鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

24 / 35
大変お待たせしました。
分からない単語があれば、近くの大人に聞きましょう。

それでは、今回も肩の力を抜き頭を空っぽにしてお読みください。


後日譚 胡蝶家襲撃後 ~首輪と血鬼術と吸引性皮下出血~

 蝶屋敷襲撃から一カ月が過ぎた。

 しのぶはもちろんの事、カナヲもアオイも動けるまで回復した。きよ、すみ、なほもだんだんと立ち直っていき、カナエと弦司、しのぶの添い寝もなくなってきた頃の事である。

 

 

 カナエと弦司には、新しい日課がある。夜、縁側で二人寄り添い外を見る事だ。

 カナエと弦司は鬼だ。当然、陽の光は浴びられないため、日中は室内にいなければならない。

 夜になっても、監視の目が外れる事はない。屋敷の中で過ごさねばならない。

 常に誰かがいる。二人きりの時間は、あまり取れない。夜の縁側は、二人きりに中々なれないカナエと弦司のために作られた時間だった。その時だけは、誰もが気を遣い監視の目さえ外れる。

 夜空を眺めながら、穏やかに過ごす二人だけの時間。だが、今日は縁側に座る二人の間には、僅かに距離があった。

 ――原因は一通の手紙だ。

 日中、診察室で熱心に手紙を読んでいたしのぶ。カナエが悪戯心で足音と気配を消して近づいた。

 

 

「しのぶ!」

「ひゃっ!?」

 

 

 突然耳元で呼ばれたしのぶは、手紙を机に落とした。自身の上げた声に、しのぶの頬が赤くなる。

 

 

「~~っ! 姉さん! 子どもみたいな真似はやめてよ!」

「ふふっ。随分と熱心に読んでたから。一体誰からのお手紙? 最近、よくお家に来る冨岡さん? それとも、不死川君?」

「冨岡さんも不死川さんも、義兄さんの様子を確認しに来てるだけっていつも言ってるじゃない。すぐにそういう事に結び付ける……」

 

 

 呆れるしのぶ。カナエは笑顔のまま視線を手紙に落とす。

 

 

「本当かしら――っ」

「……」

 

 

 手紙の名前に、カナエは動きを止めた。

 ――熊谷環。

 弦司の元婚約者の名前だった。

 カナエの環に対する感情は複雑だ。

 しのぶが環と交流を持つ事は悪くない。むしろ、『稀血』である環を気にかける事は、鬼殺隊として正しいと言える。

 拗れて捻じれた恋心。それが環の存在を目にする事さえ、カナエに嫌悪感を抱かせてしまう。もう弦司はカナエの物だ。カナエの物を振り回すなと思ってしまう。

 だが、それと同じくらい環の行く末を案じてもいた。別れの慟哭。鬼さえいなければ起こりえなかった悲劇。鬼殺隊に身を置いていた者として、環には幸せを掴んで欲しかった。弦司の目に入らない所で……という但し書きはついてしまうが。

 とにかく、この胸の内にある気持ちは、簡単には言い表せない。

 

 

「熊谷さんは、今どうしているの?」

 

 

 カナエはしのぶに訊ねた。警戒心なのか同情心なのか。はたまた、両方なのか。カナエにも、はっきりした事は分からない。

 しのぶは手紙を拾い、封筒にしまう。

 

 

「大丈夫よ、姉さん。環はもう義兄さんと会う事はないわ」

 

 

 しのぶの環に対する呼び方から、二人の親密具合がよく分かる。二人の間に何があったのか気になる所だが、カナエが引っかかったのはそこではない。

 

 

「会う事はないって……それってどういう意味?」

「だって、日本にはもういないもの」

「日本にいないって……?」

「ご主人の仕事の都合で、一緒にアメリカへ行ったわ」

「えっ」

 

 

 しのぶは封筒を掲げると、何でもない風に言う。

 

 

「この手紙はアメリカに入国した報せ。今頃はきっと、新しい家庭で異国生活の真っただ中ね」

「……」

 

 

 少し寂しそうに、しのぶが笑う。カナエは言葉を返せなかった。

 あの日の環の慟哭は今も忘れられない。同じような立場になったらと思うと、それだけで体が震えそうになる。もしも環のように弦司に別れを告げられてしまったら……カナエは耐えられない。耐えられたとしても、どこまでも彼を追いかけていただろう。

 彼を好いたからこそ、環の悲しみが分かった――つもりでいた。

 環は弦司から完全に離れた。今は環の気持ちが分からない。

 

 

「何となく姉さんが考えている事は分かるけど……義兄さんが環の目の前から一度消えて、もう一年以上経ったのよ。彼女は十分に想い続けてくれたわ。全部を振り切って、進んでいってもいいじゃない」

「……そう、よね」

 

 

 恋や愛は綺麗なだけではない。同じだけ、黒いモノや醜い感情、打算もある。それはカナエ自身が何度も味わい、証明したはずだ。そうでなければ、弦司や己に首輪を着けようなどと捻じれた発想に至りはしない。

 彼女の心変わりだって、その一つに過ぎない。どんなに綺麗な誓いも、想いも、誰かが紡いでこそ永遠となる。たった一人では、いつか朽ちていく。

 誓いを捨てて、新しい道を探す。例えその選択が綺麗と言われなくとも、幸せになるためであれば、その選択は何も間違っていない。

 弦司だってそうだ。環への想いを断ち切って、新しい道を選んだ。カナエを選んでくれた。

 

 

(この考えは、傲慢なのかしら……)

 

 

 そう頭では理解しても、カナエは全てを飲み込めない。己ならたった一人でも、想い続ける。命を失う最後の瞬間まで、愛してみせると考えてしまう。

 一方で夫は……弦司はカナエが手に届かない存在になれば、想い続ける事をやめてしまう。そういう彼だと知って、納得して一緒になった。そんな彼だからこそ、一緒になれた。

 飲み込めないのはカナエの身勝手だ。全てを尽くして弦司の傍にいれば、幸せは永遠だ。環とカナエを比較しても、失った時の想像をしても、何の意味もない。

 それでも、何が起きてもカナエだけをずっと愛し続けて欲しいと願ってしまう。しかし、その願望には弦司の幸せは含まれていない。己の欲望だけを押しつけている。こんなの良くないと思っても止まらない。悪い想像に、歯止めがかからない。

 幸せな未来が見えない。何もできない未来を考えてしまう。

 ――その夜の縁側、微妙な心根が二人の距離となった。

 

 

 

 

「……カナエ」

「……何?」

 

 

