空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken-   作:甘味RX

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空白のひとつき編
Act43 - それは僕がおかした罪のはなし(前)


 

 

 帝都グランコクマ。

 

 どれだけ扉や窓を硬く閉ざそうと、またの名を水の都と呼ばれるこの街では、どこからか微かな水音が届く。

 

 絶え間なく鼓膜をくすぐる流れに、執務机に腰を下ろした彼は赤い目を細めて、書きかけの書類から顔を上げた。

 行き場を無くした万年筆の先が、所在無く揺れる。

 

「…………」

 

 そして静寂の満ちた空間にひとつの溜息が零れた。

 

 どこか重いものが詰め込まれたそれと、まるで呼応するように表の水音が一瞬止んだような錯覚を覚えたとき、控えめなノックの音が部屋に響いた。

 

「どうぞ」

 

 すぐに顔つきを仕事用へ切り替えて入室を促す。

 そして間もなく扉を開けたのは、馴染みの顔だった。

 

「よっ」

 

 ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。

 人好きのする気安い笑顔を浮かべて入ってきた彼の腕には複数のファイルがある。

 

 おそらくまた誰かに使われたのだろう。

 とっつきやすいがゆえに使われやすくもあるようだが、それをさほど苦に思っていないあたりは、長年に渡る使用人生活の副産物だろうか。

 

 しかし書類届けは単なるついでで、本来の目的は別にあるらしい。

 ガイは執務机の上にファイルを置くと、にやりと笑って告げた。

 

「旦那、ピオニー陛下がお呼びだぜ」

 

 それを聞いて、赤い瞳がうんざりと伏せられる。

 あの皇帝が、また何か思いついたのだろうか。

 

「私は今忙しいんです」

 

「さほど忙しそうには見えないけどな」

 

 まるでさっきまでの様子を見ていたように軽く言うガイに、彼は少し強く溜息をついた。

 

「忙しいですよ。 あの任務に出ていた間の仕事が溜まりまくってるんですから。どうでもいい用事ならリックに、」

 

 言いかけて、彼は はたと目を見開いた。

 それから赤い目を緩々と細めて、苦笑する。

 

「ああ、そうでしたね、彼は……」

 

 水のせせらぎが、やけに哀しく聞こえた。

 また重い沈黙が場に落ちる。

 

 ガイは気まずげに頭をかいた後、静かに向き直った。

 

「ジェイド、」

 

「いえ、悪い冗談です。忘れてください」

 

 しかし彼は掛けられようとした言葉を遮るように首を横に振る。

 そして窓のほうに向けられてしまった赤の視線。

 

 今度空気を揺らした溜息は、ガイのものだった。

 

「……なぁ、もう忘れろよ。あんたがいつまでもそんなんじゃ、可哀想だろ」

 

 顰められた空色の瞳を見返して、彼は微笑みながら再度首を振る。

 

「そうはいきません」

 

「だけどな、ジェイド……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいもう許してくださいジェイドさぁんんん!!!」

 

「リック泣いてるしさ」

 

「いえいえいえ、何を仰いますか。そんな人間いませんよアッハッハ」

 

 外殻大地降下の騒動から一週間、俺は進行形で大佐に苛められていた。

 

 あのあと、降下が成功したことを喜ぶのもそこそこに、アルビオールでグランコクマに直行することになったという。

 

 それというのも俺が考え無しに飛び出してヴァンにサクッとやられてしまったからで、疲労困憊のティアさんやナタリアにさらに治癒術を使わせ、ルークがちょっとパニックでガイが大変で、グランコクマで俺を医療班に引き渡してもうどさくさで解散というなんとも慌しい別れになってしまったらしい。

 

 ただの一般兵士がおこがましい、と自分でも思うが、大佐にもその旨を笑顔で怒られた。というか怒られてる。

 

 ガイいわく動揺してしまったのが照れ臭いんだろうとのことだけど、本当に照れ隠しならもうちょっと平和なものがいい。せっかく生還したんだから、俺としてはそろそろ忘れて欲しいところだった。

 

「つーかリック、お前本当に仕事してていいのか?」

 

「簡単な事務だけだから……」

 

 さきに述べたとおり、ティアさんとナタリア、そしてマルクト軍医療班の必死の治癒術で腹部の傷はふさがった。でも表面をくっつけただけなので、しばらく動き回るのはおすすめしないとの事だ。

 

 剣身は確かに腹部を貫通していたにも関わらず俺が助かったのは、ティアさん達の治癒術が高度だったことももちろんだけど、経過を診てくれた医療班の人が言うところによれば傷口がとてもきれいだった事にあるそうだ。だから譜術による組織の復元が早かったんだとか。

 

 よくこれだけ綺麗に刺されたもんだ、となぜか俺が褒められたりしたけど、刺した相手を思えばそれも当然だろう。でも恐ろしいほどの実力差のおかげで助かったっていうのは少し複雑だ。

 

「というか、大佐、俺本当にここでいいんですかぁ?」

 

「良いと言ってるでしょう」

 

 そして完全に傷がふさがるまでの間、俺は大佐の事務補佐をすることになった。

 それは一向に構わないけど、場所に問題があるというか、一応快適ではあるから無さ過ぎるというか。

 

「その代わりしっかり働いてもらいますよぉ」

 

「……はい」

 

 俺の口調をまねて返された言葉と、付属の笑顔にこくこくと頷く。

 

