Fate/devotion    作:パープルハット

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7/25「王の器」にて当選した場合、頒布予定です。感想等お待ちしております。誤字がございましたらご連絡ください。


第五章 コーピング

【第五章】

 

アサシンとライダーの戦いからまる五日が経過した。

充幸は国立図書館へ来ていた。充幸がいる場所とは別に、新館が増築されたそうで、蔵書の移転作業などで人が慌ただしい。本来ならばこの時期、関係者以外は立ち入り禁止なのかもしれないが、彼女はまるで気配遮断スキルを有しているかのように、誰にも気付かれぬまま、ゆったりと本を探している。

「アジア人が本を探しに来たとは、まさか思わないんだろうな。」

充幸は独り言を呟く。そう、あくまで独り言。傍には霊体化したアサシンがいるものの、今日はまだ一言も会話していない。それどころか、ジェヴォーダンの獣と戦った後から、アサシンは一度も口を開いてはいないのだ。恐らく虫の居所が悪いのであろう、こういうときは触れないのが一番だ。

充幸は先程からエサルハドンについて書かれた蔵書を探していた。正直なところ、彼女の子どもであるアッシュールバニパルについての資料は見つかっても、エサルハドンに関して詳しい書籍は見当たらない。子どもの活躍の載った資料から、親の情報を少しでも集めていくしかないのだ。

充幸はエサルハドンという英雄のことを一切知らない。彼女が成した偉業こそがあの宝具で見た景色そのものであることは理解できても、あのアッシリアの姿を見て、彼女が、エサルハドンが何を感じたか。充幸には知る術が無いのだ。だからこそ知らなければならない。彼女が何を見つめ、何に手を伸ばそうとしているのか。アサシンは確かに鬼のような性格であるが、きっとそれだけでは無いはずだ。

―そう、信じたいだけかもしれない。

充幸は本を手にとっては一読し、棚に戻すのを繰り返す。途方もない作業だが、彼女が苦に思うことはなかった。戦争の最中、本を読む余裕を持てたことがある意味で幸運なのかもしれない。稀代の読書好きという訳でもないが、部屋に蔵書のタワーマンションが出来上がるぐらいには文字を愛していたのだ。

充幸が歴史資料エリアに来る前、文学コーナーで一冊の本を手に取った。それは彼女が過去に唯一読んだフランス文学、モーパッサンの『女の一生』である。百年近く前の作品であるが、それを古い幻想と捉えるには、あまりに内容が現実的で、現代的過ぎた。主人公ジャンヌは女性としての幸せや将来への希望を胸に無垢なる少女時代を生き、そして社会の冷たさを知る。恋に焦がれ、夢に焦がれ、そしてそれを叶えた瞬間、ジャンヌは残りの生を堪能する術を無くしてしまう。焦がれても裏切られ、焦がれても裏切られ…彼女の生き様は余りに悲痛に満ちたものだ。ヒトは自らの力のみでレールを築き上げることが出来ない。周りの大人が、環境が、「運命」が、道の選択を阻み、一本のレールに仕上げていく。真に解放された自由人などこの世には存在しないのだ。

でも、それでも、

「世の中は人が思う程に、良いものでも悪いものでもない。」

物語の最後を締めくくる台詞、それはジャンヌに対して告げられる言葉だ。これが何を意味するのか、ジャンヌはそれをどう受け止めたのか、その先は読者の判断に委ねられる。

充幸はこの物語をハッピーエンドと解釈した。ジャンヌの人生は確かに散々であったけれど、彼女はそれでも定められたレールに乗って、トロッコを走らせている。彼女の物語がこれから先も続いていくならば、彼女がトロッコから降りなければ、きっと希望はあるはずだ。そうでなければ、モーパッサンは作中で彼女を殺していたはずだから。

充幸は自分自身の今後を想像してみる。聖杯を勝ち取った先、彼女は自殺の道を選ぶ。鬼を殺し、自らも死ぬ。もし願いが叶わなければ、充幸は死に、鬼としての彼女が永劫に近い時を生きる。どちらにしても彼女自身が死ぬことに変わりはないが、彼女にとっては雲泥の差だ。あの日、桜の木の下で見た母の姿、あの悪魔のようにはなりたくないと思う。

聖杯が願いを叶えた時、充幸は運命に勝つことが出来るのだ。

「まだ、時間がかかるのか?」

充幸は女の一生の表紙を見つめながら固まっていたが、姿の無いアサシンからの問いかけによって、我に戻った。そしてアサシンの声を久々に聞いたような気がして、ほんの少し嬉しさが込み上げた。喋ると面倒なサーヴァントでも、異国の地で一人孤独に過ごすよりは、話している方がマシというものである。

「すみませんアサシン、もう読み終わりました。外に出ましょうか。」

恐らく書籍の貸し出しは出来ないだろうと踏んだ充幸は、持ってきた手帳に必要な情報を書き出していた。女の一生を元の本棚に戻すと、二人は街へ出た。

今日が休日ということもあって、パリの街は大いに賑わっている。屋台からは甘いストロベリーの香りが漂い、ストリートパフォーマーは客を笑顔にする。充幸が日本にいた頃とはまるで違った空気であり、その雰囲気が彼女は好きだった。夜の墓場や廃病院、悪霊のたまり場こそ、アサシンの言うところの、充幸の居場所であるが、充幸の本心としては明るく楽しいものが溢れた場所の方が良いに決まっている。まだ大人になる前の彼女には、見る景色全てが興味関心の宝庫だ。

