空飛ぶ にわとり -The Flying Chicken- 作:甘味RX
引き続き大佐の事務補佐中、いつもの調子で書類の山を持ち上げたら、傷口がバッツリ開きました。
そうしたら、ソーサラーリング化した人間は執務室には要りません、と大佐に怖い笑顔でバッサリ斬られて追い出されてしまった。穴がですか。腹に穴だからですか。
しかし「医務室のベッドは死にそうな奴のもの」を信条にする医務室長は穴が開いたくらいじゃ寝かしてくれないだろうから、傷だけ治してもらったら寮部屋に戻ろうと足を踏み出した。
そんなこんなで俺は今、宮殿にある部屋のベッドの上にいる。
自分でも話が繋がってないと思うが、そのときちょうど遊びに来ていた陛下に、恐れ多いことにこの一室を貸し出されてしまったのだ。
兵士としての生活に慣れたせいか、はたまた生まれつきの性質なのか、豪華な感じがとてもこそばゆい。
ここまで案内してくれたメイドさんも「なんかリックと高級な部屋って似合わないわね」と面白そうに笑っていたっけ。俺もそう思います。
しかしこんなにゆっくりしてていいのだろうかとベッドに入りながら心配になったとき、思い出したのはノワールのことだった。
今の自分に、できることをやる。
確かにソーサラーリングと張り合うことすら出来ない俺じゃ、大佐の役には立てない。じゃあそんな俺にできることはなんだろうか。
考えて考えて、思い至る。
そうだ、今の俺にできること。
休むこと。
しっかり休んで、はやく怪我を治すこと、だ。
そうすれば大佐のお手伝いだって、陛下やブウサギとの追いかけっこだって出来る。
ベッドの上で上半身を起こしたまま、よし、と拳を握った。
早急な仕事復帰のためにも気合を入れて休もうと決めたところで、ふと気付く。
なんとなくこの部屋が懐かしいようなと思ったら、生まれたてのころの俺がいた部屋だった。
ああだからわざわざここを指定したのか、と陛下の行動に今更ながら納得してから、枕元の本に目をやる。
少ない給料でこつこつ買いためてきた数冊のうち、一番上に置いてある若草色の装丁がなされた一冊の本を手にとって、開く。
もう幾度となく読み返したせいで、頼りなくなってきた紙を丁寧にめくる。
読んでいる場所を指でなぞり進めていたが、途中でぴたりとその動きを止めて、深く溜息を吐いた。
内容なんてとうに覚えきってしまったのに。
後一歩踏み出せない己の情けなさにまた溜息をついたとき、部屋に響いたノックの音にびくりと身を震わせる。
「リック、起きてるか?」
続いた声を聞いて、俺は慌てて読んでいた本を閉じ、布団の中に放り込んだ。
そして枕元から別の本を取って適当に開く。
「ど、どうぞー」
声がちょっとよれたのは仕方ないとして、やがて扉を開いて入ってきた青年になんとかいつもどおりの笑みを向けた。
「よう。具合はどうだ?」
さわやかな空色の目を細めて笑ったガイは、軽く手を上げて答えてくれる。
陛下か大佐に聞いてお見舞いに来てくれたのだろう。
その心遣いと、慣れた顔に会う嬉しさに俺ももう一度笑みを浮かべた。
「平気平気。傷はもうくっつけてもらったから、念のため」
「そっか、そりゃ良かった」
すると安心したように息をついてくれたガイは、そのあとふいに表情を明るくした。
あ、と言って手の平に拳を打ち付ける。
「お前、なんか食いたいもんとかあるか?」
そして告げられた言葉をじっくり考えて、理解した瞬間、勢いよくベッドから身を乗り出した。
「ガイが作ってくれるのか!?」
俺の反応の良さにちょっと苦笑して、彼は続ける。
「シェフ並とはいかないけどな。それでよけりゃ」
「良い! 良いです! お母さん!」
「お……。で、何が食いたい?」
一瞬こちらの言葉に固まったガイだったが、すぐ気を取り直したようにそう言った。
俺はその言葉に考えるまでも無く答える。
「ガイが作ってくれるならなんでも!」
あと少しで拱手もしそうなほど元気よく声をあげた俺を見て、ガイがふと大人の顔で微笑む。
そして寝台の脇にある椅子へ腰を下ろしたかと思うと、小さく首を傾げた。
細められた空色を不思議に思って俺も視線を返せば、ガイは静かに口を開いた。
おまえさ、と語りかけられる。
「いつも俺らの作ったもん美味いって喜ぶよな」
今度は俺が首をかしげる番だった。
「そりゃ、美味しいもん」
「ナタリアのも」
「……前衛的で美味しい」
あれでいて、いや、ああであるからこそ妙に冒険者精神の高い彼女が、食材節約のため道行くオタオタやらプチプリやら、果てはマンドラゴラまで調理しようとするのを必死というか決死の思いで止めたのも良い思い出だ。マンドラゴラは本気で駄目だと思うよナタリア。
