Fate/devotion    作:パープルハット

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7/25「王の器」にて当選した場合、頒布予定です。
感想等お待ちしております。誤字がございましたらご連絡ください。


第二章 二人のアサシン

【聖杯戦争 生存者の手記】

 

近況報告。

私は魔術師としての全てを捨て、今は普通の専業主婦になるための花嫁修業中である。

如何せん世間の常識とやらを知らなさ過ぎた私を導いたのは今の恋人だ。彼には感謝してもしきれないが、靴下を片方だけ失くしてしまう癖はどうにか直してほしい。

東欧の国で大きな聖杯戦争があったとかなかったとか、私には関係のない話なので聞く気もないし、調べることもないだろう。コンピュータは苦手だし、どうせ調べたって検索がヒットすることはないはずだ。

 

…あの日からちょうど十年が経った。

彼女と共に体験した異様で、異質で、それでいてどこか温かい日々を思い出す。

私達は、聖杯を巡って戦い抜けた。

聖杯とはヒトの手により作られし願望器、理想の具現、酒を注ぐには少しばかり大きめのカップ、金色のソレは私達の全てを変えたのだ。

彼女に別れを告げた瞬間、彼女はどんな顔をしていたか。

笑顔だったか、泣き顔だったか、今じゃ思い出せそうもない。

ただ一つ覚えている、彼女が私に残した言葉。

 

〈生きて〉

 

この三文字にどれだけの意味が込められていたか、愚かな自分では理解できなかった。

あの戦争こそが私の人生の終着駅だと信じて疑わなかったから。

でも、今なら少しだけ分かる。

互いに、本来ならば二十歳まで生きられなかった女の子同士だから。

生きたいと願うことすら許されなかった二人だから。

まだ見ぬ世界があった。

知り得ぬ未来があった。

死ぬことは怖くなくて、生きることに恐怖した。

世界を見ようとする冒険心も、

未来を掴み取ろうとする探求心も無く、

くだらない運命に振り回された二人が求めたものは〈同じ〉だった。

死への呪いに打ち勝つこと。

生への呪いを受け入れること。

私達が見た理想は、歪ながらぴったりと重なるモノだった。

だからこそ、彼女は…

 

【第二章】

 

「…抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ…」

魔方陣が淡く光を放つ。鬼頭(きとう) 充(み)幸(さち)はその様子を呆然と眺めていた。彼女の手の甲には赤い痣の様に浮かび上がった令呪がある、充幸もまた此度の戦争のマスターであったのだ。

日本から一日がかりで異国に訊ねたのも束の間、彼女は英霊召還に取り掛かる。この地では自分がいつ後ろから刺されてもおかしくない、魔術師の戦いは既に始まっているのだ。

そして彼女はこの瞬間、奇跡を目の当たりにする。魔方陣から出現したのは過去の英雄、あまりにも美しい髪と顔を持った少女が充幸の前に姿を見せた。

「汝が我のマスターか?」

充幸は答えるのに時間を要した。目の前に現れた者の優美さに言葉を失った為である。数泊置いて彼女はサーヴァントに「はい」とか細い声で伝えた。

「ふん、汝のごときか弱き者に呼ばれるとはな。まぁ良い。我はアサシンのクラスで現界した、名をエサルハドンと言う。」

「エサル…ハドン?」

充幸はその名前に聞き覚えが無かった。それは彼女が意図してエサルハドンを召還した訳では無かったからだ。その証拠に、この場には触媒として用いる筈の聖遺物が存在しない。アサシンは充幸のどこか戸惑った様子に眉を顰めた。

「貴様、まさか我を偶然に呼んだとでも言うのか?」

アサシンは一気に不機嫌になる。触媒にしたものが存在しないということは、この臆病そうなマスターに似通った者として自分が選ばれたこととなる。自らの偉業を知らぬ者が偶然召還に成功したという事実が不敬そのものであった。

「すみません…」

充幸のこれまたか弱い声の謝罪に、アサシンは憤りを覚えた。真剣に謝る素振りではなく、相手が何か怒っているから、とりあえず謝っておこうとするような、気持ちの籠らない形だけの謝罪。王であるアサシンを前に取っていい態度では無い。アサシンはナイフを取り出すと、充幸の首に押し当てた。

「もういい、死ね、不敬者が。」

充幸の肌から鮮血が垂れ落ちる。しかし充幸は動じない。殺される前の人間にしては、彼女はやけに静かであった。アサシンは充幸の眼を見る。少し虚ろな、それでいて何かを決意した人間の瞳である。

「汝、死ぬことを怖れぬか?」

聖杯に望みを託そうとする人間にしては、抵抗する素振りが無く、些か不可解である。アサシンはたった今、本気で殺すつもりでいた。後数センチナイフが首を抉れば、充幸は絶命していたのだ。エサルハドンは少しだけ、充幸に興味を抱いた。

「死ぬのは怖いです、勿論。」

「では何故逃げない、何故令呪を使用しない?我の殺意をパフォーマンスとでも思ったか?」

「いえ、私は死にません。そういう風に出来ているから。」

「死のない生物、貴様は絡繰とでも言うつもりか?」

「絡繰…確かに、似たようなものです。」

アサシンは今一度、充幸の様子を見やる。最初に相見えたときには気付かなかったが、充幸は銀髪にオッドアイであった。聖杯から与えられた知識を閲覧しても純日本人の身なりとは程遠いものである。そして首元から流れ落ちる血は妙に赤い、静脈血はもっと赤黒いものであろう、この赤は朱に近い鮮やかさだ。

だがその血液が紛い物とは思えない。これは正真正銘生き物の中を流れる液体だ、人に似せて作ったモノではここまでの完成度には至れない。

アサシンには彼女が何者であるか理解する術が無かった。

「何者だ、汝は。」

「人です。ただ、この体の全てが人間のそれでは無い。半分は〈鬼〉なのです。」

「鬼?」

アサシンは再び脳内のデータベースを閲覧し、〈鬼〉というワードを検索する。日本古来から存在するとされている妖怪の一種で、それの持つイメージは悪そのものであった。エサルハドンの生きた時代にも人と獣の混血は存在したため、別段珍しいものでは無かったが、現代においては中々お目にかかれない人種らしい。

