「梨子さん、ちょっと宜しいですか?」
「ダイヤさん? 何かありましたか?」
練習が終わり、日も傾いてきた頃。
不意にダイヤさんが私に声をかけてくる。少し気まずそうな顔。
「ええ、実は生徒会の仕事でやり残しがあったことを思い出してしまいまして。時間も遅いですし、誰かの手を借りたいと思っていたのですがーーお願い出来ますか?」
ダイヤさんが私に仕事の手伝いをお願いしてくるのは珍しい。
でも、確かにいつもダイヤさんを手伝っている鞠莉ちゃんと果南ちゃんはそれぞれ用事があって先に帰ってしまっていた。
日頃から忙しそうに生徒会の仕事をこなしつつスクールアイドル活動をしているダイヤさんに申し訳なさを感じていたので、むしろ手伝いをお願いされたのは僥倖だ。
私の方から手伝います、と言ってもダイヤさんは優しく受け流してしまうから。
「はい! 私で良ければお手伝いしますよ」
「助かります。では、早速なんですけれどーー」
「ーーこんな遅くまでお付き合い下さってありがとうございました」
「いえ。寧ろ、足手まといじゃなかったですか? 慣れない仕事だったので、不備がないか少し不安なんですけど……」
残っていた仕事の内容は簡単な書類整理だったけれど、途中で資料の抜けが判明したせいで全て見直す必要が出来てしまって想定以上に時間がかかってしまった。
夜の校舎を2人で歩く。あれやこれやと仕事をしている内に、すっかり日は暮れていた。
「心配不要ですわ。とても丁寧且つ迅速な仕事でした。すぐにでも生徒会に入って欲しいくらいです」
「そんな……でも、お役に立てたなら良かったです」
ダイヤさんは、良くないことは力強くストレートに非難するけれど、良いことも同様に真っ直ぐに容赦なく賞賛する。言い過ぎでは、と思うくらいの褒め言葉を、惜しみなく真っ直ぐに伝えてくるので恥ずかしいし恐縮だ。
「ええっと、ところで梨子さんーー」
一転して、気まずそうについ、と視線を逸らして言葉を濁すダイヤさん。
癖なのだろうか、白くしなやかな人差し指が黒子を掻いている。
「? なんですか?」
軽く首を傾げて聞き返す。たっぷり間を空けて軽く咳払いをした後、ようやくダイヤさんは口を開いた。
「ーーその、ルビィの付き添いの件、引き受けて下さってありがとうございます。私も本当は行かせてあげたかったのですけれど、あの子を1人で行かせるのはどうにも不安で」
「ああ、そのことなら気にしないで下さい。どの道私には用事があったので」
やっぱり、ダイヤさんも本心ではルビィちゃんに行かせてあげたかったようだ。心配していたからとはいえ、厳しい言い方をしてしまったことに対する引け目もあったのだろう。
だからこそ、私は用事が被っているという言い方をした。その方がダイヤさんに余計な気遣いをさせずに済むから。
「とはいえ、ご迷惑をお掛けすることには違いありません。姉として礼を言わせていただきます。不肖の妹ですが、よろしくお願いしますわね」
そう言いながら浮かべる微笑みは、どことなく母性を感じさせるものだった。東京のイベントに参加して帰ってきた私たちを迎えてくれたときのような。
「ルビィちゃんなら大丈夫ですよ。最初に東京に行った時も、結構しっかりしていましたから」
「そうでしたの? なら良いのですが……やはり、私としては不安で」
「ふふっ、やっぱりルビィちゃんのことが大好きなんですね、ダイヤさん」
「ーーそうですわね、それはもう否定出来ません」
不思議なものだ、としみじみ思う。
体育館で初めて曲を披露した頃は、まさかダイヤさんとこんな風に肩を並べて談笑する日がくるなんて想像もしていなかった。
「あ、あの、それとーー」
「?」
「いえ、その……何でも」
妙に不自然な話の振り方。
普段とは打って変わってふらふら漂う目線。
相変わらず黒子を掻く人差し指。
もう、言われなくても分かる。
「もしかして、私に何か頼みたいことがあったりします?」
何なら、生徒会の仕事をしている最中も何度か話しかけようとして口を噤んだり、何でもない世間話を唐突に振ってきたりしていた。
「へっ? い、いえ、別に、そんなことはーー」
声が裏返っているし、ポケットに入れた片手がもぞもぞと決まり悪そうに動いている。
何だってこう、私の先輩たちは揃いも揃って自分の感情に不器用なのだろう。
「さっきからずっと、何か言いたそうにしてますしーーずっとポケットに手を入れてますよね? 何か私に渡したいものがあるんじゃないですか?」
「うっ……え、ええそうです。ただ、その……誰にも言わないで下さいますか……?」
普段の気勢はどこへやら、消え入りそうな声で確認してくるダイヤさん。
こういう時、ルビィちゃんと姉妹なんだなと改めて感じる。
「あっ、だから言いづらそうにしてたんですね。大丈夫ですよ、誰にも言わないですから」
「その、もし、本当にもしお時間に余裕があったらで良いのですけどーー可能であればこのメモに書いてあるものを買ってきて欲しいのです……」
沢山予防線を張りながら、ダイヤさんはおずおずとポケットからメモ用紙を取り出した。
案の定、そんなに遠慮するような内容ではなかった。
