蝶屋敷の面々は冷や汗が止まらなかった。特に鬼と対峙したことがある、しのぶ、アオイ、カナヲ、弦司に……柱のカナエでさえも。
今まで何体も鬼を見た事がある。カナエに至っては、十二鬼月の下弦の鬼を討伐した事がある。そのカナエをしても、童磨を見れば今までの鬼全てが、赤子としか思えなかった。
きよ、すみ、なほも異常な空気を感じ取ったのか。風能の生首を前にしても、必死に自身達の口を押え、決して悲鳴を上げまいと懸命に堪えていた。
状況は最悪だ。しのぶが日輪刀を帯刀していない事に加え、アオイとカナヲは明らかに力不足。きよ達はそもそも戦闘要員ではない。幸いなのは、カナエと弦司が刀鍛冶の里で装備を万端にしていた事と、弦司の血鬼術の練度が急激に上昇していた事ぐらいだろう。それでも、戦力不足は明らかだ。
そんな彼らの胸中を知ってか知らずか、童磨は焦り始める。
「あれ? もしかして、胡蝶カナエちゃんいないの? 裏切り者はそこにいるし……おかしいなぁ、一緒にいるって聞いたんだけど……」
「胡蝶カナエなら私です」
「誰が裏切り者だ」
カナエと弦司が緊張と恐怖を抑えつけて、一歩を踏み出す。それだけで、死が迫って来るような感覚がカナエと弦司を襲う。
(これが、上弦の鬼)
喉がひり付く。逃げ出したいと、掴んだ幸せを捨てたくないと心が訴えかける。
(でも、今は絶対に退けない)
昨夜の話し合いで、何かを選ばなければならない時、どうするかも話した。
弦司は鬼である。カナエが違うと言っても、鬼である事実は変えられない。それでも、人として在りたい。人として在るために、守らなければならない一線……それだけは必ず二人で守ろうと、カナエと弦司は話した。今、カナエ達の後ろには、戦う力を持たない少女達がいる。守らなければならない一線がある。例え自分達の幸せを投げ出しても、決して退く事はできない。
恐怖と恐れを全て飲み込む。少女達を守るために、カナエと弦司は敢えて童磨の注意を引くように会話に乗った。
「何の御用でしょうか?」
「君がカナエちゃんか。うん、上等な御馳走だ。俺が喰べるに相応しいかもしれない」
童磨がカナエを見つめる。一見、優しそうに見えるその眼差しは、しかし、何の感情も込められていない。優しく見えるだけで、食物を選別しているのと何ら変わりはない。
その無遠慮な視線が不快で、弦司がカナエを庇うようにさらに一歩前へと踏み出す。
「さっきから何だよ、お前は。勝手に裏切り者扱いしたり、喰べるに相応しいとか勝手な事言ったり。用がないなら帰れ」
「えーっ! 酷いな、初対面なのに。俺達
「誰が同じだ。お前は人を喰う。俺は人を喰わない。同じ鬼なんかじゃない」
「そうか、だから君は弱いんだねえ。気の毒だ、鬼なのに誰も人を喰べさせてくれないなんて。辛かったろう? 人を喰べて強くなってたら、殺されなかっただろうに、あまりにも可哀想すぎる」
「……」
鬼……童磨は無遠慮な言葉で弦司の心を踏み荒らす。挑発か、それとも素なのか。少しでも情報を得るために、弦司とカナエは童磨を注意深く観察する。
その一方で、カナエは童磨に見えない位置で、手信号を使いしのぶ達に命令を伝える。
──逃げろ。
それ以外の言葉はない。彼女達には、逃げる以外の選択肢は存在しないのだから。
伝え終えた所で、再びカナエが会話に混ざる。
「つまり、あなたは弦司さんを捕まえ、私達を殺しに来たと? 彼を……こんなにして」
「殺すだなんて。俺は君達を『救済』しに来たんだ。もちろん、ここにいる彼にだって恐ろしい事なんてしていない。
童磨は風能の生首を掲げると、ゆっくりと胸に押し当てていく。徐々に沈んでいく風能。彼の頭は童磨の体に喰べられた。
「ひぃっ」
悍ましい光景に、きよ達が引き攣った悲鳴を上げる。怯える少女達に、童磨は笑いかける。
「怖がらなくていいよ。俺は『万世極楽教』の教祖なんだ。彼は信者じゃないけど、ちゃんと俺が喰べてあげたから。彼は俺の中で、家族と一緒に永遠を生き続ける……」
「……哀れですね」
「? どういう意味?」
「あなたは何も分からないのですね」
