鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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いつも誤字脱字報告ありがとうございます。

想像以上に長くなりましたので分割します。
それでは、お楽しみください。


第13話 選択・中編

 鎹鴉を飛ばした後、弦司達は早速聞き取り調査を行ったが、これは完全に空振りに終わった。

 夜店からは鬼の気配は全く感じられず、店の主人の言動も特におかしな素振りは見えなかった。

 仕入先なども聞いたが、普通に卸して普通に作ったとしか分からなかった。鬼が血鬼術を仕掛けるとしたら仕入れ時だが、さすがに鬼もバレるような間抜けは曝していない。

 たい焼きに血鬼術が仕掛けられている。それ以上の事は分からなかった。

 できれば夜店の中止をさせたかったが、非公式の鬼殺隊にそこまでの権限はない。仮に無理やり止めたとしたら、その時点で警察を呼ばれて追跡は中止だ。

 鬼を見つけ頚を斬る。それ以外、勝ち筋はなかった。

 他にも聞き取りはしたが、決定的な情報は得られなかった。はて本当に困ったと思った時、意外な人物と遭遇した。

 

 

「不破か!?」

「……森か」

 

 

 相手の顔を見て、弦司は天を仰ぐ。人相の悪い男を一人連れた、明らかに身なりの良さそうな和装の男。人間時代――というのは、業腹だが――よく突っかかってきた森家の次男坊だ。

 カビの生えた古臭い家だの、本当に言いたい放題してきた輩だ。彼に関しては最低限の知識以上は持ち合わせていないが、関わり合いを持ちたくない類の人間だった。ちなみに、現在の弦司は聞き込みのため面覆いを外した上で、大きな羽織を着ているため、森は弦司と認識できた。雨ヶ崎とカナヲも和装のため、一見して鬼殺隊とは分からない。

 森は酒臭い匂いを纏って、弦司を見るなり嘲笑した。

 

 

「一年間も失踪したって聞いて、心配したんだぜ! 俺は死んだ方に賭けてたけどな!」

「そうか、それは残念だったな。負け額が小さいといいな」

「おいおい、何で死んでてくれなかったんだ~?」

「ホント、相変わらずだな。で、そういうお前はどうなんだ? まだ、定職についていない訳ないよな」

「……不破、お前――」

 

 

 森は一瞬、怒りで顔を赤くしたが、どう見ても並の肉体ではない雨ヶ崎と、六尺はある弦司の体躯を見て分が悪いと判断したのだろう。人相の悪い男に目配せすると踵を返そうとする。

 しかしながら、彼も重要な情報源である。念のため、弦司は尋ねた。

 

 

「まあそれはどうでもいいんだけどよ、ここのたい焼き食ったりしたか?」

「何だよ、突然? それに……おい、もしかして毒でも入っていたりしたのか!?」

「その様子だと、食べたのか……」

「な、何だよ!? だったら、どうなんだよ!?」

「いや、味を訊いて回ってただけだ」

「~~死ね! 紛らわしいんだよ!!」

 

 

 森はそう吐き捨てると、人相の悪い男を伴って去って行った――アオイが指差した方角へ向けて。

 これを偶然と片付けてよいのか。弦司は束の間迷い、雨ヶ崎へ目線を向ける。彼は頷いた。

 

 

「他に手がかりもない。追いかけよう」

「分かれなくていいのか?」

「ただでさえ、戦力が少ないんだ。賭けになるけど、固まって動こう。それに、彼は素直に不破さんの言う事を聞く人?」

「いいや、ありえないな」

 

 

 彼がいけ好かない人間だとはいえ、人命を思えば物を吐き出させるのが最善だ。だが、弦司が吐き出せと言って、あの男が素直に吐き出すかと言えば否である。無理やりやれば、それこそ傷害事件だ。彼を助けるなら、やはり事の発端である鬼をどうにかするしかない。

 弦司、雨ヶ崎、カナヲの三人は森を尾行した。

 森は他の夜店を回りながら、やはり例の方角へ進んでいった。彼の動きに目的は見えない。ただ、本当に何となく、同じ方角に進んでいるように思える。

 もしかしたら、本当に偶然では。そんな考えが何度も頭を過ぎったが、他に手がかりもない。自分達の直感を信じて進むしかなかった。

 時間にして数十分ほど、弦司達は森を尾行した。そして、途中から森の足取りは変わった。

 夜店には寄らず、まるであらかじめ決まっていたように。人相の悪い男に何かを話しかけながら、あくまで自然な様子で。それでも真っ直ぐ、例の方角へと進んでいった。

 ――そして、突然消えた。いや、正確にはまるで消えたように見えた。

 

 

