上里かなたは巫女として優秀だ。現代においてその素質は誰よりも高く、上里家初代当主にして巫女であった先祖、上里ひなたに並ぶ程ではないかと評価されている。しかし、その評価はあくまで巫女としてのものであり、彼女の手腕の評価となればそうとも言えなくなる。
かなたは、良くも悪くも優しい性格をしている。たとえ知らない人であろうと手を差し伸べる人物だ。それ故に慕われやすいが、善性を信じるが故に駆け引きを苦手とする。当主の座はまだ母親のものであるが、それもいずれは彼女のものとなるだろう。そうなれば上里家が今の地位を維持できるかが怪しくなる。
権威は常に維持されるものではない。その輝きを維持できるものが握るからこそ、偉大な権威は偉大なものとして存在し続けられる。それを上里家と乃木家は300年間維持した。多少の揺らぎはあっただろう。しかし、それが他家より下回る、もしくは並ぶということはなかった。乃木家と上里家は大赦内でツートップを維持し続けた。
(それが私の代になれば終わるかもしれない)
大抵の家であれば申し分ない才覚を持っている。しかし、そのハードルも名家であるほど高くなり、かなたは上里家のハードルを超えられる自信がない。『上里家』『巫女』という二つのブランド力。それによって今の自分は支えられている。『当主』という立場になった時、果たして自分は今のようにいられるのか。不安は尽きない。
「暁葉に譲ったほうがいいのかもしれないわね」
大赦内を歩きながらポツリと呟く。
弟の暁葉は何一つ素質を持たないことにコンプレックスを抱いている。自分の存在が邪魔なのではないかとさえ考え、失態を起こさないように慎重に行動するようになった。話し方から変えてしまい、他人との距離を維持するように。しかし、その振る舞いこそ、大赦内でのやり取りで必要なものだ。現に暁葉は12歳にしていくつかのパイプを持っている。
それがかなたには難しかった。巫女という立場から離れてしまえば、かなたはどこまでいってもただの少女だ。嘘を見抜くことを不得意とし、相手の話をすんなりと信じてしまう。疑うということを知らない。
「何を弟様に譲るのですか? かなた先輩」
「……聞こえていたの?」
「はい。あ、他の方は聞こえていなかったみたいですよ」
「そう。……気にしないで、私の問題だから」
「そうなのですか? あ、お話をしたほうが落ち着けるかもしれませんよ。私、聞かなかったことにしますから」
次期当主としては聞かれたくない弱音。それを聞かれてしまったこと自体に頭を抱え、今は一人になりたい。しばらく一人でいて、気持ちを切り替えたかった。
そんな思いが通じることなく、かなたのことを気遣って提案する後輩巫女。彼女には一切の悪意はない。そうした方がいいんじゃないか、という考えでの提案である。
「気遣ってくれてありがとう亜弥ちゃん。でも大丈夫だから」
「分かりました! では、弟様のお話を聞いてもいいですか? 以前から気になっていたので!」
かなたの眉がピクッと動く。亜弥の表情を見るにそこに他意など存在せず、単純にかなたの弟が、どういう人物なのかを知りたいだけらしい。
財宝でも見つめているのかと思うほど瞳を輝かせ、『聞きたい』という思いをありありと醸し出している。断りにくい空気を作られてしまった。本人からすればその気は全くないのだが。
「仕方ないわね。後で話すから」
「ありがとうございます!」
禊ぎを終え、巫女の修行を一通りこなした瞬間、亜弥は足早にかなたの下へとやってきた。巫女同士で仲が良いことは珍しくなく、かなたが誰かしらと話しているのは常だ。だが今日は他の巫女が珍しいものを見るように、二人に視線を注いだ。
亜弥が素早くかなたの下に向かったことが初めてだから。
亜弥はそれに気づいておらず、さっそく話を聞きたいと瞳で語る。しかしかなたは気づいており、これは面倒な方向に話が転がりそうだと直感する。
「なになにー? かなたに何聞くのー?」
「弟様のことです。お会いしたことがないので」
「あ〜! かなたって弟くんいたんだったね!」
「かなたさんの弟さんのお話ですか!?」
「聞きたいです!」
いつもなら各々自由に過ごす時間になったというのに、巫女たちはバラけるどころか、かなたの周りに再集合した。
「かなた先輩。それではお願いします!」
「亜弥ちゃんって実は鬼かな?」
「へ? おにぎりは好きですよ?」
天井を見上げる。この子に何を言っても無駄だ。善意によって行動し、天然が呼び水となってこうなっているのだから。
「といっても、この状態だとかなたも話しづらいわよね。みんな! 席につきなさい!」
「席なんてないわよね!?」
「かなた先生! 早く
「本当は聞きたいとも思ってないでしょ!」
「かなたせんぱ……先生! 私は聞きたいです!」
「最前列だもんね! それと言い直さなくていいから!」
横に5列。縦に3列でき、10数名の巫女が等間隔で正座してかなたに視線を集める。亜弥のように本当に聞きたがっている者もいれば、たんに面白がっている者もいる。
かなたは諦めたようにため息をつき、一度顔を伏せて気持ちを切り替える。
「皆さん、私語厳禁! 居眠り厳禁ですからね!」
「いやノリノリだねぇ!?」
眼鏡を装着し、ホワイトボードまで引っ張り出してかなたは暁葉のことを話し始めた。皆にイメージが付くようにするために、暁葉の似顔絵を書き、空いているスペースには昔飼っていた犬の絵。
「暁葉くんの絵と犬の絵の落差!」
暁葉の似顔絵は賞が取れるほどの腕前なのだが、かなたはそれ以外の絵を一切かけない。矢印で犬だと言われているから分かるものの、それがなければ妖怪である。
暁葉の幼少期や小学校に入ってからの話をし、それから暁葉が変わってしまった話もする。弟の話をそこまでしてしまっていいのか、と亜弥以外の全員が思ったが、かなたは止まることなく話し続けた。止めようとしたら睨まれる始末である。
(かなたって)
(もしかしなくても)
(ブラコン!)