 カナエから驚くほど、固い声が出た。隣にいる弦司は困惑する。

 夜の縁側。いつもなら、心置きなく楽しむ二人だけの時間。そのはずが、今日はカナエがしのぶと何か話してから、ずっとこの調子だ。どこか弦司に余所余所しく、固い。

 二人の間に、風が吹き込む。距離が寂しい。

 何を話していたのか、弦司は確認していない。その内、話してくれるだろうと高を括っていた。それは全くの傲慢だった訳だが。

 間違いは正さなければならない。弦司はカナエを伺う。

 

 

「その……カナエに距離を空けられると、悲しい」

「……うん」

「近づいても、いいか?」

「……」

 

 

 カナエは即答しない。弦司の体が強張る。

 僅かに逡巡するような間を空けてから、カナエは無言で距離を詰めると、寝転がり弦司の太ももに頭を乗せた。弦司はカナエの意外な行動に驚くと同時に、安心で息を吐いた。カナエの空気も、先のものと比べれば和らいだ気もする。

 弦司はカナエが少しでも居心地が良くなるように、脚を組み直しながら彼女を見つめる。浴衣姿の彼女は、今日は頭に簪を差していない。夕闇の中、艶やかな長い黒髪が、まるで絨毯の様に広がる。月明かりが美しく輝かせる。

 弦司の指が、思わずカナエの髪を梳く。カナエは動かない。殺風景な庭を見つめる。

 

 

「……何か、あったのか?」

「……」

 

 

 弦司が迷いながら訊ねる。カナエが話さないから訊ねるべきか迷った。だが、今の弦司にカナエが何を思っているか分からない。聞かなければ前に進めない。

 少しだけカナエから剣呑な空気が漏れる。それでも、彼女はポツリと呟く。

 

 

「……熊谷さんの近況、聞いた」

「しのぶからか?」

「うん」

「それで、何か嫌な事でも聞いたのか?」

「……熊谷さん、他の男性と結婚して海外へ行ったそうよ」

「そうか」

 

 

 突然、カナエが横目で弦司を盗み見る。目が合った。カナエは慌てて目を庭へと戻した。

 

 

「そうか、って。他に何かないの?」

「ホッとした。俺は酷い事したからな。彼女がどんな選択をしても、幸せになってくれるならそれでいい」

「……」

 

 

 弦司は正直な気持ちを伝えた。ハッキリ言って、それ以外の気持ちはなかった。

 環と別れて一年。その半分以上を、人としての生を諦めて過ごした。人としての生活を取り戻した後も、彼女と過ごせたのは不破家にいた三日間だけだ。

 この一年間、なるべく環を想わないようにしていた。想いが乾くようにと願って、何度も何度も傷つけ放置した。その上を新しい気持ちで塗り替えた。

 環に対する情は残っている。だが、好意と呼べるものはもう残っていない。これが良い事か悪い事か。弦司には判断がつかない。ただ、カナエと今を心置きなく過ごすには、最善だとは思っている。この気持ちを、弦司は変えるつもりはない。

 カナエの髪を梳く指に力が入る。

 

 

「それで、一体何が引っかかってるんだ?」

「私だったら、絶対に最期まで想い続けるのに」

「……」

「でも、弦司さんはそうじゃない……」

「――っ」

 

 

 弦司はドキリとした。環に対する己の心の変遷は、まさにカナエが危惧している通りだ。弦司に反論する術はない。

 カナエが言葉にして、気持ちを形にしていく。弦司は黙って聞く事しかできない。

 

 

「幸福を壊されない様に、頑張るしかないって分かってる。でも、別の道を進んでいくあなたを想像しちゃう。悪い未来が頭から離れない」

「……」

「今が幸せだからかしら。どんどん先が怖くなる」

 

 

 カナエは弦司を見上げると、腕を伸ばし弦司の頚に縋りついた。

 何となくカナエの気持ちが分かった。先が、未来が不安なのだ。

 どれだけ言葉にしても、どれだけ距離を詰めても、どれだけ想い続けても。環の様に、もしくは人間だったカナエの時の様に、幸福は一瞬で壊される。幸福が失われた瞬間、鬼のカナエと弦司は、きっと何も残らず消えていくだろう。

 今が幸せだからこそ、その一瞬が訪れる事が怖い。例え不幸を乗り越えたとしても、カナエが手の届かないモノになってしまえば、弦司は別の幸せを作ろうとする。いつまでも壊された幸せを探すカナエと、もう道は交わらない。

 環の近況は、カナエに未来を想起させた。失い、それでも進もうとする弦司。今だけを感じていたカナエが、考えないようにしていた未来を思い出させた。

 鬼になったあの日、弦司が無理やり閉じ込めた気持ち。閉じ込めていた蓋が、ふとした拍子に外れた。吹き上げた不安は、どんどん広がっていき止まらない。止める術がない。

 

 

(ままならないな。鬼になったからこそ、一緒に居られるのに。鬼だから、不安で押しつぶされそうになる)

 

 

 カナエは弦司に依存している。以前よりももっと大きく深く。弦司がいなければ、ふとした拍子で太陽を浴びるのではないかと恐れ、日中は一人では歩き回れない。夜は誰もが眠り、静寂となった世界に取り残された気になる。寂寥感に包まれ、一人では落ち着く事もできない。

 弦司とカナエは愛し合っているだけで一緒にいるのではない。日中は太陽が恐ろしくて。夜は酷く長くて寂しくて怖くて。昼も夜も恐ろしくて怖くて、弦司とカナエは絶対に離れない……いや、離れられない。

 ()は幸せを感じられる。だが、僅か一寸先の未来を考えるだけで、そこには闇しかない。そして、今は明るく幸福だからこそ、先の暗闇が深く暗く見えてしまう。

 

 

「カナエ」

「弦司さん……私、弱くなったのかもしれない。これからもっと、弱くなるのかもしれない。これから沢山、辛い事があるのに。強くならなくちゃ、いけないのに……」

 

 

 弦司はカナエが離れない様に、横抱きで受け止める。受け止める事しかできない。

 カナエの感じている不安は、鬼になった弦司がずっと抱えている現実だ。解決する術はない。あれば、弦司もカナエもここまで傷つかず、何も不安を抱かず過ごせていただろう。

 今の幸福を感じて、いずれ訪れるであろう不幸に怯えながら、それでも堪えて幸せを目指す。それしか弦司達、人の心を持つ鬼にできる事はない。

 

 

「弱くなってもいい。足りないところは補い合おう。怖いなら俺を使って埋めてくれ。俺で幸せを感じてくれ」

「……」

「二人で寄り添って生きていこう」

 

 

