鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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誤字脱字報告、いつもありがとうございます。

分割も考えましたが、内容的に一話にまとめる方が良いと判断しました。
非常に長くなりましたが、今話はこれで終了となります。


第18話 あなたがいたから・其の肆

 カナエと弦司は夜道を肩を並べて歩いていた。

 弦司が鬼殺隊に協力するようになってから、カナエと弦司が二人きりでいる事は珍しくない。でも、今のカナエにとって、二人きりでいる時間は特別だった。いや、特別になった。

 

 

 ――昨夜、不破弦司と恋人になった。

 

 

 今までのような、一人と一人ではない。男と女。さらに深く強く、特別で()()()()()()関係となった。

 カナエは弦司を見上げる。一般男性より遥かに大きく、引き締まった体躯。均整の取れた顔立ちと、その大きな瞳から感じる優しい眼差し。見ているだけで、カナエの顔が熱くなる。

 火照った顔でさらに視線を下げれば、恋人となった彼の首元、隊服の詰襟の下から黒い帯が僅かに覗く。カナエの首元にも、同じものはある。想像するだけで、今度は別の未知なる熱い感覚が沸き立つ。

 ――二人お揃いの『防具』と心の内で唱える。

 分かっている。こんなのはおかしい。何度も己に問うた。だが、答えは決まって『彼を逃したくない』……そんな欲望に負けてしまう。

 最初は彼が幸せになってくれれば、それで良かった。だが、彼が傷つき倒れそうになる度、心揺さぶられた。彼を幸せにしたいと思うようになった。いつしか己こそ幸せにすると想うようになって……気づけば、その幸せに自身も含んで欲しくなった。

 恋とは、愛とは綺麗事だけではない。カナエは自身の欲望によって、身をもって知った。愛しているからこそ、誰にも渡したくない。離したくないと強欲になれる。

 もう嫌だった。彼が傷つく事も、奪われてしまう事も。だから、この身を捧げてでも、彼の全てを逃がしたくなくなっていった。その結実が首の『防具』なのかもしれない。

 倒錯、しているのだろう。捻じれて拗れているだろう。分かっていても、カナエはもうこの欲望を抑える事はできない。抑えたくない。彼の全てを欲し、彼が全てを受け入れてしまった以上、どうしても『防具』は外せなかった。

 ……ちなみに弦司からは、代わりに贈られた簪を着けてはどうかと提案を受けたが、やんわりと断った。簪はカナエが『防具』を着けられない時に使う予定なのだ。それまでは弦司には悪いが、何と言われようと大事にしまっているつもりだった。

 そんな特別で()()()()()()関係になったカナエと弦司であったが、昨夜は何か()()()()()()を積極的に行ってはいない。むしろ、色々失敗してしまい、艶っぽい事はあまりできなかった。結局、互いの倒錯した感情を埋めるため、真面目に話し合うだけで終わってしまった。

 だが、悪い時間ではなかった。初めてゆっくり取れた二人だけの時間で、カナエの知らない弦司をたくさん聞けた。幼少期の苦しみから始まり、数々の(多分、誇張された)武勇伝。特に前世の話は、良かった。内容が面白かったのもあるが、カナエにしか話していない……その事実が、カナエを唯一無二で特別な存在だと言外に語っている様で、嬉しくてたまらなかった。

 ただ、昨夜の時間は全てが楽しかった訳ではない。

 内容が未来に及んだ時。一年後、十年後、二十年後、二人はどうなるのか想像した。時を経るごとに人のカナエは老いていき、鬼の弦司は変わらない。分かりきった、しかし向かい合わなかった事実に、カナエは震えてしまった。

 果たしてその時が来た時、カナエは耐えきれるのだろうか。弦司は堪え切れるだろうか。それとも何かいい方法があるのか。弦司もカナエも分からなかった。

 きっとどれだけ考えても、解決策など存在しないだろう。できたのは、今の心の内をはっきりと伝え合う事だけだった。

 だが、それで良い。困難がある。それでも想い合い、一緒に居る。彼を愛しているのだと、何度でも知る。それこそが一番、大切な事だとカナエは思っていた。

 

 

「弦司さん弦司さん弦司さ~ん」

 

 

 カナエは隣を歩く弦司の名前を呼んだ。彼の名前を意味もなく呼んでみたかった……というのもあるが、いつになく緊張する面持ちの彼を落ち着かせるためでもあった。

 カナエが腕をつつくと、弦司がぎこちなく振り返る。

 

 

「どうした?」

「呼んでみただけ。弦司さ~ん」

「別の意味でドキドキするって」

「ふふ、ごめんなさい」

「……いや」

 

 

 カナエが笑顔を向けると、弦司は気まずそうに目を逸らす。

 確かに、想い合う事は大切だ。だが、想い合うだけでは全てを乗り越えらる訳ではない。困難を知った上で、何を為さねばならないのか。想いを遂げるために行動する事も、非常に大事だ。

 カナエと弦司は、二人で一緒に居続けたい。ならば、通さなければならない筋がある。

 

 

 ――家族(しのぶ)への報告。そして、交際の許可を得る事だ。

 

 

 弦司は柄にもなく緊張していた。胸の内は、しのぶに反対された場合を想定し、不安でいっぱいのようだ。意外にも、こういう()()を経験していない事も、関係しているようである。

 カナエは彼の緊張を和らげるために、敢えて軽く言う。

 

 

「弦司さんはしのぶと仲良しさんだもの、大丈夫よ」

「でも、鬼殺をやめるって話もするんだ。受け入れてくれるか?」

「しのぶは優しい子だもの、どうにかなるわ」

「……頚のこれは?」

「防具よ」

「いや、昨夜も言ったが俺はともかく、カナエは無理があると――」

「防具よ……それに、どうにもならなかったら、どうにかしてやるわ」

「お、おう……頼りにしているぞ」

 

 

 そうやって弦司を励ましている間に、蝶屋敷に着いた。

 弦司は大きく深呼吸してから門を潜ると、

 

 

「おかえり、姉さん、不破さん」

 

 

 背後から声を掛けられ、弦司は固まる。

 カナエが振り返ると、そこには目的の人物――胡蝶しのぶがいた。

 買い物の帰りなのか、割烹着姿で腕には買い物袋が下げられている。中身は薬草の類のように見える。選別をしていたら、遅くなったのかもしれない。

 しのぶの挙動に不審な点はない。いつものしのぶだ。防具には気づいていない。こんなもの、気づかれなければどうって事ない。

 カナエはにこやかに返す。

 

 

「ただいま。遅かったのね?」

「うん、ちょっと探してるものが見つからなくて。あっ、そういえば……同じ手は二回も効かないわよ、姉さん」

 

 

 門を潜りながら、しのぶは何やら自信を持って胸を張る。

 

 

「? 何の事?」

「手紙よ手紙。『紹介したい男の人がいます』って、半年前と同じ手を使って。どうせ不破さんを紹介する気なんでしょ。二度も私は慌てません」

「えっ、いや、しのぶ……?」

「信頼が篤いな、カナエ」

 

