Fate/devotion    作:紫草ボウシ

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7/25「王の器」にて当選した場合、頒布予定です。
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第三章 連綿たりし我の国

必ず殺す。

俺がアイツを殺してやる。

アイツは俺の家族を、妹を、全部奪った。

今度は俺がアイツから全部奪ってやるんだ。

兵士たちは俺が子どもだと油断するはず、侵入するのは簡単だ。

後はどう近付くか、だけど…

「ねー×××、どうするの?」

「馬鹿!声がでけぇよ。」

「僕、お腹すいちゃったよ。」

「お前も五月蠅い、我慢しろ。」

こちらは三人もいる、こいつらはやっぱり置いていくか?

いや、それは流石に俺が寂しい。こんなところ一人で行くのは初めてだしな。

村とは全然雰囲気が違う。

貧しい奴らはいない、皆美味いもの食べてブクブク太ってやがる。

許せない。

昨日じーさんが死んだのも、滅多に飯が食えなかったからだ。

こいつらの親だって、死ぬまで働かされてポックリだ。

アイツがいなければこんなことにはならなかったんだ。

「ねーねー、ねーってば!」

「お腹が鳴ってるよぅ。」

「だからうるせーての!」

しまった、大声を出しちまった。

兵士に見つかっちまう。

どこかに隠れないと、どうする?どうする?

〈あら、貴方たち、どこから来たの?〉

見つかった、兵士じゃないのはラッキーだが、誰だこいつ、宮廷に仕える踊り子か何かか?

歳はそれなりにいってそうだが、驚くほど綺麗だ。

「おねーさんきれい!」

〈ふふ、有難う。ここにいるとあそこの兵隊さんに怒られちゃうわよ。〉

まずい、追い出される、何か言い訳を考えないと。

「あたし達ねー、おなかすいてるの。」

「そう、さっきからぐーぐーだよ。」

〈あら可哀想、じゃあ私の部屋に来る?肉や果物ぐらいなら今から用意できるわよ。〉

「わーい!」

何とか忍び込めそうだ、良かった。この女が優しそうで、俺たちツイてるぜ。

待ってろよ、俺は必ず成し遂げてみせるからな。

 

それは幼き、少年の夢。

それはか弱き、少女の夢。

世界に虐げられた、子どもたちの夢。

充幸はそんな、誰かの思い出を不意に覗いてしまった。

「駄目だよ、行っちゃ駄目。」

充幸は子どもたちに手を伸ばした。

だがこれは所詮誰かの夢に過ぎない、彼女の手のひらは空を掴む。

子どもたちが走り、部屋の中へ消えていく。充幸は彼らを止めること等出来やしなかった。

〈無駄よ、鬼には何も救えない。〉

女は嗤う、充幸の無力さを。

「無駄じゃない、無駄なんかじゃ。」

充幸は手を伸ばす。届かないと知りつつも、それでも手を伸ばし続ける。

〈貴女は悪魔、その手は既に真っ赤に染まっているわ。〉

充幸は手のひらを見つめる。確かに血だらけだ。

〈殺したんでしょう?楽しかったでしょう?〉

「うん、殺したよ。でも楽しさなんて無い。」

充幸は過去を振り返る。あの時、彼女は人を喰らった。夢中で骨をしゃぶった。人間の肉がこんなにも美味しいとは思わなかった。

〈ふふふ、弱者のふりをして、本当は力を有しているじゃない。それでいいの、貴女はもっと多くを殺し、犠牲の上に立てばいい。エサルハドンのように。〉

女は嗤う、充幸の有力さを。

〈待っているわ。貴女が堕ちる日を。この部屋で。〉

女は子どもたちの待つ部屋へ帰る。これから始まるのは惨劇か、蹂躙か。充幸の手のひらを掴んだ子どもは誰一人いなかった。

充幸はその腕を黒く染めた。鬼の血を奮い立たせる。部屋に入る女の手をその悪しき手で掴んだ。

〈なに…?〉

「ほら、この手なら掴める。子どもたちを救う腕じゃなかったけれど、貴方を殺す腕には成れる。私は認めたくないけれど、鬼だから。誰かを救うために、誰かを殺すことは出来る。」

〈…貴様…良いだろう。なら救ってみせろ。その汚らわしい腕で、護りたいものを。〉

充幸は女に喰らいついた。夢だというのに実に生々しく、目を覚ました後にも、どこかその後味が残っている気がした。

朝、雑居ビルの一室で、充幸の一日が始まる。

隣に座る、どこか儚げなアサシンと共に。

 

【第三章】

 

セイバーがハサンと思われる敵と交戦する数時間前、ナリエはある人物を求めてマレ地区のホテル街に足を運んだ。歴史的建造物が軒を連ねる中、観光客を受け入れるための宿舎もまた多く建築されている。彼女は寂れた雑居ビルの前で立ち止まると、傍にいたライダーに声をかけた。

「ここで間違っていないわよね。」

「あぁ、確かにここにいるはずだ。くれぐれも慎重にな。」

ナリエは人気のないビルの階段を上がっていく。ライダーも霊体化を解き、その後ろを続く。

彼女が目指しているのはビルの七階、看板には歯科と書かれていたが、今は既に空き部屋となった区画だ。そこにアサシンとそのマスターが滞在しているとの情報を掴んだ。

ライダーはナリエが直接会いに行くと言ったとき、全力で止めた。アサシンが何者か分からない以上、敵のアジトに乗り込むのは誰がどう考えても愚策である。ナリエはその制止を振り切ってきた訳だが、彼女には当然策があった。