「っ、あれ、何で――」

「落ち着け、雨ヶ崎。よく目を凝らして見てみろ」

 

 

 弦司に指摘され、雨ヶ崎は目を凝らす。弦司も同じように、森が消えた方角を見る。すると、まるで今までは焦点があっていなかったかのように、ぼやけていたものが見えるようになった。古びた道場が目の前にあった。

 そこへ一人、また一人と吸い込まれるように人が入っていく。しかし、気を緩めば見失ってしまいそうだった。

 

 

「不破さん」

「ああ、当たりだ」

 

 

 弦司達はここに鬼がいる事を確信した。恐ろしいほど存在が希薄な道場。この建物は間違いなく、血鬼術の影響下にあった。

 弦司達はカナヲの手を引いて、物陰に隠れる。

 

 

「見つけたのはいいが、まずいな」

「だね。道場の存在を隠す血鬼術。あの様子だと、食べ物に含まれていたのは、人間を誘導する血鬼術……計二種類となると、二体以上の鬼がいる事は確定だ。それにこれだけの血鬼術となると、弱くもないだろう」

「でも、やるしかない。鬼が人を集めてやる事なんざ、一つしかないからな」

「放っておけば、鬼がもっと強くなるだろうし……これは、覚悟決めるしかないかな」

 

 

 弦司は背中の散弾銃を取り出し、雨ヶ崎とカナヲも日輪刀を抜く。面覆いを被り羽織を脱ぎながら、状況の悪さを再確認する。

 

 

「室内で大量の民間人を守りながらの戦いになるな」

「は~。きついなぁ……」

「カナヲ、さっき言った事、忘れるな。お前の命が最優先だ。基本的には後衛で戦況を見守っててくれ」

 

 

 弦司達は大きく息を吐き出す。何度考えても最悪だった。今日という日に、鬼に気づいてしまう事も。緊急事態に非力な面子でいる事も。そして、あまりにあっさりと鬼の居所を突き止めてしまう事も。

 それでもやるしかない。人となるためと引き換えに、鬼殺隊に入ったのだ。人であるという証明のため、人のために戦わねばならない。そして何より……きよ、すみ、なほ、アオイの四人を危険に曝した事を、弦司は決して許さない。

 弦司が物陰から飛び出す。後を雨ヶ崎とカナヲが続く。

 道場へ向かう数名を追い越すと、入り口である引き戸を開け放った。それと同時にむせ返る血の香りと、饐えた匂い。この饐えた匂いこそが血鬼術だと、弦司の鬼の本能が訴えかけ口元を手で覆う。雨ヶ崎とカナヲも弦司に倣い口元を手で覆ってから、道場の中へ目を向けた。

 板張りの古びた道場の中央には、二体の鬼がいた。片方はみすぼらしい身なりで、頭に三本の角を生やした鬼。もう一方は、袴を着て腰に刀を差した短髪の鬼。彼らの足元には、多くの血だまりができていた。

 鬼の他には十数名の人間もいた。しかし、その誰もが談笑し、鬼達を気にも留めない。次に血だまりとなるのは、己かもしれないというのに――。

 弦司達は理解した。彼らは人間をここへ誘導し、思考能力を弱め、喰らっているのだと。そして、道場の血だまりは悲劇の跡だ。弦司達は間に合わなかったのだ。

 あの中に、何人の家族がいた。何人の家族が幸せの中にいた。一体、いくつの幸せを奪った。

 怒りで頭が沸き立つ。だが、我を忘れてはならない。心を燃やせ。それでも頭は冷静に。確実に、悪鬼は滅殺する。

 このまま突入……とはいかなかった。道場内では、血鬼術が充満している。雨ヶ崎とカナヲが呼吸法を使えば、血鬼術を吸い込んでしまうだろう。

 そう判断した弦司は、散弾銃で道場の壁をぶっ叩いた。木壁は衝撃で吹っ飛び、出入り口がもう一つ増える。

 新鮮な空気が舞い込み、血鬼術を薄めた。

 

 

「鬼殺隊か!?」

「な、何だと!? どうして、ここが分かった!?」

 

 

 これだけ騒げば、さすがに鬼に気づかれる。

 奇襲はできなかったが、これは必要経費だと割り切る。

 

 

「雨ヶ崎!」

「うん、行くよ不破さん!」

 

 

 弦司が先行して駆ける。銃口は刀を差した鬼へ向ける。

 弦司を見て、三本角の鬼が笑う。

 

 

「お前、あの方が言った裏切り者か!? ハハッ、ついに俺達にもツキが回ってきたぜ!」

「おい待て――」

「ガキと雑魚しかいないだろ! 勝てばいいんだよ、勝てば!」

「ちっ!」

 

 

