鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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いつも誤字脱字報告、ありがとうございます。


最終話 胡蝶家の鬼

 しのぶは懸命に駆けていた。

 姉と弦司が命賭けで作ってくれた時間。家族を守るために、小さな体で二人の少女を担ぎ、走り続ける。

 しかし、それも限界が近づいていた。血鬼術による負傷に加え、元々筋力もない。二人の少女を担ぎながらの疾走は、しのぶには負担が大きすぎた。もう走るだけで苦痛が伴う。

 だが、それは隣を走るアオイも同じだ。いや、しのぶ以上に苦しいはずだ。しのぶより傷は深く、同じように二人の少女を抱えているのだ。すでにアオイの意識はほとんど飛んでいる。それでも最善を尽くすという誓いのみで、ここまで走り続けていた。いつ力尽きてもおかしくない。

 ――家族を守るためなら、何でもいい。誰か早く来て。

 

 

「胡蝶!」

 

 

 そんなしのぶの願いが通じたのか。

 真ん中を境に左右で色合いの違う羽織を着た、不愛想な男。水柱・冨岡義勇がしのぶ達と合流した。

 義勇を見て安心したのだろうか。しのぶとアオイは急に脚に力が入らなくなり、倒れ込んだ。

 倒れ込んだしのぶに、義勇が駆け寄る。

 

 

「冨岡さん……」

「喋るな! 状況は伝わっている! 今は治療に専念しろ!」

「私はいいから。アオイとカナヲを優先して」

 

 

 しのぶの体は小さい。その上、決して軽傷とは言えない傷を負っている。ここまで二人の少女を担ぎながら走るのは、並の労力ではない。しのぶは自身でも、治療が必要な事は分かる。

 だが、それ以上にアオイとカナヲこそ予断を許さなかった。

 アオイはしのぶよりも重傷だ。それでも体に鞭打って、二人の少女を担いでここまで来た。

 カナヲは隊服を着ていないため、多くの傷を負っていた。負傷の度合いで言えばアオイと大差はないが、体のできてないカナヲにとって、この傷は大きすぎる。

 二人ともすぐにでも治療が必要だった。

 きよ、すみ、なほの三人は奇跡的に無傷だ。彼女達に手伝わせ、義勇に応急処置をさせる。思ったよりも手際のいい手当で、アオイとカナヲは最悪の事態には至らずに済んだ。

 静かに横たわる二人を見て、しのぶはホッと息を吐いてから、今度は自身の治療をする。

 一方、義勇は蝶屋敷の方角を向いて、立ち上がる。

 

 

「ここで待っていろ」

「っ! ダメっ!!」

 

 

 しのぶが治療をする手を止め、義勇の袖を引く。

 

 

「あれには……上弦の弐・童磨には勝てない! 今行ったって犬死よ!」

「関係ない。それにお前の姉が――」

「もう、無理よ……!」

 

 

 口に出して、姉の死を想像してしまう。

 しのぶに残された唯一の家族。誰にでも優しくて、しのぶの憧れだった。もうあの笑顔も、声も、温もりも失ってしまう。

 しのぶは顔をクシャクシャにして、大粒の涙を流した。

 

 

「何でよ……! 守りたいって思ったもの、全部すぐに壊れて……!」

 

 

 思い出すのは、直前の誓い。今度は、私が姉の幸せを守る。そうやって啖呵をきったのにも関わらず、この有様だ。

 姉は救えず、他の娘も傷だらけだ。

 

 

「受け継ぐって決めたのに……! 環さんも、姉さんも、私、何で守れないのっ!!」

「……胡蝶」

 

 

 環の時もそうだった。救いたいと願ったものが、端から全て壊されていく。

 このまま冨岡を行かせたら、彼も帰ってこない。上弦の鬼とは、それだけ恐ろしい存在だ。もう目の前で親しい人がいなくなっていくのは嫌だった。

 

 

「もう守れないのは嫌……! お願いだから、私の言う事を聞いてっ……!」

 

 

 しのぶが悲痛に叫ぶと、義勇は止まった。

 僅かに逡巡した後、しのぶに問いただす。

 

 

「どうして無理と判断した?」

「奴の、血鬼術は冷気よ。不破さんが『吸うな』って叫んでいた。多分、冷気が肺胞を壊死、させるんだと思う。上弦の弐は私達隊士の天敵よ」

「……」

「蝶屋敷を覆うような広範囲の血鬼術も使える。きっと、他にも、術は隠しているわ……」

 

 

 言っててしのぶは涙が出てくる。こんなの反則だ。どうやったら勝てるというのだ。

 カナエは死ぬ。そして、弦司も――。

 しのぶはもう涙が止まらなかった。嗚咽を上げるしのぶを、義勇はしばらく見つめていた。

 そして、突如として義勇は日輪刀に手を掛ける。

 

 

「逃げろ」

「えっ」

「鬼が二体近づいてきている」

「う、うそ……」

 

 

 義勇に言われ気配を探ると、確かに鬼が二体近づいている感覚がある。

 蝶屋敷にいた鬼は二体。弦司と……童磨だ。

 弦司とカナエが離れるはずがない。これの意味する所を想像し、しのぶは顔色を失う。もう大切な人はいないのだと、絶望に沈む。

 そんなしのぶに、義勇は鋭く声を上げる。

 

 

「早くしろ」

「っ、冨岡さんは!?」

「お前には関係ない」

「でも――」

「日輪刀もないお前に何ができる!!」

「っ!」

 

 

 一喝されて、しのぶは悲痛な表情で立ち上がる。全部義勇の言う通りだった。ここで言い争う事に、何も意味はない。せめて、カナエと弦司が守りたかった少女達を、しのぶが守り切る。それだけしか、今のしのぶにはできない。

 しのぶはアオイとカナヲを担ぎ上げる。きよ達三人を担ぐ余裕はない。後は自身の脚で走ってもらうしかない。

 

 

「冨岡さん……」

「……」

「絶対、追いついて下さいね」

「……」

 

 

