席替えを済ませた金曜日の放課後。凛は早々に帰宅した。中学に上がってからは初めてになる本来のお役目。そのための準備を済ませて、すぐに家を出ないといけないからだ。連絡があれば、使用人が讃州市にまで迎えに来ただろう。しかしそれを凛は良しとしなかった。
2週間ほど過ごして把握した。この町の人間たちは、温かいのだが話が好きだ。それこそ噂話は広がりやすい。そんな町で迎えに来させてしまうと、たちまち話が広まってしまう。勇者たちに勘繰られてしまっては目も当てられない。それ故に、凛は大橋市で使用人と合流することにした。あの町には神樹館学校がある。上里家の車が走っていても疑問を抱かれることもない。
「この服を着るのも久しぶりに感じるな」
手元にあるのは大赦の制服と仮面。まだそれに着替える必要はないため、鞄に仕舞うのだが、2週間着なかっただけでも随分久しぶりに感じる。それほどにまで、凛が大赦の制服を着るのを当たり前だと思っていたからだろう。
駅まで歩いて移動し、電車に揺られること数十分。移動中は園子に聞かれるであろう中学生活の話のことを考えていた。
(クラスのことは聞かれそうだ。それ以外だと部活も。授業のことも聞かれるのかな。もしかたら、生活のことを聞かれるかも。……勇者部はどうだろうか)
ほぼ全て聞かれそうだと思った。この週末、その2日間のほぼ全てを園子との会話に費やすのだ。時間は十分ある。曜日別に事細かに聞かれる可能性もある。だが、勇者部のことだけは分からなかった。園子が気にかけていることは、凛にも分かっている。だが、どこまで知りたがるかは分からない。そもそも、凛だってある程度距離を取っているのだ。軽くしか知らない。
そして、凛には一つ引っかかりがあった。
(……憶測にしかならないけど……、聞かれたらそこも踏まえて話そう)
目的の駅に到着し、待ち合わせ場所にすでに来ていた使用人と合流。心なしかこれまで以上に待遇が良くなったのだが、久しぶりの再会に浮かれているだけだろう。凛も少しばかり、心が浮かれてしまっている。荷物を預け、後部座席へと入る。
「しばらく見ない間に、少し大きくなられましたな」
「いやいや、そんなすぐに変わらないでしょ」
「ははは、私はそうは思いませんがね。顔つきも変わられましたよ」
「お世辞ではないと受け取りますよ」
少しだけ言葉を交え、車が静かに発進する。今日は大赦に行かずに屋敷に直行する。明日土曜日から行くことは、かなたを通して園子に伝えられている。その際にかなたが園子に揶揄われたのを、凛は知る由もない。
しばらくして凛はふと気づいた。学校終わりや仕事終わりにいつも言われていることを、今日はまだ言われていないことに。特に指摘することでもないのだが、ルーティーンにもなっていたため、それが崩れるのもむず痒い。そんな凛に気づいた使用人が、ルームミラー越しに困った表情を見せながら言った。
「かなた様が、暁葉様に最初に言いたいのだそうです。もちろん本人はそれを口にしていませんが、そう匂わせるような言動があったもので」
「……なるほど。これは聞かなかったことにしますね」
「お願いします」
姉の思わぬ一面を垣間見た瞬間だった。それと同時に、風のことを思い浮かべていた。姉バカなところが多々見受けられるが、それも樹を大切にしているからこそ。姉の言動として参考にするには、少しばかり首を傾げる部分もあるが、その根底の心はかなたも共通してるだろう。
人のことをあまり言えない事に気づいた。かなたのそんな言動に僅かな困惑もあったが、それ以上に嬉しさが増したのだ。それだけ思われていることに。
「お疲れ様でした。お屋敷にご到着です」
「ありがとうございます。荷物は──」
「運ばせていただきます!」
「あ、はい。お願いします」
車から降りながら話していると、屋敷の前で待っていた他の使用人に力強く言われる。あまりにも強く言われたため、暁葉は首を縦に振る以外の選択肢がなかった。
荷物を任せ、使用人に先導してもらいつつ玄関から入る。そこまでしてもらうのは過剰だと思ったが、わざわざしてくれていることに口を挟めるわけもなく、ありがたく思うことにした。
