時が経つのも早いもので、冬の寒さはどこへやら。春のこぼれ日に芽を出す草花たち。暖かくなれば動物たちも活動を始めるというもの。あと一月もすれば蝶が花の蜜を吸う光景も見られるだろうか。
暁葉が6年間過ごした学び舎と別れを告げたのも、一月も前の話。エスカレーター方式で上がっていけるにも拘わらず、わざわざ別の中学校に通うことになる暁葉。それは黙っていたのだが、担任の教員がバラしたことでクラスメイト全員が知ることとなった。卒業式の日に暁葉のお別れ会まで開かれたことは、暁葉にとってもいい思い出である。本人は「そんなことをされるほどクラスにとけ込んでいなかったはず」と困惑したのだが。
4月から暁葉は中学生となり、讃州中学校に通うことになる。制服自体は届いており、暁葉が住むことになる部屋も確保済み。ひとり暮らしにしては大きいくらいだが、大赦が関わっている物件はそんなものばかり。
「中学校ってどんなことするのかな〜」
「算数が数学に変わり、HRという時間割ができると聞いています」
「かっこいい呼び方だよね〜。あっきーは準備大丈夫? 中1ギャップとかで躓かない?」
「ご心配には及びません。予習も始めております」
「そっか〜。でも心配してるのはそこじゃないんよ?」
園子の言葉に暁葉は首を傾げた。学校とは学ぶことが主たる目的であり、それさえ躓かなければいいと暁葉は考えているからだ。その不安を取り除くための準備をしているのに、他に何を心配されるのか。
「ひとり暮らしになるんでしょ? 寂しくないのかな〜って」
「その事でしたか。そちらも心配はいりませんよ。家事は一通り行えるようになりましたから」
「誰か使用人とかは?」
「つけませんよ。変に目立ちますし、勇者様に気づかれる可能性も出ますから」
「そっか……」
話し相手がおらず、たった一人で過ごすことの寂しさを、園子は身を持って知っている。元々一人でぼーっとすることが得意であった園子は、まだその事に耐えることができた。しかし、暁葉はそういう趣味を持っているとは聞いていない。初めは耐えられるかもしれないが、僅かな引っ掛かりが蓄積すればどうなるか分からない。
「私が部屋にいてあげようか? 祭壇を家に設置してくれたら行けるよ?」
「大丈夫です。そのような事をしてしまうと、園子様でも制限を課せられかねません」
「今以上に何を課せられるのかな?」
「……」
「ごめん、意地悪だったね」
僅かに顔を伏せた暁葉に、園子は視線を外して謝る。園子自身ではジョークとして済ませられることだったとしても、暁葉にとってはそうもいかない。暁葉は園子が体を動かせないことを、ずっと気にかけているのだから。
気まずい雰囲気になってしまう。暁葉にとってはそれも不味い状況だ。園子が気をつかって話題を出す前に、暁葉の方から話題を提供する。
「讃州中学で、学友ができるかは不安ですね。私は6年生でようやく学友ができたので、その半分の期間となると……」
「んー、それこそ大丈夫じゃないかな〜」
「と、申しますのは?」
「だってあっきーだから」
沈黙が広がる。
ふわりと微笑みかけて言われると、喜ばしいものではあるのだが、それはそれとして説得力に欠ける。園子がそう言うのだし、自分は何か成長したのかと振り返ってみるものの、暁葉その可能性を否定した。一年間を振り返っても、自分の成長を感じられないのだ。
「あっきーなら大丈夫だよ。私が保証する」
「なぜそう断言できるのですか」
「あっきーは変われてるよ? 気づきにくいだろうけど、私はそう感じてるから。それに、クラスに馴染まないように振る舞うわけじゃないでしょ?」
「それはもちろん、そうしますけど」
「だったらお友達できるよ。自信持って。真面目で優しいあっきーと、仲良くしてくれる人は必ずいる」
園子は迷わず断言した。暁葉の友達になる相手がいると。どんな人たちがいるのかも知らず、園子の知り合いだって一人しかいないというのに。なおかつその人物は園子と同年代、暁葉にとっては先輩に当たる。同じクラスになることはない。それでも、園子は暁葉の人柄を考え、友達ができると推測した。
園子にそこまで言われれば、暁葉も疑問を持たなくなる。きっとそうなるのだろう、と希望を抱いていく。ちなみに、暁葉は園子が言ったことをあまり疑いたくない、という心理も働いていたりする。未だに暁葉はその辺りの自覚がないのだが。