 カナエはぎゅっと弦司の頚に、ぶら下がる様に抱き着く。僅かに、カナエのすすり泣く音が聞こえた。全てを流し終えるまで、弦司はカナエの頭を撫でた。

 

 

「……首元が寂しい。あなたが私の物だって、証が欲しい」

 

 

 弦司の首元を撫でながら、カナエは少しだけ湿った声で言う。

 弦司はカナエの頭をゆっくりと撫でる。

 

 

「発注したんだろ? 届いたらちゃんと着けるから」

「やだ。今すぐ、あなたが欲しい」

「俺はお前の物だって。でも、う~ん、そうだな……」

 

 

 カナエが急に我が儘になって、弦司に甘える。不安を溜められるより、こうやって無理難題を言って弦司を困らせてくれる方が何倍もいい。何より、こういうカナエも可愛い。

 とはいえ、今回はどうやって応えたら良いものか悩む。前世の知識がある弦司は二人分……いや、それ以上の知識がある。前世が随分と平和だったためか()()()()()も豊富にある。カナエに()()()()()()を教えて、やらせればかなりの不安が解消されるだろう。

 だが、同時に別の不安がある。

 恋心が捻じれたせいか、性癖も歪んでいる傾向がカナエには見られた。いや、そもそもムッツリだったのかもしれない。変な事を教え込めば、のめり込んでポンコツになる可能性がある。

 

 

(これぐらいなら、いいよな……?)

 

 

 弦司は前世の知識から、一つの行為をカナエに伝授する。

 

 

「首筋に唇を当ててくれないか?」

「えっ!? あの、何で……?」

「まあまあ、とりあえずやってみてくれ」

 

 

 困惑するカナエに、弦司が勧める。

 しばらくカナエと弦司の問答が続いた後、カナエはしぶしぶと唇を押し当てた。カナエのぷっくりした唇が、感覚が鋭敏な首筋へと当たる。何とも表現しがたい快感があった。同時にイケない遊びを教えて自分色に染めている様で、ちょっと後ろ暗い悦びが生まれる。

 だが、本番はここからだ。

 

 

「そのまま、吸ってみてくれないか?」

「……」

 

 

 カナエは言われるがまま、チュッ、っと僅かな音を立てて、首筋に唇を当てたまま吸い付く。

 

 

「離れてみてくれないか」

「? ……はい。これで――っ!?」

 

 

 カナエが唇を離すと、目を見開いて固まった。弦司の首筋には横長の赤い跡がある事だろう。カナエは耳まで真っ赤になっていた。

 前世の知識でキスマーク――あえて、和名をつけるなら、吸引性皮下出血――と呼ばれるものだ。

 首元が寂しいと言うなら、自分の物だという跡を付ければいい……との考えで弦司は教えたのだが、

 

 

「はふぅ……!」

(やっべ。間違ったかもしれん)

 

 

 カナエがいつもより数段目尻をトロンと溶かし、熱い吐息をこぼす。新しい扉を開けてしまったのかもしれない。

 

 

「んぅっ」

「っ!」

 

 

 僅かに後悔する弦司。そんなもの知るか、と言わんばかりにカナエが再び弦司の首筋に吸い付く。心なしか、さっきよりも強く吸い込む。

 そして、カナエは大きく音を立てて唇を離すと、弦司の首筋を見つめ妖艶に微笑んだ――と思ったら、すぐに不機嫌になった。

 

 

「弦司さん」

「……何でしょうか?」

「すぐになくなっちゃうんですけど」

「あっ、そっか。鬼だから、すぐに治るのか……」

「…………」

 

 

 弦司が当たり前の事実を言うと、カナエがますます不機嫌になる。ただしその目つきは、恐ろしく鋭い。

 

 

「以前にも誰かにやってもらった事があるの……?」

 

 

 どうやら、弦司の言葉から人間だった時に経験した時と現在を比較した、と思われたようだ。

 今世では、こんな事やるような女性と会った事もない。カナエぐらいのものである。

 知識の元も前世である。正確には弦司ではない。

 

 

「違う違う。ただの知識さ」

「ふーん……」

 

 

 否定すれば、カナエの目つきは僅かに和らいだ。とはいえ、証明する()が残らないのは、カナエにとってかなりの減点だったらしい。上向いた気持ちはすでに霧散している。

 しかしながら、他に証明する方法も思いつかないのだろう。カナエは再び弦司の首筋に口づけした。

 

 

「むぅっ」

「いぃっ!?」

 

 

 ただし、吸い付く力は先の比ではない。チュルチュルと音を立てて、弦司の皮膚を吸い込む。弦司の首筋が、カナエの口に引っ張られる。

 純粋な快感はない。僅かな痛みと正体不明の背徳感が、弦司の感覚を狂わせる。

 だが、どれだけ強く吸い込もうと、音を立てようと、鬼の再生能力には敵わない。カナエの目の前で赤い横長は消えていき、彼女はますます頬を膨らませる。

 

 

「むむぅっ!」

「カ、カナエちょっと――!!」

 

 

 カナエは意地になって弦司の首元に吸い付いた。

 強く殊更音を立てたと思ったら、数打てば残ると唇を押し当てる箇所を短時間で何度も変えてみたり。さらには、弦司の浴衣をはだけさせ胸元にも口づけする。

 唇の音だけが、夜の縁側に響く。カナエの艶やかな口が何度も弦司の首筋に押し当てられている。その事実を認識するだけで、快感が溢れてくる。もう弦司の体は高揚感でふわふわしてきて、されるがままだった。

 カナエに飽きるような様子は見られない。口づけに快感を見出したのか、時折「残れ~」と呪文を唱える始末だ。

 もしかして、跡が残るまでこの時間は続くのだろうか。もう跡が残ったっていい。というか、彼女の跡が弦司も欲しい……そんな風に思い始めた頃。

 ――ついに奇跡は起きた。起きて、しまった……。

 

 

「んんっ? ……んんんっ!?」

「えっ?」

 

 

 カナエの声が焦ったものに変わる。弦司が不審に思い視線を落とす。

 浴衣がはだけた胸元に、カナエがしなだれかかって口を大きく開けている。その視線の先、弦司の胸と首元には――赤い横長の内出血が無数。ただし、治る気配は一向に見られない。キスマークが本当に残っていた。

 

 

「あれっ。えっ。嘘」

「えっ。いや、何で」

 

 

 二人してしばらく慌てた後、一つの答えにたどり着く。

 ――血鬼術。

 そう、変化を操る血鬼術だ。これを使い、肌に内出血を残した状態に『変化』させれば、跡が残っているように見える。

 弦司とカナエは乾いた笑いを上げると、

 