 

 弦司に指摘され、今度はカナエが気まずさから顔を背ける。しのぶへ事前に手紙を送っていたのだが、今までのカナエの所業のせいか、冗談と捉えられたらしい。

 勘違いを長引かせるのは、しのぶに申し訳ない。少しでも勘違いを短くするには、この場で正直に話すしかないだろう。

 カナエは観念して僅かに深呼吸をすると、自慢気なしのぶの前で弦司と腕を組む。

 

 

「へっ?」

 

 

 唖然とするしのぶの前で、カナエははっきりと告げる。

 

 

「分かってるなら、話が早いわ。私と弦司さん、結婚を前提にお付き合いする事にしました。どうか、私達の交際を認めて下さい」

「えっと……そういう事だから。その義兄になるかもしれんが、よろしくお願いします」

「けっこん。ケッコン。血痕……?」

 

 

 カナエと弦司は、揃って頭を下げる。

 しのぶは理解が追い付かないのか、目を点にしながらぶつぶつ何やら呟いてから――、

 

 

「えっ……ええぇぇえええぇぇっ!! 嘘!? 急に何でぇぇっ!!?」

 

 

 奇声を上げながら、なぜか庭の方へ後退していった。どうやら本当に想定しておらず、錯乱してしまったらしい。カナエと弦司は一度顔を見合わせてから、しのぶを追いかけた。

 

 

「アオイ! きよ、すみ、なほ、カナヲ~!」

 

 

 しのぶは縁側に倒れ込むと、なぜか助けを呼ぶように蝶屋敷の全員を呼ぶ。なんだなんだと、屋敷から全員が縁側に出てくる。

 

 

「どうしたんですか、しのぶ様?」

「あっ、もしかして、あの手紙の事ですか?」

「どんなイタズラだったんですか?」

 

 

 三人の問いかけに、しのぶの顔が段々と羞恥で赤く染まる。どうやら、蝶屋敷の面々に手紙の内容は全て話していたようだ。これが悪戯だと、断定した事も含めて。

 しのぶが蚊の鳴くような小さな声で答える。

 

 

「悪戯じゃなかったわ……本当に結婚するつもりっぽい……」

「だから申し上げたじゃないですか。二人で刀鍛冶の里にいる時点で、気づいて下さい」

 

 

 アオイが眉間に皴を寄せ、呆れたように頭に手をやる。そしてアオイはカナエを見て……弦司を見た。アオイの手が震えだす。まだ、恐怖を完全に乗り切っていないのだろう。それでも、弦司から目を逸らさず、逃げ出しもせず、弦司へ微笑みかけた。

 

 

「おめでとうございます!」

「……ありがとう」

 

 

 恐怖を乗り越えて、アオイが祝ってくれた。弦司はたまらず、目頭を押さえていた。親しくなった人が、鬼だからという理由で弦司の元から離れるかもしれなかった。それでも、恐怖を堪えて弦司の目の前にいる。心が震えない訳がなかった。カナエはアオイを蝶屋敷に誘って本当に良かったと、心の底から思った。

 一方きよ、すみ、なおの三人と言えば、ようやく理解が及んだのか。きゃあきゃあと黄色い声援を上げていた。

 

 

「きゃあああああ! すごいです!」

「ご結婚ですっ!!」

「おめでとうございます!」

 

 

 カナエと弦司は三人の素直な声援が嬉しかった。何の隔意もなく、二人のありのままを祝福してくれる。

 

 

「? ……ん」

 

 

 カナヲはよく分かっていないのか。何度も首を傾げ……最後には無表情で拍手を始めた。まだ、完全に心の声を聞くようにはなっていない。それでも、銅貨も投げずに行動を決めた。そんな小さな進歩が、今はとてつもなく嬉しい。

 本当に良い娘達に恵まれた。

 

 

「あれ? でも、そうなったら隊士はやめてしまうのですか?」

 

 

 きよが疑問をそのまま口にすると、上がっていた声援が一気に静まり返る。全員の視線がカナエに集まる。

 カナエと弦司はもっとちゃんと腰を落ち着けて、伝えるつもりだった。だが、ここで回答を濁すのはただの逃げだ。事ここに至っては、早いか遅いかの違いでしかない。

 カナエは静かに頷いた。

 

 

「ええ。私は弦司さんと幸せになりたい。もう鬼殺に命を預けられない。だから、引継ぎを終えたら隊士を引退するわ」

 

 

 一同が驚愕に息をのむ。中でもしのぶは、一度大きく目を見開くと、唇を噛み締め俯いた。彼女の握った拳が小刻みに震える。拳は肌が白くなるほど、強く握られていた。

 

 

「……本気なの……?」

「ごめんね、しのぶ。『まだ破壊されていない誰かの幸福を守る』。『私達と同じ思いを他の人にはさせない』。約束したのに、私から破って」

「姉さん……!」

 

 

 カナエはそっとしのぶの体を抱き締めた。カナエの腕の中に、すっぽりとしのぶの体は収まる。本当に華奢で小さな体だった。

 ――鬼殺隊を辞めさせたい。

 それがカナエの嘘偽りのない本心だ。だが、カナエは知っている。しのぶの持っている鬼に対する感情は、カナエの抱いている物と正反対である事を。

 カナエの内にあるのは、ただただ哀れみと憐憫だった。それがあったからこそ、弦司と分かり合う事が出来た。だが、しのぶは違う。燃え盛る憎しみの炎を、胸の内に秘めている。弦司を受け入れてくれたのは、彼女が本当は優しい娘だから。それでも、憎しみの炎が消えない内は、例え鬼の頚が斬れなくても、毒が効かない鬼がいても、しのぶは鬼殺をやめないだろう。

 しのぶの鬼殺を止める事はカナエにはできない。カナエは己の幸せを見つけた。しのぶにも見つけて欲しい。カナエにできる事は、それを伝える事だけである。

 

 

「今、私、すごい幸せなの。夢も叶って、好きな人もできて、彼が私の全てを受け入れてくれて……私はこの幸福を、一時でも長くしたい」

「姉、さん……」

 

 

 しのぶの声は湿っていた。カナエは微笑むと、優しくしのぶの頭を撫でる。

 

 

「私は弦司さんを人に戻して、もっともっと幸せになりたい。だから……ごめんなさい。私は鬼殺隊を続けられない。彼を人に戻すために、全てを尽くしたい」

「……」

「我が儘ばかりの、ダメな姉でごめんね」

「……ダメ、じゃない」

 

 

 しのぶがカナエを抱き締め返す。小さな体で精一杯の力を込める。

 

 

「相手が不破さんだったり、そんな重大な事、勝手に決められて色々言いたい事あるけど……姉さんが幸せならいいわ。認める」

「しのぶ」

「今までありがとう。私の前を走って、みんなの幸福を守ってくれて」

「そんな事――」

「そんな事、ある。こんな大きな屋敷で、鬼の研究を憚る事なくできているのは、姉さんのおかげよ。姉さんがいなければ、私はここまで生きてなかった」

 

