1話
大赦という組織は、数家の名家が多大な発言力を握っている。それは初代勇者を排出した『白鳥家』『土居家』『伊予島家』『高嶋家』『乃木家』の他、神世紀にてカルト集団を鎮めた『赤嶺家』、さらに『鷲尾家』『三ノ輪家』がある。そして、大赦内では『乃木家』と何代も巫女を排出する『上里家』が最も力を持っている。
長女かなたは巫女としての素質を高く持ち、中学生ながらに大赦での発言力も高く、その言葉の鋭さから彼女の聡明さが見える。そんな彼女にも大きな悩みというものがあり、その解決策を見出だせずにいた。
「おはようございます。かなた姉さん」
「……おはよう、
その悩みの種というのが、実の弟であるこの暁葉であった。彼が問題児というわけではない。むしろその逆で、彼はかなたに引けを取らぬほど優秀な人間だ。しかし、かなたが気づいた頃には、暁葉の立ち居振る舞いが変わっていた。年子の姉弟であるというのに、かなたに対して一歩引いた態度で振る舞っている。それは両親や他の人間に対しても同じ。暁葉がこうなってからというもの、かなたは一度も暁葉の素の笑顔を見ていない。
生活時間をずらされる、ということはなく。共に食事をし、会話も不自然に途切れることはない。ただ、暁葉が砕けた口調をしないだけだ。この日も共に朝食を取り、使用人達にお礼を言ってから屋敷を出る。かなたや暁葉は、他の人と同様に小学校へと通っている。大赦に行くのは放課後だ。正門前まで迎えの車がやってくる。
「かなた姉さん。中学校の生活はどうですか?」
「特に変わらないわ。教科の名前が変わったりするけど、大したことでもないし」
「そうなのですか?」
「そういうものよ。暁葉はどうなの? 最高学年になって、周りも少しは意識が変わってるでしょ?」
「たしかに変わった気はしますが、大きくは変わってませんね。皆さん神樹館系列の中学校に進むおつもりのようですから」
「……そう」
周りが変化したら、少しは暁葉も変わるかもしれない。そんな淡い期待をしていたかなただが、暁葉の
屋敷から先に着くのは、暁葉が通う神樹館小学校だ。かなたの母校でもあり、去年度には三人の勇者も通っていた。車が正門付近で止まり、暁葉が車から降りる。かなたと暁葉は手を振り合い、車はゆっくりと動き始める。暁葉が見えなくなったらかなたも視線を前に戻す。それを待っていたかのように、運転手が口を開いた。
「かなたお嬢様。少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
「実は、かなたお嬢様の悩みを解決できるかもしれない案件が、お一つございます」
「本当ですか!?」
思わず身を乗り出すかなたに、使用人はちゃんと座るように促す。かなたは取り乱した恥ずかしさを誤魔化すために咳払いし、どういう案件なのか聞き直す。大人顔負けの聡明さを持つかなたでも、なかなか思いつかなかった事だ。藁にもすがる気持ちで、ルームミラー越しに使用人を見る。
「我々の力だけでは限界があります。必要なのは外部の力。それも暁葉様に多大な影響を与えられるような人物」
「そんな方が……?」
「かなた様もご存知のお方ですよ。去年度、クラスは違えど同じ学び舎にいた方ですから」
「クラスは違えど……っ! まさか……!」
使用人が言わんとする人物を頭に浮かべ、かなたは驚愕を顕にする。たしかにその人物なら、暁葉に影響を与えられるだろう。何せ、あれだけ個性が強いのだから。
しかし、かなたには一抹の不安があった。それは、そもそもそれが実現するのかということ。その人物の性格なら、頼み事を断るとは思えない。問題はそこではなく、その人物の現状だ。今や最大の発言力を有するその人に、果たして暁葉のような一介の少年が会うことを周りが許すのか。唯一にして最大の障害である。
「実現可能なのですか?」
「その段取りを用意し、見込みが十分にあると判断したからこそ、提案させていただきました。既に先方の家には話をしております。協力してくださると、潔く受け入れてくださいました」
「あとは大赦に口出しさせないようにするだけ……。分かりました。あとは私の力で済ませます。お気遣いありがとうございました。他の者たちにも私の感謝の言葉を一足先にお伝えください」
「かしこまりました」
中学校に着き、かなたは改めてお礼を言ってから車を降りる。目の前の学び舎に足を踏み入れ、授業のことを考える傍ら、その案を実現するための手段を確認する。話を聞いた段階で、かなたの脳内には策が出来上がっていた。その策に穴がないか確かめ、焦ることなく実行するのみである。
その日の放課後、かなたは暁葉を連れて大赦内を歩いていた。いつもならすぐに別れ、それぞれの役割に専念するのだが、かなたはそれを後回しにしている。そんな事は初めてで、暁葉は怪訝そうにかなたの背を見つめるが、背から読み取れるものは何もなかった。ただ姉について行き、だんだん人気がなくなっていくことに眉をひそめる。
大赦という組織は大きいが、決して余裕があるわけではない。世界を滅ぼす敵バーテックス。それに対抗できるのは勇者のみ。そしてその勇者をバックアップするのが大赦の役目だ。神を相手取っているのだ。一日も余裕のある日はない。それ故にたいてい忙しなく職員は動き回る。こうして人気が少ない場所に来ることもない。しかし、かなたは迷うことなく暁葉を連れて、その場に踏み込んで行く。
「そろそろ私にさせようとしていることを、教えてくださいませんか?」
「そうね。先に話しておくべきだったわ」
かなたは背を向けたまま、暁葉にこれから担当させる仕事を説明する。曰く、それは大変名誉なことであり、失敗は許されないのだそう。もし失敗すれば、大赦内での立場がなくなるだけでなく、上里家の力も落ちかねない。
そんな大きな仕事を、なぜ任されるのか。暁葉の脳内でその疑問が踊り回る。そういう仕事をこなしてきたのは、他でもないかなたなのに。しかしかなたは、その疑問に気づいていながらあえて何も言わなかった。部屋の前まで案内し、暁葉の意志を確認する。
「どうする? 今ならまだやめられるけど?」
「……やります。かなた姉さんに任されたのですから、やり切ってみせます」
「そっか。じゃあ、今日から
「……はい?」
かなたが言っている意味を理解できなかった。かなたは嬉しそうに微笑むだけ微笑んで、来た道を帰っていく。自分の仕事に取り掛かるために。取り残された暁葉はしばらく逡巡し、自分の役割はきっとお偉方の接待なのだろうと当たりをつける。
扉を開け、部屋の中に足を踏み入れる。その部屋は物々しく、広い部屋に天幕付きの構造物があるだけ。まるで社のようだ。赤い灯りが部屋を薄暗く照らし、天幕の中だけが普通の部屋のように白い灯りに照らされる。暁葉はその手前まで足を進め、声をかけようとしたところで中から先に声が通ってきた。
「入っていいよ〜」
のんびりとした口調だ。声からそれが女の子の声だと分かる。若い声で、姉と変わらないぐらいではないかと予想を立てる。
「かしこまりました。失礼します」
天幕をくぐって中に入ると、そこにはやはり少女がいた。そして、これまたやはり普通ではない。全身に包帯が巻かれ、肌色は見えず、見えるのは可愛らしい左目と口のみ。点滴も打たれており、体を動かせないことが容易に分かる。よく見れば左腕や両足も見受けられない。想像を絶する事態に巻き込まれたのだろうか。
「へい! アッキィィ! 今日からよろしくぅぅ!」
「失礼しました」
暁葉は頭を下げ、足を引いて天幕から出た。
これが勇者乃木園子との出会いだった。