 

「なーんだ。もう弦司さん、驚かせないで欲しいわ」

「はー、焦ったぁ。驚かせるなよ、カナエ」

「……驚いたから、元に戻してもいいわよ」

「……驚いたから、元に戻してくれないか?」

 

 

 互いに笑顔を引っ込め、真顔で要求する。弦司の体の跡は一向に消えない。

 

 

「ね、ねえ、冗談よね、弦司さん……?」

「いやいや、カナエさんこそ冗談でしょう……?」

「私の事、大好きなのは伝わったから、もういいわよ?」

「俺の事、大好きなのは分かったから、戻していいぞ?」

 

 

 今度は二人して、頬を引き攣らせる。お互いの様子から、どちらも嘘や冗談を言っている風には見えない。

 ――つまり、これは二人にとって予想外の異常事態だった。

 

 

「どうするのよ!?」

「どうするんだよ!?」

 

 

 弦司は浴衣の胸元を隠し、カナエはきっちりと帯を締め直す。胸元の跡は隠れたが、首筋の跡は浴衣では隠せない。

 ――その数、十数個は下らない。

 弦司とカナエは焦る。つい先日、節操を持てずにしのぶにこってりと絞られた。

 しのぶの目の前に、弦司がこんな姿で現われでもしたら。ただでさえ目減りしているカナエの姉としての威厳が死に絶える。元々ない弦司の義兄としての尊厳は絶滅する。すぐにでも消さなければ、家庭内カースト大転落の危機だった。

 二人で必死になって皮膚を伸ばしたり、浴衣の袖で拭ってみる。だが、一向に跡は消えない。

 

 

「あーもう……マジでどうするんだよ」

「本当にどうするつもりよ」

「……」

「……」

 

 

 互いの声音に、どこか相手を責めるような空気を感じる。

 二人は苛立ちから、互いを睨み付けた。

 

 

「……ねえ、何でそんな他人事みたいに言うの?」

「はぁっ? そりゃ俺は被害者だからな。他人事にもなるだろ」

「……」

「……」

 

 

 互いの言い様に、カチンと頭にきた。

 

 

「弦司さんの血鬼術でしょ? どうにかしてよ」

「残れとか言ってたのはカナエだろ。どう考えたってカナエの血鬼術だ。お前がどうにかしろって。そもそも、俺の頚に吸い付きまくったのはカナエじゃないか」

「何それ? 無知で無垢な私に、イケない事を仕込んだのは弦司さんでしょ。あなたが責任取ってどうにかしてよ」

 

 

 ほとんどやった事もない喧嘩を、二人は絶体絶命の危機に始めた。

 どんな危機的状況でもぶつかり合わなかった二人が言い争う事態。それが、現状がどれだけ異常状態か知らせる。しかし、知らせた所で何か対応策が思い浮かぶはずもなく、二人の言い争いは激しくなっていく。

 

 

「そもそも、カナエが首輪とか言うのが悪いんだろ! 変な事言わなければ、俺は何も教えなかった! 俺は悪くない!」

「何で私のせいにしてるのよ! 弦司さんだって、最後にはノリノリで私に教えたくせに! 私は悪くありません!」

「無責任な事言うなよ! しのぶに見つかったら、どうするつもりだ!」

「あなたがやらせたって言うもの! 私は大丈夫です!」

「なら、何回もやったのはカナエだって俺は言うぞ!」

「ならって何よ!」

「ならはならだよ!」

 

 

 至近距離で睨み合う二人の耳が、足音を捉える。

 以前、夢中になったせいでしのぶに見つかってしまった。その時の反省を活かして、弦司とカナエは二人の時でも周囲に気を配る事にしていた。

 

 

「ああもう、どうしてこんな時に!」

「弦司さん、頚! このままじゃ見つかるわ!」

「えっ、あっ、どうすれば」

「とにかく隠さないと――!」

 

 

 二人は慌てて離れると――しかし、弦司の首筋の跡に思い至り――どうするあれするとワチャワチャしてから、

 

 

「お二人とも、どうかなさいましたか!?」

 

 

 縁側に繋がっている一室から、浴衣のアオイとカナヲが駆け込んでくる。

 

 

「……本当にどうしたんですか?」

 

 

 アオイは怪訝そうに眉根を寄せ、カナヲは無表情のまま首を傾げる。

 アオイとカナヲが見たものは、カナエを俗に言うお姫様だっこする弦司であった。首元が見えない様に、カナエの腕はガッチリ弦司の頚を抱き締めている。

 

 

「さっきから随分と大騒ぎされてましたが、どういった経緯でそうなったのですか?」

「えっと……」

「ほら、やっぱり俺とカナエってカナエの方が強いだろ? もっと強い所を見せろって言われて、これならどうだ! って……」

「そ、そうなのよ、アオイ! 私もやっぱり女性だから、夫の力強い所を見たいなぁって!」

 

 

 弁解する弦司とカナエに、アオイは不審の目を向ける。

 そして、溜め息を一つ吐き出すと、

 

 

「……まあ、お二人ならそういう事もあるでしょう」

「……」

「……」

 

 

 その一言でアオイは納得した。ちょっと複雑な弦司とカナエであった。

 とはいえ、これで一先ずは危機を脱出……と思う二人の前に、カナヲがお姫様抱っこされているカナエへ一通の手紙を渡す。

 

 

「これは?」

「二人とも明日は空いていますよね?」

 

 

 疑問符を浮かべるカナエに、アオイが予定を尋ねる。事実上、軟禁状態の弦司とカナエに予定など存在しない。

 

 

「空いてるけど……」

「どうかしたのか?」

「二人の処遇の報告に、柱の方々がいらっしゃいます。しっかりと準備していて下さい」

「えぇっ!?!?」

「うっそぉ!?!?」

 

 

 とんでもない報告に、弦司とカナエは驚愕に飛び上がりそうになる。

 柱が報告に来る事や、ついに二人の処遇が決まるのか等々、もちろん聞き逃せない事はある。

 だが、それ以上に――。

 

 

これ(キスマーク)で柱の前に出るの!?)

