よろしくお願いします。
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偉い人が言っていた。
曰く、人生とは選択の連続らしい。
確かに僕らは、ずっと選択を強いられてきた気がする。毎朝、学校や会社へ行くのだって「行く」と「行かない」という選択肢の中から、前者を選び抜いているわけだから。天秤の傾きが緩やかになればなるほど僕らは大きな選択を強いられている気がしてくるけれど、傾きが急であったところでそれが選択なのに変わりはない。
だから僕は名前も知らない「偉い人」へ、全くもって同意を示す所存なのだ。
──ただ一つこの言葉に苦言を呈するとすれば?
そんな意地悪い質問がなされた時のことを考えてみる。
僕はもちろん、偉くない。世界なんてこれっぽちしか見たことないし、それだけで全てを知ったような気になる小心者だ。それでも、ほんの少しだけ特別な経験をした僕が、かの名言に苦言を呈するとすれば。僕はきっと、自分の世間知らずさをわきまえながら、恐る恐るこう口にするだろう。
──選択を強いられるのは、別に「人」が「生」きている間だけじゃないんだぜ。
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別にポーカーフェイスを気取っているわけではないが、感情を顔に出す方じゃない。そんな僕も、流石に驚きを隠せなかった。
視界に広がるのは、青々しい碧をした空。眼球をひねるようにして視界の隅の方へと視線を向けると、人影が一つあった。彼とは、良好な縁を築けていると思っていたが、──彼の表情と僕の現状から見るに、その限りじゃなかったらしい。
話は一旦、小一時間前に戻る。
学校からの帰り道にいた僕は、その彼に歩道橋の上で話しかけられた。内容は、彼の好きな娘が僕を好きになってしまったとか、そういうどうでもいいものだった気がする。しかし彼にとってその話はどうでもよくなかったようで、生返事の僕へ激情にかられた彼は、ついに歩道橋から僕を突き落としたのだ。
選択を誤ったらしい、というのに遅ればせながら気づいた僕は、そのまま、呆然としながら落ちていく。
ぐちゃ、という音は、多分僕が潰れた音だった。
次に僕が目を覚ましたのは、残念ながらこの世ではなかった。かといって、あの世でもない。
「ここはあの世へつながる世界だよ」
気持ち良さそうに扇子を扇ぐ「天使」が、ソファに横になってそう言った。なぜ「天使」か分かるかといえば、真っ白な翼に頭上の光る輪っかという、いかにも「ぽい」格好だったからだ。
「ここはね。突然死んじゃった人たちの未練を満たしてあげるところなんだ」
「……胡散臭い」
「でも、嘘じゃないんだな」
「天使」は、それだけいって口を閉じた。
仕方がないので、僕は未練について考え始めることにした。
──例えば、彼と喧嘩したままというのは未練だろうか?
そもそも、僕を殺したのは彼なのだから、彼へ抱く感情は未練というより憎しみだ。
──なら、彼の話をちゃんときいいてあげなかったのが未練というのは?
もう一度聞いても、僕はすぐ飽きて眠ってしまうだろう。
──だったらいっそのこと、死んでしまったこと自体が未練なのでは?