「私の中に流れる鬼の血は、鬼頭が代々継いできた魔術そのものであり、通常の魔術師とは比べることの出来ない魔力量を誇っています。そう、私自身が何度傷付こうと瞬時に回復するくらいには。」

「ふん、なるほど、自身が死なないマスターであるならば誰を召喚しようが関係ないと思ったか?」

「いえ…そういう訳では…」

充幸のどこか煮え切らないような態度に苛立ちを加速させるアサシン。彼女が王として君臨したアッシリアにおいて、このような戦士足り得ない者がいたら極刑である。だがアサシンは充幸を再び殺そうとはしなかった。マスターが強力な魔術師であれば必然的に自らも勝ちやすくなる、それでなくともエサルハドンという英霊は自分自身の力に絶対的な信頼を置いていた。出来レースに参加し、生前叶えられなかった望みを叶えるのもまた一興。エサルハドンは充幸を利用するだけ利用することに決めたのだった。

対して充幸は複雑な感情を抱いていた。ナリエから渡された触媒をテイオスへ押し付けたのは、つまり、彼女の体内を流れる鬼の血こそが触媒そのものであったのだ。彼女は聖杯へ願いを託す以上に、鬼を召喚する事を求めていた。彼女は鬼に出会い、問わなければならなかった。何故鬼頭の家をここまで苦しめるのか。

充幸に残された時間はあと僅かであるというのに。

充幸はエサルハドンを見つめる。淡い桃色の髪は、この世のものとは思えない美しさで、余りにも整った顔立ちは、容姿端麗という言葉が彼女の為に存在するのかと錯覚するほどのものであった。確かにその姿、立ち居振る舞いは獣に非ず、人間のそれである。だが勘違いしてはいけない、彼女はあくまでサーヴァントであり、魔力の塊に他ならない。価値観が異なるというレベルを超えて、生命として根本から人と乖離している。加えて充幸を不敬者と称したことから、アサシンは位の高い人物だったことは容易に想像できる。つまり人間誰しも平等を謳う現代に生まれた充幸にとって最も特異な存在であった。そしてどれだけアサシンを見ても、声を聞いても、匂いを嗅いでも、鬼の気は感じられない。生前のアサシンの中に流れていた血は純然たる人の子の血だ。

充幸は首から流れる血を掬う。手にべったりと色濃く付いた血液に、彼女は嫌悪感を示した。この血こそが愛すべき母親を奪った元凶に他ならない。そして充幸もまた、この血に殺される未来が待ち受けている。「呪い」を解くにはアサシンと共に聖杯を勝ち取るしかないのだ。

充幸は大きく息を吸い込んだ。目の前にいる英霊に一つだけ訊ねねばならないことがある。

それはこの戦争で共に戦う上で絶対に必要なことであった。

「あの、アサシン、貴方に一つ質問をしてもよろしいですか?」

「赦す。」

「貴方にとって〈生きる〉とは何ですか?」

充幸は真剣な眼差しをアサシンに向けた。抽象的な質問であるが、アサシンは即答する。

「生きるとは即ち国土を拡げることだ。戦い、殺し、この世で最も価値ある土地を我が物とする。人という生き物が有するもので最も貴いのは〈時間〉と〈居場所〉だ。時間は直接奪えないが、居場所はいくらでも奪えるだろう?それこそが我が覇道、生き様よ。」

「貴方はその生き様に、恐怖を感じたことは無いのですか?」

「ハッ、恐怖だと?笑わせる。我が国はその覇道をもって栄えたのだ。生きるという行為には必ず犠牲が付きものだ。貴様は肉を喰らうときに毎度のごとく悲しみの情を抱くのか?」

「それは…」

「ふん、下らない質問だったな。王の時間を無駄にした罪は重いぞ。今回は不問とするがな。」

充幸は口を噤む。これ以上アサシンと話しても恐らく互いは互いを理解し得ないと判断した。充幸の立場は、エサルハドンがごとき巨大な存在、悪鬼に虐げられた側である。その人生の全てが大いなる悪によって犠牲にされてきた。

充幸は何故エサルハドンが召喚されたのかを理解した。

―彼女(アサシン)は、鬼だ。

 

エサルハドンもまた、マスターである充幸のことを考えていた。偉大なる王である自らが召喚されていなければ、彼女はこの聖杯戦争で勝ち抜けないであろう。性能の話ではなく、性格の話である。少女は人を殺めることを躊躇してしまうような臆病さを秘めている。何が彼女を突き動かし、戦争に参加したのかは知らないが、覇気もなく、渇望もなく、ただ漠然と生きているだけの抜け殻に過ぎない。アサシンは充幸を絡繰と揶揄したが、あながち全くの外れという訳でもなさそうだ。

しかし少女は幸運である。アッシリアの偉大な王を引き当てたのだから。マスターが死なないというのであれば尚更勝利を得るのは容易い。

アサシンは生前の所有物である杖を取り出した。王たる彼女のみが有することを許された、まさに国の象徴たる産物である。この世界の命運を占い続けた、王の友人でさえあった。

「この世界でもまた、よろしく頼むぞ、我が杖(リヴム)。」

アサシンは杖の先に付いた水晶に手をかざす。黄金の装飾で覆われた杖の先に付属している青き水晶は、エサルハドンが得意とする占いの道具である。数々の事故や悪意を、この占いによって遠ざけてきた。此度の戦争においても、彼女はありとあらゆる理、その全てを、水晶を通して見極める、それこそがアサシンのポリシー、生き様に他ならなかった。