 

 

 二人して全身から冷や汗を流す。こんなものがバレでもすれば、ヤバイ夫婦確定だ。もしかしたら頭に変態、とか付くかもしれない。

 

 

「延期とかできないのか!?」

「どうして何も予定がないのに、弦司が延期するのですか? 柱の予定に合わせるに決まっているでしょう」

「だ、だよなぁ……」

 

 

 せめてもの抵抗として弦司が変更を提案するも、アオイに一刀両断される。

 

 

「それでは明日の午前中、忘れない様に。慌てないよう今日中に準備だけはしておいて下さいね」

 

 

 二人を残して、アオイとカナヲは縁側から離れていった。

 

 

「……」

「……」

 

 

 アオイとカナヲの姿が見えなくなってから、二人は動き出す。

 

 

「とにかく、明日まで血鬼術を制御下にして!」

「跡を消す!」

 

 

 今はとにかく、首元を綺麗にする。そればかりを考えて、鬼の夫婦は行動を始める。

 ――処遇や未来は、完全に脇へ置き去って明日を迎えた。

 

 

 

 

 長期間に渡った緊急柱合会議。カナエの経過観察の末、とうとう二人の処遇が決まった。今日はその処遇を伝えに、何と三人もの柱が訪れていた。

 ――盲目の隊士・悲鳴嶼行冥。

 ――元忍・宇随天元。

 ――不愛想・冨岡義勇。

 日の当たらない和室に柱を含めて計七名が正座する。カナヲときよ、すみ、なほは隊士ではないので、部屋にはいない。外で聞き耳を立てている。

 緊張の面持ちで、蝶屋敷の面々は柱達の向かい側に座る。その中でも、弦司とカナエは気合が入っているのか、二人とも洋服姿だった。

 弦司は黒色のタキシードで、襞胸のシャツで首元はきっちり蝶ネクタイを締めている。カナエは紺色のワンピース型の襟が高いドレス。彼女には珍しく化粧までしていた。

 二人は特に顔を強張らせて待つ。とうとう二人の未来が決まるから――ではない。

 

 

(見えてないよな……!)

(バレないでお願いします、天国の父さん母さんお願いします)

 

 

 弦司の首元の跡がバレないかどうか、気が気ではないからだ。

 結局、二人して血鬼術の制御は失敗した。次善の策として、襟の高い服を着飾る事で何とか誤魔化していた。そして、いい塩梅に緊張した事で「どんな処遇になるか気になっている」と誰もが勘違いしていた。

 とりあえず、掴みは成功だ。なるべく弦司は気配を消し、カナエが受け答えを行い、恙無く報告を終えるだけである。

 一番最初に口を開いたのは行冥だった。

 

 

「まずは、二人に祝いの言葉を贈ろう。二人の末永い健康とご多幸をお祈りいたす」

「ありがとうございます、行冥さん」

 

 

 何食わぬ顔で礼を言うカナエ。

 行冥は涙を流すと、次いで、見えない目が弦司を射抜く。

 

 

「ただし、少しでも彼女を不幸にすれば、私は君を認めない」

「はい、肝に銘じておきます」

「それと――」

「悲鳴嶼、今日の目的は違うだろ。ったく、こうなると思ったから俺が着いてくる羽目になったじゃねえか」

「…………南無」

 

 

 説教が始まりそうになり、天元は予想していたようで行冥を止める。誤魔化すように念仏を唱える行冥に天元はため息を吐きながら引き継ぐ。

 

 

「まずは結論から言うと、お館様は鬼に対処するよりも鬼殺隊へ貢献する事を望んでいらっしゃる」

「? それはどういう意味でしょうか?」

「鬼殺を主な生業とせず、訓練に援護、研究にこそ心血を注いで欲しいそうだ」

「……弦司さんの時と比べて、随分と消極的ですね」

 

 

 カナエが困惑気に眉尻を下げる。

 今まで、鬼殺隊にいた鬼は弦司一人だ。その弦司の役割は、主に()()の援護。隠や隊士の戦闘を補助し、時に鬼と相対し鬼殺を行っていた。だが今、天元が言ったカナエと弦司の処遇は訓練と援護と研究……後方支援に回すのとほぼ同義だ。今まで弦司の希望で鬼殺を行っていたとはいえ、今回の判断はあまりにも軽く、優しすぎる。

 

 

「今の私と弦司さんであれば、上弦の鬼とだって戦えます。使わない手はないでしょう。まさか、私達の心情を慮った……とは仰らないですよね?」

「ないとは言わないが、他にも理由はある」

 

 

 天元が指を三つ立てる。

 

 

「まずは単純に鬼殺隊の戦力の問題だ。胡蝶はともかく、俺や悲鳴嶼、冨岡と不死川は最低二人いて、ようやく上弦の鬼と戦える。胡蝶に柱二人いて、やっと討てる可能性が生まれる。ぶっちゃけ、今の鬼殺隊でそんな状況作るのは、まず無理だ。なら、上弦の鬼と同等の力を持つ胡蝶を、成功するかどうか分からない討伐に向かわせるより、隊士を鍛える方がよほど効果はあると判断した」

「ですが、私達なら少なくとも上弦の弐を討つ事は可能です」

「かもな。だが、お前達でも歯が立たない可能性がある化け物が、一体いるだろう」

「……上弦の壱ですか」

 

 

 童磨は上弦の()。つまり、あの童磨でさえ敵わない鬼が、鬼舞辻無惨以外にも一体存在する。

 

 

「お館様はお前達が活発に鬼殺を行う事で、上弦の壱が現れる事を警戒されておいでだ」

「上弦の弐が一方的に敗れたとなれば、壱が動く可能性が高い、と?」

「ああ。確かにいずれは討たないといけない鬼だろう。だがな、現状の戦力差で挑むのは勇気ではなく無謀だ。そもそも、お前達が上弦の弐に圧勝できたのも、血鬼術の相性が良かったからに過ぎない。上弦の壱を討てる……いや、そもそも上弦の鬼を討てると考えるのは、早計過ぎるだろう。まあ長々と話したが、上弦の壱に討たれる事を避けたい、というのがお館様のお考えの一つだ」

 

 

 今まで、鬼殺隊は鬼舞辻無惨を倒すという大目標はあったものの、どこまで強くなればそれが可能なのか、詳細な方針が定まっていなかった。それが上弦の弐の出現と、カナエの鬼化で一つの目安ができた。もちろん、目安ができたからと言って鬼舞辻無惨討伐に足りえる訳ではない。それでも、討伐に必要な下限値が見つかった。この基準まで、まずは柱を、そして他の隊士を引き上げる。最悪、引き上げはせずとも、上弦の鬼の強さを鬼殺隊全体で共有する。そのために、弦司とカナエは決して失えない、という事だろう。

 カナエは納得して、最後の理由を訊ねる。 

 

 

「それで三つ目は?」

()だ」

「それはお館様の……?」

「ああ。お館様が仰るには『まだその時じゃない』そうだ。どうやら、来るべき時までお前達にはあまり派手に動いて欲しくないらしい」

 

