7/25開催の夏TRCオンリーフェスにて、「Fate/devotion」の頒布が決定致しました。
皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
【第九章】
シャンゼリゼ通りの坂を上がる道中の、小さなカフェの物置にて、胸を抑えた初老の男が呼吸を整えていた。内側から食い破らんとする三つの意思が彼を疲労困憊させている。彼、即ちグラコンの飲み込んだ聖杯は、ダーニックが持ち去った大聖杯とは異なり、完成された代物では無い。英霊の持つ無限の力が金の杯を腐食、やがてグラコンの肉体を粉々に砕く。彼は自らの死を悟った。
「だが、まだ…」
彼にはやるべきことが残っている。ようやく、七つの魂がこの地に集うのだ。彼は内に眠るキャスター、ダイダロスの叡智、イカロスの翼を顕現させる。そして高く跳躍、陽の光に刺されないように注意を払いながら、フランスの街並みを俯瞰する。
通りでは鎧の壊れたバーサーカー、ナポレオンと動揺を隠せないセイバー、ルイ=ニコラ・ダヴ―が向かい合い、少し離れた場所でランサー、アウラングセーブとアサシン、エサルハドンが交戦している。後はライダー、浦島太郎の到着を待つのみだ。
「ライダーは必ず来る。」
グラコンはそう確信していた。セイバーとライダーのマスターが組んでいることは知っている。ならばここでセイバーを失うことは彼らにとって大きな痛手となる。切り札を失ってなお、セイバーの戦闘力はこの戦争の参加者で随一だ。ライダーのサポートで共にバーサーカーを葬らんと画策することは間違いない。
だが、彼の予想は少し外れていた。確かにライダーとそのマスターはシャンゼリゼに現れた、が、彼女が倒そうとしているのはバーサーカーだけでは無かったのだ。
エンゾの傍に駆け寄るナリエ、彼は最愛の人の登場にどこか安心する。
「エンゾ、貴方、腕が…」
「大丈夫だよナリエ、それよりもここは危険だ。バーサーカーの正体は…」
エンゾはナリエに説明しようとするが、ナリエは邪悪な笑みを浮かべた。
「ナポレオン、でしょう?」
エンゾは目を丸くした。セイバーはやはりといった表情を浮かべる。ナリエは笑いを堪えきれない様子だ。エンゾの令呪は既に一画も残されていない、それでいて、バーサーカーは生き残ったのだ。概ね、彼女の計画通りに事は進んでいる。
「じゃあね、セイバー。ちゃんと死んでね。」
ナリエが右手を挙げると、直後、セイバーとバーサーカーの間に巨大なクレーターが生まれ、大量の水が噴水のごとく湧き出した。通りを海流が覆い、彼らはそれに飲まれる。海水の浸食はシャンゼリゼに留まらず、交戦していたランサーとアサシンも巻き込んでゆく。
エンゾはナリエの手を掴もうと右手を伸ばすが、それを彼女は叩いて拒否する。彼女は大亀の上に立つと、徐々に遠ざかるエンゾに蔑みの眼差しを向けた。
「ナリエ!ナリエ!」
「エンゾ、貴方が起こした愚かな殺し合いに私が終止符を打ってあげます。勝つのは、私。」
エンゾが波に攫われると、待ちくたびれていたライダーが大亀に跨る。
「マスター。良いのかい?本当に。」
「勿論よ。今こそ、浦島太郎の伝説を再現する時が来た。白馬の王子様じゃなくって亀に乗る漁師なのは目を瞑ってあげる。」
「これは有難き幸せですよ、お姫様。」
ライダーは宝具『浦島伝説』を解放させる。彼が生前辿り着いた海の底の理想郷、竜宮をフランスの地に構築する。この世界に誘われたのは、シャンゼリゼに集まったサーヴァントとそのマスター達、グラコンは飛んでいたが故に、海に沈むことは無かった。
アサシンとランサーの戦いを遠巻きに見守っていた充幸は、渦に巻き込まれ、気付けばアサシンの傍で倒れていた。アサシンは彼女の背中を撫でながら、状況を再確認する。二人はまた竜宮に到達してしまったようだ。前回と異なる点は、竜宮の持つ魔の魅了効果を二人は受けていないということである。そして、先程まで目の前にいたランサーは消えた。その代わりに、遠く見える場所にセイバーとそのマスターがいる。アサシンは彼らに見つからない様、充幸を抱え、御殿の中に退散した。