そしてナリエはアサシンのマスターである充幸と対面した。充幸は本棚にもたれかかり、その隣でアサシンと思われる女性が座っている。エンゾの膨大な資料にあったハサンでは無いことをナリエは即座に判断した。

「どうもこんにちは、久しぶりね、充幸?」

充幸はナリエの登場に辟易していた。勿論彼女がマスターであることは理解している、警戒してここから逃げ出すことも視野に入れていたが、下手に引き下がれば、それだけ相手に隙を与えると思い留まった。もし彼女が最優クラスのマスターであったなら、いかに偉大なる王が傍にいようと、力量の差で押し負けてしまうかもしれない。相手マスターとの会話で切るカードを間違えたら、それは敗北に繋がる決定打に成り得る。与えていい情報とそれ以外を取捨選択する。

「どうも、ダルマーロ。何しにここへ来たんですか?」

「私の存在が心底迷惑って顔しないで欲しいわね。貴女をこの戦争へ誘ったのは他でもない私でしてよ。感謝して欲しいくらい。あとナリエで良いわよ。」

「戦争に参加させて感謝しろなんて言う人、初めて見ましたよ。」

充幸はライダーのマスターを怪訝そうに見つめた。年上の女であるが年齢がそこまで離れているとは思えない。しかしスーツからはち切れんばかりの胸と、それでいてしっかり細まったウエストは世の男を虜にする代物である。西洋の女は階級(レベル)が一段上であると、充幸の口から思わず溜息が漏れた。

充幸からして、ナリエはあまりにも胡散臭い女である、彼女は仕事で魔術を行使する根っからの〈魔術使い〉だ。彼女が日本に滞在している間、充幸はその仕事を何度か手伝わされていた、が、そのほとんどが所謂汚れ仕事で、事実隠蔽やらアリバイ工作やら、後ろ暗いことだらけであった。

「ふふふ、本当に私は日本が大好き。ライダーのことも好きだし、充幸のことも好きよ。現代においても脈々と受け継がれる鬼の血、貴女の魔術は本当に美しいわ。」

「今私を馬鹿にしています?」

「そんな訳ないじゃない。で、私の用意した触媒は使用しなかったみたいだけど、見る限りでは鬼という感じはしないわね。」

ナリエはアサシンのサーヴァントをまじまじと見つめる。あまりにも整った顔立ちに思わず眩さを感じてしまう。

「おい、貴様、そこな駄肉。我を見つめるな、不敬だぞ。」

「だ…だにっ…」

アサシンは不機嫌な態度を露わにした。ナリエは怒りにわなわなと身を震わせたが、横にいたライダーがそれを宥めた。彼、ライダーもまたアサシンを見るが、彼女は窓の外へ視線を移し、ナリエ達の方を向くことは無かった。

「ま、まぁ、充幸が無事召喚に成功して何よりだわ。本題に入るけれど、私たち、共闘しない?」

充幸はそんなことだろうと大体検討はつけていた。勿論、悪い話ではない。ナリエがライダーのクラスのサーヴァントを率いていることを知った今、まだ見ぬサーヴァントがセイバーとランサー、そしてバーサーカーということになる。一時的にでも組むことは大きなアドバンテージとなり得るのだ。

だがそれは真に信頼のおける相方であった場合に限ることだ。

「無論、謹んでお断りさせて頂きます。」

「何でよ、私と貴女の仲じゃない。ヨコハマで捕らえられた貴女を救い出したのは誰?キョウトで悪霊退治を手伝ったのは誰?全部私でしょう?」

「元々日本全国津々浦々連れまわされなければ、そんな目に遭う必要も無かったはずですが。後、横浜に関しては貴方の所為で捕らえられたんですよ、私は良く知らないビルの一室で一週間生活していただけなんですから。」

充幸とナリエの口論は続き、ライダーも思わず頭を抱えてしまう程であった。戦争をしているにも関わらず非常に緊張感のないやり取りである。アサシンも特にアクションを起こすわけでもなく、窓を見つめ座っていた。

「ねぇ充幸、貴女がそんな態度を取り続けるなら、私が最初に戦う相手は貴女になるわよ。」

「おいマスター、僕は最初にくれぐれも慎重に、と伝えたよな?相手が何者か分からないのに挑発するんじゃねぇよ。」

堪忍袋の緒が切れたナリエを必死で落ち着かせるライダーだが、時すでに遅し、口論に興味を示さなかったアサシンも、戦闘となれば俄然割り込んでくる。狭い一室の中でアサシンの蹴りが音速で飛び、真正面からそれを受けたライダーは後ろの壁に激突した。

「いてて…ったく、勘弁してくれよ。」

「おい、貴様もサーヴァントであろう?かかって来い。」

アサシンは杖を構えると、笑みを浮かべながらライダーの元へ歩いていく。

そのあまりにも戦闘狂な立ち振る舞いに、ナリエはおろか充幸さえも驚き呆れてしまった。

アサシンとは何か、頭に疑問符が浮かぶほど、彼女は堂々と真正面から切り込んでいく。アサシンはライダーの胸倉を掴むと、階段の方へ転がした。下の階まで落ちたライダー目がけて杖を振り下ろすと、彼はその攻撃を防御することもなく受ける。彼はものの数分で全身傷だらけの重症患者と成り果てた。

「おい、貴様本当にサーヴァントか?余りに酷すぎて人間かと勘違いしたぞ。」

「生憎こちとら筋力も敏捷もEランクなんでね。直接戦闘になると、こんな体たらくさ。」

その様子を見た充幸は、どこか嫌な予感がした。鬼の第六感は人間のそれより遥かに優秀だ。これまで多くの危険を、その直感で察知してきた。ナリエが自信満々に連れ歩いてきたサーヴァントである以上、必ずこちらを攻略しうる何かを有しているはずだ。