首を傾げる童磨。童磨の声を聞き、仕草を見て、奴がどんな鬼かカナエは僅かながら理解した。
カナエは緊張からか唾を飲み込んでから、童磨に答える。
「彼は絶望していました。それは彼の顔を見れば分かるはずです」
「だから、救ってあげただろう? これでもう、彼は苦しむ事も悲しむ事もない」
「違います。苦しんだのも、悲しんだのもあなたがいたから。あなたが幸福を壊したからに過ぎません」
「えーっ。俺のせいにするの?」
「さっきから『救済』などと言ってますが、私の心に全然響きません。あなたの言葉には、何も重みがない。何も気持ちが乗っていない。ひょっとして、あなたの中には喜びも悲しみも、当たり前の感情さえも感じていないからではないでしょうか?」
「……」
「あなたは当たり前を感じる事もできず、太陽の温かさも忘れてしまった。本当に気の毒で哀れなのは、上弦の弐・童磨、あなたです。あなたこそが『救済』されるべきです」
「……俺を心配してくれてるの? 君みたいに優しくて可愛い女の子は初めてだよ」
童磨が口だけに笑みを浮かべると、両手に握られた対の扇を広げる。
「でも、残念だなぁ。君に俺は『救済』できないよ。だって柱っていっても君は女の子だ。俺、たくさん柱を倒してきたから分かるんだ。君、大して強くないよね?」
「……」
カナエは言葉を返せなかった。
女性の身でありながら、柱となるのは難しい。腕力で男性に敵わない女性が、さらに腕力の強い鬼に敵うはずがないからだ。それでも、柱となったカナエは俗な言い方をすれば
そんなカナエの心中を見透かしたかのように、童磨は笑みを深める。
「大丈夫。俺も優しいから、君だけを『救済』なんてしないよ。
――だから、逃げられると思わないようにね。
その言葉にカナエ達は一瞬、体を硬直させた。
カナエと弦司は彼の一挙手一投足を観察していた。だが、当然ながら同じように童磨もカナエ達を観察していた。非戦闘員までいるカナエ達の思考など、察するにはあまりに簡単だったのだ。
――そして、その硬直は決定的な隙となる。
『血鬼術・散り
童磨が二対の扇を大きく振るうと、まるで花弁のような氷が大量に舞う。しかし、その量は蝶屋敷を飲み込むほどで、触れた先から庭の草花を凍らせ、バラバラに引き裂く。
――いつか人に戻った時。この広い庭で一緒に駆けよう。洗濯物を干して、太陽の匂いをいっぱい嗅ごう。
全てが凍り付き、砕け散っていく。だが、悲嘆に暮れている暇はない。氷の向かう先は弦司とカナエ。カナエ達の後ろにいるのは守るべき少女達を、等しく襲う。
最初に前へ踏み出したのは弦司だった。
『血鬼術・宿世招喚――鋼』
弦司の
血鬼術と言えど、氷は氷。相性が良いのか、漆黒となった弦司の体に触れる度に、氷は砕け散る。
『花の呼吸・弐ノ型
さらに、弦司の後ろから躍り出たカナエが日輪刀を抜き放ち、自身の周囲に斬撃を放つ。カナエの斬撃が通る先から氷が吹き飛び、目に見えて血鬼術が減る。
カナエと弦司の全力の防御。しかし、氷の範囲があまりにも広すぎた。
二人で防ぎきれなかった花弁が、蝶屋敷を、しのぶ達を襲う。
しのぶはきよを、アオイはすみを、カナヲはなほを庇った。
「あああああああっ!!」
悲鳴が重なった。
しのぶは氷の刃が薄い個所を見極め、傷を最小限に留めたが、アオイはほとんどまともに受けてしまう。アオイの背中から大量の血液が噴き出す。
カナヲも攻撃の弱い個所に逃げ込んだが、彼女のみ隊士ではない。隊服ではなく練習着の和装だったため、一番避けていたにも関わらず、大小様々な氷の破片により全身傷だらけとなった。さらに、傷口は冷気で凍らされる。体のできていないカナヲには、あまりにも過酷すぎる一撃であった。
もはやカナヲに動く体力は残されておらず、なほに覆いかぶさったまま動かなくなる。
「アオイ!!」
「――は、いっ!!」
しのぶは歯を食いしばり、きよとカナヲを抱え上げる。アオイも半ば意識を失いながらも、すみとなほを担ぎ上げる。二人は文字通り血反吐をはきながら、戦場の外へ駆けていった。
「あーっ。ダメだよ、逃げちゃ――」