 弦司の情報を得ていたらしい鬼達は、少々揉めた後、生きている人間を盾にした。二体の鬼は談笑する人々の首筋に、それぞれ爪を押し当てる。

 あれだけの命を奪いながら、平然と人を盾にする鬼の有様が、弦司の心にさらに火をつける。絶対に引くわけにはいかない。

 弦司は一瞬の内に判断を下す。瞬く間に二回、引き金を引いた。鬼の身体能力にものを言わせた、散弾銃の二連射だった。

 

 

「ぐわぁっ!!」

「なにっ!?」

 

 

 射線が通っていたのも幸いし、重なった轟音と共に鬼の手をそれぞれ吹き飛ばした。鬼の腕から血が噴き出す。血をまともに浴びても、人々は平然としていた。

 一方、鬼達は突如腕を飛ばされた事もあり、狼狽する。その隙に弦司と雨ヶ崎は人々の間をすり抜け一気に近づき、鬼を押し退け人質を解放した。

 

 

「作戦変更、そっちは頼む!」

「了解だ!」

 

 

 弦司は刀の鬼と。雨ヶ崎は三本角の鬼とそれぞれ対峙する。前衛、後衛などの事前の打ち合わせは全部なしだ。一人一体倒さねば、被害が拡大する一方との判断だった。

 鬼が刀を抜いた。弦司はすかさず距離を詰めた。散弾銃の銃身と刀が迫り合う。

 

 

「邪魔だ!」

「邪魔してるからな!」

 

 

 鬼――仮に刀鬼と呼ぶとして――が弦司を突き飛ばそうとするが、逆に押し込んで阻止する。道場には十数名の人間がいる。刀を振り回させれば、人々に危害が及ぶ。刀鬼を自由にさせる訳にはいかなかった。

 だが、刀鬼にとっては弦司の行動は、邪魔以外の何物でもない。刀鬼は距離を取ろうと弦司を蹴ろうとするが、逆に弦司が先に足で制する。さらに弦司は散弾銃を軽やかに返し、刀を上から押さえつけた。しのぶ、ましてやカナエと訓練している弦司にとって、鬼の剣技はあまりに稚拙だった。

 

 

「この……鬱陶しい!」

「お褒めいただき光栄の極み!」

 

 

 歯軋りする鬼に、弦司は軽口をたたく。

 完全に弦司の有利な態勢で、上手く膠着状態に持っていけれた。早々にこの形は崩せない。

 カナヲもいる。後は雨ヶ崎が鬼の頚を斬れば、弦司達の優勢は揺るがない。

 確実に勝利は近づいていると、弦司は考えていた。

 ――だが、それは完全に甘い考えだった。

 この時、弦司達は疑問を持つべきであった。なぜ、ここまですんなり、事が上手く運べたのか。そもそも、なぜ鬼が協力し合っているのか。

 目の前の見たいもののみを見るのではなく、もっとたくさんの可能性を考えるべきだった。

 

 

「かはっ――」

 

 

 空気が掠れたような声がした。雨ヶ崎の声だった。

 僅かに視線をやれば、雨ヶ崎は細身の鬼の頚に、半ばまで刀を入れていた。だが、その雨ヶ崎の胸を()()()()()()の腕が貫いていた。雨ヶ崎の手が日輪刀から離れ、胸から大量の血液が噴き出す。

 こんなにもあっさりと、隊士とは、人とは、死んでしまうのか。

 ――弦司はこの日、鬼に友を殺された。

 

 

 

 

 カナヲは弦司の指示通り、戦況を見守っていた。もし、自身の力が必要になったり、命が脅かされれば守るために戦う。そういう命令になっていた。

 カナヲの中では、人質を取られ戦況は不利だった。それを弦司の身体能力にかまけた射撃で、一気に有利にした。

 強そうな鬼を弦司が抑え、弱そうな鬼を雨ヶ崎が先に叩く。役割分担に問題ない。だが、カナヲの中で疑念が一つあった。

 ――鬼は本当に二体なのか。

 この饐えた匂いが血鬼術なら、饐えた匂いの強い三本角の鬼が怪しい。ならば、道場の存在を消した鬼とは、あの刀鬼なのか。どうでもいいが戦況に関わる。

 カナヲは銅貨を投げた。『表』なら伝える。『裏』なら伝えない。

 ――『裏』だった。

 カナヲは三体目の鬼の可能性を伝えなかった。

 戦況はそのまま進む。

 

 

「く、くそっ! 来るな!」

 

 

 三本角の鬼が叫ぶと、腕を大きく振るう。人々は談笑したまま、無意識で雨ヶ崎の進路を塞ぐように動いた。

 人の盾。しかし、それはあまりに稚拙な守りであった。雨ヶ崎を止めるのであれば、人間同士で争わせるぐらい必要であった。それができないのであれば、鬼の力量は知れる。

 雨ヶ崎は人々の間を縫うように、鬼との距離を詰める。

 

