鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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いつも誤字脱字報告ありがとうございます。

前回はアンケートにご協力ありがとうございました。
結果は前回あとがきにてご確認ください。

今話を含めて三話ほど、短編形式で各柱との交流を描こうと思います。
それでは、お楽しみください。


後日譚 柱訓練 ~岩・風・音~

◆柱訓練・岩 ~幸せのあとさき~ ◆

 

 

 岩柱・悲鳴嶼行冥。

 彼の邸宅に隣接して建てられた大きな道場で、行冥は斧と鉄球が鎖で繋がった特徴的な武器を振るっていた。振るう相手は鬼ではあるが敵ではない。

 ()花柱・胡蝶カナエ。

 数年前から続く、胡蝶夫妻による柱訓練。定例行事となった訓練を今日は岩柱と行っていた。

 戦況は――胡蝶カナエの有利。縦横無尽に振るう行冥の巨大な鉄球を、カナエは異様に刃渡りの長い刀一本で流しつつ距離を詰める。ちなみに、カナエと行冥の武器はどちらもただの鉄な上、刃を落としている。二人のような達人が打ち合うため、よほどの事がなければ怪我など負うはずもなかった。

 それでも、巨大な鉄球が飛び交う道場は、傍から見る弦司にとっては危険そのものだ。決して傷は負わないと分かっていながらも、弦司の体には力が入る。そんな弦司の心中を察していても、カナエの脚は止まらない。ますます速度を上げて近寄るカナエに、行冥は鉄球を振るいながら、逆に距離を詰めた。瞬間、鉄球と斧、そして鎖による三連撃がカナエを襲う。

 

 

「――っ!」

 

 

 しかし、カナエは慌てない。この数年間で馴染み、さらに強靭となった鬼の肉体が唸る。

 鎖を刀の先で受け流すと、僅かに空いた隙間に飛び込み、鉄球と斧を掻い潜る。鬼の動体視力、身体能力、思考力、全てを十全に用いた業であった。

 そして、行冥とのすれ違いざまに、脛を撫でる様に刀が通り過ぎ――ようとした所を、斧が防ぐ。

 金属が打ち合う甲高い音が鳴り響き、行冥とカナエの位置が入れ替わる。

 一瞬の緊張の後、行冥は武器を下ろし、汗で滲んだ額を腕で拭った。対して、カナエには汗一つない涼しい顔だ。

 

 

「見事だ」

「いえ、技術は行冥さんに遠く及びません。私の全ては鬼の体があってこそです」

 

 

 カナエも鞘に刀を収めながら、行冥の神業を称える。あくまで鬼の肉体があってこその均衡だった。カナエの体が人間であれば、もはや行冥の足下にも及ばないだろう。

 だが、行冥は首を横に振る。

 

 

「上弦の鬼に勝つための訓練だ。身体能力差を言い訳にはできない」

「もう、本当に真面目なんですから……行冥さんはすごいんですから、少しは受け取ってください」

 

 

 今や鬼殺隊最強となった行冥。カナエと真正面から一対一で打ち合えるのは、彼だけである。カナエは心の底から、行冥を賞賛していた。

 カナエがニコリと笑顔を向けると、

 

 

「……南無」

 

 

 気恥ずかしかったのだろうか、行冥はそう言うとカナエに背を向けた。弦司とカナエは目を合わせると思わず微笑み合った。

 

 

 

 

 行冥は二人を悲鳴嶼邸に誘った。和室では行冥、一つの机を挟んで弦司とカナエが向かい合って座っている。行冥はお茶を用意すると、彼らがお土産に手渡された饅頭を分けた。お茶を啜りながら、甘い菓子に舌鼓を打つ。二人も同じ饅頭を食べながら、こそこそと談笑する声が聞こえる。穏やかな時間だった。

 行冥の目から、一筋涙が流れる。こんな時間を、カナエと過ごせるとは行冥は思っていなかった。

 

 

(何度失われたと思った事か……)

 

 

 思い出されるのは、年若いカナエを認めた日。そして、人としてのカナエと最後に会った日。

 幼いカナエを認めながらも、どこか己より先に命を失うと思っていた。それが弦司という鬼と出会ってから、一人の女性と変わり幸福へと向かった矢先、鬼となってしまった。

 どんなに願っても、カナエに幸福はやって来ない。何度もそう思った。

 ――それから数年の時が過ぎた。

 今では柱の顔ぶりも変わった。胡蝶しのぶも見事、柱まで上り詰めた。

 そしてカナエは今、愛する夫と幸福の中にある。また一筋、行冥の目から涙が零れた。

 

 

「幸せか?」

 

 

 幸福を確かめたくて、行冥はカナエに訊ねた。

 

 

「……」

 

 