 

 カナエは言葉に詰まった。二人で幸福を破壊されていない誰かの幸福を守る。そう約束したが、先に柱になったのはカナエで、その恩恵に授かっていたのはしのぶだ。知らず知らずのうちに、カナエの守る幸福にしのぶが入っていたのかもしれない。

 しのぶが見上げる。涙の溜まった瞳は、しかしいつもの勝気で強い力を込めて、カナエを真っ直ぐ見つめる。

 

 

「今度は私が姉さんの、破壊されていない幸福を守る。そして、姉さんみたいに誰かを救ってみせるから……もう謝らないで」

「しのぶ……」

 

 

 カナエは堪らず、もう一度しのぶを抱き締めた。

 この半年間、カナエと弦司の身勝手で何度もしのぶを振り回した。その度に、彼女は愚痴を言いつつも離れずついてきてくれた。そして気づけば、一人の立派な隊士として成長し、羽ばたこうとしていた。本当にカナエの自慢の妹だった。

 

 

「本当に成長したわね」

「誰かさんが振り回すから」

 

 

 しのぶはカナエの腕の中から離れると、はにかみながら微笑んだ。カナエはつい嬉しくなって、蝶の翅を模した羽織を脱いだ。困惑するしのぶに、そのまま手渡す。

 

 

「なら、この羽織はしのぶにあげるわ~」

「えっ」

「大事に使ってね~」

「いや、ちょっと、待って! さすがにこれは今の私には荷が重すぎる!?」

 

 

 慌てるしのぶを見て、全員が笑う。

 きよ、すみ、なほは大声援を送り、アオイは夜だからもう少し静かにと、口元を緩めながら苦言を呈し。

 弦司は――カナエを見て笑った。優し気な容貌を幸福に染めた、本当に幸せそうな笑顔だった。

 

 

「胡蝶カナエちゃんと裏切り者いる?」

 

 

 ――なのに、何で。

 こんなに幸せなのに。こんなにみんな笑い会えているのに。

 何でそいつがここにいるのか。

 

 

「やあやあ初めまして」

 

 

 全員が振り返る。気づけば、そいつは庭にいた。

 白橡色の髪に、虹色がかった瞳。優し気な容貌は青白い肌も相まって、非常に整って見える。

 彼が冠のような帽子を取ると、まるで血を被ったような模様が現れる。

 

 

「俺の名前は童磨」

 

 

 にこにこと屈託なく笑い、穏やかに優しく喋る。

 だが、その様相とは正反対のモノが右手に握られている。

 長髪を後ろで一纏めにし、瞳はまるで鋭利な刃物のように鋭い。口も大きく三日月を描いている。冷たい印象を受ける男――風能誠一の生首。

 誰も一言さえ発せられない。肌を刺し貫く強烈な気配も、風能の生首も、濃厚な血の匂いも、カナエ達にとっては些細な問題だ。

 

 

「わあ、若くて美味しそうな女の子ばかりだね!」

 

 

 左目に『上弦』。

 右目に『弐』。

 鬼舞辻無惨直属の鬼・十二鬼月。

 その内の百年以上討伐記録のない、上位六体『上弦』の『弐』番目。

 

 

「今日は本当にいい夜だねぇ」

 

 

 カナエの柱としての知識と経験が、確信を持って告げる。

 

 

 ――今日、胡蝶カナエと不破弦司は死ぬ。

 

 

 いつだって、幸福は薄い硝子の上に乗っている。

 

 

 

 

 風能誠一にとって、鬼は唾棄すべき存在だった。だが、それは両親を殺されたからでも、兄弟子たちを殺されたからではない。自身の努力に唾を吐きかけたからだ。

 風能は剣術道場の跡取り息子だった。継ぐに相応しい技術を備え、努力も重ねた。多少傲慢ではあったものの、上に立つ者の姿勢として受け入れられた。誰もが彼の才能を称え、認め、門下の繁栄を確信していた。

 ――突如として、鬼が現れた。

 両親と門下生が倒れる中、風能は一人で鬼に立ち向かった。都合五度、人間であれば間違いなく即死する一撃を与えた。それでも鬼は倒れなかった。自身の結晶を『鬼だから』。それだけで、全てを無に還された。

 寸での所で鬼殺隊に助けられ、九死に一生を得た。だが、自身の血の滲むような努力に唾を吐きかけられ、積み重ねた全てを踏み躙られた。風能は鬼という存在そのものを憎むようになり、鬼殺隊へ入隊した。

 風能は完全に歪んでしまった。鬼という存在を抹殺する。自身の才を認めさせる。隊士や一般人がどうなろうと、後はどうでもいい。それが風能誠一という隊士だった。それでも、剣術の腕前だけは同期から抜きんでていた事もあり、風能は順調に階級を上げていった。

 だが、風能の不満は晴れなかった。鬼は片端から滅殺した。階級は上がった。しかし、他の隊士は自身を認めないばかりか、同期ばかりを褒めちぎった。

 剣の才能のない無能と、鬼の頚も斬れない落ちこぼれ。

 なぜ、あんな奴らが褒められるのか。それどころか、なぜあいつらと力を合わせろと、指図されるのか。風能は不満ばかりが募っていった。

 ――そんな時だ、風能がその女性に出会ったのは。

 子どものように小柄で、左腕のない美しい女だった。特に金色に染まった頭髪はふわふわと雲のように柔らかく、見ても触っても飽きそうにないと思った。

 その女性――()()()は、薄汚れた着物で『どこにも行く宛てがない』と風能に助けを求めた。風能は興味本位で、彼女を家に匿った。

 最初は使うだけ使って、捨てようと考えていた。きくのは、何をしても嫌がらなかった。それどころか、風能が苛烈に扱う度に、優しくそれでいて恍惚の表情で受け入れた。

 

 

「貴方様は素晴らしいお方です」

 

 

 それがきくのの口癖だった。褒められるのは何年ぶりだったろうか。長い間、風能は誰にも認められてなかった事を、この時自覚した。

 彼女の言葉は、快楽そのもののようであった。聞けば聞くほどやめられなくなる。いつしか風能は、不満の捌け口を彼女に求める様になり、手放せなくなった。

 

 

「貴方様のおかげで、私は救われました」

 

 

 きくのはしきりにそう言った。ただの快楽の道具としか見えていない風能は、その度に座りが悪くなった。

 それだけではない。風能が帰れば彼女は必ず迎えてくれる。常に温かい食事と風呂は用意され、衣装は新品のように綺麗だった。

 

 

「貴方様は素晴らしいお方です」

 

 

