Fate/devotion    作:パープルハット

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7/25「王の器」にて当選した場合、頒布予定です。感想等お待ちしております。誤字がございましたらご連絡ください。


第六章 紫の朱を奪う

「ナリエ、エンゾ、来てごらんよ。」

幼きノエの姿があった。私はエンゾの手を引き、彼のいる場所へ歩いていく。

キマリュース家の庭は見渡す限りの花園だ。色とりどりの花の鮮やかさに、ナリエはいつも見惚れてしまう。この華やかな庭園を作り上げたのはノエである。彼は多趣味な男で、魔術師であり、庭師であり、舞台演出家であり、騎手であった。

ノエの元へ近寄ると、彼は得意げな顔で花たちにおまじないを施した。

すると三人のいる世界は瞬く間に生まれ変わる。花の色は虹色に変わり、花びらが宙を舞った。ノエは続いて空へ向けて指を振る。すると眩しい太陽が輝く空が一転、オーロラの夜空へ切り替わった。

「凄い、綺麗。」

私はあまりの美しさに、思わずエンゾの手を強く握りしめた。私やエンゾと違って、彼は同じくらいの年齢であるのに、こんな奇跡を演出できる。

「兄ちゃん、魔法使い?」

「そんな訳ないだろ、エンゾ。実はこの庭の一帯を、結界で包んだだけなんだ。ほら、ちょっと昔に出来たプラネタリウム、みたいなものさ。」

「プラネタリウム?」

エンゾは首を傾げた。私もその言葉の意味をあまり理解していない。

「天井にたくさんの星を映し出す機械さ。この結界ぐらい迫力満点なんだぜ。魔術の勉強が忙しいけど、いつかお小遣い払って三人で見に行こう。」

ノエはニコリと笑った。

私は知っている。ノエには遊ぶ暇なんて無いことを。今だってノエのお父様から与えられた五分しかない休憩時間で、一緒に庭で花園を見ているに過ぎない。たった五分じゃ、屋敷の外に出ることは出来ないだろう。

「兄ちゃんばっかずるい。俺なんて魔術の勉強全然させてもらえないし、勉強したら俺だって…」

「ん?何か言ったか、エンゾ?」

「ううん、何でもない!」

ノエはエンゾの頭をクシャクシャと撫でる。エンゾは「やめろよ」と言いつつもどこか嬉しそうだ。

屋敷の屋根に留まる鳩たちが次々に鳴いた。ノエは鳩の声で、休憩の終わり、刻限を察した。ノエは笑顔で私とエンゾに手を振ると、屋敷に向かって駆け出していく。手を振ってその姿を見送っていると、彼は不意に振り返った。

「ナリエ、今度は君の好きな色でグラデーションを考えてみるよ。何色が良い?」

「赤色、赤色が好き!」

私は思わず叫んだ。そう遠く離れていないのに、ノエの耳に必ず届かせるように。

「赤色か。俺も好きだよ!」

ノエはそう言い残し、去って行った。

エンゾは不思議そうな顔で私を見つめた。

「赤色は危険信号だよ?ほら、信号が赤色の時は危ないから渡っちゃダメだし。ナリエも兄ちゃんも変なの。」

「そうね、変ね。」

私は再びエンゾの手を強く握った。心がふわふわとして、雲のように飛んで行ってしまいそうだから。

 

【第六章】

 

時は、セイバーとランサーのシャンゼリゼ通りでの戦いより以前に遡る。

 

「死は終わりではない、より高貴な生への入り口である。」

ブロンドカラーの髪を束ねる女は、そんな言葉を口にした。宵闇に浮かぶ満月に照らされたその美貌は、ここにいる男を虜にするには十分な威力であった。

「何だナリエ、またお得意の、座右の銘ってやつかい?」

「えぇ、ファーブル昆虫記、貴方も読んだことはあるはずよ、リューガン。」

男はリューガンと呼ばれていた。本名ではない。所謂〈掃除業者〉にとって偽名は無数に持つものだ。だがナリエという女は何故か偽名を使いたがらない。相当な名前へのプライドがあるのだと彼は推察した。否、真の名であるからこそ、騙し、欺き、その願いを、想いを踏みにじることが出来るのかもしれない。彼女に心を許す人間は大抵の場合、同じ末路を辿るのだ。

ハニートラップが如何に対象を騙すのに有効打であるかは理解している。当然ナリエもまた、その艶めかしい肉体で数多くの人間の人生を壊してきたことだろう。だがそう理解しつつも、リューガンという男もまた、彼女の魅力に落ちた人間の一人だ。

だが彼が彼女に対して抱く淡い想いは、絶対に叶うことのない願い。たとえ流れ星に三度祈ろうが、天は彼の味方をしないだろう。そう、ナリエは既婚者だ。愛する夫がいて、その胎内に小さな命を宿している。没落貴族のリューガンでは、決して届かぬ高根の花だ。こうして共に仕事ができるだけ、幸せであると彼は自分を納得させた、はずだった。

「ところでアンタが俺を呼び出したワケを教えてくれないか。汚れ仕事から足を洗ったはずのナリエ・ダルマーロが未だに汚れを落とせそうにない俺に何の要件だ。」

今まで共に仕事をしてきて、幾度となく彼女の願いに応えてきた。何でもやった、殺しもした。このとんでもない詐欺師に、騙されていると理解しつつも騙され続けた。

「今回は仕事の依頼では無いの、ねぇリューガン。貴女の夢は何?叶えたい願いは何?」

唐突に彼女はリューガンの心に触れてきた。彼は沈黙する、沈黙せざるを得ない。金も地位も名声も要らない、ただ目の前にある禁断の果実にむしゃぶりつきたい。だがそれを、本人を前にして伝える勇気は流石に湧き出てこなかった。

