鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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いつも誤字脱字報告ありがとうございます。

今回も沢山詰め込んでしまいました。
長くなってしまいましたが、お楽しみください。


第10話 新しい力

 ――おかえり。

 ――ただいま。

 ――おはよう。

 ――おやすみ。

 いっぱいいっぱい言葉を送ってくれる。

 毎日温かい気持ちにしてくれる。

 鬼とこんなに仲良くなれるなんて。

 カナエの夢は叶っている。毎日が夢心地だ。

 後は、弦司の想いを叶えて、この気持ちを少しでも返すだけ――。

 だが、それを考えると気持ちが沈んでしまう。願いを叶えた後を想像して、気持ちが落ち込んでしまう。まずは、彼を人に治す方法を考えなければならないのに、なぜかその先を想像して、気落ちしてしまう。

 その時、カナエは恐ろしい感情に気づいた。

 今、己はこの状態に満足し始めている。彼が鬼である事に充足を覚え始めている。ともすれば、このまま時が止まってしまえばと──。

 彼を見ろと己に言い聞かせる。あの哀しみを、あの悲劇をまた彼に味わわせるのかと、叱責する。彼は自身の夢を叶える装置ではないと。物ではないと。この感情は、あの時の想いは、一時の気の迷いだと言い聞かせる。

 それでも足りないなら、彼の顔を見た。彼の体に触れた。それで恐ろしい感情は鎮まった。また、彼を救い出そうと思えた。

 だから大丈夫。

 ──きっと大丈夫。

 

 

 

 

 ──家族を鬼に殺された。

 よくある話だ。よくある悲劇だ。だが、それは受けた本人にとっては、唯一無二の全てだ。神崎(かんざき)アオイにとっても同様であった。

 己の全てを懸けて、鬼を殲滅してみせる。人生を全て鬼殺に捧げる。全ては、アオイの幸せを奪った鬼に復讐するために。

 しかし、アオイには才能がなかった。呼吸法は使えたものの、他の鬼殺隊候補生と比べても見るものはなく。それでも、復讐を諦めきれず、藤襲山(ふじかさねやま)の鬼殺隊の最終選別へ向かった。

 すぐに心が折れた。秀才だと思っていた剣士は、鬼に囲まれて殺された。剣は役割を果たす事なく折れ曲がった。その瞬間、アオイは逃げ出した。鬼殺に最も大事な覚悟……アオイはそれを欠いていた事を、この時になってようやく悟った。

 そこから先は覚えていない。気づけば七日間を生き抜き、鬼殺隊隊士となっていた。

 何もかもへし折れてしまった自分が隊士? 何の冗談かと思った。そして、鬼を殺せと言う。それだけでもう限界だった。

 何の目的も自分には残ってないのに、命惜しさに泣いた。悔しい。情けない。みっともない。色々な感情がアオイを叱責したが『死にたくない』……ただそれだけの想いに勝てれなかった。

 ──そんなアオイに手を差し伸べてくれたのが、胡蝶カナエとしのぶの姉妹だった。

 しのぶが診療所の開放を考えている。そのための人材が欲しい。アオイはまさに適材だと。包み込まれるような優しさと、美しい微笑みでカナエは誘ってくれた。

 嬉しかった。何もかもへし折れた自分を、こんなにも必要としてくれて。まだ、鬼殺隊に貢献できる道があると示してくれて。

 すぐに頷こうとするアオイを、なぜかカナエは止めた。そして、苦渋の表情で言った。

 

 

 ──あなたは大嫌いな人と、向き合わなければならなくなる。

 

 

 言っている意味は分からなかった。だが、彼女が苦み悩んでいて、それでもアオイを欲していた事は伝わった。だから、アオイは言った。

 

 

「会わせて下さい」

 

 

 その人の事は何も訊かなかった。先入観を持たず、この目とこの耳でその人を感じて、それから決めると。

 カナエは何度もそれでいいのかと尋ねた。アオイは何度でも会わせて下さいと答えた。

 今日、その彼と会う。

 己に何ができるのか、何度も何度も自問した。何もできないのではないかと、思い詰めもした。それでも、カナエの役に立ちたい。へし折れた自分でも、鬼殺の役に立ちたい。

 その想いを胸にアオイは蝶屋敷を訪れた。

 

 

 

 

 胡蝶カナエは悩んでいた。

 藤襲山の最終選別。そこで生き残り、心の折れてしまった少女・神崎アオイを連れてきた。

 最終選別を生き残る身体能力の高さに加え、彼女元来のテキパキとした性格と行動力。いずれをとっても、しのぶが開設する診療所には不可欠な人材であった。何より、心が折れたままの彼女を捨て置く事が、カナエにはできなかった。

