Fate/devotion    作:紫草ボウシ

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第三章

必ず殺す。

俺がアイツを殺してやる。

アイツは俺の家族を、妹を、全部奪った。

今度は俺がアイツから全部奪ってやるんだ。

兵士たちは俺が子どもだと油断するはず、侵入するのは簡単だ。

後はどう近付くか、だけど…

「ねー×××、どうするの?」

「馬鹿!声がでけぇよ。」

「僕、お腹すいちゃったよ。」

「お前も五月蠅い、我慢しろ。」

こちらは三人もいる、こいつらはやっぱり置いていくか?

いや、それは流石に俺が寂しい。こんなところ一人で行くのは初めてだしな。

村とは全然雰囲気が違う。

貧しい奴らはいない、皆美味いもの食べてブクブク太ってやがる。

許せない。

昨日じーさんが死んだのも、滅多に飯が食えなかったからだ。

こいつらの親だって、死ぬまで働かされてポックリだ。

アイツがいなければこんなことにはならなかったんだ。

「ねーねー、ねーってば!」

「お腹が鳴ってるよぅ。」

「だからうるせーての!」

しまった、大声を出しちまった。

兵士に見つかっちまう。

どこかに隠れないと、どうする?どうする?

〈あら、貴方たち、どこから来たの?〉

見つかった、兵士じゃないのはラッキーだが、誰だこいつ、宮廷に仕える踊り子か何かか?

歳はそれなりにいってそうだが、驚くほど綺麗だ。

「おねーさんきれい!」

〈ふふ、有難う。ここにいるとあそこの兵隊さんに怒られちゃうわよ。〉

まずい、追い出される、何か言い訳を考えないと。

「あたし達ねー、おなかすいてるの。」

「そう、さっきからぐーぐーだよ。」

〈あら可哀想、じゃあ私の部屋に来る?肉や果物ぐらいなら今から用意できるわよ。〉

「わーい!」

何とか忍び込めそうだ、良かった。この女が優しそうで、俺たちツイてるぜ。

待ってろよ、俺は必ず成し遂げてみせるからな。

 

【第三章】

 

セイバーがミノタウロスと交戦する数時間前、ナリエはある人物を求めてマレ地区のホテル街に足を運んだ。歴史的建造物が軒を連ねる中、観光客を受け入れるための宿舎もまた多く建築されている。彼女は寂れた雑居ビルの前で立ち止まると、傍にいたライダーに声をかけた。

「ここで間違っていないわよね。」

「あぁ、確かにここにいるはずだ。くれぐれも慎重にな。」

ナリエは人気のないビルの階段を上がっていく。ライダーも霊体化を解き、その後ろを続く。

彼女が目指しているのはビルの七階、看板には歯科と書かれていたが、今は既に空き部屋となった区画だ。そこにアサシンとそのマスターが滞在しているとの情報を掴んだ。

ライダーはナリエが直接会いに行くと言ったとき、全力で止めた。アサシンが何者か分からない以上、敵のアジトに乗り込むのは誰がどう考えても愚策である。ナリエはその制止を振り切ってきた訳だが、彼女には当然策があった。

そしてナリエはアサシンのマスターである充幸と対面した。充幸は本棚にもたれかかり、その隣でアサシンと思われる女性が座っている。エンゾの膨大な資料にあったハサンでは無いことをナリエは即座に判断した。

「どうもこんにちは、久しぶりね、充幸?」

充幸はナリエの登場に辟易していた。勿論彼女がマスターであることは理解している、警戒してここから逃げ出すことも視野に入れていたが、下手に引き下がれば、それだけ相手に隙を与えると思い留まった。もし彼女が最優クラスのマスターであったなら、いかに偉大なる王が傍にいようと、力量の差で押し負けてしまうかもしれない。相手マスターとの会話で切るカードを間違えたら、それは敗北に繋がる決定打に成り得る。与えていい情報とそれ以外を取捨選択する。

「どうも、ダルマーロ。何しにここへ来たんですか?」

「私の存在が心底迷惑って顔しないで欲しいわね。貴女をこの戦争へ誘ったのは他でもない私でしてよ。感謝して欲しいくらい。あとナリエで良いわよ。」

「戦争に参加させて感謝しろなんて言う人、初めて見ましたよ。」

充幸はライダーのマスターを怪訝そうに見つめた。年上の女であるが年齢がそこまで離れているとは思えない。しかしスーツからはち切れんばかりの胸と、それでいてしっかり細まったウエストは世の男を虜にする代物である。西洋の女は階級(レベル)が一段上であると、充幸の口から思わず溜息が漏れた。充幸からして、ナリエはあまりにも胡散臭い女である、彼女は仕事で魔術を行使する根っからの〈魔術使い〉だ。彼女が日本に滞在している間、充幸はその仕事を何度か手伝わされていた、が、そのほとんどが所謂汚れ仕事で、事実隠蔽やらアリバイ工作やら、後ろ暗いことだらけであった。

「ふふふ、本当に私は日本が大好き。ライダーのことも好きだし、充幸のことも好きよ。現代においても脈々と受け継がれる鬼の血、貴女の魔術は本当に美しいわ。」

「今私を馬鹿にしてます?」

「そんな訳ないじゃない。で、貴女の血が呼び寄せたサーヴァント、見る限りでは鬼という感じはしないのだけれど。」

ナリエはアサシンのサーヴァントをまじまじと見つめる。あまりにも整った顔立ちに思わず眩さを感じてしまう。

「おい、貴様、そこな駄肉。我を見つめるな、不敬だぞ。」

「だ…だにっ…」

アサシンは不機嫌な態度を露わにした。ナリエは怒りにわなわなと身を震わせたが、横にいたライダーがそれを宥めた。彼、ライダーもまたアサシンを見るが、彼女は窓の外へ視線を移し、ナリエ達の方を向くことは無かった。

