紛物語   作:空海鼠

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めいりオクトパス 其ノ貮

 

 

 

003

 

 

 

 

「あ、霞田くん。今から帰りなの?」

 

「放課後に制服を着て通学用の鞄を持ちながら学校と逆方向へ歩いているのに、帰りじゃなかったら驚きだね」

 

背後から聞こえてきた声に反射的にそう答えてから、背中を反らして声の主の方向を向く。そこには、上下が逆さまとなった佐伯哉美がいた。

驚いたことに、私服だった。どこかに出かける最中だったのだろうか。

上半身はお腹が見えるのではないかというくらい短く、下半身は太もものところで布が終わっているジーンズだけだ。さらにそのジーンズは大きめで、下から覗けば下着が見えるかもしれないというほどだった。いくらこの時期とはいえ───寒くはないのかと心配になるようなコーディネートだ。セミロングの髪にはつばの面積の少ない帽子を乗っけていて、本人はボーイッシュを強調したいのだろうかと思わせてくる。

佐伯がボーイッシュと艶めかしいという言葉を勘違いしているのではないかという疑惑が急上昇してきた。

僕が体を反らしたままじろじろと不躾に佐伯を眺めていると、佐伯が心配そうに見つめてきた。

そりゃあ、知り合いが道ばたでエクソシストごっこに興じていたら、心配にもなるだろう。主に頭の中身とか。

 

「えっと……私に何かついてる?」

 

「いや、布がついてないだけだ」

 

体を反らしていると、どうしても佐伯のジーンズから伸びる脚が目に入ってしまうので、ぐにょんと体を起こして視線を上半身に戻す。

豊かな胸元が目に入った。

何だろう───どこを見てもセクハラになりそうだ。

佐伯は可愛らしく小首を傾げて、「ぬの?」と頭の上に疑問符を乗っけている。演技なのか本気なのか、イマイチよくわからない。

 

「あー、気にしないでくれ。単なる独り言だよ」

 

「うーん…………?」

 

呻きながら首を捻る佐伯。しばらくすると、自分の格好を見て布の量が少ないことに思い当たったのか、顔を爆発的に赤くし、

 

「ば、ばぁーか!えっち!変態!」

 

と微妙に貧困なボキャブラリーで僕を罵倒してきた。だが忘れてはならない、彼女には心というものが存在しないのだ。つまり、ここでこうしていることも演技なわけで。

……なるほど、女性というものが信用できなくなるな。

 

「しかし、演技で顔を赤くできるなんて、凄いよな。僕には到底真似できないぜ」

 

「うー……。ところがどっこい、演技じゃないんだよね」

 

そうなのか。じゃあ、僕もまだ女性に対して希望を持つことができるかもしれないな。ただ───その希望が叶うかは別として、だけど。

赤くした顔を押さえながら佐伯が言う。

 

「羞恥心とか、嫉妬心とか、そういうのだけは人一倍なのです。つまりは、マイナスの感情なら掃いて捨てて腐らせるほどあるのです」

 

「あるのですか」

 

「あるのです」

 

まだ恥ずかしさが抜けきっていないのか、僕と目を合わせないようにしながら佐伯が続ける。

 

「そもそも、そういったマイナスの感情さえなかったら、消えたいだなんて思うはずもないでしょ。そうだとしたら───無意味に生きて、生きる理由も、死ぬ理由さえ見つけないまま、何も感じずに死んでいくはずだからね」

 

そうだとしたらよかったんだけどね、と佐伯が呟くように言う。僕にはその気持ちはよくわからないが、彼女の言葉には───妙な重みがあった。

佐伯哉美。

空っぽの少女。

一週間以上前には、全くと言っていいほど関わりがなかったのだが、ここ最近、彼女とはとある事件を経てから、廊下や放課後に出会ったら話す程度の仲にはなっていた。

まあ───言ってみれば、他人から知人程度にはなったということだ。

友人になる余地は───僕が彼女にしたことを考えれば、おそらく無いだろう。むしろ、何故彼女が僕に話しかけてくるのか不思議なのだが、僕は彼女に仇と同時に恩も売りつけているので、そんなとこかなと納得することにした。