 義勇は返事をしなかった。

 しのぶは涙を拭う。何度拭っても、涙は止まらない。

 どうしてこうなったのだろうか。涙を流しながら、しのぶは再び足に力を込めた。

 

 

 

 

「ごめんなさい、弦司さん」

 

 

 ――その声を聞いた時、誰もが耳を疑った。

 

 

「えっ、どういう事……?」

 

 

 あの童磨でさえも、目の前の現実を見て、信じられず呆けた。

 大日本帝国陸軍を思わす黒い詰襟。ただし詰襟の腰から下は斬り落とされており、腹部の綺麗で青白い肌が良く見える。

 目を引く容姿はやや垂れた大きな双眸は可愛らしく、艶やかな唇には色香が漂うが血で汚れている。さらには思わず手を伸ばしたくなるような、腰まで伸びた翠の黒髪。

 ――胡蝶カナエ。

 五体満足のカナエが、手足を失った弦司を抱えて立っていた。

 抱えられた弦司が、震えた声で問う。

 

 

「カナエ……本当に、カナエ、なのか……?」

「はい。あなたのカナエです」

 

 

 微笑むカナエを見て、誰もが気づく。

 上がった口角。僅かに覗く犬歯が牙のように尖っていたのだ。加えて、瞳は赤く煌いている。

 確かに花柱・胡蝶カナエは死んだ。

 だが、ここにいるのは――()・胡蝶カナエ。

 胡蝶カナエは鬼となった。

 

 

 

 

 気づけばカナエは、綺麗な川の畔に立っていた。地面に咲き誇るのは彼岸花。

 カナエは自身が死んだのだと理解した。その証拠に、川の向かいには愛する父と母がいる。つまり、この川はあの有名な三途の川なのだろう。

 カナエは川の向かいの両親に手を振る。

 

「父さん! 母さん! ちょっと待ってて! 私、好きな人ができたの! 彼ももうすぐ来るから、来たら一緒に行くね!」

「カナエ。来てはいけません」

 

 

 笑顔で手を振るカナエに、父は厳しい声で応じた。

 カナエは納得できなかった。もう己は死んだ。彼らと同じように死んだのだ。もうしのぶとはいられない。ならばせめて、愛する両親の元にいたい。こんなに頑張ったのに、そんな事さえも許されないのか。

 カナエは笑顔を引っ込め、声を荒げる。

 

 

「何で!? 私、頑張ったよ! たくさん人も救ったし、しのぶ達だって助けた! なのに、何で頑張ったって褒めてくれないの!? 何でそっちに行ってはいけないの!?」

「あなたには、まだやる事があるでしょ?」

 

 

 今度は母が優しく諭すように言う。カナエは意味が分からなかった。

 

 

「やる事って何!? もう私、腕もないし、呼吸もできないし、体だって半分にされたのよ!? きっと、今頃喰われているし……一体、私に何ができるの!?」

 

 

 カナエは童磨に殺された。彼らがどんなに願おうと、それは変わらない。もう生は帰ってこない。失った命は回帰しない。

 だから、受け入れて欲しい。なのに、愛する両親は決してカナエを、あちらに来させようとしない。

 己は死んでも、幸せになってはいけないのか。それが悲しくて悔しくて、涙が出てきた。

 涙を流すカナエに、両親は優しい微笑みを投げかける。

 

 

「どんなになっても、カナエは私達の娘だよ」

「だから幸せになるために、もう少し頑張って」

 

 

 今一つ、両親の言葉は要領を得なかった。だが、その声には確かに、カナエに対する親愛が込められていた。

 涙の意味が変わる。死んでもなお、カナエを愛してくれている。幸せを願ってくれている。

 何ができるか分からない。何もできずに、またここに戻ってくるかもしれない。でも、愛する両親がカナエのために、くれた言葉だ。もう少しだけ頑張ってみよう。

 

 

 ――そう思っていた時には、視界は変わっていた。

 

 

 視界に広がるのは、星がきらめく夜空。死んだ時に見た景色と変わらない。だが、体は明確に変わっていた。

 腕もある。胴も繋がっている。体のどこも痛くない。その上、力が有り得ないほど湧いてくる。

 事態に頭が追い付かず、呆然と体を起こす。近くには、手足を失った弦司の傍に童磨がいた。弦司を連れ去ろうとしている童磨が、カナエに自身のやるべきことを思い出させる。

 カナエは童磨の頭を吹き飛ばし、弦司を救出した。

 

 

「カナエ……本当に、カナエ、なのか……?」

「はい。あなたのカナエです」

 

 

 事態が理解できていない弦司に、カナエは優しく微笑みかけた。

 ――弦司を抱えた時、カナエの鬼としての本能、とでも言うべきか。何が起きたか、おおよそを察した。

 人が鬼になるには、鬼舞辻無惨の血を摂取する必要がある。

 童磨に殺される間際、カナエは弦司に口づけをした。その際、カナエは意図せずして弦司の血液を大量に飲んだ。その血を切っ掛けとして、カナエは鬼となった。

 ならば、弦司の血を飲めば誰もが鬼になるのかと問われれば、そうではない。

 ――血鬼術・宿世招喚

 弦司の血鬼術の肝は『前世』などではない。『変化』させる事だ。ただし、その対象は()()()()()()()()

 そもそも、弦司がなぜ『変化』が好きなのか。彼は満足できないから『変化』に充足を見出したと言っていた。だが、カナエはそれだけではない事に気づいた。

 結局の所、彼が真に望む『変化』は自身の望むように『変化』する事なのだ。自身の理想へと成る事なのだ。

 考えてみれば、当たり前だ。目の前の物が劣化する場合と、改良される場合。どちらの『変化』が良いか。後者に決まっている。弦司も心の奥底では、同じ事を考えていたのだ。

 そして、弦司はいくつもの死と別れを体験した。潜在意識でこう望んでいたのではないか。『みんな鬼だったらこうはならなかったのに』と。

 ――そうして、カナエは弦司の『血』と『血鬼術』をもって、鬼へと『変化』させられた。

 弦司がカナエの血を飲んだ事で、僅かに力が戻った事も、関係しているのかもしれない。

 そして、カナエが鬼へと変えられた証拠とでもいうべきか。カナエと弦司の間を繋ぐ『力』のようなモノを、カナエは感じていた。これがある限り、カナエは『命』も『体』も『心』も、全て弦司の物なのだろう。もしかしたら、『命』も『体』も『心』も捧げた狂おしいほどの情愛があったからこそ、『変化』できた可能性もある。