一方、セイバーとエンゾも状況把握に努めていた。ナリエも、バーサーカーも彼らの近くにはいない。そして彼らもまた、竜宮の魔性に囚われることは無かった。
「マスター、やはりライダーのマスターは…。」
「あぁ、そうだな。」
エンゾはふと口が切れていることに気付き、流れる血を手で拭き取った。口内に充満するそれの味は決して美味いものでは無い。彼はその場に血の混じった痰を吐き捨てる。
「これがライダーの能力…ここはジャパンのエルドラードか?」
「それにしては、えらく悪意に満ちています。」
彼らもまた、赤い御殿に入らんと歩き出した。万が一にナリエの罠だとしても、エンゾは行かねばならない。バーサーカーやランサーがいる限り、彼女の命も狙われる。
突如、海の底で地震が起こった。エンゾはふらつくが、セイバーが右手を引き、彼を支える。地震を起こしたのは竜宮を内側から壊さんとするバーサーカーの暴走、大砲を四方八方に連射し、ライダーの心象風景を物理的に崩そうとしている。セイバーは自らの敬愛する上司の成れの果てをただただ哀れんだ。
「マスター、いや、エンゾ、貴方に頼みがあります。奴は私が止めなければならない。私に、やらせてください。」
セイバーはエンゾを真摯に見つめ、そして頭を下げた。バーサーカーの真名がナポレオンである限り、不敗のダヴ―にも敗北の可能性があることは確かだ。だが、バーサーカーの進撃を止めなければ、彼も、そしてナリエも、フランスの民もまた刈り取られる。加えて、形は違えども、皇帝に会うことはセイバーの願いでもあるのだ。
「令呪は…もう無いが、セイバー、君に命を下す。バーサーカーを、ナポレオンを止めてくれ。それが出来るのは唯一、君だけだ。」
セイバーは頭を挙げると、一言謝辞を述べ、御殿へ向けて走り出した。エンゾはその背を見守りつつ、ナリエを探すために、別の出入り口から竜宮へ侵入した。この豪華絢爛のオアシスで彼女は何をしようとしているのか、会って話すべきだと、そう考えたのだ。
竜宮の最上階、海で舞う魚を一望できる大広間で、ランサーとライダーは向かい合っていた。ランサーは何度もその槍をライダーに向け叩き付けるが、その全てが虚像、彼は脳にかかる負荷に耐えながら、敵の動きを察知しようと躍起になっていた。ランサーの脳に走るノイズ、生前の彼が死の間際に自らの行いを悔いた瞬間のビジョンが、何度も再生される。以前の充幸やアサシンとは別のベクトルで、彼もまた竜宮の魔性に取り憑かれていた。
「君の攻撃は僕には当たらないさ。」
ライダーは後ろで手を組みながら、混乱するランサーの槍を飄々と躱してみせる。今の彼にとってランサーは赤子をあやす様なもの。脳の痛みに耐えようと必死なランサーの頭を、
下駄を履いた右足で蹴飛ばした。ランサーは避ける間もなく、その攻撃を受けて壁に衝突する。
「ランサー、君は何を願う?」
ライダーはこの竜宮であれば全てを叶えられると説く。そんな甘言に乗せられるランサーでは無いが、事実、彼の脳内は愛する民と父君(バーバージ―)に侵食されていた。彼がそれに抗おうと必死になれば成程、温かい思い出に囚われるようになる。
「ランサー、君は何を悔いる?」
―私の治世、そのものだ。
アウラングセーブはあまりにも敬虔なムスリムであった。神(アッラー)の言葉を信じすぎたが故に、民の言葉に耳を貸さなかった。ムスリム非ざる者の存在を認めようとはしなかった。
信仰は嘘では無い、嘘では無かったはずなのだ。彼がそう信じる限り、アウラングセーブは英雄である。
「ランサー、君は紛い物だ。この戦争に参加するものは皆、どこか歪な奴ら。君も例外じゃない。君は英雄か?」
ライダーはランサーの真の名は知らないし、そんなことに興味も無い。だが彼が惑うならば、より混乱させるよう誘導する。それは当然、彼が勝つ為だ。
