名いたが、そういう人はここ最近のレプリカ騒動を照らし合わせて、ある程度 察していたのかもしれない。ゼーゼマン参謀総長も、ふむふむと納得したように白い髭を撫でていた。
反面、一気に剣呑な空気をまとった方々もいて、これはレプリカ保護官どころか退役させられるのではと俺が青ざめた瞬間。
「私事ですが」
聞き慣れた、低いのによく通るジェイドさんの声が空気を揺らした。
さほど大きな声でなかったにも関わらず、室内のざわめきがピタリと止む。
ジェイドさんは淡々と言葉を続けた。
「実はつい最近、養子を迎えまして」
「……えぇ!!?」
衝撃の告白に、俺は自分が針のむしろにいることもすっかり忘れて声を上げた。
寝耳にスプラッシュにもほどがある。
陛下は知っていたのか、何やらにやにやしていた。
何でどうしていつの間に、いやまずはおめでとうございますお父さんですね!と騒ぎ立てる俺を一睨みならぬ一笑顔で黙らせてから、ジェイドさんは会議室の面々をぐるりと見回す。
「名を、リック・カーティスと言います」
俺と同じ名前なのかすごい、なんて、脳天気なことを考えていられたのは一瞬だった。
ピオニーさんが大笑いする声をどこか遠くに聞きながら、真っ白になった頭でぽかんとジェイドさんを見る。
「この度レプリカ保護官に就任することになったそうで、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが」
赤い瞳をすっと細めたジェイドさんは、それはそれはきれいな顔で、笑った。
「――――どうぞよろしくお願い致します」
有無を言わさぬ迫力を秘めたそれに、先ほどまで剣呑な雰囲気をまとっていた人々が思わずと言ったように黙り込む。
カーティス家が後ろについているとなれば、相手がレプリカといえども、たやすく進退に口を挟むわけにはいかないのだろう。
……大佐の笑顔が怖くて何も言えなかっただけかもしれない。
会議の後、執務室に戻ってもまだ呆然としていたらジェイドさん渾身のアイアンクローをくらってしまい、悲鳴をあげながら俺はようやく自分がジェイドさんの養子になったらしいという事実を認識した。
そうしてカーティス家……さまに、身元を保証されることとなったわけなのだが、知らないうちに手続きが全部終わってたんだけど大丈夫だったのだろうか。色々と。
「オレ、署名とかしなくてよかったのかなぁ……」
「俺はそれよりも旦那がどうやってカーティス家を丸め込んだのかと思うと心底怖い」
あの実力主義と噂の堅物たちに、とガイが引きつった顔で呟いた。
不敵な笑みで眼鏡をきらりと光らせる大佐の姿が脳裏を過ぎる。……あまり考えないようにしよう。
ガイも同じ結論に達したのか、気を取り直すように笑って話題を変えた。
「にしても、リックと会うのは久しぶりだな」
「ガイも忙しそうだったもんな。大佐とか陛下に色々頼まれてて」
キムラスカ、というかナタリアに届けたい大事な手紙があるときは大体ガイが持って行くから、グランコクマにいないときも多いのだ。
空いた時間はエルドラントの捜索に加わっているそうで、会える機会はさらに少なかった。
ガイが、ふと真剣な表情になって俺を見る。
「そういえばリック。陛下に聞いたんだが、被験者の家族に会ったんだって?」
その問いに、俺は目を丸くした後、小さく微笑んで頷いた。
「グレン将軍にブラッドペインを返しに行ったときにさ、被験者のお母さんと道でばったり」
「……どうだったか、聞いていいか?」
「うん。向こうも驚いてたけど、オレがそれ以上に驚いて慌ててたせいかな。家に来てお茶でも飲んでいったらって、誘ってくれたんだ」
心の準備も何もない再会でろくに頭の回っていなかった俺は、言われるがまま誘いに乗って家を訪ねた、のだが。
「家に行ったら妹さんにさ、『どの面さげて会いに来たのよ』って言われて」
「…………」
気遣わしげに眉を顰めてくれたガイに、心配ないという意味を込めて笑みを浮かべた。
「――で、ミスリルソードで斬りかかられたんだ」
「……ん!?」
「いやぁさすが剣術に優れたという被験者の妹さん! 鋭い太刀筋だった!」
「あっ、顔の絆創膏それでか!!」
俺の頬にぺたりと貼られた絆創膏を指さしたガイに「ああ!」と元気に肯定を返す。ちょっとした兵士より強かったです。
「でも被験者のお母さんが、またおいでって言ってくれたんだ。だから……また、行けたらいいな」
目も合わせてもらえないと思っていた。それだけのことを俺は彼女たちにしてしまったのだから。
けれど実際に会った妹さんは、目をそらすどころか、まっすぐに俺のことを見つめて――ミスリルソードを手に取った。