「吸うな!」
追撃をかけようとする童磨に、弦司は叫びながら散弾銃を背中から抜き放つ。そして、童磨の前に立ち塞がりながら銃口を向ける。
――凍てついた血を操る血鬼術。
言葉にすれば簡単だが、この血鬼術は呼吸を扱う隊士と相性は最悪だ。
弦司が息を吸う度、肺がまるで凍ったように冷え、激痛が走る。童磨が凍てついた血を霧状にして散布しているからだ。呼吸そのものに、危険を伴うのだ。呼吸を起点とする隊士にとって、まさに天敵。最初に弦司が前に出たからこそ、分かった事実であった。
カナエに警告を伝えながら、弦司は狙いを童磨の頚に定めて、引き金を引く。雷鳴のような爆音が響く。四発の銃弾は童磨の頚に当たった。
童磨の頚から、辺り一面に血飛沫が跳ねる。
「へーっ。これが君の日輪刀? 面白いねえ」
「化け物がっ……!」
だが、血煙の先には、頚の繋がったままの童磨がいた。四発の弾丸は童磨を傷つけはしたが、頚を斬るには全く威力が足りなかった。
童磨の頚から、特大の弾丸が落ちる。頚を貫く事もできていなかった。それどころか、すでに傷は塞がっている。
童磨は畳んだ扇で自身の頚を叩く。
「でも、全然威力はないねえ。やっぱり、頚を斬るならちゃんとした刀だよ。可哀想に、剣の才能がないばかりに、こんな欠陥品を押し付けられたんだね。きっと、この日輪刀を作った人は大したこと――」
『花の呼吸・伍ノ型
横合いから、カナエが割り込む。血鬼術を吸わない様に細心の注意を払いながら、超高速で九つの斬撃を叩き込む。さらに、ドサクサに紛れて、弦司も距離を詰めて散弾銃を童磨に叩きつける。
童磨は朗らかに笑うと、扇を振るう。
「うん、速くて綺麗な攻撃だなあ」
『血鬼術・
二対の扇による、高速の連撃。さらに、扇の軌跡は氷となる。
連撃と氷の攻撃に、カナエの斬撃は全て捌かれ、弾き返される。
「うーん。君の攻撃は重いけど、俺には通じないなあ。でも、この血鬼術はすごいねぇ」
弦司の攻撃などは意にも介さず、連撃の合間にあっさりと受け止められた。それどころか、間に扇の一撃を与えられる。ただし、全ては『鋼』が攻撃を防いだ。弦司には傷一つない。
童磨の防御により、カナエと弦司の攻撃が僅かに途切れる。
『血鬼術・
攻撃の合間を逃さず、氷の煙幕が童磨の扇から発生する。触れるだけで、凍り付く煙幕。カナエは堪らず飛び退り、続けて弦司も退いた。
童磨の追撃は来ない。カナエは大きく呼吸し、弦司は『鋼』を解く。
(単純な膂力も、血鬼術の練度も、下弦の鬼とは何もかもが違いすぎる)
束の間、休息が彼我の力量差をカナエ達に痛感させる。
奴の動きに、ついていけている。戦いにはなっている。だが、傷こそ負ってはいないが、刃が頚に届く気配さえない。勝機が何一つ見出せない。
童磨も力量差を理解しているのだろう。笑みを崩さず閉じた扇でカナエを指し示す。
「カナエちゃんは思ったより強いねえ。でも、これといって特徴もない。天才じゃなくて優等生って感じかなあ。それじゃあ、俺の頚には届かないよ」
「……」
次いで、弦司。
「君の血鬼術はすごいねえ。俺の血鬼術と扇で、傷一つつけられないなんて。でも、それだけだなあ。単純に弱い。それに、その血鬼術って力を多く消費するんだよね?」
「……っ」
「もっと人を喰ってたら力も増して、俺に届いてたかもしれないのにねえ……」
「……」
「二人ともだんまりかい? つれないなあ」
『血鬼術・
童磨が再び扇を広げると、周囲に無数の氷の蓮が生まれる。蓮を起点として氷の蔓を伸ばし、カナエ達に襲い掛かる。
弦司が漆黒へと変わり、カナエの盾となる。弦司を迂回し、襲い掛かる蔓は片っ端からカナエが斬り落とす。
氷の蔓の猛攻が止まり……カナエはその場を動かない。弦司も動かず、散弾銃に弾を込める。
――頚に刃が届かないなら、今、できる事をするだけだ。
〇
――上弦の鬼、襲来。
その報はすぐに産屋敷邸へ届けられた。
