想像以上に長くなりましたので分割します。
それでは、お楽しみください。
鎹鴉を飛ばした後、弦司達は早速聞き取り調査を行ったが、これは完全に空振りに終わった。
夜店からは鬼の気配は全く感じられず、店の主人の言動も特におかしな素振りは見えなかった。
仕入先なども聞いたが、普通に卸して普通に作ったとしか分からなかった。鬼が血鬼術を仕掛けるとしたら仕入れ時だが、さすがに鬼もバレるような間抜けは曝していない。
たい焼きに血鬼術が仕掛けられている。それ以上の事は分からなかった。
できれば夜店の中止をさせたかったが、非公式の鬼殺隊にそこまでの権限はない。仮に無理やり止めたとしたら、その時点で警察を呼ばれて追跡は中止だ。
鬼を見つけ頚を斬る。それ以外、勝ち筋はなかった。
他にも聞き取りはしたが、決定的な情報は得られなかった。はて本当に困ったと思った時、意外な人物と遭遇した。
「不破か!?」
「……森か」
相手の顔を見て、弦司は天を仰ぐ。人相の悪い男を一人連れた、明らかに身なりの良さそうな和装の男。人間時代――というのは、業腹だが――よく突っかかってきた森家の次男坊だ。
カビの生えた古臭い家だの、本当に言いたい放題してきた輩だ。彼に関しては最低限の知識以上は持ち合わせていないが、関わり合いを持ちたくない類の人間だった。ちなみに、現在の弦司は聞き込みのため面覆いを外した上で、大きな羽織を着ているため、森は弦司と認識できた。雨ヶ崎とカナヲも和装のため、一見して鬼殺隊とは分からない。
森は酒臭い匂いを纏って、弦司を見るなり嘲笑した。
「一年間も失踪したって聞いて、心配したんだぜ! 俺は死んだ方に賭けてたけどな!」
「そうか、それは残念だったな。負け額が小さいといいな」
「おいおい、何で死んでてくれなかったんだ~?」
「ホント、相変わらずだな。で、そういうお前はどうなんだ? まだ、定職についていない訳ないよな」
「……不破、お前――」
森は一瞬、怒りで顔を赤くしたが、どう見ても並の肉体ではない雨ヶ崎と、六尺はある弦司の体躯を見て分が悪いと判断したのだろう。人相の悪い男に目配せすると踵を返そうとする。
しかしながら、彼も重要な情報源である。念のため、弦司は尋ねた。
「まあそれはどうでもいいんだけどよ、ここのたい焼き食ったりしたか?」
「何だよ、突然? それに……おい、もしかして毒でも入っていたりしたのか!?」
「その様子だと、食べたのか……」
「な、何だよ!? だったら、どうなんだよ!?」
「いや、味を訊いて回ってただけだ」
「~~死ね! 紛らわしいんだよ!!」
森はそう吐き捨てると、人相の悪い男を伴って去って行った――アオイが指差した方角へ向けて。
これを偶然と片付けてよいのか。弦司は束の間迷い、雨ヶ崎へ目線を向ける。彼は頷いた。
「他に手がかりもない。追いかけよう」
「分かれなくていいのか?」
「ただでさえ、戦力が少ないんだ。賭けになるけど、固まって動こう。それに、彼は素直に不破さんの言う事を聞く人?」
「いいや、ありえないな」
彼がいけ好かない人間だとはいえ、人命を思えば物を吐き出させるのが最善だ。だが、弦司が吐き出せと言って、あの男が素直に吐き出すかと言えば否である。無理やりやれば、それこそ傷害事件だ。彼を助けるなら、やはり事の発端である鬼をどうにかするしかない。
弦司、雨ヶ崎、カナヲの三人は森を尾行した。
森は他の夜店を回りながら、やはり例の方角へ進んでいった。彼の動きに目的は見えない。ただ、本当に何となく、同じ方角に進んでいるように思える。
もしかしたら、本当に偶然では。そんな考えが何度も頭を過ぎったが、他に手がかりもない。自分達の直感を信じて進むしかなかった。
時間にして数十分ほど、弦司達は森を尾行した。そして、途中から森の足取りは変わった。
