【番外編】海外移住したら人外に好かれる件について 作:宮野花
重い気持ちで、墓穴の桜の収容室に来たのだが。
いざそれを目の前にした時、恐怖なんて全て吹っ飛んでしまった。
木が一本、収容室に立っている。見事な赤茶色の枝を部屋いっぱいに伸ばして。
満遍なくついた花は、確かに赤いが一つ一つ濃さが違う。鮮やかな赤もあれば、少し黒いワインレッドもある。そのに薄紅も混ざり、一つ一つがはっきりと存在を主張しながらも、決して喧嘩はしていない。
「綺麗……。」
こんなに美しい桜は、初めてだ。
照明のせいか、木は光を放っているように見える。それをもっと見たくて、私は傍によった。枝に、手を伸ばそうと。
「わっ、!?」
その時、カランと音がした。
なにか蹴ってしまったようで、慌てて足を引っこめる。見るとそれは平らな皿のようで、けったことでひっくり返してしまった。
拾い上げると木製で、とても軽い。しかし安っぽさはなく、赤塗りを背景に、底には金色で模様が書かれている。
高そうな器を蹴ってしまったことに、私は冷や汗がでるが、こんな所に置いてあるのも悪いのだ。
全くもう、と文句をつきながら、もう蹴らないように木の根元に皿を置いた。
しかしすぐに、別の理由で汗が吹き出した。
穴が。空いている。
木の根元に、大きな穴が。
反射的に身体は仰け反って、後ろに尻もちを着いた。
人、二人は入れそうな穴だ。血の気が引く。あのまま歩いていたら、私は穴に落ちていただろう。
恐る恐る中を覗き込む。暗闇はどこまでも続いていて、先が見えない。ここは室内で、よく知った研究所のはずなのに、まるで異世界にでも繋がってるようだった。
アブノーマリティの名前を思い出す。〝墓穴〟の桜。なるほどと納得した。
こんな所に落ちたら、ただでは済まない。だから墓穴なのだろう。
とりあえず仕事をしようと立ち上がる。
と、言ってもだ。作業内容は清掃だが、この部屋に清掃する場所なんてあるだろうか。
伸びる枝を傷付けないようにとなれば、入口近くの壁くらいしか清掃できないだろう。床を磨くことは出来るけれど、植物に洗剤は使えないから水と乾拭きだ。
こんなに立派に咲いているというのに、花びらが全く落ちていない。アブノーマリティだからだろうか。
散っていないのなら、私も配慮して手入れしなければ。もちろん穴に気をつけながらだけど。
準備をするために、ウエストバッグを床に下ろした時だった。
「え。」
「え?」
収容室の扉が、開いたのだ。
驚いた私は振り返る。誰かいる。誰だ。というか何を持っているのか。
それは、見覚えのある。冷蔵庫の。
「ごめんねー。作業中に。ちょっと花見酒をしてもいいかな?」
そう笑う、入ってくる年配の男性に、私はポカンと口を開ける。
驚いて固まる私をよそにその人はずかずかと中に入ってきた。
そうして木の下に腰掛けると、持っていた瓶の蓋を開ける。
「あれ……。酒器がない……。」
「あっ、えっと……。もしかしてこれですか?」
「あ!そうそう!ありがとうー。」
先程蹴った皿を手渡すと、男性はにこやかにお礼を言った。
その笑顔があまりにも柔らかく力の抜けたものだったので、私も肩の力が抜けてしまう。
男性は皿に瓶の中身を注いでいく。
それ、私が蹴ってしまったのだけれど。なみなみと注がれる皿を見て、言うか迷ってしまう。
縁まで注ぎ終わったところで、男性は皿を床に置いた。波打つそれは皿からはみ出て床に零れる。
「え……呑まないんですか?」
思わず聞いてしまった。そのまま口をつけるかと思ったのに、男性は皿を少し離れた所に置いたからだ。
「呑むよ?でも僕はこっち。」
そう言って男性が取り出したのは紙コップだった。
皿の高級感と差がありすぎて凝視してしまう。それを男性は勘違いしたのか、私にも紙コップを渡してきた。
「良ければ、一緒に呑もうよ。」
ちゃぷんと、瓶の中身が揺れる。
ラベルにはやはり、油性ペンで名前が書いてあった。〝TAIGA〟と。
【エンサイクロペディアが更新されました。】
〝墓穴の桜(O-04-100-T) 〟
【墓穴の桜の満開はきっとこの世のものではないほどに美しい】
【注意】
【墓穴の桜は人間の死体から血を得て、花を『満開』まで咲かせる。】
【作業するエージェントは、警戒せよ。】
紙コップの中身をちびりと舐める。
広がるアルコール。鼻を爽やかな香りが駆ける。そうして喉が一瞬焼けるような感覚。
飲みやすい、甘口の日本酒だ。辛口はあまり得意でないからありがたい。
少しずつ飲む私と違って、タイガさんはぐびぐびと飲み進める。