 だが、ここで問題が浮上した。当然ながら、蝶屋敷には弦司がいる。何と言い繕おうが、弦司は()だ。そして、アオイは極端に鬼を恐れている。

 しのぶのためにも、アオイの協力はどうしても欲しい。でも、彼女に無理強いをしたくない。

 もしかしたら、弦司とアオイなら大丈夫ではないかという甘い考えがカナエにはあった。

 だからこそ、曖昧な形で伝えた。大嫌いな人がいる、と。

 アオイは会わせて下さいと言った。そして、先入観を持たないように、情報も最小限しか聞かなかった。

 こんな騙し討ちのような形でいいのか、カナエは今も悩んでいた。

 

 

「本日はよろしくお願いいたします」

「よろしくね、アオイ」

 

 

 側頭部で纏められた、二つ結いの頭を勢いよく下げるアオイ。釣り上がった眉尻が、彼女の意志の強さを物語る。

 ――ついにその日は来た。

 事ここに至っては、カナエも腹を括った。それに、今回は以前の『カナヲ大会』のような突発的なものではない。事前にちゃんと、弦司にはアオイの来訪を伝えている。彼なら何とかしてくれるはずだ。

 そう言い聞かせ、弦司と待ち合わせとした居間へと向かう。

 近づくにつれ、アオイは次第に緊張してきたのだろう。動きに固さが見られるようになった。

 居間へと続く襖の前に立つ。カナエは一旦、足を止めるとアオイと向き直り、微笑みかける。

 

 

「大丈夫よ。アオイが誠意を持って接すれば、必ず相手も応えてくれる」

「……はい」

 

 

 やや引きつった顔だったが、アオイは力強く頷いた。

 カナエは優しく微笑みかけると、襖を開ける。

 

 

 ――居間には、スーツ姿の覆面男がいた。

 

 

 思わず襖を閉めた。隣のアオイから困惑が伝わってくる。

 カナエは蹲って、両手で顔を覆った。耳まで赤くなるのが分かる。顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 

 

(格好は指定しなかったけど! 目と牙が見えないように、気を遣ったのは分かるけど! もっと他に対応方法はなかったの!?)

「あの、カナエ様……あれは一体……?」

「うん……! 分かってる……! 先に座ってていいから、ちょっと待ってて!」

 

 

 カナエは襖を開け放つと、寛いでいる覆面男を連れたって部屋を出て行く。

 覆面男――弦司はしばらくすると、

 

 

「おい、どうしたんだ?」

「それはこっちの言葉よ!? 何で洋服に覆面なの!?」

「同僚になるって話だから、初対面はビシッとスーツじゃないと……」

「気にする所が違う! どう見ても不審者よ!? せめて、任務の時の、隠の衣装にして!」

「ええ……あれ、任務中はともかく、見た目あんまり好みじゃないんだよな。それに、不審者には変わりなくないか?」

「いいから早く!!」

 

 

 カナエは無理やり弦司を着替えさせる。

 隠の衣装に、目元まで隠した覆面のような面覆い。カナエは一つ深呼吸をしてから、弦司を伴って居間へ戻った。

 アオイは長机の一角に座っていた。多少は見慣れた隠の衣装になったためか、アオイの視線から僅かながら警戒の色が薄まる。

 カナエはその対面に座りながら、頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい! ちょっとした行き違いがあってこんなことに……!」

「あ、いいんですカナエ様! その、おかげでちょっと緊張がほぐれたと言いますか……! とにかく、私は気にしておりません!」

 

 

 お互いペコペコする一方、弦司は悠然と座る。ちょっと腹が立ったので、弦司の太ももを抓ってから対談を始めた。

 

 

「それで、彼が今後あなたの同僚になる――」

「不破弦司だ。よろしく」

「神崎アオイです。よろしくお願いいたします!」

「神崎……いや、ここは同僚として、親しみを込めてアオイと俺も呼ぼう。アオイも俺は呼び捨てでいい。事情はカナエから聞き及んでいる。きっと、今の俺と同じ仕事をやると思う。俺については色々聞いているようだが……それは後回しにして、まずは仕事について聞こうか。何か質問はあるか?」

「えっと……それでは、気になる点がいくつか――」

 

 

 始まりはともかく、穏やかに弦司とアオイは話し始めた。弦司も手慣れたもので、生真面目なアオイが話しやすいように仕事の内容を主に引き出してくれる。

 

 

「力仕事も多く鬼殺隊には男も多い。その点に関する不安はあるか?」

「全くないとは言いませんが、他の同性よりは優れていると思います。力仕事は今まで鍛えた経験が活かせます。男性はこの通り、私は物怖じしません。むしろ、彼らの方が私を避けたがるのではないでしょうか?」

「それは助かる」

「助かるのですか?」

「ああ。どうしても診療所となると、精神的に不安定な人も来るだろう。アオイみたいなしっかりした女性がいれば、患者も落ち着くし従う。そうなると、しのぶも負担が減る。大助かりだ」

「そうですか。そんな風に言われたのは初めてです……」

(……んん?)