ランサーは槍を落とした。震える手は、再度それを握ろうとはしない。彼は頭を抱え、その痛みにもがき苦しむ。
「終わりだね、ランサー。」
ライダーは既に戦意を失ったランサーににじり寄る。彼の後ろに黒ずんだ何かが浮かび上がった。その黒い何かはランサーに向けて襲い掛かる。それはまるで大きな蛇のように手足を使わず身体そのもので支え立っていた。
「成程、それが貴様の切り札か。」
ランサーは目を見開き、左側へ転がり避けた。黒い生物は床に激突し、身動きが取れなくなる。ランサーは自らの長槍を魔力で手繰り寄せると、ライダー目がけてそれを突き刺した。
ライダーは竜宮の加護を受けた状態である為、槍の一突きで忽ち崩れることは無い、だが、明確に腹を貫かれ、その痛みに悶えることとなった。あと数センチずれていれば心臓に届いていただろう。彼は胸を抑え、ランサーを睨んだ。
「私は精神汚染しない性質でな。ある程度のダメージを負うと即座に神(アッラー)の教えと信仰が脳内に上書きされるシステムとなっている。少々考えが甘かったな、浦島太郎。」
「君は僕の正体を知っているんだね…?」
「貴様が辿る物語もな。本来貴様の所有物では無い竜宮を現世に再現する大技、その割にはえらく殺風景だと感じていた。ははは、何だ、この戦争に参加する奴は歪な奴らだと?笑わせる。貴様が一番歪ではないか。」
ランサーを喰らおうと飛び掛かり、壁に激突した生物は、ゆっくりとその姿を露わにした。余りにも巨躯、それでいて蛇の尾のように何処までもその肉体は続いている。それは言わば幻獣種、ランサーの生きた時代には存在しない生物だ。
ヒトはその生物をドラゴンと呼ぶ。
「浦島太郎の伝説に登場しない外来生物(イレギュラー)。それが貴様の切り札という訳か。」
「当然、竜宮という名前なんだ。竜がいたって可笑しくは無いだろう?」
黒い衣が剥がれ落ち、金色の煌びやかな竜が誕生する。竜はランサーを敵と認識すると、緑の液体を彼に向けて放ち始めた。ランサーはそれら全てを躱したが、液体の付着した床や壁が瞬く間に腐り落ちる様を見て、額に汗を浮かばせた。
「竜宮は理想郷(ユートピア)、桃源郷(オアシス)と言われるがそうじゃない。現れたものが敵であるならばそれを排除する機構も備わっているということだよ。それこそがこの煌びやかな御殿の主たる竜王だ。」
此度の戦争で召喚された浦島太郎は、鶴に姿を変え永遠を生きる彼ではない。英霊として召喚される彼は当然ながら死に絶えている。つまり蓬莱山に辿り着いた浦島子とは別人格である。
「そうか、その悪しき海蛇の正体は…っ」
浦島子伝説において、鶴に姿を変えた浦島太郎を追いかけた乙姫は亀に姿を変えたとされている。が、地上で天寿を全うした浦島太郎の物語において、乙姫の正体が亀であるとは限らない。その源流が、乙姫の存在が竜宮から生まれしモノであるならば、話は違う。
「貴様が使役する竜、その正体は乙姫だな?貴様の謳う浦島伝説とはつまり、竜宮を現世に再演することでは無い、竜宮の主たる乙姫を召喚する力か。」
「僕は亀にも竜にも跨るライダーのクラスだからね!君たちは知らない、僕だけの物語さ。」
ライダーは金の竜に乗ると、ランサーに特攻を仕掛ける。ランサーは巨体の流動に反応して右へ左へ避けた。が、竜宮の主のとってこの御殿は身体の一部のようなものである。畳を破り出てきた竜の尾がランサーを締め上げる。彼は槍で竜の肉を削ぎ落し抗うが、流石伝説の生き物はこの程度で怯むことは無かった。
「クソ…」
ランサーは宝具『戦象を払いし勲章(バハードゥル)』を解放する。閃光が走り、巨大な蛇は血を噴き出しながら沈黙、したかに思われた。だがアウラングセーブの生きた時代には存在しなかった生物は、その絶技を蚊に刺された程度にしか感じない。他の巨大生物とは格が違うことを彼にまざまざと見せつけるのだ。
―さて、どうするかな…