アサシンは再びライダーを叩き起こし、その杖の先でみぞおちを抉る。ライダーは声にならない叫びを上げるが、アサシンが攻撃の手を緩めることは無い。そのまま所持していたナイフで心臓を突き刺し、勝利しよう、そう思った刹那だった。

充幸が大声で、占って、と叫ぶ。アサシンのマスターは確実に未来を予見し、その嫌な予感を払拭しようとした。だがアサシンはその声を拾わない。当然だ、今左手に握ったナイフを振り下ろせば、ライダーは死ぬのだから。確かにアサシンは占う行為を生前から事あるごとに行ってきた、しかしそれは今では無い。彼女は逆に水晶を視ることでライダーに隙を与えることを懸念した。

充幸はアサシンが水晶を見ないことに焦りを覚えた。アサシンは指示すれば聞いてくれるような従順なサーヴァントでは無い。それどころか命令することで彼女の逆鱗に触れる可能性もある。だが、何もせず彼女の戦いを見ているだけでは勝利することが難しいのもまた事実である。

充幸は右手の赤い模様を見つめた。マスターに与えられた、サーヴァントへの絶対的命令権、彼女は令呪の使用を検討した。だが、こんなことのために三画しかない貴重な令呪の一画を使用してもよいのかと立ち止まる。アサシンに未来を占ってもらう命令をして、もし第六感が杞憂であったならばー

恐らくライダーを仕留め損なうであろうアサシンは怒り狂う。その手に持つ刃先は充幸を捉えるやもしれない。いや、それ以前にアサシンとの契約関係は確実に破綻する。そのことこそ最も避けるべき事態だ。充幸は口を噤み、彼女を静かに見守った。

アサシンの振り下ろされたナイフを、ライダーは間一髪で避ける。ライダーにはアサシンに抵抗する余裕は無く、ただ無様に逃げようとするのみである。その英霊たり得ない姿勢そのものがアサシンを更に苛立たせた。

そしてナイフの刃先が再びライダーに振り下ろされようとした、その時、充幸は自らの嫌な予感の正体に辿り着いた。

―ナリエが、いない。

そしてアサシンとライダーがたった今いる場所は階段の踊り場、アサシンの真横には大きな窓がある。

「アサシン、避けて下さい!」

充幸は叫ぶ、が既にナリエの作戦は遂行された。

無数の小鳥たちが窓を蹴破り、建物内に侵入する。窓際にいたアサシンは瞬間的にその肉体を覆われ、身動きが取れなくなる。

アサシンはそれでも、ただの魔術師の作戦に怯むほど甘くは無い。ナイフを高速で振り、次々と小鳥たちを地面に落としていく。その全てを処理するのにそう時間はかからなかった。

「何の猫騙しだ、馬鹿馬鹿しい。」

彼女は小鳥の残骸を足蹴にしながら、再びライダーに近付いた。しかしここで自らの肉体に異変が起きていることに気付く。それは充幸が見ても一目瞭然であった。彼女の行動一つ一つが明らかに遅いのだ。歩くスピードも、ナイフを振り被る動作も、全てがスローペース。子どもでも避けられるような攻撃を、彼女は至極真っ当に行っている。

「良かった、私の魔術はサーヴァントに対しても有効みたいね。」

ライダーの傍に寄ったナリエがほくそ笑んだ。アサシンには何が何だか分からない様子であるが、充幸にはその正体が分かった。

「小鳥のくちばしに貴方の魔術で編み出した毒を塗っていたのですか?」

「ふふ、正解。小鳥ちゃん達にはちょっとしたおまじないをしたのよ。貴女も知っての通り、私の魔術は、対象の時間を遅らせることが出来る。」

そう、ナリエは日本にいた頃、何度か充幸に披露したことがある。翼が白く塗られた小鳥は突いた対象の動作を遅らせ、紫の小鳥は突いた対象の成長を遅らせる。彼女が直接触れるのではなく、小鳥がその代役を務める為、空からも強襲でき、かつ集団で襲うことが出来る。アサシンの足元を見ると、大量の白い羽根の小鳥が横たわっており、これだけの数が一同に襲うことによって、やっとアサシンを封じることが出来たのだろう。

ライダーは立ち上がると、状態異常を起こしているアサシンの腕を取った。アサシンは振り解こうとするが、余りに遅すぎて力すらも入っていないといった様子である。

「有難うマスター、ここから反撃開始だ。」

充幸はまずいと感じ、すぐさま動き出す。ライダーから得体のしれない不気味さを感じ取った充幸は自らの鬼の力を解放させる決断をした。階段を駆け下り、妖気の宿る拳でナリエへ攻撃を加える、しかしそれは届かない、硬い表皮を有した何かに阻まれ、思わず距離を取った。

「充幸、貴女は鬼の力を解放しても良いのかしら?それは自殺行為にも等しいはずよ。」

「五月蠅いですよ。」

「貴女、今年でもう二十歳になるんでしょう?胎内にいる鬼の卵、孵化するんじゃないの?」

「五月蠅い。」

ナリエは嫌らしくも、充幸の状態を鮮明に語る。そう、彼女は日本にいた頃から充幸の身に起きていることの全てを理解していた。そして充幸の聖杯にかける願いすらも彼女は把握しているのだ。