何気なく佐伯が歩いている右を振り向いてみると、そこに誰もいないことに気が付いた。

佐伯は前方で、ポイ捨てされたペットボトルを拾っていた。

 

「……別に僕しか見ていないんだから、善人の演技をする必要はないんじゃないかな。いや、ゴミを拾うのが悪いことだとは思ってないけどさ」

 

「うーん、そのへんだけど、私にもよくわからないの」

 

「なんじゃそら」

 

「えっと、条件反射、みたいな感じかな?ゴミが落ちてたら、何か考える前に拾っちゃうんだよね。体に染みついちゃってるのかも」

 

そういうもの、なのだろうか。「ふうん」と流して、佐伯から受け取ったペットボトルを、近くにあったゴミ箱に投げ入れる。

ペットボトルはかこんという軽い音を発して、ゴミ箱の縁に弾かれた。

 

「ところで───正しいことって、何だと思う?」

 

佐伯が、唐突に聞いてきた。

中二病を悪化させた───わけじゃあないのかな。

 

「そう言われてもなあ。……僕がしないこと、とかじゃ駄目だろうか」

 

「ううん、そうじゃなくて───例えば、私はいつも正しいことをするように演技しているでしょ?でも、本当に正しいことって何なのかなーって」

 

哲学的な質問だ。僕が数十年考えたとしても答えが出そうにない。

そう伝えると、佐伯はにへらと笑って、話し出した。

 

「聖書の中で、神様が殺した人の数って知ってる?」

 

「さあ、聖書なんて、そもそもお目にかかること自体が少ないからね」

 

少なからず読書家でもある僕でも、家に聖書を常備しているような熱心なキリスト教徒ではない。

 

「信憑性は曖昧だけど───2038344人」

 

「ずいぶん殺してるな……。一人殺したら犯罪者で、十人殺したら殺人鬼。百万人殺したら英雄で、二百万人殺したら神様か」

 

なるほど、凄い世界だ。世紀末のヴィジョンが僕の脳裏を掠めて飛んでいった。

 

「この前読んだ本で、神様目指してた人も毎日のように人を殺してたから、あながち間違いでもないのかもね。そんなに人を殺したら、きっと逆らおうって考える人も少ないだろうから」

 

「ふうん」と納得する素振りを見せながら、ゴミ箱に拒絶されたかわいそうなペットくんを拾い上げ、再び投げ入れる。

今度は入った。

至近距離から投げ入れた所為か、達成感はゼロだった。

 

「そもそも、神様が人間を作ったんなら、人間の『寿命』も作ったってことになるよね。そう考えると、二百万人じゃ全然収まらないのかも」

 

「全人類皆殺し、それでようやく神様か……。遠いなあ、神様」

 

「そんなものだよ」

 

「そんなものか」

 

歩きながら話していると自販機を見つけ、ちょうど咽が渇いていたことも手伝って、機械の内部に小銭を投入する。普通のお茶にすべくか缶コーヒーにすべくか迷って、林檎ジュースを購入した。ガコンをいう音と共に林檎ジュースが落ちてくる。

ペットボトルのキャップを開けながら、佐伯に話しかける。

 

「思うんだけどさ」

 

「うん?」

 

「この世に神様がいるんだとしたら、そいつはきっと性格悪いよな」

 

言ってからすぐ飲んだ所為で、林檎ジュースが気管支につまって咽せそうになった。軽い咳をして気管支からジュースを追い出そうとする。

 

「どうして?」

 

僕の状況を考えずに佐伯が尋ねてきた。少し落ち着いてから話し始める。

 

「だって、正しいことが何なのかも決めてないんだぜ。人を殺すことを是としたり非としたり、時代場所状況その他諸々によって変わってくるし、救うことだって時には非難の対象にも成りうる」

 

僕が茶化すように言うと、佐伯は笑って言った。

 

「きっと、正しいことなんてないんだよ。殺すことも───救うことも。だから、私は私以外にはなる必要がなかったのかもね。……まあ、本当にあのまま演技も何もしないでここまで成長したらって考えると、ぞっとするけど」