骨をへし折る程の拘束を受けつつも、ランサーは余裕をもって思考するのだった。焦りは禁物だと自らに言い聞かせながら。
派手な装飾の渡り廊下で、再びセイバーとバーサーカーは相対する。柱が数本削り取られ、一部の壁は消失している。狂人が暴れ回った痕跡が散見された。セイバーが最も敬愛した男は生前の面影を失っている。
「陛下、私は…」
―貴方に会って話したいことがあるのです。
ダヴ―が召喚に応じたのは、ナポレオンと話すという願いを叶える為である。思わぬ形での再開となったが、バーサーカーはナポレオンとしての多くを遠いところに置いてきた存在だ。今の彼に、対話は通じない。
セイバーは剣を取る。この手で、ナポレオンを殺す、それがダヴ―に出来る最期の奉公だ。豪胆で、粗暴で、それでいて偏屈だが、誰よりも自由だった男、彼の生き様に泥を塗ることだけは認めてはならない。フランス国民を嬉々として殺害し、その臓物を喰らう悪霊を、ダヴ―だけは許してはならないのだ。
「DAVUUUUUU」
バーサーカーは四つん這いになると、まるでライオンの如く地を蹴り、セイバーへ襲い掛かった。彼はそれを避けることはせず、サーベルを以て応戦する。バーサーカーの肉を断つには、彼の剣は細過ぎる。幾ら叩き付けようが、狂い切った獣には、騎手が馬に入れる鞭の様にしか感じられないだろう。ならば、サーベルの使い方は一つ、的確にバーサーカーの霊核を刺す、それしか無い。
セイバーは敵の動作から、次の一手を予測する。狙うはその心臓、一点のみだ。バーサーカーは手足両方で跳躍すると、セイバーに殴り掛かった。
―今だ。
セイバーは無防備となったバーサーカーの胸部を穿つ。剣先が胸に数センチ入ったところで、狂人は振り上げていた拳で剣を叩き割った。
「な…」
あぁ、やはりサーベルはバーサーカーの前では余りにも繊細だったのだ。セイバーの唯一の武器さえも奪われてしまう。狂人は両手を使って着地すると、セイバーの腹部に拳を叩きつけた。剣を失った彼は走行中の車と同じスピードで、後方の柱に激突する。口から、背中から、彼の血が溢れ出し、その場で崩れ落ちた。
「Aaaaa」
バーサーカーは途端に熱を失った。壊れた玩具を前に興味を失った子どものように、彼はセイバーを置き去りに、竜宮奥へ歩いて行った。その胸には、折れた剣先が突き刺さったままであるが、彼はそれを抜くことさえしない。自らの傷よりも、他人の流す血液が、深い傷が、今の彼の精神を高揚させる要因なのだ。
セイバーは立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。肉体の芯が断ち切られたように、その手足を動かすことすらままならなかった。
セイバーである彼が剣を失った。
その事実を受けてなお、彼は折れたサーベルを握り締めている。まだ諦めるには早すぎるのだ。たとえ殺すべき対象がフランスの大英雄、ナポレオンであったとしても。
バーサーカーは己の嗅覚で、この竜宮の主を察知していた。セイバーを相手取るより、そちらと遊ぶ方がより楽しいと判断したのだ。
交戦中のランサーとライダーの間を割って、バーサーカーが飛び入り参戦する。文字通り、一度外へ出ると壁に沿って跳び、大広間に乱入した。道中で拾った竜宮の柱を金色の竜に振り下ろす。その衝撃で、捉えていたランサーは解放された。竜の慟哭が空間に揺れを生じさせ、崩壊寸前の床や壁が、糸が切れたように崩れ落ちた。バーサーカーと竜は互いを見据えると、すぐに血で血を洗う殺し合い、喰らい合いを開始する。バーサーカーは竜の腹に噛みつき、竜は彼の足を飲む。互いにその痛みを痛みとして認識せず、ただ相手を屠ることのみに注力するのだ。ランサーはこの怪獣同士の争いに巻き込まれないように、そっと場を離れた。
ライダーもまた、バーサーカーの参戦に合わせ、竜の上から降りていた。だがランサーみたくこの場を離れることは無い。今戦っているのは彼が最も愛した女であるからこそ、共に在るのは必定だ。