充幸はポケットの小銭を握りしめ、女性の集まる屋台に並んだ。目当ては一口サイズのバウムケーキ。熱々のそれを受け取ると、一口でそれを飲み込んだ。

「あっふ」

当然むせる。サイズが小さいとは言えど、あくまでケーキ。丸呑みする食べ物では無い。

しかも熱がまだ籠った状態、水分を持たぬパサパサ攻撃は鬼であろうと容赦しない。

そして充幸は愚かにも水分補給できる何かを所持していない。熱さとモサモサ感は充幸の喉の潤いを奪う。充幸は顔を赤くしながらも、何とかそれを飲み込んだ。

「貴様、何をやっているのだ。」

姿が見えなくても分かる、アサシンは今どうしようもなく呆れている。

「甘いものに目が無くって…」

「落ち着いて食べればよかろうに。」

アサシンは霊体化を解いた。幸い人通りが多いとは言え、突然の出現を目撃した人物はいないようだ。アサシンはジュース販売の移動屋台へ向かうと、店員に詰め寄った。

「おい、水を渡せ。飲みたがっている奴がいる。」

「水は1フランですね。え?お高い?そうでもしなきゃ食えないもんで、へへっ」

陽気な店員は鼻歌まじりに水を差しだした。アサシンはそれを奪うと、金も払わずその場を後にする。彼女が通貨を持っているはずも無かった。

「あ、ちょっ、お客さん?泥棒!泥棒!」

大声で叫んだ店員に焦った充幸はすぐさま小銭を店員の手に握らせた。ここで騒ぎになると面倒なことになる。店員は仏頂面だが、声を荒げることは無かった。

アサシンは充幸に、飲め、と水を差し出す。彼女の突然の行動に困惑しながらも、お言葉に甘えることにした。一体アサシンは何故充幸の為に水を得ようとしたのか、理解に苦しむ。出会い頭にナイフを首に突き立てたかと思えば、ライダーとの戦いでマスター想いな一面を見せる等、その行動はバラバラで、判断するのが難しい。今の彼女は、妹の姿でも重ねているかのような、どこか温かい眼差しだ。

―おっと、エサルハドンに妹はいないんだっけ。

彼女の数少ない情報では、王位継承を巡って兄達と敵対、アッシリア王になる前からナキアという母親に溺愛され、エサルハドンが幼少にも関わらず活躍できたのは母親の力もあったようだ。

充幸は水を勢いで飲み干すと、アサシンに礼を言った。彼女がそれに応じることは無いが、どこか優しい雰囲気なままである。充幸としては、感情の起伏が激しいアサシンだからこそ、このままどうか機嫌が損なわれるイベントが起きぬことを願うばかりである。

だがアサシンは突如、顔をしかめた。どうやらパリの街を歩く一般人が、アサシンの格好をパフォーマーか何かと勘違いしたらしい。確かに彼女の服装は胸元が大きく開き、金の装飾が煌びやかな、どこかの王族といった風貌だ。(実際にそうである。)王として民から羨望の眼差しを受けてきた彼女も、全く知らない異国の民の目線は不快だったようだ。充幸は彼女の表情の変化にいち早く気付くと、近くのファッション専門店に連れて行った。

「アサシン、その服装は少し目立つので、この地にあったものに着替えませんか?」

「は?」

アサシンの不機嫌さは加速する。

充幸は慎重に言葉を選ぶ。早く、ほんの数分前の優しい彼女に戻ってもらわなくては。

「えっと、あまり目立つと他サーヴァントに今いる場所が見られてしまうというか。」

「別に構わん。来るなら来い、叩きのめす。」

駄目だった。

「貴女様の格好がそれはそれは眩しく、フランスの穢れた民衆には目が焼き尽くされるほどのもので、えっと、その。」

充幸自身、自分が何を言っているのか分からなくなる。さりげなくフランス国民を貶したが、別に恨みがある訳では無い。アサシンに着替えてもらう為だ、他意は無い。

充幸が慌てる様を見て、吹き出すアサシン。彼女が何気なく笑うのは、充幸と出会って初めてのことだ。充幸はその様子を見てキョトンとした表情を浮かべる。

「汝、さては馬鹿だな。ふっ、良いだろう。なら汝が我をコーディネートせよ。今の格好より優れたものを提案できなければ、勿論断罪だ。」

「え、あの。」

「早くしろ愚か者。」

充幸は急いでアサシンに似合う服を探す。アサシンは王としての今の衣装に拘りを持っているからこそ、それを超えるものを用意するのは至難の業である。加えて充幸はフランスのファッションを知らない。無理難題が過ぎると、彼女は溜息をついた。

「それにしても、本当に種類が豊富だなぁ。」

パリジェンヌ達が常にトレンドの最先端にいるのは、あらゆるブランドがこの地に存在するからだ。充幸は財布と相談しながら、自分が出来得る最高のコーデを組み立てていく。

彼女は煌びやかなアサシンの今の姿とは真逆の、渋さを追求する。アサシンは戦いからして派手で、その気性は激しい、今の服装は彼女の性格そのものを表しているかのようだ。

だから充幸は別のアプローチでアサシンの特徴を表すことにした。その淡い桃色の髪からして彼女は一人で勝手に輝ける存在である、だからこそ派手さに派手さを上書きしてはならない。服にはなるべく彼女の内面を見せないような、大人の渋さを表現させる。それにより、補色調和、つまりダークなコスチュームが彼女の輝きを一層に引き立たせることが出来るのだ。

深緑のトレンチコートに、デニムパンツ、彼女の元々の白を基調とした服装のイメージが壊れないよう、白のブラウスで纏めた。どちらかというとハードボイルドな印象を与えるコートも、可愛いというよりかっこいい彼女にはジャストだと判断する。最後に、シルバーのネックレスを選び、充幸のコーデは完成した。