 感謝を言えないでいる風能を、やはりきくのは褒めた。

 きくのの命を助けたのは風能だ。だから、彼女を良いように使うのは当然。そう思っているのに、彼女の好意が眩しい。居心地が悪かった。

 だからだろうか、つい目を引いた黄色の簪をきくのに渡してしまった。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 彼女は涙を流して、大切にすると喜んだ。気づけば、膨れ上がっていた不満が萎んでいた。

 多少、一般人や他の隊士に目を向けるようになった。

 

 

 少しずつ風能は変わっていっていた日々。夜に帰宅すると、きくのが泣いていた。

 訳を訊ねるが、きくのは中々話そうとしなかった。追い出すと脅しつけて、初めて話し始めた。

 きくのは藤の花の家紋の家の人間だった。

 藤の花の家紋。それは鬼殺隊に一族の命が救われ、無償で援助を行う家の事だ。きくのは、その家の生まれだったが、()()()()()として育てられたらしい。

 理由は二つ。

 まず、髪の色だ。きくのの両親は二人とも黒髪だったらしい。らしい、というのは母親が出産の際、殺されてしまったからだ。

 黒髪の両親から、きくののような金髪の子どもが生まれる……よほどのお人好しでなければ、不貞を疑うだろう。もちろん、きくのの父親は不貞と断定した。だが、憎むべき妻はこの時すでにこの世にいなかった。やり場のない憎しみは、一身にきくのに注がれてしまった。

 そして、もう一つの理由は鬼殺隊に命を救われた事。出産の際、鬼に襲撃され殺されてしまったそうだ。そこを、鬼殺隊が救った。

 きくのの父親は、藤の花の家紋を掲げている事を、常に誇りに思っていた。だからこそ、鬼殺隊に命を救われたきくのを憎みはしても、命までは奪えなかった。

 二つの理由が重なり合った結果、彼女は()()()()()として育てられた。

 だが、風能には()()()()()として育てられた事と、涙が結びつかなかった。

 さらに訊ねると、きくのは初めて美しい顔を憎しみに染めた。

 

 

「鬼殺隊に所属している鬼が、我が家に来ました」

 

 

 最近、噂になっていた、鬼殺隊に協力する鬼。そいつがきくのの家に訪れ……父親は殺されたらしい。幸い、閉じ込められていたきくのに鬼は気づかず、密かに風能の元まで逃げてきたとの事だった。

 風能には分からなかった。何を泣く事があるのか。理不尽に虐げる親はいなくなり、苦しみから解放された。少なくとも、当時よりはマシな生活を送っているはずだ。

 何が不満か風能は訊ねた。

 

 

「分かりません。ただ、唯一の肉親は殺されたのに、貴方様には幸せにしていただいて……急に、悲しくなったのです」

 

 

 きくのは風能には訳の分からない事を言って「忘れて下さい」と付け加えた。

 意味は全く分からなかった。きくのも、その鬼の行動も。ただ、その鬼はいない方がいいと風能は判断した。

 早速、鬼を殺す事にした。どうせ鬼だ、殺した所で何もない。何より、きくのは風能のモノだ。人のモノをかき乱しておいて、生かす訳にはいかない。

 一度目は不快な同期共の妨害で失敗した。

 二度目は柱が立ち塞がり、何もできなかった。

 どいつもこいつも風能を認めず、鬼ばかりを認める。鬼という存在自体が唾棄すべきものなのに、誰も彼も分かろうとしない。

 何より、きくのを()()()()()として扱う。誰もきくのの言葉を認めようとしない。

 証拠を出せと、証人を出せと口喧しく盆暗な隊士が言う。風能は知っている。その口で、きくのに何をさせたのかを。きくのをどうやって扱ったのかを。

 全てをぶちまけるのは簡単だ。だがそうした時、傷つけられるのはきくのだ。いや、傷つくのはまだいい。きくのを匿っていると知られ、取り上げられるのを風能は何よりも恐れていた。

 なぜ、と思う。しかし、何も分からない。

 苛立ちだけが募った。それをきくのは敏感に感じ取った。

 

 

「もうやめて」

 

 

 それは初めての反抗だった。

 黙れと何度も風能が言って蹴り飛ばしても、みっともなく縋って、這い蹲って、乞うた。

 あまりにも必死だったので、風能は訊ねた。本当にやめて良いのか、と。

 良いと言えば、やめていた。だが、きくのは束の間、視線を泳がせた。

 本当の事を言えと。さもなければ本当に放り出すと、風能は言った。

 

 

「殺して下さい。我が父の敵を討って下さい」

 

 

 大粒の涙を流して、きくのは言った。きくのを拾った時以来の、彼女の懇願だった。

 涙の意味は分からない。だが、女が男に打ち明けた願いは叶えねばならない。

 

 

 ――そして、三度目。

 

 

 風能は鬼を殺そうとしたが、鬼殺隊は取り合わず。それどころか、柱が立ち塞がり風能に大けがを負わせた上、鬼殺隊から風能は追放された。

 なぜだ。自身が正しいのに。何度も鬼は、風能の邪魔をするのか。鬼が、不破弦司が、許せなかった。それでも、もう剣も握れない風能に、為す術はない。

 家族を失い、道場主としての未来も失い、今、鬼殺の道も失った。

 今度こそ全てを失い……風能が思い至ったのはきくのだった。きくのだけしか、残されていなかった。

 覚束ない足取りで帰宅した家には、誰もいなかった。風能の胸には、まるで大きな穴が空いたかのように、空虚であった。

 しばらく呆然としていると、違和感を覚えた。そこかしこに、きくのの物が置いてあった。何かがあったとしか、思えなかった。

 家を捜索すると、走り書きを見つけた。

 ――見知らぬ男が家の周囲をうろついているから、例の場所へ行く。

 例の場所とは、何かあった場合に行くようにと伝えていた、風能の両親が遺した家屋の一つだった。

 風能は必死に向かった。途中、誰かにつけられないよう、何度も道を変え、姿を変えた。

 辿り着いた先に、きくのはいた。

 

 

「貴方様!」

 

 

 ふわふわとした金色の長髪。僅かに吊り上がった大きな青い双眸。大人びた容姿に合わない、小柄な体躯。

 そこには、いつものきくのがいた。

 風能は涙を流して、初めて人に謝った。

 約束を守れなかった事。それどころか、利き腕の自由を失い、もはや剣士として働けない事。

 もう何の役にも立てない。ただの無能になってしまったと、何度も何度も謝った。

 

 

「貴方様は素晴らしいお方です」

 

 

 きくのは全てを静かに聞き、それでもいつものように褒めた。

 

 

「もう鬼の事など忘れましょう。忘れて()()と静かに暮らしましょう」

 

 

 聞けば、きくのの中には新しい命が宿っている、と。

 もう鬼も剣術もどうでもよかった。誰にも認められなくとも、きくのさえ一緒に居てくれれば。

 

 

 ――だが、数日後。きくのは忽然として消えた。

 

 

 必死になって探した。彼女が。彼女だけがいれば。それだけでいいと、祈った事もない神に、何度も何度も願った。

 夜。風能の前に現れたのは、きくのではない。

 