夜店には寄らず、まるであらかじめ決まっていたように。人相の悪い男に何かを話しかけながら、あくまで自然な様子で。それでも真っ直ぐ、例の方角へと進んでいった。
――そして、突然消えた。いや、正確にはまるで消えたように見えた。
「っ、あれ、何で――」
「落ち着け、雨ヶ崎。よく目を凝らして見てみろ」
弦司に指摘され、雨ヶ崎は目を凝らす。弦司も同じように、森が消えた方角を見る。すると、まるで今までは焦点があっていなかったかのように、ぼやけていたものが見えるようになった。古びた道場が目の前にあった。
そこへ一人、また一人と吸い込まれるように人が入っていく。しかし、気を緩めば見失ってしまいそうだった。
「不破さん」
「ああ、当たりだ」
弦司達はここに鬼がいる事を確信した。恐ろしいほど存在が希薄な道場。この建物は間違いなく、血鬼術の影響下にあった。
弦司達はカナヲの手を引いて、物陰に隠れる。
「見つけたのはいいが、まずいな」
「だね。道場の存在を隠す血鬼術。あの様子だと、食べ物に含まれていたのは、人間を誘導する血鬼術……計二種類となると、二体以上の鬼がいる事は確定だ。それにこれだけの血鬼術となると、弱くもないだろう」
「でも、やるしかない。鬼が人を集めてやる事なんざ、一つしかないからな」
「放っておけば、鬼がもっと強くなるだろうし……これは、覚悟決めるしかないかな」
弦司は背中の散弾銃を取り出し、雨ヶ崎とカナヲも日輪刀を抜く。面覆いを被り羽織を脱ぎながら、状況の悪さを再確認する。
「室内で大量の民間人を守りながらの戦いになるな」
「は~。きついなぁ……」
「カナヲ、さっき言った事、忘れるな。お前の命が最優先だ。基本的には後衛で戦況を見守っててくれ」
弦司達は大きく息を吐き出す。何度考えても最悪だった。今日という日に、鬼に気づいてしまう事も。緊急事態に非力な面子でいる事も。そして、あまりにあっさりと鬼の居所を突き止めてしまう事も。
それでもやるしかない。人となるためと引き換えに、鬼殺隊に入ったのだ。人であるという証明のため、人のために戦わねばならない。そして何より……きよ、すみ、なほ、アオイの四人を危険に曝した事を、弦司は決して許さない。
弦司が物陰から飛び出す。後を雨ヶ崎とカナヲが続く。
道場へ向かう数名を追い越すと、入り口である引き戸を開け放った。それと同時にむせ返る血の香りと、饐えた匂い。この饐えた匂いこそが血鬼術だと、弦司の鬼の本能が訴えかけ口元を手で覆う。雨ヶ崎とカナヲも弦司に倣い口元を手で覆ってから、道場の中へ目を向けた。
板張りの古びた道場の中央には、二体の鬼がいた。片方はみすぼらしい身なりで、頭に三本の角を生やした鬼。もう一方は、袴を着て腰に刀を差した短髪の鬼。彼らの足元には、多くの血だまりができていた。
鬼の他には十数名の人間もいた。しかし、その誰もが談笑し、鬼達を気にも留めない。次に血だまりとなるのは、己かもしれないというのに――。
弦司達は理解した。彼らは人間をここへ誘導し、思考能力を弱め、喰らっているのだと。そして、道場の血だまりは悲劇の跡だ。弦司達は間に合わなかったのだ。
あの中に、何人の家族がいた。何人の家族が幸せの中にいた。一体、いくつの幸せを奪った。
怒りで頭が沸き立つ。だが、我を忘れてはならない。心を燃やせ。それでも頭は冷静に。確実に、悪鬼は滅殺する。
このまま突入……とはいかなかった。道場内では、血鬼術が充満している。雨ヶ崎とカナヲが呼吸法を使えば、血鬼術を吸い込んでしまうだろう。
そう判断した弦司は、散弾銃で道場の壁をぶっ叩いた。木壁は衝撃で吹っ飛び、出入り口がもう一つ増える。
新鮮な空気が舞い込み、血鬼術を薄めた。
「鬼殺隊か!?」
「な、何だと!? どうして、ここが分かった!?」
これだけ騒げば、さすがに鬼に気づかれる。
奇襲はできなかったが、これは必要経費だと割り切る。
