Fate/devotion    作:パープルハット

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7/25「王の器」にて当選した場合、頒布予定です。
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第一章 開戦

男は語る、世界の在り様を。

男は嘆く、希望の消失を。

男は眠る、絶望の未来を背に。

そして男は辿り着く、この世界の真理へと。

 

男の目前にヒトの形在り、蝶の翼を持つ異形である。

男は万の言葉を有する哲人、しかし彼の名は未だ知らない。

異形は言葉を持たず、されど善性も美も正義もその内に秘めている。

だからこそ哀れである。総てを有するが彼は孤高だ。

男は異形と対面する。そして男の全てを懸けて彼に語るのだ。

 

「言葉を紡ぐには引き金がいる。

それは歩くことでもあるし、話すことでもある。

ただそこに佇むことから新たな知性は生まれない。

歩き、話し、五感から美なるものを吸収せよ。

正しき知恵は正しき行動より生まれ出づるのだ。」

 

異形は応えない、否、応える術を知らない。

全てを有するが故に、男に応える義務を持たない。

新たに学習する意味もなく、正しさを遂行する活力もない。

しかし異形は男に興味を抱くのだ。

 

か細い指先で男の形をなぞる。

男は弱者であり、灯である、異形の持つ永遠には程遠い存在だ。

ヒトはその生涯の儚さを「美」と表現するが、異形にとってただの個体の消失に他ならない。

男もまたヒトである。異形の認識下において特別な存在ではない、等しく滑稽な命である。

だが、ほんの少し、ほんの少し

ほんの少しだけ、男の知恵に魅入られた。

 

「我が友よ、世界を学ぶのだ。」

 

異形は全てを有するが故にー

異形は全てを知らないが故にー

 

異形は、自らが無知であることを知ったのだ。

 

【第一章】

 

凱旋門をバックに魔術師エンゾ・デ・キマリュースは呆然と立ち尽くしていた。

夜のシャンゼリゼは昼間のようなパリ独特の華やかさを失っている、人祓いの結界まで仕掛けているのだから当然だ。

本来であれば、あまりにも閑散とした風景に、観光で来たわけでは決して無いけれど、憂鬱になっていそうなものであるが、そんなエンゾの予想は大きく外れることになった。

大通りの真ん中で鎬を削る二人の〈英霊〉の戦いぶりが、あまりにも迫力に満ちていたのだ。

幼い頃に父親が一度だけ連れて行ってくれた大衆演劇をエンゾは思い出す。ローランの歌だったか、はたまたアーサー王物語だったか。

当然目の前にいる彼らはシアターを通したものではなく、舞台上にいる訳でもない。金属のぶつかる音、飛び散る火花、その全てが現実だった。

エンゾが此度の聖杯戦争を企画した際には、他の魔術師から嘲笑され、罵倒が尽きなかった。

「お前はユグドミレニアの戯言を真に受けているのか?」と。

エンゾ自身もダーニックの世迷言を完全に信用したつもりはなかったが、彼の話口調はエンゾの好奇心を大いに刺激した。

聖杯は存在する。願望器はすぐそこに。

実現にはそう時間はかからなかった。ダーニックの戯言を信じる同志が他にも存在していたためだ。

数々の魔術師が自分の知らない場所で聖杯戦争を生み、英霊を呼び出し、願いを託そうとした。

そしてその試みは当然のごとく霧散する。聖杯がうまく起動しなかったケース、英霊が答えてくれなかったケース、召喚したはいいものの殺されてしまったケース。

エンゾの学友であったデンケトは暗殺者のクラスに殺されてしまった。

エンゾは自らが手に入れられる範囲の全ての資料を閲覧、研究し、どうすれば戦争が成り立つか試行錯誤した。

聖遺物の確保、質の高い霊脈の探査、抜かりがあってはいけない。一つでもピースを嵌め間違えればパズルはたちまち塵芥と化す。エンゾは聖杯戦争の実現に心血を注いだ。

だからこそ、彼がセイバーを召喚した際には歓喜のあまり咽び泣いたほどであった。フランスでの知名度も高い、最優クラスを引き当てたのだ。霊脈は多少おざなりになってしまったが、逆に知名度補正で他サーヴァントを圧倒できる為、結果オーライと安易に考えた。

そしてエンゾは聖杯戦争が開始して初めて、自らのセイバーを戦場に出した。わざわざ広い街道を選んだのは、彼の持つ絶対なる宝具を解放しやすくするためだ。エンゾはどこか高揚した面持ちで二騎の打ち合いに見惚れていたのだった。

そんなエンゾの元に、若い女が近付いてきた。

「あら、ミスターエンゾ、無警戒にも程がありませんこと?私が暗殺者なら、その首が地面とキスしていたところでしてよ?」

「君だと当然知っている、ナリエ。俺もさすがにそこまでは馬鹿じゃない。」

ナリエ・ダルマーロはミステリアスという言葉がお似合いでいて、かつグラマラスな女性であった。エンゾは彼女と会うといつもその視線は胸部に向いていたのだが、今晩ばかりはセイバーの戦いを見続けていた。ナリエはそれが少し気に食わない様子である。

「ねぇエンゾ、残念ながらランサーのマスターは見当たりませんでしたわ。」

「シャンゼリゼ通りには来ていないということだな。まぁ当然と言えば当然だが。他のマスター及びサーヴァントは?」

「誰も。アサシンぐらいならいてもおかしくないのにねぇ。派手な場所を選びすぎたかしら。」

「ハサン・サッバーハならこちらとしてはやりやすいのだが。」

かの暗殺教団の教主たる十九人のアサシンは全て、宝具において解析済みであった。それはエンゾのみならず此度の戦争に参加しているものならば全員がそうであろう。サーヴァントの強さ以前に、マスター殺しを何よりも警戒しなければならないのが戦争の鉄則なのだ。それはライダーのマスターであるナリエにとっても同じことである。

「今回はセイバー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカーの五騎による聖杯戦争。聖堂教会の彼も、これ以上は増えないと言っていたけれど、近年のものでは最大規模ではないかしら。まだ互いに警戒し合っている頃、いないのも当然ですわね。」