 

「水の呼吸漆の型・雫波紋突き」

 

 

 水の呼吸の型の中で、最速の突き。人の合間を縫うように放たれた一撃は、鬼の頚を高速で突いた。

 

 

「ぐあっ!」

 

 

 半ばまで斬れる鬼の頚。怪我が響いたのか、一撃で頚を刈り取れていなかった。だが、このまま横へ引けば、鬼の頚は斬れる……そう思った時であった。

 雨ヶ崎の背後に、突如として鬼の存在が露わになる。小柄で細身の鬼であった。

 カナヲは確信した。この鬼こそが、道場を隠した鬼であると。

 このままでは、雨ヶ崎が鬼に討たれる。だが、今の機に出てもカナヲでは確実に鬼を討てない。『命を危険に曝す』事になる。だから動かない。

 しかし、一方でこのままで良いのかという疑問もある。

 雨ヶ崎が討たれれば、危機となるのはカナヲなのだ。そうなれば、やはりこれも『命を危険に曝す』事になり、命令を守れない。

 選ばなければならない。

 カナヲは銅貨を投げた。『表』なら行く。『裏』なら行かない。

 ――『表』だった。

 しかし、カナヲが迷ったその一瞬。銅貨を投げたその一時。迷いの分だけ雨ヶ崎への援護は遅れた。

 それでも『表』が出た以上、カナヲは動く。

 

 

 花の呼吸肆の型・紅花衣(べにはなごろも)

 

 

 カナヲの小さな体は鬼の背後に一気に迫り、大きく刀を振るう。すでに、鬼は雨ヶ崎の胸を突き貫いていた。そして、皮肉にも雨ヶ崎を殺した事で、鬼は油断しきっていた。

 巨大な弧を描いた刀の軌跡は不意打ちとなる。鬼が小柄だった事もあり、頚はあっさりと斬り落とせた。

 消える鬼と、崩れ落ちる雨ヶ崎。鬼の返り血と、雨ヶ崎の血が混ざり合い、カナヲに降りかかる。

 鬼は倒した。しかし、雨ヶ崎は討たれた。まだ鬼は二体いる。命を危険に曝さないために戦ったはずが、未だ命の危機は脱していない。

 なぜ? それはカナヲが銅貨を投げたから。判断できなかったから。だから()()()()()()()()()()()()

 それを理解した瞬間、カナヲの中で何かがせり上がってくる。

 何も感じない。何も辛くない。だから、言われた事をただやればいい。どうでもいい事は、カナエからもらった銅貨で全部決めればいい。

 それがカナヲの全てだった。そう、全てなのだ。

 だというのに、言われた事もできなかった。カナエからもらった銅貨で決めたから、できなかった。銅貨を投げた事で、言われた事ができなかった。

 全てがひっくり返った気がした。自身を守ってきた何かが、崩れていく。頭の中ががんがん痛くて、目の前がぐるぐると揺れる。

 そして、まるで胃袋がひっくり返った感覚が走り――カナヲは戦闘中にも関わらず嘔吐した。

 ――数年後、カナヲはこの日の選択を悔いる事になる。

 

 

 

 

 雨ヶ崎が殺された。そして、雨ヶ崎を殺した鬼をカナヲが討った。

 それ以外の情報を、弦司は頭から遮断した。最善だけを必死に考える。

 弦司は刀鬼を肩で突き飛ばすと、早打ちの要領で三本角の鬼へ照準を合わせた。

 そして、再びの轟音。頚へ二連射。雨ヶ崎が半ばまで斬ってくれた事もあり、鬼の頚は吹き飛んだ。

 顔のない鬼の体が崩れ落ちていく。

 ――これで二対一。

 そう思った弦司の顔に刀が通り過ぎた。

 面覆いも下の面も刀が斬り裂き、顔面から血が噴出する。そして、とうとう弦司の顔が露わになった。

 弦司は真っ赤に染まった視界で、鬼を睨み付ける。

 

 

「それが裏切り者の顔か」

「……黙れよ、悪鬼が。お前も元々人だろうが。人を裏切ったお前を、俺は決して許さない」

「鬼のくせに。あのお方が苛立つのも納得だ。だが、これであのお方もお喜びになるだろう」

 

 

 刀鬼はまるで余裕を見せつける様に笑う。だが、それは引きつった笑みだった。弦司は疑問に思う。

 今の弦司は四発、全ての弾を打ち切った。弾丸を装填しなければ、頚は落とせない。装填の時間さえ与えなければ、弦司に鬼は倒せない。明確に刀鬼の方が優位だった。

 そして何より、

 