ライダーは生前のことを思い出していた。彼は竜宮で出会った、余りにも美しい少女、乙姫に恋をした。彼女がヒトならざる者であったとしても、浦島太郎はこれを愛した。たった三日間の物語が、彼の人生の全てである。たとえ離れていても、乙姫との縁は決して切れることは無かった、だから、彼は英霊として竜を呼ぶことが出来る。
だが、太郎が呼べるのは乙姫であって乙姫では無い。彼が辿るもう一つの物語において、浦島太郎は鶴となり、乙姫は亀となり、永遠に近い命を以て愛し合う。乙姫の心は、そちらの太郎が全て持っていき、今なお蓬莱山で生き続けている。ではこの英霊である浦島太郎が呼ぶ竜は何者か、ライダーはその答えをただ一人知っている。
「乙姫の本体、麗しい女性、恋をする女性としての本質を持たない彼女なんだ。」
浦島太郎はどのような形であれ、乙姫を愛している。たとえ竜であろうが、乙姫である限りは恋心を抱く、だが彼が召喚する竜は、あくまで竜宮の主としてのシステムを全うする乙姫だ。だから、太郎を召喚者と認識しても、そこに恋心は生まれない。
彼の存在が歪であるならば、原因はそこにある。浦島太郎は自らの物語を再構築できるものの、そこにラブロマンスは介在しない。乙姫の存在は近いようで、太郎から最も離れた位置に存在するのだ。
バーサーカーと竜は互いに喰らいついたまま、膠着状態に陥った。ライダーは大亀を呼び出すと、後ろからバーサーカーに突撃させる。既に鎧を失い露出した背に鉄より硬い甲羅で突進、竜と亀に板挟みにされた狂人は苦悶の声を漏らす。
ライダーは二つの巨大生物を巧みに使役しつつ、マスターであるナリエの指示を待った。彼女は御殿の最上階から、竜宮で起こるあらゆる戦いを計測していた。既にセイバーの剣が折られていることは把握済み、もうこれ以上手を下す必要は無いと判断する。彼女はバーサーカーを倒す決断を迫られていたが、ライダーの攻勢を見て取ると、早々に決断を下した。
「ライダー、今の状態、バーサーカーが身動きの取れない状態をキープしなさい。そして事前に貴方に渡した、私の魔術の解毒剤を彼に施すの。それでバーサーカーの生命活動は元に戻る、マスターのいない彼は忽ち消滅するわ。」
ライダーはマスターの指示を受けると、着物の袖に隠した瓶を取り出し、バーサーカーへ近付く。これを無理矢理にでも飲ませれば、狂人は活動を停止する。ナリエの思惑通り、セイバーとバーサーカーに殺し合いをさせ、消耗したところで両方殺害する、その手筈は完璧だった。
竜の尾と大亀に押さえつけられたバーサーカーは、自らの生命の危機を察知する。彼の脳は正しく物事を把握できない。だが、殺し合いの場でやらなければならないことは知っている。それはどんな手段を用いても、自らが前線で生き残ること。彼に残された英雄としての諦めの悪さが覚醒する。
「GRANDEARMEE」
突如、バーサーカーの身体が黒い煙で覆われた。そして竜宮のあらゆる場所で、人ならざる何かが出現する。ナポレオンを取り押さえていた金色の竜や大亀は、この無数の亡霊たちに剣を、槍を突き立てられ、彼を解放せざるを得なくなった。
「何だ、これは…」
ライダーが、ランサーが、アサシンが、この無数の亡霊に包囲される。彼らは実体のない悪意、だが、その戦闘力は人間に比べ桁外れである。そして彼らは皆同時に悟った。これは既に壊れたバーサーカーの絶技であると。煌びやかな御殿は瞬く間に汚染されていった。
柱に全体重を預けていたセイバーの元にも、この亡霊たちが現れる。セイバーはその正体を知っていた。それはナポレオンをナポレオンたらしめたフランス最強の軍勢「大陸軍(グランダルメ)」。本来であればこの領域にはかつての戦友たちが呼ばれるはずであった、が、その宝具の在り方は狂化によって捻じ曲げられている。もしかすると、彼はフランスの英雄ナポレオンとして呼ばれた訳では無いのかもしれない。彼に恐怖した諸外国の敵たちが抱いた偶像、勝利の栄光を勝ち取る彼では無く、絶望の味を噛み締めさせる悪魔ならば、召喚される英雄は皆亡霊と成り果てよう。