 すぐに肯定が返ってくると思っていた。だが、返ってきたのは沈黙だった。

 カナエが笑う気配がする。ただ、それは弾けるような、嬉しい笑いではない。静かな、悲しく、寂しい笑いだった。

 

 

「ごめんなさい、行冥さん」

「なぜ謝る……?」

「確かに幸せです。でも、これは()()()()です。私の欲しい幸せは()()()()なんです。幸せになるために変化すると言っておきながら、まだ私は心の底から幸せと言えません」

 

 

 行冥は言葉の意味が分からず、隣の弦司に顔を向けた。弦司から返事はなかった。代わりに、拳を強く握る音を行冥の耳が拾う。

 カナエが俯いて続ける。

 

 

「春は桜、夏は向日葵、秋は菊、冬は椿。四季は移ろい人は変わっていきます。だけど、私達は、鬼は何も変わりません。暑い夏も汗一つ流れず、寒い冬に身を震わせる事もない。日向を避け、夜も眠らず一日を過ごす……確かに、比喩ではなく弦司さんと一緒に居られます。一緒にご飯を食べて、夜通しお喋りして、時には肌も重ね合って。何も変わらず、ずっと傍にいられます。でも、この幸せって鬼だからこそ感じられる幸せじゃないですか。私は……温かな家庭が欲しい」

 

 

 カナエの声に悲痛なものが混じり、行冥は言葉を失う。幸せの陰に、そんな事を感じていたとは知らなかった。

 カナエは自身の腹を撫でる。

 

 

「行冥さん、知っていますか? この体になってから私、一回も月の物がきたことが、ないんです」

「懐妊した、という事ではないのか……」

「はい。鬼の体には機能そのものが備わっていないと、しのぶには診断されました。それでも頑張ってみましたけど、やっぱり変わりませんでした。私は愛する人の子どもを、授かる事ができない」

「……」

 

 

 行冥はどう声を掛けたらいいか分からなかった。そして、それは弦司も同じなのだろう。何も言わず、カナエの頭を胸に引き寄せた。

 カナエはただただ弦司に身を預け、優しく頭を撫でられている。

 

 

(そんな悩みを持っていたとは。私はとんだ間抜けだな……)

 

 

 この見えない目で色々視てきた。他人では気づけない心の内も知った事もある。しかしながら、眼前の娘の想いも気付けないとは、とんだ盲である。

 ずっとカナエは幸福だと思っていた。ただ、もしかしたら長く幸せにいたからこそ、今になって思うようになったのかもしれない。自身の望んだ幸せとは、こうではなかった、と――。

 だが、彼女は自ら苦しい胸の内を打ち明けてくれた。助けて欲しいと声を上げた。応えねば……いや、彼女の声に行冥は応えたい。

 

 

「私には君の心を全て理解する事はできない」

「……いえ、すみません。つまらない事を言いました」

「だが、君が苦しみ悩んでいる事は分かった。その悩みは君達が変わった……いや、成長した証だと私は思う」

「成長だなんて、そんな……」

「最初、君達夫婦はただ一緒に居られるだけで良かった。先刻まで、今もそうなのだと私は思っていた。だが、本当は今はその一歩先、一つの家庭としての幸せを望むようになっていた。それは間違いなく変化であり夫婦二人の成長だ。誇って良い」

 

 

 弦司とカナエは互いに依存している。それは誰から見ても明らかだ。一歩間違えたら人になる事を諦めて、二人だけで世界を閉じていた可能性もある。

 だが、二人は手を広げた。間違いなくこれは成長だ。それを見越して、他者と交流が持てる様に、お館様は後方支援に回したのかもしれない。

 

 

「行冥さん……」

 

 

 カナエの声に戸惑い、そして僅かに喜色が生まれる。

 行冥は頬を緩めると、

 

 

「君の悩みは君達が夫婦であるからこそ、生まれた悩みだ。今は苦しいだろう。もしかしたら、望む結末を迎えられないかもしれない。だが、どのような結論であろうとも、それは未来を見て幸せを目指した結末だ。人として歩んだ結果だ」

「……」

「結論も幸せも千差万別だ。どのような結果だろうと、君は何も間違っていない。そのまま進んで行きなさい」

「――っ!」

 

 

 カナエが突然立ち上がる。

 

 

「わ……私、ちょっと、お、お茶淹れ直してきます!」

「カナエ――」

 

 

 弦司の制止も聞かず、カナエは部屋を飛び出していった。行冥の耳はカナエの嗚咽を捉えていた。どうやら、泣き顔を見られたくないらしい。

 

 

「……すまない。本当に助かった」

 

 

 部屋に残った弦司が、向かいから頭を下げる気配がする。

 この数年で、行冥と弦司も随分と気軽にやり取りをするようになった。二人の年が近い、というのもある。それ以上に、年の近い弦司に親戚のおじさんのような扱いを受けるのが、行冥が我慢ならなかったというのが一番の理由だ。