「お前、自分で作るのだって俺たちの好物ばっかりだろ」
ガイはちょっと遠い目になった俺に苦笑してから、再び言葉を紡ぐ。
俺はそれにひとつ頷いた。
「みんなが嬉しそうだとすごい嬉しいからさ。……だからガイには大変申し訳なかったと思ってる」
カレーはさておきトウフばっかり出してごめんな。
嫌な食生活を思い出したのか瞬間表情をひきつらせたガイだけど、すぐ気をとりなおすように咳払いをした。
「それも本心なんだろうけどさ、ひとつも好物がないってことはないだろ?」
ガイが柔らかく目を細めた。
その空色に、そんなことは、と返そうとした声が消える。
サーモン、トウフ、チキン、エビ、リンゴ、イチゴ、チーズ。
みんなの好きなもの。ジェイドさんが好きなもの。
それが俺も好きだ。
みんなが嬉しそうに笑うから、みんなの好きなものが好きだ。
「お前ももう、自分の好きなもの、見つけてもいいんじゃないか」
だけど、体に優しく響いてくる声に、視線が泳ぐ。
もごもごと口ごもる俺を楽しげに待つガイの姿をちらりと見返し、やがて、ぽつりと呟いた。
「……クリームパフェ」
宮殿の豪華な部屋に、それは吸い込まれそうなほど小さい声だった。
正直口にした俺自身もよく聞こえないほどのものだが、目の前にいる大らかな男はしっかりと聞き取ったらしい。
寸の間嬉しげに笑った後、ふと眉間に皺を寄せた。
「それもジェイドが好きだからじゃないだろうな」
「い、いやっ! というかまぁそうなんだけど、そうじゃなくて、ええと……」
「ん?」
ただジェイドさんが好きだからと言ったら怒られそうな視線に、慌てて言葉を捜す。
確かにそれも一端かもしれないが、これだけは別にちゃんと、理由がある。それは本当だった。
「……昔、一回だけジェイドさんが作ってくれたんだ」
ぽつりと零したそれに、ガイが目を丸くした。
*
まだ俺がこの部屋で暮らしていたころのことだった。
確かそのときは陛下もいて、彼は俺の様子を見に来てくれたジェイドさんにこう言った。
「お前たまには自分の子供におふくろの味でも作ってやれよー」
今なら色々と突っ込み所もあるが、そのときの俺はただきょとんと二人の姿を見比べるだけだった。
「誰が誰の子供で、誰がおふくろですか」
ジェイドさんは顔を顰めてそう答えると、小さな溜息をついて部屋を出て行ってしまった。
俺はジェイドさんが怒ってしまったんだと思って、よく分からないけどオフクロノアジなんかいらないから、と慌てたし、なんで怒らせるようなこと言っちゃうんだ、と珍しく陛下に怒りの視線を向けた気がする。まあ半泣きだったけど。
そしていよいよ号泣しそうになったときに、ジェイドさんは戻ってきた。
なんだか不服そうな顔をしながら、手にしたトレイを俺の前に置く。
そこには見たことも無いほど美味しそうな食べ物が乗っていた。
クリームの上にちょこんと乗ったイチゴが、また特別な感じをかもし出していて、俺はすっかりそれに見惚れた。
「……食べないなら捨てますよ」
凝視したまま固まる俺に、いつになくぶっきらぼうにそう言ったジェイドさんと、食べたそれの幸せな甘い味が、いつまでも忘れられなかった。
*
そう考えるとやっぱりジェイドさんが、だから、なのかもしれない。
それでも店頭に展示されたパフェのディスプレイに人知れず見惚れていたということは、やはり好きなのだろう。まあ薄給だし、さほど執着はなかったから、それ以来食べたことは無かったけど。
それにしてもジェイドさん達以外で、何かが好きだなんて口にしたのは久しぶりだった。
「そうか。でも、そりゃ俺には作れないな」
話を聞き終えて、ガイはまた小さく笑う。
それがどういう意味か聞き返すより早く、彼は続けた。
「そうやってさ、少しずつ見つけてけよ。“リック”の好きなもの」
その言葉に、俺はなんだか照れ臭くなって頭をかいた。
そして熱い顔をごまかすついでに、軽く笑う。
「まあ、がんばってみるよ」
ガイがまた、目を細めて笑った。
「ところでリック、何読んでたんだ?」
ぎくりと震えた内心を押し隠し、今表に出ている本をガイのほうに向ける。
これも最近読んでいる本だから嘘ではないと自分に言い訳した。
「魔物辞典」
ガイが、なんでまた、と首をかしげる。
ああ、うん、本当に嘘ではないんだ。
つい最近買ったそれが、今は愛読書になってる理由もちゃんとある。
「もう陛下に騙されないためにそのいちです」
遠い目で、思わず敬語になった俺の向こう、ガイもまた切なげに目頭を押さえていた。