「ま、まぁ、充幸が無事召喚に成功して何よりだわ。本題に入るけれど、私たち、共闘しない?」

充幸はそんなことだろうと大体検討はつけていた。勿論、悪い話ではない。ナリエがライダーのクラスのサーヴァントを率いていることを知った今、まだ見ぬサーヴァントがセイバーとランサー、そしてバーサーカーということになる。一時的にでも組むことは大きなアドバンテージとなり得るのだ。

だがそれは真に信頼のおける相方であった場合に限ることだ。

「無論、謹んでお断りさせて頂きます。」

「何でよ、私と貴女の仲じゃない。ヨコハマで捕らえられた貴女を救い出したのは誰?キョウトで悪霊退治を手伝ったのは誰?全部私でしょう?」

「元々日本全国津々浦々連れまわされなければ、そんな目に遭う必要も無かったはずですが。後、横浜に関しては貴方の所為で捕らえられたんですよ、私は良く知らないビルの一室で一週間生活していただけなんですから。」

充幸とナリエの口論は続き、ライダーも思わず頭を抱えてしまう程であった。戦争をしているにも関わらず非常に緊張感のないやり取りである。アサシンも特にアクションを起こすわけでもなく、窓を見つめ座っていた。

「ねぇ充幸、貴女がそんな態度を取り続けるなら、私が最初に戦う相手は貴女になるわよ。」

「おいマスター、僕は最初にくれぐれも慎重に、と伝えたよな?相手が何者か分からないのに挑発するんじゃねぇよ。」

堪忍袋の緒が切れたナリエを必死で落ち着かせるライダーだが、時すでに遅し、口論に興味を示さなかったアサシンも、戦闘となれば俄然割り込んでくる。狭い一室の中でアサシンの蹴りが音速で飛び、真正面からそれを受けたライダーは後ろの壁に激突した。

「いてて…ったく、勘弁してくれよ。」

「おい、貴様もサーヴァントであろう?かかって来い。」

アサシンは杖を構えると、笑みを浮かべながらライダーの元へ歩いていく。

そのあまりにも戦闘狂な立ち振る舞いに、ナリエはおろか充幸さえも驚き呆れてしまった。

アサシンとは何か、頭に疑問符が浮かぶほど、彼女は堂々と真正面から切り込んでいく。アサシンはライダーの胸倉を掴むと、階段の方へ転がした。下の階まで落ちたライダー目がけて杖を振り下ろすと、彼はその攻撃を防御することもなく受ける。彼はものの数分で全身傷だらけの重症患者と成り果てた。

「おい、貴様本当にサーヴァントか?余りに酷すぎて人間かと勘違いしたぞ。」

「生憎こちとら筋力も敏捷もEランクなんでね。直接戦闘になると、こんな体たらくさ。」

その様子を見た充幸は、どこか嫌な予感がした。鬼の第六感は人間のそれより遥かに優秀だ。これまで多くの危険を、その直感で察知してきた。ナリエが自信満々に連れ歩いてきたサーヴァントである以上、必ずこちらを攻略しうる何かを有しているはずだ。

アサシンは再びライダーを叩き起こし、その杖の先でみぞおちを抉る。ライダーは声にならない叫びを上げるが、アサシンが攻撃の手を緩めることは無い。そのまま所持していたナイフで目を突き刺し、勝利しよう、そう思った刹那だった。

充幸が大声で、占って、と叫ぶ。アサシンのマスターは確実に未来を予見し、その嫌な予感を払拭しようとした。だがアサシンはその声を拾わない。当然だ、今左手に握ったナイフを振り下ろせば、ライダーは死ぬのだから。確かにアサシンは占う行為を生前から事あるごとに行ってきた、しかしそれは今では無い。彼女は逆に水晶を視ることでライダーに隙を与えることを懸念した。

充幸はアサシンが水晶を見ないことに焦りを覚えた。アサシンは指示すれば聞いてくれるような従順なサーヴァントでは無い。それどころか命令することで彼女の逆鱗に触れる可能性もある。だが、何もせず彼女の戦いを見ているだけでは勝利することが難しいのもまた事実である。

充幸は右手の赤い模様を見つめた。マスターに与えられた、サーヴァントへの絶対的命令権、彼女は令呪の使用を検討した。だが、こんなことのために三画しかない貴重な令呪の一画を使用してもよいのかと立ち止まる。アサシンに未来を占ってもらう命令をして、もし第六感が杞憂であったならばー

恐らくライダーを仕留め損なうであろうアサシンは怒り狂う。その手に持つ刃先は充幸を捉えるやもしれない。いや、それ以上にアサシンとの契約関係は確実に破綻する。そのことこそ最も避けるべき事態だ。充幸は口を噤み、彼女を静かに見守った。

アサシンの振り下ろされたナイフを、ライダーは間一髪で避ける。ライダーにはアサシンに抵抗する余裕は無く、ただ無様に逃げようとするのみである。その英霊たり得ない姿勢そのものがアサシンを更に苛立たせた。

そしてナイフの刃先が再びライダーに振り下ろされようとした、その時、充幸は自らの嫌な予感の正体に辿り着いた。

―ナリエが、いない。

そしてアサシンとライダーがたった今いる場所は階段の踊り場、アサシンの真横には大きな窓がある。

「アサシン、避けて下さい!」

充幸は叫ぶ、が既にナリエの作戦は遂行された。

無数の小鳥たちが窓を蹴破り、建物内に侵入する。窓際にいたアサシンは瞬間的にその肉体を覆われ、身動きが取れなくなる。

アサシンはそれでも、ただの魔術師の作戦に怯むほど甘くは無い。ナイフを高速で振り、次々と小鳥たちを地面に落としていく。その全てを処理するのにそう時間はかからなかった。