 だからこそ、行冥も気楽に返す。

 

 

「良い。近しいからこそ言えない事もあるだろう。それよりも、何があった?」

「前からこういう悩みはあったさ。でも、ここまで思いつめたのは……正直、間が悪かったとしか言いようがない」

「どういう事だ?」

「先週の話なんだが、蝶屋敷に訓練に行ったらしのぶの月の物が重くて中止になってな」

「ふむ」

「時間が空いたんで俺の実家に行ったら、二番目の兄上……弦蔵兄上が生まれたばかりの赤ん坊を連れて来ていたんだ」

「うむ」

「で、弦十郎兄上の奥さんが懐妊したって報告もあって……それから、ボーっとする事が増えた」

「……哀れな」

 

 

 きっと一つ一つならカナエも笑って受け止められただろう。だが、全てが一度にやってきた。人の体を持つ妹に、次々と生まれる新しい命……自身の現状を突き付けられたようで、思いつめてしまったのだろう。

 誰かが悪い訳ではない。弦司の言う通り、本当に間が悪かっただけだった。

 

 

「訊いても、何でもないの一点張りでな。俺がもっと何かできれば――」

「待て、全てを一人で背負い込むな。それに今回の件は、君もカナエと同じ気持ちなのだろう。迂闊な否定や肯定は拗れるぞ」

 

 

 行冥は思わず厳しい声で弦司を咎める。

 二人の子どもが欲しいのは、弦司も同じ気持ちのはずだ。子どものできない妻に、同じ想いの夫が安易に子どもができない現状を肯定や否定などしては、『本当は子どもなど欲しくはないのでは』と心の内が疑われてしまう……全ては仲間の僧の受け売りだが、こんな時のために説法を聞いていて良かったと行冥は思う。

 

 

「ああ。次からもっと、周りに相談する」

 

 

 弦司はありがとう、と礼を言うと立ち上がる。

 

 

「それじゃあ、カナエを迎えに行くよ。そろそろ、落ち着いた頃だろうし」

「ああ。しっかりと受け止めなさい」

「おう。それじゃあ、ありがとう」

 

 

 もう一度弦司は礼を言うと、足早に部屋を出て行った。一刻も早くカナエと話したいのだろう。本当に仲睦まじい夫妻だった。

 だが、同時に心配でもある。あれだけ仲が良くとも、どれだけ今が幸せでも、その行く末に明るいものは一向に見えてこない。

 

 

「簡単には死ねないな……」

 

 

 ――せめて、彼らが幸せを掴むまでは。

 行冥は全力で生き続けようと、決意を新たにした。

 

 

◆ 柱訓練・風 ~鬼嫌いとおはぎと鬼夫婦~ ◆

 

 

 風柱・不死川実弥。

 柱の中でも上位の力量を持つ彼でも、上弦の鬼に匹敵するカナエとの訓練は容易ではない。

 実弥の持ち味は、突風を巻き起こすほどの速度と凄絶な一撃だ。やや防御面が疎かになりがちだが、これは『稀血』である事を鑑みた上での戦術だ。鬼は実弥を傷つければ傷つける程、酩酊して弱体化していく。

 ――だが、カナエとの戦いはあくまでも訓練だ。『稀血』は使えない。

 速さは敵わない。人と鬼の身体能力差が埋められないからだ。

 速度を乗せた一撃も、簡単に受け止められる。カナエは鬼となり異様に刃渡りの長い刀を使うようになり、鬼の身体に合った剛剣を扱うようになった。もう膂力でも、カナエに敵わない。そして、元々カナエの剣術は柔を基本としたものだ。実弥の攻撃がカナエの防御を上回っても、刀の外装からは想像できない柔らかさで、簡単にいなされてしまう。

 そうなると、実弥にできる事は少ない。攻撃に虚実を混ぜて、時には手数を増やし、時には一撃に全てを込める。

 ――それでも、地力の差は埋められない。

 

 

「オラァ!」

 

 

 縦横無尽に道場を駆け回り、刃を落とした、ただの鉄で打った訓練用の刀を何度もカナエに打ち込む。しかし、カナエの目は実弥を捉えて離さない。全てを真正面で受け止められる。

 そして、攻撃が途切れた僅かな瞬間を狙い、カナエの大太刀が実弥を打つ。

 

 

「――っ!」

 

 

 寸での所を刀で受け止めたものの、まともに受けた実弥は吹き飛ばされ、道場の壁に叩きつけられる。

 

 

「ここまでにしましょ」

 

 

 それを合図に、カナエが訓練の終わりを告げ、刀を鞘に納める。実弥は歯を食いしばると、立ち上がりカナエに刀を向ける。

 