 

 

(生き残れたけど……)

 

 

 カナエは複雑な思いで、自身の手の甲を見る。傷一つない、綺麗すぎる程、青白い肌があった。

 確かに生き残れた。ただし、カナエの中にあるのは歓喜だけではない。寂寥感も同じだけある。

 弦司を人に戻すと誓った。そんな己が、人ではなく鬼へとなる。妹が恨んで止まない、己が哀れと思う存在へとなる。

 きっとこれから先、カナエは何度も苦しむだろう。それこそ、今まで目の当たりにした弦司と同じように、苦しみ喘ぐだろう。だが、その良し悪しは今は脇へと置いておく。何においても童磨だ。あれを滅さない限り、カナエと弦司に平和は訪れない。両親が死んでも望んでくれた、カナエの幸せは来ない。

 ――ならば、カナエのやる事は一つだ。

 

 

「弦司さん、少し待ってて。今、悪い鬼は私が退治します」

 

 

 弦司を横たえると、カナエは童磨と向かい合う。

 童磨は冷や汗をかいて、呆然とカナエを見ていた。

 

 

「本当にカナエちゃんなの? それにその目に牙って……鬼になったって事? この短時間で?」

「そんな事、どうでもいいじゃないですか」

「えっ」

「あなたは私達を襲い、幸福を壊した。弦司さんを悲しませた」

「う、うん。それで?」

「『救済』してあげますね」

 

 

 カナエはニッコリと笑顔を咲かせると、同時に姿が掻き消える。そして、童磨の胸をカナエの右腕が穿ち抜いた。

 

 

「っ! 速――」

「どんどんいきますよ」

 

 

 腕を抜くと同時に、今度は左腕が童磨の顔面を襲う。扇で受けるが、鬼となった膂力に加え、全身をバネの様に使ったカナエの一撃は重い。扇を打ち抜き、カナエの拳は童磨の顎を弾き飛ばした。

 お返しとばかりに童磨も扇を振るうが、最小限の動きで躱される。合間にカナエの蹴りが、童磨の右膝を砕いた。

 童磨が膝をつく。すでに顔と胸は再生しているが、丁度いいとばかりに顔を再びカナエの膝蹴りが吹き飛ばす。

 ――戦いは一方的なものになっていた。

 それもそのはず。鬼となったカナエに、呼吸は関係ない。童磨の撒き散らす、粉凍りに効果はない。

 そもそも、低い身体能力で童磨と打ち合えていたのだ。鬼となり五感も身体能力も上がったカナエが、不利になる道理はない。

 とはいえ、童磨も上弦の弐。身体能力だけで力量差が埋まるほど、彼は弱くない。二人の優劣を決定づけているもの、それは――。

 

 

「っ!?」

「本当に便利ね」

 

 

 跪いた童磨が、扇でカナエの腰を斬り裂こうとするが、高い金属音が鳴るだけで傷をつけられない。

 カナエの体の表面、扇の触れた個所だけ『鋼』がかかっていた。童磨にとって相性の悪い『鋼』がカナエの有利を決定づけていた。

 ――カナエは弦司と同じ血鬼術が使えた。

 これも、カナエと弦司の精神が関係している。確かにカナエは弦司に『変化』させられた。彼に隷属していると言っていい。だが、弦司もまた『命』と『体』と『心』を捧げると誓った。彼もまたカナエに隷属していると言えた。

 この奇妙な関係が、弦司の支配下にいながらも、カナエに弦司の血鬼術を使わせていた……もちろん、カナエも弦司も知っていたから()()なったのではなく、本気である。

 

 

「これはどうです?」

 

 

 カナエは手刀を漆黒化させると、童磨の左腕を斬り飛ばした。

 カナエは攻撃を受けた個所、もしくは攻撃した部分だけ『鋼』を展開していた。最小の力で最大の効果を得る。血鬼術の使い方は弦司よりもカナエの方が上手になっていた。

 

 

「――っ!」

「上弦の弐・童磨? 不利となるとだんまりですか?」

「……」

 

 

 カナエの挑発に、童磨の顔から笑顔が消えた。

 『血鬼術・枯園垂(かれそのしづ)り』

 無表情の童磨が左腕を生やすと、二対の扇による氷と扇の連撃をカナエに加える。

 カナエの対応は簡単だ。攻撃が当たる箇所のみ『鋼』を展開。さらには、童磨の攻撃が『鋼』に当たった機に、カナエが攻撃し返す。

 カナエは傷つかない。だが、童磨は攻撃した回数だけ傷が増える。

 このままではダメだと思ったのだろう、童磨は手管を変える。

 『血鬼術・結晶(けっしょう)ノ――』

 

 

「それはダメ」

 

 

 御子を作成しようとした童磨を、カナエは蹴り飛ばす。氷像は途中で氷を霧散させられ、形にならない。

 血を吐きながら地面を転がる童磨に、この時、カナエは追撃をかけなかった。

 現状はカナエが有利だ。力の消耗も、再生と血鬼術を頻繁に使う童磨の方が激しいだろう。だが、カナエの体は未知数。何が切っ掛けで、再び戦況が傾くか分からない。だからこそ、確実な勝利が欲しい。

 カナエは落ちていた()()()()を拾い、握られている日輪刀を取る。

 ――童磨の頚を落とす。

 それこそが、カナエ達の確実な勝利。

 カナエは鬼となった己の全力を出す。全身を漆黒化したカナエが日輪刀を構えて童磨に肉薄した。

 だが、童磨も上弦の弐。カナエが日輪刀を拾った僅かな時間に、決断を下していた。

 