 

 

 気づけば、カナエを蚊帳の外にして話が盛り上がり始める。

 もしかしたら、アオイならば先入観がなければ仲良くできるのではないか。仲良くしてから彼の事情を説明すれば、恐れはしても哀れんで寄り添ってくれるのではないか。そんな淡い期待の元、企画した会談のはずだったのだが――。

 

 

「そりゃ、周りの見る目がないな。物怖じせず、伝えるべき事をしっかり伝えらえる人は、有難いぞ」

「そうでしょうか? 男性は皆、私のような口喧しい女性ではなく、物静かな女性が好みなのでは?」

「全員が全員、そういう訳じゃないだろ。それにここは医療現場となる予定だ。情報伝達は何よりも優先される。必要なのは、しっかりと物事を伝えられる人だ。鬼に関する理解もある君は、まさにお誂えの人材という訳さ」

「……お世辞は止めて下さい。私はそんな褒められるような人間ではありません。鬼が怖くて戦えない、ただの腰抜けです」

「ただの腰抜けはここまで来ない。それに、前線と後方を行き来する俺からすれば、どちらも等しく戦場さ。アオイは今も戦っている。それは俺が保証しよう」

「……ありがとうございます」

(んんん?)

 

 

 仲良くなりすぎてないだろうか。仲良くなりすぎてないだろうか。

 というか、この男は口説いているのではないか。弦十郎もそうだが、不破家の男は女性を見たら褒める風習でもあるのか。

 何にせよ、不快――とまで考えて、カナエは首を横に振る。

 仲良くなるのはいい事だ。ただ、弦司のは度が過ぎている。それだけだ。それだけのはずだ。

 だから、この行為は何も悪くない。カナエはそう言葉を並び立てて、咳払いをした。

 

 

「んんっ! 仲良くするのはいいけど、仲間外れは寂しいわ」

「あっ……申し訳ありません」

「ああ、悪い悪い。こういうの見ると、勿体ないなって思うんだ。こんなに素晴らしいのに、どうして誰も気づかないんだろうな……」

 

 

 弦司は何かを懐かしむように、目を細める。自分の知らない何かを想う姿が……これもまた、なぜか不快だった。

 この感情はおかしい。カナエは誤魔化すように、アオイへと微笑みかけた。

 

 

「弦司さんの事、気に入った?」

「カナエ様、その、冗談が過ぎます! 気に入ったとかではありません。ただ、彼の同僚となる事への不安が、和らいだだけです」

「ですって、弦司さん」

「俺は少しも不安はないけどな」

「……」

 

 

 カナエの目が細まる。弦司の軽口が、なぜか今日は心がざわつく。言わなくてもいい苦言が口から出て行く。

 

 

「……私の時には、そんな事、言わなかったのにね」

「えっ!? ちょっと、カナエ、そんな誤解を生むような事は――」

「アオイ、信じられる? 初対面の女性をお蝶夫人なんて呼ぶのよ」

「その話、今ここで出す!?」

「あー、私、傷ついたな~。褒めてくれないかしら~」

「分かった。あれは悪かったから。後でいくらでも褒めるから、今はそれぐらいで勘弁してくれ」

「──ふふっ」

 

 

 アオイが忍び笑いをする。カナエと弦司の視線がアオイに注がれ、彼女は頬を赤く染める。

 

 

「っ、失礼しました。その、非常に仲が良いと思ったので。でも、お蝶夫人は女性にかける言葉ではないと、カナエ様に同意します」

「うんうん、アオイならそう言ってくれると思ってたわ~」

 

 

 仲が良い。非常に仲が良い。そんな当たり前の言葉が、なぜか心のざわつきを落ち着かせた。

 それはひとまず置いて、感触は上々。後は大事な真実をアオイに教えるだけ。問題はその機。そう考えていたカナエの前で弦司が質問する。

 

 

「アオイが蝶屋敷に来るには避けられない質問がある」

「何でしょうか?」

「傷を抉る様に申し訳ないが……もし、鬼と会ったらどうする?」

「っ!?」

 

 

 それは核心を突いた質問だった。

 鬼である弦司とこれから仕事をしなければならない。加えて鬼殺隊にいる以上……いや、生きていくには、どこかで鬼と向かい合う日が必ず来る。その時、どうするのか。

 アオイは表情を凍らせた。そんなの考えたくもないと、その表情が物語る。

 弦司は責めるでもなく、詰る訳でもなく、優しく語りかける。

 