「何の猫騙しだ、馬鹿馬鹿しい。」

彼女は小鳥の残骸を足蹴にしながら、再びライダーに近付いた。しかしここで自らの肉体に異変が起きていることに気付く。それは充幸が見ても一目瞭然であった。彼女の行動一つ一つが明らかに遅いのだ。歩くスピードも、ナイフを振り被る動作も、全てがスローペース。子どもでも避けられるような攻撃を、彼女は至極真っ当に行っている。

「良かった、私の魔術はサーヴァントに対しても有効みたいね。」

ライダーの傍に寄ったナリエがほくそ笑んだ。アサシンには何が何だか分からない様子であるが、充幸にはその正体が分かった。

「小鳥のくちばしに貴方の魔術で編み出した毒を塗っていたのですか?」

「ふふ、正解。小鳥ちゃん達にはちょっとしたおまじないをしたのよ。貴女も知っての通り、私の魔術は、対象の時間を遅らせることが出来る。」

そう、ナリエは日本にいた頃、何度か充幸に披露したことがある。翼が白く塗られた小鳥は突いた対象の動作を遅らせ、紫の小鳥は突いた対象の成長を遅らせる。彼女が直接触れるのではなく、小鳥がその代役を務める為、空からも強襲でき、かつ集団で襲うことが出来る。アサシンの足元を見ると、大量の白い羽根の小鳥が横たわっており、これだけの数が一同に襲うことによって、やっとアサシンを封じることが出来たのだろう。

ライダーは立ち上がると、状態異常を起こしているアサシンの腕を取った。アサシンは振り解こうとするが、余りに遅すぎて力すらも入っていないといった様子である。

「有難うマスター、ここから反撃開始だ。」

充幸はまずいと感じ、すぐさま動き出す。ライダーから得体のしれない不気味さを感じ取った充幸は自らの鬼の力を解放させる決断をした。階段を駆け下り、妖気の宿る拳でナリエへ攻撃を加える、しかしそれは届かない、硬い表皮を有した何かに阻まれ、思わず距離を取った。

「充幸、貴女は鬼の力を解放しても良いのかしら?それは自殺行為にも等しいはずよ。」

「五月蠅いですよ。」

「貴女、今年でもう二十歳になるんでしょう?胎内にいる鬼の卵、孵化するんじゃないの?」

「五月蠅い。」

ナリエは嫌らしくも、充幸の状態を鮮明に語る。そう、彼女は日本にいた頃から充幸の身に起きていることの全てを理解していた。そして充幸の聖杯にかける願いすらも彼女は把握しているのだ。

「まだ間に合うわ、充幸。私と組むの。そうすれば私の紫の羽根の小鳥ちゃんで鬼の成長を遅らせてあげる。」

ナリエは魅力的な提案で充幸を誘う。だが充幸は首を縦には振らなかった。ナリエへの信用以前に、彼女の陳腐な魔術では、鬼の足元にも及ばないからだ。

「貴女、本当に鬼に成り果てるわよ!貴女の母親と同じ末路に!」

「だから、聖杯を求めてるんでしょうが。」

充幸の紅の右目が光る、右手は黒く染め上げられ、頭には赤い一本角が生えた。今はまだ身体の半分しか鬼の気は宿っていない。だが二十の歳を迎えた瞬間に、身体は鬼そのものとなり、充幸の自我は鬼に喰らい尽くされる。それはある意味、死を超えた恐怖である。充幸は鬼と成り果てた後、人間よりも倍以上の時を生き、ヒトの臓物を喰らい生きていかなければならない。

ナリエは充幸のおぞましい姿に、思わず足が竦んだ。日本で共に過ごした記憶はあれど、一度も鬼としての彼女を見たことは無かったのだ。だが命の危機を悟ると、ライダーの後ろに隠れた。

充幸は右手でライダーに掴みかかるが、またしても硬い表皮の何かに阻まれる。それは消えては現れを繰り返す謎の生き物だ。彼女の攻撃はその生き物に全て防がれた。

「悪いね。僕はライダーのクラスのサーヴァント。当然、乗り物は有しているさ。これはその乗り物だ。」

充幸の視点では、それが何かまでは確認できないが、ライダーに腕を掴まれているアサシンはそれが確かに生き物であることを知れた。

「ライダー、貴様はまさか…」

聖杯によって知識を与えられたアサシンは、ライダーの正体に気付いた。しかし何故だろうか、彼に対する攻略の糸口が全くもって掴めない。

武士であれば刀を折れば、将であれば首を取れば、だが彼はどう殺せばいい。

あまりにも特異な物語、彼の辿った軌跡は、彼のみが知り得る世界だ。

「さて、アサシンとそのマスター、君達を僕の物語へ招待しよう。」

ライダーは謎の物体にアサシンと充幸を無理矢理に乗せた。そして充幸はそこで、自分が攻撃を加えていたのが硬い甲羅であったこと、その生き物が亀であることを知った。

 

「宝具解放、『浦島伝説』!」

 

突如亀の上に乗る二人を、海流の渦が襲った。セーヌ川からの吸い上げか、否、これはライダーの生み出した心象風景だ。底の深い海へ誘われる二人だが、その証拠に呼吸が可能である。二人は海の景色に見惚れる間もなく、その場所に辿り着いた。

それは赤い赤い城、魚が歌い、蟹が躍る、現実のモノとは思われない異空間であった。

「ようこそ竜宮へ。と言っても、僕の所持している城って訳じゃあ無いんだが。」

いつの間にか鬼の力の引っ込んだ充幸と今なおスローなアサシンは、戦いを忘れ、竜宮に誘われた。

そして二人はあまりの美しさに言葉を失った。煌びやかな御殿は、まるで世界から負なるもの一切を取り除いたかのよう。一つの穢れもなく、完璧な美がそこには在った。

「ここは酒や米が腐るほどあり、絶世の美女が舞う夢の空間ってだけじゃないのさ。竜宮は来た者の一番の幸福を実現する。聖杯なんかよりずっとずっと素晴らしき世界を体現するのさ。」