「…君のライダーは、そこにいるのか?」

「勿論ですわ。私もいつアサシンに首を狙われるか分かりませんから、ね?」

もしエンゾがナリエに手をかけようとしたならば、すぐさま見えない誰かに首の骨を折られるだろう。当然その予定はないのであるが、ナリエを怒らせないよう慎重に言葉を選ぼうとエンゾは思った。

セイバーが戦いを開始してから数分が経った。エンゾの中に少しばかりの疑念と焦りが生じる。

「何故仕留めきれない?こちらのセイバーが絶対的に強いはずなのに。」

「相手のサーヴァント、かなりのやり手ですわね。でもどこか、武人という感じが致しませんわ。」

「あぁ、泥臭さが無い。殺し合いとは本来血で血を洗うもの。あのランサーはどこか気品さを兼ね備えているように思えるよ。だからこそ…」

「えぇ、だからこそ勝てないのは変、ですわね。」

どこか苦虫を噛み潰したような顔のエンゾを尻目に、セイバーは秒速の戦いに身を投じていた。敵のランサーの出方が掴めない以上、無理やりにでも押し切るしかない。セイバーには敵を圧倒できるという確信めいた自信があった。

セイバーの気迫のこもった太刀筋をランサーは怪訝そうに見ていた。無論、目にも留まらぬ早業であるが、ランサーにはまだそれを観測する余裕があったと言える。ランサーの中で生まれた疑念は数秒間で膨れ上がり、遂にはそれを問いただしていた。

「セイバーよ、貴様に聞きたいことがある。」

「何だ、ランサー。」

「剣を極めた英霊にはどうにも見えない。貴様、剣が全てではないな?」

「…何故そう思う?」

「貴様は左手で剣を振るう、そのとき右手が妙に寂しげなのだ。剣とは違う〈何か〉を握りたくてうずうずしているように思える。」

「お見通しか。残念ながら今は〈切り札〉は握れないのだ。」

当然今の情報は禁句である。真名に繋がる恐れがあるからだ。

しかしセイバーは意図をもってか、はたまた口を滑らせてか、それを口にした。

ランサーはそれを自分への敬意だと独自に解釈した。

「ランサー、私もお前に聞きたいことがあるのだ。」

「答えてやろう。」

「お前は戦人であって戦人ではない。戦場に赴くことはあっても積極的に戦に介入することはない人物、そうだな。」

「えらく遠まわしだな、簡潔に言え。」

「お前は〈王〉か?」

ランサーは一瞬顔をしかめた。この打ち合いだけで自らの生を見透かされたような気がしたためである。しかしだからこそ、このセイバーの実力が窺い知れた。

「そうだ、我が槍の伝説など、たかだか一匹の象を突き刺した程度のものだ。座というモノは実にくだらないことまで登録しようとする。私がランサー?何の冗談だ。」

「そのたかだか象を突いた伝説だけで、これほどの強さにはなるまいさ。正直お前がまだまだ奥の手を隠していると思うと、軽く身震いしてしまう。」

「セイバー、貴様のソレは武者震いだろう?」

二騎の刃は弧を描き、交差し、火を散らす。

ランサーの槍がセイバーの胴に叩きつけられる、王は槍の使い方をよく知っていた、戦闘のセンスで数歩後れを取ると判断した為、すぐさま相手を一撃のもとに消し去ることは止め、細かく削り取ることにしたのだ。敵が完全無欠な軍人であるならば、弱点を生み出し、そこをひたすらに打つ、より深く、より抉るように。

だがそれをセイバーが許すはずもない。彼は自らの力に溺れるほど傲慢では無かった、否、他の誰よりも謙虚であるべきだと振舞っていた。彼はたとえ敵が羽虫であっても驕らない、状況を正しく分析し、自らに足りないものを即座に補う。彼がもし弱みを見せたなら、それを次に見せることは無い。甘く入ったランサーの一振りを避けると、途端に彼の腕を斬りつけた。残念ながら、切り落とすまでには至らなかったが、吹き出した血の量から察するに、それなりの怪我を負わせたようだ。ランサーはセイバーから距離を取った。

だがセイバーは悟る、今の一撃をランサーは避けることが出来たはず、にも関わらず敢えてそれを受けた。まるで攻撃の癖を読み取るかのように。セイバーの額に一筋の汗が流れた。

英霊である以上、人間のようにすぐさま疲れが出ることは無い。幸い、互いにマスターの魔力供給は良好である。

しかし打ち合いの末に生まれるものは何もない。これ以上は他のサーヴァントに自らの手の内を晒す危険性がある。

二騎は互いに背中を見せた。言葉は交わさずとも、それが休戦の合図である。宝具を解放するにはまだ早い、聖杯戦争はまだ始まったばかりなのだから。

エンゾもまた、攻めきれないセイバーの姿を見て、戦いを中止するよう指示していた。自分が生み出した聖杯戦争、当然勝者も自分、とは上手くいかないらしい。宝具を解放するにはまだ時期が早い、そうエンゾは判断した。

「やはりエンゾの出来レースを理解していて、なお参加するってことは、他のマスターは皆さん、ある程度自信がおありなんでしょうねぇ。」

「あぁ、特にランサーには警戒が必要だな。あれは強力なサーヴァントだ。なぁ、セイバー。」

「このような場を用意して頂いたにも関わらずこの醜態、お許しください、マイマスター。」

「宝具のために用意した場でもあったが、なに、まだ始まったばかりだ。それに、俺たちが敗北することは決してない、そうだな?」

「勿論でございます、マスター。」

エンゾは当然、セイバー以外のサーヴァントの真名を知らない。同盟関係のナリエですら自分のサーヴァントの名前は明かしたがらない。何故ならば、聖杯戦争において真名を知られてしまうことは、あまりにも重大なディスアドバンテージである。

如何に完璧な英霊であろうと弱点は存在する。かの英雄アキレウスにも踵という弱点が存在した。つまり名を明かすということは、敵に攻略される機会を与えるということなのだ。

しかしエンゾは、たとえセイバーの名が他のマスターに知れ渡ったとしても、勝てる自信があった。このフランスという地では最強の存在、敗北を知らないことこそ、セイバーの存在理由なのだった。