「そうだな、時計塔に戻りたい、なんてな。いや、実にちっぽけだ。うん、すまん。つまらない答えだ。」

リューガンは唇を噛んだ。自分は情けなさだけなら一流だと思う。今までも、これからも、彼はその本心を胸の奥の箱にしまい込んで生きていくのだ。

だがナリエという女は彼の想定以上に狡猾である。彼の胸にある金庫をいとも容易く解錠した。彼女はリューガンの手に触れると、彼にあるものを握らせ、そしてこう呟くのだ。

助けて、と。

リューガンという男の人生を賭けた一大発起が始まる。彼は彼女の思う通りに、彼女から受け取った聖遺物を用いて、バーサーカーを君臨させた。流れ星に祈るより、それを手で掴もうと足掻き始めたのだ。だが、当然これは、リューガンをただの捨て駒にしか見えていないナリエの策であり、リューガンはそれを理解しつつも、騙される道を自らの意思で選んだ、選ぶほか無かったのだ。

セイバーとランサーがシャンゼリゼで交戦する前、ナリエはリューガンの屋敷に訪れた。強烈な異臭の漂う空間に、今にも死を迎えようとしているバーサーカーと、三分割されたリューガンの遺体があった。ナリエは道を塞いでいたリューガンの一部をヒールで蹴飛ばし、バーサーカーに素早く駆け寄る。まさかこんなにも早く彼が消滅しようとしているなんて夢にも思わなかったようで、彼女は駒にリューガンを選択したことを心底後悔した。

「バーサーカー、貴方に死なれては困るのよ。」

彼女は対象の生命動作の時間を遅らせることが出来るが、それがサーヴァントに対して有効か未だ知らずにいた。彼女の小鳥たちがバーサーカーの肉体を小突いていく。消滅する未来は確定したが、それはあくまで先の話であって、今では無い。最優クラスの英霊を攻略するには、ナリエの召喚したライダーと、何よりこのバーサーカーが必須なのだ。バーサーカーが完全に回復することは今後無いが、その消滅が限りなく遠くなったことを彼女は確認する。彼女の魔術はサーヴァントに対し、効き目を持っていた。

「とりあえずは安心ね。」

ナリエはバーサーカーをそのまま放置し、屋敷の外に出た。彼女の服に匂いが付いていないか、嗅いで確かめる。ヒールに付着した赤黒い汚れは、どうにもしばらく取れそうになさそうだ。

「哀れな男の、呪いって奴か?」

不意にナリエの隣にいた和服の男が姿を現した。ナリエは彼の言葉に対し、鼻で笑う。

「リューガンはネクロマンサー、本当、陰気な感じがお似合いだわ。」

ナリエの計画は次のステージへ進む。これぐらいのアクシデントでは彼女を止めることなど出来やしない。セイバーを殺し、彼女が聖杯を手に入れるためには、ランサーの実力を知らなければならないのだ。

「ランサーが誰なのかによっては、上手く誘い出せるかもね。どう?ライダー、シャンゼリゼ通りを舞台に、英霊同士血で血を洗う争いというのは中々素敵だと思わない?」

「僕は絶対に参加しないけどな。僕は吟遊詩人の真似事でもしつつ、その様子を見守っているよ。」

「あら、ギターの代わりに三味線でも弾くつもりかしら。」

ナリエはライダーが三味線を弾く姿を想像した。とてもしっくりくる、似合い過ぎているレベルだ。彼が流浪の民に見える所以だろうか。

彼女が彼の物語を知ったのは数年前、来日した際に宿泊した民宿の本棚で、童話を見つけた時だ。その特異性に惹かれたことに加え、彼女の魔術もまた時間に干渉するものであった為、その力の源が海の底にある神聖領域に由来するかもしれないという淡い期待を抱いたのだ。だがまさか本当に浦島太郎なる人物を召喚できるとは夢にも思わなかったというのが彼女の本心である。

浦島太郎には二つの結末がある。約束を破り、玉手箱を開けて老人になる終わりと、鶴に姿を変え、同じく亀に姿を変えた乙姫に会いに行く終わりだ。ナリエが彼の召喚に成功したということは、彼は鶴となり永遠の命を手にしていないという解釈になる、つまり本当に存在した彼の物語は前者、老体になりそのまま死に絶えるという悲劇的な終幕だ。だがナリエにとって、その終幕の方が心地良い。真の意味で、彼女は彼を信頼し、託すことが出来るというものだ。彼の聖杯にかける願いが何かをナリエは知らない、が、彼の物語が幸せな結末を辿り、完成されていたとしたならば、今の彼は生まれていなかっただろう。

「ねぇライダー、貴方は今もなお、彼女を愛しているのかしら。」

ナリエは彼に問うた。彼女とは他ならぬ乙姫のことである。

「ああ、僕の全てさ。あの奇跡のような三日間を、僕は一度だって忘れたことは無い。永久に会えないとしても、僕は彼女が好きだ。」

彼はナリエの方を見つめ、ニコリと笑った。

「ふふ、そうなのね。うん、そうなのね。」

ナリエの顔もまた綻んだ。自分と同じ気持ちをライダーも持っていたから。どれだけ時計の針が早くなっても、或いは遅くなっても、胸の中で燃え上がる炎は鎮まることが無い。

―この願いが、彼の耳の届くことは永遠に無いとしても。

 

ナリエがキマリュース邸に赴くと、エンゾは屋敷内の清掃を行っていた。本来であれば使用人の業務であるが、彼には雇うほどの金銭的、及び、精神的余裕は無い。サーヴァントは既に四騎召喚されている。そう、戦いはもう始まっている。彼は心の整理をつける為に、まずは屋敷の書籍たちを整理しようと考えたのであった。

「お帰り、ナリエ。」

ナリエの目の前にいるのはエンゾ一人。セイバーは霊体化しているようだ。当然ライダーもその姿を明らかにしないよう彼女から指示を受けている。。見えない二人はいるものの、この空間にはこの夫婦しか存在しない。だからこそ、エンゾはナリエに対して気兼ねない。