充幸とアサシンは共に魅了される。二人が見ている景色は異なり、それぞれが叶えたい夢に辿り着いたのだ。

充幸の目の前には既に死んだ両親がいた。余りにも優しかった二人は、いつも充幸を想い、涙を流していた。彼らもまた、鬼になる定めと向き合い、必死で戦っていた。母が鬼の家系で、父が聖者の家系であり、その血を薄めることはや五代目、遂に母は鬼になるまでの寿命を四十まで引き延ばしたのだ。だが生まれた子、充幸は何故か、その鬼の血を色濃く継いでしまった。その運命はどれほど両親を悲しませたであろう。鬼頭の家に誇りなど無く、それどころか恨みしか無い充幸だが、両親に怒りは無かった。

「お父さん、お母さん」

いつも彼らの写真を見ると、あの日をフラッシュバックする。充幸が買い物から家に帰ると、両親の姿がそこにはなかった。直感で何かを感じ取った充幸は父と母が出会ったという小さな丘の桜の木の下へ向かった。そしてそこで目撃した。鬼と化した母が父の内臓を必死で喰らっている。舞い散る桜すら鮮血に染まり、美しき丘は地獄となった。

「オイシイオイシイ充幸オイシイオイシイ逃げてオイシイオイシイ」

母の顔は歪み、泣いているのか笑っているのかさえ判断できない。一つだけ分かることは、両親はどちらも死んだということだけだった。

竜宮の魅せる充幸の夢。目の前で笑う二人へ向かって、充幸は歩いていく。傍まで来ると、彼らは充幸をそっと抱き締めた。

「大好きよ、充幸。」

「大好きだ、充幸。」

温かな両親に包まれながら充幸は泣いた。早く死んでしまいたい、彼らの元へ行きたい。でももし聖杯を獲得できなければ…彼女は生きてしまう、生き永らえてしまうのだ。

充幸の聖杯にかける願いは一つ、鬼としての命を絶ち、両親に会いに行くことだ。

「充ちる、という字に幸せと書いて、充幸。」

聖杯を勝ち取れたとしても、負けてしまったとしても、この名前だけはこの世に残らない。

彼女はほんの少しだけ、それが寂しく感じられた。

充幸が幸福な空間にいるその時、アサシンもまた生前の夢を見ていた。広大な景色、彼女に付き従う兵士たち、そして彼女の力で蘇ったバビロニア、彼女は地球上で最高の王であった。誰もが彼女を称え、彼女を羨望し、彼女の姿を夢見た。世界はエサルハドン一人のモノであった。

丘の見える広大な神殿の階段を上る、頂点に立つと、アサシンは大きく深呼吸した。

これがアッシリアの空気、王が愛した世界の形だ。

「ナキアよ。バビロンの再建にはどれ程の時間を要する?」

彼女は、頭を垂れ跪く母親に声をかけた。

ナキアがいてこそ、この世界はエサルハドンの掌握するところとなった。アサシンは彼女への感謝を一度たりとも忘れたことは無かった。

「我が王、特に酷い区域を除けば、再び月が丸く輝くまでに完了致しましょう。」

「そうか、なるべく急げ。杖の指し示す所、南西に災いがあるやもしれん。備蓄用の食料を倉へなるべく運搬せねばなるまい。」

「取り仕切る者たちに伝達致しましょう、イルハム、スラヴァに任せてみましょうか。」

「それでいい、彼らは優秀だからな。」

エサルハドンはナキアを下がらせると、杖をまじまじと見つめた。

世界の命運はいつもこの青の球が握っている、この杖こそが天と地を繋ぐ架け橋に他ならないのだ。

「我が聖杯にかける望みは一つ。再び世界を我が手にすることだ。」

アサシンは太陽に向かって手を伸ばす。届かないと思えた空にさえ、今の彼女ならば掴める気がしていた。

ふと、充幸の顔を思い出した。

ライダーのマスター、ナリエは充幸が鬼に成り果てる、と言った。充幸がライダーへ向かって来るときの姿は、まさしく怪物。まだ女としての姿を半分残してはいるが、もし聖杯獲得が間に合わなければ、その全てが悪魔と成り下がるであろう。

「ふ、どうでもいい。」

アサシンにとっては充幸が何になろうが関係なかった。ただエサルハドンとして世界を再び掌握するための駒に過ぎない。充幸がたとえその運命に泣き叫ぼうが、拭う紙さえ用意してやる気は無いのだった。

だが何故だろうか。アサシンの心に悶々とした何かが残る。充幸への同情か?否。

エサルハドンは立ち上がった。もう幸福な夢はおしまいだ。アサシンのサーヴァントとして充幸の元へ戻る決断をする。その理由は彼女本人すら理解できないもの。

―充幸は、我を〝アサシン〟と呼んだ。

ただそれだけの、理由にすらならない理由で、エサルハドンは自らの幸福な夢を消し去ったのだった。

アサシンは敵の姿を見定めると、杖の先でライダーの顔を突き刺した。アサシンの行動は未だナリエの魔術により遅らされているが、アサシンが夢の世界にいて戦意喪失していると思い込んでいたライダーは彼女の強襲に反応できなかった。

「アサシン、君、どうして…」

「確かに幸福な世界だな、この竜宮というのは。だが夢を魅せて、はい終わり、な訳でもあるまい。我の考えだが、確かにこの場所にいる限りは誰もが幸福だが、もしこの世界の理から外れてしまったら…それが答えではないか?」

ライダーは表情を硬くする。アサシンは既にこの竜宮のルールを察知している。

「貴様の宝具、浦島伝説、と言ったな。これが物語の通りであれば、貴様は3日後に地上へ帰還し、失われた時を嘆くこととなる。もし我らもまた地上に戻された際に時間を跳躍していたとしたら。」