そんなセイバーに絶対の自信を持つエンゾは、当然ランサーとの戦いでのセイバーの不甲斐なさに苛立っていた。しかしサーヴァントとの良好な関係こそ聖杯戦争においては重視しなければならない。絶対の命令権たる令呪があるにせよ、相手は人間を超越した存在である。人と同じと考えていたら、気付けば殺されていた、なんて事態は資料で研究済みであった。

―焦る必要はない。

エンゾは自分に言い聞かせる。

無鉄砲なくせにドジで間抜け、エンゾは今までの人生幾度となく言われ続けてきた。もしキマリュース家の後継者が優秀な兄であったなら、もし兄が死んでいなかったならば、彼の家は没落することは無かった。自分が罵倒されるのは慣れたことだが、キマリュース家が嘲笑されるのは我慢ならなかったのだ。だからこそエンゾはキマリュースの誇りを聖杯に託した。

エンゾの様子を見て、その焦りを理解した者がいた。ナリエとセイバーである。エンゾはどれだけ言葉を尽くそうと態度に全て表れてしまうタイプだ。セイバーはエンゾの苛立ちを感じ取っていたが、良好な関係の構築を目指す彼の思いも知っていた。だからこれ以上言葉を重ねるのは無意味と判断し、パリの空気に溶けるように霊体化した。

「セイバーも消えちゃったことだし、私もホテルに戻りますわ。ランサーのことも調べなきゃいけませんし、ね。」

ナリエは踵を返した。これ以上マスター同士が一緒にいるのは危険であると判断したためである。そんなナリエにエンゾは声をかけた。

「ナリエ、この戦い、我々は勝てるだろうか?」

それはあまりにも弱弱しい言葉だった。エンゾの人間性が垣間見える発言でもある。

「勝てますわ。何故なら…」

「何故なら?」

「負けは死、ですもの。死んだ人間は戦争をしませんわ。」

不敵な笑みを浮かべるナリエの顔を、エンゾは呆然と見つめていた。ナリエが去った後も、エンゾは虚空を見ながら、しばらくその場を離れずにいたのだった。

 

パリ近郊のホテルに到着したナリエは、部屋に戻るとすぐさま服を脱ぎ捨てた。セイバーとランサーの戦闘を見て、ナリエ自身もまた、エンゾと同じように高揚していたのだった。

夜のパリは酷く凍えるはずであったのに、今は汗が噴き出て止まらない。彼女の傍にライダーがいるにも関わらず、ナリエはその艶かしい身体を露わにした。

「おい、マスター。着替えはバスルームでやってくれないか?」

ナリエの数メートル後ろから声がかかる。彼女が振り向くと、そこには中肉中背で、丈の短い着物を着た男が立っていた。どうやらライダーが霊体化を解いたらしい。

「あら、やっぱり日本人は紳士なのね。今私を襲っても、誰も止めるものはいないはずよ?」

「…君がその手の甲に付いた紋様で僕に自害しろと命じてくるのは分かっているんだ。誰が襲うかよ。」

「そんなまさか、戦争が始まって間もないのに、貴方をみすみす失う真似はしないわよ。」

ナリエは不敵な笑みを浮かべる。ライダーはナリエのこの顔が苦手だった。何を考えているのかさっぱり理解できない。

ライダーは顔をしかめたが、これ以上彼女の背を見るのは精神衛生上よくないと判断し、そっと目を閉じた。

「エンゾとは大違いね、貴方は。とりあえずシャワー浴びたいから、護衛よろしくね。」

ナリエがシャワー室に入ると、彼はそのドアの前に腰かけた。自分のマスターが一体何を考えているのかライダーには理解できないでいた。フランス人の彼女が何故日本の英霊を召喚したのか、何故エンゾという頼りのない男と同盟を組んでいるのか、彼女が聖杯に託す願いは何なのか、ライダーは何一つ知らなかったのだ。

鼻歌を歌う気の抜けた様子の彼女に、ライダーはかつての想い人の姿を重ねていた。

誰よりも華やかで、誰よりも自由で、誰よりもー

「ねぇライダー。」

声をかけられたことで、彼は昔を懐かしむのを止めた。

「私は日本が好きだから、勿論貴方のことはよく知っている。だからこそ、貴方にどうしても聞きたいことがあった。」

「何が聞きたい?」

「何か大切なモノを守るために、他の全てを犠牲にするというのは正しい行いなのかしら?」

「大切なモノとは、人か?」

「まぁ、そうね。」

ライダーは難しい質問だと思った。彼女は、ライダーの真名も宝具も当然知っている。質問の意図は分からないし、彼も生涯で一と十の選択を迫られたことは無かったからだ。

暫く考え込み、ライダーは回答を出した。

「正しい、とは言えないな。」

「それはどうしてかしら?」

「一人を守り抜くために皆を敵に回すってのは時代遅れだ。そうした行為が持てはやされるのは物語の中だけさ。現実は小一時間で終わる寸劇じゃねぇ、敵を沢山作っちまうことはなるべく避けないとな。生き難くなる。」

「そう。」

ナリエが欲しい回答ではなかったのか、彼女は口を閉ざしてしまった。

「…だからさ、選択しなければいいんだよ。」

「…?」

「一か十かじゃねぇ。全てを守るか、全てを憎め。マスターは恐らく僕が数々のことを選択してきた人生だと思っているだろうが、それは違う。僕は選ばなかったからこそこうなったんだ。馬鹿だったからな。」

「バッドエンドじゃない。」

「誰かを犠牲に生きた時点でお天道様は許しちゃくれねぇさ。一人であろうが十人であろうが見捨てた時点で地獄行きだ。安心しな、戦争に参加した時点で我がマスターは地獄行き決定だよ。」

「ふふ、そうね。」

ナリエは改めて、彼を召喚できて良かったと心の底から思った。フランスにも数々の伝説があり英雄がいる、けれどこのライダーは世界中どこを探しても見つからないだろう。武芸に秀でていたわけでも、偉業を成したわけでもなく、ただ普通に生き、ただ普通に死んだ英雄。

