変化というものは突然訪れるものだ。それは予知できないものなのか。人類は科学でそれに臨んできた。気象情報や災害などが最たる例か。しかしそれはオカルトでも同じこと。今はその精度が確実なものになっているだけ。『神託』によって告げられるのだから。
だがそれを受け取れるのは巫女であり、ただの一般人である凛にはできないことだった。だからこそ、クラス中がどよめいたその変化に、凛も同じく驚くしかなかった。
「犬吠埼のやつ、声が出なくなっちまったのか……」
「音楽の授業で聴ける犬吠埼さんの歌、楽しみにしてたんだけどな……」
犬吠埼樹が声を失った。
その衝撃にクラス中が浮足立った。いつも落ち着いている凛も、こればかりは驚いてしまう。その理由を知っていても、衝撃は然程変わらないものだ。
クラスではその話で持ち切りになったのだが、それでは当の本人である樹にとって居心地が悪い。今の教室内の空気を変えなくてはならない。
それは、凛が行動する前にも変わった。いつも樹と一緒にいるクラスメイトが、勇気を振り絞ったから。教卓の隣に行き、皆に話を聞くように声をかける。少し待てば全員の視線が集まり、その子は両手を胸に当てながら声を発した。
「樹ちゃんの声は一時的なもので、いずれは治るってお医者さんが言ってるらしいの。だから、みんなでその時を待とう? 1日でも早く治ることを願って」
クラスに沈黙が流れる。失敗したのか。不安に襲われるも、それを阿田和が払拭した。
「よかった〜! 治るならまた犬吠埼の歌も聞けるな! これは2学期の合唱コンでも優勝狙えるぜ!」
「他力本願ですか」
「ばっかちげーよ下田。みんなで一丸になるんだよ! な? みんな!」
阿田和の言葉に次々と賛同の声が上がっていく。樹の声が治るということに安堵するだけでなく、話題自体も樹から2学期にある合唱コンクールへ。クラスの空気も変わり、樹もその友人もほっと息を吐く。
「合唱コンクールの前に、文化祭があるんだけどな」
「そういえばそうだった!」
オチも用意されていた。クラスが笑いに包まれ、今度は文化祭で何をするか、そもそも讃州中学の文化祭はどういう雰囲気なのか。話題がコロコロと変化していく。阿田和が黒板に『文化祭』と書き、クラスで何がしたいか案を出させる。ちゃっかり委員長も巻き込まれているのだが、楽しげに行われているため止める者もいない。
「犬吠埼さんの声が治るってのは、朗報だな」
「そうですね。夏休み中に治っていることを願います」
「だな。……その前に期末テストか……」
「難しい単元でもないですよ」
「お前はな!」
廣坂は別段勉強ができないわけではない。なんだかんだでクラスの平均以上の点数は取るのだが、勉強が苦手なのだと本人は語っていた。
二人で期末テストの話をしつつ、凛は樹の声のことを考えていた。凛は知っている。バーテックスの総攻撃があった事を。そして、風にも異変が起きていることを。
樹の声の異変。それが勇者の活動によって生じたことは明白。つまり、『散華』の結果声を失ったのだ。一時的に強大な力を振る舞えるようになる『満開』。その代償として体の機能が一つ失われる。それは『満開』の回数に比例する。満開が一度だけだったのは、まだマシだったのかもしれない。
(園子様……)
毎週会う園子のことを思い浮かべる。20回に及ぶ満開。その結果身動き一つ取れなくなった少女。彼女が未だに治る気配もない。治らないという考えが定着している。
それ故、樹の声も治らない。いずれ治る……それは秘密主義な大赦の配慮。凛の母親である葵は、この件にも眉にシワを寄せているだろう。
「下田?」
「はい? どうかされました?」
「いや、なんか上の空って感じだったから」
「すみません。考え事をしていました。一時的に声を失うというのは、声変わりみたいなものなのかと」
「お前って時々天然だよな。……女子って声変わりするっけ?」
どうだっただろうか。二人で頭を悩ませた。園子は出会ってから変わっていない印象がある。かなたも、声は変わっていないはずだ。二人を例にしてみても、声変わりしないという結論に至るのだが、凛は意見を固められなかった。数回園子に鈍感だと言われているから。
結局二人では結論を出せず、クラス担任が教室に入ってきたことでその会話は終わった。
その週の末日。暁葉は当然のように園子の下へと行くのだが、心なしかその表情は硬い。大赦に着けば仮面を付けるため、園子には見えないのだが、共に大赦へと向かうかなたには気づかれる。
「何か思い詰めてるようね」
「そういうわけではありません」
「散華」
「……」
「その話をするのでしょう?」
かなたに隠し事は通用しない。なぜなら、かなたはずっと暁葉のことを見てきたから。暁葉が個性を殺しても、暁葉自身の思いはどこにあるのかと観察し続けてきたのだから。多少なりとも柔らかくなった今の暁葉なら、かなたはほぼ確実に見抜くことができる。
「あなたの役割を考えると、彼女に全てを話す必要もないのよ?」