 

 産屋敷家は千年近く鬼殺隊を率いて鬼と戦い続けている。その歴史の中、壊滅の憂き目にあったのは一度や二度ではない。だが、その度に危機を脱し生き抜いている。

 代々産屋敷の当主が持つ直感……それが、今回の処遇を決断させたようであった。

 それに、と天元は続ける。

 

 

「お前ら()()の信頼は十分ある。この一カ月の動向を見ても、今までのお前達があげた成果を裏付ける結果しか得られなかった……まあ、監視を担った隊士には悪い事をしたが、それは地味にどうでもいい。とにかく、人を喰らうなんて事はないと、派手に信じている……喜べ、これは柱全員の意見だ」

「柱、全員……!」

「お前達がやってきた事が、ようやく派手に実を結んだって訳だ」

 

 

 緊急柱合会議で一度、弦司とカナエは糾弾された。その事もあり、弦司は身を粉にして人のために戦った。カナエは裏で、彼が危険ではない事を伝えて回った。

 味方となり得る鬼がいる事を弦司とカナエが証明し続けた。その積み重ねが、新たに鬼になったカナエに適用された。

 カナエが涙ぐむ。今までの功績が認められた、だけではない。仲間達が、カナエを認めた。鬼になる事で人であった軌跡も失われなかった。むしろ、今日の報告で人であった軌跡を確認できた。今までの活動が間違い出なかったと知れた。それが何より嬉しかった。

 行冥は大粒の涙を流し、 

 

 

「私達は君達を認める。これからも、鬼殺隊にいてもらいたい」

 

 

 弦司とカナエに否やはない。二人で喜んで頷く。

 こうなると気になるのは、二人の鬼殺隊内における立ち位置だ。少なくとも、普通の隊士と同じという訳にはいかない。

 カナエは目元を拭うと、天元に訊ねる。

 

 

「私はまた柱をやるんですか? あっ、でも鬼になりましたから、花柱ではなく鬼柱でしょうか?」

「いや、お館様は遊撃を頼みたいそうだ」

「遊撃?」

 

 

 天元の聞きなれない言葉に、カナエは頸を傾げる。

 天元は説明を続ける。

 

 

「胡蝶は陽の光を浴びられない。悪いが、これでは柱としては十全に働けない」

「それは……はい、そうですね。それは仕方ないです」

「だが、柱と同等以上の力は持っている。だからこそ、お前達には鬼殺隊の隊士とは別枠として、お前達が一番効果的になるよう働いてもらいたい」

 

 

 鬼と人間では、当然生活様式は異なる。人は日中動けるのに対し、鬼は夜間だけだがいくらでも動ける。弦司とカナエを効果的に動かすには()……いや、そもそも隊士という人間と同じ位置づけが非効率的なのだ。

 だからこそ、今の鬼殺隊にない遊撃という位置づけで、訓練と援護と研究に回って欲しいとの事だった。

 

 

「さっきも言ったように、お前達には隊全体の援護に回ってもらいたい。鬼殺の援護に、柱や隊士の援護に鬼の研究……ただ、そうなると常に蝶屋敷にいられなくなる」

「なぜですか」

 

 

 ここで初めてしのぶが割って入った。

 

 

「蝶屋敷を拠点にして、援護に回れば良いじゃないですか」

「おいおい、柱達が派手に忙しい事を忘れたのか? 忙しい柱の元には、お前ら夫婦が行くんだよ」

「でも――」

「それに、また上弦の鬼が来ないとは限らない。悔しいが、今の俺達じゃあ二人以上いなければ足手まといになる。戦力が集結できない内は、戦いは避けるべきだ。なら、二人には攪乱の意味も含めて、拠点を定めない方が良い」

「――っ」

「理解したか?」

 

 

 しのぶは下唇を噛むと、悔しそうに俯いた。最愛の姉が生き残ってくれた。鬼殺隊にも認められた。だから、また二人で暮らす事ができると思っていたのだろう。

 カナエはそんなしのぶを見て微笑むと、しのぶの隣に膝を進めた。

 

 

「しのぶ。宇随さんは()()って言ったでしょ。別に二度と来られなくなる訳じゃないのよ。私の経過観察や鬼の研究で立ち寄る事は少なくないから、そんな顔しないの」

「うん、ごめん……もう大丈夫」

 

 

 しのぶは目元を擦ると、すぐに顔を上げた。もう悔しさも悲しみも残っていない。すでに前を向いて動き始めている。

 しのぶの成長に、柱の誰もが目を見張った。そして、遠からず彼女こそが鬼殺隊を支えるだろうと皆が思った。

 

 

「話は以上ですか?」

「おっと、地味に忘れる所だった……冨岡」

 

 

 話は終わったのかとしのぶが訊ねると、天元が先から不愛想な石像となっていた冨岡を促す。

 冨岡は少しだけ頭を下げると、一言。

 

 

「世話になる」

「……何が!? えっ、私が冨岡さんの世話をしろという事ですか?」

 

 

 天元がため息を吐くと、

 

 

「今後、警戒を強めていくが、今回の様に蝶屋敷が襲われる可能性もない訳じゃない。その時、妹だけじゃ不安だろ。だから、冨岡がもしもの時のために、頻繁に蝶屋敷に訪れる事になった。訪れる時は『世話になる』からよろしくしてやってくれ」

「そう仰いたかったんですか!? 分かる訳ないでしょ! 冨岡さん、言葉が足りな過ぎです!」

「……」

「不思議そうな顔しないでよ!?」

 

 

 しのぶがワイワイ騒ぎ、場の空気が弛緩していく。天元と行冥も、微笑ましい物を見るような優しい眼差しで、しのぶと冨岡を見る。どうやら、彼らが伝えたい事はおおよそ伝えたようだ。

 つまり――。

 

 

(乗り切った!)

(やった……ありがとう、父さん母さん……!)

 

 

 弦司とカナエが肩の力を抜いて脱力する。キスマークがバレなかった上、鬼殺隊でも非常に良い立ち位置を手に入れられた。最上の結果だった。後は首筋が見られない様に細心の注意を払い生活し、旅立つだけだ。

 ――だが、また奇跡は起きた。起きて、しまった……。

 

 

「お話し中すみません、カナエ様、弦司さん、お荷物が届きましたよ」

「前田まさおさんって方からのお届け品です」

「隊服みたいですよ」

 

 

 きよ達三人が襖の向こうから声を掛ける。彼女達の口ぶりから、裁縫係・前田まさお(ゲスメガネ)から隊服が届いたらしい。

 

 

(マジかよ!?)

(嘘!? 何で今!?)