「ねぇエンゾ。私も貴方を手伝いましょうか?」

「いや、母体をわざわざ働かせることも無い。君は座って、そこのダージリンでも飲んでいてくれ。」

ナリエは彼の言う通り、ソファーに座って紅茶を啜った。淹れたてだ、彼はナリエの帰宅を予見していたらしい。

エンゾは戸棚から写真アルバムを取り出した。そこにはかつてのエンゾ、ナリエ、そして今は亡きノエの姿がある。昔を懐かしむように、彼はページをめくる。

「エンゾ、作業が止まっていましてよ。」

「あぁ、ごめん。何だか懐かしなと思ってね。昔はよく三人で遊んだものだ。」

エンゾは幼少期の自分のあどけない笑顔に照れくささを覚えつつも、ページを捲り続けた。

ナリエもまた、席を立ち、彼の後ろに寄って、アルバムを眺める。

「写真はまだ十歳にも満たない子どもの頃のものばかりだ。もっと撮っておけば良かったかもな。」

ノエは十歳を超えた辺りから、ほぼ毎日を魔術工房の中で過ごすようになった。別にそこが立ち入り禁止であった訳では無いが、エンゾは自分との格の違いを見せつけられるのが怖くて、ノエが死ぬまで一度も入ろうとはしなかった。

ノエは一年に数回外に出て来て、趣味のバイクや馬を嗜んでいた。そんな中数年前に起こったのが転落事故である。エンゾが久しぶりに見た兄の顔は、原形を保っていないほどくしゃくしゃで、エンゾはこれがトラウマになっている。

彼は兄の最期を思い出し、吐き気を催した。だが隣にナリエがいることを思い出し、押し留める。出来る限り、そう、出来る限り、彼女に弱さを見せたくはなかったのだ。

「ノエは、君にとってどんな人間だった?」

エンゾはナリエに問うた。彼女はよくノエの工房にも顔を出していた為、エンゾの知らないノエの顔を見ていたはずである。

ナリエはしばらく考え込み、答える。

「優秀な魔術師、でも人の優しさを忘れてはいませんでした。キマリュース邸のお父様やお母様は怖い人たちだったのに、ね。」

ナリエはクスクスと笑った。そう、エンゾの両親はノエに対し非常に厳しい教育方針だった。比べてエンゾは放任主義、否、放置されていたというのが正しい。魔術刻印を継ぐのはノエだったからそれも仕方の無い話だ。両親が死に、ノエが死に、その刻印を継いだのは最終的にエンゾという、なんとも皮肉な話である。

「本当に完璧な兄だったな。問題点があるとすれば、折角の休みにツーリングの予定だったのに、朝起きてこなかったことぐらいだな。朝に弱いと言っていたが、あれだけ鶏を鳴かせても起きないのは相当だぞ。」

ナリエはエンゾが鶏を無理矢理に鳴かせている姿を想像し笑った。エンゾもナリエに釣られて笑いだす。そんなくだらない過去も、彼らにとっては大事な思い出だ。

「さて、片付け再開だ。」

エンゾはアルバムを棚に戻した。ナリエは不意に彼の手の甲の異変に気付く。本来であれば三画あるはずの令呪が、二画しか無い。

「エンゾ、令呪…」

ナリエが言い掛けると、エンゾはポリポリと頬を掻いた。

「セイバーに、俺を殺さないように命令した。ほら、今までの戦争ってマスターが自分のサーヴァントに殺されて敗退するものが多かったみたいだからさ。一応ね。」

確かにエンゾの言う通りではある。もっとも、ナリエの場合はそんなことに令呪を使っていられないのが正直な所ではあるが。

 

そして時は現在に戻る。

 

ニーナと別れた後、リヨンの街から再び7時間程かけて、キマリュース邸まで戻って来た。エンゾは早速デンケトの資料を読み漁る。どこかにヒントは隠されている、そう信じて。

本棚から数多くの資料を見つけては読み耽る、その作業を繰り返す。ナリエはそんなエンゾの様子を見て、自分も手伝うことに決めた。床に散らばった本を横にずらしつつ、資料をパラパラと捲り出す。

すると一枚の紙がはらりと落ちた。そこにはデンケトのスケッチがあり、目視で確認できた情報が細かく描かれていた。アサシンの仮面、アーチャーの素顔、そのマスター、大雑把であるが、特徴を捉えているように思える。そして監督役のルーラー、プラトンの顔もそこにはあった。

「初老の男、これがプラトンか。」

いたって普通の男、彼が余りにも有名な哲人であると、街中で見かけようが気付かないだろう。彫刻として現代まで残る彼の顔とは似ても似つかない。エンゾは吸い込まれるように男のイラストを見つめていた。

 

※ ※ ※ 

 

「あぁ勿論。我はエサルハドンだとも。」

アサシンは自分の名を肯定した。充幸は彼女の正体がエサルハドンの母ナキアであると思ったが、それを口に出すのは憚られた。彼女が自らをエサルハドンと名乗るなら、きっとそうなのだろう。深く追及すると、彼女の機嫌を損ねる可能性がある。

二人は今日一日を満喫し終え、宿泊中のホテルへと戻った。戦争の最中とは思えないほど、遊んでしまっていたようだ、気を引き締める必要があると充幸は強く感じる。彼女らに立ちはだかるであろうサーヴァントはまだ四騎存在する。その正体を知るのはライダー浦島太郎ただ一人。まだ最優クラスのセイバーも、ランサーも、バーサーカーも、二人は遭遇してすらいない。不意を突かれることだけはないように、敵の来襲は常に警戒する。

充幸とアサシンが部屋に戻った時、アサシンは何かを察知した。何者かが、我々の行動を追跡し、ホテルの中に侵入した、と。すぐさまアサシンは水晶で一歩先の未来を予見する。そこには槍を握る男の姿が一人、アサシンと充幸を抹殺しに、廊下をゆっくりと歩いていた。

「これは、ランサーか?」

アサシンの水晶玉を充幸も覗き込む。そこに映っていたのは、血の匂いが残る路地の記憶、バーサーカーと交戦する戦士の姿だ。彼は間違いなく、この部屋に対象がいることを認識している、戦いを避けられないようだ。ホテルで戦いが行われた場合、無用な犠牲が出てしまう恐れがあった。充幸はアサシンに、人気のない場所へ槍の男を誘導するよう促す。アサシンもまた、関係のない犠牲者が出てしまうことを善とはしない。充幸を抱きかかえると、部屋の窓から飛び降り、人気の少ない墓地の方まで駆けて行った。

ホテルからサーヴァントの気配が消失したことにランサーは当然気付いていた。アサシン、その真名エサルハドンは、未来を占う力を持っている。グラコンに聞かされた情報を基に、彼はアサシンをここで仕留める手筈を整えて来た。だがグラコンも無茶を言う、アッシリアの王を穿つ為に派遣したのが、ランサーただ一人のみであろうとは。ランサーもまた王ではあるが、アサシンに比べれば遥かに歴史は浅い。