アサシンが水晶から手を離すと、半透明だったはずの球体に数分先の未来が映り出される。

そこに在るのは、このフランスに巣食う悪霊たちの姿、名もなき亡霊たちは何かに引き寄せられるようにアサシンと充幸の元へと向かう。日向で生きる人間たちには目視できない闇の住人達、死してなおこの世に滞留し続ける魂が二人を狙っていた。

「汝の血が、何か良くないものを引き寄せたらしいぞ。」

二人が現在いる場所は古びた教会の中である。荒廃した建造物であるものの、悪霊が好んでやってくる程、清廉さを失っている訳では無い。となると充幸の鬼の血に魅かれてやって来たとアサシンが考えるのは自明の理であった。

「フランスの…さまよえる魂…」

充幸の目の前で這いずる影が5つ、それは青白い亡霊となって現れる。実際に色が付いているのでは無く、充幸の脳が目の前の個体を認識するため、無理矢理視覚化しているに過ぎない。分かることはただ一つ、この魂が鬼の悪意に釣られて現れたということ。そして明確な殺人意思を持って二人に相対しているということだ。

「敵サーヴァントの傀儡という訳でもなさそうだな。敵意を持たれているのは偶然か?はたまた必然か…」

「私は故郷である日本にいた時から、度々悪いモノに憑かれていましたが、異国の地でもそれが起こるとは、すみません、アサシン。」

「フッ、汝への求婚と考えれば、この悪霊たちも可愛く見える。少々過激ではあるがな。」

アサシンは杖を振り下ろし、悪霊たちを薙ぎ払う。しかし肉体を有しない浮遊物は、形を変え、二人に覆い被さろうとする。まるで吐瀉物に塗れるかのような不快感が充幸を襲った。

アサシンは充幸の様子を見ることもなく、ただ淡々と仕事をこなすように悪霊を打つ。心配している訳でも、信頼している訳でもない。ただ充幸のほうが、こういうことの対処に慣れている、その事実さえあれば、彼女を過剰に保護する必要はないのだ。

アサシンは打撃武器として杖を振るう、原形のない悪意に対し、ひたすらに攻撃を加え続ける。

何度でも形を変える悪霊を見て、充幸の頭に疑問符が浮かんだ。何故アサシンは効果のないと分かりきっている攻撃をし続けるのだろう、と。だが、その疑問は一瞬で解消されることとなる。攻撃を加え続けた悪霊のうちの一体が、光の粒子となって消滅したのだ。

「不思議そうな顔をしているな。」

アサシンは悪霊の対処をしつつ充幸を見つめた。充幸もまた、アサシンの立ち振る舞いに見惚れていた。

「どうやって亡霊を倒したのですか?」

「愚問だな。我は居場所を奪う者、現世に縛られた彼らの場所を奪い尽くしたのみだ。天に召されるか、血の海を渡るかは与り知らんことだな。」

「成仏した、ということですか?」

「成仏、か。死に絶えた後に仏になるというのは実に都合のいい解釈だ。」

アサシンは威風堂々たる振る舞いで、杖を振るい、光の軌跡を生み出す。殺意の塊は弾け、霧散する。充幸が一呼吸するたびに、一つの悪意が消し飛び続ける。充幸が知り得ぬポテンシャルを有した存在、それが英霊エサルハドンであった。

そして充幸を覆っていた影もアサシンに消し飛ばされる。充幸は思わず感謝の言葉を漏らしたが、アサシンは聞く耳を持たなかった。

「やはり、持たざる者から奪うというのは、実に意味のない行為だ。」

アサシンは一通り悪霊を片付けると、一人教会から立ち去った。充幸は慌ててアサシンの後を追う。王であるという彼女が、これからどこに向かうのか、何をしようとしているのか、充幸には知る由もない。

 

※ ※ ※

 

エンゾは漆黒の闇の中にいた。

海で溺れている感覚、必死に足掻いても浮上できない。息苦しさが彼を蝕む。

そしてエンゾ自身が自分のいる場所を認知している。これは紛れもない、彼が見ている夢の中だ。

「いつも同じ夢だ。」

エンゾは漆黒の正体を知っている。両手で掬い上げると、それは赤黒い血液に変化した。

これは兄のモノ、ノエの痛みだ。

血だまりの中からノエの形をした何かが生まれる。そしてその手でエンゾの首を絞めた。

夢だと理解しているエンゾは、特に抵抗することもなく、兄にその身を委ねた。

―ただでさえ息苦しいっていうのに…

エンゾにとっては、ノエが生きていようが死んでいようが同じことである。どんな状況になろうとも、どんな体制になろうとも、エンゾがエンゾ・デ・キマリュースとして生まれ落ちた時点で運命は決定されている。

誰よりも優れた肉親がいる/いた、その事実は一生消えないのだから。

血液の塊で出来た兄を見る、そしてエンゾは気付くのだ。その正体はノエではない、他でもない、エンゾ自身であると。

そしてエンゾは今日もまた、夢の中で死に絶える。

 

窓を打ち付ける雨の音が、エンゾを覚醒させる。

エンゾが目を覚ました時、まず身体の異変に気付いた。数百の蔵書をベッドに眠ったことで首やら腰に必要のない負荷がかかったらしい。見事なまでに寝違えてしまっていた。

そして横には彼のサーヴァント、セイバーが立っている。どうせなら寝室まで運んでほしかったとエンゾは思ったが、セイバーは決して召使ではないと自分に言い聞かせた。

「セイバー、異常は無かったか?」

「はい、今日はライダーのマスターも訪ねてはいませんね。」

「そうか、ナリエも調査中なんだな。」

エンゾは母体の彼女を働かせていることに罪悪感を抱いていた。そもそも彼女を聖杯戦争に参加させてしまったのが彼の大いなる過ちである。いずれ生まれてくる子のためにも、何としても戦争に勝たなければならない。