 

「オエェェ」

「子どもだからとあの馬鹿は油断したが、中々の才を持った娘だな。今は、随分と苦しそうだが」

 

 

 小鬼を討ったカナヲは嘔吐していた。蹲って床を掻きむしっている。今すぐにでも抱きしめてやりたいが、今は頭の隅に追いやる。

 すでに状況は一対一。そして現状、弦司に鬼の頚は斬れない。

 ――なのに、鬼に余裕は見られない。刀を構えて、じっくりとこちらを伺うだけである。

 思考を巡らせる。これの指し示す意味とは。余裕がないという事は、弦司が思っている以上に、鬼は追い込まれているのではないかと推察する。

 そうして、考えをまとめようとする弦司に、嗅覚が異常を知らせる。饐えた匂いが治まっていた。倒した鬼の中に、血鬼術を使っていた者がいたのだろう。

 しかし、血鬼術の終わりは、さらなる混乱の呼び水でしかなかった。

 

 

「……あれ?」

「何でここに……」

 

 

 道場にいた人々が、次々と正気に戻る。血鬼術が解かれた事は喜ばしい。だが、あまりにも最悪の機だ。

 血だまりの上で剣と銃を構え合う二人。そして、胸を貫かれている死体と、嘔吐する子ども。

 こんな光景を見て、平静でいられる人間はいない。

 

 

「うわぁっ!!」

「ひぃっ!?」

「助けてくれぇっ!!」

 

 

 道場に悲鳴が響き渡る。人々が我先へと出口へ向かう。

 二体鬼が倒れ、こちらも二人が倒れ、さらには人々が混乱へと陥る。

 戦況は混沌とした。

 そんな中でも、弦司に目を止める輩がいた。よりにもよって、森だった。

 正気に戻った森は、弦司達を指差すなり、

 

 

「化け物だ! 化け物がいるぞ! おい、早くあいつをどうにかしろ!」

 

 

 森は弦司と分かっているのか、分かっていないのか。狼狽した様子で傍にいる人相の悪い男に指示を出す。

 男は抗議のような視線を森へ向けるが、

 

 

「おい、早くしろ! 妹がどうなっても知らねえぞ!」

「――っ」

 

 

 森の一言で、男は懐から短刀を取り出すと、よりにもよって弦司の方へ襲い掛かってきた。

 

 

「くそっ!」

 

 

 弦司は男の手を叩き短刀を落とすと、突き飛ばした。だが、この機を逃す鬼ではない。

 鬼は刀を振り下ろす。弦司が男を庇うように差し出した右腕を、刀鬼は斬り飛ばした。散弾銃が、腕ごと弦司から離れていく。

 弦司は舌打ちをして、たたらを踏む男を森の方へ蹴り飛ばした。

 

 

「ぐはっ!?」

 

 

 森が悲鳴を上げると、男に巻き込まれ道場の端まで吹っ飛んでいった。

 その間にも、人々は出口へと殺到。将棋倒しになり、幾名かの怪我人を出しながらも、少しずつ道場から逃げ出していた。

 人間はこれで助かる。だが、腕と日輪刀を失った弦司は、このままでは負けてしまう。

 雨ヶ崎を失い、カナヲを傷つけてまで戦った。たくさんの人を喰われ、たくさんの幸せを奪われ、大切な日を台無しにされた。

 このまま負けていいのか。負けていいはずがない。

 弦司は残った左手を強く握り締める。

 ――この鬼だけは、絶対に逃がさない。

 

 

 

 

 弦司が考えていたほど、刀鬼――赤桐(あかぎり)は有利ではなかった。

 そもそも赤桐達三体の鬼は、弦司達が思っていたほど強い鬼ではない。むしろ逆で、それぞれ血鬼術を使えるにも関わらず、あまりにも弱すぎたために、鬼舞辻無惨に粛清されかかっていた。

 赤桐は粛清直前、三体合同による人間の捕食計画を鬼舞辻無惨に話した。これだけ大量の人を喰らえば、我々も強くなれる。だから一度だけ機会を与えてくれ、と。

 鬼舞辻無惨が期待していない事は知っていた。それでも、どうせ死ぬなら戦ってみろと機会が与えられた。

 計画は三本角の鬼――躑躅(てきちょく)と小柄の鬼――合歓木(むくのき)の血鬼術が肝だった。

 躑躅の血鬼術は彼の血を飲んだり、香りを嗅いだ者を操る血鬼術であった。それも広範囲で長時間である事に加え、大人数にかける事も可能だった。だが、あまりにも効果が弱すぎた。普通の人間でも、多少気の強い人間であれば無効化できるほど、弱かったのだ。