「あぁ、君のマスターが鬼として覚醒する周期がグッと短くなるということだ。」

つまりこの旅行の目的はアサシンではなく充幸、彼女を鬼とすることで疑似的に彼女を殺すことが出来る。

「ナリエ曰く、そうなれば彼女の中に流れる魔力という名の血液の枠組みが大きく変化するらしい、自ずと契約も消滅し、戦わずして一騎撃破ってことになるのさ。」

「成程、ナリエという女は充幸に対し、母親と同じ末路になる、と言っていたな。母親がどう死んだか知らなければ出てこない言葉だ。」

アサシンはマスターである充幸がライダー陣営と組まなくて心底良かったと思う。あまつさえナリエに友情など感じてしまったら、充幸は間違いなく裏をかかれ殺されていただろう。

攻撃を受け蹲るライダーを尻目に、アサシンは充幸を叩き起こした。急に夢の世界から連れ戻された充幸は困惑したが、アサシンの姿を見て、状況を多少なりとも把握した。

両親に会いに行く幸せ、それはもう少し先の未来で手に入れなければならないもの、恐らくライダーの作り出した竜宮では、鬼としての充幸を殺すことは出来ないのであろう、そう彼女は理解したのだ。

「すみません、アサシン。」

充幸はアサシンに叱られると感じ、直ぐに謝罪を口にした。だが彼女の顔を見ると、驚くほどに優しい笑みを浮かべていた。

「汝は聖杯を取らなければならない、こんな所で油を売っていてどうする、馬鹿者。」

「えっと、はい。」

アサシンは杖を構える。一刻も早くこの空間から出なければ、時間跳躍の弊害を大きく受けることになってしまう。ライダーにここで勝利する、それこそが二人に残された唯一の方法だった。

「汝、令呪を我に使用せよ。一瞬でもこの肉体が元の動きに戻れば、勝機は生み出せる。」

「っ…はい。」

充幸は左手で、右手の甲に浮かぶ赤い模様に触れた。その形はまるで角を生やした鬼のよう、充幸の在り様を表しているかのようだ。だがこれが、勝利への希望となるのだ。

「舐めてもらっては困るな。」

充幸が今にもその一画を使用するその時、先程充幸とアサシンを攫った大亀が充幸に飛び掛かった。アサシンは反応こそすれ、間に合うはずもない。充幸は亀に圧し掛かられ、その胸骨はへし折られた。通常の人間であれば圧死しているが、鬼をその身に宿す彼女は血反吐を吐きながらも、何とか生存している。

だが思惑通り、充幸に令呪を使用させることを防いだライダーは、アサシンへ攻撃を加える。雑居ビルでの戦いとは打って変わり、彼の攻撃はより重く、より鋭くなる。それは彼が竜宮の加護を一身に受けている影響である。アサシンはそのことに気付くが、もはやどうにもならない。ライダーの武術とは程遠い連撃にも屈してしまう程、この竜宮においてアサシンは弱者であった。

そう、竜宮にいる限りアサシンは勝者になれない。勝つためには、この世界そのものを塗り替える必要がある。彼女にはそれを為す方法があった。

それはアサシンが有する固有結界。あらゆる土地を侵略し、バビロニアを復古させる、彼女の偉業そのものが形となった宝具である。

だがその発動にはある程度の時間を要する。加えてナリエの毒を受けているのだから尚更だ。今ライダーの動きを一定時間止め続け、かつ詠唱することは不可能に等しい。充幸が動ければ話は変わるが、彼女の様子を見る限りは難しいであろう。

―どうすればいい。

アサシンは全身に傷を負いつつも思考する、突破口を見出そうとする。だがライダーの止まらぬ攻撃に為すすべも無く、遂にはナイフを奪われ、目の前に突き立てられてしまった。

「じゃあな。アサシン。」

アサシンは敗北した。此度の戦争における最初の脱落者である。

そう、充幸を含め誰もが判断しただろう。

だがこれは一対一の決闘ではない。当然乱入者も現れる。

 

『万古不易の迷宮(ディミュルギア・ラビュリントス)』

 

「何だ?」

いち早く反応したのはライダーである。轟音と共に竜宮にひびが入っていく。否、世界そのものがひび割れていく。突如として起こった固有結界の崩壊に、ライダーは焦りを隠せない様子だ。アサシンは隙をついて充幸のところまで行き、杖で亀を転がすことに成功した。血みどろになった充幸を抱え、竜宮の最期を見守る。

「ライダー!」

彼を呼ぶ者が一人、マスターであるナリエだ。竜宮に連れて来ていないはずの彼女が彼の元に駆け付ける。

「おいマスター、何が起こった?何故君がここにいる?」

「私にもさっぱり、何かに吸い寄せられたみたいに、気付いたらここにいたのよ。」

先程まで海の底だった世界は流転する。壊れゆく城の後ろに、新たな景色が広がった。

天高くそびえる壁、数多の選択を強制する道、新たな住民が訪れたことに歓喜する獣の笑い声、ライダー、アサシン陣営は共に「迷宮」へ誘われたのだ。

「これは、セイバー、ランサー、バーサーカー、誰かの生み出した空間なんですかね。」

「さぁな、汝が知らぬのなら我も知らぬ。」

アサシンは抱えていた充幸を地面に座らせると、壁を飛び越えようと高く跳躍した。しかし彼女の想定よりもずっと高く壁は存在している。壁を蹴ってより天に向かって跳躍するが、それに合わせ壁も成長する。アサシンはその仕組みを理解し、諦めて充幸の元へ戻った。

「奇妙な空間だな、生きているぞ、ここは。」

「生きて?」

「あぁ、周りを見てみろ。」

充幸はアサシンに言われ見回した、そして自分達が最初にいた場所とは少々異なる空間にいることが分かった。

いま自分がどこにいるのか判断できない。アサシンも充幸自身も、恐らくこの空間で「迷って」いるのだ。

先程竜宮が消失する前、充幸は誰かの声が聞こえた気がしていた。声の主はラビュリントスと叫んでいたが、それを迷宮のことであると解釈すると、この空間を生み出したサーヴァントは自ずと見えてくる。充幸は昔、母からその物語を聞いたことがあった、英雄テセウスが迷宮に住む怪物ミノタウロスを退治する話だ。