 

「待てェ。俺はまだやれるゥ」

「それは分かるけど、これ以上やったら鬼殺に悪影響が出るわ」

 

 

 全身から噴き出した汗が落ち、道場の畳にシミを作る。息が中々定まらない。実弥が消耗しているのは、明らかだった。

 

 

「チッ!」

 

 

 実弥は苛立ちから、強く舌打ちをする。以前より、確かに強くはなった。上弦の鬼と互角に戦える自信もある。だが、鬼相手に互角ではいけない。

 人は永遠に戦えない。いつか力尽きる。しかし、鬼に限界はない。夜が明けるまで戦い続ける事ができる。今の実弥では、上弦の鬼と単独で遭遇した場合、勝てる見込みがなかった。それを改めて自覚し、さらに苛立ちが募る。

 

 

「クソがァァ!」

「おい、不死川!」

「不死川君!」

 

 

 カナエと、道場の隅で見学していた弦司の制止を無視し、苛立ちのまま道場の柱に額をぶつけた。人は鬼のように一足飛びで強くなれない。分かってはいる。だが、日々鬼は人々を喰い物にする。悲劇を目にする度に鬼に対する憎しみは強くなるばかりだ。

 膨れ上がる感情に対し、己の強さが着いてこない。酷くもどかしく、悔しかった。

 しばらくして額から温かなものが流れてくる。どうやら、額が傷つき血が流れてしまったようだった。

 

 

「あ――」

 

 

 実弥は自身の失態に気づく。今、同じ空間には鬼が二体いる。人を慈しむ、優しい鬼が。しかし、いくら優しい鬼だと言っても、実弥の『稀血』は馳走に変わりない。

 すぐに道場が阿鼻叫喚の図となる。

 

 

「何やってんだよぉっ!! この、エロ柱!!」

「不死川君の馬鹿ぁっ!! 胸筋見せたいスケベ柱!!」

「言いたい放題言うなァ!」

 

 

 実弥の稀血を嗅いだ二人は、罵声を浴びせると叫びながら道場を飛び出していった。二人は決して鬼の本能に負けない。今も戦い続け、彼らは結果を出している。

 対して、実弥は思うような結果は出せていない。

 

 

「……チッ」

 

 

 自身の不甲斐なさに、実弥は恥じるばかりだった。

 

 

 

 

 道場に隣接する和室。止血し包帯を頭に巻いた後、傷が塞がった頃に洋服に着替えた弦司とカナエは戻ってきた。

 

 

「インランやろー」

「変態柱」

「なぜそうなるゥ……!」

「誘惑してくるから」

「しかも、男女問わず」

「こ、このォ……!」

 

 

 机の前で茶を啜る実弥に対して、二人は部屋の隅で実弥を白い目で見ながら罵る。当然ながら、二人の機嫌は最悪だった。いつもならブチ切れる実弥だが、今回ばかりはこちらが悪いので言葉を飲み込む。

 二人は鬼だ。人を喰らわず、人と同じ食事で力を補給できる。だが、弦司はもちろんの事、カナエも鬼の本能がなくなった訳ではない。そして当然ながら、二人とも人間に対して食欲を催す事を嫌悪している。

 鍛冶の里でもそうだったが、絶対に稀血に触れたくないというのが弦司の姿勢だ。

 カナエも稀血は絶対に見たくないと言う。鬼となった直後も、女性の前以外では絶対に試すなと何度も念を押してきた。鬼の本能を嫌っているという以上に男性の前で、涎を垂らすという状況を絶対に避けたかったらしい。

 だというのに、実弥の失態で見せてしまった。二人とも不機嫌になって当然だった。元々二人に対して()()()がある事に加え、自身の失態は明らかなため何と詰られても実弥は反論できない。

 

 

「ふむぅ」

「んぐぅ」

 

 

 弦司とカナエは一頻り実弥を詰ると、どこからか持ってきたお膳に山盛りとなった『おはぎ』を、むしゃむしゃと食べ始める。実弥へのお土産に持ってきたおはぎだった。どうやら、実弥へのお土産であり、好物でもあるおはぎを目の前で食べるという、彼らなりの仕返しのようだった。かなり美味しいらしく、すでに不機嫌そうな空気は無くなり始めている。

 実弥はどう反応を返せばよいか困る。もしかしたら、実弥が困る事さえも計算に入れているかもしれないが。

 

 

「……」

 

 

 実弥は謝らねば、とは思う。この鬼夫婦の事だ、謝らなければ食べ尽くすまで微妙な空気を続けかねない。だがしかし、実弥は素直に謝れない。どういう訳か、この二人は異様に実弥に好意的なのだ。