 合歓木の血鬼術もそうだ。彼は気配の()()()()が可能だった。例えば、別の鬼の気配を人間に譲渡する事で鬼の姿を隠し、人間に鬼の気配を与える事が可能だった。だがこれも弱すぎて、時に普通の人間にも見破られる可能性があった。

 だからこそ、まずは鬼狩りの攪乱を行った。食べ物に躑躅の血を混ぜる事で、多数の人間に血鬼術をかけ暴走させた。さらには、暴走した人間を鬼に見せかけるため、合歓木の血を食材に混ぜ、気配を譲渡した。念のため、捕食を行う場所から遠い所で、たくさんの人間を暴走させた。これで鬼狩りを遠退かせた。

 もう一方で、捕食の準備を進めた。こちらも食べ物に躑躅の血を混ぜ、多くの人間に血鬼術をかけた。ただし暴走とは違い、強い催眠ではない。目立たない様に、無意識下で自然と捕食場所へ向かうようにさせた。

 捕食場所も合歓木の血鬼術で、道場の気配を別の建物に譲渡した上、薄くする事で隠した。捕食場所に来た人間には、目を覚まさないようたっぷりと躑躅の血を吸わせた。

 後は鬼狩りが右往左往する陰で、大量の人間を喰らうだけ。そして強くなり、今度は赤桐達が鬼狩りを狩る……その予定だった。

 隠れて捕食する事が、赤桐達の目的だった。つまり、弦司達に見つかった時点で、赤桐達の計画はすでに破綻していたのだ。加えて、赤桐達は弱い。即座に撤退が正しい選択だった。

 撤退しなかった理由は二つ。まず、弦司――裏切り者がきた。鬼舞辻無惨は弦司の捕縛を望んでいる。彼の望みを拒否するような選択はできなかった。

 加えて、弦司に付き従っていたのは、明らかに弱そうな隊士に、隊服も来ていない子ども。こんな奴らに負けるはずがないと驕り、彼らは撤退の理由を完全に失った。

 結果は鬼狩りの一人は殺したものの、躑躅と合歓木は死んだ。さらには、血鬼術は解け人間は逃げ出した。道場の隠蔽も解けているだろう。鬼狩りが集まるまで、時間は残されていなかった。

 赤桐は次の鬼狩りが来るまでに、弦司を捕縛しなければならなかった。そうしなければ計画を失敗した上、裏切り者を取り逃した咎で鬼舞辻無惨に粛清されるだけだった。

 しかし、赤桐の血鬼術は自身の肉体から刀を生み出すだけだ。別に剣の才能がある訳でもないのに。

 本当に赤桐は弱かった。それでも、ここまで来たからには、彼にも意地はある。

 ――こうして、最後の攻防は始まった。

 

 

 

 

 最初に動いたのは刀鬼だった。だが、襲い掛かった先は弦司ではなく――嘔吐しているカナヲ。この鬼は本当に弦司の嫌な所を狙ってくる。

 

 

「カナヲ!!」

「――ぅぅ!」

 

 

 庇おうとする弦司よりも早く、カナヲは動く。日輪刀を再び握ると、吐瀉物と返り血塗れの体に喝を入れ、逆に刀鬼へと襲い掛かった。

 カナヲの天性の嗅覚が凶刃が届くよりも先に、日輪刀を振るわせた。しかし、呼吸も満足に使えない今のカナヲでは、ここまでが精一杯だった。刃は鬼の頚に届いたものの、薄皮一枚斬っただけで止まってしまった。

 せせら笑った鬼は、カナヲに向かって刀を振り下ろした。

 

 

「させるかぁぁっ!!」

 

 

 カナヲに迫る凶刃を、弦司は左手の籠手で受け止めた。欠けた右腕で左腕を支えどうにか均衡を作るが、この籠手は猩々緋鉱石で作られていない。鬼の刀を受け続けるには耐久力が足りず、徐々にひび割れ刃が籠手に食い込んでいく。このままでは、弦司ごとカナヲが斬り裂かれてしまう。

 

 

(どうする!? 弾くか? ダメだ、まだ右腕の再生は終わってない上に、右の籠手も散弾銃もない! いくら何でも、素手で勝てる程甘くない!)

 

 

 鬼の身体能力を限界まで引き上げて思考をするが、手立ては思いつかない。その間も刃は進み、籠手は壊れていく。カナヲの日輪刀もビクともしない。

 このままでは、カナヲが死ぬ。弦司の選択で、カナヲが殺されてしまう。友まで失い、娘と想って可愛がった少女まで、失ってしまうのか。

 

 

(それとも、カナヲだけでも――!)