それでもかの黄金の国で最高の知名度を誇るのは、彼の軌跡があまりにも特異で、あまりにも悲痛で、あまりにも美しかったからだ。

この聖杯戦争で彼の名を知る者が何人いようか。ナリエが呼んだあの少女なら当然知っているだろうが、だからと言って負けるつもりは毛頭ない。ライダーはナリエにとって最強の戦士なのだ。

ナリエがシャワールームを出ると、そこにライダーの姿は無かった。

恐らく出てくるのを察知し、裸を見るまいと気を使って霊体化したのであろう。

彼女はその後、彼に話しかけることは無かった。仲良くお喋りするには時間が無さすぎる。ランサーを含めた他サーヴァントの情報収集に移らなければならないのだ。

―全ては同盟者(エンゾ)の命を守るために。

 

ナリエが本格的な調査に取り掛かる中、エンゾもまたセイバーからの情報を元にランサーの分析を行っていた。セイバーが持ち帰った情報は非常に有益なもので、エンゾの彼に対する不満はもはや微塵も無くなっていた。

〈象〉というキーワードからその真名を考察、検討する。馬と同様に象も戦においては重要な役割を果たす動物だ。戦象に関する情報を休む間もなく探し続ける。

「戦象で有名なのはペルシア王国のダレイオス三世だから、それと対峙したアレクサンドロス大王か?ローマのカエサルも象の足を狙った伝説がある。あまりにこれでは情報が少ないな。まぁ幾つか絞れただけでも、あの戦闘は有意義だったが。」

セイバーは調査に没頭するエンゾの傍らで、彼の書斎を見渡した。お世辞にも綺麗とは言い難い様であるが、足の踏み場もないほどに用意されていた膨大な量の書籍は、マスターであるエンゾの熱心な性格を表していた。その姿勢が、その勤勉さが、セイバーには非常に心地よかった。結局のところ、彼の研究は徒労に終わるやも知れない。何故なら真名を明かしたところで、現状の戦力では到底敵わないような相手かもしれないからだ。しかしエンゾの聖杯に賭ける情熱は間違いなくセイバーの心に何らかの良い影響をもたらした筈である。

セイバーは彼の願いを知っていた。彼の兄であるノエ・デ・キマリュースがあまりにも優秀な魔術師であったこと、本来であれば正当な継承者としてキマリュースの誇りを背負うのはノエの役割であったこと、そしてそんな兄が事故で亡くなってしまったこと、エンゾはセイバーに対し、詳らかに伝えていた。聖杯戦争を開催したのは、キマリュースの誇りを取り戻すため、そして彼の後継者たる子に、父親としての尊厳を強く持った教育を施していくため、一人の男として最後の勝負に出たのだと彼は告げた。

エンゾの子は彼の屋敷にはいない、実はまだ母体の中に宿る小さな命だ。母親はナリエ・ダルマーロ、此度の戦争におけるライダーのマスターである。彼女との同盟関係はただの利害の一致という訳ではなかった。エンゾが聖杯戦争を行うことを止めようとしたナリエだが、エンゾは聞く耳を持たなかった。彼女は当然のごとく失敗すると信じて疑わなかったが、エンゾのセイバー召喚に立ち会ったことで共に戦う覚悟を決めた。ナリエの参戦理由はエンゾを守るためであったのだ。

セイバーはエンゾの話を反芻する。そして魚の骨が喉に刺さる様に似た違和感を覚えずにはいられなかった。

―何故、ナリエはライダーの真名を明かさない?

エンゾを守護する目的で参加したのであれば、同盟を結ぶエンゾには名前を教えてもいいはずである。現にエンゾはセイバーの真名を伝えていた。ナリエの目的が定かではない以上、彼女もまた警戒しなければならない、と、セイバーは考えた。

どこか神妙な顔つきのセイバーに、エンゾは手を休め話しかけた。サーヴァントとのコミュニケーションは良好な信頼関係を構築するために必須である。

「なぁ、セイバー。こんなことを聞くのは野暮かもしれんが、お前が好きな食べ物は何だ?」

当然エンゾはセイバーには食事が必要でないことは知っている。サーヴァントは人あらざる身であり、食を通した栄養摂取は行わない生き物だ。だからこそ彼は野暮と言ったのだろう。エンゾはどちらかと言うと人との接し方が下手な方である。久々に会った同胞への第一声が、良い天気ですね、とまるで英会話教科書のボブとメアリーの不自然さ極まる会話のようなコンタクトであった。

セイバーはやや思考した後、口にできるモノなら何でも、と答えた。エンゾはこれから夕食を作る予定だったが、せっかくならセイバーにも労いの意味を込めて食べて欲しいと思った。それがエンゾなりのコミュニケーションになると信じて。

 

※ ※ ※

 

セイバーとランサーの戦闘が行われてからまる一日が経過した。サーヴァント同士の戦いは基本的に夜間に行われる。それは神秘の秘匿という意味でも、セイバーのマスターである開催者エンゾの、なるべく人的被害を最小限に留めたいという意思の表れでもあった。

深夜、セーヌ川の右岸沿いを練り歩く男がいた。白髪の老人であるが、体格がよく、腰も曲がっていない。暴漢に襲われようと、それを軽く往なしてしまうような、そんな風格がこの男にはあった。

男は一人であったが、隣にまるで何者かがいるかのように話しかける。たまたま通りがかった紳士服の男も、一人でぶつぶつ喋る老人の姿に思わず距離を置いた。

「ランサー、私はどうやら気が狂った爺とでも思われているらしい。通りがかる大人は皆私から数メートル分避けて歩いていくよ。」

「当然だな。貴様はどうにも口数が多い。少し控えたらどうだ?」

「こんな暗い夜は誰かと世間話でもしなきゃ恐怖で押し潰されそうになるだろう?」

「…貴様の言はいつも真実か虚構か分からん。」

この男の名はグラコン、此度の聖杯戦争におけるランサーのマスターである。気難しい性格のランサーを〈王〉と理解したうえで対等に話す、肝の据わった男である。ランサーも特にそれを指摘することなく、その関係は良好と言えた。

グラコンはセイバーとの決戦の日を除いて毎日、川のほとりを散策していた。これまでと同じ散策ルートであれば、ここから暫く直進してから裏路地に入っていくところだ。グラコンの奇妙な行動に付き合うランサーもようやく彼の目的を理解したところだ。