アサシンは充幸から服を受け取り、試着室へ入る。受け取る際に「ほう。」と呟いたことに対して充幸は気が気ではないが、もう後戻りはできない。審判の時を待つのみだ。

そして早くも着替え終わったアサシンが出てくる。彼女は服装のイメージに合わせて髪を束ねポニーテールにしていた。充幸は似合っていたことに安堵するが、アサシンがどう思うか、そこに全てが委ねられている。

「このネックレス、スペードの装飾が付いているな。確か貴族、騎士、そんな意味合いだったか。」

充幸の顔が青ざめる。シルバータイプのネックレスを選ぶ際、装飾まで気にしていなかった。ただアサシンに似合うかも、と感覚で選んでしまっていたのだ。貴族はまだセーフのラインとしても、騎士というのはまずい、そう彼女は焦ってしまう。

だがアサシンの反応は意外にも良好と見えた。充幸のセレクトに関心さえしているようだ。

「汝は服選びが好きか?」

充幸は、はい、とだけ答えた。アサシンはどこか柔らかな表情を浮かべ、充幸に一式を買ってくるように促す。

購入を終えると、再び着替えたアサシンは充幸の腕を掴み、外へ出た。

「よし、敵の気配は無い。さて、次はどこに行く?充幸。」

アサシンは初めて充幸の名を呼んだ。この数日間で、二人の関係は少し変化したのだと、充幸は喜ぶのであった。

 

※ ※ ※

 

パリの街からリヨンまで約7時間。車に乗り込んだ四人はようやく目的の場所に到達する。

森にひっそりと佇む一軒家。セイバーが駐車させている間に、エンゾ、ナリエ、霊体化して付いてきたライダーは門の前に降り立った。

緑の翼の小鳥が屋敷の外で鳴いている。ナリエの情報収集能力は半端じゃないと、改めてエンゾは感心した。同時に、彼女がフランスの地に住居を構えていることも、彼にとっては幸運だった。正直此度の戦争に関わらせたくない気持ちは大きいが、そうも言っていられない状況に陥っている。

エンゾ達は屋敷の呼び鈴を鳴らすが、人が出てくる気配は無い。屋敷の壁自体ツタで覆われていて、長年手入れされていないことは容易に判断できる。

「本当にここにいるのか?」

「えぇ、彼女はいますわ。いてくれないと困ります。」

エンゾはドアノブを回す。すると意外にも鍵は開けっ放しであった。不法侵入であると分かりつつも、目当ての人物に会う為、そっと中に入る。

「誰?」

女の声が家の中から響いた。その声は恐怖一色に染まっている。エンゾは慌ててドアの外へ戻ろうとするが、彼女は刃物を握りつつ現れた。

「貴方、エンゾ…?」

女は、目の前にいる人物が、自分の知る男であると理解する。一方エンゾは、余りにも変わり果てた彼女の姿に、困惑の色を浮かべた。美しかった顔はしわくちゃになり、髪は真っ白な、まるで老婆だ。エンゾは齢三十三であるが、彼女が同い年であるとは到底思えないような風貌に成り果てていた。

「やぁ、ニーナ。君と会うのはデンケトとの結婚式以来かな。」

彼女の名はニーナ。目の前で最愛の夫を何者かによって殺された未亡人である。

「エンゾ、貴方の後ろにいるその男、眼鏡の男、サーヴァントね。聖杯戦争に参加しているのね。」

ニーナはセイバーに対し、憎しみの籠った目を向ける。彼女はサーヴァントであるいう事実だけで拒否反応を示した。エンゾは仕方の無いことだと納得する。目の前にいる人間が銃を突き付けてきているようなものだ。夫の命を奪った存在を許すことは決して無い。

「私に何の用?生憎聖杯戦争の話ならするつもりは無いわ。帰って頂戴。」

ニーナは扉を閉めようとする。エンゾは焦ってニーナの肩を掴んだ。そして気付く、彼女は目の前にいる男が知り合いであると分かって尚、小刻みに震えているのだ。

「すまない、ニーナ。少しでいい、話をさせてくれ。デンケトの参加した聖杯戦争の資料には無い真実を教えて欲しいんだ。」

「聞いて何になる。」

「俺の参加している聖杯戦争、イレギュラーな事態が発生している。いるはずの無いサーヴァントがいて、それがデンケトの聖杯戦争にいたサーヴァントかもしれない。」

エンゾの言葉に、ニーナは振り向く。彼の突拍子もない話に、少しの興味が生まれた。

「馬鹿な。エンゾ、いいかしら。聖杯戦争は今や世界中どこでも発生している。夫の戦争にいたサーヴァントであるとは限らないし、そもそも、貴方には彼の戦争に参戦したサーヴァントの名前なんて分からないでしょ。」

「君の夫が参戦した戦争のアーチャー、真名は〈ジャン・シャストル〉。違うか?」

エンゾがその名を告げると、冗談半分で聞いていたニーナは神妙な顔をした。そう、ニーナはデンケトから、戦争に参加したアーチャーの名を告げられていた。それこそが獣を殺した英雄、ジャン・シャストルであったのだ。

「フランス人ならばその事件を知らぬ者はいないだろう。デンケトの資料にあった血肉を前に嗤う狼という記述、あれはまさしくジェヴォーダンの獣を表している、と俺は考えた。」

「……」

「もし、デンケトの戦いに現れたサーヴァントの一人が獣か、もしくは獣を殺した英雄であれば聖杯戦争のことを教えて欲しい。百の貌のハサンと、黒い獣、それらが俺たちの戦いに同時に現れるなんて、これは偶然では無いはずだ。」