 

 

 一瞬、カナヲを連れて逃げ出す事が頭が過ぎる。本当に弦司がこのまま何もできないのであれば、それも一つの選択肢だろう。だが、何もできずに終わりたくない。何かできることはないか。

 

 

(もう何でもいい! 奴を、鬼を討ち滅ぼせるなら、何でもいい! 何か――!!)

 

 

 弦司は考えるのを止めない。絶対にこの手にある命を、先にある人々の幸せを守ると、限界を超えるまで頭を回転させる。

 そして、一つの答えにたどり着く。

 ――血鬼術。

 鬼が使う異能の力。それを使えば、逆転の芽があるのではないか。

 だが、弦司は使えなかった。カナエやしのぶにも協力してもらって、何度か試してみたが、それでも使えなかった。

 あの時、しのぶは何と言ったか。弦司はある日のしのぶとの会話を思い出す――。

 

 

 

 

「精神的な問題かもね」

 

 

 しのぶの研究室。

 定期健診の一つである身体測定を終えた後、弦司はしのぶに言われた。

 

 

「身体能力の数値を見る限り、血鬼術が使える鬼達と、不破さんの身体能力は遜色ないわ」

「それで血鬼術が使えない理由が、精神的な問題にある、と」

 

 

 しのぶはコクリと頷く。

 

 

「通説では鬼の血鬼術の能力は、人だった時の深層心理に深く関わっているそうよ。不破さんが戦った縄鬼なんて、その典型ね。『縛る』という未練や執着が縄となり、縄を自在に操る血鬼術を授けたのでしょう」

「俺に未練や執着が足りないと?」

「その前の段階よ」

「その前?」

「不破さん……鬼の体が大嫌いでしょ」

 

 

 しのぶに指摘された通りであった。

 弦司は鬼の体が大嫌いだった。正確に言うならば、鬼となった体が嫌いで嫌いでしょうがなかった。

 人を見て腹は空く、日の光を浴びられない、眠る事もできない……挙げればきりがない。

 

 

「不破さんが血鬼術を使う鬼と違う点を挙げるとしたら、まずはそこだと思う……まあ、それとは関係なしに、折り合いはつけて欲しいわ。何て言っても自分の体だもの、好きになれとは言わないけど、嫌ったままだと苦しいだけよ」

「……」

 

 

 弦司の身を案じる様に、しのぶは心配そうに言った。

 

 

○ 

 

 

(――俺の精神的な問題)

 

 

 弦司はしのぶの言葉を思い出した。だが、結局折り合いをつける事はできていなかった。

 しのぶの気持ちは嬉しかった。しかし、鬼に対する、そして自身に対する嫌悪感は弦司の原動力の一つでもある。変えるのは難しい。

 

 

(何かないのか? 俺のまま、血鬼術を使う方法!?)

 

 

 そんな都合の良いものなど存在しない。分かっているのに、考えずにはいられない。

 何かないか。自身の内に存在する手札をもう一度、考え直す。鬼とは遠く、それでも鬼で使える武器は――。

 籠手が半ばまで壊れる。この時になってようやく、弦司の中で一つの方法にたどり着いた。

 

 

(俺の記憶――!)

 

 

 前世などと呼んでいる、弦司の体験した事のない記憶。娯楽ばかりに目が行きがちだが、人としての一生だ。確かに、戦闘に関する記憶もある。

 ――鬼の力で人の未来の力を引き出す。

 頭で何か歯車が合った気がした。足りないものが合わさり、今まで眠っていた力が表に出る。

 

 

 血鬼術・宿世招喚(すくせしょうかん)――(こう)

 

 

「死ね!!」

 

 

 籠手が砕け散る。刃が弦司の腕に触れるが、それ以上進むことはなかった。

 弦司の左腕が、漆黒へと変わっていた。それはまるで金属のように硬く、決して刃を通さなかった。

 『血鬼術・宿世招喚(すくせしょうかん)』。

 前世の記憶の中から、戦闘に転用できる物体の記憶を招喚し、体を『変化』させる。

 弦司の原点と言える『変化』と『前世』。鬼に対する嫌悪感を避けつつ、二つの原点を引き出すために生み出された血鬼術であった。

 その中でも、『鋼』は最も硬度が高いと思われる素材に、自身を変化させる術だ。並の兵器では、『鋼』を傷つける事さえ叶わない。

 弦司は再生した右腕も漆黒へと変えると、右手で鬼の刀を握る。傷つかないのであれば、刀など折れやすい細い棒と変わらない。弦司は鬼の刀をへし折った。

 

 

「――は?」

 

 

 事態に頭が追い付かないのか、弦司の目の前で堂々と呆然とし、折れた刀を眺める鬼。

 弦司はこの隙を逃さない。

 