 柱訓練が開始された時からそうだった。最初から二人とも異常に馴れ馴れしいし、お土産には必ず甘い物を用意する。そして、おはぎが好物だとバレた時には『こしあん派? つぶあん派?』と実弥がキレるまで訊いてきた。次に来た時には、こしあんとつぶあんどっちも大量に持ってきて、実に楽しそうに食べさせようとしてきた。

 会えば傷がないか必ず訊ねてくるし、傷があればしのぶ特製の傷薬を渡してすぐに離れていく。

 実弥が年下だからだろうか。それとも、風能の件で半端な対応をしてしまった事に、実弥が負い目を感じているから気を遣っているのだろうか。実弥には分からない。

 ともかく、実弥がいくら攻撃的になろうと、この二人は全く気にしない。それどころか、謝ればそれを種にどれだけ揶揄ってくるか。だが、あまり放置するとこの夫妻は何をするか分からない。悔しいが、場がもっと混沌とする前に行動に移るべきだろう。

 

 

「おいィ……」

「何だよ?」

「分けて欲しいなら、先にいう事があるわよね?」

「違うゥ! ……悪かったァ。俺が迂闊だったァ」

「……」

「……」

「……何だよォ」

 

 

 実弥が謝ると二人が食べる手を止める。お揃いの指輪が、二人の左手の薬指で光る。結婚指輪、とかいう最近の流行らしい。二人の仲の睦まじさが良く分かる。

 弦司とカナエがじっと不死川を見ると、

 

 

「不死川がデレた!?」

「本当に謝った!? 長い反抗期の終わり!?」

「クソがァァ!! だから、言いたくなかったんだよォ!!」

 

 

 二人して跳ね上がって驚くと、山盛りのおはぎを不思議そうに眺める。

 

 

「これがおはぎの魔力か……」

「不死川君と会う時は、懐に入れておくよう冨岡さんにも言っておかなきゃ」

「絶対にやめろォ!! つーか、誰もおはぎのために謝ってねえェ!!」

 

 

 実弥がどれだけ凄んでも、二人は特に気にした風も見せず口々に冗談を口にする。

 

 

(……冗談だよなァ?)

 

 

 実弥が内心少し心配していると、二人は緩んでいた顔を真面目なものに戻し、対面に座ってくる。もちろん、おはぎは忘れない。

 

 

「冗談はそれぐらいにして……気持ちは分かる、とまでは言わんが、あまり自棄にはなるなよ? せめて、俺達の前にいる時だけは、体を傷つけないでくれ」

「不死川君の戦術として『稀血』が重要なのは分かるけど、傷ついていいとか思ってはダメよ。自分の体は大切にしなきゃ」

「ガキ扱いはやめろっていつも言ってるだろォ! あと、おはぎ押し付けんなァ!」

 

 

 ちゃんと謝ったから良し、という事なのか。先の不機嫌は何だったのか問いたくなるほど、二人は実弥を心配しながら目の前におはぎを積み重ねていく。

 

 

(クソがァ。相変わらず、調子が狂う夫婦だァ)

 

 

 実弥が諦めておはぎを乱暴に口に運べば、ようやく二人が落ち着く。ただし、視線は実弥に固定したまま笑顔だ。

 

 

「……チッ」

 

 

 なぜそんな表情を実弥に向けてくるのか分からない。二人の笑顔がイラついて、ムカついて……居心地が悪い。それでも、実弥は怒り切れない。

 ――決して言葉にはしないが、実弥はとっくの昔に二人を信頼していた。

 人でなければ仲良くなれないと言った実弥に対して、弦司はそれでも距離を縮めてきた。無理をするでもなく、無遠慮に近づくでもなく。実弥は実弥、弦司は弦司でいられる時だけ近づいてきてくれた。カナエは鬼となってしまってからも、今まで通りに接してくれた。

 実弥は家族を失い、唯一残された弟とさえ別れた。柱となり人々を守っている。誰かに頼る事もできず、気を許す事も簡単にはできない。二人は鬼とか稀血とか、全てを超えて純粋に不死川実弥という人間と接してくれる。そんな風に数年も接していれば、情が移って当然だった。

 

 

(鬼のせいで全てを失った俺が、鬼と仲良しこよしとはなァ。酷い皮肉だなァ)

 

 

 実弥は内心で自嘲する。だが、二人と離れようとは思わない。この時間はすでに、実弥にとっても大切な時間となっているのだから――。

 無言で食べる実弥に、弦司が訊ねる。

 

 

「美味いか?」

「……何だァ。またテメエが作ったのかァ?」

「もちろん」

「おいおい、胡蝶家の旦那様がそれでいいのかよォ」

「うんうん、不死川君もそう思うでしょ!」

 

 

 実弥の何となしに出した言葉に、カナエが身を乗り出して同意を求めてくる。面倒な事になったかもしれない。

 実弥が顔を顰めて茶を啜っていると、先に弦司が不機嫌そうな声を上げる。

 