「だがそれを私が認めるわけにはいかないがな。」
セイバーは立ち上がり、折れたサーベルを鞘にしまう。彼は素手で、かつての仲間と戦う選択をした。
―なに、まだまだ足掻くさ。
彼の根底にあるのは、絶対的な勝利では無く、必ず敗北という結果を避けることである。もはや敵はフランスそのものと言っていい。彼は白い歯を覗かせた。
バーサーカーの魔力は一秒ごとに増加していく。そしてそれと共に亡霊は一人ずつ竜宮に召喚された。ライダーが呆気に取られていたその刹那、彼は鉛玉で胴体を射抜かれる。彼を撃ったのは五体の亡霊兵士。彼らは一斉掃射でライダーに弾の雨を降らせた。竜宮の加護を受けている彼だが、戦力差は誰が見ようと圧倒的、優勢だったはずが、たった一手で全て黒に染められる。ライダーは撃たれた衝撃で御殿の壁に激突した。
続いて次の攻撃が始まる。亡霊兵士たちはライダーを目標に、一斉に槍を投げた。その一本一本が必殺、宙に光の線を描き、ライダーの元に飛来する。
「こんなものまで持っているのか…。」
ライダーは咄嗟に避けようとするが、今度は足首を撃たれ、その場で転げてしまう。彼には槍の総射出から逃れる術を持たなかった。
だがその悉くは彼に届かなかった。その槍の全てを身で受けたのは、彼が召喚した大亀である。彼が助けた小さな亀の親で、太郎を竜宮へ連れて行った張本人でもある。物語は、彼から始まったと言っても過言ではない。
「あ…」
亀は言葉を発しない。ただ、ライダーを見て微笑んだ。まるでそうすることが当たり前であるかのように。子を救ってくれた浦島太郎を、今度は自分が救うと言わんばかりに。
ライダーは彼に向けて手を伸ばすが、それが届くことは無い。そう、槍に全身を射抜かれた大亀は、その命を燃やし尽くした。光の粒子と共に竜宮から消滅する。
「あぁ…」
彼の手は空を掴む。そして二度と、浦島伝説の再現には至れなかった。
金色の竜は涙を流し、数多の兵へ喰らいついた。この竜を突き動かすのは仲間を殺した復讐心、ライダーの言葉はもはや届かない。だが兵士一体一体は竜に及ぶべくも無いものの、次々と消滅しては、新しい兵が召喚されるを繰り返し、竜は俄然消耗を強いられた。ライダーは最後まで彼女の傍に居ようと決意するが、大広間の床が崩れ、彼は手を伸ばしたまま落下する。下層階にもまた、無数の亡霊兵士が闊歩していた。
そして金色の竜は亡霊たちの剣で何度も肉を割かれ、その輝きを失いつつあった。竜宮の崩壊とは即ち、主の力の消失でもある。バーサーカーによってその殆どが破壊された御殿において、たとえ幻獣種と言えど、生き永らえることは難題だ。彼女はそれでも戦い続ける、この城をたった一人で守る為、そして…
「GAAAAAA」
だがその刹那、バーサーカーの大剣により竜の首は落とされた。余りにも呆気なく、金色の竜は絶命する。そして彼女の死を、下層階で全身を剣で抉られたライダーは感じ取っていた。そう、彼もまた亡霊兵士百数体から弄ばれ、虫の息同然だった。彼は竜の存在なしで、固有結界を発動、維持は出来ない。金色の竜が死したことにより、無数の亡霊軍と、サーヴァント達は再び大波に攫われる。
そこでサーヴァントとそのマスター達は、竜宮の消滅を悟ったのだった。
エンゾも、セイバーも、フランスのシャンゼリゼに戻される。その中、ナリエは崩れ往く竜宮に残っていた。彼女はこの世界にただ一人残された男へ会いに行く。
「随分とまぁやられたものね。」
「あぁ、そうだな。」
ナリエはライダーの死を受け入れた。これでナリエが聖杯を獲るプランは失われる。
「マスター、僕がこうなることすら想定済みか?」