風能誠一と謎の女について、時間の取れない宇随天元は追加調査を隠と他の隊士に任せていた。だが、天元に届いた報は『二人を完全に見失った』。嫌な予感がした天元は、警戒態勢を敷いた。その一環として、蝶屋敷への緊急連絡態勢を整えていたのだ。何かあれば、蝶屋敷に連絡を入れる。その連絡網が予定とは逆に使われ、蝶屋敷の危機を即座に伝達する事になった。
蝶屋敷への襲撃さえ予想外だったのだ、当然ながら上弦の鬼が現れるなど予想もしていない。即座に救援を呼んだものの、上弦の鬼に対抗できる者は柱のみ。すぐに招集できるはずもなく、救援は完全に後手に回っていた。
そうして、ようやく呼び寄せた柱は一人のみ。
――水柱・冨岡義勇。
百年以上、欠けた事のない十二鬼月の上弦。対応するには、最低でも二人以上の柱が必要だとの予想が立てられている。本来であれば、もう一人柱が集まるまで戦闘は避けねばならない。しかし、冨岡義勇は救援の依頼を受けるなり、蝶屋敷へと向かっていた。
蝶屋敷には隊士だけがいるのではない。非戦闘員もいる。鬼殺隊ならば、彼女達を見捨てるような選択肢は有り得ない。
――何より、心を閉ざした少女がいる。
栗花落カナヲ。駆けながら、義勇の脳裏に思い浮かぶのはあの日のカナヲの微笑み。次いで、しのぶの、カナエの……弦司の笑顔だ。
今、彼らの笑顔が失われようとしている。義勇が守ろうとした笑顔と彼らの居場所が、無くなろうとしている。
いつだってこうだ。守りたいと思ったものが、いつの間にか指の先からすり抜けていく。姉の蔦子や友の錆兎のように。あの時と同じ思いは、もう嫌だった。
義勇は懸命に走る。持てる力を使って駆け抜ける。
――夜明けはまだ来ない。
〇
『血鬼術・
滞空する無数の巨大な氷柱。童磨が扇を振るうと、密集してカナエ達に向けて飛ぶ。
カナエと弦司、揃って横跳びで氷柱を避ける。それでも当たりそうなものは、漆黒になった弦司が片端から弾く。弾かれた、もしくは外れた氷柱は、庭や蝶屋敷に突き刺さる。
――ここで姉妹喧嘩をした事もあった。
――あの縁側でみんなと一緒に月を見た事もあった。
――台所はカナエが弦司のために増築してくれた。
思い出が次々と壊されていく。みんなで築き上げたものが、崩れ去っていく。鬼が、全てを破壊していく。それでも、カナエと弦司は懸命に踏ん張っていた。
勝機が見えないカナエと弦司は、方針を転換した。頚が斬れないなら、守るべき少女達をまずは逃がす。とにかく、時間稼ぎに徹する事にした。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
「キツい……!」
しかし、それも容易ではない。
腰の袋から茶色い丸い物を複数個、掴み取る。これは俗に言う『兵糧丸』だった。ただし、しのぶお手製の。
元々は圧迫する弦司の食費対策に作成された物だった。各種栄養が凝縮された兵糧丸は、大人であれば数個で満腹となる。食料により力を補給する弦司にとって、戦闘中の補給に最適な食べ物だった。
弦司は兵糧丸を口に放り込み、飲み込む。それだけで、弦司の飢餓は止まった。また、血鬼術が使える。
童磨が眉根を下げて、残念そうにする。
「えーっ。またそれ? 君もカナエちゃんも粘るなあ。もう時間稼ぎ止めない?」
当初こそ、童磨も律儀に時間稼ぎに付き合っていた。
童磨の血鬼術を弦司が防ぐ。隊士の天敵とも言える血鬼術を防ぐからこそ、現状の均衡を保てているのだ。ただし、弦司の力は長くは使えない。弦司が力尽きれば、カナエも遠からず崩れる。ならば、弦司が力尽きた所で二人を確実に仕留める……童磨はそのように判断したようだった。だが、兵糧丸による予想外の粘りで、今も戦闘が続いていた。
――それも終わりが近づいていた。
童磨の纏う空気が変わる。
「うーん……もう少し付き合ってあげたいんだけど、今回ばかりは遊び過ぎると叱られるからなぁ。あの娘達も喰べてあげたいし、どんどん行くよ」
『血鬼術・
無数にある蓮の二つに、美麗な女性の氷像が咲く。閉ざされた瞼でカナエ達を向くと、小さな口から吐息を漏らす。しかし、その可憐な仕草からは想像できないほどの凍気が広範囲に撒き散らされる。触れた先から、凍りついていく。カナエが触れれば凍死、弦司が触れても身動きは取れなくなるだろう。