 

「いいだろ、旦那が台所にいたって。そもそも、台所が女の戦場って考えが古い」

「だから、弦司さんの考えは新しすぎるっていつも言ってるでしょ。もう少し、今の時代に寄せて」

「いいじゃないか。俺が蝶屋敷で世話になっていた時と、変わらないだろ」

「あの時と同じにしないで。あれは仕事で、これは家庭内の話よ。あなたの妻は私なんだから、家事は私にやらせて」

「夫とか妻とか、そういうのもいいけど、俺はなるべく一緒の時間を作りたいだけなんだからさ。許してくれよ」

「そうやって煙に巻こうとしたってダメ。一緒にいたいだけなら、私の後ろ姿でも見ていればいいでしょ」

(また始まったなァ……)

 

 

 言い争い始めた二人を、実弥は無視しておはぎを食べ続ける。この二人、確かに仲は良いが全く喧嘩をしない訳ではない。だいたい、つまらない理由で喧嘩を始める。夫婦喧嘩は犬も食わないとは言うが、まさにその通りだと実弥は何度思った事か。

 夫婦と言って実弥が思い出すのは、小柄な女性に暴力を振るう粗暴な男……実弥の母親と彼女を殴る父と名乗る男だけだ。いや、あれは夫婦でさえなかったと、今の弦司とカナエの姿を見て実弥は思う。二人のように温かく血が通った関係こそが、本当の夫婦なのであろう。そして、もし弟の玄弥が家庭を持つのならば……彼らのようになって欲しい。

 

 

「――不死川!」

「不死川君はどう思う!」

「あァ?」

 

 

 思考に沈んでいた実弥を、弦司とカナエが引きずり起こす。何事かと睨みつけると、二人はおはぎを突き出してきた。

 

 

「俺のおはぎの方が美味しいよな?」

「私よね!?」

「そんなもんどっちでもォ――」

「どっち!?」

「どっちよ!?」

 

 

 何を言い争って味比べになったのか知らないが、振られた実弥はいい迷惑だった。つまらない夫婦喧嘩に巻き込まないで欲しいと心底思う。

 

 

「――うるせえェェ!!」

 

 

 弟にはもう少し静かな家庭を築くよう願いながら、実弥の怒声を上げた。全く堪えない鬼夫婦に、実弥の声は虚しく響くだけだった。

 

 

◆ 柱訓練・音 ~夫婦の座談会~ ◆

 

 

 夜は鬼の時間だ。日中に鬼を追い詰められれば良いが、強い鬼ほど身を隠すのも上手い。自然、鬼殺隊は鬼の活動に合わせて夜が活動時間となる事が多い。

 特に柱は顕著だ。強い鬼と戦う以上、夜に手が空くことは滅多にない。

 ――だが、今日はその滅多が音柱・宇随天元にやってきた。

 さらに偶然にも、カナエの訓練も可能と来た。この機を逃すのはもったいない。天元が実戦さながらの訓練を申し出たところ、お館様から快く快諾をいただいた。

 そうして、周囲に人家のない広場まで来た。天元、そして弦司とカナエが向かい合う。天元は柄が鎖で繋がった大太刀二振りを、カナエは刃渡りが異様に長い刀を、それぞれ持っている。もちろん、本物の日輪刀ではなく刃も落としているが、今回に限り血鬼術の使用許可も出ていた。そのため、弦司は宿世招喚の『鋼』を使い参加する。彼だけ武具の類は装備していない。

 訓練は合図もなく、天元とカナエの打ち合いから始まった。天元は手数と剣速で攻める。さらには、時には刀をまるで双節棍のように振り回し、自由自在に間合いと剣速を変える。対して、カナエは一方的に攻められながらも、天元の変幻自在な攻撃を全てを凌ぐ。

 

 

(技だけで、切り崩せないか――!)

 

 

 カナエの技術と身体能力の高さに、天元は内心舌打ちをする。そこへ、弦司が背後から『鋼』を纏って拳を振るう。

 ――天元と弦司の間で爆発が起きる。

 鬼を傷つける特殊な爆薬丸を剣戟の合間に投げ、爆発させていた。弦司は『鋼』を纏っているため傷つける事はできないが、拳を逸らし動きを止める事ぐらいできる。

 弦司が止まった一瞬、天元は一気に攻勢に出る。

 大量の爆薬丸を撒き散らし、日輪刀を文字通り振り回し縦横無尽に切り込む。

 ――音の呼吸・伍ノ型 鳴弦奏々(めいげんそうそう)