(弟様想いなんですね!)
かなたへの見解が、亜弥以外の巫女の中でこの話によって一致した。
そうして話は今年のことになり、暁葉がとあるお役目についたというものだ。さすがにその内容までは話さなかったが、多少は想像できる。そして話がだんだん愚痴っぽくなり始め、今度は亜弥を含めた巫女全員の中で一致した。
((かなたがその人に嫉妬してる……!))
「かなた先輩はその方に嫉妬されているのですね!」
(亜弥ちゃぁぁぁん!?)
(言っちゃったよ! この子言っちゃったよ!)
(私達でも抑えてるのに! 亜弥ちゃん。恐ろしい子!)
かなたの弟話は、亜弥が核心をついたことで終わりを告げた。
かなたは巫女を除いた場合の人脈が多いとは言えない。決して少なくはないが、意見が割れた際に優位に立てるほどの繋がりが一歩足りないのだ。
「かなた様。少しよろしいでしょうか?」
「はい。どのような話ですか?」
そのうちの一人が、かなたに話を持ってきた三好春信だ。暁葉を経由してかなたも繋がりを持ったのだが、今では暁葉を経由する必要がなくなっている。年は大赦内でも若く、その手腕は高く評価されている。
「暁葉様から聞いているかもしれませんが、彼が讃州中学校に通うことになった件です」
「……どうやらあまり嬉しくない内容のようですね」
「…………彼は任務を与えられるそうです」
春信と暁葉の関係は極めて良好であり、そのために春信の耳には暁葉の話が届きやすい。その関係で園子の情報も時偶入るのだが、だいたい大赦が振り回される時の話だ。
ところが、かなたには暁葉の情報が入りにくい。暁葉に関係する良い話などは届くのだが、悪い話は出来過ぎているほどに入らない。巫女たちが暁葉のことを全く知らないのもその影響だ。
暁葉本人もまた、かなたには自分の身に起きる厄介話をしない。
かなたにとって、余計な情報だと考えるから。
「勇者たちに大赦の人間だと気づかれることなく監視すること。それが彼の任務になるそうです」
「…………、……っ! 暁葉はそれに納得したというのですか!?」
「はい」
ふらつきそうになるのを耐える。
暁葉ならたしかに承諾するだろう。仕事だからと。それが必要なことならと言って。
──たとえそれが自分の名を捨てることになっても
(鷲尾須美という前例が直近にいる……! だから暁葉も……いえ、いなくてもあの子は……)
「園子様は何か言っておられましたか?」
「……本人が行くと行ったのなら止められない、と」
「そうですか……」
「今の役目は継続するそうです」
「分かりました。私も納得しないといけないのでしょう。母が止めていないわけですし。……ところで暁葉は今日は?」
すぐには納得できない。おそらくは暁葉と向き合って話をしないと感情を処理しきれない。それがかなたの弱みだ。公私を完全には分けられない。特に身内のこととなれば。
それを一旦後回しにし、話題を変える。
「園子様にハロウィンを楽しんでいただく、とだけ」
「……そうですか。私の誘いを断っておいて……へー」
暁葉がそうすることは予想できた。だから、家に帰ってからハロウィンを楽しもうと、かなたは誘っていたのだ。それすら断られてしまったわけだが。
(嫉妬しておられる……)
分かりやすく拗ねるかなただったが、春信は何も言わないことにした。その選択は正しかったと言えるだろう。
かなたも、無意識のうちに頬を膨らませてしまっているのだから。
終わらないものは存在しない。
変わらないものはない。
しかしかなたには、突如カウントダウンが始まったように思えた。