 普段、ほとんど陛下専用と化している執務室の大きなソファ。

 恐れ多くも俺はそこで横に、あるいは座りながら、仕事をさせてもらっていた。

 

 とりあえず軽く動けるようになるまで兵士寮に引っ込んでようかと思ったのだが、大佐がここでいいと言ってくれたのだ。

 ほぼ一日中同じ仕事が出来るのは嬉しいが、ちょっといたたまれない。

 

「ははぁ、なるほど」

 

 ガイが意味ありげに呟いて、めずらしく意地が悪そうに笑いながら大佐を見る。

 だけど大佐は書類から顔をあげることはなく、黙殺体勢だ。

 

 少しして、柔らかく苦笑を零したガイが話を本題に戻す。

 

「で、陛下が呼んでるんだけど」

 

「待たせなさい」

 

 一刀両断。

 さすがですジェイドさん。

 

 

 

 

 ガイが大佐の言葉を伝えに出て行ってから数十分。

 

 ちょっと傷が痛んできたような気がする、と俺がぼんやり考えた瞬間、「横になってなさい」と見計らったように響いた大佐の声。

 

 どうして分かったんだろう、いや大佐だから、といつものやりとりを脳内でかわしつつ横になって書類を見始めたのが数分前。

 

 そして現在、俺は意識が朦朧としてきていた。

 いや、改めて死にそうだとかじゃない。眠い。

 

「別に寝ても構いませんよ。それで作業効率を落とすより、仮眠を取ってまた始める方がよっぽどはかどりますから」

 

 おそらくデータから目を離さないまま告げられたのだろう大佐の言葉すら、何だかすこし遠くに聞こえた。

 しかし体はそれを合図にしたように、書類を持ち上げていた腕をぱたりと落とす。いつもならこれくらいじゃ眠くならないから、やっぱり怪我のせいだろう。

 

 落ちる意識と、昇る意識。

 現実と夢の狭間でそれらが交じり合っていく。

 

 ぼんやりし始めた頭で、落とした腕を再び持ち上げ、目の上に乗せた。

 

「……ジェイドさぁん、おれ、今回の旅で痛感したんですよぉ」

 

 ぱらり。書類をめくる音。

 

「俺は、あのひと達にすごく残酷なことをしたんですねぇ。すごくすごく傲慢なことを考えていたんですねぇ」

 

 微妙にろれつが回っていないことにも気付かずに、眠たい頭のまま言葉を紡ぐ。浮かんだのは苦笑だった。

 

「どうせ同じなら僕でもいいじゃないか、なんて、……馬鹿でしたねぇ。同じなんかじゃ、なかったんですね」

 

 自分が口に出して喋っているのか、頭の中で考えているのか。

 それすら分からなくなってきた。少しずつ回転が遅くなっていく。

 

 かち、と万年筆がインク壷に付けられる音。

 

「気付くのが、遅すぎましたよねぇ……ホント、ぼく、バカだなぁ」

 

 そこで初めて、大佐が小さく息をつくのが聞こえた。

 溜息というほどでもない、もっとささやかなもの。

 

「もう寝なさい。傷に悪いですよ」

 

 続いた声の柔らかさに、安堵を覚える。

 

「はぁいぃい……」

 

 それがどれだけめずらしいものかを認識する間もなく、俺の意識は完全に昼下がりのグランコクマへ融けていった。

 

 

 

 

 ほどなく聞こえてきた寝息。

 ジェイドは扉のあたりで立ち尽くす人物に向かって肩をすくめた。

 

「いやぁ、お休み三秒ですね」

 

 入りかけた体勢のまま止まっていたガイが、そろそろと中に入ってくる。

 なんとも間の悪い男だ。まあ、この場で気まずいのは彼だけだろうが。

 

「今、リックのやつ俺に気付いてなかったよな?」

 

「おそらく。随分意識が混濁していましたしね」

 

 あの寝ぼけ具合では、ノブが回る音にも気付かなかっただろう。

 

 なにせ自分の一人称すらごちゃごちゃだったのだ。

 そういえば軍に入る前までは「僕」と言っていただろうか、と懐かしい記憶を呼び起こすジェイドの傍らで、ガイがすっと姿勢を正す。

 

「聞かなかったことにしたほうがいいか?」

 

 賢い青年は、静かな顔でそう言った。

 そうだといえば彼はすぐさま記憶に蓋をしてみせるに違いない。

 

 だが、ジェイドは首を横に振った。

 

「いえ、いいでしょう。本人が特に隠したがっていたわけでもないですしね」

 

 まあ、人生最大の失態だとは思っているだろうが。

 するとガイは何か思い起こすように顎に手を当てた。

 

「リックのやつ、アブソーブゲートで何か言ってたよな。あれと関係あるのか?」

 

「あなたもよく覚えていますねぇ」

 

「それ以外にもちらほらと、思い当たる節があってね。……差しさわりなければ、聞いていいか?」

 

 失言の多い子供だから、それらしいことを漏らしていたとしても不思議ではない。

 なら自分が隠しておく事もないかと苦笑する。

 

 それに、この人のよすぎる男ならあの子にとって問題もあるまい。

 全てを知らなかったころに、憎んでいたはずの仇の息子を許してしまうあたり、根っからの世話焼きに違いないのだから。

 

 半端に持っていた万年筆を置いて、膝の上で指を組んだ。

 窓の向こうに見える青い空を眺め軽く息をつく。

 

「……さて、どこから話しましょうか」

 

 

 それは、連鎖した罪の話。

 

 

 

 

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