暁葉が小さく自信を持ったのを感じた園子は、見守るように一度目を細めてから次の話題へと移った。中学校から存在する放課後の活動についてだ。
「あっきーは何か部活入ろうと思ってる?」
「部活ですか。たしかに中学生になれば、それがありましたね」
「音楽が好きなら、吹奏楽部もありだと思うんよ〜」
「……園子様がコンサートを聞いてみたい、という理由でしょうか」
「さぁどうだろうね〜」
笑って誤魔化した。暁葉が言うとおり、暁葉が出演するコンサートを聞いてみるのも、楽しそうだと思っていた。園子は暁葉のピアノをまだ聴いたことがない。頼めば間違いなく暁葉は、この場にピアノを用意させて弾いてみせるだろう。しかし、それは望むところではない。聴くのであれば、正式な場で聴きたい。叶うのであれば、暁葉が仲間と共に演奏する姿を見たいのだ。
それを言ってしまえば、暁葉はそのために吹奏楽部に入るだろう。それは一番避けたいと園子は思っている。暁葉自身の意志で、入りたい部活に入ってほしいのだ。
「それで、あっきーは何部に入るか考えてる?」
「考えてませんでしたね。そもそも、讃州中学にどのような部活があるのかも存じていませんので」
「あはは、それもそうだよね〜。珍しい部活もあるかもしれないし」
「……一つありますよ。他の学校にはない部活が」
「え?」
園子は丸くした。たった今、何があるか知らないと言ったにも拘わらず、暁葉は讃州中学にだけ存在する部活を、知っているというのだから。それはいったいどのような部活なのか。園子は少し考えて、予想を立てた。複雑な思いとともに。
「勇者部。それが讃州中学にだけ存在する部活です」
「勇者部、か〜。偶然……とはいかないよね」
「はい。勇者の適正が最も高いお方や東郷様もおられますので」
「……わっしーもいるんだ。その部活、どういう活動してるかは知ってる?」
勇者たちの戦いはまだ始まっていない。それなのに、メンバーはその部活に集められている。先に集まっておき、親交を深めるのが狙いでもあるのだろう。しかし、本来の役目がないのであれば、表向きの活動が必要となる。部活という体をなすのだから。
「人の為になることを勇んで実施する。それが活動内容だそうです。勇者部宛に依頼が届き、それをこなしていくのだそうです」
「すごいね〜。具体的にはどんなことしてるの?」
「多いのは、浜辺や川原でゴミ拾いをすることだそうです。迷子の猫の捜索や近くの保育園で園児たちとレクリエーションをすることも多いのだとか」
「楽しそう〜。いいな〜、私も入りたいな〜」
「……きっと入れます。私はそう信じてます」
「うん、ありがとう。あっきー」
言葉に僅かながら力が入る。
神樹に捧げた体の機能は、戻ってくることがない。何かしらの可能性はあるのかもしれないが、大赦の研究でもその答えを見出だせていない。現状では「戻らない」という答えが固まっている。
暁葉は己の無力さを嫌というほど痛感する。園子の願いを叶えられず、それでいて園子に気をつかわせている。たった1歳の差。しかし歩んできた道は大きく異なり、その差が果てしなく遠く感じる。園子が浮かべる笑顔は、きっともっと輝かしいはずなのに、と。
「私は……新聞部があればそこに入ろうと思っています」
「新聞部?」
「はい。私の役目は、勇者様たちを見守ること。しかし勇者様たちに、私が大赦の人間だと気づかれてもいけない。自然な形で接触しやすいのは、おそらく新聞部のように話を聞いて回る部活だと判断致しました」
「……そっか。あれ? でも名前で…………まさかあっきー。名前を捨てるとか考えてないよね?」
暁葉は何も答えなかった。もちろん捨てる気は毛頭ない。上里家に生まれたこと、暁葉という名前をもらったこと。その事に暁葉は感謝し、大切に思っている。しかし、今回の役目を全うするには、今の名前では不都合なのだ。
部屋の空気が変わる。園子の雰囲気も変わり、彼女の機嫌を損ねたのだと暁葉はすぐに理解した。
「そんな指示、誰が出したの?」
「……個人は分かりません。私は決定を聞いただけなので」
「それなら上の人を呼び出せばいいのかな」
「園子様。私はこれでいいと判断しています。その方が都合がよいですし、鷲尾様の例もございます」