ニーナは一つ溜息をついた。彼がここまで必死であるならば、告げなければならない。もし夫が生きていたならばエンゾを助けていたはずだから。

「…いいでしょう、エンゾ。中へいらっしゃい。あぁ、そこの巨乳な女とサーヴァントは家に上げるつもりは無いから、貴方一人で来なさい。」

そう言い、ニーナは家の奥へ戻って行った。

セイバーとしてはエンゾの傍にいるべきだと思ったが、事情が事情なら仕方が無いと、屋敷の外で待つことに決めた。ナリエも少し不満ではあったが、セイバーと同じ気持ちである。エンゾはライダーも合わせ三人を外へ置いたまま、屋敷の中へと入って行った。

ニーナはエンゾをリビングに案内し、ソファーに座らせた。エンゾが部屋を見回すと、懐かしき旧友の写真や、彼の趣味であった骨董品が並べられていた。まるで彼がまだ生きているかのよう、屋敷の外とは打って変わり、中は生活感に溢れている。

「…あの日から、一度も外へは出ていないのよ。」

ニーナは寂しげな口調で語り始める。鍵が開いていたのは、ふらっとデンケトが帰ってくると今でも信じているからだ。そろそろ家の備蓄が切れるころで、彼女はこのまま屋敷の中で息絶えるつもりでいたらしい。

「私はデンケトが調べた全てを知っている。アーチャーの名前、貴方が言う通りジャン・シャストル。彼はジェヴォーダンの獣を使役する猟師のサーヴァントよ。後はアサシン、百の貌のハサン、キャスターはギリシアの工匠ダイダロス、イカロスの翼で空を飛ぶことが出来る。そして監督役、ルーラーの名前。」

「ルーラークラスのサーヴァントか。名前は?」

「プラトン、古代哲学者の一人ね。歳はそれなりにいっているはずなのに、がっしりとした身体つきでね。元々プロレスラーだったのは伊達じゃないわね。」

「そうか。それで、戦争は失敗に終わったらしいけど、何がどうなったんだ。」

「聖杯が消失したの。」

「消えた?」

意外な新事実だ。エンゾの持つ資料にはこの顛末までは書かれていなかった。

「勝利したのが誰かも分らぬまま、忽然と金の杯は消え去った。アーチャーのマスター、プラトン、そして夫は必死になって探したそうよ。そのときはまだサーヴァントたちが存在したから、誰かが持ち去ったとばかり思っていたのでしょう。でも、それからしばらくして、サーヴァントはみな消えてしまった。デンケトの傍にいたハサンもね。」

エンゾは驚愕する。資料では彼がアサシンであるハサンに殺されたと記述があったはず。

「待て、まさか、同じ仮面をつけた身に着けた者たち、百の貌を持つハサンがデンケトを殺した訳ではないのか?」

「えぇ、そう。夫が死ぬ前に、既にアサシンは死んでいたわ。」

そうなるとエンゾの推理は悉く外れることとなる。聖杯戦争でアサシンはマスターであるデンケトを殺害したため、現世に留まる術を無くし、敗退。アーチャーとキャスターの一騎打ちでアーチャーが勝利し、聖杯を捕る。彼は自らの願いで受肉し、エンゾの聖杯戦争に参加した、その際に理由は不明だが、百の貌を持つハサンの姿に擬態した。これが彼の思い描いた真実だ。だがデンケトが命を落とす以前に、サーヴァントが消滅しているとなると、全くシナリオが見えてこない。

「デンケトを殺した者が、どんな姿だったか覚えているか?辛いことを思い出させるようで申し訳ないが。」

「…仮面の所為で見えなかったけど、その背格好はルーラー、プラトンに非常に似ていたわ。彼もまた、ハサンが消えたあたりから姿を消していたから、一緒に消えたのでしょうけど。」

プラトン、古代ギリシアの哲学者で、彼の余りにも有名な〈イデア論〉は後の思想体系に多大な影響を残した。

かつてエンゾの同期である魔術師が言っていた、プラトンがイデア界の存在を提唱したのは、彼が根源の渦に到達したからでは無いかと。そこには善が、美が、真実があったのだと。プラトンが魔術にも精通していた記録は無いため、彼の説は笑いの種にされていた。

デンケトを殺した人物がプラトンだと仮定しても、同じ仮面を被った者が複数人で取り囲んで殺したという状況で、彼と結びつけるものは取り合えず無い。宗教団体による殺人事件と捉える方が幾ばくかマシというものである。

「デンケトが聖杯戦争に参加することを知った魔術一派が、漁夫の利を狙って彼を殺したというのが一番有り得る線だな。ニーナは、サーヴァントがデンケトを殺害したと思っているか?聖杯が消失して、彼らか消えたことを知っていてもなお。」

ニーナは首を縦に振った。デンケトもまた、エンゾの兄であるノエと比べられるほどの才覚を秘めた魔術師であった。彼が並の魔術師に襲われることなどあり得ないと彼女は信じている。エンゾもまた、彼のことはよく理解していた、だからこそ、胸に何かモヤモヤとしたものが渦巻いているのだ。

ニーナは、話すことはもう無い、と立ち上がった。彼女はエンゾに家から出ていくように促す。エンゾも、これ以上彼女を苦しめるのは愚行だと判断した。

エンゾが家を出る直前、ニーナは彼に声をかける。何故かこれが永遠の別れのように感じられたのだ。

「エンゾ、貴方は生きなさいよ。ノエも、夫も、皆亡くなって、貴方もいなくなったら…」

「それはこちらの台詞だ、ニーナ。ちゃんと飯は食え。そんなことじゃ旦那に怒られるからな。」

戸を開け、陽の光を浴びるエンゾの背中は、どこかデンケトに似ていると、ニーナは思ったのである。

 