「そんなことですか? 私、割と時間に余裕がありますから大丈夫ですよ」
「本当ですか!? で、では、一応メモを渡しておきますわね」
友達と遊ぶと言っても、私とあの子は基本的にカフェやファミレスで近況を話し合うのが殆どだ。
どの道ルビィちゃんを迎えに行く訳だし、同じスクールアイドルをしている身として少し気にもなっていたのでちょうど良い。きちんと角を揃えて二つ折りにされたメモを受け取り、ざっと内容に目を通す。
「結構、多いんですね……?」
「すみません……予算は後ほどお渡ししますので……」
『ダイヤモンドプリンセスの吐息 〜絢瀬絵里edition〜 (秋葉原会場限定ブロマイドセット)』1つ。
『冬がくれた予感と君の足音のショコラクッキー(会場限定ステッカー封入版)』1つ。
缶バッジ(A)、缶バッジ(B)、ラバーストラップ、アクリルキーホルダー、各5つ。
綺麗な楷書体でメモに書かれた欲しいもの。
どうやら、ダイヤさんも相当行きたかったみたい。
輪を掛けて申し訳なさそうにするダイヤさんを宥めるべく任せてください、と笑顔で応え、私はメモを財布にしまった。とてもじゃないけど覚えられそうにないし、無くさないようにしないと。
「妹の面倒を見て頂く上にこんなこと……申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。ダイヤさんはちょっと気にし過ぎです」
「そ、そうでしょうか?」
そうですよ、と念を押す。私の身近にはもっと遠慮なくわがままを言ってくる怪獣がいるから。
「私、千歌ちゃんで鍛えられてますから。そのくらいのお願いは普通に聞けますよ」
「……心中お察し致しますわ。鞠莉さんと果南さんも大概ですけど、千歌さんも中々の曲者ですものね」
「はい、もう振り回されて大変でーーでも、やっぱり楽しいです。スクールアイドル」
「ふふ。それは、スクールアイドルを愛する者として嬉しい言葉ですわね」
やっと言いたいことが言えたからか、それとも私がスクールアイドルを楽しんでいることが嬉しかったのか、はたまたその両方か。
とにかく、ダイヤさんの表情はさっきまでよりも晴れやかだった。
「梨子さん、時間も遅いですし、今日は私の家の車で家まで送りますわ」
下駄箱で靴に履き替えて外に出ると、先に外で待っていたダイヤさんがそう提案してきた。
「えっ、良いんですか?」
よく見れば、校門の向こうに黒塗りの車がとまっている。
提案はありがたいけど、少し気が引けてしまう。
「良いも悪いも、どの道もう帰りのバスはありませんわよ? それに、今日は私の都合で遅くまで付き合って頂いたんですから、これくらいはさせて下さい」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
冷静に考えてみれば確かに、とっくに最寄りのバス停から出る最終のバスは終わっている。
夜道を1人歩いて帰るのも不安だし、何よりもう時間が遅い。私はありがたくお言葉に甘えることにした。
帰宅して遅めの夕食を食べ、シャワーを浴びて部屋に戻る。
『今日はごめんね、急に予定変えちゃって』
メッセージアプリを立ちげて友人に改めて急な予定変更をしてしまった件を詫びる。すぐさま既読が付き、程なくして返信が来る。
『気にしなくていいって!』
『っていうか、実はあの後急にバイトの応援入ってくれないかって店長から頼まれちゃってさー』
『むしろナイスタイミング! って感じだったよ』
『渡りに船、的な?』
ポンポンとスタンプを交えてメッセージを打ってくる彼女は以前と変わらない風だった。私が一言喋ると二言か三言は返ってくる感じ。バイトに精力的なのも相変わらずだ。
『そっか、良かった』
『じゃあ週末はよろしくね』
返事は流行りのキャラクターがOK、と親指を立てているスタンプ。会話する度に使うスタンプが変わっている気がする。
そろそろ寝ようか、と思った頃合いで、今度はルビィちゃんからメッセージが送られてきた。
個人でメッセージのやり取りをするのは、これまた珍しいことだった。
『梨子ちゃん、今日は本当にありがとう!』
『迷惑かけちゃうかもしれないけど……よろしくお願いします!』
思わず笑みが漏れる。抜けているようで、節目節目で顔を出す礼儀正しさが育ちの良さを感じさせる。
『気にしなくて大丈夫だよ、ちょうど用事が重なってただけだから』
『こちらこそ、当日はよろしくね!』
そのまま、集合場所や集合時間、持ち物や大体の予定などを打ち合わせてーー日付が変わりそうな時間になった頃にその日の会話は終わった。
電気を消して目を瞑る。正直、今まで殆ど2人きりになったことのないルビィちゃんと会話を続けられるか不安な気持ちが少しだけあったけど、どうやら大丈夫そう。
思い返す。
怯えながらもAqoursに興味を持ってくれていたこと。
仮入部を決め、屋上で晴れやかな表情で踊る姿。
淡島神社の階段を登りきり、自信の欠片を宿した瞳。
ダイヤさんに向き合って、自分の気持ちを伝えたときの背中。
そうだ、私は。
彼女のそんなところが少し、ううん、大いにーー