「ランサーだけでもまだまだ情報が足りないってのに、まだアサシンやバーサーカーもいると考えると…」

エンゾは分かりやすく項垂れる。セイバーを過信していた時期はとっくに過ぎ、今は如何なる強敵が待ち受けているか怯える有様である。

「ノエが生きていたら、どうしているだろうか。」

エンゾは思わずそんな呟きをしてしまう。そもそも兄が生きていれば聖杯戦争を起こすことなど絶対に無い、荒唐無稽な考えだ、とエンゾは自分自身に呆れてしまった。そんなエンゾの呟きに、セイバーは反応した。

「マスターのご兄弟は、優れた魔術師なのですね。」

エンゾは、普段寡黙なセイバーが口を開いたことに驚きを隠せなかった。それもそのはず、セイバーは必要以上口を開かない寡黙な男であるのだ。基本的に聞かれたことには答えるが、それ以上は語らない。昨日に好きな料理を聞いた時も、そして実際に食べた時も、ほとんど無反応に近かったのだ。

「あぁ、ノエは本当に何もかもが完璧な人間だ。自分に自信があるから、いつも堂々としていたんだ。俺とは大違い。」

エンゾは自虐気味に笑う。セイバーにとっては、エンゾも能力は低いといえど、自らの意地と誇りを賭けられる、勇気ある人間だと思っている。しかしそれを彼に伝えようと、エンゾは否定するであろう。彼は非常に自己評価の低い人間なのだ。

セイバーは自らの生前を顧みる。彼は自分自身が思うくらいには完璧な人間であった。

ありとあらゆる事象を掌握し、必ず敗北すると決定付けられた戦でさえ、その全てを勝利に塗り替えてきたのだ。だからこそ、出来ない人間の気持ちは微塵も理解できなかった。彼に言わせればそれは努力が足りないのだと。冷酷だ、冷淡だ、残忍だ、そう周りから評価され続けた。勿論彼にとっては些末な事柄であったが。

セイバーはエンゾを見る。冴えない中年の男性という印象の彼は、セイバーの生前の部下によく似ている。彼らは大した努力もせず、ただ流されるままに意思決定し、覚悟もないくせに剣を取る。そして武勇を打ち立てた仲間を見て、妬み、嫉むのだ。

だがエンゾは彼らと少し違う。自らの限界を測り、それでも願いを叶えようと、もがき苦しんでいる。才能がないと理解しつつも、それを何としても埋めようとしているのだ。

もしこのマスターがセイバーの部下であれば、何と声をかけていただろうか、と軽く考えてみた。恐らく、まだまだ努力が足りない、と冷たくあしらっていただろう。

「なぁ、セイバー、お前の願いは何だ?」

エンゾは唐突にそう切り出した。セイバーと出会ってから何度も聞きたかった質問だったが、彼のどこか近寄りがたい空気に怖気づいていた。セイバーが話しかけてきた今が絶好の機会だと感じた為である。

「私の願い、あの方に会って話したいことがあります。それだけです。」

エンゾは当然、セイバーの言うあの方が誰なのかを理解している。恐らく、セイバーが話したいことさえも彼のマスターは理解できた。セイバーの抱く願いは、他のサーヴァントに比べれば小さいものかもしれないが、それでも叶えたいと思わずにはいられないのだ。その気持ちを誰よりもエンゾは理解できた。

―俺も、もう一度ノエに会えるなら…

「俺も、ノエに会えたら言いたいことがあるんだ。実に憎ったらしいアイツに。」

「何と?」

「何で、死んでしまったんだって。」

この世に神がいるならば、今頃システムエラーを起こしているに違いない。間違ってエンゾではなくノエを殺してしまったのだから。

しかも死因はただの落馬、才能溢れる次世代の担い手を雑に退場させたのだ、神の作った脚本は不出来にも程がある。本来ならば、ただのうのうと生きてきたエンゾこそが当てられるべき役割だ。

「生きていて欲しかったんだ、本当に。」

エンゾにはノエに対する妬みや嫉みは確かにあった。だがそれ以上に、そんな兄が誰よりも誇らしかったのだ。

エンゾが感傷に浸っている間に、いつの間にか雨の音は止んでいた。

エンゾはシックなデザインのルームチェアに腰掛ける。腰の痛みが多少和らいでいると感じるのは、それがイタリアのブランドものである所以だろうか。この椅子で眠らずに、蔵書の海で溺れていたのは、それだけ彼自身が没頭していた証である。エンゾは眠たい目を擦って、煙草に火を灯した。

別段エンゾはヘビースモーカーであるという訳では無い、人並みに嗜む程度だ。英国紳士たるもの、煙草と酒は趣味にしておけ、とデンケトから謎の理論で説得されたのがキッカケだった。デンケトはエンゾの出身地を理解していなかったのだろうか。

エンゾは聖杯戦争における観察記録の一つに手を伸ばす。それはかつての友が記した書類であり、彼の形見でもある。

彼、即ちデンケトはとある戦いに参戦した。彼は時計塔の魔術師であるが、エンゾと同じ、所謂ダーニックの演説に心を奪われた者だ。

彼の望みは根源への接続だったか、今となっては知りようもないが、とにかくアサシンのクラスのサーヴァントを召喚し、命を賭して戦ったのだ。

その聖杯戦争で召喚されたのは4騎、アーチャー、キャスター、アサシン、そして監督役のルーラーだ。アサシンは百の貌を持つとされるハサン・サッバーハ。そしてデンケトは彼(もしくは彼女)に命を奪われてしまった。

観察記録では当然、彼がどうやって死んだのかまでは書かれていない。エンゾがそれを知ったのは彼の恋人が死の瞬間を目撃してしまったから。同じ仮面を身につけた者たちが、複数人で囲ってデンケトの首を掻っ切ったそうだ。恋人は命からがら逃げられたようだが、デンケトは即死だった。