ランサーは彼女らを追跡する前、グラコンから意味深長なことを聞かされていた。

 

「ランサー、我々の為すべきことを再確認したい。もう、私には生憎と時間が残されていないからね、最終決戦の日、つまり、セイバーを殺す日はもう近いだろう。」

「そうか、もう。」

「君も知っているように、私の魔術は彼らの力を引き出すことが出来る。だがその代償に私の精神、肉体は崩壊の一途を辿っている。」

グラコンは服を捲り、その腹筋をランサーに見せた。幾つもの交差した線が、彼の肉体にひび割れを起こしている。割れた内側に見えるのは赤い臓物では無く、黒き深淵。彼が単なる人間でないことは明白だ。彼の身体はもはや、現状を保つのが精一杯といった様子である。

「私は今なお、この願いをしっかりと覚えている。だが、精神の綻びは、それ以外を追放し始めた。私はね、ランサー、常に物事を再確認しないと、次の瞬間には忘れてしまうんだよ。」

「そうか、ならばこその、現段階の再確認か。貴様の提案に乗ろう。」

ランサーはグラコンの隣へ腰かけた。基本的に立ち付き従う彼が隣に座るときは、言葉を交わすサインである。このあまりにも短い期間に、二人は多くのことを語らった。

ランサーはグラコンの状態を知り、自らの迷いに結論を出すことにした。彼が王として敷いた法は、理念は、本当に正しかったのかどうか。

「ではまずランサー、我々がこれからやるべきことは、何だ?」

「この戦争において最強の敵はセイバーだ。私の宝具を以てしても奴には届かない。だからセイバーに最も効果的なサーヴァントをぶつけることにした。それがバーサーカーだ。」

セイバーはどんな手を用いても敗北することは無い。だが、バーサーカーの真名を知り得た時、そこに突破口が見えたのだ。

「だがバーサーカーにマスターはおらず、何らかの力により奴は生き永らえていた。この謎が解けない限り、セイバーに勝利したバーサーカーが今度は大きな障害となるだろう。グラコン、貴様の崩壊とバーサーカーの消滅、どちらが先になる?」

「分からないが、彼らが戦う間にも、私はバーサーカーが延命している理由を見つけ、これを取り除く必要がある。願わくば同士討ち、これが我々の狙いだ。セイバーのマスターを討つのは、バーサーカーの存在を抹消出来ると確定した段階だ。」

「……」

「どうした、ランサー。」

「貴様の正体について私は興味が無い。貴様がグラコンである限り、この契約は遂行される。だが一点だけ聞かせてもらおう、セイバーやアサシンのマスターの前で、内なるジェヴォーダンの獣を解放したのは何故だ?」

グラコンの内に眠る三つの魂は間違いなく切り札だ。それを敢えて解放する必要は無かった。彼は力に溺れる性格でも、慢心するタイプでもない。そこに必ず意図がある筈だ、と彼は考える。

「…ちょっとした因縁だ。私がここで戦っていることを我が友に伝える為。」

「友…そうか。」

ランサーはそれ以上聞くことを止めた。戦略があった訳では無く、彼の私情というならば口を挟むのは野暮である。

「まぁ、私自身早計であったことは理解しているさ、すまないね。過ぎたことを考えても意味は無いな。大事なのはここからだ。ランサー、これから君にはアサシンの討伐をお願いしたい。が、しかし、彼女を無力化できたなら、深追いする必要は無い。」

「どういうことだ?」

「アサシンの存在は、我が計画に不要ということだ。エサルハドンがいなくとも、七つの魂は器を満たす。私の読みでは、ランサーのあの宝具を用いれば、エサルハドンはいとも容易く堕ちるだろう。マスターである少女の魔術の方が少々厄介だからね。」

「あの…宝具か。それは何故だ?」

「簡単だ。彼女は偽物だからさ。」

グラコンはそう言い、ランサーをアサシン討伐に向かわせたのだった。

 

ランサーはグラコンの言う偽物の意味を理解しえなかったが、宝具を使用すれば全てが判明することは容易に想像出来た。彼の持つ最強の宝具は、彼の敷いた法そのものだ。もしエサルハドンというサーヴァントが奪う者では無く、奪われる者であったなら、彼女を無力化するのは何ら難しい話ではない。既にホテルの外へ出たアサシンとそのマスターを追い、ランサーも駆けて行った。

一方、充幸とエサルハドンは、二人が初めて出会った教会の近くにいた。この場所は人手も少なく、戦闘にはお誂え向きである。アサシンは充幸の購入した洋服を切り替え、瞬時にいつもの金装飾のスタイルに戻した。杖を取り出し、一歩先の未来を予見する。

水晶に映るのはランサーとアサシンが鍔迫り合いをする姿、もっともアサシンのそれは刃の無い杖の先端ではあるが。

アサシンは笑う、彼女にとってこれが二度目のサーヴァント戦だ。ライダーはのらりくらりと予測不能であるが、この槍を持つサーヴァントは三騎士の一人とみて間違いないぐらい、戦闘族だ。青い玉に映るその男は、ただ目の前のサーヴァントを屠るためにのみ、その槍を振るう。何度も何度も、その刃先はアサシンの霊核を捉えていた。

そしてランサーは教会に到着した。二人のサーヴァントは睨み合い、牽制しあう。

「貴様がアサシンのクラスのサーヴァントだな。」

「そういうお前は、ランサーだな。」

「応さ。これから貴様を刺し殺す槍だ、よく見ておくがいい。」

ランサーは一歩踏み込む。その瞬間、アサシンの頬を何かが掠めた、否、アサシンの動物的本能が横に逸れるよう促した。彼女の顔面を狙った槍の一突き、彼女の頬に血が伝った。

野獣のごとき眼光でランサーを睨むアサシンは、彼が突き刺した槍を抜く前に行動に出た。手にした杖の先端でランサーの腕を抉る。ランサーもまたその攻撃を予測していたのか、反対方向に受け流し、ニーキックを決めた。