 

 『血鬼術・霧氷・睡蓮菩薩』

 

 

 遮るは巨大な菩薩。拳をカナエに向けて振り下ろす。

 『花の呼吸・肆ノ型 紅花衣(べにはなごろも)

 カナエの大きな斬撃が、菩薩の拳を迎え撃つ。

 均衡は一瞬。先に耐えきれなくなった菩薩の肘から先が砕け散る。

 

 

 『花の呼吸・捌ノ型 日影菘(ひかげすずな)

 

 

 カナエは透かさず突貫した。地面を割る踏み込みで、菩薩の胴へ襲い掛かると、光速の斬撃を放つ。

 先は半ばまでしか斬れなかった菩薩。しかし、鬼となったカナエの一撃は、見事に菩薩を断ち切った。

 菩薩は形を維持できず、崩れ散っていく。

 飛び散る冷気の中、カナエは童磨に襲い掛かろうとするが、その表情を一転、憤怒へと変える。

 童磨がどこにもいなかった。

 

 

「~~っ!! 逃げられた!!」

 

 

 カナエが歯軋りしながら周囲を感知して探ると、童磨の気配はすでに遠くまで行っていた。一応、しのぶの逃げた方向とは違う。

 童磨は自身の最強の血鬼術を、逃走のためだけに使ったのだ。あそこでその判断ができる鬼が、他にいるのか。強大な敵を逃してしまったと、カナエは後悔の念しか浮かばない。

 

 

「――カナ、エ」

「っ、弦司さん!」

 

 

 愛する人の声が、カナエを怒りから覚まさせる。

 声の方へ駆け寄ると、先ほどカナエが横たえた場所に変わらず弦司はいた。まだ手足は生えてきていない。力が戻っていないのだろう。

 惨いとしかいえない状態の弦司。しかし、彼は苦痛を訴える事はない。ただただ、カナエを再び目にして泣いた。

 

 

「カナエ……カナエッ……!」

「お待たせしました、弦司さん。あなたの、あなただけの、カナエです」

 

 

 カナエは弦司を抱き締めた。ここにある確かな温もりが、カナエに伝わる。

 もう二度と感じる事はないと思っていた。もう二度と手に入るとは思っていなかった。愛する人が、確かにいた。

 カナエも涙が止まらなかった。

 愛する人を抱き締めている。今はそれだけで嬉しかった。

 

 

「弦司さん」

「カナエ」

 

 

 一頻り泣いた後、カナエは弦司を小脇に抱える。

 そして、涙を拭い笑顔で言う。

 

 

「みんなの所へ帰りましょ」

 

 

 

 

 しのぶが駆けだそうとした瞬間。しのぶは自身が狂ったかと思った。

 

 

「しのぶ」

 

 

 脚が思わず止まる。こんなの有り得ない。ならば、これは血鬼術だ。絶対に振り返ってはいけない。アオイをカナヲを、きよを、すみを、なほを守るために、しのぶは駆け続けなければならない。姉との誓いを守るために。

 だが、しのぶは理性に反して振り向いた。これは姉の声だと。唯一残された家族の声だと。自身の感覚が必死に訴えかけていた。

 

 

「しのぶ!」

「姉……さん……」

 

 

 そして、そこにいたのは確かに姉であった。ただし、気配は人のそれではなく……鬼。その証拠に、彼女がいつものように微笑むと、口から牙が覗く。

 しのぶを庇うように立った義勇は、明らかに動揺している。鬼を前にしたというのに、日輪刀を抜いていない。確かに、気配は鬼だ。だが、小脇には弦司を抱えているし、何より弦司の気配と()()()()()()。いや、同じと言ってもいい。

 きよ達はしのぶの羽織の裾を掴んで、固唾をのんで見守る。

 荒れた呼吸が収まらない。しのぶは何度も深呼吸しながら、一先ずアオイとカナヲを静かに下ろした。二人も目を大きく見開いて、カナエを見る。

 姉であって欲しい。だが一方で、姉であってほしくない。そんな矛盾した想いを抱えながら、しのぶは震えた声で尋ねた。

 

 

「本当に、姉さん……なの?」

「うん。姉さん、鬼になっちゃった」

「なっちゃったって、そんな軽く……」

 

 

 声も、雰囲気も、仕草も。全部が全部カナエだった。

 ――だが、鬼である。

 たったそれだけの事が、しのぶに二の足を踏ませる。弦司という良い鬼の見本がいるのに、鬼の姉を簡単に受け入れられない。

 カナエは寂しそうに笑った。

 

 

「そう……これが、弦司さんが感じていた事なのね……」

「! 姉さん、私――」

「ううん。いいの。だけど、これだけは言わせて」

 

 

 カナエはしのぶだけに笑いかけると、一番言いたかった言葉を。しのぶが一番聞きたかった言葉を告げる。

 

 

 ――ただいま。

 

 

「――姉さんっ!!」

 

 

 もう無理だった。鬼だとか、鬼殺隊だとか、どうでも良かった。

 姉が、胡蝶カナエが、生きて帰って来てくれた。もうそれ以上は何もいらなかった。

 しのぶは駆け寄ると、カナエに飛びつくように抱き着いた。カナエは抱きとめようとして、つい弦司を離してしまい――地面に落ちる前に、義勇が受け止める。

 

 

「姉さん! 姉さん!!」

「ごめんね、しのぶ。また心配をかけて」

 

 

 しのぶはカナエの胸で泣いて泣いて泣いた。鼻腔をくすぐる甘い花のような香りに、柔らかさ。失ったと思ったものが、ここにあった。

 声が枯れるまで、涙が止まるまで、しのぶは泣き続けた。

 一方、義勇に受け止められたはずの弦司は、カナヲ達の輪に放り込まれていた。

 

 

「弦司……良かった……」

「弦司さーん!!」

「良かったです!!」

「もうどこにも行っちゃ、やです!!」

「げんじ……兄さん」

 