「まだ間に合うわ、充幸。私と組むの。そうすれば私の紫の羽根の小鳥ちゃんで鬼の成長を遅らせてあげる。」

ナリエは魅力的な提案で充幸を誘う。だが充幸は首を縦には振らなかった。ナリエへの信用以前に、彼女の陳腐な魔術では、鬼の足元にも及ばないからだ。

「貴女、本当に鬼に成り果てるわよ!貴女の母親と同じ末路に!」

「だから、聖杯を求めているんでしょうが。」

充幸の紅の右目が光る、右手は黒く染め上げられ、頭には赤い一本角が生えた。今はまだ身体の半分しか鬼の気は宿っていない。だが二十の歳を迎えた瞬間に、身体は鬼そのものとなり、充幸の自我は鬼に喰らい尽くされる。それはある意味、死を超えた恐怖である。充幸は鬼と成り果てた後、人間よりも倍以上の時を生き、ヒトの臓物を喰らい生きていかなければならない。

ナリエは充幸のおぞましい姿に、思わず足が竦んだ。日本で共に過ごした記憶はあれど、一度も鬼としての彼女を見たことは無かったのだ。だが命の危機を悟ると、ライダーの後ろに隠れた。

充幸は右手でライダーに掴みかかるが、またしても硬い表皮の何かに阻まれる。それは消えては現れを繰り返す謎の生き物だ。彼女の攻撃はその生き物に全て防がれた。

「悪いね。僕はライダーのクラスのサーヴァント。当然、乗り物は有しているさ。これはその乗り物だ。」

充幸の視点では、それが何かまでは確認できないが、ライダーに腕を掴まれているアサシンはそれが確かに生き物であることを知れた。

「ライダー、貴様はまさか…」

聖杯によって知識を与えられたアサシンは、ライダーの正体に気付いた。しかし何故だろうか、彼に対する攻略の糸口が全くもって掴めない。

武士であれば刀を折れば、将であれば首を取れば、だが彼はどう殺せばいい。

あまりにも特異な物語、彼の辿った軌跡は、彼のみが知り得る世界だ。

「さて、アサシンとそのマスター、君達を僕の物語へ招待しよう。」

ライダーは謎の物体にアサシンと充幸を無理矢理に乗せた。そして充幸はそこで、自分が攻撃を加えていたのが硬い甲羅であったこと、その生き物が亀であることを知った。

 

「宝具解放、『浦島伝説』!」

 

突如亀の上に乗る二人を、海流の渦が襲った。セーヌ川からの吸い上げか、否、これはライダーの生み出した心象風景だ。底の深い海へ誘われる二人だが、その証拠に呼吸が可能である。二人は海の景色に見惚れる間もなく、その場所に辿り着いた。

それは赤い赤い城、魚が歌い、蟹が躍る、現実のモノとは思われない異空間であった。

「ようこそ竜宮へ。と言っても、僕の所持している城って訳じゃあ無いんだが。」

いつの間にか鬼の力の引っ込んだ充幸と今なおスローなアサシンは、戦いを忘れ、竜宮に誘われた。

そして二人はあまりの美しさに言葉を失った。煌びやかな御殿は、まるで世界から負なるもの一切を取り除いたかのよう。一つの穢れもなく、完璧な美がそこには在った。

「ここは酒や米が腐るほどあり、絶世の美女が舞う夢の空間ってだけじゃないのさ。竜宮は来た者の一番の幸福を実現する。聖杯なんかよりずっとずっと素晴らしき世界を体現するのさ。」

充幸とアサシンは共に魅了される。二人が見ている景色は異なり、それぞれが叶えたい夢に辿り着いたのだ。

充幸の目の前には既に死んだ両親がいた。余りにも優しかった二人は、いつも充幸を想い、涙を流していた。彼らもまた、鬼になる定めと向き合い、必死で戦っていた。母が鬼の家系で、父が聖者の家系であり、その血を薄めることはや五代目、遂に母は鬼になるまでの寿命を四十まで引き延ばしたのだ。だが生まれた子、充幸は何故か、その鬼の血を色濃く継いでしまった。その運命はどれほど両親を悲しませたであろう。鬼頭の家に誇りなど無く、それどころか恨みしか無い充幸だが、両親に怒りは無かった。

「お父さん、お母さん」

いつも彼らの写真を見ると、あの日をフラッシュバックする。充幸が買い物から家に帰ると、両親の姿がそこにはなかった。直感で何かを感じ取った充幸は父と母が出会ったという小さな丘の桜の木の下へ向かった。そしてそこで目撃した。鬼と化した母が父の内臓を必死で喰らっている。舞い散る桜すら鮮血に染まり、美しき丘は地獄となった。

「オイシイオイシイ充幸オイシイオイシイ逃げてオイシイオイシイ」

母の顔は歪み、泣いているのか笑っているのかさえ判断できない。一つだけ分かることは、両親はどちらも死んだということだけだった。

竜宮の魅せる充幸の夢。目の前で笑う二人へ向かって、充幸は歩いていく。傍まで来ると、彼らは充幸をそっと抱き締めた。

「大好きよ、充幸。」

「大好きだ、充幸。」

温かな両親に包まれながら充幸は泣いた。早く死んでしまいたい、彼らの元へ行きたい。でももし聖杯を獲得できなければ…彼女は生きてしまう、生き永らえてしまうのだ。

充幸の聖杯にかける願いは一つ、鬼としての命を絶ち、両親に会いに行くことだ。

「充ちる、という字に幸せと書いて、充幸。」

聖杯を勝ち取れたとしても、負けてしまったとしても、この名前だけはこの世に残らない。

彼女はほんの少しだけ、それが寂しく感じられた。

充幸が幸福な空間にいるその時、アサシンもまた生前の夢を見ていた。広大な景色、彼女に付き従う兵士たち、そして彼女の力で蘇ったバビロニア、彼女は地球上で最高の王であった。誰もが彼女を称え、彼女を羨望し、彼女の姿を夢見た。世界はエサルハドン一人のモノであった。