「甘いぞ、ランサー。」

アサシンはそれを受けてなお、即座に杖を持ち換え、彼の脛を抱え、転がした。

ランサーはにやりと笑うと、突き刺さったままの槍を魔力で引き寄せると、それを支えに立ち上がり、アサシンの心臓を狙った突き攻撃に転じるのだ。

槍と杖がぶつかり合い、火花を散らす。ここまではアサシンにとって大方予測通りである。水晶の見せる未来のその先、これからこのランサーが一体どういう戦いを見せるのか判断が出来ない。

「アサシン、真名エサルハドン。私と同じ、人の上に立つ存在。」

「何故我が名を知る?貴様は何者だ。」

「答える理由は無い。」

ランサーの槍の先端が朱色に発光した。アサシンは僅かな隙に水晶を視る、映し出される未来で、彼は宝具を解き放っていた。

「遅い!『戦象を払いし勲章(バハードゥル)』!」

閃光が走る。一本の赤い線が宙に描かれた。呆気に取られていた充幸も、アサシンの安否を確認する。手の甲の紋様はまだ失われてはいない。

煙が立ち上る中、ランサーは確かな手ごたえを感じていた。間違いなくこの槍はアサシンの体に届いている。肉を刺す感触があった。この宝具は数センチでも敵に刺されば効果を発揮する、つまりアサシンの意識はここで途絶えるはずだ、ランサーは勝利を確信する。

だが、小型のナイフがランサーの胸を貫いた。

「…何?」

ランサーは怪訝な表情を浮かべる。胸に突き刺さる異物のことより、宝具が無力化されたことに疑念が生じる。立ち上がった煙の中から出てきたのは、ヒトの死骸を抱えたアサシンだ。槍が貫いたのは、彼女では無く、この亡骸であった。

「実はこの場所に来るのは二度目でな。やたらと霊魂が彷徨っていると思ったら、ここはどうやら墓地のようだ。」

「掘り起こしたというのか、比較的新鮮な遺体を。」

「あぁ、廃れたカトリック教会だ、今や多くの人間が火葬を選択する時代のようだが、ここは土葬という選択をした人間たちの墓場らしい。」

充幸はアサシンが生きていたことに安堵するが、それと同時に彼女の倫理観を疑った。ここに眠る人の想いも、その家族の想いも、彼女は平気で踏みつける。エサルハドンという英雄は、民を何とも思っていなかったのか、それが分かる行動だ。

ランサーは胸に刺さるナイフを抜き捨てた。幸い霊核が砕かれた訳では無いが、致命傷には変わらない。これは自らの驕り、油断が招いた結果だ。勝つためには彼女のように貪欲でなければならない。

ランサーはグラコンの言う通り、躊躇っていた奥義を使うことにする。自らの治世を悔いている彼が、本当であれば使いたくはなかった宝具だ。

「ランサー、お前をここで仕留める、行くぞ。」

 

『カサーダム。

其の道は我が選び、我が進む。

ナダ―ナム。

この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。

これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』

 

宝具の詠唱に際し、ランサーは槍を地面に置き、傍観していた。力を見せてみろと言わんばかりに、光り満ちる皇帝の姿をただ捉えている。充幸はその姿を不気味に感じていた。

 

『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』

 

アサシンは宝具を発動した。薄暗かった景色は一変し、遥かなる大地が生み出される。バビロニアを再構築した少女の偉業、それが形となったものだ。

「このアッシリアにおいてはこのエサルハドンこそが法だ。ランサー、貴様の槍はもう二度と我には届かない。」

ランサーはアサシンのステータスが急激に上昇していることを感じ取る。彼女の言う通り、この大地において彼女に傷を負わせることは永劫不可能だ。

「固有結界、まさに無敵のフィールドという訳か。」

―だがそれは、彼女がエサルハドンであれば、の話である。

「おい、アサシンのマスター。」

ランサーは充幸を呼ぶ。このバビロニアの地に同じく招かれた少女は、肩を震わせた。この状況で敵に自分が呼ばれるとは夢にも思わなかったからだ。

「貴様のサーヴァント、その真名は本当にエサルハドンか?」

ランサーは問いかける。アサシンがエサルハドンであると自ら認めたことは記憶に新しいが、充幸もまた、アサシンの正体に疑念を抱いた者の一人だ。だが充幸はランサーへの恐怖で声を出すことは出来なかった。

「何が言いたい、ランサー。」

アサシンは怒りを露わにする。

「ふっ、他愛もない話だ。貴様が本当にアッシリアの偉大なる王、エサルハドンであるならば、何故暗殺者のクラスで召喚されたのか、気になってな。」

充幸はハッとした。図書館で調べた時、エサルハドンに関しての暗殺の記述は無かった。彼女が誰かを隠密に殺害した所業など、一文たりとも無かったのだ。

何故、何故彼女はアサシンなのだ。

「何故アサシンか、だと?それは…」

アサシンは不敵な笑みで答えを返そうとする。だが数秒間固まった。脳の知識をフルに動員しても、彼女はその答えを用意できない。何故、自分はアサシンなのか、何故小型のナイフを所持しているのか。

「ではその答え、貴様の口から聞かせてもらおう。」

ランサーは槍を地に置いた。目を瞑り、血の流れる胸に手を当てる。そして消え入るような声で何かを呟いた。

「アサシン…!」

充幸は叫ぶ。これから起こる悪夢を感じ取る。今すぐにランサーを倒さなければ、取り返しのつかないことになる、と。

アサシンは危機を察知し、彼を一刻も早く殺そうと駆けた。だが、ほんの数秒、遅かったのだ。この数秒が彼女の命運を分けた。

 

『人を人たらしめる摂理(プナジベート・ホ・ジズヤ)』

 

そのとき、世界は悲鳴を上げた。

アッシリアは瞬く間に塵となり消滅する。走るアサシンは、ただの小石に躓いた。崩れ落ちる皇帝。ランサーは、アサシンの無力化に成功したのだ。

「何が…起きたの?」

充幸は状況を全く理解することが出来なかった。アサシンの勝利は目前だったはず、ランサーの一言が戦局を大きく狂わせた。

そして鬼の血が察知する、アサシンはこのままだと殺されてしまうと、そう第六感が告げたのだ。

「アサシンのマスター、貴様はジズヤを知っているか?」

「ジズヤ、イスラムにおける人頭税…ムスリムで無い人たちから徴収する税金のこと?」

充幸は真壁から習った世界史の知識で答える。まさかこんな場で勉強が役に立つとは思わなかっただろう。

「少し違う。収めることで初めて彼らは人として認められるのだ。そして、収めるべきは金であって金ではない。生きるという行為における〈核〉を神(アッラー)に、国家に捧げるのだ。多くの人間にとって、それが金であったのは確かだがな。」