彼女はほくそ笑んだ。彼女にとって聖杯を獲得するのは勿論望んでいたことではある。だが、究極的に全てのサーヴァントを倒し勝利することを羨望していた訳では無い。彼女にとっての勝利とは、望む形で聖杯戦争を終わらせることである。そして事は概ね計画通りに進んだのだ。
「じゃあ最期の仕事。貴方の切り札が、この戦争に幕を引くわ。」
ナリエの手の甲の赤き紋様が怪しく光る。彼女の持てる全て、三画の令呪でライダーに命令を下す。
「ライダー、貴方の宝具『玉手箱』を発動しなさい。」
淡い光は泡に消え、彼の元に黒の箱が出現する。それを開けたが最後、浦島太郎の物語は終幕を迎えるのだ。
「おいおい、アサシンとの間に何か契約を結んで無かったか?」
「大丈夫よ。彼女はただ〈巻き込まれただけ〉だから。直接的な攻撃行動ではない。」
悪い顔で笑うナリエにライダーは呆れた。
「出来ればコレは地上で開けたい所だったが、仕方ないな。」
ライダーはそのパンドラの箱を躊躇なく開いた。立ち上る煙と、白き光が、波に飲まれる全てのサーヴァント、マスター、亡霊兵士へと届く。この竜宮から立ち退く以上、その制約を受けなければならない。彼の切り札はその仕事を終えると泡となり消えた。
「ご苦労様。私も地上へ戻り、エンゾに会いに行く。貴方とはここでお別れね。短い間だったけど、中々に楽しかったわ、有難う。」
噴き出す血が海の中で煙のように消えながら、ライダーは彼女へ微笑んだ。もはや目は霞み姿が見えないが、それでも別れを惜しみ、彼女のいる場所を見つめ続ける。
「なぁマスター。結局君はどうするんだ?全てを守るのか、全てを憎むのか。」
「守りつつ、憎みつつ、全てを利用し、私は夢を叶えるわ。」
そうか、とライダーは笑う。彼の肉体は光の粒子となって空へ向けて飛んでいく。
「そうだ、ライダー、浦島太郎。貴方に聞いておきたいことがあったの。何故貴方は召喚に応じてくれたの?私はこういう性格だから気になってね。」
「声…」
「声?」
「声が似ていた、乙姫に…」
「はぁ?」
ナリエはライダーの冗談交じりの返答に頬を膨らませた。そして彼女もまた波に攫われライダーと別れを告げる。半ば強引に、浦島太郎が彼女をこの空間から退去させた。
「きっかけなんて単純な物さ。ちょうど浦島太郎の物語が、虐められている亀を助けた所から始まったように。始まりに意味を求める必要は無い、その過程にこそ〈物語〉は生まれるものなんだよ、マスター。」
―そう、ナリエ、君の声は乙姫によく似ている。その事実だけで、僕にとっては充分だったのさ。
ライダー、浦島太郎は最愛の人を思い浮かべ、泡に消えた。
※ ※ ※
エンゾが目を覚ますと、そこは元いたシャンゼリゼ通りの中央付近であった。飛び起き、周囲を見渡すが、マスターはおろか、サーヴァントの姿も無い。彼は急いでセイバーやナリエの姿を探す。
「クソ、呼吸が…苦しい。」
彼は走り続けることが出来ず、一度呼吸を整える。ふと右手の甲を見るが、当然令呪は三画とも消失している。それはエンゾも理解している点だが、彼は自らの手に違和感を覚える。彼は三十手前の成人男性である筈だが、その手は血管が浮き出、まるで高齢者の様だった。続いて彼は呉服屋のショーウィンドウに映る自分の姿を見る。その顔は先程よりも皺が増え、五十手前にも思える、貫禄のある風貌だ。そう、この短時間で、彼は一時間前とは比べ物にならぬ程、老けている。
「どうして…」
彼は驚愕し、自分の有様に不快感を覚えた。彼はセイバーやナリエを探すことを忘れ、硝子に映り込む自らの顔をただ茫然と見つめていた。
「エンゾ。」
彼は彼の名を呼ぶ声に振り向いた。その声の主は、彼が探していたナリエである。彼女は微笑むと、エンゾの元へ歩いて来る。
「私のサーヴァント、ライダーはもう死にました。私の令呪も、綺麗さっぱりですわ。そして貴方も令呪は無く、セイバーも消えた。互いに聖杯戦争には敗北しましたわね。」
エンゾは声を出すことが出来ない。セイバーが死んだ、その筈は無い。そもそもナリエは何故そう断言している?