 

「…………」

 

言葉が出なかった。

それは───魅力的な笑顔だった。

例え紛い物だということがわかっていても見とれてしまうほど───魅力的な笑顔だった。

 

「霞田くんもだよ」

 

「ん?」

 

「無理して霞田くん以外になることないってこと」

 

驚いた。一日に二人の人間から説法をくらうとは思わなかったし、それほど深く関わった人物などいないと思っていた。或羽は僕のことを誤解している節があるけれど、佐伯は僕がどうしようもない人間だというのを知っていると思っていたので、それも含めて驚きだった。

それが顔に出ていたのか、

 

「霞田くん、変な顔になってる」

 

と言われてしまった。変な顔だよ、と言われなかっただけ僥倖なのかもしれない。

 

「……別に僕は僕以外になろうとなんてしてないよ」

 

思ったことは───あるけど。

僕が根っからの善人で、他人の幸せが自分の幸せだと本気で考えられるような人間だったらと、今でもたまに考える。

そうだったら、きっと辛くないから。

なんて。

考えている時点で打算に塗れているので、僕には無理だと自分から証明しているようなものなのだが。

兎に角───僕はあくまで僕だ。他の何にもなれないことは知っている。もしかして、それほどまでに分別がつかない人間だと思われていたのだろうか。

 

「でも───何か悩んでるよね?」

 

「む」

 

さっきのは単なる本題へ移る為の前振りだったのか。さすが、ありとあらゆる問題を話し合いのみで解決した主人公様はやることが違う。相手が誰だろうがお構いなしに救済を与えるその姿勢には、感服せざるを得ない。

主人公。

と、言うよりも───ロボットとか、そういった機械的な何かの方が近いような気がする。

自動的に人を助ける機械。

なるほど、それなりにしっくりくる表現だ。少なくとも───主人公よりは。

佐伯の追求を「違う違う」と躱しながら林檎ジュースを勢いよく吸引する。そうしてる内に、いつの間にか家へと着いた。

 

「……じゃあ」

 

「うん、じゃあね」

 

軽く手を振って別れた。佐伯は僕に素早く背を向けると、たったったと走って行ってしまった。僕に背を向けると殺られるとでも思っているのだろうか。

 

「けらけらけらけらけら。悩みってもしかして私のことかしら?貴方の悩みになれるだなんて、貴方の頭の中は私で一杯ね。嬉しいわ」

 

一人になった途端、蜘蛛の幻聴が鼓膜を超えて脳内に響いてきた。

とても人間では出せないような笑い声を響かせて。

とても人間とは思えないような美しい声を響かせて。

ひどく狂いそうな声で。

ひどく苦しそうな声で。

僕に───語りかけてくる。

悩みというのは、実は彼女の言うとおりなのだが、彼女の言うとおりになるのが癪なので、無意味に反抗をしてみる。

 

「いや、今日の夕食のことだよ。この程度のことで悩んでたのが言い出せなくてね」

 

「そう、つまらないわね。前の宿主はもっと面白い返答を返してくれたのに」

 

前の宿主と言うと───あの、トラックで轢かれた人のことだろうか。目を閉じると瞼の裏にグロッキーな死体が浮かんできそうで、瞬きを控えたくなってくる。この話題はやめよう。

 

「それよりも、きみ、あのドッペルゲンガーについて何か知ってるかい?」

 

「あら?急に話題を変えるなんて、ジェラシーかしら?」

 

「ジェラートくらいなら家にあるかもね」

 

「うふふ、まあ、いいわ。教えてあげる。あの影は───」

 

ごくりと息を飲み込むようなことはしないが、神経を意味もなく耳に集中させて言葉を発することをなくしてしまう。どんなにうるさくても脳に直接聞こえるのだから、静かにしなくてもいいのだが、やはりここは人間の本能と言えよう。

そして、蜘蛛が言葉を紡ぐ。

 

「───私にもわからないわ」

 

僕は往来の真ん中でずっこけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いていると、同じような表現が多いことに悩まされます。
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