「とりあえず、一時休戦といきませんか、ナリエ。」

充幸はナリエにそう呼びかける。しかし彼女は唖然としたままで充幸の声は届かなかった。

代わりに傍に立っているライダーが答えた。

「あと一歩で君達を倒せていた、が、竜宮という切り札を失った僕では、この空間は抜け出せそうもない。しばらくの間だけ協力し合おうじゃないか。」

アサシンはライダーの反応に難色を示したが、事態の把握に努めるのが先決だと、自らを無理矢理納得させた。ここにライダー、アサシン共同戦線が構築された訳だが、ナリエはどうにも固まったままである。

「どうしたマスター。僕が不甲斐ない所為でこうなったのは申し訳なく思っているが…」

ライダーはナリエに声をかけるが、彼女はぶつぶつと独り言を漏らすのみである。

「…そんな、有り得ない。だってバーサーカーは…」

ライダーは彼女と意思疎通を図ることを諦めた。彼女の中で何か想定外のことが起こっているのだろうが、ライダーにはそれが何か分からなかった為である。

「とりあえず、進みましょう。もしここが迷宮なら出口を探さないと大変なことになりそうです。」

充幸とアサシンは前に向かい歩き始めた。ライダーと何か思案中のナリエも後に続く。この迷宮の主が勇者であれ怪物であれ、強大な敵には変わりない、出来るのであれば、出会わずに出口を見つけたいと切に願う充幸であった。

 

※ ※ ※

 

狂人(バーサーカー)は眠る。

再起動まではあと数時間。一度暴走した肉体には冷却が必要である。

彼は夢を見ない。生前の彼と異なり、常世の命は英雄ではなく殺戮兵器として消費されるものだから。

既に思考能力は存在せず、彼はその目に映る全てを破壊し尽くすだろう。

それが例えマスターであろうと、例え戦友であろうと、例え愛すべき人であろうと。

ヒトを個体として認識する能力は欠如しているが、逆にそれが彼の武器となる。

上手く彼を操作できれば、彼は世界すら掌握する。

だがそれに失敗すれば、彼を止めるものはいなくなる。

「願うべくは同士討ち、だ。」

初老の男は、彼のいる水槽に手を翳し、呟く。

ランサーがセイバーのマスターを殺せば、聖杯戦争は実質的に終了するはずであった。

だがそうしなかったのは理由がある。狂人は男が操るにはあまりに規格外な存在であった為だ。

バーサーカーは全てのサーヴァントを上回る、が、それと同時に、マスターもまた切り殺す。

願いを叶えるその時に、彼は全てを無に帰す。

「セイバー、お前だけがこの狂人を倒しうるのだ。」

初老の男は立ち上がり、白い仮面を被る。

彼には叶えたい約束がある。そのために手段を選ぶつもりは無かった。

自らが虚ろな存在であることは知っている。だから、聖杯を使用してでも「本物」になるしか無いのだ。

「あぁいけない。今の私は〝グラコン〟という名であったな。」

彼は時計を確認する。アサシンとライダーはミノタウロスと交戦中である。あわよくばどちらかがここで脱落すれば都合がいい。想定よりも遥かに強かったセイバーのような例は懲り懲りだとグラコンは思った。

 

※ ※ ※

 

「汝、この前の悪霊の件といい、ロクでもないものに好かれる体質であるな。」

「全くその通りで。」

迷宮を歩き続けた先で、四人は出会ってしまった。迷宮の主たる怪物ミノタウロスがそこにいる。アサシンやライダーとは桁違いの図体をした、まさしく一般人から見たら悪魔そのものといった英霊。そしてその様子からここにいる全員が彼をバーサーカーだと理解した。割れた仮面から覗く笑顔は何とも無邪気なものだ。この笑顔を浮かべながら人を数百と狩ってきたのだから末恐ろしい、と充幸は思った。

「先に聞きたいのですが、ライダーはバーサーカーらしき巨体を退ける術はお持ちですか?」

「悪いね、ミサチくん。竜宮へ行ったって思考がぶっ壊れてちゃ話にならない。つまり無理だ。」

ライダーは清々しい笑顔だ。充幸はこれ程、ヒトの笑顔に苛立ったことは無い。

ナリエにも尋ねるが、彼女の小鳥たちはこの空間には介入できないらしい。ライダー陣営の二人は完全に詰みの状態である。

「ナリエ、流石に状況が状況ですので、アサシンの毒については解除してくださいますね?」

充幸はナリエに迫ったが、ナリエは首を横に振る。その解除するための、調合液もまたナリエの泊まるホテルにあると言うのだ。時間が経てば彼女の魔術は薄れていくが、それでもあと数十分はその効果が保ち続ける。つまりアサシンが本調子で戦えるようになるまで、この怪物から逃げなければならないのだ。

「或いは、令呪、か。」

先程のライダー戦の時は大亀の所為で令呪が使用できなかったが、逆にそれが功を奏した。まだ紋様は三画あるからこそ、この絶望的な状況でもまだ少しの希望は見出せた。

「ヒャハハハハハ、エモノ、ミツケタ、コロス!」

ミノタウロスは四人の元へ走る。その手に持つのは巨大な斧、赤く染まったそれは今までどれだけの人数を切り裂いてきたのだろうか、充幸は唾を飲んだ。

ここは四人とも逃げるのが正しい。アサシンが万全な状態になるまでは、充幸が彼女を抱えてでも走る所存であった。

だが、充幸の目論見は霧散した。アサシンによって背中を押され、充幸は誰よりも怪物の前に出てしまったのである。

「なっ」

アサシンは悪い笑みを浮かべた。

「奴は我が倒す。宝具発動の為の時間、汝が稼げ。」

充幸は頭の理解が追い付かなかった。マスターを自分より前に出すサーヴァントなど、彼女は聞いたことがなかったからだ。

「アサシ…」

「汝はあの大亀に乗られてもピンピンしているのだ。我の為に耐えてみせよ。当然令呪は取っておけ。いいな?」

充幸は言葉を失った。たとえ彼女が絶大な自己修復能力を有していたとしても、相手は最悪の知名度を誇る怪物ミノタウロスである。その一振り一振りが必殺級である以上、鬼の力がどこまで彼女を生かしてくれるかは彼女自身も読めない。回復できないところまで細切れにされたらアサシン陣営は脱落する。