 

「カナヲ!」

 

 

 弦司の声に応えて、カナヲは日輪刀を退く。そして、漆黒の手刀を刀鬼の両手足に向けて振るった。刀鬼の両手足は、それだけで半ばまで千切れる。

 

 

「な、何が起きている!?」

 

 

 立てなくなった刀鬼は、そのまま尻もちをついた。これで刀鬼はしばらく動けない。

 次に弦司は、カナヲの背後から日輪刀の柄に手を添える。彼女の力が足りないなら、弦司が足してやればいい。

 

 

「カナヲ!」

 

 

 弦司の呼びかけを合図に、カナヲと弦司は共に日輪刀を振った。弦司の無茶苦茶な太刀筋を、カナヲが丁寧に修正する。

 

 

「やめ――!」

 

 

 事ここに至って、ようやく鬼は自失から回復するが遅い。

 カナヲの技量と弦司の膂力が合わさった一閃は、いとも容易く鬼の頚を斬り飛ばした。頚がない体が倒れ、崩れていく。

 消える鬼を見送ると同時に、カナヲが力尽きる。

 

 

「……っ」

「カナヲ!」

 

 

 日輪刀が手から抜け落ち、崩れ落ちそうになる体を、弦司がしっかりと受け止めた。

 

 

「げん、じ……」

 

 

 カナヲは縋りつくと、弦司の名前を小さく呼んだ。

 弦司がカナヲの背中を撫でると、体を預けてくる。安心したのか、すぐに寝息を立て始めた。

 

 

「終わったのか……」

 

 

 吐瀉物と返り血でドロドロになったカナヲの顔を、袖で拭きながら弦司は呟く。

 民間人も全員逃げ出したのか、足音も悲鳴もない。鬼の気配も感じない。ただ、静寂のみが道場に満ちる。

 終わった。本当に戦いが終わった。それを理解した瞬間、今まで遮断していた情報が心に落ちてくる。

 ――死んだ。雨ヶ崎が死んだ。友が殺された。

 血だまりの上には、背中に大穴を空けた雨ヶ崎が、うつ伏せで横たわっている。

 

 

「うぅ……! 雨ヶ崎ぃ……!」

 

 

 今まで堪えていたものが溢れ出す。涙が止まらなかった。

 雨ヶ崎はカナエとしのぶ以外で、初めて弦司に心を開いてくれた人だった。鬼となって、初めてできた友だった。

 蝶屋敷を初めて訪れたのあの日。多数の隊士の中に、雨ヶ崎はいた。そして、カナエが信じたという理由で、すぐに弦司を受け入れてくれた。

 それから任務に、日常生活に、必ず雨ヶ崎はいた。彼がいたから、蝶屋敷以外にいても健やかに穏やかに過ごせた。

 常に誰かのために動いてくれた。今日だってそうだ、弦司達がいたからここまで来てくれた。

『不破さんがいてくれたから、今日も生き延びる事ができたよ』

 彼は目を細めて、よくそんな事を言って笑っていた。生き延びられたのは、お前のお陰だと、いつも返していた。だが、もう笑顔を見る事はできない。

 失った命は戻ってこない。弦司は得難き友を喪ってしまった。

 

 

「すまない……! 俺が、俺が間違ったから……!」

 

 

 後悔しかなかった。

 ――何で三体目の鬼の存在を疑わなかった。

 ――何で隊服を渡さなかった。

 ──何でカナエが来るまで待たなかった。

 ――何で雨ヶ崎の提案を断らなかった。

 ――何で今日、カナエがいないのに出かけたのか。

 いくらでも、雨ヶ崎が生き残る選択肢はあった。そして、その全てを弦司はふいにしてしまった。いくつもの判断を間違えた。

 そして何より悔しいのは、これだけ想っていても、雨ヶ崎が『食事』に見えてしまう事だった。

 血鬼術で消耗しているのもあるだろう。それでも、彼の遺体で空腹を覚えてしまう体が、素直に悼めない己が、情けなくて悔しかった。

 それでも残された者は前に進むしかない。弦司は涙を拭う。

 カナヲをどこかへ横たえるかして、雨ヶ崎の遺体を弔おう。そう考えて動こうとした時、出入り口から人の気配がした。

 民間人はすでに逃げ出している。森も、いつの間にか消えている。あれだけの騒動があったのだ、民間人は戻ってこないだろう。

 警察か、それとも隊士か。そう思い弦司が振り返ると――、

 

 

「とうとう本性を現したな」

 

 

 一纏めにした長髪。他者を寄せ付けない鋭利な視線と三日月型の口。

 風能誠一が日輪刀を抜いて立っていた。

 ――その切っ先は、弦司へと向いていた。


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