「お帰りさない、暁葉」
「かなた姉さん……」
開かれたドアから目に入ったのは、飾られている価値の高い芸術品でもなく、豪華な照明でもなく、唯一の姉弟であるかなただった。まさかここで待たれているとは思っておらず、その行動力の高さに何とも言えない気持ちになる。
しかしそんなものは、かなたの笑顔であっさりと吹き飛ばされた。だから暁葉も、頬を緩めて言葉を発することができた。
「ただいま戻りました」
きっと挨拶としては硬いだろう。第三者が見たら眉を顰める。姉だと言いながら、その言葉は距離を感じるものだ。しかし、上里家の人間は誰もそう思わなかった。かなただけでなく、離れて見守っている使用人たちも。
それは、暁葉のその言葉に温かみが込められていたから。これまでは何も感じられなくなっていた言葉に、暁葉の思いが込められていることに感じた。表情は未だに硬いが、僅かに変化は出ている。それに気づけないかなたではない。
「夕食にしましょう。長旅で疲れたでしょ?」
「たしかに、少し慣れない疲れを感じます」
「ふふっ、何それ。疲れたとか、お腹空いたって言えばいいのに」
強がりなのか正直でないのか。硬い自分を崩そうとしないせいで、かえって妙な言い方になる。僅かな綻びとも言える変化に、暁葉自身は気づけていない。自分の心境の変化というものは、変わり始めている時には気づけないものなのだから。それが暁葉となれば尚更だ。
(きっと指摘しても認めないでしょうね)
そう考えると、頑固な部分もあるということか。それは思春期と捉えてもいいのだろう。このまま反抗期にも突入されると、本気で落ち込む自信がかなたにはあった。
暁葉の帰宅ということもあり、料理人がいつも以上に腕を振るった。豪勢にし過ぎると暁葉は良い顔をしない。上里暁葉という人間を、自分自身で低く評価しているからだ。約2週間ぶりの帰宅というだけで、そうされるような存在ではないと暁葉は口にしてしまう。
しかし料理人たちも使用人たちも、暁葉の評価を低くしたことはない。たとえ今の暁葉が演じている姿であっても、過去は変わらない。そして、その時から身についていた人の良さというものは、今になってもその根底に残っている。
「それならば見た目ではなく味付けで祝いましょう」
そう言ったのは、上里家の使用人としても、料理人としてもまだまだ経験の浅い新人だった。上里家内部では、上下関係の意識が緩められている。それは現当主の意向だった。
『大赦で気を張ってるから家では緩めにしたい。そもそも身内に気を張るのはどうかと思うのよね』
『え? 私達は働きに来てるから違うって? 何言ってるの? ここは上里家の屋敷で私の家。そこにいるのだからあなた達も身内よ』
そう言って決まった上里家内部での空気感。もちろん上下関係が完全に撤廃したわけではない。使用人や料理人たちはそんな当主を敬い、驕らないかなたと暁葉にも敬意を払っている。ただ使用人同士でのみ、上下関係が薄れるのだ。
『暁葉? あの子は思春期なのよ。度が過ぎない限り私は見守るつもりだから』
放任主義なところがある母親だが、子育てを放置しているわけではない。たしかに使用人たちに何度も協力してもらっているが、二人が10歳になるまでは自分の手で育て上げている。
暁葉が変わったのも目の当たりにしていたが、何も言及しなかったのも、自分が育てたという自負があるからだ。実のところ、暁葉はかなたや両親との会話すら避けようとしていた。それが行動に出る前に呼び出して指導した。その影響もあって、暁葉は言動に変化があるだけ、という状態に留まっているのである。
「久しぶりの実家の食事はどうかしら?」
「やはり美味しいですね。私の腕とは比べ物になりません。日々研鑽されてる証でしょうか」
「またそう言っちゃって……」
「ところで、今日の食事の味がいつもより美味いのですが、まさかわざわざそうしたのですか?」
空気が一瞬引き締まった。気が緩んでいたこともあり、かなたも動揺してしまっている。それらのことを統合し、料理人たちが腕によりをかけたのだと確信する。見た目に変化がないのは、そういうのを遠慮する暁葉を気遣ってのこと。