 

 さすがに傷口は塞がってはいるものの、手足のないボロボロの弦司に全員が縋りつく。生きていて良かったと、誰もが喜ぶ。

 色々なものを失った。

 全員の思い出が詰まった蝶屋敷。カナエの人としての未来。カナエと弦司が紡ごうとしていた、その先も――。

 築き上げるはずだった幸福は薄い硝子の上に乗っていて、あっという間に破壊された。それでも、誰も欠ける事なく生き残った。

 もうあの日々は戻ってこないだろう。きっと今以上に苦しい時は来る。

 それでも、生きていれば、いつか幸せを掴む日は来る。それを信じて、もう一度手を取り合い突き進む。

 ――でも今、この時だけは、目の前の幸せを味わい続けた。 

 

 

 

 

 帝都の裏路地の一角。

 無人の通路に一人の男がいた。白い中折れ帽を被り、黒いジャケットを羽織ったモダンな紳士。

 鬼の首魁である鬼舞辻無惨、その人である。

 佇む彼の後ろに、跪く白橡色の髪に、虹色がかった瞳の男――上弦の弐・童磨。

 

 

「ご報告に参りました」

「報告? 何を報告するつもりだ?」

 

 

 童磨の体に衝撃が走る。皮膚が、肉が、骨が罅割れていく。全身に激痛が走り、血が流れ出す。

 無惨は青筋を立てて、言葉を続ける。

 

 

「私は言ったはずだ。『裏切り者の鬼を連れて来い』と。難しい命令ではないはずだ」

「返す、言葉、も、」

「黙れ、童磨。それどころかまた一匹、余計な鬼を増やしたな。なぜ、余計な真似をした? 裏切り者と異常者の感傷などに付き合わず、すぐに殺していれば増えなかっただろう、この馬鹿者が」

「……」

「童磨……童磨! お前には本当に失望した。こんな簡単な遣いもこなせないとは。『上弦の弐』にはもう期待しない」

「……」

 

 

 無惨はそれだけ言うと、童磨を見向きもせず去って行った。

 童磨の激痛が引く。全身の傷が塞がる。

 

 

「あはは。怒られちゃったなあ」

 

 

 童磨は血塗れで笑う。ただし、それは顔だけだ。声は全くの平坦だった。

 常に成果を収めて、人を『救済』してきた。童磨にとって、ここまでの失敗は初めてだった。ここまで人に貢献してきたのに、一度の失敗でこの仕打ち……自身が可哀想と思う。

 だが、童磨にそれ以上の感情は湧いてこない。胡蝶カナエの言う通り、喜びも悲しみも、当たり前の感情さえ感じていない。

 

 

「胡蝶カナエと不破弦司、か」

 

 

 しかし、自身が敗北する原因となった二体の鬼については、しっかりと覚えた。

 蝶の髪飾りの女の鬼と、変な血鬼術を使う男の鬼。

 自身の血鬼術との相性は最悪だ。このままでは次に会った時も、同じ結末だろう。そうならないように、何か対策が必要だろう。

 その一方で、会わなければそんな面倒な事もしなくても済むと思う。彼らは、はっきり言って頭がイカレている。死ぬ直前に血液を飲むなど、正気の沙汰じゃない。できれば、付き合いたくない。

 

 

「……帰ろうか」

 

 

 色々と思考を巡らしたが、結局は童磨の思考は他人事から変わらなかった。感情は生まれない。

 ――上弦の弐・童磨。彼は敗北し打ちのめされても、何も変化しなかった。

 

 

 

 

 ――上弦の弐の襲来。

 ――花柱の死。

 ――胡蝶カナエの鬼化。

 

 

 全ての情報が舞い込んだ産屋敷邸は、多忙を極めていた。

 一挙に舞い込んだ情報は、ほとんど全て前例のない事態に加え、思わず耳を疑うような情報ばかり。

 とにかく、柱を緊急招集したものの、情報をもたらされた彼らとて、同じ反応を返す事しかできず。

 そもそも、何が正しくて何が間違っているのか。結果、産屋敷邸で開かれた緊急柱合会議は喧々囂々の会議となり、夜通し議論が交わされる事となった。

 会議に必要な証言をした蝶屋敷の面々は、産屋敷邸の一室に通され睡眠をとっていた。

 本来なら怪我人もいるため、医療施設に運ぶのが正しいのだが……それは少女達が全会一致で拒否した。少なくとも、今日一日は絶対に離れないと、全員がカナエと弦司を掴んで離れなかった。

 とはいえ、疲労は全員が頂点に達している。全員が同じ浴衣に着替えて布団を敷くと、すぐに力尽きたように眠った。ただし、カナエと弦司を捕まえたまま、である。

 弦司はきよ、すみ、なほ、カナヲに圧し掛かられていた。全員から、気持ちのいい寝息が聞こえる。

 一方のカナエは、しのぶとアオイにしがみ付かれていた。凛とした二人が甘える姿は珍しく、思わず弦司とカナエの目尻が下がる。

 全員分の布団があるにも関わらず、この状態だ。今日一日、彼女達が目覚めるまで……いや、もしかして目覚めてもこのままだろう。

 

 

「弦司さん」

 

 

 そう思っていた弦司に、カナエがひそひそと声を掛ける。ちなみに、カナエも弦司と同じように、食糧で力を補給できる事が分かった。就寝前に食事を弦司と共に摂っていたので、手足も元通りになり、今は二人そろって力が有り余っている。

 

 

「どうした?」

 

 

 弦司も同じように、声をひそめて返す。

 

 

「二人きりになりたい」

 

 

 カナエの提案に弦司は少し驚いた。優しいカナエの事だ、今日は少女達を思い切り甘やかせ、逢瀬は先の話と思っていた。

 カナエが縋る様に弦司を見る。思えば、ここまで急激な変化があったにも関わらず、カナエは気を張り続けている。カナエは一度も、気を抜けていない。弦司は二人の時間が必要だと判断した。