 

「胡蝶カナエちゃんと裏切り者について、教えてくれないかな?」

 

 

 頭から血を被ったような鬼が、にこにこと優しく訊ねる。

 左目には『上弦』、右目には『弐』の文字。

 その鬼は、十二鬼月の『上弦の弐』であった。

 だが、風能にはそんなもの、どうでも良かった。その鬼の右手に握られた黄色の簪。

 風能は震えが止まらなかった。

 

 

「その簪の持ち主を、どこへやった……!」

「大丈夫だって、彼女にはまた会わせてあげるよ。だから、胡蝶カナエちゃんと裏切り者について、教えてくれないかな?」

 

 

 鬼など信用ならない。平気で嘘を吐き、人を騙し、食い物にする。何一つ信じられなかった。

 だが、相手は上弦の鬼だ。奇跡など、万が一にも有り得ない。

 風能は迷った。鬼は信じられないが、風能では鬼に勝つ事ができない。

 そんな風能に、諭すように、優しく鬼は語る。

 

 

「ねえ、君にとって大切なものって何? 胡蝶カナエちゃん? 裏切り者の鬼? それとも――この簪の娘?」

 

 

 鬼は黄色の簪を見せつける様に、ヒラヒラと揺らした。

 風能の腹の底から、熱いモノがこみ上げる。鬼に対する憎悪が沸き立つ。

 彼にとって、分かり切った問だった。きくのだ。きくのが大切に決まっている。助けたい。この鬼をぶちのめして、すぐにでも助けたい。だが、今の風能にその力はない。どうやっても勝てないなら、従うしかない。それが例え、蜘蛛の糸のように細い可能性であっても、きくのと子どものためなら、耐えるしかない。

 

 

「……本当に、会わせるんだろうな……!」

「もちろんだよ」

 

 

 欠片も信用ならなかった。だが、風能は頷くしかなった。柱や鬼がどうなろうと、風能には関係ない。きくのさえ無事なら、後はもうどうでも良かった。

 すぐに蝶屋敷へ案内した。

 

 

「案内した。早く彼女に会わせろ……!」

「いいよ」

 

 

 上弦の鬼は扇を振るった。風能の首が落ち、体が音を立てて崩れ落ちる。

 首から大量の血が流れ、血だまりを作る。首のない体を鬼は掴むと体に押し当てた。次第に体は鬼の体に沈んでいく。

 

 

「特別に男の君も喰べてあげるよ。家族一緒に、俺と共に永遠を生きていこう」 

 

 

 目を閉じ、鬼は穏やかに告げた。

 目を開けると、風能の生首を掴み蝶屋敷の門を潜る。

 ――跡には血だまりと、黄色い簪だけが残された。

 

 

 

 

 彼女にとって、この世は地獄だった。

 生まれた時には不貞の子だと、謂れのない罪で父と名乗る男に虐待された。この金色の髪が、お前の罪の証だと言われた。なのに、鬼狩り様に助けられた命だから生かされた。

 外には()()()()()として扱われ最小限の食事のみ与えられ、普段は暗い土蔵に閉じ込められた。

 男が彼女に教えたものは二つ。

 一つ目は、鬼という化け物について。

 この世には鬼という恐ろしい生物がいるらしい。いくら血を流しても死なず、人を喰らい不幸せにする化け物だと教えられた。

 二つ目は、自身の家が藤の花の家紋の家である事。

 化け物を日夜狩り続ける集団・鬼殺隊がいるらしい。彼らは鬼から人々の幸せを守り続けている。そんな尊敬すべき彼らを手助けするのが、藤の花の家紋の家という事だった。

 彼女にとって、どうでも良かった。だが、少しでも否定すると数日は食事を抜かれる。いつ、男の気が変わるか分からない。彼女が生き続けるには、その二つを唯一の価値観として、脳裏に刻み込むしかなかった。

 そんな苦しい日々、男は彼女がいずれ勝手に野垂れ死ぬだろうと思っていたようだが、彼女は生き残った――いや、生き残ってしまった。

 その当時、すでに家は傾き始めていた。当たり前だが、無償でいつまでも援助するなど、無理があったのだ。それでも、男にとって藤の花の家紋は誇り。何としてでも、鬼殺隊に報いようとし……男は彼女を鬼殺隊に使う事にした。

 皮肉な事に、彼女は美しかった。最初は渋っていた隊士も、彼女の美しさにやられて、言われるがままに彼女を使った。慣れてくると、それは段々と苛烈さを増していった。

 さすがの彼女も耐えられなくなり、隊士の一人に救援を求めた。だが、現状を良しとする隊士は取り合わなかった。

 彼女は初めて、家を逃げ出した。だが、みすぼらしい身形で、金色の髪をした不審な女に取り合うような人間はどこにもいなかった。また、外見で誰にも見向きにされず。このまま手を差し伸べられず、飢えて死んでいく……。

 ――そんな時、彼女はとある宗教団体の名を耳にした。

 そこは、駆け込み寺のような事をしているらしかった。彼女はそこへ逃げ込んだ。

 『万世極楽教』。

 それが、その宗教団体の名だ。

 教祖は白橡色の髪が美しい、若い男だった。

 『万世極楽教』に難しい教えはなかった。穏やかな気持ちで楽しく生きなさい。辛い事や苦しい事から、逃げても構わない。

 ――もうあの地獄にいなくてもいい。

 そんな風に言われたような気がして、彼女は泣いた。

 名前を聞かれて、彼女は咄嗟に『メアリ』と名乗ってしまった。あの地獄で使われていた名前を使いたくなくて、耳にした外国人の名前を適当に言ってしまった。だが、それが非常にしっくりきて、そのまま使う事にした。

 

 

 

 

 メアリにとって『万世極楽教』は極楽だった。常に穏やかな気持ちでいられて、辛い事も苦しい事もない。本当に幸せだったが……その気持ちは長くは続かなかった。

 ――教祖が鬼だった。

 幼い頃から、人を喰い物にする恐ろしい化け物と教わってきた。だが、人の幸せを守る鬼殺隊には救われず、鬼にメアリは助けられた。

 無理やり刻み込まれた価値観は、一瞬で壊された。いや、()()()()()()

 メアリは気づけば大笑いしていた。

 

 

「鬼を恨めと教えられた者が、鬼に助けられるとは……滑稽でございますね!」

 

 

 笑うメアリに、教祖は自身の『善行』を語ってくれた。

 

 

「この世に神も仏もない」

「生きている限り、辛くして苦しい事ばかりだ」

「でも、死を恐れなくていい。俺が君を喰べてあげるから」

「君は俺と永遠を生き続ける事ができる」

 

 