「この路地に来て一週間になるが、どうにもこの暗さ、薄汚さには慣れないな。華やかで輝かしいパリの街並みとは正反対だ。ここら一帯だけはまるで異世界、まぁ聖杯戦争にはどちらかと言うとお似合いな場所だと思うがね。」

「グラコンよ、貴様の考えを私は察した。そろそろ答え合わせと行こうではないか。貴様が奴のいる、この裏路地に足を運ぶ理由だ。」

「…ここ、サン=ドニ地区はパリでも治安の悪い地域だ。一週間前ここに来たとき、私は浮浪者の集団に絡まれただろう?」

「あぁ、貴様が全員相手取ったアレか。」

「この裏路地は特に浮浪者や暴漢がのさばる場所、このまま進んだ先の少し開けた場所に連中のアジトがある。だが私が絡まれた翌日には彼らの姿が無かった。」

「代わりに肉片と血液溜まりがあったな。ふっ、貴様がアレを〈掃除〉したときには心底驚いたぞ。」

「この戦争の監督役テイオスからの伝令だ。ルールに従うつもりは無いが、現状破る気もないからな…当然この大量殺人はヒトの手によるものとは考えにくい。人が人を引きちぎるのは至難の業だろう?」

「ふむ。さらに次の日にはサーヴァントの仕業と判明したな。まさか喰っている現場に遭遇するとは思ってもみなかった。」

「バーサーカー、狂人のクラスだ。あぁ、ちなみに、私が殺害現場を片付けたのにはもう一つ理由がある。まだバーサーカーには喰ってもらいたかったのだ。警察やら何やらの騒動になってセイバー陣営にバレてはならんからね。」

「そして貴様は今日を迎えるまで、ほぼ毎日通い続けた。私を戦闘に出すことなく、ただあの怪物を観察していただけ。その理由がずっと理解できなかった。」

「浮浪者なんて沢山いる、奴にとってのエサはしばらく尽きないだろう。私は毎日何人を喰っているのか気になっていた。このあたり一帯の人口からマイナスして。当然何らかの理由でここから離れる人間もあるだろうから数日間に渡って調査をしたのはそのためだ。」

「ふふ、毎日後処理をする貴様はさながら飼育員のよう、実に滑稽だったぞ。」

「五月蠅い。ほら、もう着くぞ。」

グラコンとランサーは目的の場所に到着した。想定していた通り、バーサーカーの食べ残しが辺り一面に広がっている。今日の分の食事は既に終わっているようで、その気配は消え去っていた。

「ふむ、なるほど。」

グラコンはその場にしゃがみ込み、ブツブツと唱え始めた。ランサーはあたりを警戒しつつグラコンを見守る。そして彼の行動の理由、その答え合わせに入った。

「グラコンよ、貴様が調べていたもの、私にも理解できている。要は、バーサーカーのマスターの生存の有無だな?」

「正解だ、ランサー。奴の殺し方に注目してみると、血が、肉片が、色々なことを教えてくれた。この数日間の間に殺された人間は多数だが、毎日一定数決まって食事している。その人種や身体において差別が無い、皆平等に殺しているのだ。こいつは中々律儀なサーヴァントだよ。さてランサー、この狂人のマスターは生きていると思うかね?それとも。」

ランサーは熟考する。マスターが何かを託して殺させているなら、あまりに無差別だ。

例えば浮浪者に何か怨念を抱いていたとしたら、尚のことグラコンとランサーを警戒するはずである。複合的に考察しても得られる結論は一つだった。

「マスターは既に死んでいる。魔術師でない人間が扱うにはバーサーカーというクラスは破天荒すぎるからな、奴は魔力を得る為だけに人を喰っているのだろう。」

「私もそう思っているよ、ランサー。」

「だが一つ疑問が残る、奴は我々が確認するだけでおよそ一週間は生きていることになるが、マスター無しでここまで生き残ることは不可能に等しい。」

「そう、私もそこが疑問だったよ、だが昨日、バーサーカーの存在を確認した時、私の魔術を使って視させてもらったよ。」

グラコンは余りにも強力な魔術の使い手である。ランサーが召喚に応じたのも、このグラコンの持つ力に勝機を見込んだためであった。その能力は魔術師の持つ魔術形態、及び、サーヴァントのスキル、そして真名でさえも見透かすことのできる力であった。グラコンは既にセイバーとバーサーカーの真名を知っている。

「このバーサーカーは何者かの魔術でその消滅が遅らされている。バーサーカーのマスターでは無い誰かが何らかの意図をもって彼の死を防いでいるんだ。それと魂喰いでここまで延命してきたのだろう。」

「ふむ、誰が何のために、気になるところではあるが、今はまだ分かりそうもないな。ちなみに、バーサーカーは一体何者だ?」

「まぁまぁ、それは後で、だ。バーサーカーが何を望み生きてきたかは知らないが、マスターがいないのなら、こいつは〝はぐれ〟ということになる。」

「なるほど、戦わなくても勝手に死んでくれると?」

「いやいや、死んでは困る。これから我々の戦力に加えなければならないのだからね。」

ランサーはグラコンの言った意味が理解できなかった。一人のマスターが二騎のサーヴァントと契約するのは実質不可能だ。莫大な魔力が吸い上げられグラコンの命が危ぶまれる事態となる。何か策を講じているのだろうか。ランサーが訊ねようとした、その刹那であった。

巨大な何かが宙を舞い、明確な殺意を持ってグラコンに迫る。ランサーは当然それを見逃さない、自分の背丈を超える長槍をその何かに突き立て、肉を抉る。あまりにも重量感のある何かを槍で突き刺したまま地面に叩きつけた。

「流石だな、ランサー。」

「貴様、来るのが理解できていたなら避けるかしたらどうだ。」

「それはサーヴァントの仕事だろう。甲斐甲斐しく私を守ってくれたまえ。」

にやりと笑うグラコンにランサーは軽く舌打ちする。能ある鷹は爪を隠すと言うが、グラコンはワザとらしいからタチが悪い。

ランサーは背を地に付けた何かに向かっていく。その正体はバーサーカーである。この怪物はマスターに施された魔術礼装を身に纏っており、それが体を縛り付ける鎧として機能している。恐らくはバーサーカーのマスターが上手くコントロールするために装着させたものであるが、その負荷が返ってストレスとなり、殺されてしまったのだろう。