一方、エンゾがニーナに誘われて家に入って行ったあと、外で待つナリエは小鳥達に餌をあげていた。

「タダヨシ!早く食べなさい。キヨタケはもう駄目、残りはヨリフサとイエツグの分だから。ちょっとどこ行くの、マサユキ!」

ナリエは数十匹の小鳥を従えているが、その全てを記憶しているらしい、とセイバーはエンゾから聞かされていた。確かに今彼女から餌を与えられているのは全て緑の羽根の小鳥たちで、セイバーから見て全く見分けがつかない。セイバーは興味深く彼女を観察した。

すると彼女はその視線に気付いたのか、セイバーに接近した。拳三つ分の距離まで迫ると、彼女はセイバーをまじまじと見つめた。

「流石軍人よね。服の上からでもその鍛え上げた筋肉は見て取れるわ。ウチのライダーはナヨっとしているから、余計に素敵に見える。」

セイバーは言葉を発さない。間違いなくエンゾの知らないところで彼女は暗躍している。ランサーや他のサーヴァントと同じく、セイバーにとって彼女は危険因子だ。

「貴方がいればエンゾに敗北の未来は無い。この戦争において貴方はキング、王なのよ。」

ナリエはどこからともなく取り出したトランプのKのカードをセイバーのポケットに差し込んだ。が、ナリエの目に留まらぬ速さで、そのカードは二つに割れ、地面に落ちた。

「つれない人。」

ナリエはつまらなさそうな顔を浮かべる。そしてあろうことか、セイバーの首元にポシェットから取り出した拳銃を突き立てた。当然そんなものでセイバーを殺せないことは両者とも理解しているが、これは挑発行為に他ならない。

「私を殺したいんでしょう?貴方は完璧主義だもの。味方に不穏分子がいるのはむずがゆくて仕方が無いはずよ。この拳銃を奪って、私の脳へ打ち込めば、それで貴方は安心できるはずよ。」

セイバーは口を開くことはない、が、ナリエの望み通り、彼女の手からするりと拳銃を奪い取り、彼女の額に押し当てた。

当然引き金を引かせる訳にはいかないライダーが二人の間に、強引に割って入る。セイバーは数歩距離を取るが、ライダーは彼の手から拳銃を奪い取ることに成功した。

が、ここでライダーはあることに気付く。

「何だこれ、弾倉が無いじゃないか。」

ナリエがセイバーに向けた時には確かに存在した、が、セイバーが奪い取った時には既に彼の手により、捨てられていた。

「ったく、セイバーにとって僕らは、赤子をあやすようなものってことか。」

「そうみたいね。」

セイバーはここで初めて霊体化と解いたライダーの姿を見た。その姿だけで、彼は武人で無いことを即座に判断する。単純に力比べをすれば勝てる相手ではない。トリッキーな戦術を仕掛けてくる可能性がある。

「セイバー、私の聖杯にかける願いを教えてあげる。それはキマリュース家の復興よ。」

それはエンゾと同じ願い。だが、何かが違うとセイバーは感じ取った。

「この願いは、エンゾが持つものと同じ。だけどね、あくまで叶えるのは私、勝利者は私でなければならない。だからね。」

ナリエはほくそ笑む。彼女の本心が垣間見えた。

「セイバー、貴方には死んで欲しいと心から思っているわ。」

「それならばよい。」

セイバーは口を開いた。ナリエは彼の返答が想定していたものと異なり、驚愕する。

セイバーはナリエがエンゾを殺そうと画策しているものだと感じていた、が、彼女の敵意はエンゾよりセイバー自身に向いているらしい。それならば話は単純である、自らが死ななければいいのだから。彼が敗北しない限り、彼女の望みは果たされないということである。

「やっぱり、つれない人。」

ナリエはセイバーから離れ、小鳥たちの餌やりに戻った。

 

※ ※ ※

 

「ぶらりパリ観光、最後はやはりここだな。」

グラコンは例のごとく独り言を呟きながら、ある場所に来ていた。ランサーは霊体化を解き、グラコンの後ろから現れる。

「アンヴァリッド…か。」

「軍事博物館だ。ランサー、君も興味があるだろう?」

無いと言えば嘘になる。現に内部に設置された大砲の模型に惹かれている。自らの時代には無かった代物だ。王として戦いの歴史を歩んできた彼だからこそ、この地に眠る男の戦略を少しでも吸収したいと思った。

ランサーは第二の生を以てして、生前の自分では出来なかった、ムスリム以外への興味、それを学ぶ姿勢を持つことを心掛けている。神への信仰は不変であるが、それと同時に人非ざる者のことも、彼は知らなければならない。グラコンは知的好奇心の塊のような男であるが、ランサーもそれに感化されていると自覚していた。

「ランサー、残念だ。どうやら今日は閉まっているらしい。外観だけでもゆっくり見ていこう。」

グラコンは心底残念そうな顔である。彼が散歩と称してパリを心から満喫している姿を隣で見てきたランサーだが、どうにも腑に落ちない点が一つだけあった。

「グラコンよ、貴様には信じる神がいないのか?」

それは彼があらゆる宗教に寛容であるが、全てに興味を示さない態度を見せていたからだ。

教会で祈る姿も無ければ、宗教観溢れる歴史的建造物には立ち入ることをしなかった。彼は常に人の営みの歴史を辿ることこそを好む。ルーブルやオルセーでも、宗教画の表す意味より、その表現技法にのみ注目していた。