「──っ! ……それは……ズルいよ」
親友の名前を出されては園子も押し黙るしかない。「大赦内で勇者を探す」という習慣を守る結果、東郷美森は鷲尾家の養子となり、鷲尾須美を名乗っていた。彼女は勇者になるために、本来の名前を一度捨てたのである。今では一般人の中から探そうと方針が変わったため、鷲尾須美も東郷美森へと戻った。都合のいいことに、彼女は鷲尾須美として生きた記憶を散華で失っている。
それと同じパターンなのだ。その方が都合が良いから。ただそれだけの理由で、暁葉も名前を変えることになる。
「讃州中学では、下田凛という名前になります」
「……じゃあこれからは、りんりんかな?」
「いえ、園子様には、これまで通りあっきーと呼ばれたいです」
「え、ぁ、そっか〜。あっきーがそう言うなら、これからもあっきーって呼ぶね〜」
珍しく本音を聞かされた。これまでは言葉が業務的に平坦なものだったのに、今のは暁葉の願いが明確に言葉として表された。それを言ってもらえたことに、園子は胸に温もりを感じ、朗らかな笑顔を浮かべる。
それと同時に、少しばかり曇ったのを感じた。
「あっきーとはしばらく会えなくなっちゃうね。寂しいな〜」
いつも通り、ちょっと揶揄いの意味も込めてみる。しかしそれはできなかった。揶揄いのはずが、園子にとってそれはどこか本音に思えた。思わず心中を吐露してしまった。暁葉は気づくだろうか。気づいてしまったら、どれだけ恥ずかしく感じるだろうか。
「いえ、これまで通りここに来続けますよ」
「へ?」
やはり暁葉は気づかない。それでいて、嬉しい言葉を口にする。思わず頬が緩みそうになるのを、園子は必死に堪えた。暁葉が続きの言葉を口にするのを待つ。暁葉の言葉のニュアンスに、引っ掛かる部分があるのも事実だから。
「学校が終わり、部活がない日にこちらに来ます。週末と、あとは平日のどこかで」
「うーん、それは嬉しいんだけど。あっきー、
「…………え?」
やはり勘違いしていた。
暁葉は讃州市がどこにあるのか、把握していなかったらしい。部活を調べ、住居も手配済みだというのに。仮面を付けているが、その下ではキョトンとしているのだろう。容易に想像でき、園子はくすくすと笑いを溢す。
「今調べていいよ。スマホ出して」
「はい」
勤務中には、必要な時以外スマホを操作しない暁葉であるが、園子の指示となればそれに従う。ポケットからスマホを取り出し、地図アプリを開いて讃州中学校を検索する。数秒待ち、表示された箇所と現在地を確認し、その間の距離を見て固まった。
「ね? 遠いでしょ?」
「遠いですね……。では、毎週末に来ます。土曜日と日曜日、祝日があればその日も」
「熱心だね〜。宿題が多い時とか、部活があったらそっち優先。そこは約束だよ?」
「承知致しました」
会いに来てくれるのは嬉しいが、学業に支障をきたさせるわけにもいかない。大赦の一員ではあるものの、暁葉の本業は学生なのだ。よく学び、友情を育む。学校で楽しめることを、存分に楽しんでほしい。それが園子の願いだった。
「あ、私より先に勇者の人たちが、あっきーの顔知ることになるんだね」
「そうなりますね」
「なんか嫌だから、あっきー仮面外して」
「それは園子様のご命令でも聞けません。お諦めください」
「ぶーぶー」
駄々をこねられたら厄介だ。そうなってしまうと、大赦の規則を破らないといけなくなる。それは避けたい暁葉に、救いとも言うべきタイミングで、かなたから連絡が入る。帰宅の合図だ。
「かなりんに助けられたね〜」
「さすがに大赦内でこれは外せません」
「真面目〜」
「園子様。これから引っ越しや入学があり、次に来られるのはしばらく先となってしまいます」
「それは仕方ないよ。私はの〜んびり待ってるから、無理しないでね」
「はい」
園子に一礼し、暁葉は部屋を後にした。しばらくすれば、入れ替わるように大赦の人間が入り、夕食の時間となる。その僅かな時間の間、園子は一年を振り返ってみた。かなたの頼みから始まった関係が、随分と心地よいものになってる。
ほぼ毎日当たり前のように来ていた暁葉が、これからは毎週に変わる。胸の中で生まれた僅かな引っ掛かり。それが何なのか、園子にも分からなかった。
次回からは中学校に通ってもらいます。