「雨ヶ崎!」
「うん、行くよ不破さん!」
弦司が先行して駆ける。銃口は刀を差した鬼へ向ける。
弦司を見て、三本角の鬼が笑う。
「お前、あの方が言った裏切り者か!? ハハッ、ついに俺達にもツキが回ってきたぜ!」
「おい待て――」
「ガキと雑魚しかいないだろ! 勝てばいいんだよ、勝てば!」
「ちっ!」
弦司の情報を得ていたらしい鬼達は、少々揉めた後、生きている人間を盾にした。二体の鬼は談笑する人々の首筋に、それぞれ爪を押し当てる。
あれだけの命を奪いながら、平然と人を盾にする鬼の有様が、弦司の心にさらに火をつける。絶対に引くわけにはいかない。
弦司は一瞬の内に判断を下す。瞬く間に二回、引き金を引いた。鬼の身体能力にものを言わせた、散弾銃の二連射だった。
「ぐわぁっ!!」
「なにっ!?」
射線が通っていたのも幸いし、重なった轟音と共に鬼の手をそれぞれ吹き飛ばした。鬼の腕から血が噴き出す。血をまともに浴びても、人々は平然としていた。
一方、鬼達は突如腕を飛ばされた事もあり、狼狽する。その隙に弦司と雨ヶ崎は人々の間をすり抜け一気に近づき、鬼を押し退け人質を解放した。
「作戦変更、そっちは頼む!」
「了解だ!」
弦司は刀の鬼と。雨ヶ崎は三本角の鬼とそれぞれ対峙する。前衛、後衛などの事前の打ち合わせは全部なしだ。一人一体倒さねば、被害が拡大する一方との判断だった。
鬼が刀を抜いた。弦司はすかさず距離を詰めた。散弾銃の銃身と刀が迫り合う。
「邪魔だ!」
「邪魔してるからな!」
鬼――仮に刀鬼と呼ぶとして――が弦司を突き飛ばそうとするが、逆に押し込んで阻止する。道場には十数名の人間がいる。刀を振り回させれば、人々に危害が及ぶ。刀鬼を自由にさせる訳にはいかなかった。
だが、刀鬼にとっては弦司の行動は、邪魔以外の何物でもない。刀鬼は距離を取ろうと弦司を蹴ろうとするが、逆に弦司が先に足で制する。さらに弦司は散弾銃を軽やかに返し、刀を上から押さえつけた。しのぶ、ましてやカナエと訓練している弦司にとって、鬼の剣技はあまりに稚拙だった。
「この……鬱陶しい!」
「お褒めいただき光栄の極み!」
歯軋りする鬼に、弦司は軽口をたたく。
完全に弦司の有利な態勢で、上手く膠着状態に持っていけれた。早々にこの形は崩せない。
カナヲもいる。後は雨ヶ崎が鬼の頚を斬れば、弦司達の優勢は揺るがない。
確実に勝利は近づいていると、弦司は考えていた。
――だが、それは完全に甘い考えだった。
この時、弦司達は疑問を持つべきであった。なぜ、ここまですんなり、事が上手く運べたのか。そもそも、なぜ鬼が協力し合っているのか。
目の前の見たいもののみを見るのではなく、もっとたくさんの可能性を考えるべきだった。
「かはっ――」
空気が掠れたような声がした。雨ヶ崎の声だった。
僅かに視線をやれば、雨ヶ崎は細身の鬼の頚に、半ばまで刀を入れていた。だが、その雨ヶ崎の胸を
こんなにもあっさりと、隊士とは、人とは、死んでしまうのか。
――弦司はこの日、鬼に友を殺された。
○
カナヲは弦司の指示通り、戦況を見守っていた。もし、自身の力が必要になったり、命が脅かされれば守るために戦う。そういう命令になっていた。
カナヲの中では、人質を取られ戦況は不利だった。それを弦司の身体能力にかまけた射撃で、一気に有利にした。
強そうな鬼を弦司が抑え、弱そうな鬼を雨ヶ崎が先に叩く。役割分担に問題ない。だが、カナヲの中で疑念が一つあった。
――鬼は本当に二体なのか。
この饐えた匂いが血鬼術なら、饐えた匂いの強い三本角の鬼が怪しい。ならば、道場の存在を消した鬼とは、あの刀鬼なのか。どうでもいいが戦況に関わる。
カナヲは銅貨を投げた。『表』なら伝える。『裏』なら伝えない。
――『裏』だった。
カナヲは三体目の鬼の可能性を伝えなかった。
