紛物語 作:空海鼠
005
高校二年の夏休みのことである。
僕は、蜘蛛を背負った。
背負ったと言うよりは、背負わされたと言った方が正確かもしれないが、この際、どちらでもいいだろう。
過程は結果に影響しない。
どうでもよかろうなのだ。
その頃、まだ北海道に在住していた僕は、何を思ったか、隣町に自転車で行ってみようとした。何を思って隣町に行ったのかは憶えていない───その後の出来事が強烈すぎて憶えていないのだが、まあ、何かをしてみたいお年頃だったのだろう。
若気の至り。
黒歴史。
そして、見てしまったのだ。
人が、トラックにはねられるのを。
───そこから、蜘蛛が這い出てくるのを。
おぞましい蜘蛛だった。
負の感情を押し固めてできたような───とても、おぞましい蜘蛛だった。
その頃の僕は、怪異の存在を、妹の中二病的な戯言としてしか聞いていなかったため、見るだけで恐怖した。いや、もし仮に怪異の存在を認めていたとしても、あの蜘蛛にはどうやっても、恐怖感というものを感じないことはできないだろう。
あるいは───嫌悪感。
とにかく僕は、その蜘蛛を見てしまった。
それが、いけなかった。
怪異には普通、それに相応しい理由が存在するものだが、あの蜘蛛にはそんなもの、一切必要がない。見ただけで、背負わされる。
無意味に存在する怪異。
無価値に存在する怪異。
それが───あの、
病み蜘蛛。
闇蜘蛛。
やみくも。
一寸先は闇を体現するような名前だ。
怪異としての特徴は、いたって簡単。
嫌われるのだ。
蜘蛛のごとく───嫌われるのだ。
他の怪異なら何らかの対処法があるのだが、この病み蜘蛛に至っては解決手段などなく、宿主が死ぬまでそのままだそうだ。
宿主が死ぬと一番近くにいた人に姿を見せ、そして、背負わせる。
その際、その人物が妊娠していると、子供の方に背負わせるらしいが、そこはどうでもいいだろう。
幸いと言っては何だが、僕が背負った病み蜘蛛はそれほど力が強くないらしく、放置しても『好感度がマイナスから始まる』『好感度が上がりにくい』『一緒にいると不快感がする』くらいの被害しか出ないそうだ。
本来なら『出会い頭に殴られる』『実の親から捨てられる』『日常的に殺されかける』などの力があるそうなので、僕は運が良かったとしか言いようがない。
運が───良すぎたとしか言いようがない。
病み蜘蛛は宿主の恨みや憎しみが強いほど───それに病み蜘蛛を背負うことの代償として使える能力を使用すればするほど、次の宿主に憑くときの力が強くなるらしく、あのトラックで轢かれた人のおかげで僕は正気を保っていると感謝したいところだ。
いや、その人のせいで僕が蜘蛛を背負うことになったと恨み節を吐いてもいいが。
兎に角、そんな蜘蛛を背負ってしまっている僕は、他の怪異の影響を受けにくいらしい。
受けにくいというか、基本、受けない。
病み蜘蛛の代償の能力、その一である。
だから───佐伯に関する記憶を食われずに済んだのだろうし、佐伯は僕が佐伯の記憶を失っていないと見て、僕に相談を持ちかけてきたのだろう。
「なるほど。で、兄さんはその人を助けてあげたいと」
僕の『これまでのあらすじ』を聞いて、僕の妹───霞田花崗が、端的に僕の意向を言い表した。
「どうにかなるならね。どうにもならなかったら諦めるさ」
「ドライですねー。まあ、私も兄さんからの依頼じゃなかったらやらないですけど」
私、ブラコンですから。そう言って軽くウインクする花崗。
腹違いだからか、あまり僕とは似ていない顔がこちらを見て笑う。
「それとも、ただのツンデレなんですかね。兄さん、偽悪者っぽいですから」
「やめろ。人を安易にキャラ付けするな。僕はそんなベジータじゃない」
「そうですよね、どっちかって言ったらヤムチャみたいなのです」
「もっとやめろ。人を嚙ませ犬扱いするな」
「じゃあナッパ───」
「僕をドラゴンボールで例えるんじゃない。僕は天下一な武闘会に参加したい訳でもなければ地球外生命体や人造人間と生死を懸けたバトルをしたい訳でもない」