ミノタウロスはその斧を振り下ろした。充幸は間一髪で避けるが、次の攻撃は避けられる確証が無い。それ程までに怪物の一手は予見できないものであった。

次なる攻撃が繰り出される。それは斧を振り被ったと見せかけた、強烈な蹴りである。充幸の身長ほどはあろうその足裏が充幸にクリーンヒットし、彼女は地面に叩き付けられた。

骨の数本は折れているだろう。痛みには慣れた充幸でも、泣き叫ぶことは必至である。

その悲痛な声こそが怪物の食事となる。恍惚といった表情のミノタウロスは更なる絶望を引き出すために、充幸へ斧を振り下ろした。

「あーもう、無茶が過ぎるぜ。」

攻撃を防いだのは大亀の甲羅だった。ライダーは充幸の前に立ち、ミノタウロスの連撃のことごとくを防ぎ切った。

「おいナリエ、このアサシンの宝具がアイツに通らなかったら、打開策はあるか?」

ナリエは首を横に振る。実はこの世界に呼び込まれる直前に、エンゾへ向けて赤い翼の小鳥を送ったため、彼女の居場所を突き止めることが出来ればセイバーが駆けつけてくれるかもしれない。だがそれは淡い期待。この迷宮は恐らくミノタウロスの心象風景の具現、ここは現実の世界から切り離された異空間だ。怪物がセイバーもまた迷宮へ呼ばない限り、外から来ることは出来ないだろう。

ナリエは爪を噛んだ。彼女はこの戦争に参戦した全てのサーヴァントの顔を知っていた。当然、バーサーカーの姿かたちも把握している。そして、彼はこのミノタウロスでは無い。

此度の戦争は五騎のサーヴァントによるものであるはずだ。ではこのミノタウロスは誰なのか。その存在がイレギュラーに他ならない。

―まだライダーのもう一つの宝具を解放させる訳にはいかない。

ここでライダーの全てを解放したら、ナリエの計画は破綻する。この戦争の為に彼女が準備してきたものが台無しになる。それだけは避けるべき事態だ。今は名前も分からぬ暗殺者であろう英霊に託すしか無い。当初の予定通り、充幸という存在を最大限に使い、最後には捨ててしまおう。進むべき道は何ら変わらないのだ、そうナリエは心を落ち着かせた。

一方でアサシンは宝具の解放の為、その杖に意識を集中させていた。この世界の理を覆す程の代物だ。充幸の鬼の魔力を以てしても、それに時間を要するのは仕方の無いことである。アサシンの持つ杖が淡く光り、彼女は詠唱を始めた。

 

『其の道は我が選び、我が進む。この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。遥かなる大地に久遠の理を現出せよ。』

 

彼女はただ静かに詠唱を終える。そしてその時、世界は生まれ変わるのだ。

四人を取り逃がさんと高くそびえ立つ壁は崩壊し、風が新たな風景を運んで来る。世界は塗り替えられ、アサシンが王として立ったその大地が現代に再構築される。

そこにいた誰もが、その世界の広大さに唖然としたであろう。あらゆる人としての知性をどこかへ置いてきてしまったはずのミノタウロスさえ、その世界の形を美しいと感じた。

 

『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』

 

そこにアッシリアが在る。少女が掌握した世界が在る。誰もが焦がれた王の姿が在る。

充幸は改めて、アサシンが、エサルハドンが真に王であると理解した。竜宮とはまた異なり、その心象風景はあまりに優美で、優雅だ。

そして迷宮の崩壊が意味するところ、それはミノタウロスの存在価値の消滅である。彼のいるべき場所が消えることで彼は彼である意味を無くした。怪物は空の青さに、忘れていた何かを思い出したのか、寂しげな表情をして消え去った。光の粒子となった彼を見た充幸は、彼に骨を折られたことも忘れ、ただただ哀れんだ。本当の意味でミノタウロスは怪物だったのか、それはもう誰も理解することは出来ないだろう。

アサシンは掲げた杖の先を地面に置く、彼女の景色は瞬く間に消え、そこは元いた階段の踊り場に早変わりした。先程と打って変わり、あまりにも狭い空間で両陣営は見つめあっていた。どちらとも意思は同じ、今から戦闘に入ることは無いだろう。互いの実力を計るのには余りに労力を使い過ぎたのだ。

既に動きの遅さが無くなったアサシンはまだ全快では無い充幸を抱え、階段を下りた。互いに言葉を発しないかに思われたが、意外にも口を開いたのはライダーだった。

「アサシン、君の真の名は分からないが、凄い権力者だったことは察したよ。あれはまさしく君が生前作り上げた都市だ。だが…」

「何だ?」

「もし君が王様だとしたら、えらく空虚な統治だったんだろうな。」

ライダーには挑発する意思は無く、ただ彼の思ったことを素直に述べた。アサシンは彼を威嚇した。その不敬は万死に値する。

「何が言いたい、ライダー。」

「僕の名前は、もう気付いているだろうけど浦島太郎だ。僕が辿り着いた場所は僕だけが知り得た世界。それはきっと夢にも、幻にも思えるだろう。でも違う、あの心象を具現化できるのは僕自身が生前に確かにあの場所へ行ったからこそだ。君たちは僕が体験した物語を、その肌で感じたはずさ。」