 

「そう怖い事を考えなくてもいい。君を試している訳じゃないし、そもそも、正解なんてない質問だ。今のアオイならどうなるか……それだけを考えて、素直に答えてくれたらいいんだけど……」

「……」

「すまない、急ぎすぎた」

 

 

 アオイは俯き、膝の上で拳を強く握り締める。弦司はすぐに頭を下げた。

 カナエは立ち上がると、アオイの隣に腰を下ろす。

 

 

「ごめんなさい、アオイ。ちょっと不躾な質問だったわね」

「……いえ。私は腰抜けの役立たずです。これでそれがよく分かったでしょう」

「それは違うわ。弦司さんも言ったけど、あなたを試したい訳じゃない。アオイと本気で一緒に働きたいから、あなたの深い所まで踏み込んだのよ。今からすぐでなくてもいい。ゆっくりでいいから、いつか向き合ってもらえないかしら?」

「本気で……」

 

 

 アオイは静かに目を閉じる。それから、何度か深呼吸を繰り返すと、絞り出すようにか細い声で答えた。

 

 

「きっと、私は何もできないでしょう」

「アオイ、急がなくても──」

「早いか遅いかの問題です。なら、私は早い方がいいです」

「アオイ」

「続けます……私は鬼が怖いから。恐ろしいから、体がすくんで何もできなくなります」

「そう」

「ですが──!」

 

 

 アオイが顔を上げる。恐怖の色は消えていない。だが、眉尻はしっかり上がり、彼女らしい強い意志がそこにはあった。

 

 

「最善を選べる人になりたい!」

 

 

 それは心が折れたあの日から、アオイがずっと思っていた事なのだろうか。彼女の声は、カナエと弦司の胸の内にしっかり届いた。

 

 

「それは戦うって事?」

「いいえ……カナエ様にお声をかけていただいた日から、ずっと考えていました。私には何ができるのか。私には何ができないのか。その中の結論の一つに、例え恐怖に打ち勝ち、戦えたとしても、私では役に立てない可能性が高い、というものがありました。私の才能はその程度のものだと、最終選別でよく分かりました」

「アオイ……」

 

 

 アオイとて、最終選別までに文字通り血反吐を吐くような訓練をしてきたはずだ。磨いた自身の剣術が役に立たない……それを認めるのは、どれほどの苦しみを伴ったか。才能に恵まれたカナエには、想像する事もできない。

 

 

「それでも、あなた方は私が必要と仰って下さった。なら、私は私のできる事を為してみせます。鬼と出会ってしまったとして……私が邪魔になるなら逃げる、私の援護が必要なら援護する……そんな最善を選べる人になりたいです!」

 

 

 アオイが言い切り、カナエは自身の不明を恥じる。己が見出したと思っていた。それでも、まだ彼女の表面しかなぞれていなかった。一体誰がアオイを腰抜けと言ったのか。カナエの想像以上に、アオイとは勇気と知性を持った偉大な少女だった。

 弦司も同様なのか、感嘆のため息をそっと漏らした。

 

 

「アオイは凄いな」

「いえ、戦う隊士こそ尊敬されるべきです」

「ああ、前線で戦う隊士は尊敬されるべきだ。だけどな、戦いだけが全てじゃない。アオイがその想いのまま働いてくれるなら、尊敬されるだけの資格は十分にある」

「……ありがとうございます」

「──だからこそ、俺はアオイとここに居続けるために、分かり合いたい」

 

 

 それは弦司の本音だったのだろう。真っ直ぐとアオイを見て、弦司は言った。そして、弦司は伺うように目線をカナエにやる。全てを伝えてもいいかと、カナエに尋ねてくる。

 不安はあった。だが、アオイなら……そんな確信がカナエの中に生まれていた。

 カナエは隣り合って座ったまま、彼女の右拳を緩めると自身の左手で握り締めた。

 アオイが首を傾げる。

 

 

「カナエ様?」

「今から、アオイに隠していた事を伝えるわ。あなたは驚いて……傷つくかもしれない。でも、あなたを傷つけたかった訳でも、騙したかった訳でもない。乗り越えて、ここに一緒に居て欲しいから、今まで秘密にしていたのよ」

「……分かりました。どんな内容でも、受け止めます」

「あなたの感じたままの弦司さんを信じてみて」

 

 

 力強く頷くアオイ。それを見て、弦司は顔を晒した。

 赤い瞳と牙が露になり、アオイの眉尻が下がる。表情には一転して、絶望が浮かび上がった。

 