戦況はそのまま進む。
「く、くそっ! 来るな!」
三本角の鬼が叫ぶと、腕を大きく振るう。人々は談笑したまま、無意識で雨ヶ崎の進路を塞ぐように動いた。
人の盾。しかし、それはあまりに稚拙な守りであった。雨ヶ崎を止めるのであれば、人間同士で争わせるぐらい必要であった。それができないのであれば、鬼の力量は知れる。
雨ヶ崎は人々の間を縫うように、鬼との距離を詰める。
「水の呼吸漆の型・雫波紋突き」
水の呼吸の型の中で、最速の突き。人の合間を縫うように放たれた一撃は、鬼の頚を高速で突いた。
「ぐあっ!」
半ばまで斬れる鬼の頚。怪我が響いたのか、一撃で頚を刈り取れていなかった。だが、このまま横へ引けば、鬼の頚は斬れる……そう思った時であった。
雨ヶ崎の背後に、突如として鬼の存在が露わになる。小柄で細身の鬼であった。
カナヲは確信した。この鬼こそが、道場を隠した鬼であると。
このままでは、雨ヶ崎が鬼に討たれる。だが、今の機に出てもカナヲでは確実に鬼を討てない。『命を危険に曝す』事になる。だから動かない。
しかし、一方でこのままで良いのかという疑問もある。
雨ヶ崎が討たれれば、危機となるのはカナヲなのだ。そうなれば、やはりこれも『命を危険に曝す』事になり、命令を守れない。
選ばなければならない。
カナヲは銅貨を投げた。『表』なら行く。『裏』なら行かない。
――『表』だった。
しかし、カナヲが迷ったその一瞬。銅貨を投げたその一時。迷いの分だけ雨ヶ崎への援護は遅れた。
それでも『表』が出た以上、カナヲは動く。
花の呼吸肆の型・
カナヲの小さな体は鬼の背後に一気に迫り、大きく刀を振るう。すでに、鬼は雨ヶ崎の胸を突き貫いていた。そして、皮肉にも雨ヶ崎を殺した事で、鬼は油断しきっていた。
巨大な弧を描いた刀の軌跡は不意打ちとなる。鬼が小柄だった事もあり、頚はあっさりと斬り落とせた。
消える鬼と、崩れ落ちる雨ヶ崎。鬼の返り血と、雨ヶ崎の血が混ざり合い、カナヲに降りかかる。
鬼は倒した。しかし、雨ヶ崎は討たれた。まだ鬼は二体いる。命を危険に曝さないために戦ったはずが、未だ命の危機は脱していない。
なぜ? それはカナヲが銅貨を投げたから。判断できなかったから。だから
それを理解した瞬間、カナヲの中で何かがせり上がってくる。
何も感じない。何も辛くない。だから、言われた事をただやればいい。どうでもいい事は、カナエからもらった銅貨で全部決めればいい。
それがカナヲの全てだった。そう、全てなのだ。
だというのに、言われた事もできなかった。カナエからもらった銅貨で決めたから、できなかった。銅貨を投げた事で、言われた事ができなかった。
全てがひっくり返った気がした。自身を守ってきた何かが、崩れていく。頭の中ががんがん痛くて、目の前がぐるぐると揺れる。
そして、まるで胃袋がひっくり返った感覚が走り――カナヲは戦闘中にも関わらず嘔吐した。
――数年後、カナヲはこの日の選択を悔いる事になる。
○
雨ヶ崎が殺された。そして、雨ヶ崎を殺した鬼をカナヲが討った。
それ以外の情報を、弦司は頭から遮断した。最善だけを必死に考える。
弦司は刀鬼を肩で突き飛ばすと、早打ちの要領で三本角の鬼へ照準を合わせた。
そして、再びの轟音。頚へ二連射。雨ヶ崎が半ばまで斬ってくれた事もあり、鬼の頚は吹き飛んだ。
顔のない鬼の体が崩れ落ちていく。
――これで二対一。
そう思った弦司の顔に刀が通り過ぎた。
面覆いも下の面も刀が斬り裂き、顔面から血が噴出する。そして、とうとう弦司の顔が露わになった。
弦司は真っ赤に染まった視界で、鬼を睨み付ける。
「それが裏切り者の顔か」
「……黙れよ、悪鬼が。お前も元々人だろうが。人を裏切ったお前を、俺は決して許さない」
「鬼のくせに。あのお方が苛立つのも納得だ。だが、これであのお方もお喜びになるだろう」