アサシンも、充幸も、彼と実際に出会うまでは浦島太郎の物語をただの幻想と捉えていただろう。だが彼の導きにより確かに感じた、彼の生きた時代に、海の底に竜宮は在ったのだ。

「アサシン、君の風景の中に溶けた時、僕は確かにその風を、生きた証を感じた。だがそれまでなんだよ。君が敷いた法も、理念も、君が抱いた夢も希望も、世界の喜びも、嘆きも、痛みも、その何もかもが白紙だった。ただ形作られた大地に都市が生まれただけだ。君の熱は、あの世界の中で、一体どこに在ったんだい?」

ライダーは冷たく言い放った。充幸はアサシンが怒り狂い、ライダーと再戦する前に止めようと案を講じた、が、意外にもアサシンが言い返すことは無かった。彼女は充幸を抱えたまま静かに階段を下りていく。その表情は物憂げで、充幸は彼女にかける言葉を失ったままビルを後にするのであった。

アサシンたちが去った後、ナリエは充幸のいた歯医者の一室に戻った。彼女が痕跡を残すとは思えないが、念のため探っておくべきと判断したのだ。

アサシンの存在よりも、充幸の鬼の気こそ警戒対象だと考えたナリエは、再度彼女を完全に仕留める術を考える。想定より遥かに厄介な相手である、充幸は勝手に滅ぶだろうと高をくくり彼女を戦争に参加させたのはナリエの誤算だった。

そして迷宮の主ミノタウロスの存在が、彼女の計画を狂わせる。アサシンが仕留めて、これで終わりだとは思えなかった。本来のバーサーカーの方が遥かに強い、けれどもライダーの力ではミノタウロスを完全に倒すことも難しいのは事実だ。彼の宝具は最後のとっておき。それを解放した後に、ライダーの旅は終わりを告げる。

「バーサーカーも、どこかへ消えてしまったし…」

バーサーカーのマスターであるリューガンを戦争へ誘ったのもまたナリエである。彼が自らのサーヴァントの殺されるのは想像に難くなかったし、ナリエの、成長を遅らせる魔術を応用すればバーサーカーの消滅を遅くするのも容易であった。誤算は彼が何者かによって連れ去られてしまったこと、充幸で無ければ恐らくはランサー陣営であるが、もしそうであれば問題は無い。かの怪物の真名をランサー陣営が知っているならなおさら、そのまま殺すようなことはしないだろう。概ねナリエの計画通りに事は進んでいる。

「待つことを知らば、総じて格好の時にやって来る。」

彼女はそう呟き、椅子に腰かけた。恐らくエンゾはじきにやって来る。先程の戦闘の疲れを引きずったままアレコレするのは不健康だと思ったのだ。

 

※ ※ ※

 

エンゾとセイバーは雑居ビルに辿り着くと、ナリエの元へ向かった。歯科の一室に彼女はいて、どうやら無事な様であった。エンゾは胸を撫で下ろす。

「何があった、ナリエ。」

ナリエはエンゾにアサシンと交戦したこと、途中でミノタウロスらしき怪物が乱入したことを伝えた。充幸と知り合いであったことやライダーの真名は未だ隠したままである。

そしてほぼ同時刻に、セイバーもまたミノタウロスと交戦したのを知った。

「もしミノタウロスがバーサーカーだとして、同じ時刻に、違う場所に存在することは可能なのか?迷宮にそんな逸話は無かったはずだが。」

エンゾは頭を悩ませる。一体この戦争で何が起こっているのか、監督役である彼にも見当がつかなかった。

「ミノタウロスはバーサーカーでは無いと私は思います。一度調査の一環でセーヌほとりでバーサーカーらしきサーヴァントを目視ですが確認しました。背丈も全然違えば牛ですら無かったわ。」

充幸は当然バーサーカーの正体を把握しているが、敢えて濁してエンゾへ伝えた。彼はナリエのその言葉に、余計に頭を悩ませることとなる。

彼らが会話している間も、セイバーは注意を怠らない。いつ誰が襲ってきてもいいように隙を魅せぬ佇まいでいる。ライダーは既に霊体化しているが、その一室に確かに存在していると剣士は確信している。

「全く、戦争とはイレギュラーの連続ですわね。今までエンゾの周りで起こった戦争は全て失敗に終わっていますし、貴方が聖杯を取り、願いを叶えることが本当にできるのか、不安でしかないですわね。」

ナリエはエンゾを小馬鹿にしたが、彼はそのナリエの台詞から何かを感じたのか、考え込んでしまった。

聖杯戦争というものを広めたのはダーニック。だが実際に聖杯のシステムを構築したのは彼を信じた魔術師たち。戦争はことごとく失敗に終わり、今もなお根源を夢見る者たちが競って戦争を発起している。

「待て、ちょっと待ってくれ。」

エンゾはそう呟き、頭の中にある無数の資料と蔵書の知識を閲覧する。彼はこの戦争で勝ち残るために書物を、書類を読み漁ったが、もしもそこに正しくない情報が紛れていたとしたら…

「聖杯戦争は全て失敗に終わっている?」

これは仮定であり、根拠のない推論に過ぎない。ナリエの話を信じれば、ミノタウロスの存在はエンゾの起こした戦いに参戦したどのクラスにも当てはまらない。

同時刻に違う場所に出現したサーヴァント、その事実を強引に解釈するとすれば、敵はミノタウロスでは無い、ミノタウロスを呼び出すことの出来る宝具を持つ誰かだ。

そしてエンゾはその答えに行き着いた。それはデンケトの戦いの記録にある一文。

―翼を広げ舞う姿は同じ人間であると思えない、まさしく異形である。

エンゾの額に汗が流れた。デンケトの戦いの資料がもし改竄されていたならば、全ての辻褄が合う。戦争で勝利し、受肉したサーヴァントが一人、エンゾの前に立ちはだかった、と。

「この戦争には、キャスターがいる。」




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