「君と神様について語るのは、少しばかり怖いが、折角だ。私にとっての神とは何かを君に話しておこうじゃないか。」

敬虔なムスリムであるランサーを前に、グラコンは語る。

「一体何が神を神たらしめるのか、君はどう思う?」

「全能だ。」

「ふむ、では全能とは何だろうね。全能であれば何ができる?」

「神(アッラー)は人も宇宙も、全てを創造する。そしてそれと同時に、終末の刻を用意している。総ての生物の終わりと始まりを司ることだ。」

「なるほど、では神であれば全能である、と定義しよう。では逆に、ある日、人が全能になったとしよう。彼は、もしくは彼らは、神であると言えるかい?」

「否、神は神(アッラー)のみだ。」

「では、神は全能であるが、全能である人は神ではないと言うことだね。」

「そうだ。だが、人が全能となることは永遠に無い。だからその条件は間違いだ。」

「何故そう言い切れる?君たち英霊の生きた時代に天に手を伸ばした者はいても、それを超えた先に辿り着いた者はいなかった。だが今は、アポロ十一号の月面着陸のように、確実に人は未知の領域に突入している。いつの日かヒトが宇宙を掌握することも、有り得ない話では無いはずだ。」

「そうだな。無いとは言い切れない。」

「それでは話を戻そう。全能であるから神ではなく、神であるから全能だと私は定義した。つまりここでは、神が神である理由は、全能であるから、では無くなるはずだ。では最初の質問に戻ろう、一体何が神を神たらしめるのか。」

「神(アッラー)への信仰か?教徒が神の存在を肯定する故、神は存在すると。」

「そうだね。人が人を信仰することは往々にして存在する。これは王へ仕える臣下も同じはずだ。では、神への信仰と人への信仰、これは同じものかい?」

「決定的に異なる点がある。我々は同じヒトを見ることが出来る、その者の外見を、性格を、知ることが出来る。しかし神の形を知ることは不可能だ。」

「そう、神は人にとって知ることが出来ない存在だ。確かにキリスト教など、偶像崇拝を行う宗教もあるが、それが必ずしも正しい神の姿であると判断する材料は無い。何故ならば、絵にしても、彫像にしても、神の描かれ方は千差万別であるからだ。」

「ふ、なるほど。貴様の思想が見えてきたぞ。目に見えない、知り得ない存在を〈神〉と認識したものがいるということだな。」

「当たり(イグザクトリー)だ。信仰が生まれる背景には、神という存在を定義づけた何かがあるはずだ。その正体は一体誰かな。」

「人だな。」

「そう、この世界を生み出した存在がいるということを定義したのは外ならぬヒトなのだ。神が人を生んだ、そう意識付け、実際は人が神を生んだのだ。私にとってみれば、これは私の大好物、人の営み、人類の叡智のほんの一部に過ぎない。」

「だが、同じヒトの営みである以上、貴様が興味を抱かないのは疑問だが?」

「人の科学、技術の進歩は、今まで人類が神のような大いなるものに対し責任転嫁し続けた現象、理を徐々に解明している。その進歩こそが私の求めるところである。私に神への信仰が無いように見えるのは、人間の可能性をどこまでも愚直に信じているからだ。」

そうグラコンは締めくくった。そして彼はランサーが口を開くのを待った。

「私は当然、神(アッラー)がいることを信じている。そう信じる者たちがいつか辿り着く楽園に思いを馳せて、法を、政治を作る。技術の進歩は神からの離脱では無い。神を信じ、神を信ずる人を信じ、人が未来を生み出すのだ。」

ランサーはそう切に思う。生前の自分の行いは、酷く不器用で見ていられないものだったはずだ、しかし、その想いに間違いは無かった。たった一つの命を捧げ、神(アッラー)に、国民に尽くしたことを、誰よりも自らが認めなければ、信仰は嘘になる。

「そうだ、君はそうでなくてはな。」

グラコンはどこか嬉しそうな表情で笑った。彼との語らいは常に答えのない真理の探究だ。彼は自らの考えとは異なる回答こそを好み、他人の考えを自らの糧とする。

「ランサー、この場所は実に良いね。歴史的価値の塊だというのに、人が疎らだ。目を保養しつつ考え事をするのには丁度いい。」

「奴は、さぞ安らかに眠れていることだろう。」

ランサーの皮肉に、グラコンは含み笑いをする。二人は続いて聖杯戦争について語り出した。戦争の最中の、僅かな休息、二人はそれを存分に満喫する。

ランサーはグラコンの正体を未だ知らない。だからこそ二人は対等に語り合える。

彼がグラコンであり続ける限り。

 

※ ※ ※

 

夕焼けのパリは、昼間の賑やかさを失い、少し寂しい雰囲気を醸し出す。はしゃぐ子どもの笑い声はとっくに消え、仕事帰りの大人たちの、束の間のブレークタイムが始まる。オープンテラスの喫茶店は、新聞片手にコーヒーを楽しむ男で埋め尽くされていた。

だがそこに異質で、無邪気な少女達はいた。今日一日、街を散策した充幸とアサシンである。

服を着替えた後、彼女らは街をひたすらに見て回った。文化遺産や観光地に足を向けることは無く、ひたすらに賑やかな通りを行き来したのだ。踊るピエロを見て笑い、ハムの挟まったサンドウィッチを口にし、高級ブランドの時計屋でショーウィンドウに張り付き、愉快なおもちゃ屋で童心に帰る。充幸は途中からアサシンが王であることを忘れ、子どものように、心の魅かれる方へ走り続けた。

アサシンはまるで保護者のように充幸の笑顔を温かく見守りつつも、急な破天荒さを見せたマスターに戸惑いを隠せないでいた。だが彼女の顕現している姿もまたうら若き乙女の姿である。興味関心が尽きない充幸の姿は、どこか王として統治する前の自分に似通っていると思った。