エンゾはセイバーをチラリと見る。この戦争に勝利できないとなったら、セイバーは自分を裏切るのだろうか、とエンゾは考えた。勿論その可能性は大いにある。彼が声に応えたのはエンゾの為ではない、彼自身の夢を叶えるためだ。

それでも、何故だろうか。エンゾにはセイバーが離反する姿が想像できなかった。彼の性格か、彼の生き様か、その理由ははっきりとしないままである。

エンゾはデンケトの書類に記載されたアーチャーの情報を見る。そしてその中の一文に目が留まった。

―彼の者は英霊に非ず、血肉を前に嗤う狼なり。

英霊とは必ずしも前世が人間であったとは限らない、と誰かが言った。もしかしたら怪奇伝承から生まれたライカンスロープかもしれない、エンゾは興味をそそられた。

昔からホラー小説を好んで読んだエンゾだからこそ、果ての無い妄想に耽ることが出来る。もし物語の主役たちを召喚できるなら、ドラキュラ伯爵に相まみえたいと感じたのであった。

 

「さて、今後の作戦を練ろう。現在の敵はランサー、アサシン、バーサーカーだ。こちらから仕掛けるにはまだ情報が足りないな。」

エンゾは書類や散らばった本を片付け、今一度椅子に深く座った。

「ライダーのマスター、ナリエとはどう連携していかれるおつもりですか?」

「情報収集が終われば、彼女とは基本的に一緒に行動していくことになる。その方が彼女のことも守れて、かつ敵と相対するうえで一石二鳥だからな。」

ライダーの真名を知り得ない以上、協力体制を築くのは難しい。ナリエの意図が読めないセイバーは彼女への警戒心を強める。

「彼女は、本当に信頼のおけるマスターですか?」

「当然だ。ちょっとやそっとじゃ、彼女との絆は壊れやしないさ。現に彼女が動くことで色々と助けられている。シャンゼリゼという場所でランサーを誘き寄せられたのも彼女の手腕によるところが大きい。」

「……」

逆に、ナリエがライダーに勝利をもたらすために、セイバーとランサーを戦わせたとも取れる。戦争は生き残った者が真に勝利者なのだから。セイバーはどこか抜けているエンゾの様子に、思わず溜息を漏らした。

「ランサーは相当の手練れ、油断ならない敵だ。最も警戒するべきは、このサーヴァントになるだろう。アサシンについては気配遮断スキルを有すると、過去の戦争から推測できる、俺やナリエを直接狙いに来るだろう。例えばセイバーやライダーが他のサーヴァントとの交戦中の隙を狙って、だな。」

「無論、私は常に状況を読みつつ対応しますが、それでもマスター達を守り切れない可能性はあります。」

「俺の魔術は結界を用いた肉体保護の礼装だ。サーヴァントに対して有効かどうかはまだ分らんが、俺とナリエに近付いて攻撃を加えれば、必ず結界が衝撃を吸収し、アラートを鳴らす。その音で我々は判断できるから、戦闘中のサーヴァントを呼び戻せる。この屋敷にも同じ効用の結界を仕掛けてある。」

「サーヴァントに果たして効果があるのか、判断できるまでは、派手な戦闘は控えたほうが良さそうですね。」

「そうだな。後はバーサーカーだが…」

エンゾが言い掛けたその時、セイバーは手でその口を塞いだ。

「マスター、何かがおかしい。」

エンゾはセイバーの行動に、脳の処理が追い付かなかった。何か異変を感じたのだろうか。だが屋敷を囲う結界が壊れた様子はない。

セイバーはエンゾの口元から手を離すと、窓側ににじり寄り、カーテンを開けた。

雨は激しさを増し、屋敷の窓を叩きつける。

「なぁセイバー、一体何なんだ。」

「…これだけ雨が降っているのに、雨音が一切聞こえない。先程まではしっかり耳に届いていましたよね。」

「どうしてだ?敵サーヴァントの攻撃か?」

「もしくは敵マスターか、ですね。とにかく私の傍から離れてはいけませんよ、マスター。」

セイバーは剣を取りだし、周囲を警戒する。エンゾもまた、自身の肉体を保護する結界を二重に被せる。

だが、どれだけ待っても敵からのアプローチは無い。静寂に満ちた数時間が、エンゾの精神に負荷をかける。

「書斎の扉を開けていいか?セイバー。」

「罠の可能性があります。」

「一生ここでこうしているつもりか?もしかしたら俺の仕掛けた結界の不具合かもしれん。周囲の音さえも遠ざけてしまっている、とか。」

「無論あり得なくは無い、ですが、結界魔術のことは何より貴方自身が理解しているはずです。マスター自身、これは外的要因だと勘づいているはずだ、出なければここまで狼狽えることは無いでしょう。」

「…くっ」

一瞬たりとも緊張状態を緩められない。しかし無情にもエンゾの腹が鳴る、書斎には飲み食いできる物は一切なく、朝から何も食していないエンゾには、この状況がたまらなく辛かった。

だが確かにセイバーの言う通り、書斎の扉を開ける危険性も勿論理解できている。殺し合いの現場で悠長に腹が減ったなどとは言えないのだ。

「だが、ナリエが言っていた、〈腹が減っては戦はできぬ〉というジャパンのコトワザがあると…」

エンゾは一人で呟くが、セイバーが反応する訳もないので、また無音状態に戻る。

セイバーは念のため〈切り札〉を握る覚悟をした。手の内を晒してしまうには時期尚早ではあり、エンゾの決断もまた必要になるとはいえ、命がかかっている以上、躊躇してはいられない。