 

「嘘……何で……」

 

 

 アオイの右手が、カナエの左手を痛いほど握り締める。

 アオイは俯くと、何度も荒い息を吐き出した。恐ろしいほど、手は震えている。それでも、アオイは逃げ出そうとしなかった。

 

 

「カナエ様……! 何か、理由があるのは、分かります。ですが、これは、どういう、ことでしょうか……!」

「俺に全部話させてくれ」

 

 

 弦司は全てを語った。

 ――鬼舞辻無惨に鬼にされ、人としての幸せを失った。

 ――子供を助け、カナエに救われた。

 ――柱合会議で自身の生きる価値を傷つけながら証明した。

 ――それでも、残された幸せを失ってしまった。

 ――今は人になるために、戦っている。

 アオイは途中、何度も涙を流しながら最後まで聞いてくれた。

 

 

「酷い……そんな事、あっていいはずがない……!」

 

 

 俯きながら、アオイは何度も涙を拭う。しかし、拭った先から涙が溢れ出てくる。

 カナエはアオイを包むように、彼女の頭を抱いた。

 

 

「何度もごめんなさい。色々な事があり過ぎて、苦しかったでしょ。少しずつでいいの……少しずつ、ほんの一欠けらで良いから、弦司さんをゆっくり受け止めてみて」

「そうではないのです、カナエ様……! 私は、私が感じ取った彼と、カナエ様が信じる彼を信頼します。話も全て、信用します。でも……彼が鬼だという事実に、震えが止まらない! それが歯がゆいのです! こんなに信頼しているのに!」

 

 

 言い、アオイは空いた左手を掲げる。アオイがどれだけ力を込めても、震えは全く止まらなかった。

 それを見て、弦司が立ち上がる。

 

 

「ありがとう、アオイ。俺のために涙を流して、恐怖に抗ってくれて。でも、カナエの言う通り少しずつでいいんだ。少しずつ受け止めてくれて……そして、いつかここに来て欲しい。今日は俺ばかり焦って、本当に申し訳なかった」

 

 

 そのまま去ろうとする弦司。アオイはそれを眺めるだけ――ではなかった。

 

 

「ちょっと……待ちなさい!」

「ア、アオイ!?」

 

 

 部屋を出て行こうとする弦司に、アオイはカナエを突き飛ばし立ち上がる。

 足は震え、膝は笑っている。いつ崩れ落ちてもおかしくない。それでも、アオイは眉間にしわを寄せ眉尻を吊り上げ、弦司を睨み付けた。

 

 

「勝手に結論を出さないで下さい! 時間を掛ける事も大事でしょう。ですが、距離まで空けないで下さい!」

「えっ」

「そもそも、ゆっくり受け止めるなら、接触時間を徐々に増やすのが普通ではないのですか! いきなり無くすのではなく、まずは私と()()の仕事時間が重複しないように調整し、そこから徐々に協力する時間を増やしていく! それが上策です! それに、危害を加えないあなたと交流を増やすのは、私が鬼を克服する上で非常に有効です! 弦司が私から離れる利点は少ないと分かったでしょう! だから、勝手に離れるなどと結論を出さないで下さい!」

「はい。仰る通りです」

「分かれば――あっ」

 

 

 やってしまった。そんな風にアオイが小さく声を漏らすと、途端に今までの凛々しさが霧散し、あわあわと慌て始める。

 

 

「あのっ、申し訳ございません! その、本当に申し訳ございません!」

「分かってるよ。でも、これが俺達の求めていたアオイだな」

「ふふ、その通りね。私達が求めてるアオイだわ」

 

 

 カナエと弦司は声を上げて笑った。

 また二人して、アオイを見誤っていた。彼女はすでに、弦司を受け止めてくれていた。受け止めて、何が最善なのか頭を働かせていた。

 ならば、今の彼女に必要なのは気遣いではない。

 

 

「アオイ」

「はい」

「私達と一緒に、蝶屋敷で働いてくれる?」

「――はい!」

 

 

 間髪入れずに承諾の声が返ってきた。

 ――こうして、神崎アオイもまた蝶屋敷に迎え入れられた。

 

 

 

 

 アオイが蝶屋敷で働く事になった直後、

 

 

「一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

「ええ。何が訊きたいのかしら?」

「不躾な質問ですが、お二人の関係を伺ってもよろしいでしょうか?」

「私と弦司さん?」

「はい。上司と部下では少し近すぎますし……もっと親しい関係に見えますが、どういった関係でしょうか?」

「うーん……」

 

 

 この時、カナエは上機嫌だった。調子に乗っていた。

 だからこの日も、言わなくていい事を言った……言ってしまった。

 

 