刀鬼はまるで余裕を見せつける様に笑う。だが、それは引きつった笑みだった。弦司は疑問に思う。
今の弦司は四発、全ての弾を打ち切った。弾丸を装填しなければ、頚は落とせない。装填の時間さえ与えなければ、弦司に鬼は倒せない。明確に刀鬼の方が優位だった。
そして何より、
「オエェェ」
「子どもだからとあの馬鹿は油断したが、中々の才を持った娘だな。今は、随分と苦しそうだが」
小鬼を討ったカナヲは嘔吐していた。蹲って床を掻きむしっている。今すぐにでも抱きしめてやりたいが、今は頭の隅に追いやる。
すでに状況は一対一。そして現状、弦司に鬼の頚は斬れない。
――なのに、鬼に余裕は見られない。刀を構えて、じっくりとこちらを伺うだけである。
思考を巡らせる。これの指し示す意味とは。余裕がないという事は、弦司が思っている以上に、鬼は追い込まれているのではないかと推察する。
そうして、考えをまとめようとする弦司に、嗅覚が異常を知らせる。饐えた匂いが治まっていた。倒した鬼の中に、血鬼術を使っていた者がいたのだろう。
しかし、血鬼術の終わりは、さらなる混乱の呼び水でしかなかった。
「……あれ?」
「何でここに……」
道場にいた人々が、次々と正気に戻る。血鬼術が解かれた事は喜ばしい。だが、あまりにも最悪の機だ。
血だまりの上で剣と銃を構え合う二人。そして、胸を貫かれている死体と、嘔吐する子ども。
こんな光景を見て、平静でいられる人間はいない。
「うわぁっ!!」
「ひぃっ!?」
「助けてくれぇっ!!」
道場に悲鳴が響き渡る。人々が我先へと出口へ向かう。
二体鬼が倒れ、こちらも二人が倒れ、さらには人々が混乱へと陥る。
戦況は混沌とした。
そんな中でも、弦司に目を止める輩がいた。よりにもよって、森だった。
正気に戻った森は、弦司達を指差すなり、
「化け物だ! 化け物がいるぞ! おい、早くあいつをどうにかしろ!」
森は弦司と分かっているのか、分かっていないのか。狼狽した様子で傍にいる人相の悪い男に指示を出す。
男は抗議のような視線を森へ向けるが、
「おい、早くしろ! 妹がどうなっても知らねえぞ!」
「――っ」
森の一言で、男は懐から短刀を取り出すと、よりにもよって弦司の方へ襲い掛かってきた。
「くそっ!」
弦司は男の手を叩き短刀を落とすと、突き飛ばした。だが、この機を逃す鬼ではない。
鬼は刀を振り下ろす。弦司が男を庇うように差し出した右腕を、刀鬼は斬り飛ばした。散弾銃が、腕ごと弦司から離れていく。
弦司は舌打ちをして、たたらを踏む男を森の方へ蹴り飛ばした。
「ぐはっ!?」
森が悲鳴を上げると、男に巻き込まれ道場の端まで吹っ飛んでいった。
その間にも、人々は出口へと殺到。将棋倒しになり、幾名かの怪我人を出しながらも、少しずつ道場から逃げ出していた。
人間はこれで助かる。だが、腕と日輪刀を失った弦司は、このままでは負けてしまう。
雨ヶ崎を失い、カナヲを傷つけてまで戦った。たくさんの人を喰われ、たくさんの幸せを奪われ、大切な日を台無しにされた。
このまま負けていいのか。負けていいはずがない。
弦司は残った左手を強く握り締める。
――この鬼だけは、絶対に逃がさない。
○
弦司が考えていたほど、刀鬼――
そもそも赤桐達三体の鬼は、弦司達が思っていたほど強い鬼ではない。むしろ逆で、それぞれ血鬼術を使えるにも関わらず、あまりにも弱すぎたために、鬼舞辻無惨に粛清されかかっていた。
赤桐は粛清直前、三体合同による人間の捕食計画を鬼舞辻無惨に話した。これだけ大量の人を喰らえば、我々も強くなれる。だから一度だけ機会を与えてくれ、と。
鬼舞辻無惨が期待していない事は知っていた。それでも、どうせ死ぬなら戦ってみろと機会が与えられた。
計画は三本角の鬼――
