(うーん、やっぱり難しいなぁ……)
あれから数日。
気持ちこそ上向きになったものの、やはり今まで触れていなかったジャンルの曲を作曲するのはそう簡単ではなくて。
色々な音を合わせて試行錯誤する日々が続いていた。
今日は久々に9人での練習を行う日。
連日作曲に悩んで夜更かしを繰り返していた私は、予め断りを入れて少しだけ遅く集合することになっていて。
部室へ向かう。中庭に面した見慣れた部室。
近付くにつれ、いつものように賑やかな声が聞こえてくる。
(……あれ?)
しかし、今日は聞こえてくる声の雰囲気が少しだけ剣呑な気がした。何か揉め事でもあったのだろうか。
「ーーお願い、お姉ちゃん! 今回だけで良いから行かせて!」
「何度言ってもダメなものはダメです! いい加減諦めなさい!」
扉を開けると、ダイヤさんとルビィちゃんが珍しく喧嘩をしていた。
いつも仲の良い姉妹なので、この光景は珍しい。もう少し細かくいうと、ルビィちゃんがここまで意地になってダイヤさんに抵抗する姿が珍しかった。そんな姿、Aqoursに加入することを表明したあの日くらいだったのに。
「おはよう、曜ちゃん」
「あっ、おはよう梨子ちゃん!」
困り顔で2人を眺めている曜ちゃんに話しかける。
「ねぇ、何があったの?」
「えーっと、実はね……」
曜ちゃんはすぐに、小声で何が起きているのか教えてくれた。
「東京でイベント?」
「うん。今度東京でスクールアイドル関係の何かイベントがあるみたいなんだけどーーその日、ダイヤさんは家の用事があるから一緒に行ってあげられないんだって」
東京で、しかもスクールアイドルのイベント。
ルビィちゃんが珍しく引かない理由が分かった気がする。
「私含めて他のメンバーも運悪く用事入っちゃってて……で、1人で行くのは危ないからダメですってダイヤさんが」
「ああ……そういう事ね」
要するに、ダイヤさんはルビィちゃんが心配なのだろう。
1人で東京に行って、万が一何かが起こったらーーという心配をしてイベントへの参加をやめさせようとした結果、ルビィちゃんに抵抗されている。
確かに心配する気持ちは分かるけど、高校一年生になるルビィちゃんに対して少し過保護過ぎる気もしてしまう。
「ね、ねぇダイヤさん……? 許してあげてよ、ルビィちゃんだってもう2回東京行ってるんだしーー」
見れば、千歌ちゃんはルビィちゃんの隣に立って彼女を擁護していた。
同じ末っ子として思うところがあるのかもしれない。冷や汗をかきながらもルビィちゃんを味方する姿は、なんとも千歌ちゃんらしかった。
「アレは、貴女達や私達上級生と一緒の団体行動だったでしょう? 今回の件とは話が違いますわ」
容赦なく千歌ちゃんの擁護が払われる。
ダイヤさんの発言は基本的に全部正論だから、気持ちが先に出てしまう千歌ちゃんでは簡単に突破されてしまうみたい。
「じゃ、じゃあ、私が一緒にーー」
「千歌さん? 貴方はその日、家のお手伝いがあって忙しかったんですわよね?」
ギロリ、と音がしそうなくらい鋭い眼光。
「いや、そうだけど、頼み込めば何とかーー」
「いけません! ただでさえ旅館は繁盛期、仕事のお手伝いはちゃんとなさい! そもそも、千歌さんと2人だったとしても不安です。どの道許可出来ません!」
寄り付く島もない、とはこのことだろう。
千歌ちゃんには申し訳ないけど、確かに千歌ちゃんと2人でもダイヤさんにとっては不安だろうと思う。千歌ちゃんは行動力がある分、ルビィちゃん以上に不安要素が多いから。
「うぅ……で、でも」
「……良いよ、千歌ちゃん」
策が尽きた、という顔つきになってなおダイヤさんを説得しようとする千歌ちゃんを、ルビィちゃんが静かに止めた。
悲しそうな、でもどこか清々しい表情で。
「! ルビィちゃん……でも」
「ううん、いいの。庇ってくれてありがとうーールビィばっかりワガママ言っちゃダメだもんね、諦めるよ」
ルビィちゃんは、千歌ちゃんに庇ってもらえた事実そのものが嬉しかったようだ。なんの得もないはずなのに自分の味方をしてくれた人がいるという事実が、ルビィちゃんを満たしているように見える。
それでもやっぱり、千歌ちゃんの制服の裾をそっと掴んで首を横に振るその表情は辛そうで。
その様子を見かねてか、横合いから鞠莉ちゃんが割り込む。
「ダイヤ頭かったーい! ルビィだってもう高校一年生なのよ? 日帰りの東京行きくらい良いじゃない」
今回は私も、鞠莉ちゃんに賛成したい気持ちだった。
ダイヤさんが不安な気持ちも分からなくはないけど、これではあまりにルビィちゃんが可哀想だ。
「何とでも言ってください。ただでさえ東京、それも夏休み期間となればより危険です! もしルビィに何かあってスクールアイドル活動に支障をきたしたら、鞠莉さんは責任を取れるんですの?」
「……はぁ。これはダメね。完っ全にハードモードだわ」
肩をすくめて首を横に振る鞠莉ちゃん。
幼馴染だから、こういう時はどれだけ言ってもダメ、というラインが分かるのかもしれない。
改めてルビィちゃんを見る。
自分に何かを言い聞かせるような、どこか悔しそうな表情。
そこから読み取れるのは、とても見覚えのある感情だった。
友達に誘われた、好きなアニメの映画。
一緒に流行りのお菓子を食べに行こう、という誘い。
教室の中で漏れ聞こえて来る、お泊まり会の打ち合わせ。
ーー我慢しなさい。
我慢した。
興味ない、と自分に言い聞かせさえした。
楽器演奏は、経験値の積み重ねだ。
何度も何度も血の滲むような努力を重ねて、ほんの少しだけ前進する。
そのほんの僅かな前進を、ひたすら重ねて重ねて重ね続けてーーようやく、目に見える成果が現れる。
他の手段はない。近道も回り道も、楽器にはない。
だから、我慢した。
ピアノが好きだから。ピアノを楽しみたいから。ピアノをもっと上手く弾きたいから。
私も、お母さんも、「我慢しなさい」とわたしに言った。
確かに私はピアノが好きだし、時間を捻出して努力を積み重ねなくてはいけないことも事実だった。
でも。
あの日の私は、どんな顔をしていただろう。
あの日、無邪気に映画に誘う友人に「ごめんね」と言った帰り道の私は。
きっと俯いて、どこか悔しそうな表情を浮かべていたと思う。
それこそ、今のルビィちゃんみたいに。
手帳を取り出し予定を見る。
今週末、東京の友達と会う予定。集合場所は秋葉原。
予定を一日ずらせば、ルビィちゃんの行こうとしてるイベントと被る。
携帯を取り出して手早くメッセージを友人に送る。返事を確認している暇はないけど、あの子なら多分大丈夫。
一旦息を整え、私はおずおずとダイヤさんに声をかけた。
「あのー……」
「梨子さん? ああ、すみません、お見苦しいところをーー早速今日の打ち合わせに」
私を見るなり急に優しい声のトーンになるダイヤさん。自分で言うのもどうかと思うけど、私はダイヤさんから割と信頼されている。
だから。
「いえ、そうじゃなくてーーその、私じゃダメですか? ルビィちゃんの付き添い」
だから、私はその信頼を使うことにした。