だがそんな静寂は、突如消え去ることとなる。

豪雨の中、一羽の小鳥が屋敷の窓を叩いた。この小鳥はナリエとの通信の役割を果たしている。その羽は赤く塗られており、危険信号を表していた。

「赤色だと?ナリエがピンチだ!」

エンゾは焦って書斎を飛び出そうとする、が、セイバーが制止させた。

「マスター、これは罠かもしれません。」

「この色信号は、まだノエが生きていたころからナリエと三人で取り決めていた、僕たちの合言葉のようなものだ。行かなければナリエが危ない!」

「その色信号が敵側に知られている可能性もあります。」

「それでも行く。セイバー、お前がいれば大丈夫だ。俺は行くぞ。」

セイバーは止むを得ず霊体化し、扉の向こう側を確かめに行く。この間はエンゾを一人にしてしまうが、扉を開けた先のトラップに引っかかるリスクのほうが大きい。

しかしセイバーの予想に反して、屋敷には何も罠が仕掛けられていなかった。

書斎に戻り、霊体化を解くと、エンゾとともに扉の外に出た。

玄関まで走り抜けるが、音が無いことを除いて何ら異変は無かった。セイバーは違和感を抱いたが、それを拭い去ることは出来なかった。

「とりあえずは大丈夫だな、セイバー、玄関先も頼む。慎重にな。」

セイバーは再びその姿を透明にすると、雨の降る外の世界へ抜け出した。

そこは何時もと変わらぬ風景である。黒い雲に覆われた空から、止まぬ雨が降り注ぎ、地面をノックする。何度も何度も、叩き付けるように。

セイバーは微弱な魔力反応を感知した。エンゾのものとは違う、小さいながらも立派な殺意だ。ただ息を潜め、彼を亡き者にする瞬間を狙う。

「気配遮断、にしてはえらくお粗末だな。ここはお前達が隠れるには不適当ということか?」

セイバーはそこにいる誰かに伝えるように、大きな独り言を呟いた。彼はこの魔力反応の正体をアサシンのものと推測した。

そしてその声に反応した何者かが、セイバーの背後を取るように現れた。その右手には一本のナイフ、確実に、彼を殺害するために振り被る。もし彼がただの人間であったならば、その一秒にも満たないアクションでたちまち命を落としていたことだろう。

セイバーは目を閉じた。背後に敵がいる以上、不必要な視覚情報を捨てる。今必要なのは音を聞き分けることだ。得物が空を切る瞬間の風を彼が聞き逃すはずも無かった。

セイバーは素早く敵の腕を左手で掴むと、軽々と投げ飛ばした。彼の想定より軽かった相手の身体は、水溜りに叩きつけられた。すぐさま右手のサーベルで敵の胸を貫く。

ここで敵の顔を初めて目撃する。初老の男が、白い不気味な仮面を身に着けていた。エンゾが数日前に語っていた暗殺教団のサーヴァントであると、その仮面の形状から判断した。

水溜りが敵の血で染まる。セイバーが思うよりも呆気なく、アサシンと思われるサーヴァントは脱落した。

屋敷の扉がそっと開かれ、エンゾが姿を見せる。ドアスコープから一部始終を見守っていたが、サーヴァントであるセイバーには、やはり敗北が無かった。ハサンであると思われるサーヴァントをこうも簡単に倒してしまうのは、流石、セイバーが生前最強の軍人であった証明だ。エンゾはセイバーの雄姿に思わず胸が高鳴った。

「セイバー、よくやった。これでサーヴァントを一体撃破だ。」

エンゾは笑顔で話しかけるが、セイバーは眉間にしわを寄せたままである。たった今殺した敵がサーヴァントであったとして、では何故、屋敷から外の雨音が消えてしまったのだろうか。セイバーの元へ駆け寄るエンゾを眺め、その理由を考察する。

そして彼は真実に辿り着く。これは明確な敵の罠であると。

「マスター、止まりなさい!」

セイバーは叫ぶが、時すでに遅し、エンゾは屋敷を囲う結界の外へ一歩踏み出していた。

次の瞬間、エンゾの頭上から、刃物の雨が降り注ぐ。どこからともなく現れた得物こそ、敵であるアサシンと思しきサーヴァントのトラップだ。気配遮断のスキルが見え見えで機能していたのも、セイバーにわざと存在を悟らせるための行動である。であれば、この敵の正体は自ずと理解できるというものだ。

セイバーは素早くマスターの元へ駆け寄ると、降り注ぐ百のナイフを目にも留まらぬ剣技で打ち払った。そして、エンゾを屋敷の中へ突き飛ばす。

「セイバー、これは…」

エンゾは目を疑った。セイバーの目前には白い仮面の男たちが無数、消えたり現れたりを繰り返している。降りしきる雨の中、黒い影が蠢き、屋敷全体に蔓延っていた。屋敷から外の音が聞こえなくなったのは、この影が隙間なくべったりと屋敷の結界に張り付いていたからである。間違えようも無く、それは先程消滅したはずの、アサシン、ハサン・サッバーハだ。

「ハサンにはそれぞれ、生前に極めし絶技があると聞く。セイバー、もしかしたらコイツらは…」

「百の貌を持つハサン。」

アサシンの一人が、嗤いながらセイバーの傍らに迫った。短刀を突き立てるが、セイバーはそれをサーベルの柄で振り落す。彼がそのまま滑るようにアサシンを突くが、黒い影となり、既にその場から消失していた。直ぐに第二撃に備えようと体制を立て直すが、その隙を見て、両サイドからアサシンは彼を攻め込んだ。

「ちっ…」

セイバーは軽く舌打ちすると、高く飛び上がり、アサシンから遠ざかる。だが屋敷の上で長槍を構えていた影の数人が、宙に浮いたセイバーを捉えていた。無防備な彼に向けて一斉に槍を投げる。セイバーは咄嗟に避けようとするが、槍の一つが彼の腰あたりに突き刺さった。

地面に転がり落ちるセイバーを見て、エンゾは思わず叫ぶ。バックアップしたいが、今彼の元に近付くのは、かえって足手まといだ。エンゾを屋敷の中へ突き飛ばしたのは安全な場所にいさせるため、そして、彼自身少しでも余裕をもって戦う為である。