それは日本酒の呑み方としていいのだろうか。苦笑いする。
飲みやすいと言ってもこれ相当度数は高いと思うのに、タイガさんの顔は全く変わってない。この人多分ザルなんだろう。
「桜、見事なものだねぇ。」
「あ、そうですね。綺麗です。」
「君は確か、えーっと……シックスさん、だっけ?」
「違いますからね!?ユリです!!」
軽く笑われながら言われたが、冗談じゃない。そんな風に呼ばれたら、折角風化してきてる噂がまた蘇ってしまう。
「ユリさんね。ごめんごめん、話でしか聞いたこと無かったからさ。」
「……どんな話かは、聞かないでおきます。」
「ははっ、別に変なことは聞いてないよ。頑張り屋さんでいい子って聞いてるよ。」
「えっ。」
「リナリアちゃんも、ダニー君も。ユリさんはいい人だって言ってたよ。」
「……そんな。」
予想してなかった言葉に、声が出てこない。
私が肩をすくめると、タイガさんはまたカラカラと軽く笑う。
「聞いてた通りだね。もっと、自分に自信を持ってもいいと思うよ?」
「自信なんて、持てないです。……聞いてた通り?」
「頑張り屋ではあるけど、なんでか自信が無い子だって。充分頑張ってるのにって言ってたよ。」
「私には、勿体ない言葉ですね。」
「……君、本当に彼に似てるね。」
「彼?」
「……僕はね、よく教育係とかやるんだけど。数ヶ月前から新人さんの教育係してるんだ。
その新人に、君はよく似てるよ。自分への評価がやけに低くて、見ているこちらとしてはもっと認めて欲しいと思ってしまう。」
「……。」
「君の活躍は僕も聞いてる。静かなオーケストラの担当、本当にいつもありがとう。助かってるよ。」
優しく笑われて、私は泣きそうになってしまう。
ここの人たちは本当に優しい。私大したことなんてしていないのに。オーケストラさんへの作業なんて、彼は私に優しいから、むしろ仕事としては温いくらいなのに。
ありがとう、なんて。
「タイガさんが教育係で、その新人さんは幸せ者ですね。」
泣きそうになるのをぐっと堪えてそう言うと、タイガさんの目が少し揺れた。
彼はコップの酒を一気に飲んで、はぁ、とため息をつく。そうしてまた注いで、澄んだそれをじっと見つめた。
「そんなことないよ。こんな歳になっても、僕は未熟だ。毎日後悔ばかりだよ。」
「え?」
「その彼はね、先日死んでしまったんだよ。」
その言葉に私は目を見開いた。
「アブノーマリティへの作業中に、消えてしまった。死体すらまだ見つかっていないんだ。」
「なら、まだ死んだとは。」
「いいや。ここで行方不明になるなんて死んだのと同じだろう?……本当はね、今日は彼の誕生日のはずだったんだよ。」
「え……。」
タイガさんは、顔を上げた。綺麗な瞳に桜の影が映る。
「祝いに酒盛りをする予定だったんだ。とびきりいい酒をご馳走する予定だった。それを言うと彼は喜んでね、誕生日より先に呑ませてくれって何度も催促されたよ。
僕はそれを断った。誕生日なんて直ぐだと言って。」
そう言うとタイガさんは、あの高級な皿に手を伸ばす。
皿の酒は減っていない。当たり前だ。誰も飲んでいないのだから。
そこで私は気がつく。もしかしてと口に手を当てる。
私の様子にタイガさんは笑った。寂しそうな笑顔だった。
「これはね、彼との約束なんだ。墓穴の桜の作業中に、彼は消えてしまった。」
怖い話をしてごめんね、とタイガさんは眉をひそめた。
けれど私は恐怖より何より、それが悲しくて仕方なくて。胸がぎゅっと締め付けられて。
「……ごめんなさいっ!」
「え?」
「私、皆に聞き回っちゃったんです。仕事中に、お酒を飲むなんてありえないって、誰のだって。そんな事情も、知らないで。勝手に言ってっ……、本当に本当に、ごめんなさいっ!」
勢いよく頭を下げた。恥ずかしくて仕方ない。
あのお酒にそんな意味があったなんて。この人が、大切にしていた約束だったなんて。
それを知らずに、確認すらせずに勝手に苛立って言い回って。非常識なのは、私だ。
しかしタイガさんは怒ることなく、むしろ私の頭上で笑っていた。
「ははっ、そんな謝んないでよ。それが普通だよ。僕だってそんなの見たら注意するし。」
「でも……。」
「ユリさんは優しいんだね。」
タイガさんはとても綺麗に笑った。
私はまた、泣きそうになる。
「そこも彼と似ている。彼もとても、優しい人だったんだよ。」
……優しいのは、貴方の方だ。
私はついに泣いてしまった。タイガさんはぎょっとして、慌てて私の頬にハンカチを当ててくれる。