「家族にも見せないような、あられもない姿を見せ合った仲……かしら?」

「あられもない姿!?」

「だから言い方!?」

 

 

 弦司がツッコんだ瞬間、襖の外でガタガタと音が鳴った。カナエが恐る恐る視線を向けると、一気に襖が開かれる。

 

 

「姉さん」

「しのぶ!?」

 

 

 しのぶがいた。その傍らには、お盆を持ったカナヲもいた。お手伝いするカナヲは可愛い。だが、今は無表情のしのぶが問題だ。

 カナエは額の冷や汗を拭うと、努めて冷静にしのぶに語り掛ける。

 

 

「落ち着きましょう、しのぶ。これはホント冗談。英語で言えば()()()()という――」

「いつ?」

「だから――」

「いつの話?」

「初めて会った日ですぅ……」

「おい!?」

 

 

 答えなくてもいい質問に、真っ正直に答えるカナエ。初めて会った日に、あられもない姿を見せ合ったなど誤解しか生まない。

 そして、その誤解がさらなる誤解を呼ぶ。

 

 

「そういえば、体を張って慰めたって、不破邸で言ってた!!」

「!?」

 

 

 しのぶの中で点と点が繋がる。もう弁解は許されなかった。

 

 

「姉さん、座って!」

「はい……」

「不破さんも座って!」

「俺もかよ!?」

「正座!」

 

 

 案の定、しのぶは顔を真っ赤にするとカナエと弦司に正座を強要した。

 大人しく座るカナエと弦司。今日のお説教は長くなりそうだった。

 

 

「えっと、結局どういう関係なのでしょうか?」

「……上司と部下! 終わり!」

 

 

 アオイの質問にしのぶは断言した。その様子に、アオイは納得いかない様子で、眉根を寄せるしかなかった。

 

 

 

 

 アオイが蝶屋敷に迎え入れられ、数日が経過した。

 初日こそ、ぎこちなかったアオイだったが、優しい人ばかりであっという間に慣れた。

 弦司との家事の割り振りも、まずは日中と夜間で大きく分けた。弦司が夜間いない時は、アオイは弦司の分も働くので、相対的にはアオイの方が仕事量は多い。それでも、アオイはそれを苦だと思っていない。

 弦司の仕事をある程度分担できるようになったため、彼は前線での仕事が増えた。また、空き時間が増える事で、鬼の研究に協力する時間も増えた。ありがとう、と蝶屋敷では誰もが言ってくれる。その度に、鬼殺隊に役立てている事をアオイは実感できた。

 洗濯物を朝日の元に干す。これは弦司にはできない仕事だ。

 強い風が吹き、蝶の髪留めが目の端に映った。カナエとしのぶがくれた物だ。アオイは思わず笑みが零れる――と、蝶屋敷から弦司としのぶの言い争いが響き渡る。そういえば、しのぶが研究の進捗が悪いと不貞腐れ、弦司の指の一本ぐらい欲しいと言っていた。冗談だと思っていたが……どうやら、冗談じゃなかったらしい。

 ちなみに、弦司とは不意打ちでなければ話す事もできる。触れ合う事はできないが、それは今でなくとも良い。少しずつ、彼を受け入れるつもりだ。

 それよりも、今はしのぶだ。アオイは一旦作業を切り上げ、室内へ向かおうとして来客に気づく。仕方なしに庭から玄関へと抜けると、一人の隊士が立っていた。

 長髪を後ろで一纏めにし、瞳はまるで鋭利な刃物のように鋭い。口も大きく三日月を描いている。冷たい印象を受ける隊士だった。

 

 

「どなたですか!」

「……うるさいな。まあいい、ちょうどいいか」

 

 

 明らかな軽蔑の視線を向ける隊士。アオイは怯まず言い返す。

 

 

「まずは名乗っていただけないでしょうか?」

「知らないのか? 鬼殺隊隊士、風能(ふうの)誠一(せいいち)だ」

「それでは風能隊士、ご用件を伺いましょう」

「そんなもの鬼に決まっているだろ。これだから、腰抜けは困る……」

「っ!」

 

 

 風能と名乗った隊士の言葉に、アオイは怯む。だが、それは一瞬だけだ。

 ――最善を選べる人になりたい。

 自身が宣言したあの言葉を思い出す。

 腰抜け? それがどうした。何と言われようと、アオイは今の最善を選ぶだけだ。

 

 

「ご説明になっていません! 詳細を仰って下さい!」

「はぁ……ここに鬼を匿っているんだろう? なら、そいつを出せ。俺が腰抜けの替わりに頚を斬ってやる」

「――帰って下さいっ!!」

 

 