屋敷の結界へにじり寄る無数の影は、武器を以て結界を割ろうと、雨粒のようにノックする。この結界はサーヴァントに対し有効であったが、それも時間の問題だ。加えて、赤い翼の鳥が先程現れたことから、ナリエもまたどこかで何かと戦っているはずだ。彼女のライダーが何者であるかは知らないが、もしその相手がランサーであるなら始末が悪い。

セイバーは無言で立ち上がると、素早く飛び上がり、屋敷の上にいる者たちを一掃した。振るうサーベルは赤に染まり、影は血みどろになりながら雨に同化するように消失する。

結界を叩くアサシンたちも、セイバーがサーベルで突くと皆崩れ落ちた。やはり数が多いとはいえ一人一人の戦闘力はたかが知れている。セイバーは踊るように屋敷の周りを駆け抜け、影を切り裂いていった。

「よし、いいぞ。」

エンゾは思わずサムズアップをした。セイバーは傷を負おうとも、それをもろともせず立ち回ることが出来る。これこそが英雄、これこそが英霊。生前、幾度となく凄惨たる戦争を生き抜き、かつそれら全てで勝利してきたことが、この数分にも満たない戦いで明らかになる。エンゾは結界の内側から息を飲んで彼の戦いぶりを見つめていた。

何十もの仮面の男を切り落としたセイバーが、ようやっとエンゾのいる玄関口まで戻って来た。敵の襲撃は収まったが、まだ百の貌は殺しきっていない為、警戒を緩めることは出来ない。

「マスター、無事ですか。」

「あぁ、有難うセイバー。影は見当たらない、か。」

「まだ微弱な反応は残っています。敵の居ぬ間にここを出た方がよろしいでしょう。」

エンゾが一刻も早くナリエの元へ向かいたいであろうことは、セイバーも理解していた。加えて、アサシン達の攻撃で屋敷の結界は薄くなっている。もし穴を開けられ、爆薬でも投げ込まれようものならジエンドだ。

ここは彼がエンゾを抱え、早急に脱出するのが吉と出ると推察した。

だがそう易々と逃げ出せるほど、状況は甘くは無かった。キマリュース邸の庭を蠢く数体の影がクツクツと嗤う。これだけの個体を消滅させようと、ハサンにはまだ余裕があるようだ。

白い仮面の男たちの笑い声に、エンゾは不気味さを覚えた。彼らはまだこの状況で笑うことが出来る。その事実に、全身の毛が逆立った。

セイバーは玄関口を出、サーベルを構える。笑うアサシン達はゆっくりとした足取りでキマリュース邸に近付く。もはや気配を消して対象を抹殺する暗殺者のクラスとは別様である。

彼らは口々に呟く、まるで何かに取り憑かれているように。

「あぁ、ジャンヌ。」

「ジャンヌ、可愛いジャンヌ。」

彼らは誰かの名を呼び続ける。

セイバーは先制攻撃とばかりに、影に向かって斬りつけた。一体のハサンは仕留めたが、他の四、五体はふわりと宙に舞い後退した。

「お前達は何者だ。」

雷鳴が轟いた。雨音は次第に強くなり、この場にいる者たちの声を掻き消す。

誰かを求めるアサシンの声も遠くなり、その笑い声も消える。

だがセイバーは、敵の発するある言葉を確かに聞いた。

『悪魔は嗤い、獣は哭く(ラ・ベート)』

セイバーの目に映っていた仮面の男たちは、次々と崩壊していった。その肉から新たな命が生まれる。黒い、得体のしれない何かが、彼の前に登場した。

エンゾもまた、その瞬間を目撃する。今までハサンだったものが、いつの間にか形容しがたい何かに変化した。彼の顔が恐怖で染まる。彼は今更ながら、過去の産物を現代に再構築するこの戦いにぞっとした。アサシンであるはずの黒い物体は、怪物か、はたまた悪魔か、英雄と捉えるにはいささか不合理な生物である。

黒い物体は、セイバーに向かって飛び掛かった。その動きはヒトではなく間違いなく獣である。セイバーは追い払おうとするが、爪を立てた獣は彼の肉を抉り、縋りつく。サーベルで突き刺しても動じない、その動きは益々苛烈なものになる。

セイバーは何とかそれらを打ち払うが、全身を刺され、掻かれ、あらゆる部分が血に染まっていた。もはやハサンはアサシンのクラスでは無い、バーサーカーのような凶暴性を孕んでいる。

エンゾとセイバー、二人は同時に悟る。この状況では、近接戦闘は不利だ。セイバーは敵の戦闘行動を読み解き、対策を立案し、迎撃する参謀である。彼はたとえ後手に回ろうとも、敵のスタイルを把握し、即座に対応できたからこそ、負けることが無かったのだ。

だが此度の敵はヒトならざる獣の類、それもクラス、宝具、それが英霊であるかさえ判断できない、だからこそ、今とれる最善の手で敵を屠るのみである。

「マスター。」

セイバーはエンゾへ声をかけた。それが意味する所をエンゾは理解している。黒い獣たちはいつの間にか数十体に増えていた。これは残りのハサンたちの数に合致する。

エンゾは右手の甲を見つめた。令呪はもう残り二画、ここで一つ消費することが正しいのかは分からない。最初の一画を使用したとき、エンゾは決して後悔はしなかった、だが、今はどうか、彼は頭を悩ませる。

