Fate/devotion    作:パープルハット

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桃色の後日談

 

キャリーケースを転がしながら、少女はすれ違いざまに老婆へ声をかけた。若者が暮らすには余りにも何も無い土地で、異国の人と思しき可憐な若人に出会った老婆は、物珍しさにただ少女の背中を見つめるのみだった。少女の持つ大きなカバンが、舗装されていない砂利道をゴロゴロと音を立てて転がる。大きい石も諸共せずに、目的の場所へ向かってまっすぐに。

少女は黒に近い銀色の髪をしていた。それだけなら珍しくも無いが、その腰まで伸びたものの毛先は淡い桃色をしていた。季節は秋だというのに、その揺らめく様はまるで舞い落ちる桜の花びらのようだ。そして何より老婆がぎょっとしたのはその二色の眼、人の身体は左右非対称であるが、目の色があれ程にまで明確に分かれていれば、誰だって二度見してしまう。

老婆は都会の流行を知らない。息子娘は五十を超え、正月に帰省するのみだ。彼女の世界はこの緑豊かな地が全て。それが限界だとそう自らに言い聞かせていた。

だが、老婆はふと思う。ただ茫然と毎日を消化するだけで無く、トンネルを超えた先、自分の知らない物が、者が、そこにあるならば…もう少しだけ生きてみたくなるのではないか。

それが若さなのだと彼女が気付く頃には、少女の姿は遠くなっていた。

老婆が見つめていることなど露知らず、少女は地図に記された場所を目指して歩き続ける。ここ、日本に来て早くも二年経過したが、まだ彼女は慣れてはいなかった。何もかもが異なる地で、旧時代を生きた只の王が、愛する者の為に生きる。それは難しいことだと理解しているが、それでも前に進み続ける他無い。生きる為に進むのだ。

少女は余りにも急な坂道を、荒い呼吸で登り切る。もはや自分が人間であるのかサーヴァントであるのか、彼女自身が認識できなくなっていたが、きっとこの疲労は人間独自の物だ。そうであって欲しいと思う。彼女は一度呼吸を整える為に、キャリーケースの上に座り、空を眺めた。呆れるほどの快晴が少女の二色に焼き付けられる。フランスで見たそれと同じである筈なのに、周りの環境が違えば、こうも異なる色であるのか。そう言えば、王として玉座から世界を見渡した時も、同じ空だったような気がする。昔から、そして、これから先もずっと、青は永遠に、青だ。

「あともう少し。」

彼女の休息は終了。再び歩き始める。目的の場所はもうすぐ近く。

少女の進む先、会いたかった人のいる家がある。今も変わらなければ、彼はこの地で暮らしているはずだ。見つけるまでに一年も経ってしまった。

古い家屋の立ち並ぶ村の中でも、少しだけ周りより大きな屋敷。フランスで見る家々よりは遥かにオンボロだが、それもまた味なのだ。

そして少女は辿り着く。インターホンは無い、大きな声で呼びかければ中にいる者に届くだろう。それぐらい静寂に満ちている。

「ごめんください。」

「はい?」

中から七十は過ぎた男がゆっくりと姿を見せた。腰を痛めているようだ。取り付けられた手すりが無ければ躓いてしまう。少女は外様であるにも関わらず、玄関から上がり、男を支えた。男は小さく有難うと呟くと、部屋の中へ案内した。

古い、それでいて、どこか懐かしい、畳の部屋だ。ブラウン管のテレビからは政治家の答弁が流れている。扇風機が置かれているが、少し埃が溜まっている。ちゃぶ台には新聞と空の急須が転がっている。来客があったから、急いで立ち上がったんだな、と少女はどこか申し訳なく思ってしまった。

「そこに座りなさい。」

男は座布団のある場所に少女を誘導した。支えていた手を離し、自らは敷かれた布団の上に座り込む。

「何も用意は無いよ。」

「いえ、お構いなく。」

少女は部屋を見渡した。あまり掃除がされていないのか散らかっている印象だが、端にある彼の配偶者の物と思われる仏壇は綺麗に手入れされていた。ここだけは、毎日入念に拭かれているのだろう。

「悪いね、汚くて。」

「急にお邪魔したのは私です、申し訳ございません。」

「まぁ電話も無いから直接来るしかないよなぁ。」

男は頭を掻くと、少女の目をじっと見つめた。

「あの、今日ここへ来たのは…」

「…悪かったね。僕は君の教師失格だったよ。」

男は、真壁は、少女に頭を下げた。深々と、痛めた腰をより曲げて。

「っ…顔を上げて下さい!悪いのは私です。真壁先生は何も悪くない。むしろ私は感謝を述べたくてここまで来たんです。だから、だから…」

少女の目から涙が零れ落ちる。偽りの記憶だとしても、彼女が真壁に救われたのは紛れもない事実だから。

「…頭を、上げて下さい。」

真壁は顔を上げた。少女の美しい目から温かなものが流れ落ちていた。真壁はようやく気付く、否、ずっと昔から気付いていたのかもしれない。少女は化物では無い、少女は、只の女の子だ。血に飢えた獣が、目の前の人間の為に泣くことなど出来るものか。真壁は分かっていたはずなのに、恐怖に慄き、逃げてしまったのだ。

「先生は、私のことを覚えていてくださったのですね。」

「忘れるわけ無いだろう。長い教師生活で、一番の問題児だった君を。」

「問題児は酷くないですか?」

「はは、そうだね…」

真壁は少し笑うと、また真顔に戻り沈黙した。

二人の間に、しばしの静寂が訪れる。少女はそれを退屈には感じなかった。

「…子どもを怖がらせることだけは、大人はやってはならない。僕は自らそう言い続けながら、君の痛みに恐怖してしまった。一番君が苦しんでいるときに、助けてあげられなかった。助けてくれる誰かに託すことさえもしなかった。」

「…先生…」

「だから感謝は要らない。感謝は受け取らない。先生と呼ばれる資格は僕には無いのだからね。だけど、もしも許されるなら、一つだけ、君に伝えたいことがある。」

真壁はじっと少女の二色の眼を見つめた。

「君は立派に成長した。君はもう大人だ。だから、最期の授業。君は大人として、子どもに優しく生きなさい。好きにならなくてもいい。ただ優しくありなさい。」

少女は言葉を紡がず、ただ頷いた。真壁は薄汚れた眼鏡のレンズで、改めて大きく成長した少女を確認する。そして、小さく微笑んだ。

「ありがとう、鬼頭君。」

交わした言葉はそれが最後だった。少女は真壁の家を出ると、茜色の空を見つめ、元来た道へ歩き出す。陽の落ちる方角へ行けば、バス停へ辿り着ける。

先程までは陽の光が地面に降り注いでいたのに、今は冬の訪れを感じさせるほどに寒さを直で感じる。少女は仕舞っていたマフラーで首を温めると、停留所へと向かって行く。

ふと冷たい風が吹いた。

でも少女にはそれがどこか温かく感じられた。

「…またね。」

少女の髪がふわりと揺らぐ。

桃色の花びらがひらひらと、ひらひらと。

 

 


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