躑躅の血鬼術は彼の血を飲んだり、香りを嗅いだ者を操る血鬼術であった。それも広範囲で長時間である事に加え、大人数にかける事も可能だった。だが、あまりにも効果が弱すぎた。普通の人間でも、多少気の強い人間であれば無効化できるほど、弱かったのだ。
合歓木の血鬼術もそうだ。彼は気配の
だからこそ、まずは鬼狩りの攪乱を行った。食べ物に躑躅の血を混ぜる事で、多数の人間に血鬼術をかけ暴走させた。さらには、暴走した人間を鬼に見せかけるため、合歓木の血を食材に混ぜ、気配を譲渡した。念のため、捕食を行う場所から遠い所で、たくさんの人間を暴走させた。これで鬼狩りを遠退かせた。
もう一方で、捕食の準備を進めた。こちらも食べ物に躑躅の血を混ぜ、多くの人間に血鬼術をかけた。ただし暴走とは違い、強い催眠ではない。目立たない様に、無意識下で自然と捕食場所へ向かうようにさせた。
捕食場所も合歓木の血鬼術で、道場の気配を別の建物に譲渡した上、薄くする事で隠した。捕食場所に来た人間には、目を覚まさないようたっぷりと躑躅の血を吸わせた。
後は鬼狩りが右往左往する陰で、大量の人間を喰らうだけ。そして強くなり、今度は赤桐達が鬼狩りを狩る……その予定だった。
隠れて捕食する事が、赤桐達の目的だった。つまり、弦司達に見つかった時点で、赤桐達の計画はすでに破綻していたのだ。加えて、赤桐達は弱い。即座に撤退が正しい選択だった。
撤退しなかった理由は二つ。まず、弦司――裏切り者がきた。鬼舞辻無惨は弦司の捕縛を望んでいる。彼の望みを拒否するような選択はできなかった。
加えて、弦司に付き従っていたのは、明らかに弱そうな隊士に、隊服も来ていない子ども。こんな奴らに負けるはずがないと驕り、彼らは撤退の理由を完全に失った。
結果は鬼狩りの一人は殺したものの、躑躅と合歓木は死んだ。さらには、血鬼術は解け人間は逃げ出した。道場の隠蔽も解けているだろう。鬼狩りが集まるまで、時間は残されていなかった。
赤桐は次の鬼狩りが来るまでに、弦司を捕縛しなければならなかった。そうしなければ計画を失敗した上、裏切り者を取り逃した咎で鬼舞辻無惨に粛清されるだけだった。
しかし、赤桐の血鬼術は自身の肉体から刀を生み出すだけだ。別に剣の才能がある訳でもないのに。
本当に赤桐は弱かった。それでも、ここまで来たからには、彼にも意地はある。
――こうして、最後の攻防は始まった。
○
最初に動いたのは刀鬼だった。だが、襲い掛かった先は弦司ではなく――嘔吐しているカナヲ。この鬼は本当に弦司の嫌な所を狙ってくる。
「カナヲ!!」
「――ぅぅ!」
庇おうとする弦司よりも早く、カナヲは動く。日輪刀を再び握ると、吐瀉物と返り血塗れの体に喝を入れ、逆に刀鬼へと襲い掛かった。
カナヲの天性の嗅覚が凶刃が届くよりも先に、日輪刀を振るわせた。しかし、呼吸も満足に使えない今のカナヲでは、ここまでが精一杯だった。刃は鬼の頚に届いたものの、薄皮一枚斬っただけで止まってしまった。
せせら笑った鬼は、カナヲに向かって刀を振り下ろした。
「させるかぁぁっ!!」
カナヲに迫る凶刃を、弦司は左手の籠手で受け止めた。欠けた右腕で左腕を支えどうにか均衡を作るが、この籠手は猩々緋鉱石で作られていない。鬼の刀を受け続けるには耐久力が足りず、徐々にひび割れ刃が籠手に食い込んでいく。このままでは、弦司ごとカナヲが斬り裂かれてしまう。
(どうする!? 弾くか? ダメだ、まだ右腕の再生は終わってない上に、右の籠手も散弾銃もない! いくら何でも、素手で勝てる程甘くない!)
鬼の身体能力を限界まで引き上げて思考をするが、手立ては思いつかない。その間も刃は進み、籠手は壊れていく。カナヲの日輪刀もビクともしない。
このままでは、カナヲが死ぬ。弦司の選択で、カナヲが殺されてしまう。友まで失い、娘と想って可愛がった少女まで、失ってしまうのか。
(それとも、カナヲだけでも――!)