獣は嗤う。獣は哭く。英雄を殺すことが出来るという自信の表れか、否、人を殺すことの出来るという快楽だ。

これがハサンの持つ能力であるとは到底思えない。もしかしたらまだ隠された裏の裏が存在するかもしれない。これがエンゾに令呪を消費させるための罠であるのかもしれない。

だが、エンゾは決意した。セイバーに切り札を握らせる、そう覚悟する。

ナリエからのヘルプコールが嘘であるか分からない以上、彼女を助けに行くことが先決である。エンゾが今戦うのは、彼女の為、そして子どもの為であるからだ。

エンゾは願う、エンゾは祈る。赤く浮かび上がった手の甲の紋章に、セイバーの真の力を解放させろと。

「令呪を以て命ずる。セイバーよ、銃を握れ!」

セイバーは右手で持っていた剣を左手に持ち換えると、空っぽになった右手を天に掲げた。黒い雲が割れ、彼を照らすように陽の光が差し込む。その眩しさに獣は眼を隠した。

セイバーは右手に切り札を握りしめた。本来であればセイバークラスの彼がその武器を扱うことは出来ない。だが彼の持つ宝具の使用時には、銃を放つことを許されている。ただその宝具の発動には、令呪を使用しなければならないのだ。

獣は何かを理解したのか、一斉にセイバーへ襲い掛かる。一刻も早く殺さなければ、自らが消されてしまうと早々に勘付いたのだ。獣の直感は侮れないと、セイバーは思った。

だが彼らは一手遅かった。セイバーがそれを握る前であれば彼を食い殺せたかもしれない。

だが、既に彼は切り札を構えている。引き金に指をかけ、その照準は全ての黒い獣を捉えていた。

「行け!セイバァァァァアアアア!」

エンゾは叫んだ。セイバーはフッと笑みを浮かべた。

敵が怪物であろうとセイバーにとっては関係なかった。

ただ忠実に、ただ確実に、相手を殺すトリガーを引くだけである。

 

―それは母なる大地の為に。

―それは守護すべき国民の為に。

―それは共に戦う陛下の為にこそ在れ。

 

『我が祖国にて戦勝を謳おう(ヴィクトワール・ドゥ・ラフランス)』

 

セイバーが引き金を引くと、射出された鉛玉が黒い怪物の頭を、肉体を貫く。それはただの銃弾では無い。怪物の肉体はたちまち崩壊する、それは声を発することすら許さない、刹那の融解である。黒い物体はその原型を残さず消え去った。

そして宝具の破壊力は怪物を屠るのに留まらない。キマリュース邸以外を焼き尽くし、辺り一面を灰にする。セイバーの持つ唯一無二なる対軍宝具は、百の獣全てを破壊した。

微弱な魔力反応も無くなり、セイバーの手から銃は消失した。彼は溜息をつくと、エンゾが待つキマリュース邸の玄関口まで戻ることにする。

エンゾはセイバーの帰還に、湧き上がる喜びを押さえきれなかった。ついガッツポーズをしたほどである。ただの一撃でこれほどの破壊力を有するのであれば、最後の一画は最終決戦まで取っておくべきだと彼は悟る、だがそんなことは置いておいて、彼の活躍は心の弾むものであった。どれだけ深呼吸をしようにも、興奮は抑えきれない様子である。

一方セイバーが勝利の美酒に酔うことは決して無かった。むしろ先程の戦いに不信感を抱いていた。切り札で仕留めたとはいえ、結局あれがハサンであるかは特定できなかった。黒い獣に変身する絶技を持った教主がいたかどうか、調べなおす必要がある。

そしてセイバーはすっかり晴れ渡った空を見つめる。雨上がりのスカイブルーにはまた虹がかからなかった。

「また、届かなかったか。」

彼は生前を思い出す。陛下(あの方)は自分にはない発想の持ち主で、話すだけで多くを学ぶことが出来た。そして、彼はよく空を眺めていた。

―天を見てみろ、○○○。

空は青、雲は白、太陽は赤、皆がそれぞれ一つの色を持っている。

だがな、一つだけ欲張りな奴がいる。それが七色の虹だ。

 俺は虹になる。誰よりも欲深く、誰よりも輝くのさ。

 ○○○、お前は何色に成りたい?

セイバーは今もなお自らの色を見出せずにいた。彼の掌に残るのはいつも血と灰の残骸のみ、目指すべき場所も、至るべき七色にも程遠い。

あの方に、陛下に、会いたい。セイバーは切にそう願うのであった。

 

エンゾとセイバーはナリエの元へ急ぐことに決めた。一先ずアサシンの脅威は去ったが、まだランサーとバーサーカーがいる以上、予断を許さない状況である。

エンゾの願いを叶えるためには、ナリエの存在が不可欠である。ナリエと、子のために、エンゾは彼女の元へ走らなければならない。

彼はキマリュース邸にあるオートバイ格納庫にセイバーを連れてきた。騎乗スキルを有する彼ならば、逸品ばかりの宝箱で最も優れたものを選び、乗りこなすに違いない。エンゾには生憎、バイクの趣味は無かったが、ノエの遺品とあらば売ることは出来なかった。

「鉄の馬…ですか。」

「悪いが俺には何かに乗るという才能は無いから、セイバーに任せるよ。価値も分からん代物ばかりだ。」

「私にも判りかねますが、これにしましょう。」

そう言ってセイバーが乗ったのは、サイドカー付きの中型二輪である。エンジンを吹かせると鉄の馬はその声を轟かせた。

「スリーホイラー、モーガンの。」

「さぁ、マスター。行きましょうか。」

エンゾは慌ててサイドカーに乗り込んだ。滅多にサイドカーなど購入しないノエが所持していた唯一の単車。それは兄との思い出の品である。エンゾはかつてのノエの姿をセイバーに重ねた。

 

≪バイク乗りの一番の楽しみは、風をその身で感じることさ。張り裂けそうな痛みも、逃げ出したいという弱さも、風が優しく受け止めてくれる。エンゾは馬にもバイクにも乗れやしないから、勿体ないと思ってさ、これなら、運転しなくたって風を感じることが出来るだろ?≫

 

オートバイより少し背の低いサイドカーから見る兄の姿を、エンゾは羨望の眼差しで見つめていた。眉間にしわの寄ったセイバーの顔はエンゾと似ても似つかないが、エンゾにはノエと同じように、大きい存在に感じられたのだった。

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