バーサーカーは咆哮し、再起する。さながら野獣のごとき様である。一般人が見たら悪魔と呼称するであろうか。

ランサーは槍を構える。真名は結局グラコンから聞き出せなかったが、戦力に加えるということは強大な力を有する英霊に違いはない。一瞬の判断ミスが命取りだ。

バーサーカーの装着する魔術礼装から煙が噴き上がる。どうやら体内から溢れ出る闘志という名の燃料を燃やして、体外へ放出される仕組みらしい。狂人は自ら完全に壊れてしまう一歩手前で自我をコントロールしているのだ。(なおその八割は大破しているようだが。)

煙を噴く様はまるで蒸気機関、いや、それに類するものであろうとランサーは理解する。即ち通常の火力に加え、魔術礼装の付加効果としての瞬発力まで有していた。バーサーカーのマスターはただ拘束して気ままに操る目的のみでこれを装着させた訳ではないのだろう、その行動は結局裏目に出てしまったようだが、サーヴァントという異形の更なるポテンシャルを引き出そうとした点においては評価されても良いのではなかろうか。

狂人は声を発しない、ただ目の前の敵を葬ることだけを考えていた。腕を動かすと礼装が鈍い音を立てる、生前の彼の武装より遥かに硬く重い。しかし自分自身では取り外せない、取り外そうとする意思すら持てない。戦場において誰よりも思考し、誰よりも閃き、誰よりも画策した脳の辞書は、糊がべったりと塗られ、頁を開くことすら出来なくなっていた。

 

―思考が混濁する、混濁する、混濁する。味方はいない、敵はサーヴァントが一人、クラスは判断不可能、だが長槍を持つためランサーと仮定。少し離れた場所に人間…人間?人間、アレをマスターと仮定。俺がここにいる理由は、生きる、生きてみせる、何故生きる?喰い足りない、つまり殺す。どう殺す?腹を抉る?顔を切り裂く?アレは食べられる?

 

蒸気を噴出したまま停止したバーサーカー、ランサーの額に汗が流れる。決して迎撃体制を崩せない為、一瞬も緊張を解くことは無い。バーサーカーの様子を今まで幾度となく観察してきたランサーだが、彼が武器を用意した様子は無かった。生身で突進してくるなら結構、だがそれ以外なら…

今グラコンから真名を聞く手もあるが、ランサーは敢えてそれをしなかった。敵がバーサーカーである以上、例えば剣で武勇を打ち立てていたとしても、必ずしもそれを使ってくるとは限らない。知識を得るままに、思考が凝り固まることこそ避けるべき事態、つまり思い込みこそが大敵なのだ。

狂人は思考を止めた、考えるだけ無駄なのだと悟る。どうせ答えは決まっている、殺すことが全てなのだと。煙が消え、周囲に静寂が訪れる。狂人はここで初めて〈言葉〉を発した。

「Aaaa」

それは彼の威圧的な姿とは正反対の、か細い音であった。野獣の咆哮ではない、まるで助けを乞うカモシカの鳴き声のような弱弱しさ、悲痛を訴えかけるような弱者の叫びである。ランサーはほんの一瞬気が緩んだ、そう、それは時間にして0.1秒ほどの緊張緩和である。

だが狂人はそれを見過ごさない。右手にいつの間にか握っていた銃剣で一気に砲撃する。爆発音が轟き、壁はその火力で吹き飛んだ。ただのライフルではない、サーヴァントが有する限りそれはバズーカにもなる代物だ。当然当たればひとたまりもないが、ランサーには掠りもしていなかった。バーサーカーは姿の見えなくなった敵を探す、横に避けたか上に飛んだか、彼が上空を見やると、矛先をこちらに据えたランサーが急降下してきた。バーサーカーは応戦する、銃剣を掲げ、槍の軌道に合わせ、跳ね返すように打ち払う。すると筋力は狂人の方が上だったのか、槍と剣の鍔迫り合いの勝者はバーサーカーで、ランサーは勢いよく室外機にぶつけられた。

ここでバーサーカーは相手が生粋の武人では無いと悟る、その槍に誇りは無く、彼にとってそれはただの突くための道具なのだ。その矛先に信念の宿らぬ英雄など取るに足らないとバーサーカーは確信した。

ランサーは砂埃を払い立ち上がる。やはりあの狂人の一撃は想定通り重いものであった。身長は近いし、体格も同じ、だが敵は実際のものよりずっと巨大であると認識する。ランサーにとって敵の存在が大きければ大きいほど有利だった。それは彼の持つ宝具の一つが大きく関係している。その技さえ成功すればたとえバーサーカーであろうと打ち倒せるのだ。だが敵には隙が無い、こと戦闘において狂人に狂いは無かった。

バーサーカーは次の攻撃に転じる。持ち前の瞬発力を活かしたタックルでランサーに特攻。ランサーは回避の態勢を取るが、路地裏という性質上、後ろに飛ぶことは出来ず、先程と同じように上空へ逃げる。そして当然のように学習していた狂人により銃剣で切り付けられた。ギリギリで回避が間に合わなかったランサーはその攻撃を脚に受けてしまう。だがランサーはその程度では怯まない。すぐさま身体の向きを変え、槍をバネにして足蹴りを喰らわせる。バーサーカーは魔術礼装の分、体重が増加していたが、強烈な蹴りはそのことをもろともしない風に的確に決まり、巨体を後方へ飛ばした。

しかしここでランサーの脚に痛みが走る。サーヴァントの肉体は並大抵のことでは綻びを見せないが、同族が相手なら話は別だ。幾ら強靭と言えど血は流れるし傷も負う。ならばこそ、この戦いは長引けばランサーが先に果てるのは必至だった。

ランサーには複数の宝具があった。だが槍を用いた宝具はただ一つだけ、しかも必殺宝具ではない。それは彼が、象を打ち払い、父からその勇気を称えられたことが由来していた。ランサーが幼少期に得た大いなる称号だ。