 アオイは激昂した。言い方もそうだが、何より内容が許せなかった。

 

 

「あれだけ鬼殺隊に貢献している、()()の頚を斬る? 馬鹿も休み休みにして下さい! 一体、あなたは何を考えているのですか!」

「鬼の頚を斬るのが鬼殺隊だ。腰抜けが一々、隊士の指示に疑問を持つな」

 

 

 高圧的に言い放つ風能。アオイは一切引かない。

 

 

「彼が生きているのは、カナエ様、ひいてはお館様のご意思です! 一隊士のあなたこそ、疑問を持たないでいただきたい! そもそも、自身が正しいと思うのなら、カナエ様が不在の時に訪れないで下さい!」

「……つけ上がるなよ、腰抜け」

「――っ!」

 

 

 風能は切れ長の目でアオイを睨み付けると、手を伸ばしてくる。アオイは避けずに、来るだろう衝撃に歯を食いしばった。だが、衝撃は来なかった。風能が地面に投げ飛ばされていたのだ。

 仕立て人は、胡蝶しのぶ。額に青筋を立てて、風能を見下ろす。

 

 

「アオイに触れないで」

「胡蝶……! 頚も斬れない欠陥隊士風情が……!」

 

 

 怨嗟の声を漏らしながら立ち上がる風能。このままでは隊士同士で争いが始まるのでは。そう思い、アオイは慌てて二人の間に入った。

 

 

「しのぶ様、落ち着いて下さい! これ以上争っては隊律違反になります!」

「大丈夫よ、アオイ。向こうから手を出してきたのよ。それに殺したとしても、姉さんが揉み消す」

「何を仰ってるのですか!?」

「やれるものなら、やってみろよ……!」

 

 

 アオイは一発殴らせて、相手を隊律違反にするつもりだった。それが、一触即発の事態に。こうなったら最善も何もない。

 アオイも風能をぶん殴ってやろうかと、拳を握ったその時――、

 

 

「同期のよしみで見逃すから引いてよ、風能」

「ふん。今度は才能なしか」

 

 

 風能が嘲笑を浮かべる相手は雨ヶ崎。荷物を運び入れるために訪れたのか、荷車を押しながら雨ヶ崎は蝶屋敷の門を潜ってきた。

 雨ヶ崎は蝶屋敷に入るなり、荷物である木箱を漁り始める。

 

 

「本当は本人の前でやりたかったんだけど……君みたいな面倒くさいのがいるならしょうがないよね。騒いでたのは知ってたけど、ここまで来るなんて予想外だよ」

「ああ? 何を言って──」

「君の言ってる鬼だけど、正式に鬼殺隊の隊士になったよ。このままじゃ、隊律違反になるね。ほら、この隊服がその証拠」

 

 

 雨ヶ崎が出したのは、確かに隊服だった。しかも、相当大きい。これを着こなせるのは、蝶屋敷には弦司以外いないだろう。

 隊服は特別な繊維でできている。これを偽造するのは難しいと、隊士である風能が良く分かっているだろう。

 風能が言葉を失う。一方で雨ヶ崎は続ける。

 

 

「後は日輪刀もあるんだけど……こっちは重すぎるから、刀鍛冶の代わりに俺が持ってきたんだ。彼に直接、お祝いも言いたかったし」

「最終選別も経ずにか? 有り得ない……」

「それだけ彼を評価してるって事。知ってる? 彼が関わった鬼は、過程はどうあれ()()()()()()討ってるって。まあ、知ってたらこんな馬鹿、しでかさないか……」

「雨ヶ崎……! 今は引いてやるから覚えてろ。鬼は所詮、鬼なんだよ!」

 

 

 風能はそう吐き捨てると、蝶屋敷から出て行った。

 アオイは脱力する。

 

 

「雨ヶ崎さん、しのぶ様、ありがとうございます……それにしても、彼は一体何だったのでしょうか?」

 

 

 問えばしのぶは顔を顰めて、雨ヶ崎は苦笑する。

 

 

「いけ好かない男よ。早く忘れればいいわ」

「ああ見えて、俺達と同期なんだよ。まあ、蝶屋敷にいたら気づかないけど、ああいう鬼だったら何もかも許せない人は一定数いるからさ。それ自体は仕方ないけど、さすがに表立ってやる人はいなかった……風能の奴、何かあったのかな?」

「そんな事より大事な事があるでしょ」

「あっ! ちょっとしのぶ様! さすがに弦司に悪いですよ!」

 

 

 アオイの制止も聞かず、しのぶは木箱の中を探り始める。

 

 