二人が訪れた喫茶においても、充幸はメニューにあるパフェに心を動かされていた。今はそれを全て食べ終え、どこか冷静になった充幸である。

「すみませんアサシン、はしゃぎ過ぎましたね、私。」

「あぁ全くだ。だが汝の普段の姿とのギャップは、見ている分には面白かったぞ。」

充幸は基本的に物静かだ。今日ほど彼女を五月蠅いと思ったことは、アサシンには無かった。異国の地の持つ魔力(ここでは魅力的な意味合いで)はこれほどまでかとアサシンは感心する。それとは逆に、充幸は羽目を外し過ぎてしまったことを反省した。

「私の命はあと数か月なんです。笑える時にしっかり笑っておかなきゃと思って。」

充幸は自嘲気味に笑った。アサシンには最初意味が分からなかったが、充幸の聖杯にかける望みを聞き、勝利しても彼女が死を選ぶことを知る。

「我々が勝利した暁に汝は死を選ぶと言った。何故だ。鬼である汝を捨て、人間として自由意思で生きる選択肢もあるはずだろうに。」

「この世に未練はありませんから。両親に会いに行くことこそ私の願いです。それとも、聖杯は人の死をひっくり返せるほど万能なのでしょうか?」

「さぁな。我には判断できる材料が無い。」

アサシンはコーヒーを飲み干した。サーヴァントに飲食は必要ないけれど、こうやって楽しむ分には良い気分転換になる。戦いの最中、悠長にホットドリンクを飲む余裕は無い。敵の来襲が無いときにのみ、優雅に嗜むことが出来るというものだ。

「それに、生きてたって、別に楽しいことなんて。」

「今日は、今日一日は、どうだった?」

「勿論楽しかったです。でもこんな日々が毎日続く訳では無い。私の生きてきた十数年でこんな日は片手で数えられるぐらいしか経験してこなかった。毎日が生き地獄だ。」

鬼に身体を侵食される感覚、徐々に自分の身体が何者かに奪われていく。充幸は自らの肉体さえ自由では無い。偶に突発的な殺人衝動に駆られる時がある。目の前にいる人間を殺し、その肉を食べたいという残虐な思考に塗り潰される。

「アサシン…私は」

充幸は誰にも言わないつもりでいた過去を話し始めた。

「私は、人を食べたことがあります。」

日本で暮らしていた頃の話だ。充幸の両親が死んだ後、失踪した母と惨殺死体となった父について面白おかしく記事を書こうとする新聞記者たちに家を訪ねられる日々が続いた。世間の認識では、母が父を殺し、娘を置いて出ていった、と噂が広まっている。間違いではないが、ピントが大きくズレている様に彼女は感じていた。

当然通っていた学校へ行くことは無くなり、家に引きこもり何もしない生活が始まる。

元々普通の子として生きることなど不可能だったのだと、彼女は諦めるしかなかった。

両親の存在が、充幸を人間として迎え入れてくれる。では彼らを失った後は、誰が充幸を認めてくれるのか。もう取り戻せない時間に、無垢なる少女は涙した。

ある日のことだ。家に訪ねてくる男がいた。記者でも無く、子どものいたずらでも無い。充幸が通っていた学校の担任教師であった。

「真壁先生?」

「やぁ、鬼頭君。迷惑でなければ、お邪魔してもいいかな?」

真壁は学校に来ない充幸を心配して、授業ノートやちょっとした食材、飲み物を買ってきた。冴えない風貌の彼だが、何かと気の利いた先生として校内では人気があった。

「どうも、ありがとうございます。」

充幸にそれらを手渡すと、お線香をあげてもいいかい、と仏壇の方へ歩いて行った。仏壇と言っても線香と写真と、少量の果物を平らな石の上に並べているだけの、充幸の自己満足だ。彼はそんな粗末な仏壇に何か言う訳でもなく、ただ真摯に、手を合わせたのだ。

拝み終えると、真壁は仏壇に乗せてある写真に目が言った。そこには父の姿だけではなく、母の姿もある。

「鬼頭君、君のお母さん、何処かに行かれて、まだ連絡は取れないんだよね?」

「…母は…」

死にました、そうは言えない。鬼として夜の闇を彷徨う存在になった、と伝えても冗談にしか聞こえない。充幸は口を噤んだ。

「また来るよ、鬼頭君。」

真壁は早々に荷物をまとめて立ち去った。彼の持ってきたノートを開くと、充幸が休んでいる間の全教科の内容とアドバイスがびっしりと書かれていた。

それから三日に一回のペースで真壁は充幸を訪ねるようになった。線香をあげ、ノートを渡し、雑談しては帰るというのを繰り返す。充幸も徐々に真壁に対し心を開いていった。

「先生はどうして教師になろうと思ったのですか?」

「子どもが好きだったから、かな。」

長年の教師生活で、君みたいな子は初めてだ、と彼は笑った。それは問題児だからということだろうか、充幸もつられて笑った。

真壁が家を訪ね始めて、一か月が経とうとしていたある日のことだ。彼は例のごとく充幸の家を訪れ、持ってきたノートを見ながら、世界史の科目を教えていた。

「ムガル帝国の皇帝はこの四人をしっかり覚えておけば大丈夫。」

「うーん、ヨーロッパの方はまだ覚えられるんですけど、なかなか頭に入ってきません。」

「確かに、先生も学生の頃は覚えるのに苦労したよ。」

二人は真壁が書いたノートを見ながら笑った。何もかもを失った充幸が、依存できる唯一の居場所だった。

だが、それは突然の来訪によって奪われる。

建付けの悪い玄関の扉を急に開け中に入るものがいた。それは両親が死んで間もない頃、趣味の悪いゴシップ記事を書こうとした記者の一人であった。

「鬼頭充幸さん、あんたが両親を殺したって噂が流れているんですけど、本当ですかい?」

記者は土足で家に上がり込むと、充幸に詰め寄った。真壁は充幸の前に立ち、記者の進行を止める。

「誰だアンタは、急に押しかけてきて。」

「ワシは週刊〇〇の記者でして、この前の惨殺事件について再度お話を聞かせていただこうかな、と。」

「迷惑だ、帰りたまえ。」

真壁は怒気を強める。だが記者はお構いなしに充幸へ取材しようとする。真壁の制止を振り切り、充幸の眼前まで興奮した顔を近付けた。充幸は思わず一歩後退したが、足を滑らせたのか、仏壇の方へ転げてしまった。