一瞬、カナヲを連れて逃げ出す事が頭が過ぎる。本当に弦司がこのまま何もできないのであれば、それも一つの選択肢だろう。だが、何もできずに終わりたくない。何かできることはないか。
(もう何でもいい! 奴を、鬼を討ち滅ぼせるなら、何でもいい! 何か――!!)
弦司は考えるのを止めない。絶対にこの手にある命を、先にある人々の幸せを守ると、限界を超えるまで頭を回転させる。
そして、一つの答えにたどり着く。
――血鬼術。
鬼が使う異能の力。それを使えば、逆転の芽があるのではないか。
だが、弦司は使えなかった。カナエやしのぶにも協力してもらって、何度か試してみたが、それでも使えなかった。
あの時、しのぶは何と言ったか。弦司はある日のしのぶとの会話を思い出す――。
○
「精神的な問題かもね」
しのぶの研究室。
定期健診の一つである身体測定を終えた後、弦司はしのぶに言われた。
「身体能力の数値を見る限り、血鬼術が使える鬼達と、不破さんの身体能力は遜色ないわ」
「それで血鬼術が使えない理由が、精神的な問題にある、と」
しのぶはコクリと頷く。
「通説では鬼の血鬼術の能力は、人だった時の深層心理に深く関わっているそうよ。不破さんが戦った縄鬼なんて、その典型ね。『縛る』という未練や執着が縄となり、縄を自在に操る血鬼術を授けたのでしょう」
「俺に未練や執着が足りないと?」
「その前の段階よ」
「その前?」
「不破さん……鬼の体が大嫌いでしょ」
しのぶに指摘された通りであった。
弦司は鬼の体が大嫌いだった。正確に言うならば、鬼となった体が嫌いで嫌いでしょうがなかった。
人を見て腹は空く、日の光を浴びられない、眠る事もできない……挙げればきりがない。
「不破さんが血鬼術を使う鬼と違う点を挙げるとしたら、まずはそこだと思う……まあ、それとは関係なしに、折り合いはつけて欲しいわ。何て言っても自分の体だもの、好きになれとは言わないけど、嫌ったままだと苦しいだけよ」
「……」
弦司の身を案じる様に、しのぶは心配そうに言った。
○
(――俺の精神的な問題)
弦司はしのぶの言葉を思い出した。だが、結局折り合いをつける事はできていなかった。
しのぶの気持ちは嬉しかった。しかし、鬼に対する、そして自身に対する嫌悪感は弦司の原動力の一つでもある。変えるのは難しい。
(何かないのか? 俺のまま、血鬼術を使う方法!?)
そんな都合の良いものなど存在しない。分かっているのに、考えずにはいられない。
何かないか。自身の内に存在する手札をもう一度、考え直す。鬼とは遠く、それでも鬼で使える武器は――。
籠手が半ばまで壊れる。この時になってようやく、弦司の中で一つの方法にたどり着いた。
(俺の記憶――!)
前世などと呼んでいる、弦司の体験した事のない記憶。娯楽ばかりに目が行きがちだが、人としての一生だ。確かに、戦闘に関する記憶もある。
――鬼の力で人の未来の力を引き出す。
頭で何か歯車が合った気がした。足りないものが合わさり、今まで眠っていた力が表に出る。
血鬼術・
「死ね!!」
籠手が砕け散る。刃が弦司の腕に触れるが、それ以上進むことはなかった。
弦司の左腕が、漆黒へと変わっていた。それはまるで金属のように硬く、決して刃を通さなかった。
『血鬼術・
前世の記憶の中から、戦闘に転用できる物体の記憶を招喚し、体を『変化』させる。
弦司の原点と言える『変化』と『前世』。鬼に対する嫌悪感を避けつつ、二つの原点を引き出すために生み出された血鬼術であった。
その中でも、『鋼』は最も硬度が高いと思われる素材に、自身を変化させる術だ。並の兵器では、『鋼』を傷つける事さえ叶わない。
弦司は再生した右腕も漆黒へと変えると、右手で鬼の刀を握る。傷つかないのであれば、刀など折れやすい細い棒と変わらない。弦司は鬼の刀をへし折った。
「――は?」
事態に頭が追い付かないのか、弦司の目の前で堂々と呆然とし、折れた刀を眺める鬼。