将来になんの希望も抱いてなかった僕が、死んだことに未練を感じるはずないじゃないか。
──じゃあ……
Q.女の子と付き合った経験がないことは? A.特に気にならない。 Q.やり残したこととか? A.特にない。 Q.なりたい夢は? A.特にない。 Q.会いたい人は? A.特にいない。 Q.友達に別れを告げていないことは? A.特に気ならない。 Q.親に別れを告げてないことは? A.特に気にならない。 Q.せっかくやっていた大学受験の勉強が無駄になることとかは? A.大して受験に熱心だったわけじゃない。 Q.誰かに伝え忘れた伝言とか? A.特にない。
A.特にない。 A.特にない。 A.特に気にならない。 A.特にない。 A.どうでも良い。 A.特にない。 A.特にない。 A.特に気にならない。
──A.特にない。 A.特にない。 A.特にない。 A.特にない。……
「どうやら僕はさ。なんの未練も浮かばないような、くだらない人生を送ってきたことに、未練を感じるみたいだ」
思えば、適当に曖昧に生きてきた。
吐いた息と周りの世界の境界くらい、曖昧な人生だったと思う。取れる選択肢を天秤にかけて、一番障りのない選択をしてきた。
空気を読みすぎた。……それ自体を間違いだとは思わないけれど。
実際に、一度空気を読まない選択をしただけで、僕は歩道橋から落とされたわけだから。
それでも、全然違う生き方もあったのかもしれない。そう思う。
「もっと自分のやりたいように生きてみる人生も、あったのかもなあ」という僕の言葉に、
「……なら、ちょうど良いね」
「天使」が笑みを浮かべた。
「ここをまっすぐ歩いていったら、その先には自分のやりたいように生きる人生があるんだ。逆にここをまっすぐ戻っていったら、その先には周りの空気に合わせて生きる人生がある」
「天使」が、二つの方向を指差した。薄暗い部屋に、二つの道ができていく。
僕は少しだけ、悩むそぶりを見せた。話の流れ的には──ここで空気を読むなら、きっと僕は、後ろを振り返らずに歩いていくべきなのだ。
けれど僕は、後ろを振り向いた。
「
「あぁ。僕は、もう空気に流されないって決めたんだ。今までの流れ的には、新しい人生を受け入れるべきなんだろうけど、……でも僕は、結構今までの人生を気に入っててさ」
意思の弱い僕にとっては、適当に同調する人生こそ楽で良い。
だから、この雰囲気に流されずに、周りに流されて生きる人生を選び取るのだ。
気持ち良さそうに扇子を扇ぐ「天使」が、またね、と言った。
僕は、自分のやりたい気持ちに従って、後ろの道を進んでいく。
……
…………
………………
偉い人が言っていた。
曰く、人生とは選択の連続らしい。
確かに僕らは、ずっと選択を強いられてきた気がする。毎朝、学校や会社へ行くのだって「行く」と「行かない」という選択肢の中から、前者を選び抜いているわけだから。天秤の傾きが緩やかになればなるほど僕らは大きな選択を強いられている気がしてくるけれど、傾きが急であったところで、それが選択なのは変わらない。
だから僕は名前も知らない「偉い人」へ、全くもって同意を示す所存なのだ。
──ただ一つこの言葉に苦言を呈するとすれば?
そんな意地悪い質問がなされた時のことを考えてみる。
僕はもちろん、偉くない。世界なんてこれっぽちしか見たことないし、それだけで全てを知ったような気になる小心者だ。それでも、ほんの少しだけ特別な経験をした僕が、かの名言に苦言を呈するとすれば。僕はきっと、自分の世間知らずさをわきまえながら、恐る恐るこう口にするだろう。
──選択を強いられるのは、別に「人」が「生」きている間だけじゃないんだぜ。
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別にポーカーフェイスを気取っているわけではないが、感情を顔に出す方じゃない。そんな僕も、流石に驚きを隠せなかった。
視界に広がるのは、青々しい碧をした空。眼球をひねるようにして視界の隅の方へと視線を向けると、人影が一つあった。彼とは、良好な縁を築けていると思っていたが、──彼の表情と僕の現状から見るに、その限りじゃなかったらしい。
話は一旦、小一時間前に戻る。
学校からの帰り道にいた僕は、その彼に歩道橋の上で話しかけられた。内容は、彼の好きな娘が僕を好きになってしまったとか、そういうどうでもいいものだった気がする。しかし彼にとってその話はどうでもよくなかったようで、生返事の僕へ激情にかられた彼は、ついに歩道橋から僕を突き落としたのだ。
選択を誤ったらしい、というのに遅ればせながら気づいた僕は、そのまま、呆然としながら落ちていく。
ぐちゃ、という音は、多分僕が潰れた音だった。