『宿世招喚――化生』
弦司は右腕を突き出し、血鬼術を発動させる。瞬く間に、腕が先端から短くなると直角に薄く長い楕円形の巨大な
羽根が回る。突風が生み出され、童磨の血鬼術が押し返される。冷気がそのまま、童磨へと向かう。
さすがの童磨も、これには驚きに目を見開いた。
「えっ!? そんなのあり!?」
童磨は血鬼術を止めるが、すでに吐いた冷気は元に戻らない。二体の氷像は自身の冷気で凍り付き、背後にいた童磨の脚を巻き込んだ。脚が凍り付き、童磨の動きが拘束される。この機を逃すカナエではない。
『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』
凍った地面を飛び越え、童磨へ一直線に飛びかかったカナエは、空中で身体を捻らせ強烈な斬撃を頚へ向けて振り下ろす。
『血鬼術・
童磨は受ける様に右の扇で氷の蓮を生み出すが、受ける直前で扇は弾かれ蓮は砕け散る。弦司の散弾銃が、扇と蓮を撃ち貫いていた。日輪刀を遮るものがなくなり、頚へと迫る――。
「うん、いい連携だねえ」
しかし、童磨は慌てない。左の扇を
追撃をかけようとするカナエ。だが、先に童磨が扇を振るう。
『血鬼術・
カナエの上空に、巨大な氷柱が現れる。氷柱で童磨ごと、カナエを貫くつもりだった。
カナエは慌てて童磨から離れる。先までカナエがいた場所と童磨を、無数の氷柱が貫く。貫かれた童磨は脚を生やすと、ゆっくりと体を起こす。立ち上がった時には、すでに氷柱に貫かれた傷は塞がれ、顔も元に戻っていた
(やっと傷つけたのに、再生が速すぎる!)
「それじゃあ、これはどうするのかな?」
『血鬼術・
童磨の手元に氷像が現れる。だが、これは先ほどの精密なものではなく、まるで童磨を小さくし、簡略化・省略化したような姿だった。
カナエは弦司の傍まで下がり、警戒する。小さな氷像……御子が童磨の生き写しのように扇を振るう。
『血鬼術・散り
「はぁっ!?」
「分かってはいたけど、こんなの反則……っ!」
御子は童磨と同じ血鬼術を放っていた。それも童磨本人と、ほぼ同威力。
弦司は硬質化した体で、カナエは斬撃で広範囲に飛び散る氷の花弁を斬り落とす。単体ならどうにかなるが、もしも童磨と同時に放たれでもすれば――。
だが、カナエ達の予想超えて事態は悪化する。
「どんどん行くよー」
御子がさらに作られる。一体、二体、三体と。
一体でも厳しいにも関わらず、三体目まで作られた。
「弦司さん!」
「っ、ああ!!」
カナエが悲痛な叫び声を上げる。
最早、時間稼ぎなどしていられない。力配分を止めて、童磨の頚を斬る。それ以外、カナエ達が切り抜けられる方法はない。
弦司が腰の袋に手を突っ込む。童磨は体で人を喰った。弦司も同じように、全ての兵糧丸を掌で喰った。
食べた分だけ、血鬼術を使う力となる。こうなれば、
『宿世招喚――化生・駆動銃士』
弦司が散弾銃を背負い直すと、両腕が変化する。小銃というには長い銃身と大きい口径。『対物ライフル』などと呼称される、大口径の狙撃銃に変わる。ただし、銃把や引金。安全装置などと言った、人間のための機構は完全に排除している。邪魔な機構を排除する事で、『化生』の負担を減らしているのだ。それでも、力の消費量は『鋼』の比ではないが。
弦司の両腕は銃となり、漆黒の肉体である事も相まって、さながら機械の銃兵となる。そして、この銃は飾りではない。
弦司は両腕の銃口を御子達に向けると、轟音が鳴った。上弦の鬼でも目で捉えられない速度で、弾丸となった肉片が二つ。二体の御子の頭を弾け飛ばした。御子が氷の粒子となって、消えていく。
「あっはは! そうか、人間の道具に体を変化させられるんだね! 君の血鬼術って、本当に滅茶苦茶だなぁ」
童磨は弾けた御子を見て、大笑いしながら弦司へと迫る。さすがの童磨も、弦司を遠距離に置くのは危険だと判断したのだろう。ただし、自身の方に銃口が向かない様に、一方で御子を作り、彼らをカナエに向かわせる。
――しかし、その判断こそがカナエ達の望んていたもの。