 弦司が頷くと、少女達を引きはがし布団へと寝かしつける。やはり疲れていたのか、誰も起きる事はなかった。

 静かに部屋を抜け出す。すると、意外な人物が部屋の外にいた。

 神秘的な美しさを持った和装の女性。産屋敷あまね。耀哉の御内儀だ。

 

 

「付いてきて下さい」

 

 

 彼女は綺麗な所作で弦司達を先導する。あまねの考えが読めず、弦司はカナエと目を見合わせるが、カナエも分からないと首を横に振る。

 あまねが良い人だというのは、二人の共通認識。特に危害もないだろうし、何か意図があるかもしれないと思い、とりあえず着いていく事にした。

 辿り着いたのは、普通の和室だった。特に広くもなく、かといって狭くもない。

 ――ただし、部屋の中央には布団が一つと枕が二つ。

 もしやと思った弦司に、あまねは告げる。

 

 

「周囲は人払いを済ませております。子ども達が目覚めましたらお声を掛けますので、どうかそれまで二人でごゆるりと」

「えっ? えっ?」

 

 

 首を傾げるカナエ。理解が追い付ていないようだ。

 弦司は眉間を揉みながら、訊ねる。

 

 

「……つまり、自由に使っていいと?」

「はい。何なら、汚して――」

「分かりましたから! とりあえず、二人きりにさせてください!」

 

 

 あまねは口角を少し上げると、頭を下げて退室した。

 残されるのは、弦司とカナエ。あまねがあんな事も言える人物とは思っておらず、少なからず弦司は動揺する。

 

 

「…………す、座るか」

「はい……」

 

 

 とりあえず、部屋に入って二人して布団の上に座る。カナエもようやく理解が及んだのか、顔を赤く染めてそわそわしだした。

 急に変に意識してしまったせいか、雰囲気もおかしい。というか、そういうために二人きりになった訳ではない。鬼となってしまったカナエを、少しでも受け止めたくて二人きりなったのだ。

 弦司は深呼吸しながら、向き合って座ってみる。

 カナエの顔が良く見える。艶やかな唇に、僅かに覗く牙。思わず触りたくなるような、腰まで伸びた翠の黒髪。いつもの蝶の髪留めではなく、今は七色の簪を差している。そして、やや垂れた赤く大きな双眸は、熱を込めて弦司を見つめる。

 

 

「ん」

 

 

 弦司の手は自然と伸びて、カナエの両手を握った。小さくて柔らくて、タコだらけの手。想いが通じ合った日、ずっと握り合ったあの手と同じだ。それがもう一度、弦司とカナエが生き残った事実を感じさせてくれた。

 

 

「カナエ」

「弦司さん」

 

 

 互いに名前を呼び合うと、カナエが胸に向かって飛び込んできた。優しく受け止め、抱き締め合う。

 浴衣越しに感じるカナエの柔らかさ。温かさ。花のような瑞々しい甘い香り。五感で感じる全てが彼女はここにいると教えてくれる。

 

 

「カナエ……!」

「弦司さん……!」

 

 

 弦司もカナエも涙を流していた。童磨が現れたあの瞬間。もう二度と、愛する人と一緒にいられないのだと、どこか心の底では思っていた。どこかで、もう手に入らないモノと、諦めていた。でも、確かな温もりをもって、今ここに弦司とカナエがいる。二人きりになれて、彼女の生を弦司はようやく実感できた。

 本当に嬉しかった。だが、抱き締めたカナエの体は震えていた。今の弦司には、それが単なる喜びではないと、なぜか分かった。

 弦司は涙を流しながら、カナエの言葉を待った。

 カナエはつっかえながら、弦司に訴えかける。

 

 

「弦司、さん、ごめんなさい……!」

「うん」

「私、生き残れて、嬉しい……だけど、生きるのが、怖い……!」

「うん」

「死にたくない……! でも、鬼になって、しのぶに、あんな目で見られるなんて……私、怖いよ……!」

「うん」

「みんなと一緒に、陽だまりを浴びて、一緒に眠りたいのに……!」

「うん」

「……怖い、よ……」

「……うん」

 

 

 鬼となって、初めてしのぶに会った時。最初、しのぶの目は姉を見る目ではなかった。憎悪こそなかったが、あれは全く未知の生き物を見る目であった。

 鬼となった時は、きっと生き残れた喜びが大きかったのだろう。だが、時間と共に高揚感は落ち着いていき、冷静となった頭が事実を再確認させた。それでも、不安に押しつぶされそうになる少女達が目の前にいたからこそ、今の今まで気持ちを抑えつけていた。

 そして今、抑えを失った不安と恐怖が、カナエを苛む。

 弦司を間近で見ていたからカナエだからこそ、分かるのだ。鬼になる事の苦しさ、鬼でいながら人の傍にいる難しさ。何より、妹が恨み、自身が哀れみ、己の人生を最悪へと叩き落した存在となる……その不安と恐れは余りにも大きい。

 カナエは感情をただただ弦司にぶつける。

 弦司は知っている。生きたくない。死にたくない。矛盾する感情の行きつく果ては――。

 

 

「人になれれば、こんな想い、しないのに……」

「分かるよ。俺も同じだから」

 

 

 弦司はカナエの不安を少しでも和らげようと、艶やかな髪を撫でる。心配ないと、少しでも伝わる様に優しく抱きしめる。

 

 

「弦司、さん」

「大丈夫。俺がついてるから。カナエが守ってくれたように、今度は俺がカナエの心を守るから。だから、安心して……『俺に助けさせて下さい』」

「弦司さん……!」

 

 

 これは初めて弦司がカナエと出会った日。彼女が弦司にくれた言葉だ。この言葉があったから、弦司の今がある。

 彼女が与えてくれたものを、今度は弦司が与える番だ。

 カナエが泣きながら、あらん限りの力で強く抱きしめてくる。弦司も涙を流しながら、より一層優しく彼女を受け止める。

 

 