丘の見える広大な神殿の階段を上る、頂点に立つと、アサシンは大きく深呼吸した。

これがアッシリアの空気、王が愛した世界の形だ。

「ナキアよ。バビロンの再建にはどれ程の時間を要する?」

彼女は、頭を垂れ跪く母親に声をかけた。

ナキアがいてこそ、この世界はエサルハドンの掌握するところとなった。アサシンは彼女への感謝を一度たりとも忘れたことは無かった。

「我が王、特に酷い区域を除けば、再び月が丸く輝くまでに完了致しましょう。」

「そうか、なるべく急げ。杖の指し示す所、南西に災いがあるやもしれん。備蓄用の食料を倉へなるべく運搬せねばなるまい。」

「取り仕切る者たちに伝達致しましょう、イルハム、スラヴァに任せてみましょうか。」

「それでいい、彼らは優秀だからな。」

エサルハドンはナキアを下がらせると、杖をまじまじと見つめた。

世界の命運はいつもこの青の球が握っている、この杖こそが天と地を繋ぐ架け橋に他ならないのだ。

「我が聖杯にかける望みは一つ。再び世界を我が手にすることだ。」

アサシンは太陽に向かって手を伸ばす。届かないと思えた空にさえ、今の彼女ならば掴める気がしていた。

ふと、充幸の顔を思い出した。

ライダーのマスター、ナリエは充幸が鬼に成り果てる、と言った。充幸がライダーへ向かって来るときの姿は、まさしく怪物。まだ女としての姿を半分残してはいるが、もし聖杯獲得が間に合わなければ、その全てが悪魔と成り下がるであろう。

「ふ、どうでもいい。」

アサシンにとっては充幸が何になろうが関係なかった。ただエサルハドンとして世界を再び掌握するための駒に過ぎない。充幸がたとえその運命に泣き叫ぼうが、拭う紙さえ用意してやる気は無いのだった。

だが何故だろうか。アサシンの心に悶々とした何かが残る。充幸への同情か?否。

彼女は桃色の前髪をかき上げる。あまりにも晴れ渡った美しき空を見つめ、一つ溜息を零す。

そして、エサルハドンは立ち上がった。もう幸福な夢はおしまいだ。アサシンのサーヴァントとして充幸の元へ戻る決断をする。その理由は彼女本人すら理解できないもの。

―充幸は、我を〝アサシン〟と呼んだ。

ただそれだけの、理由にすらならない理由で、エサルハドンは自らの幸福な夢を消し去ったのだった。

アサシンは敵の姿を見定めると、杖の先でライダーの顔を突き刺した。アサシンの行動は未だナリエの魔術により遅らされているが、アサシンが夢の世界にいて戦意喪失していると思い込んでいたライダーは彼女の強襲に反応できなかった。

「アサシン、君、どうして…」

「確かに幸福な世界だな、この竜宮というのは。だが夢を魅せて、はい終わり、な訳でもあるまい。我の考えだが、確かにこの場所にいる限りは誰もが幸福だが、もしこの世界の理から外れてしまったら…それが答えではないか?」

ライダーは表情を硬くする。アサシンは既にこの竜宮のルールを察知している。

浦島太郎の物語のクライマックス、彼は乙姫からパンドラの箱を受け取り、元の世界でそれを開けてしまう。

「貴様の宝具、浦島伝説、と言ったな。これが物語の通りであれば、貴様は3日後に地上へ帰還し、失われた時を嘆くこととなる。もし我らもまた地上に戻された際に時間を跳躍していたとしたら。」

「あぁ、君のマスターが鬼として覚醒する周期がグッと短くなるということだ。」

つまりこの旅行の目的はアサシンではなく充幸、彼女を鬼とすることで疑似的に彼女を殺すことが出来る。

「ナリエ曰く、そうなれば彼女の中に流れる魔力という名の血液の枠組みが大きく変化するらしい、自ずと契約も消滅し、戦わずして一騎撃破ってことになるのさ。」

「成程、ナリエという女は充幸に対し、母親と同じ末路になる、と言っていたな。母親がどう死んだか知らなければ出てこない言葉だ。」

アサシンはマスターである充幸がライダー陣営と組まなくて心底良かったと思う。あまつさえナリエに友情など感じてしまったら、充幸は間違いなく裏をかかれ殺されていただろう。

攻撃を受け蹲るライダーを尻目に、アサシンは充幸を叩き起こした。急に夢の世界から連れ戻された充幸は困惑したが、アサシンの姿を見て、状況を多少なりとも把握した。

両親に会いに行く幸せ、それはもう少し先の未来で手に入れなければならないもの、恐らくライダーの作り出した竜宮では、鬼としての充幸を殺すことは出来ないのであろう、そう彼女は理解したのだ。

「すみません、アサシン。」

充幸はアサシンに叱られると感じ、直ぐに謝罪を口にした。だが彼女の顔を見ると、驚くほどに優しい笑みを浮かべていた。

「汝は聖杯を取らなければならない、こんな所で油を売っていてどうする、馬鹿者。」

「えっと、はい。」

アサシンは杖を構える。一刻も早くこの空間から出なければ、時間跳躍の弊害を大きく受けることになってしまう。ライダーにここで勝利する、それこそが二人に残された唯一の方法だった。