「核?」

「神(アッラー)も、終末の日も信じない者と戦う、我らはいつ如何なる時も、生きるために、その全てを捧げなければならない。ジズヤとは即ち、ヒトが人として歩むための真理である。」

充幸はランサーの言わんとすることを理解できなかった、それよりも、アサシンの状態が心配である。だが、下手に近付くことは出来ない。

「アサシンから徴収した物は金に非ず、エサルハドンとして生きた魂だ。そら、貴様も彼女の様子を見に行くがいい。そこに真実がある。」

ランサーに促されるままに、充幸はアサシンに駆け寄った。アサシンは小刻みに震えながら、独り言を繰り返している。

「我はエサルハドン…我は、俺は、私は、僕は、エサル…ハドン、本当に?俺が殺そうとしたのは、誰だ、誰だ、誰だ。」

「アサシン?」

「充幸…誰だ?私は誰なんだ?」

「貴方はエサルハドン…」

そう言い切る前に、アサシンは充幸を地面に押し倒した。彼女は今なお震えている、彼女に触れれば簡単に壊れてしまう程に。

「俺は、私は、エサルハドンを殺す者だ。アイツだけは、無辜の民の命を奪い続けたアイツだけは、絶対に許さない、でも、なんでだ?何故僕はエサルハドンなんだ?何で?何で?何で?何で?何で?」

アサシンは狂う。泣き叫ぶ。充幸の目の前にいる人物はつい先ほどまでの尊大な王ではない。彼女と同じ、虐げられし、か弱き命だ。

「ランサー、アサシンに何をしたの?」

「これが奴の真実、正体だ。本当の名なぞ存在しない。奴はエサルハドンであったはずの名もなき民の集合だ。そうだな、王の代替品…そう、〈身代わり王〉だ。」

充幸はアッシリアの王たちの記録を思い出す。身代わり王とは占いによって出た凶兆の印を王が回避するために、自分と同じ名の代わりの王を擁立し、その災いを代わりに受けさせる、そんな儀式。そう、病弱なエサルハドンが最も執り行った儀式だ。

アサシンの正体は、エサルハドンの代わりに災いを受け、死んでいった者の魂の集合体、エサルハドンでありつつも、エサルハドンでは無かった者たちだ。

「そんな…」

「サーヴァントとして、自らがエサルハドンであると認めることで奴は宝具の使用も出来た。だが今は違う、あの者はエサルハドンの国を良しとせず、王を暗殺しようとし、それに失敗、そしてあろうことか自らが王の代わりに王の名で死んでいった、ただの弱者に過ぎない、贋作だ。」

ランサーは地に突き刺した槍を構えると、充幸とアサシンへ向かって歩き出す。もはや彼女らに聖杯戦争は勝ち抜けない。速やかに殺害するまでだ。

「貴方は、ジズヤを敷いた王なの?」

充幸は彼に問うた。ランサーはこれから死にゆく者に、自らの名を告げる。

「そうさな。私はジズヤを復古させた王だ。我が真名は〈アウラングセーブ〉。世界は私を災厄の王と呼ぶだろう。」

「アウラング…セーブ」

彼女はその名を知っていた。ムガル帝国が衰退の一途を辿った原因ともされる人物。アクバル帝が廃止した人頭税を蘇らせた皇帝である。

一歩一歩、二人を殺そうと近付いてくるランサー、充幸はアサシンを抱えて逃げようとするが、体力のない少女には、それは一種の試練である。

「死にたくなければ逃げるがいい、聖杯戦争は敗北しても、貴様は生き残れる。地に額を擦り発狂するアサシンでは、どちらにせよ勝つことは難しかろう。」

「私を殺さないの?」

「アサシンは殺す、だが貴様は生かしてやる、アサシンを置いて、ここから惨めに逃げるがいい、そう私が告げたなら、貴様はどうするよ。」

ランサーは彼女を試すように告げた。どの選択をしても、二人とも殺すことには変わりないが、奪われし者たちの悲惨な末路を、彼は嘲笑したいと思った。そうすることが、災厄の王の役割だと、憎き父の精神を殺した彼の役割だと認識して。

だが充幸はその場を離れなかった。

ランサーをその目で睨みつけ、アサシンを守るように前に出る、その足は酷く震えているけれども。

「…私と、戦う選択をするか、娘。」

「どうして、あの時、エサルハドンが召喚に応じてくれたのか、今なら分かる気がするから。彼女も同じ、奪われた者であるなら、これ以上は奪わせない。」

充幸には戦う以外の選択肢はない。ここでアサシンを見捨てれば、たとえ自分だけ生き延びても人としての寿命を迎えてしまう。ここは何とかアサシンと共にランサーを撒くのがベストである。

ランサーは自らのサーヴァントを守るために前に出た少女に只々驚き呆れる。もうアサシンは再起不能、自らの命を投げうってまで庇護する対象ではないはずだ。彼はアグラ城塞に幽閉した父のことを思い出した。自らを愛さずに、兄を想い続けた父は、幽閉されてなお兄の心配をし続けた。その愛がほんの少しでもアウラングセーブに向けられていたならば、兄の首を父への手土産にすることは無かっただろう。父への余りにも深い憎悪が、彼の背中を押したのだ。アサシンのマスターの愚かな行動は、悪い意味で父にそっくりだった。

「そうか、では貴様から死ね。」

ランサーは槍を前に突き出し、充幸の心臓を穿った。血が槍を赤く染め上げる。彼はつまらなさそうな表情で、少女の肉体から槍を抜く。

だが絶命したはずの少女は笑った。零れ落ちる液体が槍を包み込んだかと思うと、押し寄せる波のようにランサー向けて襲い掛かる。彼は咄嗟の判断で槍を手放し、後方へ避けた。上手く血液の濁流からは逃れたが、結果武器である槍を充幸に奪われる。