あとはもう真剣にやらないと本気で斬り捨てられそうだったので萎縮している暇もなかったが、その剣戟の
出会ったときの俺は被験者のふりをしていたから、彼女達に自分の名前を伝えていないのだと、あの旅の中で気づいたことに。
だから。
『っ“はじめまして”! オレは、リックと言います!!』
ごめんなさい。
ずっとずっと遠回りをしてきました。
だけどもう、逃げないから。
そんな思いで叫んだその瞬間、なぜか妹さんの剣がぴたりと止まった。
え、と思う間もなく、俺の剣が彼女のミスリルソードを弾き飛ばす。
落下したミスリルソードをちらりと目で追った後、妹さんは鋭くこちらを睨み上げた。
そして、次は自分が勝つ、と言って俺を家から蹴り出し、足音荒く部屋の中に戻っていく。
その背中を見送って玄関の前で呆然と立ち尽くしていた俺に、今日はお茶は無理ねと被験者のお母さんが微笑んで、またおいでと、言ってくれた。
「……そうか。よかったな」
「うん」
ガイと顔を見合わせて、笑いあう。
すべての問題がおとぎ話のように解決したわけじゃないけれど。
それでも俺達は、たしかに前へ、進み出したのだと思う。
前へ……。
「そうだジェイドさんに報告に行く途中なんだった!!」
「悪い、引き留めたな。最近特に忙しくて機嫌よくないから、早く行かないとえらい事になるぞ」
一分一秒の遅れがミスティック・ケージを生みかねない。
じゃあまた、と気安い挨拶を交わしてガイと別れ、俺は大急ぎで大佐の執務室に向かって駆けだした。
*
必死に走った結果、なんとか時間通りに到着したらしく、入室と同時に譜術が飛んでくるようなことはなかった。
ほっと胸をなで下ろしながら色んな報告をしていると、突然、執務室の扉が大きな音を立てて開いた。
「リック兄ちゃん!」
元気な声と同時に飛び込んできたのは、三十代前半くらいの男性だった。
その顔に浮かべられた無邪気な笑顔を見返して、俺はきりっと眉をつり上げる。
「こーら。こっちまで入って来ちゃダメだって言ったろ?」
腰に手を当て、めいっぱい年上ぶって注意すると、彼はムスッと口をとがらせてそっぽを向いた。
見た目の年齢にそぐわない、子供のような反応。
それは事実、彼が生まれて一年も経っていない“こども”であるからだろう。
「だってお話の日なのにさぁ、兄ちゃん中々来ないから」
彼は、ここで保護しているレプリカのひとりだ。
いずれは専用の保護施設を設けて、自我の成長具合などを見つつそれぞれの身の振り方を考えていく予定なのだが、今のところはこうしてマルクト軍で保護する形となっている。
「ごめんごめん。もう少ししたら行くから」
「……わかった。早くきてよ」
「うん」
部屋の前まで見送りに出て手を振ると、ようやくにかりと笑って頷いてくれた。
「今日は、レッドが髪切って戻ってきたところからだからなー!」
そして執務室の中までよく響く大声でそう言い残し、彼は走り去った。
ぱたんと扉を閉める。
俺はノブを握りしめたまま、おそるおそる口を開いた。
「……アビスマンの話でして、」
「アビスレッドに断髪イベントはありませんでしたけどねぇ」
「うう」
おそらくダアトで劇をする際に一回通し読みしただけであるはずの、かなりの巻数が出ている絵本の内容をいまだに覚えてるジェイドさんすごい。
「いつまで扉に懐いているつもりですか」
肩越しにちらりと後ろを見れば、呆れたような赤色の瞳があった。
「隠すほどのことでもないでしょうに、何を一人で慌てているのやら」
「き、機密にあたる所とか名前はちゃんとぼかしてます!!」
「だから落ち着きなさい。別に怒っても責めてもいませんよ。第一、世間ではもっと真実味のある根も葉もない英雄譚が、山ほど出回っているんです」
そこに俺のつたない語りのヒーロー話がひとつ紛れ込んだところで誰も気にはしないと言って、大佐は手元の書類に視線を落とす。そうだ俺も報告書をまとめなくては。
はっとして懐いていた扉から離れ、来客用の机と長椅子(主に使っているのは陛下)のほうに移動した。
そのまま少しの間、紙がめくれる音と、ペンの走る音、このグランコクマでは絶え間なく聞こえる水の音だけが室内に響く。
使い終わった資料を束ねて、とんとんと角を揃えながら、俺はふと窓の外を見やった。
薄い硝子の向こうには青く抜けるような空。
「ジェイドさん」
その眩しさに、目を細めた。
「オレ、前にルークに言ったんです。アクゼリュスのとき“俺達はどっちも間違ってた”って」
ペンの音が止む。
振り返れば、赤い瞳が静かに俺を見ていた。
「そのときはそれで合ってると思ってた、けど……最近思うんです」