「汝、令呪を我に使用せよ。一瞬でもこの肉体が元の動きに戻れば、勝機は生み出せる。」

「っ…はい。」

充幸は左手で、右手の甲に浮かぶ赤い模様に触れた。その形はまるで角を生やした鬼のよう、充幸の在り様を表しているかのようだ。だがこれが、勝利への希望となるのだ。

「舐めてもらっては困るな。」

充幸が今にもその一画を使用するその時、先程充幸とアサシンを攫った大亀が充幸に飛び掛かった。アサシンは反応こそすれ、間に合うはずもない。充幸は亀に圧し掛かられ、その胸骨はへし折られた。通常の人間であれば圧死しているが、鬼をその身に宿す彼女は血反吐を吐きながらも、何とか生存している。痛みには慣れている充幸だが、声にならない叫びをあげた。

だが思惑通り、充幸に令呪を使用させることを防いだライダーは、アサシンへ攻撃を加える。雑居ビルでの戦いとは打って変わり、彼の攻撃はより重く、より鋭くなる。それは彼が竜宮の加護を一身に受けている影響である。アサシンはそのことに気付くが、もはやどうにもならない。ライダーの武術とは程遠い連撃にも屈してしまう程、この竜宮においてアサシンは弱者であった。

そう、竜宮にいる限りアサシンは勝者になれない。勝つためには、この世界そのものを塗り替える必要がある。彼女にはそれを為す方法があった。

それはアサシンが有する固有結界。あらゆる土地を侵略し、バビロニアを復古させる、彼女の偉業そのものが形となった宝具である。

だがその発動にはある程度の時間を要する。加えてナリエの毒を受けているのだから尚更だ。今ライダーの動きを一定時間止め続け、かつ詠唱することは不可能に等しい。充幸が動ければ話は変わるが、彼女の様子を見る限りは難しいことであろう。

―どうすればいい。

アサシンは全身に傷を負いつつも思考する、突破口を見出そうとする。だがライダーの止まらぬ攻撃に為すすべも無く、遂にはナイフを奪われ、目の前に突き立てられてしまった。

「じゃあな。アサシン。」

振り下ろされるナイフ、アサシンは避けることも出来ず、ただまっすぐにそれを捉えていた。そして彼女は目撃する、ナイフを持つライダーの腕を、黒い触手が阻んでいる。細く伸びた触手の出所は大亀の下、圧し潰された充幸から伸びていた。

「何だよコレは…」

ライダーの腕に纏わりついた触手は彼自身を絡めとるように先端を伸ばし続ける。彼はナイフで切り落そうとするが、それは鉄のように固く、それでいて蛸のように柔らかい。

「あぁ、クソ、鬱陶しい。」

充幸は大亀に肉体を抉られながらも、決死の思いでアサシンを救おうとしていた。鬼に変化した黒い腕を形状変化させ、ライダーの身動きを止める。ライダーの指示で大亀によるプレスはより一層激しいものとなるが、充幸はそんなことには屈しない。ただその悪しき腕で、自らのサーヴァントを護ろうとする。

「アサシン、令呪を使います…」

彼女は右手に刻印された証に、この場を切り抜ける希望を託した。だが、その証が光り輝く前に、アサシンはそれを止めた。

「令呪はいい。十分だ。汝のその行動が活路を開いた。」

アサシンはライダーを何とか引き剥がすと、水晶の杖を拾い上げた。

彼女は宝具の解放の為、その杖に意識を集中させた。この世界の理を覆す程の代物だ。充幸の鬼の魔力を以てしても、それに時間を要するのは仕方の無いことである。アサシンの持つ杖が淡く光り、彼女は詠唱を始めた。

ライダーは当然、それが宝具の解放であると判断し、止めに入る。が、充幸の触手は男の肉体を縛り上げ、身動きが取れないようにした。

鬼の力を使い続けることで摩耗する少女は、大亀の下から自らのサーヴァントの美しい言の葉を聞き届ける。薄れゆく意識の中で、アサシンの淡い桃色だけは見失わないように。彼女は必ず、勝利を掴み取る。そう、充幸は託したのだ。

 

『カサーダム。

其の道は我が選び、我が進む。

ナダ―ナム。

この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。

これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』

 

アサシンはただ静かに詠唱を終える。そしてその時、世界は生まれ変わるのだ。轟音と共に竜宮に亀裂が入る。否、世界そのものがひび割れていく。突如として起こった固有結界の崩壊に、ライダーは焦りを隠せない様子だ。

先程まで海の底だった世界は流転する。そして、風が新たな景色を運んで来る。世界は塗り替えられ、アサシンが王として立ったその大地が現代に再構築される。

そこにいた誰もが、その世界の広大さに唖然としたであろう。竜宮という幻想のような世界をただ一人経験したライダーさえ、その世界の形を美しいと感じた。

 

『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』

 

そこにアッシリアが在る。少女が掌握した世界が在る。誰もが焦がれた王の姿が在る。

充幸は改めて、アサシンが、エサルハドンが真に王であると理解した。竜宮とはまた異なり、その心象風景はあまりに優美で、優雅だ。

「さぁ、ライダー。決着をつけよう。」

充幸の腕から逃れたライダーは、先にアサシンへ仕掛けた。大亀を呼び寄せると、アサシンへ向かって突進させる。

だが、アサシンはそれを軽くいなした。ナリエの毒とライダーの攻撃で満身創痍だった彼女はもうどこにもいない。そこに在るのは完全無欠の王の姿。浦島太郎にとっての竜宮と同じ、アサシンがこの地に立つ限りにおいて、彼女は文字通り無敵である。