「…っ!」

充幸は心臓を貫いたはずの槍を自らの手で抜くと、それを手にランサーを斬る。当然武芸に秀でた訳では無い為、彼にまんまと見切られてしまう。だが英霊であり、王である、ランサーに一矢報いた事実は変わらない。アウラングセーブはたかが少女一人に動揺を示すこととなった。

「貴様は…何だ!」

一瞬でも狼狽えた自分に怒りを隠せないランサーは充幸に向けて拳を叩き付ける。英霊の一撃を受けてなお、少女は歪んだ笑顔を浮かべるのみ。肉体の半分以上が黒い何かで構成され、明確な殺意を彼に向ける。もはや彼女は止まらない、英霊であろうが喰らい尽くすまで追い続ける。

ランサーは一度距離を取った。幸い、ランサーには少女を屠る手段が用意されている。槍など使用しなくとも、たかが人間に後れを取ることはない。心臓を貫いても死なない悪魔であれば、次は脳を、それも駄目なら手足を奪う。バーサーカーのように唸る少女の突進を、彼は自らの姿を見えなくさせることで回避した。

「…なに?ドコダ…」

充幸は対象を失い混乱する。既に逃げなければいけないという目標を失い、目の前の英雄を殺害することにのみ躍起になっている。彼女は長槍を振り回しながら、彼の姿を探した。

ランサーはタイミングを見計らい、少女の間合いに入った。咄嗟に判断の遅れた充幸がランサーの方へ振り向いた瞬間、ランサーの裏拳が充幸の頭を砕き、彼女は教会の壁まで吹き飛んだ。充幸は既に見るも無残な姿に成り果てている。

「姿を消したのも、ここまでの怪力を出せるのも、私の、皇帝の特権だ。あまり酷使は出来ないが、それでも貴様を殺すぐらいならば容易い。」

ランサーは警戒しつつも少女に近付いていく。少女の頭蓋は砕け、内部が露呈しているだろう。でも、それでも、まだ生きている。そんな確信がランサーにはあった。

そして予想は的中する。教会の方から伸びた黒い触手に手足の自由を奪われるランサー。だがそれを瞬時に振り払い、後方へ高く跳躍した。そして触手の根、傷一つない充幸の姿を視認した。

「とんだ化け物だな。」

彼女が当然のように生きている事実にもはや驚くことも無くなった。恐らく、少女はそういう魔術を有した怪物である、幼き頃に見た象のような、どうやっても勝てないと思わせる風格があった。グラコンがマスターである少女の方を警戒していた理由が今更ながら判明した。充幸の肌はより禍々しく変化し、少女であったはずの肉体は黒く塗りつぶされている。もう、彼女を止められるものは何処にもいない。鬼に成り果てるまで、ランサーと殺し合う定めである。

「コロス…オマエヲ…」

充幸は手の甲に浮かび上がる赤き紋章に祈りを込める。鬼の力を増幅させるため、令呪を使用してブーストしようとしているのだ。

「あぁぁあああぁあぁあぁあああぁあ」

彼女は引き裂かれるような痛みに悶絶する。鬼の意思を止める為、内なる人間としての彼女が令呪の使用を止めようとしていた。間違いなく、今自らの鬼を増幅させれば、もう取り返しはつかない、彼女の戦いはここで終わりを告げる。余りにも非力な少女は、鬼の深淵に飲まれるように沈んでいった。

 

教会の傍で倒れたアサシンは、封じていた弱者としての自分のビジョンが脳内に流れ込み、意識を保てなくなっていた。エサルハドンとしてアッシリアを統治した王は一人ではない、母ナキアによって選出された貧困層の少年少女、エサルハドンの暗殺に失敗した子ども達、その全ての意思がエサルハドンという英霊を形成していたのだ。だが召喚に際し、大本たる真の皇帝はそれら全てを封印した。そう、それは間違いなく正しい判断だ。もはや今自分が一体何者であるかも理解できない、自我の崩壊寸前である。

ランサーはアサシンの核、侵略行為で領土を広げ、バビロニアを復建するに至った本物のエサルハドンを徴収した。残ったのは、誰もかれも、エサルハドンに祭り上げられたか弱き命たち、大人の策にまんまと嵌り、暗殺すら成し遂げられなかった底辺に位置する少年少女だ。もはや戦うことなど出来はしない。宝具もスキルも、発動することは不可能だ。

「助けて…誰か…助けて…」

尊大な態度をとっていた王も、失楽すれば無様である。自慢の服を土で汚しながら、自慢の杖を置き去りにして、涙を浮かべながら這いずり逃げる。ランサーが充幸に夢中になっている今ならば、逃げられる。充幸が死ねば自分も消えるが、鬼の彼女はそう簡単には殺されない。自らが戦闘に出て、痛みを覚えることだけは嫌だ。嗚咽しながら泣き、弱者は守ってくれたマスターさえ置いて行くのだ。

ふと、戦う充幸の方を見た。

半分以上は身体を鬼に持っていかれている。あの調子で戦えば、充幸が以前言っていた通り、鬼に成り果ててしまうだろう。同じようにか弱い少女が、サーヴァントを守るために自らを犠牲にした。その事実を前に、彼女は疑念を抱く。

「何故、充幸は強いの?」

鬼に成りたくないと語った。死んでしまいたいと言った。彼女の願いは、たとえ叶ったとしても未来が無い。身代わり王は自らの人生に重ねてみる。

―あの時の私は彼女のようになれただろうか。

内に眠る子ども達のほとんどが、二十になれずに死んでいった。一時的にエサルハドンとなり、ナキアに言われるがままに皇帝を演じた。抗うことも忘れ、復讐者であったことを誰もが箱にしまい込んだ。絶望の未来を前に、戦うことを捨ててしまった。

何故、充幸の声に応じたのか。

―それは今度こそ王を止める為。

エサルハドンはふらつきながらも立ち上がる。今、充幸を救えるのは、このエサルハドンの残骸だ。バラバラだった彼女の意思が統合される。今にも、令呪を使用して鬼に成ろうとしている充幸を助けるために駆け出した。