 

 

 弦司とカナエは内心、滅茶苦茶焦り始める。首輪は前田まさお渾身の一作だ。当然、カナエは彼に再作成を依頼した。隊服に混ざって入っている可能性が十二分にあった。ここで開くような事態は、避けねばならない。

 

 

「部屋まで運――」

「あのゲスメガネ……! きよ、その箱貸して」

「はい」

 

 

 指示を出すカナエをしのぶが遮った。そして、立ち上がり襖を開け放つと、目尻を吊り上げて隊服が入っていると思われる木箱をきよから受け取った。

 弦司とカナエが焦る。

 

 

「ちょ、ちょっとしのぶ!?」

「どうしたんだよ!?」

 

 

 弦司とカナエも立ち上がり制止させようと声を掛ける。が、しのぶは止まらない。

 

 

「いい機会だから見て下さい、悲鳴嶼さん、宇随さん、冨岡さん! あの男、女性隊士に対して卑猥な隊服を渡すんですよ!」

「何っ……!」

 

 

 しのぶの発言に行冥までが憤って立ち上がる。このままでは、箱の中身を皆に見られてしまう。

 弦司とカナエは焦り、しのぶから木箱を奪おうとするも、宇随と冨岡が不審の視線を弦司達二人に向けてくる。

 結果、弦司とカナエの動きは鈍る。

 

 

「これが、その証拠です!」

 

 

 そうこうしている間に、しのぶが木箱をひっくり返した。

 ドサドサと畳に散らばる二着の隊服。その上に、黒いぶ厚い固定具の付いた帯――いわゆる首輪が二つ、転がり落ちた。

 

 

「えっ……?」

(ああああああああっ!!)

(うああああああんっ!!)

 

 

 しのぶは言葉を失い、弦司とカナエは心中で絶叫した。

 状況は最悪だ。柱三人に加え、しのぶ、アオイに襖が開いてるから、カナヲ、きよ、すみ、なほにも見られている。まるで親戚一同に艶本が見つかったかの如き事態だった。

 この場を乗り切る方法は一つ。

 

 

(前田まさお――!)

(彼に罪を擦り付ける――!)

 

 

 弦司とカナエは一瞬、目配せをして全てを前田まさおに押し付けることにした。最低だった。だが、蝶屋敷の皆や行冥に変態に思われるよりかは遥かにマシだ。

 

 

「えっと……」

「何だこれ?」

 

 

 二人は素知らぬ顔で首輪を拾い、さも初めて見たという表情を浮かべた。この夫婦、すっかり面の顔がぶ厚くなっていた。

 カナエは困惑したように眉尻を下げ、弦司は興味深そうに首輪を眺め、しのぶに話を振る。

 

 

「最近、鬼殺隊でこんな防具でも流行っているのか?」

「馬鹿言わないでよ!? 流行っている訳ないじゃない! こんなの着けて戦うって、どんなド変態集団よ!?」

「ド変態……」

 

 

 しのぶが青筋を立てて怒鳴り上げる。しのぶの反応から、カナエが発注したものだと露見してしまえば……恐ろしくて二人は身震いする。何としてでも、隠し通さなければならない。

 

 

「全く……どういうつもりなんだろうな」

「前田君には困ったものね」

「困った、じゃないわよ。私、正式に抗議するから!」

「私からも伝えておこう」

 

 

 憤るしのぶと行冥を見ながら、弦司とカナエは苦笑して隊服と首輪を箱に戻す。このまま流せば、全部前田まさおに罪をおっ被せられるだろう。

 ――だが、弦司達の目論見は崩れ去る。

 

 

「それは何だ?」

 

 

 義勇が何やら落ちていた紙を指し示す。どうやら、ひっくり返した時に落ちたようだった。

 しのぶは拾うと、

 

 

「発注承りましたが、もう勘弁して下さい……胡蝶カナエ様!?」

「!?!?!?」

 

 

 読み上げ、信じられないものを見るように、目を見開いてカナエを見た。ちなみに、異常を感知したアオイはきよ達を連れて、部屋を離れていった。

 部屋に残った柱三人としのぶの視線が、カナエに集まる。カナエの額から、大量の汗が流れ始める。弦司はもう吐きそうだった。だが、まだ確信という訳ではない。疑惑の段階だ。弁明次第ではどうにかなるはずだ。

 カナエはやれやれ、とでも言うように長い吐息を吐く。ただし、指先は震えていた。

 

 

「私に罪を擦り付けるなんて、前田君は酷いわ」

「……姉さん直筆の手紙もあるけど」

「!?!?!?」

 

 

 しのぶが無表情で紙に添付された書類を見せつける。前田まさおに首輪の作成を頼む手紙だった。どうやら、前田まさおはもう二度とやりたくないため、証拠の品を揃えて突き返してきたようだ。それを最悪にも、しのぶに見られてしまった。

 しのぶは当然、カナエの筆跡を知っている。そのしのぶが、姉の手紙と判断した。もう言い逃れは不可能だった。

 

 

「はわわ」

 

 

 言い訳できない証拠に、今度こそカナエの表情が崩れて顔色を青くする。弦司は眩暈がして倒れそうだった。

 しのぶは書類を落として俯く。

 

 

「そん、な……」

「こ、これは違うのよ、しのぶ!」

 

 

 カナエは声音を震わせながら、しのぶに恐る恐る近づく。

 

 

「これは……そう、防具! 防具だから、決して変な意味は全く――」

「――った」

「えっ」

「姉さんが……ド変態になっちゃった」

「ドヘ――!? し、しのぶさん!?」

 

 

 しのぶは顔を上げると、大粒の涙を流して断じた。

 妹の涙に勝てるはずもなく、カナエが膝から崩れ落ち、流れるように土下座する。

 

 

「町でも評判の美人で習い事も何でもできて、優しくて清廉な姉さんが……首輪を頼むようなド変態になっちゃったぁっ!!」

「お願いやめて……! 行冥さんも宇随さんも冨岡さんもいる前で、もうやめてぇっ……!」

 

 

 最悪の事態になって呆然とする弦司は、妻の土下座する姿に俄かに我に返る。こうして呆然としている場合ではない。このままでは、弦司に延焼する可能性だってある。早く事態を収めなければならない。

 だが、どうすれば収まるのか、弦司には見当もつかない。

 

 

「おい」

「っ!?」

 

 

 どうやって収拾しようか考えていると、行冥が弦司を呼んだ。振り向いたその先には、身を震わせる行冥がいた。その背中には、般若が見えた。

 行冥はじゃりじゃりと数珠を苛立つように鳴らせると、

 