「馬鹿な…」

ライダーが一歩後ずさると、それに合わせてアサシンは一歩前に進む。竜宮の時とは打って変わり、この地においてライダーは完全なる弱者だ。

アサシンはライダーへ向かって走り出した。ライダーの戦闘能力はここフランスではゼロに等しい。そもそも彼はただの漁師、戦争を経験するのは初めてのことである。

「ナリエ!僕を助けてくれ!」

彼はマスターの名を叫んだ。すると再び無数の小鳥がアサシン目がけて飛来する。だが二度同じ手を食うアサシンでは無い。彼女が杖を掲げると、小鳥たちは宙で死に絶え、地に堕ちる。

「小動物が。この世界において生命の管理権は我にある。我に刃を向ける全てに、我は杖を振るおう。」

「無茶苦茶だな、アサシン…っ」

彼女はライダーの胸倉を掴み、投げ飛ばした。地面に背中を付けた男に跨ると、アサシンはナイフで彼の首を貫いた。

彼はこの一撃で戦闘不能に陥る。辛うじて生きているが、もはや敗北したも同然である。

「我の勝ちだな、ライダーよ。」

ライダーは既に喉を潰されている。もはや声を上げることすら出来ない絶体絶命の状況下で、ただ不敵な笑みを浮かべた。

「そこまでよ、アサシン!」

アサシンが後ろを振り返ると、ナリエが充幸を抱え、頭に銃を突き付けていた。彼女がこの世界を構築する瞬間、何かが紛れ込んだ様子だったが、その正体はどうやらライダーのマスターであったようだ。

「女、我が従者がその程度のおもちゃで死ぬとでも?」

「えぇ、死なないでしょうね。鉛球を脳天に打ち込もうが充幸はケロッとしているはず。だから弾丸に毒を塗った。肉体の成長を増進させる、とっておきをね。」

「何?」

充幸は先程の大亀のプレスで全身から血を吐きながら、意識を失っていた。ナリエに抵抗することは、今の彼女では不可能であろう。アサシンはナリエとの距離を見据えた。二秒もあればナリエを殺せるが、僅かにトリガーを引く方が早い計算になる。

「引き分け、で手を打ちませんか?私は今ライダーを失う訳にはいかない。貴方も、マスターを失う訳にはいかないはず。」

「貴様如きが我を阻もうとするか。」

ナリエの指は震えている。アサシンの目は今すぐにでもこちらを殺さんとする虎のそれだ。

ナリエは聖杯戦争を舐めていた訳ではない。エンゾより深く、綿密に計画を立て、必ず勝てるように幾度となく作戦を練った。充幸があの聖遺物を使い召還していれば、彼女は今頃脱落者、ただの人数合わせで終わっていたはずである。だがこともあろうに、それを捨て去って尚且つ、ここまで強力なサーヴァントを引き当てるとは想定していなかった。

何故彼女が浦島太郎に拘ったのか。それは最後、全てのサーヴァントを巻き込んだ最終決戦でこそ明かされなければならない。その為に、令呪もまだ残してあるのだ。今ライダーを殺された場合、全てが台無しになってしまう。

「(実力を測るつもりで来たのに、まさかこんなとんでもないアサシンだったとはね。)」

アサシンはナリエが怯えていることに気付いていた。その恐怖が自らの命の危機に対してでは無いことを悟る。ライダーのマスターは命を落とすことよりも遥かに、大欲を満たすことが出来なくなることを恐れていた。つまり、まだこの浦島太郎である男には存在価値、奥の手がある。それはこの戦争で全てのサーヴァントを屠るほどの何かだ。竜宮にはまだ秘密がある、或いは…

「パンドラの箱を開け、最後に残るものは希望であるか。」

アサシンは目を瞑り、ライダーを残し歩き出す。ナリエの傍に寄ると、たちまち充幸を奪い取り、抱きかかえてこの場を去った。

アサシンの姿が霧となって消えると同時に、アッシリアの広大な土地も消失した。ナリエの傍には血塗られたライダーのみである。

「エンゾに救援信号を送ったけれど、来なかったわね。」

ライダーは虚ろな目でナリエを見つめる。自らの従者の不甲斐なさに憤りを覚えているかと思いきや、彼女はどこか優しげな目をしていた。

「ライダー、ううん、浦島太郎。貴方は私の持つ唯一無二のジョーカー。ちゃんと最期まで生き延びて。」

ナリエは細く長い指先でライダーの髪を撫でた。彼女の行為にどこか訝しさを感じつつも、彼は彼女に身を委ねる。喉を潰されては、辞めろという声すら出せないからだ。

 

※ ※ ※

 