「充幸は、僕をエサルハドンでは無く、アサシンと呼んだ。ただそれだけ、それだけで充分だったんだ。」

 

充幸は深淵の海に浮かんでいた。空が嗤い、彼女の死を祝う。海の水はまるでコールタール、少女の肉体を包み込み、更に深い場所へと誘う。彼女は眼を閉じた、もう二度と光が差し込むことはない。

「わた…しは…」

何故、鬼に成り果てるまで力を尽くしたのだろう、そう自らに問いかける。ランサーを前にアサシンを捨てて逃げる選択もあった、これでは本末転倒である。だが充幸はそれをしなかった。もしも逃げるのであれば、彼女と共に逃げたかった。

「アサ…シン…」

唯我独尊、民を虐げる覇王、エサルハドンは充幸とは相容れない存在である筈だった。だが充幸は心の奥底で知っていたのだろう、アサシンは自分と似た性質であると。そうでなければ、触媒も用意せずに召喚できる訳がない。思えば、充幸が先日見た夢はアサシンの記憶だったのかもしれない。王を殺さんと立ち上がった無垢な子ども達、それを惑わせ、部屋に閉じ込めたのが母ナキアであったならば、夢とはいえ殺せて良かった。

他ならぬ〈身代わり王〉が、充幸の叫びに、応えてくれたのだから。

漆黒の水に落ちていく。彼女は最後の足掻きとばかりに、空へ向けて両手を伸ばした。この空を割り、手を取ってくれる、そんな有り得ない物語を信じて。

そして奇跡は、痛みと共にやって来た。

空が割れ、赤い血が海へ流れ出す。意識を失いそうな充幸は激しい痛みを覚える。腹部の損傷、鬼の殻を物理的に破ったのは、アサシンの突き刺す一本のナイフだ。充幸は自らのサーヴァントから攻撃を受けたのだ。

だがそれは殺意によるものでは無い。深淵に沈む充幸を覚醒させる為の、謂わば救いの一手である。海の中で血塗れの充幸は、割れた空から光が差し込むのを見た。

「充幸!」

淡い桃の髪が揺れる。鬼に飲まれる少女に向けて必死に手を伸ばす。充幸もまた、アサシンの手を掴もうと足掻く。互いの手は余りに遠く、何も掴めぬまま徐々に離れて行った。

「充幸!汝の令呪で我に命じてください!汝の手を取り、生きる為の、願いを!」

アサシンは充幸に託す。鬼としてではなく、人として、願いを叶える、充幸が祈れば、アサシンの手は届く。

充幸はアサシンに託す。聖杯戦争でまだ敗退しない為に、アサシンの手を取り、再び人として生きる為に。

「令呪を以て命ずる。私を助けて、〈アサシン〉!」

赤い紋章が一つ消え、その光が空を割るアサシンに伝わる。運命の赤い糸のように、その残光は二人を繋げていた。アサシンはその力の殆どをランサーに奪われつつも、たった一瞬だけ王としての自分を取り戻す。もはや肉体が鬼と化した充幸から、化け物の殻を剥ぎ取っていく。そして遂に、その手を掴み救い出すことが出来た。

 

ランサーは唖然とする。アサシンのマスターである少女の魔力が増大したかと思えば、アサシンが急に現れ、彼女にナイフを突き立て、本来の少女を取り戻した。時間にして数十秒の出来事であるが、彼はその光景をただただ見つめていた。

アサシンは充幸を抱え、戦線を離脱する。追えば簡単に殺せるが、ランサーはそれをしなかった。彼は充幸が落とした槍を拾い上げると、一つ溜息をつき、グラコンの元へ帰って行った。

 

「お帰りランサー」

「…アサシンを仕留め損なった。」

「そうか、でも宝具で封じ込めはしたんだね。」

「あぁ、アサシンはもう戦う術を持たない。我々の敵では無いだろう。」

グラコンはどこか浮かない表情をしたランサーを見やる。勝負において冷静沈着な彼がアサシンを軽視する姿にどこか違和感を覚える。恐らくエサルハドンとの戦いで何か心情の変化があったのだろう。グラコンは敢えてそれを尋ねることはしなかった。

「もう間もなくだ、バーサーカーが目覚める。いよいよ、私たちの戦いが始まるのだ。セイバーを、ライダーを殺し、聖杯を取る。」

「そうだな、聖杯を取る…」

ランサーは沈黙する。神(アッラー)に捧げた人生、アウラングセーブとしての生涯、人としての在り方、それを見つめ直し、願いを叶えなければならない。思考をジャミングするように現れる光景は、マスターである少女がサーヴァントを守る姿だ。そしてそのサーヴァントもまた、マスターを救うために、己の全てを懸けた。彼女らは共に弱者、傷の舐め合いをしているに過ぎない。だがランサーは惑う。多くを犠牲にして自らを助けてくれた父君(バーバージ―)のような、心の底から誰かに愛される行為、最も尊きその姿を思い出してしまったからだ。

世界を奪いし者、それがアウラングセーブ自ら名乗る名である。彼は父も兄弟も、その全てを奪い尽くした。それでも国を愛し、民を愛したことは間違いではない。ただ、自分が人から愛される人生を送ってきたかと問われれば、彼は素直に頷くことは出来なかった。

グラコンは彼の迷いに気付いていた。当然サーヴァントであるからこそ、敵を殺すためだけにその命を燃やし尽くすべきだと考えるが、彼はそれだけに留まらない、否、留まらせたくは無い。兵器ではなく、同じ人間として、言葉を用いて語り合う。グラコンを救ったのが他ならぬ言葉の力であるからして、ランサーにもまた何か言葉を尽くしたいと思った。

「ランサー、私の名はグラコンであるが、生まれた時からグラコンであった訳では無い。むしろつい最近、自ら名乗り出した偽りの名なんだ。」

「あぁ、それは知っている。」

「ほんの少しだけ、私の話に付き合ってはくれまいか。昔話だ。他ならぬ君だからこそ、今、伝えたいと思う。私を救い出してくれた、ある男の話。これはそう、犠牲、いや違うな、〈献身〉の話だ。」

グラコンは語り出す。それは聖杯戦争が起こる前、彼が一匹の蝶であった時の話である。

 

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