「あぁ、消滅はまだしていません、が、彼も、そしてバーサーカーもじきに命の灯は消える。ライダーの最期の宝具『玉手箱』の能力です。」
「たま…てばこ?」
「真名は浦島太郎、私の大好きな日本の物語です。彼は竜宮という煌びやかな御殿で素敵な三日間を過ごした後に、彼のいた世界へ帰ります。お土産に持たされた箱は決して開けてはならないパンドラの箱。それを開けるとあらびっくり、竜宮と現実世界では時の流れが全く異なっておりました、彼は煙と共に現実世界でいう三百年の時の洗礼を受け、見るも無残なお爺さんになってしまいましたとさ。私は太郎に玉手箱を開けさせた、竜宮にいた者全てに付与される時の呪いが沢山詰まったプレゼントですよ。」
ナリエはミュージカルのように両手を使って表現する。余りにも無邪気に、余りにも残酷に。
「エンゾ、貴方は老化して、三日後には死にます。因みにサーヴァントの場合は時の流れと共にステータスが軒並み下降し、最終的には消滅します。」
「そんな…」
エンゾは絶望し、その場で崩れ落ちる。そんな彼を、まるで母が子を抱き締めるかのように、ナリエはそっと自らの胸に寄せた。
「でも大丈夫、貴方だけは助かるの。私の魔術は人の成長時間を遅らせることが出来る。だから、貴方はもうこれ以上は老化しない。三日目に死ぬことも無い。一緒に私と生き残るの。私が貴方を救ってあげる。」
エンゾはナリエの甘い言葉とふくよかな感触に、その身を委ねた。彼女は調合した薬を彼に飲ませる。エンゾの急激な老化はこの瞬間に静止する。
「エンゾ、聖杯戦争は悲しみしか生まないの、だからもうこんな馬鹿な真似は辞めて、貴方と私、そしてお腹の子と三人で生きていきましょう。」
―あぁ、そうだな。
エンゾは納得する。キマリュース家が没落しようとも、ナリエと、そして子がいれば幸せになれる。今からでも、それは遅くないはずだ。沢山の犠牲を上に手に入れたのは小さな幸福、でもそれが不相応な彼に残された、唯一の救いの道だから。
彼は再び気を失う。ナリエに抱かれ、暫しの眠りについた。
ナリエは微笑む。これで彼女の願いは遂行される。
「キマリュース家の復興…?そんなこと、させる訳が無いでしょう?」
聖杯戦争という馬鹿げた儀式に現を抜かした愚か者なエンゾ、彼にキマリュース家の未来を決定させる訳にはいかない。愚か者は永遠に愚か者であればいい。全ての選択権はナリエ・ダルマーロにある、彼女はそうあるべきだと当然のように考えているのだ。
同時刻、ランサーとアサシンは元いた場所に戻されていた。そして彼らもまた、ライダーの最期の宝具『玉手箱』の能力で、互いに止めどなく弱体化を強いられていた。
加えて、アサシンはエサルハドンとしての力をランサーに全て徴収された結果、元のステータスから大幅にランクダウンしている。彼女がランサーより先に果てるのは必至だった。
「私も貴様も、絶体絶命という奴か?」
ランサーは槍を支えにしつつも、その高慢さを失わずにいた。膝をついたアサシンを見下しつつ、彼女を殺さんと槍を構えた。
「ライダーは浦島太郎という日本のサーヴァント。まさかこんな切り札を隠し持っていたとはな。最後は急激に老いて死ぬらしいが、貴様のマスターには効果覿面だろうな。」
「…っ」
アサシンはハッとする。近くに充幸がいないということは、何処かで倒れている可能性がある。彼女にとって時間が早く経つということは、それだけ体内の鬼が成熟するということだ。まだマスターとのパスは切れていないが、危険であることは確かだ。
「充幸…っ」
アサシンはよろめきながらも立ち上がり、ランサーに背を向け歩き出した。殺し合いの最中に敵に背中を見せるなど言語道断であるが、アサシンはふらついた足で、充幸の傍に行こうと必死だったのだ。ランサーにとって今がアサシンを殺害する好機である。
「…おい貴様、私がその背に槍を突き立てれば死ぬぞ。」
ランサーは自分でも正しい判断の出来ぬまま、彼女にそう問うた。何も言わず、ただ後ろから殺せばいい、そうすれば、確実に一騎葬り去ることが出来る。
「我が…僕が…充幸を助けなきゃ…我が…」
だがアサシンは聞く耳を持たない。ただ彼女の微かな魔力を辿り、傍に行こうとする。
「アサシン、貴様は…」
彼女は英雄では無い。エサルハドンの残滓、ただの虐げられし弱い命の集合体、ならばこそ、世界の為に戦わない、己が為に剣を取らない、ただ一人の少女の為に、何も出来ないながら近くに居ようとする。
ランサーは同じ過ちを繰り返す。アサシンが去るのをただ見届けてしまった。聖杯戦争の道具、兵器としては有り得ないエラーである。
「ここにも…あるか。」
だがランサーでは無く、アウラングセーブはこれを良しとした。彼が答えを出すには、アサシンのその姿勢こそが必要不可欠だったのだ。