今度は弦司の両肩と腰が変化する。合わせて四丁、『対物ライフル』が生えていた。
『化生』は体を変化させるだけではない。生み出す事もできる。
とはいえ、分離は変化より力の消耗が激しい。たった一回きりの、まさに『切り札』だった。
二つの銃身が御子、四つの銃身が童磨を向く。童磨が初めてぎょっとした。
「あっ、これはちょっとまず――」
六つの発砲音が重なる。同時、御子が二体と、童磨の手足が吹き飛んだ。カナエの間合いで、童磨が四肢を失った。
――この戦いにおいて唯一無二の好機だった。
カナエが手に、脚に力を込める。この一撃に、今までと、そしてこれからの。全ての想いと力を乗せる。
再生する暇は与えない。一撃で、全てを決める。
花の呼吸・捌ノ型
花の呼吸に捌ノ型は存在しない。カナエが編み出した、新しい型だった。全力の踏み込みからの、肉体全てを使った一撃。光と見紛うほどの一閃である。
「あああああああっ!!」
カナエは咆哮と共に踏み込む。地を割り高速で童磨に肉薄し、脚を、腰を、胴を、肩を、腕を、指先を、体の細胞一つ一つを連動させ捻らせる。その結実、日輪刀は一筋の光となり童磨の頚へ迫った。
カナエが生涯を賭けて放った、最高の一撃。これが効かなければ、カナエに為す術はない。
最速の一撃が迫る中、童磨は――笑顔を崩さなかった。
『血鬼術・霧氷・睡蓮菩薩』
日輪刀を遮ったのは、一体の氷の菩薩。しかし、大きさは今までの比ではない。蝶屋敷を遥かに超えており、横幅も厚みも高さに準じて広くぶ厚い。
カナエの最高の一撃は、巨大な胴を半ばまで断ち切ってみせた。だが、それだけだった。
菩薩が腕を振り下ろす。巨体に似合わずその動きは速い。カナエは攻撃後の硬直を無理やり解いて、ギリギリの所で避けた。弦司は反射的に菩薩を射撃していた。六発全て命中したが、あの巨体では効果はない。弦司は完全に避けるのが遅れてしまい、巨大な掌に叩き潰された。
「がっ――!!」
「弦――」
「よそ見はいけないよ」
避けた先に童磨はいた。巨大な菩薩は、今までの比ではなく冷気を放っている。呼吸をする間がない。それに、日影菘から無理やり避けたため、体が上手く動かない。
(いや――っ)
回避が間に合わず、カナエの右腕は斬り飛ばされた。日輪刀を掴んだ腕ごと、どこかへ飛んでいく。
もうカナエに抵抗する術はない。それでも、童磨は笑顔で扇を振るう。
恐怖している暇はない。冷気で肺胞が壊死するのを無視して、体を動かすために呼吸をした。遮二無二、童磨の攻撃を避けた。
三歩下がる間に、胸を真一文字に斬り裂かれた。
二歩下がった所で、右わき腹の肋骨が、断ち切られた。
一歩下がり、首に扇が迫る。首輪が身代わりとなり薄皮一枚で助かった。
(もう、ダメ――)
だが、もうカナエは動けない。胸が痛くて、呼吸もできない。視界も朧気だ。このまま、童磨の手に掛かって殺される。
「もう諦めなよ。中途半端に斬られて苦しいだろう? 大丈夫、今すぐスパッと首を――」
「ああああああああああっ!!」
寸前、弦司が咆哮と共に最後の力を振り絞って血鬼術を発動させる。
『宿世招喚――化生・
無数の棘を、周囲に向けて生やす血鬼術だった。ただし、棘の素材は『鋼』。全てを防ぐ金属は、全てを撃ち貫く槍となる。
弦司が蝶屋敷を超える程の、高く長い棘を全方向に生やす。棘は菩薩を飲み込み、粉々に破壊した。そして、ついでとばかりに、童磨の全身を刺し貫く。
「カナエっ!!」
弦司は術を解除すると、崩れ落ちそうになるカナエを、童磨が再生する前に回収した。
童磨から離れた場所に、弦司はカナエをそっと横たえる。
「弦司、さん……」
カナエの視界に、弦司が広がる。彼はボロボロで血塗れだった。畏鷲で隊服が吹き飛んだのか、裸になった体の至る所は赤く腫れあがっていた。全身、数えきれないほど骨折しているのがよく見て取れた。鬼であるにも関わらず、傷が治ろうとしない。力を使い果たした証左だった。
弦司はただただ瞳に涙を溜めて、顔を歪める。悲しくとも腹は減るのか、涎が絶えず垂れてカナエの顔にかかる。飢餓で苦しいのだろう。それでも瞳には優しい眼差ししか感じない。カナエはそんな彼がたまらなく愛おしい。