「それに心配はいらないよ。しのぶにアオイ。カナヲ、きよ、すみ、なほ。不死川に冨岡に……たくさん、俺達を助けてくれる人がいる。それに……カナエも」

「私……?」

「ああ。こんなにも人が助けてくれるのは、カナエが俺を助けようと尽力してくれたからだ。俺が頑張れるように、カナエが助けてくれたからだ。それは全て、今のカナエを助けるために、繋がるんだ」

「今までの私が、私を……」

 

 

 カナエは鬼と仲良くなろうと、弦司を助けようと頑張っていた。弦司は、この鬼は大丈夫だと周囲に伝えてくれた。それはカナエが鬼となった今、彼女の身に返ってくる。弦司は大丈夫だと理解してくれた彼らは、カナエも同じように、この鬼は大丈夫だと理解してくれる。

 

 

「カナエの夢が今のカナエを助けてくれる」

「――っ!」

 

 

 彼女は誰よりも傍で弦司を見ていたから、知っている。鬼になる事で、たくさんのモノを失っていく事を。人として生きていた軌跡を、徐々に失くしていく事を。

 だが、弦司はそうではないと言った。カナエが弦司を助けた分だけ、カナエを助けてくれる。弦司を助けたからこそ差し伸べられた手を見る度に、カナエは自身の人として生きた軌跡を知る事ができる。

 

 

「……私の、夢が、私を……う、ううっ……!」

 

 

 カナエは声を上げて泣き始めた。縋りついて救いを求める彼女に、弦司は与えられたものを少しは返せたのかもしれない。

 弦司はカナエを撫でながら、先の事を思う。優しさだけでは困難は乗り切れない。きっと、弦司とカナエは何度も苦しみ喘ぐ事になるだろう。それでも、必ず乗り越えてみせる。一人で乗り越えられなくとも、誰かが傍にいれば。弦司がそうだったように、カナエなら必ず前に進んでくれる。カナエと一緒なら、弦司も進んでいける。

 涙の末に二人の心には、相手に対する愛しさが残る。愛する人が傍にいる。それだけで、二人の顔に笑顔が戻る。

 

 

「カナエ。これから先も一緒に居るから」

「はい……」

「絶対、一緒に治そう」

「……はい!」

 

 

 互いの愛を確かめる様に、弦司とカナエは抱き締め合う。

 いつの日か、愛する者と幸せになるために、必ず人になると誓いあう。

 ――二人の鬼は、その日が来ると強く信じて、長い時を共に在り続けた。

 

 

 

 

 竈門炭治郎は困惑していた。

 鬼となった妹を治すために、炭治郎は鬼殺隊に入隊した。鬼の彼女と共に鬼殺に従事していた。

 ――鬼を連れた隊士。

 噂では人のために戦う鬼がいると聞いたが、噂は噂。炭治郎は珠世という人を喰わない鬼に会ったが、他には会った事も見た事もない。

 自身がどれだけ異例か、炭治郎は十分理解していた。それでも二度と妹と離れたくなくて共にいた。

 だが、那谷蜘蛛山での戦いの折、ついに女性の隊士が妹に刃を向けた。彼女の判断は間違っていない。隊士が鬼の傍にいれば、炭治郎でも助けようと斬りかかるだろう。

 刃が届く寸前で、自身の恩人・冨岡義勇により助けられたが、兎にも角にも鬼を連れている事が他の隊士にもバレてしまった。

 もう鬼殺隊に居られないのか。抜けなければいけないのか。

 不安にかられながら、連れていかれた鬼殺隊本部で――、

 

 

「大丈夫ですか、炭治郎君。他にどこか痛む個所はありませんか?」

「あ、大丈夫です! 痛いですけど、長男なんで大丈夫です!」

「ふふっ。何ですか、それは」

 

 

 整った容貌と小さく艶やかな口、大きな双眸は優しく炭治郎を見つめる。

 夜会巻きにした髪型と蝶の髪飾り。蝶の翅のような羽織が特徴的な小柄な女性。

 ――蟲柱・胡蝶しのぶ。

 妹に刃を向けたはずの彼女が、甲斐甲斐しく炭治郎の世話を焼いていた。拘束をしないどころか、炭治郎を治療してくれた。今も異常なほど、炭治郎に気を遣ってくれる。

 炭治郎は鼻が良い。人の感情を嗅ぎ分ける事もできる。彼女からは嘘の匂いはせず、それどころか罪悪感と親愛の情まで香ってくる。

 訳が分からず混乱する炭治郎に、しのぶは優しく微笑みかける。

 

 

「大丈夫ですよ。妹の禰豆子ちゃんは絶対に信頼できる人に預けています。今、鬼殺隊本部にいるのも、私達柱に君の事情を説明するためです。それが終われば、君も禰豆子ちゃんも解放されるでしょう」

「えっ!? 本当ですか!?」

 

 

 炭治郎は思わず訊き返す。

 鬼殺隊とはその名の通り、鬼を殺すための組織だ。その多くが、鬼によって幸せを奪われた者で構成されている。炭治郎もその一人だ。

 そんな組織の中で、鬼を連れ歩く……炭治郎はやっておきながら、そう簡単に許されるものではないと思っていた。

 しのぶは悲しそうに眉尻を下げる。一見、悲しそうに見えるが、炭治郎の鼻は違うと主張する。

 怒りだ。ただし、それは炭治郎に対してではない。

 

 

「ごめんなさい、私のせいですね。ちゃんと私が炭治郎君と禰豆子ちゃんの容姿を、予想できていれば良かったんです」

「えっ、そんな、しのぶさんは悪くありません!」

「そういう事らしいですよ、冨岡さん?」

「…………」

「ねえ、何か仰ったらどうなんですか?」

 

 

 綺麗な庭園の隅にいる義勇を、しのぶは目を細めて見る。鼻を使わなくても分かる。しのぶは義勇に怒っていた。

 

 

「何度も言いましたよね。人を喰らわない鬼がいるなら、私に会わせて下さい、と。会っていればこんな事態、避けられたのではないですか?」

「えっ」

 

 