「その父を殺したのも、他でもない私なのだが…」

ランサーの呟きは誰にも聞こえない。彼がランサーとして現界したのは皮肉に他ならなかった。

「神(アッラー)はこうも我が身に試練をお与えになる。」

確かにランサーは自らの槍が達人の域で無いことを知っていたし、何かを極めた英霊で無いことも理解していた。だが、自らの手数の多さは他の英霊に引けを取らず、相手が誰であろうと、その力量を測り、対策する知恵を持っていたこともちゃんと理解していた。だからこそシャンゼリゼでセイバーと打ち合うことが出来たのだ。

「バーサーカーよ、聞こえているか分からんが、お前に一つ言わなければならないことがある。」

「GaaA?」

「私は王だ。貴様が望む、武の境地は生憎だが持ち合わせていない。だがな、貴様とてそれは同じだ。武人ぶるのは辞めたらどうだ?お前もまた、上に立つことに焦がれた部類であろう?」

狂人は答えない、否、答えることが出来ない。自らの在り方など彼には考える余地は無かったのだから。

ランサーは自分よりはるかに強い英霊に敬意を表しつつ、その在り方を狂化により失った怪物を哀れみ、宝具を解放した。

ランサーはバーサーカーに向かって走り出す。その槍の矛先は灰色から朱色へと変化し、光に満ちたエネルギーが集まる。バーサーカーは自らの危機を察知し、銃剣を用いた連射砲撃でこれに対応する。鉛弾はランサーの肉を、骨を抉るが、彼は止まらない。直線距離で接近することで銃の射程から逆に外れることに成功する。狂人はすぐさま剣で応戦するが、時すでに遅し、ランサーはバーサーカーの魔術礼装で覆われていない、露出した腹筋部分にその槍を突き刺していた。

『戦象を払いし勲章(バハードゥル)』

その宝具名を高らかに叫ぶ、敵を屠るための技ではなく、敵の意識を失わせるための技である。狂人は振りかぶる剣を握りしめたまま、ただ静かに倒れこんだ。

バーサーカーの意識がなくなったことを確認すると、ランサーは安堵したのか、その傍に腰を下ろした。当然この巨体は死んでいるわけではない為、再起動の恐れはある。だがランサーの仕事はここまで、後はマスターであるグラコンに任せている。

「お疲れだったな、ランサー。この狂人は私の傀儡に運ばせる。あぁ、勿論他のマスターやサーヴァントには隠し通せそうだ。」

狭い路地裏でこうも激しく戦った割に野次馬が一人もいないのはグラコンのお陰であろう。

ランサーがグラコンの方を見やると、そこには複数のグラコンと同じ顔をした人間が立っていた。

「おかしい、疲れているのか私は?貴様が分身しているように見えるが。」

「これは私の傀儡だよ。さぁ、そこをどいてくれるか?」

ランサーが立ち上がると、たちまち傀儡達はバーサーカーを持ち上げて暗闇の中に消えていった。その様子は何ともシュールで、ランサーは思わず吹き出してしまう。

「グラコンよ、貴様は本当に愉快な魔術を行使するのだな。」

グラコンは実に様々な種類の魔術を使用する。その手数の多さにはランサーも感心したほどだ。だがグラコンはいつもそれを否定する。

「私の魔術は常に〈真〉か〈偽〉のどちらかで構成されている。それは私こそがこの世界を遥かに超えた高次元へと至ることの出来る存在だからだ。」

ランサーはその言葉の意味を把握していなかった。グラコンという男は底なし沼のようであると、どこか彼への理解を諦めている節があるのだった。

 

グラコンと既に霊体化したランサーはセーヌ川付近まで戻って来た。グラコンは畔にまで下りると、何かを見つめるように立ち尽くした。ランサーは彼が何を見ているのか興味を持ったが、それを聞こうとはしなかった。水の流れる音、風が吹く音、流動する全ての物に耳を澄ませる。二人が過ごす今は、戦争の最中とは思われないほど静寂に満ちたものだ。

ランサーはバーサーカーの真名を知った。彼の生きた時代より後に生まれた真の英雄、この地に相応しい、敵に回すと限りなく勝機がゼロになるようなサーヴァントだった。恐らくグラコンの切り札になり得る人物だ、だがそれすらもグラコンにとっては手駒に過ぎないのであろう。そしてランサーもまたグラコンの願いを叶えるための道具、あくまで従者に過ぎないのだ。聖杯戦争においてマスターとサーヴァントは利害の一致により成り立つ関係である。しかし令呪が三画ある以上、サーヴァントはマスターに従わなければならない、たとえ王であろうとその条件は変わらない。ランサーは自らの王としての在り方を悔いていたため、マスターに対して高慢な態度は取らなかった。たとえ王を貫く信念を持ち合わせていても、グラコンを民と同列には扱わなかったであろう。人間はどれだけ態度で尊敬の念を表しても、腹の内では馬鹿にしているかもしれない。ランサーにとってヒトという生き物の誠実な行動は、神(アッラー)への信仰のみである。それこそが他の動物とは違う、ヒトがヒトである為の絶対条件なのだ。

ランサーはグラコンの右手を見た。そこには既に消え去った令呪の跡が残っていた。グラコンはランサーの召喚時、その場で全ての令呪を使用した。その三画全てが共通の命令だ。

「ランサーよ、君の理想を叶えるために、その命尽きるまで戦い抜いてくれ。」

グラコンは、自分の理想ではなく、ランサーの理想と言った。ランサーは驚愕し、困惑し、何を馬鹿な、と口から洩れる。だが、グラコンの瞳を見て、その顔を見て、共に戦うことを決意した。ランサーが生まれて初めて、神への信仰以外に、ヒトの誠実さを目の当たりにした瞬間であったのだ。

「グラコンよ、貴様は聖杯に何を願う?」

そう言えば聞いていなかった、と先に沈黙を破ったのはランサーだった。

「理想の世界を作る、と言ったら抽象的かね?」

「何だ?貴様は王にでもなるつもりか?」

「私でなくてもいい、多くを学び、モノの本来の善さ、美しさ、正しさを理解できるようになった者達が王になり、社会を作る。私利私欲にまみれる愚かなる王などそこにはいない、理想都市だよ。」