 

「しのぶの言う通り、優しくて清廉な娘()()()

(もう過去形にされてる……)

「それが突然、こうなった……原因は君だな」

「!?!?」

 

 

 断定されて、弦司の胃が悲鳴を上げる。

 それはある意味、当然の結論だった。弦司に会うまで、カナエにそういった傾向はなかった。なら、何が原因かなど考えるまでもなく弦司だ。

 しのぶが歯をむき出しにして、弦司を睨みつける。それだけで、胃に穴が空きそうになる。

 

 

「やっぱり、お前が姉さんを誑かしたか!」

 

 

 しのぶが怒りながら弦司に詰め寄る。案の定、弦司に延焼してしまった。

 弦司はカナエを見るが、あうあう言うだけで何もしない。いや、何もできない。

 

 

「おい、宇随に冨岡、助け――って、どっちもいない!?」

 

 

 破れかぶれに他の二名を呼ぶと、どちらもすでに部屋にいなかった。こんな面倒な事態に付き合ってられないと逃げたのだろう。

 

 

「姉さんに一体何をしたの! させたの!」

「これが幸せなどと私は認めない」

「いや、ちょっと、やめて!?」

「!? 二人ともちょっと待って!」

 

 

 弦司は抵抗できず、しのぶと行冥に掴みかかられた。弦司とカナエは危機感から制止の声を上げるが、二人は止まらない。服の下には、さらなる爆弾が仕掛けられている。見られたとしても、生真面目な二人なら何か分からないはずだが、見られないに越した事はない。

 弦司とカナエは何とか二人を止めようとするも、興奮したしのぶと行冥は弦司を掴んで左右から引っ張り続ける。

 

 

「私の姉さんは変態じゃない姉さんよ! 変態じゃない姉さんを返せ!」

「純粋無垢な彼女に何をした。私は君を許さない」

「待って! 服を引っ張らないで!」

「ふ、二人とも落ち着いて! もうこんな事しないからちょっと待――!」

 

 

 右へ左へ揺れる弦司……当然、ただの洋服が耐えられるはずもなく。あえなく、弦司の服のボタンが弾け飛び蝶ネクタイも解けた。

 ――キスマークがばっちり衆目の目に晒された。

 

 

(ぎゃあああああっ!)

(ま、まだ、可能性は……俺達が生き残る可能性は――)

 

 

 弦司とカナエは意識が飛びそうになるのをぐっとこらえて、行冥としのぶを伺う。

 二人は動きを止めていた。

 

 

「……すまない、私とした事が、君の服を破損させてしまった」

(やったーっ! 真面目な行冥さん、大好き!)

(おっしゃー! このまま罪悪感に付け込んで、有耶無耶にしてやる!)

 

 

 内心はしゃぐ弦司とカナエ。目が見えない事も関係しているのだろうか、行冥は弦司の首元と胸元の内出血に気づいていなかった。さすがにやり過ぎと思ったのか、涙を流して少し落ち込んでいるようにも見える。

 これで最大の難関は乗り越えた。後はしのぶだ。しのぶはカナエよりも幼い。こんなの分かるはずがない、と気軽に視線を向けると、

 

 

「~~っ!?!?」

(何でなの、しのぶ!?)

(おいおいおい!?)

 

 

 しのぶは顔を真っ赤にして、プルプルと震えていた。羞恥に打ち震えているようにしか見えない。つまり、しのぶは()()()()()()()()()だった。

 色々突っ込みたい所はあるが、兎にも角にも弦司とカナエの所業が全てしのぶに漏洩した。最悪だった。全てが露呈する事も、胡蝶姉妹がムッツリだと判明する事も。

 しのぶは目元に涙を溜めると、弦司達を弾劾する。

 

 

「や……やっぱり、あんたが姉さんに変な事教えてるじゃないの!!」

「待て! 何でこれを見て分――」

「っ!? 悲鳴嶼さん、この赤いの全部姉さんの接吻の跡です! このド変態ども、こんな重大な発表にも関わらず、わざと接吻の跡を血鬼術で残してこの場に臨んだんです!!」

「何っ……!?」

 

 

 しのぶが早口で捲し立て、再び行冥の怒りが噴出する。わざと、という所以外だいたい合っているから質が悪い。

 そして、悲鳴嶼行冥は鬼殺隊最強の一角を担う男だ。しのぶにこれだけの情報を与えられて、弦司の体の状況に気づかないはずがなかった。

 

 

「……おい、どういう了見だ」

「いや、これは――!」

「この際、君に接吻の跡が首筋と胸元にある事は置いておこう。私には制御できていないように見える。違うか?」

 

 

 嘘は許さないと、全身から闘気を滾らせて行冥が問いただす。もう誤魔化す事は不可能だった。

 

 

「はい……制御できていません……」

「いつからだ?」

「昨日の夜です……」

「なぜ黙っていた?」

「カナエに接吻されたら跡が残っただなんて、恥ずかしくて言えませんでした……」

「…………正座だ」

「姉さんも。反論はないよね?」

 

 

 この後、弦司とカナエはいつもこんな事をやっているのか、誰がこんな事を思いついたのか等々。今回の件だけでなく、根掘り葉掘り聞かれた。

 先日の件も含めて、節操がないと行冥としのぶにたっぷりと絞られた。さらには、血鬼術が制御できないのは問題だと、キスマークの件も含め詳細が産屋敷に届けられた。弦司とカナエ宛てに「二人とも落ち着こうね」と耀哉より手紙が届いた時は、羞恥で死にそうになった。

 

 

「弦司さん……私が悪かったから、落ち着きましょうね……」

「いや、俺も悪かったから……うん、落ち着こう……」

 

 

 二人は両手で顔を覆うと、耳まで赤く染めて決意した。

 ――ちなみに、その日のうちにキスマークは消えたが、問題を重く見た柱達は経過措置を二カ月延ばし、二人だけの新生活はしばらくお預けとなった。

 

 




シリアルデビルラブコメディ。
後日譚の進むべき道が見えたかもしれない。

それと環救済ルートの結論が出ないので、一度アンケートを取りたいと思います。
よろしければご回答ください。

<追記>
アンケートにご協力ありがとうございます。
結果は……分かりました……得票数の少ない物から、順番に全部書きますぅ……。

環救済ルートとは、以下の内のどれに該当しますか?

  • お前も鬼にならないか・修羅場ルート
  • 俺から取り立てるな・鬼殺隊無関係ルート
  • この手が悪いのだ・一人勝ちルート
  • 度を越えて頭が悪い子みたいだね・書くな
  • 判断が遅い・全部書け
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。