 巨大な二振りの日輪刀と共に、爆音と爆炎がカナエを攻め立てる。一太刀振るごとに、カナエが下がっていく。天元が大きく踏み込み追い立てる。しかし、カナエは爆炎の範囲ギリギリへ素早く動き、天元の日輪刀を顔色一つ変えずに弾いていく。

 攻められてはいる。戦えてはいる。しかし、たったの一撃さえカナエには与えられない。

 そして、天元の攻勢が緩まった瞬間、弦司が再び背後から拳を向ける。天元は視線も向けずに受け止める。だが、たったの防御一回で攻守は逆転する。

 カナエの剛剣が振り下ろされる。防御のために僅かに体は硬直してしまった。その僅かで、回避は不可能となる。

 カナエの刀を天元は二刀で真っ向から受け止めた。二刀で受けなければ、例え天元でもカナエの一撃を受けるのは難しかった。そして、受けたせいで掌は痺れ始める。

 

 

(まだ、こんなにも遠いか――)

 

 

 ――最終的には、天元はカナエと弦司を相手に数十合以上打ち合ってみせた。

 しかし、カナエには一太刀も浴びせられず、それどころか日輪刀の鎖を断ち切られ徐々に押されていき、天元は負けた。

 上弦の鬼討伐まで、道のりはまだまだ遠い事を痛感させられる天元であった。

 

 

 

 

 訓練後、汗を流した天元はいつもの装束から地味な和装に着替え、雛鶴、まきを、須磨に加え、胡蝶夫妻を連れて食事へと出かけた。

 案内を買って出た弦司とカナエの後を着いて行けば、辿り着いたのは小さな屋台だった。

 

 

「ここの支那そばとワンタンは美味いんだ」

「いくらでも食べられるから、おすすめよ~」

 

 

 夫妻に紹介されながら、天元達は席に座る。

 端から天元、弦司、カナエ、須磨、まきを、雛鶴と、自然と男女に分かれる。

 

 

「おじさん、支那そばとワンタン人数分お願い」

 

 

 弦司が注文すると、店の主人は黙って頷いて調理を始める。和装の天元達はそうでもないが、洋装の弦司とカナエは非常に目立つ。店の主人が何も反応を見せない所から、常連である事が見て取れた。

 店の主人の調理する姿を見ながら、天元は首を傾げる。

 弦司とカナエは特殊な鬼だ。人ではなく、食事を摂る事で力の補給を行う。ただし、食べる量は力士数人分は必要だ。注文の仕方が大人しすぎる。

 

 

「今日は地味に少ないな。何か食ってきたのか?」

「いやいや、さすがに外食の時は一つの店で満腹まで食べないって。特に屋台だと、それだけで今日は閉店になっちまう」

「それもそうだな」

 

 

 数年来、胡蝶夫妻と付き合いがある天元だったが、これは初耳だった。

 胡蝶夫妻と外食へ行く機会は、おそらく今日が初めてだ。食べるとしても、だいたいが日中でどちらかの屋敷にいる事が大半である。

 一か所で腹いっぱいまで食べられないとは、やはり人間社会に溶け込んで暮らすには、色々と気遣いが必要なのだろうと天元は思った――が、

 

 

「俺達は結構外食するけど、宇随は行くのか?」

「……いいや、あまり行かないな」

 

 

 天元は弦司と話しながら、死角となる位置の気配を感じ取る。弦司とカナエの手が重なり合っている。どうやら、こういった方面の気遣いは未だできないらしい。とはいえ、結婚当初に比べれば大人しいものではあるが。

 

 

(ま、仲が良いのは良い事か)

 

 

 天元は気づかなかった事にする。貴重な余暇だ。指摘して変な事態になるのもご免である。ちなみに、女性陣は女性陣で盛り上がっているので、天元は弦司と話す事にする。

 

 

「やっぱ、外食ってのは全員で行かないと不公平だろ。それに、俺の嫁達の料理は派手に絶品だからな。ぶっちゃけ、外食する必要性を感じない」

「あ~……そりゃそうか。特に雛鶴さんのはすごいからなぁ」

「お前の所だってそうだろ。夫婦揃って美味い物作れるから、あまり外食する必要もないんじゃないのか?」

「美味いとか不味いとかじゃなくて、俺達は量がとんでもないからな。たまには外食で済ませて、妻の負担を軽くしたいんだよ」

「いや、料理は半分はお前が作ってるじゃねーか。負担も何もねえだろ。つーか実際の所、お前の趣味だろ」

「はは、趣味と実益を兼ねて、だ。それに珍しい物とかあると色々と発見があって、新しい料理に繋がったりするんだ。やっぱり、ただ食事を補給するだけじゃなくて毎食楽しみたいからさ。料理の種類を増やすためにも、こういう時間は必要なんだよ」

 

 