 メアリは心を打ち抜かれた気分だった。

 教祖の言う通り、この世には救いも何もない。でも、誰もが死ぬのは怖い。メアリもここまで生きてしまった。そんな哀れで気の毒な人間を、鬼の教祖が喰べて下さる。

 そして、鬼は永遠だ。メアリの苦しみを止めるばかりか、永遠の一部と成れる――。

 教祖とは、鬼とは、こんなにも神々しい存在だったとは。メアリは彼らに心酔した。必ず彼らに『救済』してもらう。だが、それまでにこの汚い命をもって、何か一つ報いたい。

 メアリは静かに決意した。

 

 

〇 

 

 

 ――その女が来なければ。

 ――そもそも、無惨が訪ってこなければ。

 ――さらに言えば、不破弦司が鬼となり無惨に逆らいさえしなければ。

 ――その女はただの童磨の食糧で終わっていただろう。

 メアリと名乗った女だった。小柄で真っ白な着物を着崩し、煽情的な体を曝した金髪の女だった。

 不貞の結果、生まれてきた子どもであるメアリは、父親に虐待されていた。だから『万世極楽教』へ逃げてきた。そして、信者となり『救済』を求める。よくある話だった。

 普通と異なっていたのは、藤の花の家紋の家の生まれであった事だった。そして、童磨を鬼と知ってもなおも『善行』を賞賛し『救済』を求めてきた。

 童磨が鬼と知って逃げ出さない人間は珍しい。鬼の恐ろしさを知る藤の花の家紋の家であれば、なおさら希少だ。童磨は面白いと思った。だから、しばらく手元に置いた。

 童磨から見て、彼女は可哀想な人間だった。

 親には虐待され家は貧困し、それでも見栄のために無償で鬼狩りに奉仕させられた。それでも()()()()()として扱われ、もてなした鬼殺隊士には『家庭の事情』だからと相手にされなかった。そして、『万世極楽教』では今までの価値観を粉砕され、童磨を心酔し『救済』される事を、この上ない幸福と捉えている。

 彼女にはもう童磨の『救済』という死しか残されていない。哀れだった。だからもう狂わないように、そろそろ喰べてあげるつもりでいた。

 

 

「童磨、私の支配を逃れた鬼がいる」

 

 

 白い中折れ帽を被り、黒いジャケットを羽織ったモダンな紳士。まるで作り物めいた美しさを持った容貌を持っており、肌は青白いほど白い。

 ――鬼舞辻無惨。

 童磨が敬愛して止まない主が、自ら足を運んで『万世極楽教』の本山までやってきていた。ただし、その表情は不快の一つ。

 無惨はメアリを喰べようとしたその日、突然訪れた。

 童磨は教祖の定位置である玉座から離れると、いつもの笑顔を持って無惨に接する。喰べられようとしていたメアリも、童磨に倣って平伏した。ただし、その表情には歓喜しかなかった。

 

 

「あの珠世に続いてですか? 馬鹿な鬼もいたものだなあ」

「お前には、そいつを連れてきてもらう」

「殺さないのですか?」

 

 

 珠世については、しきりに殺せと言っていた。意外に思い、童磨は疑問を返す。

 

 

「そいつの体には少し興味がある。何より――」

「?」

「散々私をコケにしてくれた。報いが必要だ」

「それは確かに!」

 

 

 笑顔で賛同する童磨。しかし、無惨の反応は芳しくなく、目を細める。

 

 

「見つけて連れて来い、童磨」

「承知いたしました! それでその鬼はどのような容貌で?」

「それも含めて調査して、見つけて連れて来い」

「えっ」

 

 

 さすがに驚く童磨に、無惨はそれでも連れて来いと念を押す。

 童磨は頭を掻く。

 

 

「そうは仰られましても、俺は探知探索が不得手でして。如何したものか……」

 

 

 思案する童磨を、ますます無惨は不機嫌そうに睨み付ける。さてどうしたものか、目玉の一つでも捧げて詫びるしかないか。そう考えていた時の事であった。

 隣のメアリが手を挙げた。

 元々、快く思っていなかったのだろう。人間の介在に、無惨は額に青筋を浮かべて童磨を睨み付ける。

 

 

「童磨、これはどういうつもりだ?」

「申し訳ありませぬ。ですが、これは中々面白い人間でして――」

「神祖様! この私にも手伝わせていただけないでしょうか!」

 

 

 メアリはまるで無惨が何なのか、分かっている上の言動であった。

 それでも無惨は手を振るった。メアリの左腕が飛び、鮮血が舞う。しかし、傷を受けた当のメアリは叫ばない。それどころか、恍惚に表情を変える。

 

 

「ああ……高貴なる鬼をお産み出しになる、神祖様に触れていただいた……!」

「この通り、立場を弁えている人間でございます。少し話を伺うのも面白いかと」

 

 

 心酔しきった女の姿に、無惨の目に興味の色が灯る。

 

 

「……いいだろう」

 

 

 童磨はニヘラと笑うと、メアリの傷を手当てしながら尋ねる。

 

 

「君に何か良い案はあるかい?」

「き、教祖様!? 貴方様に、このような事、畏れ多くて私は――」

「いいから。ほら、知恵を貸してくれるかい?」

 

 

 童磨は事情を簡単に説明した。無論、無惨については一言も話していない。ただ自身と同じ鬼であるにも関わらず、救いを捨てた馬鹿者を殺したいと。救いを壊す鬼殺隊に入ったと。そう伝えた。

 メアリはその鬼を知っている様で、

 

 

「時間は掛かりますが、腹案がございます」

 

 

 メアリは自身の血だまりの上で、すぐににこやかに答えた。ますます無惨が興味を示す。

 

 

「産屋敷は巧妙に隠している。他の鬼も調査を行っているが、未だ尻尾すら見せない。お前はどうやって探すつもりだ?」

「私が探す必要はありません。知っている者に……例えば、鬼殺隊に話してもらうのです」

「それができていたら苦労はしない」

「それは貴方様方が高貴な血筋ゆえです。清らかさ過ぎる空気は、下々の者には毒なのです。ならば、私のような下賤な薄汚れた人が働きかければ、同じく下賤な隊士は口を緩めるでしょう」

「……やってみろ」

 

 

 無惨はそれだけ告げると去っていった。残されたメアリは、再び恍惚に表情を染める。

 

 

「ああ、任されてしまいましたわ! 神祖様に、私のような下賤な人間が!」

「それで、君はどうやって情報を聞き出すんだい?」

 

 

 主が興味を示した人間。面白半分に手元に置いた人間ではあったが、童磨ももう少しこの女を観察したいと思うようになった。

 

 

「古今東西、情報を抜き出す簡単な方法がございます」

「へぇー! そんなのがあるんだ! 一体、何?」

「女、でございます」

 

 

 メアリは血煙の中で体をくねらせ、目を細めた。

 

 

「下賤には下賤のやり方を見せてあげましょう」

 

 

 ――こうして、本来であれば有り得なかった策謀が始まった。

 

 

 

 

 メアリの出した最初の指示は、彼女の家族を殺す事だった。

 家族に思い入れなどない童磨ではあったが、その他の人間にとってはそうではないという事を、知識で理解していた。

 だから、念のため訊ねた。

 