 炭治郎は驚いた。義勇が自身を鬼殺の剣士として育てた鱗滝以外にも、禰豆子の存在を伝えていた事に。

 炭治郎が義勇を見ると、いつもの不愛想な表情のまま、

 

 

「(姉の事で胡蝶は頑張り過ぎている。もうこれ以上、背負う)必要はない」

「またそれですか。いつも言ってるじゃないですか、言葉が足りないと。今日こそ説明して下さい」

「……」

「……もういいです」

 

 

 しのぶはため息を吐くと、義勇から視線を外した。怒りの中に、僅かに悲しみの匂いを感じた。

 そんな彼らの様子に、他の柱達がそれぞれ反応を示す。

 

 

「……地味に姉妹だな。もう勘弁してくれよ」

 

 

 大柄の派手な男は呆れてため息を吐き、

 

 

「け、喧嘩はダメだよ」

 

 

 胸元の大きく開いた隊服を着た、桜色の髪の女性は狼狽しながら間に入り、

 

 

「胡蝶は冨岡の何に怒っているんだ!」

 

 

 まるで炎のような髪型をした男は叫び、

 

 

「…………」

 

 

 少年の隊士は空をただ見つめ、

 

 

「……南無」

 

 

 念仏が縫い込まれた羽織を着た大男は、数珠を鳴らしながら念仏を唱え、

 

 

「冨岡の言葉足らずはどうにかならないのか。痴話喧嘩ならまだしも、柱合会議にまで持ち込んでくるのは、どういう了見だ」

 

 

 木の上で寝そべった左右の目の色が違う細身の男が、ネチネチと冨岡を責め、

 

 

「…………ちっ」

 

 

 凶悪な目つきの傷だらけの男だけは、炭治郎を見て舌打ちをした。

 炭治郎には柱はとにかく個性が強烈な事と、しのぶと義勇の間に何かがあった事は分かった。

 しのぶが咳払いをする。

 

 

「とにかく、事前に炭治郎君の事情や禰豆子ちゃんの状況は、私から柱達へと根回ししています。お館様がいらっしゃったら、一緒に禰豆子ちゃんも来ますから、安心して君の口から説明して下さい」

「何から何までありがとうございます!」

「うんうん。やっぱり素直が一番ですね。ずっと素直な君でいて下さい」

「えっと……はい!」

 

 

 ほどなくして、お館様――産屋敷耀哉が来た。

 流麗な黒髪に華奢な体躯の男性で、顔の半分は爛れていた。目が見えていないのか、視線は中空で固定されている。

 

 

「私の剣士(こども)達。半年に一回の柱合会議に、誰も欠けず集まってくれて嬉しく思うよ」

 

 

 柱が全員跪き、慌てて炭治郎も跪く。だが、炭治郎に彼の言葉は耳に入っていなかった。耀哉の背後で控えている人物に目が釘付けだった。

 やや垂れた大きな双眸、艶やかな唇に腰まで伸びた翠の黒髪。さらに、七色の簪を側頭部に差した、色彩豊かな洋服を着た女性。そして、その隣にいるのは、整った容姿と優しい眼差しを持った、こちらも洋服の大柄の男性。

 どちらも目は赤く、口元から牙が見える。

 ――鬼だった。

 だが、その匂いは清らかだ。人を喰らわない珠世よりも、ずっと澄んでいる。妹の禰豆子に近いぐらいだ。ちなみに、その禰豆子は楽しそうに女性の膝の上に座り、男性に頭を撫でてもらっている。

 炭治郎はしのぶを見る。女性の鬼としのぶ。容姿も匂いも、あまりに似すぎていた。

 見られている事に気づいたしのぶが、炭治郎に微笑みかける。

 ――鬼としのぶは姉妹だ。

 身内が鬼となり、それでも鬼殺隊にいる。きっと、しのぶも家族を治すために、今も戦い続けているのだろう。

 家族が鬼となってしまう不安、恐れ、恐怖。理解を示してくれる人はいる。師匠の鱗滝と恩人の義勇。同期の我妻善逸に嘴平伊之助。

 だが、本当の意味で分かってくれる人はいない。どこかでそう思っていたのかもしれない。

 ――彼女は自分と同じだ。

 自分と同じ気持ちが分かるから、親身になってくれるのだろうか。少なくとも、彼女が頑張ってくれたからこそ、こんなにも簡単に炭治郎と禰豆子は受け入れられている。

 ――気づけば、炭治郎は涙を流していた。

 嬉しかった。自分を分かってくれる事が。分かり合って、戦ってくれる人が鬼殺隊にいてくれて。

 同時に誰も味方がいない中、戦い続けていたしのぶを、心の底から尊敬する。

 

 

「噂は聞いているかもしれないけど、炭治郎にも紹介しよう」

 

 

 耀哉のその言葉で炭治郎は現実に引き戻される。

 炭治郎は目元を拭い、彼の言葉に耳を傾ける。

 

 

「彼らは禰豆子よりも先に鬼となり、人のために戦い続け、証明してきた」

 

 

 ――鬼殺隊には二人で一組の鬼が存在した。

 たくさんの人の命を救い、その強さと優しさで隊士と柱を手助けした。

 鬼殺隊では誰もが尊敬する彼らだったが、鬼が人の中で生きる苦しみはたくさんあった。

 叩きのめされる事も、一度や二度ではなかった。

 それでも、歯を食いしばり、前に進み、二人で寄り添いながら人と成ろうとした。

 彼らを見て、皆は親愛を込めて呼んだ。

 

 

「『胡蝶家の鬼』カナエと弦司だ」

 

 

 ――これは鬼を哀れむ者と人を喰らわぬ鬼。本来なら、交わらなかった者たちの物語。




最後までお読みいただきありがとうございます。

本編については、これで終了となります。
後は後日譚と、番外的な話をいくつか投稿するかと思います。

リクエストは活動報告へ、後書きや解説はまた後日にでも。
それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

~追記~
リクエストは終了いたしました。
ご協力ありがとうございます。
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