 夫婦揃って鬼となって、二人は後方支援へと回された。切った張ったの世界から少し離れた。だからといって、毎日をのほほんと過ごしている訳ではないと頭では分かってはいた。しかし、こうして直に聞くと、天元の思考の外にある苦労が言葉の裏からにじみ出てくる。

 

 

「……そうだな。お前達はこれからが長いんだ、食事は派手に楽しむようにしないと、な」

「そうだろそうだろ」

 

 

 天元が同意すると、弦司は殊更嬉しそうにする。天元は眉を顰める。大抵、この男が大げさにする時は碌な事ではない。案の定と言うべきか、カナエが頬を膨らませていた。

 

 

「またそうやってある事ない事言って……」

「ある事しか言ってないって」

「弦司さんが私に気を遣っている所は……まあいいでしょう。でも、お店選びは私にもさせて」

「ハハハハ」

 

 

 弦司が頬を引きつらせて笑う。

 

 

「何やったんだ?」

「弦司さん、わざわざ評判の悪いお店を選ぶの」

「はっ? 脳味噌爆発してんのか?」

 

 

 天元と嫁達が白い目で見ると、弦司が慌てたように手を振る。

 

 

「いや……! やっぱり、人の噂っていうのは当てにならない時があるだろ! 俺は噂が本当かどうか、自分の舌で確かめたくてだな――!」

「それに付き合わされる身にもなって下さい」

「いつも俺に付き合ってくれてありがとう」

「話を逸らさない」

「それって、美味しい事ってあるんですか?」

 

 

 須磨が興味本位で割り込んで質問する。 

 

 

「全然よ。十回に一回ぐらい前評判と違ってたり、味が尖っているぐらいかしら……?」

「尖ってる?」

 

 

 まきをも興味がそそられたのか、先を訊ねる。

 

 

「要は()()に近すぎたりして、私達に馴染みがない味って事よ。ほら、珈琲とか最初飲んだ時、苦くて飲めなかったじゃない?」

「私達のような普通の日本人の口に合わない感じですか?」

「そうそう」

 

 

 雛鶴の要約にカナエは頷く。ようやく悪評とは違う店を見つけても、口に合わないのであれば労苦に見合わない。なぜそんな事をするのか、意味が分からない。

 

 

「わざわざ苦労してそんな店選ぶって……やっぱり脳味噌爆発してんじゃねえか」

「いやいや、そこから美味くなったりだな! 変化する可能性があったりだな!」

「弦司さんが口出したお店が二店舗だけね」

「地味に自作自演じゃねえか」

「……」

 

 

 弦司が目を逸らす。趣味ばかりで全く実りがない事は自覚しているようだ。

 カナエが溜め息を吐く。

 

 

「たまには行ってあげるから。店の選定には私の意見も反映させる事。いい?」

「くっ……! 周囲に証人がいる機会を伺っていたな……!」

「弦司さんに鍛えられましたから。それで、いい?」

「……はい」

 

 

 天元達の視線に耐え切れず、弦司が快諾する。夫婦の事情に、こちらを巻き込んでほしくないものだ。ただ……鬼となっても人としても当たり前の幸せを間近で見られたのは、良い収穫だったが。

 

 

「……おまち」

 

 

 店主が五人分の支那そばとワンタンが出てくる。ここで座談会は一旦切り上げだ。

 

 

「おっしゃ。それじゃあ、胡蝶夫妻のおすすめをいただくか」

「ふふ、美味しいですから、早く食べてみて」

「……美味しいぞ」

 

 

 カナエと、少し元気のない弦司に促され、天元達は料理に箸をつける。

 胡蝶夫妻のおすすめに間違いはなく、天元達は料理に舌鼓を打った。

 

 

 

 

「それじゃあ、俺達はもう少し回るから」

「今日は楽しかったです。次はまた訓練の日に会いましょう」

 

 

 食事を終えると、まだ満腹となっていない弦司とカナエは、寄り添いながら夜の街に消えていった。二人は本当に仲睦まじい夫婦になったと感じる。

 一方、天元達は、と考えてしまう。今も鬼殺は続いている。上弦の鬼を討ち、いつか天元も二人のように嫁達と一緒に過ごせるだろうか。

 上弦の鬼との力量差は、依然として残っている。それでも、天元は雛鶴、まきを、須磨と一緒に日向を歩きたい――いや、歩いてみせる。

 

 

()()来ようぜ。雛鶴、まきを、須磨」

「天元様……」

「……はい!」

「次は大盛を頼みましょう!」

 

 

 天元が言えば、愛おしい嫁達が声を返ってくる。

 彼女達と幸せになってみせる。天元は固く固く心に誓うのであった。




本当は全員分投稿したかったのですが、見通しの甘さによりここで終わりです。
今年の投稿もこれで終わりです。ありがとうございました。
また来年お会いしましょう。

それでは、良いお年を。

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