これが、僕の唯一の頼りだと言うのだから、佐伯も些か不安だろう。
霞田花崗。
自称、極度のブラコン。
阿良々木の妹が通っているという、栂の木二中に通っている、中学三年生だ。(尚、阿良々木の妹は二人合わせて、栂の木二中のファイヤーシスターズという通り名まで持っているらしい)
なぜか僕や友達に対して敬語を使い、なぜか狐に対してのみ敬語ではなくなるという、不思議な習性を持つ。ちなみに、他の動物園の動物たちには敬語を使うので、生き物という括りで敬語を使わないということではないのだろう。狐に恨みでもあるのだろうか。
狐と言ったら、嫌でも或羽を思い浮かべてしまうのだが、別に或羽と仲が悪い訳でもない───いや、花崗は全人類と仲が悪いようなものだが、或羽にも普通の対応をしている。
いや、どうでもいいが。
そして、何よりも特徴的なのが、怪異の専門家じゃないのに怪異を調べているということだろう。前に僕や或羽も世話になった。
趣味として、怪異のことを調べている───趣味の悪い妹だ。
「しかし、兄さんが他人を助けようだなんて、これは事件ですね。犯人はあなたです」
「被害者誰だよ。原告を呼べ原告を」
「……兄さん、刑事事件は原告じゃなくて、検察です。ちゃんと勉強して下さい」
「これでも、テストの点数は平均点より上なんだけど」
優等生ではないが、劣等生でもない。
中途半端でどっちつかず。
「世の中の理不尽を感じますね。こっちの方がよっぽど事件かもしれません。レインボーブリッジは封鎖できますか?」
「残念ながら虹色橋は封鎖できません。どうしても封鎖したい方は、ピーという発信音の後にお名前とご用件をピー」
「もしもし、山田直美です」
偽名だった。
「用件は兄さんの頭を治して欲しいです」
「僕の頭に治療が必要のような用件を言うな。僕は正常だ」
「兄さん、正常という言葉の意味を辞書で引くことをお勧めするのです」
「正常。正しいとされる状態にあること。また、特に変わったところがなく、普通であること。また、そのさま」
「丸暗記ですか……」
「そりゃあ、毎日のように言われてればねえ」
「観客の皆さまに多大なる誤解を与えるのはやめて下さい。毎日も言ってないですよ」
「なんだ、僕らの日常は演劇だったのか」
「でも、喜劇とか悲劇とか、そんなわかりやすそうなものじゃないですよね」
「じゃあ、何だ」
「微劇」
どうにもならなさそうだった。
楽しい楽しいやり取りはさておいて、閑話休題。
僕は佐伯を食べている(性的な意味に非ず)という亀(比喩に非ず)についてを、個人情報保護法などを完全に無視して、余すとこなく記憶の隅まで洗いざらい話した。
花崗は少しため息をつき、「ふーむ」と唸ると、首を90°回転させる。
フクロウのようだ。
花崗は目を閉じて、ゆっくりと瞼を開くという、意味のないであろう行動をしてから、こう言った。
「
「……虚亀?」
花崗の言ったことをそのまま反復して、説明を要求する。
「虚ろ亀、
「で、どんな怪異なんだ?」
「兄さんの話の通りですよ。人の存在を食べる、ただそれだけの怪異です。レアなくせに割とやることはスタンダートですよね」
花崗の口調は淡々としていて、割と本気で興味がなさそうだ。趣味でやっているのなら、蒐集しようとか、そういうことは思わないのだろうか。
「それで、どうやったら対処できる?」
「……対処する必要なんてあるんですか?」
「……?どういうことだろうか?」
言っている意味がわからなかった。一応、花崗は依頼を受けると暗に言ったのに、その台詞を言う意味がさっぱりだった。
花崗は、いい加減に見えても実はやると言ったことはやる、有言実行の女だ。
少なくとも、僕からの依頼は、基本、文句を言いつつも断ったことはなかった。
だから、僕は花崗に理由の説明を求めた。
そして花崗は、決定的な理由を言った。
「だから、望んで消えたがっているような人を助ける必要なんてあるのですか?」
蜘蛛って何でこんなに嫌われるんでしょうかね。