弦司はこの隙を逃さない。
「カナヲ!」
弦司の声に応えて、カナヲは日輪刀を退く。そして、漆黒の手刀を刀鬼の両手足に向けて振るった。刀鬼の両手足は、それだけで半ばまで千切れる。
「な、何が起きている!?」
立てなくなった刀鬼は、そのまま尻もちをついた。これで刀鬼はしばらく動けない。
次に弦司は、カナヲの背後から日輪刀の柄に手を添える。彼女の力が足りないなら、弦司が足してやればいい。
「カナヲ!」
弦司の呼びかけを合図に、カナヲと弦司は共に日輪刀を振った。弦司の無茶苦茶な太刀筋を、カナヲが丁寧に修正する。
「やめ――!」
事ここに至って、ようやく鬼は自失から回復するが遅い。
カナヲの技量と弦司の膂力が合わさった一閃は、いとも容易く鬼の頚を斬り飛ばした。頚がない体が倒れ、崩れていく。
消える鬼を見送ると同時に、カナヲが力尽きる。
「……っ」
「カナヲ!」
日輪刀が手から抜け落ち、崩れ落ちそうになる体を、弦司がしっかりと受け止めた。
「げん、じ……」
カナヲは縋りつくと、弦司の名前を小さく呼んだ。
弦司がカナヲの背中を撫でると、体を預けてくる。安心したのか、すぐに寝息を立て始めた。
「終わったのか……」
吐瀉物と返り血でドロドロになったカナヲの顔を、袖で拭きながら弦司は呟く。
民間人も全員逃げ出したのか、足音も悲鳴もない。鬼の気配も感じない。ただ、静寂のみが道場に満ちる。
終わった。本当に戦いが終わった。それを理解した瞬間、今まで遮断していた情報が心に落ちてくる。
――死んだ。雨ヶ崎が死んだ。友が殺された。
血だまりの上には、背中に大穴を空けた雨ヶ崎が、うつ伏せで横たわっている。
「うぅ……! 雨ヶ崎ぃ……!」
今まで堪えていたものが溢れ出す。涙が止まらなかった。
雨ヶ崎はカナエとしのぶ以外で、初めて弦司に心を開いてくれた人だった。鬼となって、初めてできた友だった。
蝶屋敷を初めて訪れたのあの日。多数の隊士の中に、雨ヶ崎はいた。そして、カナエが信じたという理由で、すぐに弦司を受け入れてくれた。
それから任務に、日常生活に、必ず雨ヶ崎はいた。彼がいたから、蝶屋敷以外にいても健やかに穏やかに過ごせた。
常に誰かのために動いてくれた。今日だってそうだ、弦司達がいたからここまで来てくれた。
『不破さんがいてくれたから、今日も生き延びる事ができたよ』
彼は目を細めて、よくそんな事を言って笑っていた。生き延びられたのは、お前のお陰だと、いつも返していた。だが、もう笑顔を見る事はできない。
失った命は戻ってこない。弦司は得難き友を喪ってしまった。
「すまない……! 俺が、俺が間違ったから……!」
後悔しかなかった。
――何で三体目の鬼の存在を疑わなかった。
――何で隊服を渡さなかった。
──何でカナエが来るまで待たなかった。
――何で雨ヶ崎の提案を断らなかった。
――何で今日、カナエがいないのに出かけたのか。
いくらでも、雨ヶ崎が生き残る選択肢はあった。そして、その全てを弦司はふいにしてしまった。いくつもの判断を間違えた。
そして何より悔しいのは、これだけ想っていても、雨ヶ崎が『食事』に見えてしまう事だった。
血鬼術で消耗しているのもあるだろう。それでも、彼の遺体で空腹を覚えてしまう体が、素直に悼めない己が、情けなくて悔しかった。
それでも残された者は前に進むしかない。弦司は涙を拭う。
カナヲをどこかへ横たえるかして、雨ヶ崎の遺体を弔おう。そう考えて動こうとした時、出入り口から人の気配がした。
民間人はすでに逃げ出している。森も、いつの間にか消えている。あれだけの騒動があったのだ、民間人は戻ってこないだろう。
警察か、それとも隊士か。そう思い弦司が振り返ると――、
「とうとう本性を現したな」
一纏めにした長髪。他者を寄せ付けない鋭利な視線と三日月型の口。
風能誠一が日輪刀を抜いて立っていた。
――その切っ先は、弦司へと向いていた。