「カナ、エ……! い、今、助け――」
「うう、ん……もう、間に合わ、ない……」
カナエがせき込むと、大量の血が吐き出る。腕を斬り落とされ、肺も斬られ、きっと内臓も酷く傷つけられている。どうやっても、カナエは助からない。
――カナエと弦司は負けた。
事実が重く圧し掛かる。
後はカナエが喰われて、弦司は鬼舞辻無惨に連れていかれ、殺されるだけである。幸いなのは、しのぶ達の逃げられる可能性を、僅かでも上げた事ぐらいだろう。
きっと今は最期の逢瀬だ。
「くち……ちょう、だい……」
カナエは逃げてとは言わなかった。生きてとも言わなかった。全身駆け巡る激痛を耐えて、ただ弦司を求めた。
もう二人で幸せに過ごす事は叶わない。ならば、愛する人をもう一度、この体で感じたかった。
弦司が顔を寄せる。カナエは残った左腕で弦司にしがみつくと、彼の唇を奪った。貪るように彼の唇に、自身の唇を這わせた。
「んぅっ……」
お互い血を吐いたせいか、血の味しかしなかった。だが、それもまた愛おしい。これは二人が戦った証なのだから。
カナエは舌を弦司の口へ入れこむと、必死になって彼の血と唾液を飲み込んだ。己は彼の物だと示すため、少しでも彼で体を満たしたかった。
カナエは何度も咳き込み、血を吐き出す。カナエは自身の血を弦司に押し流した。今度は彼が己の物だと示すため、少しでも己の物を彼に送り込む。弦司は逆らわず、飲み込んでくれた。
体の芯に火が灯った様に熱くなる。不思議なもので、彼と繋がっているだけで痛みは吹き飛んだ。
だが、こんな時間は長くは続かなかった。カナエはすぐに力が入らなくなる。血を流し過ぎたのだろう。カナエの唇が、弦司の唇から離れる。
一筋の赤い糸が伸びて、最期の繋がりは途切れた。
「あーあ。頑張ったねって褒めたかったのに、残念だなぁ」
その声が、カナエ達に冷や水を浴びせる。全身の再生を終えた童磨が、憎たらしい微笑みを添えて、ゆっくりとカナエ達へと歩み寄ってくる。
「俺、感動したんだよ? 憎い鬼と組んでまで、無駄だって分かっているのに、最後まで戦う愚かしさ。これが人間の儚さと素晴らしさなんだ、って。それに、あの血鬼術を使わせた柱って数が少ないんだ。君は俺が喰べるに相応しい……そう思っていたのに」
童磨の視線は地面に落ちた黒い帯に注がれる。次いで、陥没した地面に落ちた、同じような黒い帯。カナエと弦司の首輪だった。
「君達って最初から壊れていたんだねえ。これ何? お揃いの首輪? 頭大丈夫? 鬼と一緒に居る柱だから、狂ってて当たり前かあ」
アハハと声を上げて童磨が笑う。
あの調子なら、すぐに喰われる事はない。弦司に一言、別れを言う時間はある。
カナエは束の間考え、簡単に伝えた。
「愛してる――待ってるから、早く来て」
どうとでも取れる言葉を添えた。勝つのを信じて待っているのか。それとも、天国で待っているから、早く来て欲しいのか。彼の生を願えない、かといって我が儘にもなり切れない。慈愛と独占欲に揺れる、カナエの半端な想いだった。
弦司はそれを受け取ると、大粒の涙と涎を流しながら微笑む。
「俺も愛してるから――少しだけ、待っててくれ」
弦司がカナエを離す。温もりが離れていく。
弦司が童磨と対峙する。彼はカナエが手に届く範囲にいる限り、絶対に離さないと言ってくれた。カナエが生きている限り、カナエのために命を燃やしてくれるのだろう。
彼の背中が嬉しかった。その背中が頼もしくて……悲しそうに見えた。
童磨は弦司を嘲笑する。
「君は本当に馬鹿だなあ。柱を喰べていれば、生き残れるかもしれないのに。それに美味しそうなんだろ? 最後の晩餐って事で待っててあげるから、喰べてごらん」
「お前には一生分からないよ、糞野郎」
童磨は溜息を吐く。
勝負は一瞬で終わった。血鬼術の使えない弦司など、十二鬼月の足元にも及ばない。四肢を斬り落とされ、文字通り達磨にされた弦司が地面に転がされる。
「君は後で回収するから待ってて」
「カナエ! やめろ、彼女は、俺の物だ!!」