暁葉は使用人に声をかけ、料理人たち全員を集めるように指示を出した。かなたもそれを止めることはできなかった。今回の件だって、かなたは加担していたのだから。可能性は考えていた。暁葉なら、味の変化に気づくかもしれないと。いつも周りへの感謝を忘れない暁葉は、いつしか料理の感想を料理人たちに言うようになっていたのだから。
「お呼びでしょうか、暁葉様」
「はい。職務中にお呼びしてしまって申し訳ないのですが、あなた方に言わなければならないことができたので」
横一列に整列し、真ん中にいる料理長が一歩前に出ている。暁葉も椅子から立ち上がり、その前に移動している。身長差で暁葉が見上げる形となっているが、料理人たちは直立したままで、料理長も暁葉を見下ろす形になる。本来なら膝を折って視線を下げるところを、これも暁葉の意向で止めさせているのだ。
暁葉は使用人たちに順に視線を送り、正面にいる料理長に視線を戻した。
「わざわざ味付けを豪華にしましたね?」
「……お気づきになられましたか。さすがは暁葉様です。今回は──」
料理長の言葉を遮るように暁葉は頭を下げた。予想外の誰もが目を疑い、混乱した。なぜ暁葉が頭を下げているのか分からないのだ。目の前にいた料理長が、いち早くその混乱から抜けた。キャリアも長く、当主に何度も振り回されている経験がここで生きたようだ。
「頭をお上げください暁葉様!」
「いえ。私はあなた方に頭を下げます。ただ私が帰ってきたというだけなのに、わざわざ料理をいつも以上に豪勢にしてくださったのですから。お礼を言わずにはいられません。ありがとうございます」
「暁葉様……」
「あらあら、暁葉も少しは大きくなったということかしらね」
「母う──」
「暁葉?」
「ごめんなさい、母さん。お久しぶりです」
「そうね。話は食事をしながらで」
何の前触れもなく入ってきた母親こと上里葵に、この場の全員が驚かされる。いつもならあと1時間は帰ってこないのだが、今日は早めに帰ってきたらしい。そして、この手のサプライズは葵のお得意の手段だ。料理人や使用人たちに指示を飛ばし、料理を運ばせるだけでなくテーブルや椅子も増やさせる。どうやら全員で同時に食事を取ることにしたらしい。
『かなたと暁葉の食事が冷める前に全員席に着くこと』という時間制限も設けられ、さっきまでの雰囲気はどこへやら。大慌てで料理人と使用人が準備を済ませる。料理長だけは聞いていたようで、葵の分の食事も既に準備しており、人数分の食事も作らせていた。
そうして全員が席に着き、上座に座った葵が楽しそうに笑顔を浮かべ、かなたと暁葉、そして葵の幼少期から仕えている一部の人達は頬を引き攣らせる。
「さぁさぁみんなで食べましょ! それと暁葉。中学校の話を聞かせてもらうわよ。あ、授業参観とかあったら連絡すること」
「母さん。さすがに授業参観は控えていただかないと、私のお役目に支障が出ます」
「大丈夫よ。変装するし、バレてももみ消すから」
ニコニコ笑いながら言ってのける葵だったが、その言葉は本気だった。そして、授業参観の連絡をしなければ、本気で怒られるということも、暁葉は感じ取った。その隣でかなたも、授業参観の際は連絡をしなくてはと肝に銘じていた。
葵が本気で怒るという事態は、知っている人たちであれば全力で避けたい案件である。それは使用人たちも理解しており、大赦でも知られていることだ。ちなみに大赦内では、一度話に尾ひれが付き、怒らせた者は次の日に姿を消すと言われたことがあった。それは沈静化されたが、その際に当事者たちは確信した。次はないのだと。
「ところでお母さん」
「どうしたのかなた?」
「お父さんは?」
それは全員が思っていた疑問だ。両親共に大赦に務め、毎日行きも帰りも共にしている仲だ。それなのに今日は葵だけが先に帰ってきている。皆を代表して聞いたかなたに、葵は呆気らかんと答えた。
「大赦に置いてきた。仕事も押し付けちゃった」
「お父さん……」
次回は園子に会ってもらいます。