両親の写真が落ち、それを記者は拾い上げる。充幸は記者たちに写真の提供など一切しなかった為、両親の生前の姿は記事に流れていなかった。記者はここぞとばかりに写真の両親に向かってシャッターを切った。

「何をしているんだ馬鹿野郎!」

真壁は記者の持っていたカメラを奪い、地面へ叩きつけた。カメラは破損し、レンズは粉々になる。逆上した記者は真壁に向かって飛びついた。

「俺の、俺のカメラ!お前!」

「子どもを怖がらせることだけは、大人はやっちゃいかんのだ、さっさと帰れ!」

真壁と記者は取っ組み合いの喧嘩となる。充幸は茫然とその様子を眺めた。

―思えば、仏壇の石で顔を切ってしまったあの瞬間、私は鬼の衝動に駆られてしまったのかもしれない。

充幸の人としての意識は消える。右手は黒く染まり、赤い目は怪しく光る。記者の顔を右手で掴むと、引きちぎるように顔の皮を剥いだ。

充幸が意識を取り戻した時、家の中は赤く染まり、先程まで人間であった何かがそこら中に転がっていた。唯一の救いは、目の前にいる真壁が生きていたことである。

彼は腰が抜けたようで、這いずりながらも充幸から逃げようとしていた。

「あ…」

先生、そう声をかけようと手を伸ばすが、彼がその手を掴むことは二度とない、それほどまでに汚れてしまった。

「化け物…助けて、化け物だ…」

真壁は泣きながら必死に逃げようとする。

充幸はまた、大切な居場所を失ってしまった。

真壁が命からがら逃げ帰った後、充幸は両親の写真を手に、家を出た。

もう、この場所には帰れない。

彼女はただ行く当てもなく、夜の街を歩き続けた。

この数日後にナリエと知り合うことになるが、充幸が日本にいる間、彼女が殺人犯として警察に追われることは無かった。

真壁は充幸のことを誰にも話さなかったのだ。

もう会うとこは二度とないけれど、彼は短い間でも、人生の恩師だったと、心の底から言える、そう充幸は思ったのであった。

 

充幸は一通りを話し終えた。アサシンはどこか退屈そうな顔で耳を傾けていた。

「つまらない話でしたよね…」

「あぁ実にくだらん。要は汝が真壁という男に惚れていたというだけの話だろう。」

「いえ、決して惚れていた訳では…ただ、私は何も彼に返せなかった。」

彼にも、記者にも、その家族にも、充幸は詫びなければならない。許されないことをした、その罪は永遠に消えないけれど、それでも謝り続けるしかないのだ。

「では聖杯戦争が終わった暁に、そいつの元へ行き、感謝を口にすればいいのだ。」

「でも私はもう、死ぬつもりでいるから…」

アサシンは充幸の頬に触れた。そして優しく微笑む。

「逃げるな、お前は生きなければならない。男を殺してしまったことを、一生をかけて償い、真壁には何とか感謝を伝え、これから歩むであろう下らない人生を、胸を張って生きていけ。人生というものはヒトが思っている程に、良いものでも悪いものでも無いんだ。」

―あぁ、その言葉は…

充幸の頬に涙が伝う。

「貴方に、私の何が分かるんですか。」

「分かってたまるか。貴様のつまらない人生の中で、この我を引き当てたのは唯一の幸運だったな。勝つぞ、必ず。」

アサシンはニコリと笑う。充幸には、彼女の本当の顔が分からなくなっていた。

王として厳しく、その性格は我儘で融通が利かない、でもときに優しい微笑みを浮かべる。

王という生き物は皆こうも激しい性格なのだろうか。

ふと充幸は、テイオスの言葉を思い出した。

―貴方様が敷いた法も、理念も、抱いた夢も希望も、世界の喜びも、嘆きも、痛みも、その何もかもが白紙だった。ただ形作られた大地に都市が生まれただけだ。王としての熱は、あの世界の中で、一体どこに在ったのでしょうかね。

充幸が図書館で調べていく中で、彼の言葉の真意が見えてくる発見があった。

それは、エサルハドンの母ナキアは、幼い彼に代わって、実質的に政治を担っていたという事実、エサルハドンは病弱で、悪霊に対し人一倍敏感であり、占いを通じて何とか霊というものを近付けないようにしていたという事実である。充幸が初めてフランスでアサシンを召喚したとき、彼女は慣れた手つきで、悪霊を倒した。それも、彼女の命とも言える占いの道具、杖を用いて。

資料から得る彼女の情報と、サーヴァントとしての彼女は違いが甚だしい。

そして王としての彼女は誰よりも気性が荒いが、ただ傍で充幸と話す彼女はどこか母のような優しさなのだ。もしかすると彼女は、本当はナキアなのかもしれない。

「アサシン、貴方は…」

「何だ?」

「エサルハドン…ですよね?」

―必ず殺す。

俺がアイツを殺してやる。

アイツは俺の家族を、妹を、全部奪った。

今度は俺がアイツから全部奪ってやるんだ。

 

「あぁ勿論。俺(われ)はエサルハドンだとも。」

 


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