答え合わせが出来るのはいつだって答案用紙を出した後で、書き込んでいる最中には、それが合っているかどうかなんて考える余裕もない。
そんな正しさも間違いもまだ分からない道を、それでも懸命に、それぞれが前だと思った方向に向かって。
「――オレ達はあの瞬間を“生きた”。本当はただ、それだけだったんじゃないかって」
ジェイドさんは肯定も否定もせず、黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。
それがなんだか嬉しくて、緩んだ表情をそのままに話を続けた。
「最近レプリカ達にみんなの……あの旅の話をしているんです。オレは、ルークが“英雄”じゃなくて、“人間”であったことを伝えたい」
最初はワガママで、でも優しくて、
大きな罪を犯して、くじけて、
それでも必死に前を向いて、変わって、
これからってときに残酷な決断を迫られて、
死にたくないって泣いて、震えて、
だけどその道を選ぶしかなかったルークを。
「かっこわるくて、かっこよかった。オレの大好きな“ヒーロー”のことを、誰かに知ってもらいたいんです」
目の奥に滲みかけた熱を深呼吸で逃がして、へへ、と小さく笑う。
「あともうひとつ、訂正していいですか?」
「なんです」
「“何もすることがない”のは“何かしなきゃいけない”より怖いって、前に言ったような気がするんですけど」
確かアラミス湧水洞にルークを迎えに行く前だっただろうか。
「実際は、どっちも同じくらい怖いんですね」
選ぶこと。選ばないことを選ぶこと。
臆病者には、どちらも比べようがないほど大変で恐ろしいことだった。
「怖いけど……でも、何かしてる自分のほうが好きになれそうな気がするんです」
失敗ばかりの自分が情けなくなる事なんてしょっちゅうだけど、そんなときは、どれだけ倒れても決して諦めなかったヒーロー達の背中を、思い出すから。
「だからオレも、自分の選んだ道をがんばって進んでみます」
今度こそ自分自身の力で、“大丈夫だよ”と、彼らに伝えてあげられるように。
俺がめずらしくはっきりとそう言い切って笑えば、ジェイドさんはゆるりと口の端を上げて、「ところで」と扉のほうを指さした。
「いい加減、行かなくていいんですか?」
“お話”の日なんでしょう、と付け足された言葉に はっと窓の外を見れば、差し込む光がだいぶ傾いてきていた。
「うわぁみんなに怒られる!!」
思ったより話し込んでいたらしい。
幸い仕事は終わったから、このまま彼らが待つ部屋に向かえばいいだけだ。
纏めた書類を慌てて片づけて、椅子を立った。
「す、すみませんジェイドさん! いってきます!!」
「はいはい。いってらっしゃい」
さらりと返された言葉に一瞬動きを止める。
あの旅が終わった後……いつのころからだっただろうか、ジェイドさんは俺の「いってきます」に、必ず「いってらっしゃい」と答えてくれるようになっていた。
俺はそのたびにこうして固まって、嬉しさに熱くなる頬を自覚しながら視線を漂わせ、もう一度「いってきます」と返すのだった。
***
ばたばたと慌ただしく出ていった背中を見送ってから、広げた書類に視線を戻して数分後、控えめなノックの音が執務室に響いた。
紙面に視線を落としたまま入室の許可を出すと、おそるおそる開かれた扉の気配に、ジェイドはようやく顔を上げる。
「……リックお兄ちゃんは?」
扉の隙間からこちらを覗いてそう言うのは、二十代前半ほどの女性だった。
しかし先ほど来た男性と同じく、彼女もまた見た目通りの年齢を持たないレプリカだ。
「一足遅かったですね。つい先ほど、貴方たちの部屋に行きましたよ」
そう教えれば、こくりとひとつ頷いたレプリカに、ジェイドはふと声をかける。
「いつもあのお兄ちゃんから、どんなお話を聞いているんですか?」
あの子供は『みんなの話』だの『旅の話』だのと、漠然とした言い方を選んでごまかしていたが。
「……とてもたのしいの。“六人”の、ヒーローさんのお話」
その言葉にジェイドはやはりと小さく苦笑して、扉を閉めて帰ろうとしていたレプリカを呼び止めた。
「リックお兄ちゃんが留守のときは、いつも話を聞いている皆をここへ連れてきなさい。代わりに私がおもしろい話を聞かせてあげますよ」
「……ほんと? いいの?」
「ええ。ただしリックお兄ちゃんには内緒で」
目を輝かせて頷いたレプリカに、ジェイドはそっと笑みを返す。
「いつも泣いてばかりいた、七人目のヒーローの話をしましょう」
窓の向こう、高い空に飛び立った真っ白な鳥が、
――――天まで届くような声で鳴いた気がした。