 

「本当にいいのかい?」

「教祖様のお気遣いが身に沁みます! ですが、ご無用でございます」

 

 

 心の底からの言葉なのか、非常に顔色は明るい。あまりにも童磨の知識から離れた姿に、疑問をそのまま口にする。

 

 

「それは俺のため? それとも、親が憎いから?」

「教祖様、私は貴方様の『万世極楽教』にお救いいただきました。今、あの燻るばかりの暗い感情はなく、明るくいられるのは教祖様のおかげでございます。このご恩を、私は少しでもお返したい」

「それだけかい?」

「――教祖様の真似事と私怨を少々」

 

 

 メアリは気恥ずかしそうに、頬に手を当てて笑う。ただしその目の奥には、確かに憎しみがあった。

 

 

「私の家は藤の花の家紋の家でございます」

「ああ、何度も聞いたよ」

「はい。彼らは家が傾いているのにも関わらず、無償で鬼殺隊などというならず者を支援し、娘は()()()()()として扱いながらも虐げる。穢れた血だと罵るくせに、鬼狩り様に救われた命だからと生かす。子どもでも気づく矛盾に、いつまでも気づかず続ける……あまりにも、可哀想だと思いませんか?」

 

 

 すでに傾いた家に、無償の支援など続くはずがない。終わりが近づいている。だというのに、それさえも分からず奉仕を続け、矛盾した心理で娘を生かし続ける。確かに彼女の言う通り、あまりに頭が悪すぎて可哀想と童磨は思った。救済が必要だ。

 

 

「うん、そうだね」

 

 

 頷いてあげたら、それだけで天にも昇ったかのように、彼女は有頂天になった。

 彼女も哀れだった。童磨と同じ思考にたどり着いた。頭が悪くなければ、死んでも無に還す事ぐらい分かるはずだ。なのに『鬼になる』。そんな簡単な結論も思いつかない。半端に頭が良くて可哀想な女だった。

 にこにこと童磨が笑っているためか、メアリは調子に乗ってそのまま続ける。

 

 

「鬼殺隊などという気狂いどももそうです。家庭の事情だからと、異国の血が流れているからと、隊士どもは見て見ぬふり。目の前の不幸に何もできないような無能どもが、なぜ神祖様に敵いましょうか? そもそも、神祖様は災害と同じです。なぜ、地震や雷に歯向かおうとするのですか? 天災に遭ったのですから、早くに忘れ日銭を稼いで過ごせばよいのに。鬼という高貴な者を人以下に考える事も愚かです。老いも病も克服し、闇夜を支配する! 何と高貴な事でしょう……! そんな簡単な事にも気づけない……彼らにも救済は必要でしょう」

 

 

 メアリの出す結論に、童磨は否やはない。彼女も喜んでいる。ならば、思い悩む事はない。

 童磨はメアリの指示に従い、彼女の父親を殺した。

 メアリは父を殺された直後に、一人の隊士の家に転がり込んだ。

 

 

 そこから先は、手紙だけのやり取りとなった。手紙自体は『万世極楽教』の信者が行う。余程、メアリを疑ってかからなければ、童磨との繋がりは見えてこない。

 すぐに成功の報告は届いた。風能誠一という隊士の家に、彼女は住み着いていた。あまりに鮮やかな手際だった。

 手紙には、成功の理由が書かれていた。

 

 

『彼は自尊心の塊でございます。俺はこんなにすごいのに。俺はこんなに偉大なのに。誰も彼もが口にするのは、欠陥剣士と才能なし。そんな可愛らしい彼に閨でそっと囁くのです……貴方様は素晴らしいお方です、と』

 

 

 そして最後には、『彼も戦う愚かしさを痛感し、教祖様と一つになればいい。万世極楽教バンザイ』との言葉で、締めくくられる。

 手紙が来る度に、風能とメアリは親密になっていった。童磨も恋愛とは知識で知っていた。実際手紙越しで目の当たりにして、こんなにも頭の悪くてもどかしいものだと、初めて理解した。

 気づけば、童磨はメアリの手紙を待っていた。三文小説を読んでいるみたいで、良い暇つぶしになった。

 そんなやり取りが数カ月続いた頃――。

 

 

「私の支配を逃れた鬼が分かった」

 

 

 鬼舞辻無惨が童磨の前に、再び現れた。首を垂れる童磨。そして、無惨を通して、裏切り者の姿を確認する。

 優し気な風貌をした、容姿の整った男であった。どうやら、鬼との小競り合いで容姿を暴いたようだった。

 

 

「それで私はどうすれば――」

 

 

 情報を伝えるなり、無惨は童磨の頚を斬った。童磨の生首を掌に乗せ、無惨は糾弾する。

 

 

「この数カ月、一体何をしていた童磨?」

「あの人間の女に、情報収集をさせておりました」

「その割には何も報告がないが、どういうつもりだ?」

「返す言葉もございません」

 

 

 無惨が苛立たし気に舌打ちをすると同時に、琵琶の音が鳴る。

 ――琵琶鬼・鳴女。

 無惨のお気に入りの鬼だ。琵琶の音色と共に、空間を操作する血鬼術を扱う。

 琵琶の音と共に、金髪の女が童磨の体の隣に現れた。

 

 

「えっ!? これは、一体――!?」

「女、裏切り者はどうした」

「神祖様!?」

 

 

 慌てて平伏するメアリ。無惨は童磨の頭を彼の体に向けて投げてから、彼女に近寄る。

 

 

「どうした?」

「さすが神祖様でございます! これから報告に伺おうと考えていた所で、お呼びいただけるとは!」

「……言ってみろ」

 

 

 僅かに無惨は緊張した空気を緩ませて、メアリを促す。彼女は平伏の下で、恍惚な表情で続ける。

 

 

「とうとう篭絡した隊士が、鬼殺隊を追放されました!」

「……何?」

 

 

 凶報としか聞こえない報告に、無惨は一度眉根を寄せる。しかし、メアリはそれこそ待っていたのだと、喜色を浮かべる。

 

 

「家族も失い、鬼殺隊も追放され、利き腕も満足に動かせない。最早、彼に残されたものは私だけでございます! ここで童磨様が私を人質にして脅していただければ、私しか残されていない彼は、どんな事をしてでも私を救おうとします――鬼の命など、真っ先に捧げるでしょう! 全ては私の計画通りでございます!」

「……」

 

 

 無惨の視線が、理解できないモノを見る目に変わった。

 人間とは、弱く愚かな生き物だ。奪われれば激昂し視野を失う。例え鬼が相手でも盾突く。だが、この女は進んで人間を追い込み、鬼に全てを捧げさせようとしている。確かに便利だ。しかし、こんな人間を無惨と童磨はよく知らない。無惨にとっても童磨にとっても、メアリは全く思考外の理解できない存在となっていた。

 

 

「童磨」

「はっ」

「後は任せる。その女は自由に使え。とにかく、例の鬼を連れて来い」

 

