空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
「うわー、すごいですね大佐!」
壁に背を寄りかけて封印術の解除に集中していたジェイドは、その明るい声を聞いて面倒くさそうに顔を上げた。
手すりから身を乗り出すようにしてユリアシティを見渡していたリックが、満面の笑みと共にジェイドのほうを向く。
「外殻大地とか魔界とか、なんかもうオールドラント童話の世界ですよ! すごすぎて信じられませんよねっ!」
「ですがこうして目の当たりにした以上、どれだけ途方もない話でも信じるしかありません」
静かに言って返すと、彼は一瞬動きを止めて、それからまたすぐにユリアシティを振り返りはしゃぎだした。
街のデザインから材質まで、初めてみるものに漏れなく食いついているリックを、ジェイドは少しの間冷やかな視線で眺めていたが、やがて痺れを切らしたように溜息をつく。
それを聞いてリックがびくっと肩を揺らした。
「……リック」
「は、はい?」
ぎこちない動きで振り返った部下を見て、ジェイドはまた溜息をついた。
「テンションが空回りしていますよ」
「そ、そんなことありま、せん、よ」
「はい声。自覚があるなら早々に止めなさい、鬱陶しい」
「…………はい」
リックはがくりと肩を落としてジェイドの隣に座り込んだ。
そのまま陰鬱なオーラを撒き散らして黙り込む彼に、この短い時間で三度目になろうかという溜息を吐く。
「アッシュに何か言われましたか」
ティアの一喝の元に、不服そうな顔をしながらもルークをティアの家まで運んで行った青年を思い浮かべつつ、当てずっぽうに問うもリックはゆるゆると首を横に振った。
いつからか、この子供の様子がおかしいのは間違いないのだが。
ここ最近で起こった出来事を頭の中でさかのぼる。とはいってもあまりに色々ありすぎて、どれが原因なのやら。
全ての相乗効果だろうか、と思いかけたところで、ふと気付く。
「ヴァン謡将、ですか?」
確か彼はルークやイオン様と一緒にヴァンと接触したはずだ。
すると案の定、リックは大げさなくらいビクリと身を弾ませる。
「分かりやすいですねぇ。で、何を言われたんです? ビビリだ阿呆だ根性無しだアリンコだと苛められましたか?」
「……そんなような事はひとっつも言われてないはずなんですけどなんか泣きそうになってきました」
リックは、うう、と情けなく呻いた後、ふいに自分の膝を抱える腕に力を込めて俯いた。
それをいぶかる間もなく、独白のような声が耳に届く。
「大佐、前にバチカルで、俺に仰いましたよね。ヴァン謡将をどう思うかと」
リックはいつになくかしこまった口調で話し出した。
あのとき大分寝ぼけていたようだったが、覚えていたのか。
「重ねて申し上げます」
座り込む彼を見下ろして、眉を顰める。
「あの方は、恐ろしい」
それは、まさに大佐に対する部下の態度だ。
そうして思考と自分の間に壁を作らなければ、耐えられないとでも言うように。
「寒気がするほど真っ直ぐな目をしていました。あの目に俺達はうつっていなかった。まるで景色を見るみたいに俺やイオン様やルークさんを見るんです」
リックがきつく拳を握り締めたのが見えた。
「壊れるパッセージリングも崩れ行くアクゼリュスも、あの人は真っ直ぐ見ていました。あの目が、俺は、……とても怖かった」
剣の柄を握り締めて震える子供から、ジェイドはすいと視線を外した。
そして硝子越しに見える紫色の空を見ながら、呟く。
「……まぁ、彼は貴方とは相容れないかもしれませんね」
七年も弟子として育てたのだ。情のひとつもわきそうなものだが、ヴァンは迷いなくルークを切り捨てた。
何が目的かは知らないが、あれを覚悟と人は呼ぶのだろう。
そしてその覚悟というやつは、リックには到底理解できないものであるはずだ。
「ジェイドさん」
つきかけた四度目の溜息を飲み込んだジェイドの耳に、微かな声が届いた。
「“俺たち”は、居ちゃいけなかったんでしょうか」
その言葉に再びリックへ視線を戻す。
ここからは頭頂部くらいしか見えないが、きっとこの足りない頭で恐ろしく足りない事を考えたのだろうと見当をつけつつも、少し驚いていた。
彼自身が今まで気にかけたこともなかったような“存在意義”を揺るがせるほどの、何か。
威厳だのオーラだのと安っぽいことを言うつもりはないが、あのヴァンという男には それがあるというのか。
個の意思すら吹き飛ばす、強烈な、何かが。
「…………」
体を小さくして震えるリックを今一度見やって、ジェイドは浅く溜息をついた。正真正銘 四度目の溜息だ。
「貴方たちが存在してはいけないというなら、フォミクリーを生み出した私も産まれるべきでは無かったんでしょうね」
おもむろに、しかしわざと相手に聞かせるようにして呟けば、リックが勢いよく顔を上げる。
とうに泣いていたらしい彼は その涙の量をさらに増やして、ぼたぼたと号泣し始めた。
「なんでなんでなんでそんな事言うんですかジェイドさんー! ダメですよ! ジェイドさんはいなくなっちゃダメですよぉおおうおう!!」
うっざ。
足にすがり付いて泣き喚くリックを素早く振り払って、背を向けた。
ユリアシティ。
幻想的でありながらどこか無機質な印象を受けるこの街をその目に映しながら、まだ背後で泣き続ける部下に溜息をつく。五度目だ。
「まったく、それならそんな似合わない事を言わなければいいんですよ」
そう言うと、少しの間のあとに「はい」と戻ってきた返事は情けないことこの上ない声色だった。先ほどの感情を押し殺した物言いは見る影も無い。
本当に、まったく。
馬鹿は馬鹿らしくしていてもらわないと。
(私まで落ち着かない)
通算六度目の溜息は、ほんの少しだけ柔らかいものとなった。