「そうか。」

「ランサー、君は以前に、自分の王道を悔いていると言ったな?私はそうは思わない。君こそ私の理想に非常に近い存在だ、後悔などする必要もない。親殺しを除けばね。」

グラコンはそう言ってケタケタと笑った。ランサーはほんの少し、報われたような気持になる。自らの死後も、国から、世界から、残虐な王として語り継がれた自分を、肯定する存在がいた。父君(バーバージ―)が生きていたら、私に同じ言葉をかけてくれたのだろうか。

「なぁ、グラコン、お前は王道とは何だと思う?…いや、すまん、お喋りが過ぎた。王でない者に王道を問うなど、私も焼きが回ったようだ。」

「王道か…」

グラコンはランサーの質問への答えを用意するため、暫く考え込んだ。再び二人の間に静寂が訪れるが、グラコンが再び口を開くのにそう時間はかからなかった。

「王とは、このセーヌだ。」

「セーヌ川?」

「そう、以前昼間にここを散策したことがあったろ。この静かな夜とは違う、多くの人間がこの場所にいたはずだ。」

ランサーはそのときのことを思い出す。パリという都市の持つ性格なのか、そこには様々な人間がいた。

「ただ足を浸ける者、階段に座って仕事する者…」

「あぁ、ウォークマンを聞く者もいれば、陽気に歌う者もいる、恋人に愛を語り向ける者や、寂しさを川に向かって吐露する者も、全てを受け入れるのが、ここ、セーヌの器だ。人の良し悪しではない、勿論人種でもない、何もかもを平等に受け入れること、それが王道だと私は思うがね。」

ランサーは自らの治世を顧みる。自分の敷いた法は全て神への信仰が前提として存在した。

異教に魂を捧げる者はヒトに非ず、彼は理解しようとすら思わなかっただろう。

―今は…どうだ?

―私は彼らを、同じヒトとして抱擁できるであろうか?

ランサーはその答えを今すぐには出せなかった。だが、王として、自分自身のために、必ず聖杯に至る前には答えを出そうと決意した。

「…夜風が心地良いな、ランサー。」

「…あぁ、マスター。」

その後、小一時間あまり二人は会話もせず、ただ川の流れを見つめていたのであった。

 

※ ※ ※

 

教会の扉を静かに開ける少女がいた。

少女はアジア人であるが、その髪はどちらかというとヨーロピアンのそれ、混血かと思われるほど綺麗な銀色だ。

硬い椅子で読書に耽っていた神父も、来訪者があればきちんと応対する。それがエンゾの起こした聖杯戦争の参加者であれば尚のことである。

「来たか、五人目のマスター。」

神父は銀髪の少女を手招きし、一番前の座席に座らせた。自らは一人分の空間を間に作り、横へ腰かけた。

「貴方が監督役の…」

少女はここで初めて口を開いた。

「そう、スぺウポシス=テイオスだ。」

「スぺ…?」

「テイオスでいい。ああ、自己紹介は要らないよ。君のことはよーく知っている。」

銀髪の少女はテイオスを睨んだ。テイオスはどこか愉快な顔つきで、口ぶりである。こういう人間を胡散臭い、と表現するのか、と少女は呆れてしまった。

一方テイオスは少女の中に潜む魔にいち早く気が付いた。それは彼が聖職者たる所以だ。

必要以上に接触を計れば、たちまちテイオスは肉塊と化すだろう。

「何故私のことを知っている?」

「ナリエからね、聞いたんだよ。手の甲に赤い痣の現れた君が、ここに来るであろうことはね。」

少女は手の甲の痣を見つめた。赤い三画の紋様は、さながら悪魔の角のよう。彼女は隠すように服の袖を引っ張った。

少女はどこか怪しげな神父に嫌悪感を覚えつつも、この教会に来た目的を果たすべく、持っていたカバンから小さな布切れを取り出した。

「それは…?」

「ダルマーロが用意した聖遺物、つまり触媒。聖堂教会はこういったものを管理しているんでしょう。だからあげる。」

少女は半ば押し付けるようにテイオスに布を譲渡する。

「僕が言うのもなんだが、君はまだサーヴァントの召喚を行っていない、にも関わらずこれを手放してしまっても良いのかい?」

少女は頷き、それ以上語ろうとはしなかった。テイオスもまた彼女に問いただすことはせず、布を預かることにした。

充幸は用が済んだとばかりに、教会を後にしようとする。

「サーヴァント召喚の儀式を行うのであれば、歩いてもうしばらく先の無人教会を使うがいい。あの場所は誰も立ち入ることが無い。」

少女はテイオスの方を振り返るが、直ぐにそっぽを向いて立ち去った。

建付けの悪い扉から不快な音が出る、彼はその音を聞き、再び読書の態勢へと戻った。

少女に特別な思い入れは無いテイオスだが、彼女の道行きを案じるぐらいには人間としての感情を備えているふりをしていた。彼の周りには魔術師をドブネズミ以下の存在だと罵る者もいたが、彼自身は誰かをそこまで嫌う程、人を想ったことは無かったのだ。

好意も嫌悪も、感情を有する人間であるが故の特権である、テイオスは人間という生物の定義を感情の発露と考えたが、彼自身、あらゆる事柄に心を揺さぶられない人生であったからこそ、この定義が正しいかを証明できない。何故ならば、彼は他の誰かに成り代わることは出来ないからだ。

ならばこそ、彼は監督役として、この戦いを観測するべきだ。ちょうど少女が、教会の扉を開け、外へ歩いて行ったように。

テイオスは本を閉じ、目を瞑る。本の内容はあまり記憶に残らないものであったが、たしか運命に振り回された女が、最後にヒールを履いて、ショッピングに行く話だった。その過程が幸せであったかどうかはともかくとして。

フランスの地に集いし英霊は五騎、己が野心の為、彼らは武器を取り、血で血を洗う。

だがテイオスは信じた。もし己が為でなく、誰かの為にその心を震わせたならば、それは実に人間らしいはずである、と。

彼もまた、この教会に来た五人のマスター達のように、扉を開け、外へ飛び出したのだった。

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