市ヶ谷書記は黙らせたい 作:利根川水系
「市ヶ谷さん」
「……」
カリカリ。ボールペンを走らせる音だけが響く。無視である。
「おーい、市ヶ谷さん?」
「……」
カリカリ。明け透けな対応は、ボールペン迫真の筆記音。試験中の教室のような厳粛な空気だ。
「市ヶ谷さーん」
「……」
カリカリ。もしやこれで会話のつもりなのだろうか。会話はキャッチボールだと喩えられるけど、まさか「ボール」ペンでの応酬だとは。流石に高次元を行き過ぎているような気がする。
仕方がない。椅子から立って距離を縮めて、彼女をまっすぐに見つめ真剣にその名前を呼ぶ。
「──有咲」
「っ!?」
ガタン! 驚いたのか、椅子ごと身を退いて俺を見上げる。
「伝えたいことがある」
「な、何だよ……?」
上目遣いに身を震わせて、彼女はようやく此方に意識を向けてくれた。
きょろきょろと落ち着かない琥珀色のぱっちりとした瞳を覗き込むように視線を合わせる。
「ずっと前から、俺……」
「え……っと」
放課後の校舎を夕焼けが照らす。
黄昏の残光に、彼女の艶やかな金髪が透けて光る。もう、我慢ができなかった。
「俺──」
「……っ」
ずいっと更に距離を詰める。
ゴクリと唾を飲み込む市ヶ谷さん。
そんな彼女に俺は──
「──ダルいから帰りたかったんだ」
──ずっと抱いていた気持ちを伝えた。
「……は?」
「帰っていい?」
現在時刻、十八時過ぎ。
日が沈み始めて久しいこの時間。窓から差し込む陽光に、帰宅への衝動を禁じ得ない。
さて、どうだ……?
俯いて垂れた前髪で表情が見えない。
わなわなと震え始めたと思ったら急にピタリと止まる。面を上げた市ヶ谷さんは、その顔を真っ赤にして──
「いいわけないだろーっ!」
──どっかーんと大爆発した。
叩かれた机から、積み重ねてあった紙の束がバサリと落ちる。
花咲川学園高等部、第28期生徒会。
今日もとんでもないブラックさだ。
▽
「ったく、紛らわしい言い方しやがって……!」
「お、それどう言う意味?」
「……別に」
「もしかして告白とか期待してた感じ? ごめんごめん」
「は、はあ!? 別に私は……」
「でも俺、市ヶ谷さんのこと好きだよ」
「〜っ。いいから仕事しろ!」
「OK、ボス」
流石にこれ以上揶揄うとヘソを曲げられてしまいそうだ。
結局こってり絞られて生徒会室に缶詰にされた俺は、日本人らしく素直に従って市ヶ谷さんとともに書類を捌く。
「……にしたって、この量はおかしくない?」
「言ったってしょうがねーだろ? 羽丘の方ではこれやったら大成功だったらしいから是非ウチでもって、燐子先輩も張り切ってんだから」
学校環境改善の一策として生徒に直接意見を募るとは、向こうの生徒会もなかなか思い切ったことをする。
書類というのは、その際に寄せられたアンケート用紙だ。
「この前の定例会議、白金会長熱弁してたもんね。普段が普段だけどあんな堂々としてさ、感慨深いっつーか、なんつーか。あ、市ヶ谷さんお茶いる?」
「お前は先輩の父親か何かかよ……。緑茶濃い目で」
「了解。……しっかし、ホントに集まったなー、意見。匿名制だし書きやすいんだろうけど」
「それだけ生徒間で思うところがあったってことだろ? 先輩の読みが当たってたんだよ」
「それもそっか」
最近やけに会長に懐いている感じがあるけど、何かあったのだろうか。訊いても「べ、別に懐いてねぇ!」とか言いそうだし、頼れる先輩ができるのはいいことだから、別に掘り下げる気はないが。
ケトルで沸かしたお湯を湯のみに移し、急須に茶葉を多めに入れる。その後湯のみのお湯を急須に移して茶葉が開くまで待ち、また湯のみに注いで完成。これが美味しい淹れ方らしい。
「取り敢えずここにケトルとか置く許可降ろしてくれたのはありがたいことだよ。眠くなったらコーヒーが飲める」