 

 それだけ言い残すと、無惨は琵琶の音と共に姿を消した。

 

 

「それで君はこれからどうするつもりだい?」

「最後の一押しを行い、彼を私に依存させます。然る後、仕上げを教祖様にお願いいたします……ええと、それでは元の場所にはどうやって――」

 

 

 メアリも琵琶の音と共に消える。童磨だけが残される。

 

 

「何だか俺だけ何もしてないような気がするのだが……仕上げを手伝うならいいか」

 

 

 童磨は満面の笑みを浮かべると、頭と体を繋げた。

 

 

 

 

 メアリからの手紙はすぐに来た。

 すでに風能は篭絡したから、指定の場所に来るようにあった。

 童磨はすぐに向かった。月の綺麗な夜だった。

 竹林に囲まれた、風情のある平屋がある。竹林の中に、童磨は呼び出された。

 メアリはすぐに見つかった。彼女は童磨を見つけるなり、土の上に平伏する。

 

 

「教祖様、お越しいただき恐縮でございます!」

「いいよ。それで、準備は整ったのかい?」

「はい! もう彼は私に依存しています! 後は教祖様の一押しで終わるでしょう!」

「すごいね! それじゃあ、君を人質に――」

「それでは私を『救済』下さい!」

 

 

 メアリは顔を上げると、蕩けそうな笑みを童磨に向けた。

 童磨は目を開けたまま固まった。

 先日の話では、メアリを人質にするはずだった。それを『救済』――つまり、童磨が喰べる。死ぬ、という事だった。

 童磨は少し、納得がいかなかった。童磨が『救済』をするのは、誰もが死を怖がり『極楽』などという有りもしない妄想に縋るからだ。苦しみや辛さから解放し、喰べてあげる事で気の毒な人達を幸せにしてあげるためだ。

 この女は違う。『極楽』など求めていない。死も恐れていない。童磨に喰べられる事こそ『救済』だと信じてやまない。頭が腐っているのか。それとも、すでに狂ってしまったか。

 今までの人間とは、やはりこの女は違う。童磨は最後に少しだけ、彼女を知りたいと思った。

 

 

「君はどうして『救済』を望むんだい? 馬鹿で愚かだけれど、君を愛する男はいる。お腹の中には、君達の赤ん坊もいるだろう? 俺の権限で『万世極楽教』の信者として君達を生かす事も可能だよ?」

 

 

 童磨の感覚では、確かにメアリの腹には別の命があった。『救済』されるならば、その命も童磨と一つになる。

 裏切り者――名を不破弦司というらしいが――を差し出した事を功績に『万世極楽教』で死ぬまで生かす事ぐらいは許される。

 そう提案するも、メアリは笑顔を崩さない。

 

 

「簡単でございます。この世は、この世こそが、私の『地獄』だからです」

「地獄?」

「はい。頭髪などという私では変えられぬ理由で虐げられ、私を救わぬ男共にいいように使われ、ようやく篭絡した男は、自意識過剰の暴力男でした。そして、真に救ったのは殺せや恨めやと囁かれ続けていた鬼! 何をやっても、何を為しても、私の先にあるのは苦しみと辛さでございます。これを『地獄』と言わず、何と言うのでしょうか?」

「そうだね。でも、それは君が人間だから、とは思わないかい? 鬼になれば『地獄』から解放されるとは、思わなかったのかい?」

「何と畏れ多い! ……ですが、神祖様も教祖様も、私を進んで鬼にはされませんでした。貴方様方には、私が鬼として強くなれないと理解されておられたのでしょう?」

「よく見てるね!」

 

 

 メアリの言う通りだった。童磨と無惨の直感では、彼女が鬼となった場合、特筆して強くなるとは思えなかった。だから、鬼になる様に言わなかった。

 メアリがやはり笑顔で続ける。

 

 

「憧れた鬼にもなれぬ賤しきこの身で、生き続けるのは辛く苦しく、悲しいのです。このまま生き続ければ『万世極楽教』の教えに背きます」

 

 

 『万世極楽教』の教えは、平たく言えば辛い事や苦しい事は、無理にしなくていい、というものだ。確かに彼女の言う通りだった。

 童磨は最期だからと、疑問を全てメアリにぶつける。

 

 

「それじゃあ、君は風能を愛していないのかい? あの手紙からは、何やら情愛のようなものが読み取れたよ」

「…………」

 

 

 この時、初めて彼女は笑顔ではなくなった。目を閉じ、胸元で両手を重ねる。静かで穏やかな表情だった。それは今まで一度も、童磨が見た事のないメアリだった。

 

 

「彼にとっても、この世は『地獄』なのです。家族を、地位を、輝かしい未来を失い、果ては私のような悪女に捕まり、剣の道まで壊されました。そんな中、私のような()()()と子どもを抱えて生きていく事など、自意識過剰な彼には不可能です」

「なら、見捨てるだけでいいだろう? 君と子どもだけでも、生きていく道はあるよ?」

「……彼は私に暴力を振るいます。ですが、暴力を振るった数だけ、優しくなるのです。そんな仕打ちも、慈愛を向けるのは私一人! そんなどうしようもない彼を、私だけを見つめる彼を、私は愛してしまったのです!」

 

 

 頬を染めて、微笑むメアリ。

 人に対する憎しみと、鬼に対する憧れを抱き、自身に危害を加える彼を愛しているという。まるで、矛盾に矛盾を塗り重ねたようであった。()()はすでに壊れていたのだと童磨は判断した。

 

 

「もう私は彼を捨てられない。だから、私は宿った命と彼と一緒に、生きるという『地獄』から解放され、教祖様の永遠となりたい」

 

 

 メアリはふわふわとした金髪から黄色の簪を抜き出し、跪いて童磨へと差し出す。

 そして、再び目尻を下げて頬を緩め、恍惚した表情で言った。

 

 

「あの日、教祖様に出会い、私は苦痛から解放される術を得ました。『救済』へと向かう過程は、私にとって『極楽』でした」

「そうか」

「それと、鬼の隣にいる柱は『胡蝶カナエ』という女性です。きっと教祖様が喰べるに相応しい女ではないでしょうか?」

「うん、ありがとう」

 

 

 童磨は簪を受け取ると、躊躇なく扇を一閃した。メアリの首と胴が別れ、血が辺りに吹き散る。

 

 

「一緒に高みに昇ろう」

 

 

 首だけのメアリが、笑顔で童磨を見つめる。童磨は微笑み返すと、彼女を骨も残さず全てを喰べた。

 

 

「『胡蝶カナエ』ちゃんかぁ……喰べるのが楽しみだなぁ」

 

 

 童磨は口の周りを真っ赤に染めて、柱の名を呼ぶ。

 ――童磨は終ぞ、一人の信者の名を呼ぶ事はなかった。




ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
次話投稿を持ちまして、最終話まで一挙に投稿する予定です。

どうか最後までお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。

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