「アオイだって気になるでしょ?」

「それはそうですけど、一緒に見れば良いだけではないでしょうか? まさか、指をいただけなかったから仕返しに、うっ憤晴らしとか考えてないですよね?」

「……先っちょだけでいいのよ、先っちょだけで」

「しのぶ様……」

 

 

 さすがにアオイもこれには呆れる。しのぶはカナエが弦司に甘えるのを危機と見ているが、アオイからすればしのぶも十分弦司に甘えている。気安く指をくれ、などと言ったら、絶縁されても文句は言えない。例え相手が鬼でも、だ。これを甘えと言わず、何と言う。

 雨ヶ崎も同様に思ったのか、呆れた視線をしのぶにやる。これでしのぶは手を止めた。

 

 

「て、手伝うわよ。その、だからこのことは不破さんには言わないで」

「分かりました。それでは、早く運びましょう」

 

 

 そして、雨ヶ崎、しのぶ、アオイの三名で荷車を押す。玄関の中に入り日陰になったところで、しのぶが弦司に声を掛けた。

 

 

「不破さん、変な男はいなくなったから出てきても大丈夫よ! あと、日輪刀が届いたわよ!」

 

 

 風能の来訪に警戒し、隠れていたらしい。しばらくガタガタと、どこぞから物音が鳴ってから、弦司は現れた。

 

 

「悪い。色々世話をかけたようだな」

「だったら、指を――」

「どれだけ指が欲しいんだよ!? 任務の度に鬼の血は採集してるんだから、それで勘弁しろよ!?」

 

 

 弦司は反論しながら、木箱に手を突っ込む。楽しみなのか、反論の内容とは裏腹に顔は笑っている。

 アオイも話でしか聞いていないが、三週間ほど前、正式な入隊をお館様に求められたらしい。その際、剣術の才能がない弦司は新規に日輪刀を考案した。そのせいで、一悶着あったらしいが……弦司はそれを乗り越え、ようやく日輪刀を手に入れた。喜びもひとしおだろう。

 そうして、取り出した弦司の日輪刀は所謂、()ではなかった。

 黒く輝いたそれは、真っ直ぐな筒を()()も束ねられ、端には持ち手と引き金が着いていた。アオイの記憶が正しければそれは――銃。ただし、アオイの思っている物より銃身が多く、数倍は金属が厚く無骨だった。

 

 

「浪漫の塊、()()()()四連式散弾銃だ。そのうち、みんなこれを使うようになるかもな!」

 

 

 ――ちなみに重過ぎたため、後にも先にも使いこなせたのは、弦司ただ一人であった。

 

 

 

 

 ――助けて。

 

 

 兄の吉平は死んだ。

 父の吉郎も死んだ。

 母の()()()も死んだ。

 

 

 ――助けて助けて。

 

 

 隣のみほ姉も死んだ。

 ()()()おばさんも死んだ。

 なおだけが生き残った。

 

 

 ――助けて助けて助けて。

 

 

 二軒隣の弥次郎は真っ先に死んだ。

 その息子の晋弥は激昂して返り討ちにあった。

 その母親の()()()は、すみを庇って死んだ。

 

 

 ――助けて助けて助けて助けて。

 

 

 真向いの田原家は囮になった。

 集落で年少の高田なほ、寺内きよ、中原すみの三名だけでも逃すため、それぞれが散っていった。

 今は田原家の、健次と健三郎がきよ達の傍に残っているだけだ。

 

 

 ――助けて助けて助けて助けて助けて!

 

 

 違う。死んだんじゃない。全部全部全部、あの()()()が殺した。村人達をいたぶり、一人一人殺していった。

 もう村人は、ここにいる五名しか残っていない。遠からず、自分たちも殺される。

 怖かった。あれだけの人が犠牲になって、きよ達を生かしてくれたのに、誰の死も悼めず。ただただ怖かった。

 走る。恐怖から逃げ出すために。生きるために、ただひたすら走る。

 それなのに。こんなに逃げたいと思っているのに。こんなに生きたいと思っているのに。脚は段々と動かなくなる。

 肺が痛い、喉が痛い、頭が痛い、痛い痛い痛い――。

 何でこんな思いをしないといけないのだろうか。毎日、あの集落で生きたかった。家族と一緒に生きていきたかった。そんな儚い想いさえ、かよ達には許されなかったのか。

 痛み、苦しみ、絶望して……とうとう追いつかれる。

 闇夜の中、やめて、と叫ぶ間もなく健次が囮となって飛び出す。化け物の目を引いたのは一瞬。すぐに健次の絶叫が響き渡り、物言わぬ体となった。

 もう終わりだ。きよ達は死ぬ。

 

 

 ――誰か助けて下さい。

 

 

 寺内きよは絶望の涙を流しながら願った。




四連式散弾銃は欠陥品です。
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