こんな人が教育係で、その新人さんは幸せだった。
そのお酒を早く呑みたかったのだって、きっと貴方とだから呑みたかったのだろう。
その人と私が似ているというのなら、絶対にそうだ。だって私なら、そう思ってしまう。
「ごめんね、泣かせちゃって。僕も酒呑んで、余計なこと沢山話しちゃったね。一緒にお水飲みに行こうか。」
「はい……。」
鼻をすすりながら出口へと向かう。そう言えは掃除全然していない。
けれどこんな状態じゃ出来ることなんてないし。大人しく一度戻ることにした。
その時だった。
「えっ!?」
「っ!?ユリさん、下がって!」
強い光が、後方からさしたのだ。
タイガさんと一斉に振り返る。そうして赤が、目に映る。
桜が、咲いている。
先程よりも見事に、美しく、艶やかに、輝いている。
───満開、だ。
「……き、れい。」
声が上手くでない。あまりにも美しくて。
こんなにも美しい何かを、私は今まで見た事があっただろうか。いや、ない。
小さな花がいくつも重なって。その一つ一つが光に反射して宝石の煌めきを纏っている。
キラリ、キラリと。赤色のはずなのに七色に光るそれらは幻想的で、この世のものではないように思えた。
私は思わず木に足を向ける。もっと近くで見たい。もっと近くで、この桜を眺めたい。
桜も私を呼んでいる。茶色い腕を根元の穴から伸ばして、手招きしている。
そうだよおいで。呼ばれてる。
早くこっちに。誘われている。
そうだ。私も早く、そちらへ。
「……熱っ!?」
突如走った熱に、首元を手で押えた。
熱は直ぐに引いたけれど、おかげでやけに目が冴えた。
ハッとして、桜の木に目を向ける。
するとタイガさんが穴に近付いている。ユラユラと揺れる手がタイガさんに伸びている。
いけない!と私も手を伸ばした。その手はきっといいものでは無い。
しかし距離があって、私の手が届くよりも先にタイガさんが穴に辿りつく方が早かった。
タイガさんの名前を叫ぶ。しかしタイガさんは振り返らない。
このままじゃ、穴に、引きずりこまれてしまう……っ!
しかしタイガさんは、なんとその伸びてくる手に酒瓶を掲げたのだ。
「え……?タ、タイガさん……?」
私は困惑してしまう。何をしているのか。
タイガさんは穴に向かって綺麗に笑った。そうして、ゆっくりと口を開く。
「元は君に贈るはずだったんだ。後は全部持っていくといい。」
タイガさんがそう言うと、手はするりと瓶に絡みつき、そのまま穴の中に持って行ってしまった。
ふわり、と何かが降ってくる。それは私の身体に触れると吸い込まれるように消えていく。
あぁ、桜が、散っている。
赤色のはずだった花びらは何故か少し薄くなっているようだった。
薄紅色になったそれは次々と落ちていく。緩やかなスピードのそれは、散るというよりは溶けているようにも見えた。
視界が柔らかな紅色で埋め尽くされる。その中に、タイガさんの姿だけが見える。
「桜の下には死体が埋まってると言うけれど。」
タイガさんは桜に手を伸ばす。
「やっぱり酒じゃあ、真っ赤とはいかないね。」
そうして掴もうとしたが、きっと何も手のひらには残っていないのだ。
私も桜の木を見る。この様子では全部落ちてしまうのだろう。
アブノーマリティであるこの桜はいつかまた花を付けるのか。
でももう、指示でもない限りタイガさんはここには来ない。私は何となくわかっていた。
桜の下に、死体が埋まっているのなら。
タイガさんの言う彼は、この下にいるのだろうか。
そう思うとやっぱり私は悲しくて。
この見事な桜吹雪でさえ、誰かの涙のように感じてしまうのだった。
Grave of Cherry Blossoms_満開の桜の下に眠る君と酒を飲みながらこれからの話でもしようか。
明日ありと 思う心の 仇桜
(夜半に嵐の 吹かぬものかは)
意味:明日も桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて散ることがないとは言えないだろう。
「親鸞上人絵詞伝」より
雪海月さんのタイガさん好きすぎて本編より早く書き終わりました。可愛いちびキャラにデフォルメされてるのに実はおじいちゃんだそうです。くっそ性癖辛い!!!!
個人的にはかなり好きな感じに仕上がりました。しかしそのせいで長くなって本当にすみません。
これからもよろしくお願いします!
宮野より。
追記::
まさかの挿絵描いてくださった泣く。
もうマジでありがとうございます……大好きよ……。
【挿絵表示】