手足を失った弦司が叫ぶが、童磨は止まらない。すぐにカナエの傍に童磨が立つと、顔を覗き込む。何の色もない、気持ち悪いただの笑顔が、カナエの前に広がる。童磨は目を細め、口を大きく歪ませ扇を掲げる。
「君は俺が喰べるに相応しいとは言えないけど、ちゃんと骨も残さず喰べてあげるよ。最後に何か言い残す事はない?」
「あなたの、中で、私は永遠に生きられる、のですか……?」
「! 君も俺の『善行』を理解してくれたのかい? そうだよ、俺に『救済』された人は、俺の中で永遠を共に生き続け、高みへと昇り続けるんだ」
「ふ、ふふ……」
「? 何?」
カナエが忍び笑う。黒く薄暗い笑みだった。
「今、私の中は、弦司さんの
「……」
「私を喰えば、私は弦司さんと、あなたの中で、永遠を生き続けられる……」
「…………気持ち悪い」
童磨は無表情になると、扇を振るった。カナエの胴が真横に斬り離され、二つに別れる。
弦司の絶叫が響き渡る。カナエは一際大きく血を吐き出すと、体から力が抜けていく。
カナエは動かない。目を瞬かない。
この時、この瞬間――花柱・胡蝶カナエは死んだ。
〇
今日はいい夜だと思った。
裏切り者を追い込み、優れた肉体を持った柱を喰べる事ができる。
だが、蓋を開けてみれば鬼と柱は予想以上に粘り、喰べるに相応しいと思っていた女はイカレていた。普段を思えば、確かに充実していたが、童磨は肩透かしを受けた気分だった。しかしながら、まだ女はいる。特に、逃げた少女の中に、柱と肉質が似た者がいた。おそらく、柱の血縁だろう。彼女こそが、喰べるに相応しいかもしれない。
次に思いを馳せる童磨。とはいえ、その前にまずは柱である。
真っ二つに斬られた柱。死ぬ直前、本当にイカレた事を言っていた。
――自分の中に鬼の一部があるから、今、喰われれば一生、童磨の中で生き続けられる。
あの言葉を訳すと、そういう意味だ。あまりにも気持ち悪くて、つい胴から真っ二つにした。こうやって、腹から血抜きをすれば、少しはマシになるだろうとの判断だった。
「貴様……童磨……!」
童磨の背後から、怨嗟の声を鬼が上げる。童磨は思わず振り返って、彼に歩み寄る。手足を失い芋虫のように地べたを這いずり、憤怒で涙する彼に、身を屈めて優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ。気持ち悪くても、ちゃんと『救済』してあげるから」
「許さん……! 貴様の命を、存在を、この世から跡形もなく、消し去ってやる……! 生まれてきた事を、必ず後悔させてやる……!」
童磨は困ったように眉尻を下げた。ちゃんと別れも言わせて『救済』も約束したのに、憎悪ばかりを童磨へ向けてくる。
「あっ、もしかして君も『救済』して欲しいの? ごめんごめん、そればかりはあのお方の命令でできないんだぁ」
童磨は謝るが、鬼は益々憎悪で睨み付けてくる。馬鹿だなと思う。もうすぐ死ぬのに。もう助からないのに。無駄な労力を重ねる。きっと馬鹿だからだろう。
馬鹿の相手ほど無駄なものはない。童磨は早く柱を喰べたいと思うものの、まだ血抜きは済んでいない。とはいえ、このまま待っていたら、他の少女達を逃す可能性もある。
「あっ、そうだ。先にあの娘達を追いかけよう」
いい考えだと、童磨は指を鳴らす。
今から追いかければ、少女達には追いつく。彼女達を喰べている間に、血抜きは済む。それから、じっくりと柱は喰べればいい。柱の体は回収されない様に、
まさに一挙両得だと童磨が笑うと、這い蹲った鬼は表情を固まらせる。どうやら、彼も童磨の案が効果的だと分かったらしい。
とはいえ、万が一にも裏切り者に逃げられると面倒だ。彼だけは一緒に連れていこうと、頭を掴もうとし――視界が暗転した。
童磨の感覚が訴えかける。
――今、誰かが童磨の頭を弾き飛ばした。
鬼は達磨だ。柱も死んだ。ならば、それ以外の第三者。
聡明な童磨でも誰の手によるものか分からなかった。とはいえ、そんなもの見ればすぐに分かる。童磨は瞬時に顔を再生させる。
その犯人を見て、童磨は驚愕した。