「そうですが、園子様は気にかけておいでです。隠すわけにもいかないのです」
バカがつくほど真面目な弟だと思った。大赦の一員であれど、園子の前ではその要素が薄れるというのに。暁葉が話さなくとも、話は別の人間から園子の下に届けられる。それでも話そうと言うのだから。
だが、同時に嬉しくも思った。「仕事の範疇です」と答えなかったから。以前ならそう答えていたのに、仕事として考えているのではなく、園子のことを考えて決めている。歯車と化していた暁葉に、人間らしさが戻ってきている証。そして、話すことに重く捉えているのではない。勇者部の面々が体の機能の一部を失ったこと。それが暁葉の表情を硬くしている。
(不謹慎ではあるけど、嬉しいと思ってしまうわね)
暁葉の首に手を回し、キョトンとする暁葉を引き寄せる。頭を胸に抱きかかえ、そっとその髪を撫でていく。
「決めたのならやり切りなさい。大丈夫。彼女は受け止めるから」
「……はい」
表情がマシになる。少しは姉らしいこともできた。大赦に到着し、かなたは軽やかな足取りで車から降りて先に行く。いつもより雰囲気が柔らかくなったことを、他の巫女たちは素早く見抜き、かなたから話を聞き出すのだが、それはもう少し後に起こる出来事。
暁葉も車から降りる。仮面をつけると意識が変わる。自己暗示の効果が表れ、憂いていた思いも晴れていく。
「園子様。今日はご報告があります」
だから最初にその話を切り出すことができた。
「報告? テストで赤点取ったとか?」
「テストはまだです。赤点の心配もいりません」
「あっきーは優秀だね〜。それじゃあ何の報告かな?」
「勇者部の件です。三好夏凜以外の四人が満開を使いました」
暁葉は真っ直ぐに言い切った。一切偽ることなく。
勇者たちが診察を受けた病院に行き、誰がどのような機能を失ったかも聞いている。結城友奈は味覚を、東郷美森は片耳の聴力を、犬吠埼風は左眼の視力、そして犬吠埼樹は声を失った。
「そっか。……うん、ありがとう教えてくれて」
園子の反応は簡素なものだった。ただその事実を受け止めた。それ以上の反応もなく、一度目を閉じてから暁葉に改めて視線を送る。
その視線は憂いを帯びていた。同じ勇者として、勇者部の現状を憂いているのだろうか。満開の説明はされど、散華の説明はされていないことに。
「辛いよね。
「……ぇ」
しかし違った。園子は離れた地にいる勇者部のことではなく、今目の前にいる暁葉のことを憂いていた。
その理由が分からない。暁葉何一つ失っていない。バーテックスの姿すら見たことがない。辛いのは勇者たちだ。まだ何も知らされていない彼女たちだ。そうだというのに、なぜ園子にそのような目で見られるのか。
「仮面付けてても分かるよ。あっきーの心」
見透かせる……わけでもない。表情も見えない。だけど、暁葉が苦しんでいることは分かる。真面目過ぎるほどに真面目で、優しい心を持っていることを知っているから。勇者たちの近くにいて、それでいて何もできないことに苦しんでいるのだと。
体を動かせたらいいのに。
せめて腕だけでも動かせたらいいのに。
叶わない願いだと知っていても、望まずにはいられない。
だから──自分にできるだけのことはしよう。
「あっきー、横に来て」
囁くように柔らかな声で呼ぶ。
「ベッドに上がって。私のすぐ隣に来て」
全てを優しく包み込むような表情。慈愛に満ちた声色。惹かれてしまう瞳。
魅了されてしまう。押さえ込んだはずの
「それは……」
脳が警告を鳴らす。個性を押し殺す理性が、それはいけないのだと止めに入る。この指示を聞いてしまったら、戻れなくなると。今までの関係が確実に崩れるのだと。
これまでの関係を壊すのか? 自分を崩してしまうのか? 固く決断し、築き上げてきた自分を。
「あっきー。休むことも大切なんよ?」
園子という引力に逆らえなかった。その言葉がダメ押しとなり、暁葉は園子の右隣に座る。鼓動が速くなるが、それもどこか他人事のように思えた。今が現実だという認識が薄れる。
「私の右手を握って」
言われた通りに園子の右手を左手で包み込む。マシュマロのやうに柔らかく滑らかな肌。しっとりとしていて、離したくなくなる。指の腹や手のひらで皮が固くなっている部分もある。勇者として活動していた際、武器を振るい固くなった部分だ。
「肩に頭を乗せて」
催眠術にかかっているように、暁葉は園子の指示に従い続けた。園子の肩に頭を乗せる。園子に寄りかかる状態になってしまうが、園子は何も言わなかった。自然と暁葉は瞼が重くなってくる。
「ぎゅーってしてあげられたら良かったんだけどね〜」
「いえ、そのような……」
「ふふっ、今日はゆっくり休んでいいんよ。お昼寝しよ」
その言葉に何も返すことができず、暁葉は押し寄せる睡魔に抗えずに眠りについた。暁葉自身が気づけていなかった心労。かなたも気づきはしたが状況からして手を打てず、園子に任せることにしたこと。それにすぐに気づいた園子は、暁葉を休ませることにしたのだ。僅かながらに役得だと思いもあるが。
「おやすみ、あっきー」