「許可って言うか、それはお前が強引に持ってきただけだろ。私も使ってるからあんま言えないけど……」
「炊飯器持ってくる奴よりはマシでしょー? はいお茶」
「そんな奴いないっての。……ありがと」
俺も適当言ったけど、もしかしたらいるかもしれない。いや多分いないだろうが。
「あ、おいし」
「なら良かった。応接室から高そうなの一式くすねてきた甲斐があるってもんよ」
「ブッ! おま、これ盗ってきたのかよ!?」
「あはは、冗談だよ。面白いなぁ市ヶ谷さんは」
「お前が言うと冗談かわかんねーっての!」
中々失礼なことを言われたけど否定もしきれないのが悲しいところだ。「……そろそろ真面目にやるぞ」と仕切り直されて、今度こそアンケート用紙の山と向き合う。
「じゃあ見ていくかぁ」
「真面目に頼むぞ。今日は私たちしかいないんだから」
「わかってるよ。んじゃまずは……」
ペラペラと捲っていく。食堂のメニューの充実、他校との文化祭の合同企画、各部からの部費の増加要請……。
「なんつーか、在り来たりかつ実現不可能って感じだな……」
「別にウケ狙って書いてる訳でもないだろうよ」
早速ゲンナリする市ヶ谷さん。気持ちはわからないでもないが。
「鵜呑みにしちゃあそりゃ無理だけど、こっちの事情と相手の要求を折衷すればいけないこともないんじゃない?」
「折衷、か」
「例えば例の羽丘。学食で月一限定だけどビュッフェ形式にしてるんだと。まあウチと向こうじゃ予算の桁が違うだろうけどさ。何かしら制約付きで実施するのは手だよね」
あそこの設備はマジでおかしいと思う。なんだよ生徒が迷うくらい広いって。
言うと市ヶ谷さんは顎に手を当てて少し考え込んでから、パッと顔を上げる。
「じゃあ、新メニューの投票を食堂でやるとか? 事前に募った意見から何種か新しいメニューを食堂側で提案して、生徒が食べて決めるみたいな……。それならウチでもいけるんじゃね?」
「……ん、予算的にもそれならいけると思う。書面に纏めて教務課とか事務に話通して、そこから許可が下りるかは別だけど。会長に打診、してみる?」
「うん! なんか、ちょっといける気がしてきた」
急に張り切りだした。でもこれホイホイ通しちゃうと俺たちの仕事増えるって、彼女は気づいているだろうか。
……まぁでも、いいか。
「んじゃ、次行きますか。えーと、何々……。……あー……」
「? どうした?」
「いやー、張り切ってるとこ申し訳ないけど……」
「げっ」
残りの用紙を一挙に公開する。
それを見た市ヶ谷さんの表情が、ぴくりとヒクついた。
「これは折衷のしようがないと思うんだ、俺」
『もっとキラキラドキドキしたい!』『ウサギの飼育小屋を拡張して欲しい。100匹くらい飼えるといいな』『もっと世界を笑顔にしたいわ!』等々……。
「あいつら……」
「匿名制の意味、あの子らにはないよね」
出鼻を挫かれたか、がくーんと項垂れてしまった。
まぁ、何だ。……お疲れ様です、市ヶ谷さん。
▽
「やっと終わったー!」
「あー、俺もう一生分働いた気がする……」
「それは嘘だろ。お前何回か帰ろうとしてたし」
「まあまあ、結局残ったじゃん」
「当たり前だ。……まぁ、でも……、いてくれて結構助かった、から」
「……」
「その、……あ、ありがとう」
「……」
ほんのりと顔を紅くして、チラリと俺を見て言う。
「……じゃあ市ヶ谷さんに今から何か奢ってもらおうかな。流星堂の近くのコンビニで」
「え、別に飲み物くらいならいいけど。何でわざわざ私ん家の近くの──ぁ」
「もう暗いでしょ」
「……ありがと」
「素直な市ヶ谷さんって、珍しいよね」
「うっせー」
並んで歩く。
生徒会はブラックだし、書記の彼女は俺をこき使うけど。
まあ、悪くはない。
感想等で好評でしたら連載しようかなと思います。