狂人(バーサーカー)は眠る。

再起動まではあと数時間。一度暴走した肉体には冷却が必要である。

彼は夢を見ない。生前の彼と異なり、常世の命は英雄ではなく殺戮兵器として消費されるものだから。

既に思考能力は存在せず、彼はその目に映る全てを破壊し尽くすだろう。

それが例えマスターであろうと、例え戦友であろうと、例え愛すべき人であろうと。

ヒトを個体として認識する能力は欠如しているが、逆にそれが彼の武器となる。

上手く彼を操作できれば、彼は世界すら掌握する。

だがそれに失敗すれば、彼を止めるものはいなくなる。

「願うべくは同士討ち、だ。」

初老の男は、彼のいる水槽に手を翳し、呟く。

バーサーカーは全てのサーヴァントを上回る、が、それと同時に、マスターもまた切り殺す。願いを叶えるその時に、彼は全てを無に帰す恐れがある。

「セイバー、お前だけがこの狂人を倒しうるのだ。」

初老の男は立ち上がり、割れた白い仮面を身に着ける。

彼には叶えたい約束がある。そのために手段を選ぶつもりは無かった。

自らが虚ろな存在であることは知っている。だから、聖杯を使用してでも「本物」になるしか無いのだ。

「あぁいけない。今の私は〝グラコン〟という名であったな。」

彼は自らの存在を何度でも定義する。真実と虚構を常に認識できなければ、彼は彼たり得ない。彼の人格を脅かす三つの魂が、今か今かと弱ったグラコンを壊そうとする。

―時間は、あまり取れそうも無いな。

グラコンは近くにあるベッドに横たわった。内なる獣たちを静かにさせるために、一先ずは眠ることにする。そう、隣の水槽で眠る英雄のように。

ランサーは泥のように眠るグラコンの傍で佇む。二人のサーヴァントを従えつつ、加えて内なる奇跡を体現しているグラコンだが、その代償は半端なものでは無い。ここ数日の間にも、彼の身体は徐々に崩壊し始めている。ランサーが彼の為にしてやれることは無い、ただその槍を振るい、敵をなぎ倒すだけである。

生前、軍略に優れていた彼も、バーサーカーの消滅と、グラコンの肉体の崩壊の速度を鑑みれば悠長に策を練っている場合でもない。だが焦りは空回りする、グラコンはどれだけ自らの滅びが進もうとも、焦燥感に駆られない。まず言葉を以て解決を目指す、必ず語ろうとする。そうすることが正しいと信じている。

ランサーは考えなければならない。自らの在り方が正しかったのか否か。グラコンとの出会いが生み出したこの時間には、必ず意味があるのだから。

 

※ ※ ※

 

アサシンは古びた教会の扉を開けた。

充幸はすやすやと眠っている。肉体の傷は既に半分近く閉じている。驚異の回復力にアサシンは鬼の生命力の強さを思い知った。

「おい、いるんだろう?」

アサシンは教会の椅子に充幸を寝かせる。そして中にいるこの教会の主に声をかけた。

王の号令に姿を現した男が一人、この戦争の監督役であるテイオスだ。

「貴方様がアサシンのサーヴァントですね。お待ちしておりました。用件は重症患者のマスター、鬼頭充幸の手当てでしょうか?」

「別に要らぬ。彼女は勝手に回復する、ここに暫く寝かせておけばな。」

「ではどのような御用向きで?」

「貴様、我にその服の袖で隠された腕を見せてみよ。」

アサシンはテイオスを睨んだ。彼はサーヴァントを前に飄々とした態度である。全くもってその人間性を捉えることが出来ない。

テイオスは右袖を捲った。そこには夥しい数の令呪が刺青のように描かれている。

そしてその内の二画、既に使用された痕跡があった。

「成程、二画か。貴様が我が宝具、アッシリアの心象風景に介入するには、二画必要だった訳だな。」

「どういうことです?」

「惚ける必要はない。貴様が我が宝具の起動時に無理矢理世界に入り込んだことは当然認識している。理由を言え、さもなくば殺す。」

テイオスは降参とばかりに、両手を挙げた。そして彼女に対し、詳らかに話し始める。

「僕は誰かの肩を持つことはしない、監督役だから、その責務は全うしますよ。ただほんの少しだけ、自らの欲望を満たしたいと思いましてね。本を書きたいのです、久しぶりに。いつもは読者受けの悪い押しつけがましい文章ばかりなので、出来れば子どもが楽しく読んでくれるような、冒険譚を。」

「事実は小説より奇なり、とでも?」

「いいや、違いますとも。奇天烈な現実が物語を生むのです。今まで数多くの作家が数多くの物語を作り出した、でもそれは決して創造ではなく、正しくは想像。過去の事件、災害、人物、幸福、世界、そこから言の葉を紡ぎ、紙に認める。無から有を創ることが出来るのは神の御業であります故。」

「態々本を書きたいから令呪を使用したのか。真の目的としては不純だな。」

「純粋さなど赤子の時代に置いてきましたとも。貴方様は僕が介入したことが許せないと言ったご様子で?」

「貴様の態度がそもそも気に入らん。が、数日間我がマスターである彼奴をここに寝泊まりさせて良いなら許そう。」

「それぐらいならお安い御用です。むしろお釣りがくる程。」

「では、任せたぞ。」

アサシンはそう言い残し教会を出ようとした。冗談めかしく話していたテイオスも、まさかマスターを置き去りにするサーヴァントが居ようものとは思わず、焦って引き留める。

「傍にいてあげないのでしょうか?」

「我には少しばかり用事がある。何、そいつはそう簡単には壊れん。悪鬼の類だからな。」

「全く、冷たいのか優しいのか。」

テイオスは王である彼女に呆れる。よくもまぁ信用ならない男の元にマスターである幼い少女を託すことが出来るというものだ。だがそう言われた限りは保護するべきだ。アサシンの宝具を目撃し、肌で感じることが出来た御礼と考えれば、本当に安いものである。

アサシンが教会を去った後、彼は充幸の傷口に念のため包帯だけ巻いてやり、毛布を掛けてやった。そして一人、アッシリアの王のことを呟く。

「アサシン、貴方様の風景の中に溶けた時、僕は確かにその風を、生きた証を感じました。だがそれまで、だったのです。貴方様が敷いた法も、理念も、抱いた夢も希望も、世界の喜びも、嘆きも、痛みも、その何もかもが白紙だった。ただ形作られた大地に都市が生まれただけだ。王としての熱は、あの世界の中で、一体どこに在ったのでしょうかね。」

いつの間にか目を覚ましていた充幸は彼の言葉を聞くとも無しに聞いていた。彼女はこの先の戦いにほんの一抹の不安を抱えることとなるのである。

 


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