鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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訓練しません。

※煉獄さんだけ時系列がちょっと過去になります


後日譚 柱訓練? ~恋・蛇・炎~

◆柱訓練・恋 ~甘露寺蜜璃と恋話~ ◆

 

 

 恋柱・甘露寺蜜璃。

 珍しい桜と緑の髪色をした、綺麗というよりも可愛らしい女性。一見、か弱そうな見える蜜璃だが、『恋柱』の名が示すように歴とした鬼殺隊の柱だ。

 華奢な体格からは想像もできないが、その筋力密度は一般人のなんと()()。柔らかくしなやかな体。さらには、薄くて()()()鞭のような日輪刀を振るい、鬼殺隊の中でも剣技は恐ろしく速い。

 甘露寺蜜璃は鬼殺隊きっての異質の剣士だった。

 異質なのは、何も剣術や体躯のみではない。経歴も鬼殺隊の中では変わっている。

 鬼殺隊に入隊する人々は、大なり小なり鬼によって奪われた者が大半だ。復讐心を糧に、自身の大切な物を奪った鬼を滅していく。しかし、蜜璃は何かを奪われた訳ではない。産屋敷耀哉に見込まれ、力なき人々を守るという使命感と、強い殿方と結ばれたいという下心で鬼殺隊に入隊した。例外中の例外だった。

 そんな蜜璃は最近、柱訓練を楽しみにしている。

 

 

 ――柱訓練。

 

 

 人を喰らわぬ鬼・胡蝶カナエと弦司による、柱向けの特別訓練だ。その厳しさに正直、蜜璃はいつも泣きそうになる。あんなにすごい頑張って柱になったのに、まだこんなに厳しい訓練があるなど、想像していなかった。この訓練を乗り越えなければ、上弦の鬼ともまともに戦えないというのも、精神的に辛かった。それでも蜜璃が頑張っているのは、カナエと弦司が蜜璃を生かそうと一生懸命だったから。そして何より――訓練の後は二人と一緒に過ごせるからである。

 

 

 ゲロを吐きそうな訓練も終わり、蜜璃は自宅の居間で寛ぐ。

 

 

「宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じゃいな♪」

 

 

 思わず上機嫌で歌ってしまう。地獄の訓練から解放されたから……だけではない。訓練が終わった恒例行事として、胡蝶夫妻は毎回蜜璃を労ってくれる。それが今から楽しみでしょうがない。

 

 

「トコトンヤレ、トンヤレナ♪」

 

 

 蜜璃はカナエと弦司――胡蝶夫妻二人が大好きだった。

 最初こそ、人を喰らわない鬼が鬼殺隊にいると聞いて、驚いたし戸惑った。だが一目見て、会って、話し合って、疑念は吹き飛んだ。

 お互いを見つめる視線は愛しさが込められていて。互いに自然に触れ合い、ふとした瞬間には手を重ねる。熱々で見ている蜜璃が恥ずかしいぐらい仲良しだった。

 二人は人を喰らう代わりに食事を摂っていた。食べる二人は美味しい物で笑顔になって、不味い物は顔を顰めて。食事が好きだと、見ているだけで伝わった。

 大喰らいの蜜璃に対しても、隔意なく接してくれた。それどころか、時間がある時は蜜璃と同じ量の食事を『美味しい』と言って、一緒に食べてくれた。

 鬼殺隊は、蜜璃の食事量を受け入れてくれている。ありのままの蜜璃を、好きでいてくれる。だが、誰も彼も見ているだけだ。

 もちろん、受け入れてくれているだけでも本当に嬉しい。でも、自分と同じものを共有して欲しいという欲求がない訳ではない。

 胡蝶夫妻は見るだけではない。同じ物を同じだけ食べて、同じ時間を過ごして、同じ感情を共有してくれる。本当の意味で一緒に居てくれるのは、二人だけなのだ。

 

 

「あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか♪」

 

 

 台所から漂ってくる良い匂いに、ぽかぽかと幸せな気持ちになる。

 弦司はたくさんのハイカラな料理を知っている。今日も知らない美味しい味を、大好きな二人と一緒にたくさん味わえるだろう。想像するだけで、蜜璃の気持ちは最高潮になる。

 

 

「トコトンヤレ、トンヤレナ♪」

「できたぞー」

「もう少し待っててね」

「わーい!!」

 

 

 ほどなくして弦司とカナエが声を掛けて、二人が料理を運んでくる。料理はパンケーキでなんと顔よりも大きく、しかも三段重ねだった。

 香ばしく甘い香りが、蜜璃の鼻腔をくすぐる。歓喜の悲鳴を上げた。

 

 

「ひゃぁっ!!」

「蜜璃の大好きなパンケーキだぞ。ただし、巨大なやつだ。ハチミツ以外にも、ミカンとブドウのソース作ったから」

「味を変えながら楽しんでね」

「素敵!」

 

 

 二人が料理を並べ終えると、蜜璃はフォークを手に取った。食べるのが楽しみで我慢が効かない様子に、弦司とカナエが微笑み。蜜璃は羞恥で頬に朱色が差すが、欲望は止められない。

 

 

「ほら、遠慮するな」

「どんどん食べてね」

「うん! いただきます!」

 

 

 最初は何もかけないで、端を大きめに切り取り口へと運ぶ。瞬間、ふわふわな食感と僅かな甘味が広がる。美味しい。

 もう一度大きめに切り取って、ハチミツをたっぷりかける。ハチミツの甘味と出来たての温かさ、やわらかな食感がたまらなかった。

 ミカンのソースも試してみる。今までの強い甘味と打って変わり、柑橘特有の甘酸っぱさが口に広がる。甘さに溢れていた口内が、丁度いい塩梅で中和されて、また甘味が欲しくなる。手が止まらない。

 弦司とカナエの笑みが深くなる。

 

 

「気に入ってくれたみたいだな」

「練習した甲斐があったわね、弦司さん」

 

 

 カナエが労い、そっと手の甲を弦司の手の甲へ合わせる。仲睦まじい夫婦を目の当たりにして、蜜璃はキュンキュンする。ただでさえ美味しいパンケーキが、もっと美味しくなった気がした。

 

 

「二人は今日も仲良しさんだね」

 

 

 蜜璃はパンケーキの美味しさに頬を緩ませながら、率直な気持ちを言葉にする。

 弦司が恥ずかしそうに頬を掻き、カナエは心なしか自慢げに胸を張る。

 

 

「……まあな」

「ありがとう、蜜璃ちゃん」

「私も素敵な旦那様が欲しいなー」

 

 

 一緒に料理をして、一緒に美味しい物をたくさん食べて。そんな人がいてくれたら、きっと楽しいだろうと、蜜璃は想像してドキドキする。

 すると、カナエがじとっとした視線をよこしてきた。蜜璃が首を傾げると、

 

 

「……あげないわよ」

「えっ……ええっ!?」

 

 

 どうやら、カナエは違う意味に捉えたらしい。

 蜜璃は慌てて首を横に振る。

 

 

「ち、違うよ、カナエちゃん!? そんな意味で言った訳じゃないから! 別に、弦司さんが欲しいとかそうじゃないの! 二人のような仲の良い夫婦になりたいってだけ!」

「本当?」

「本当!」

「本当に?」

「ホントだよー!」

「こらこら。あまり揶揄うなって」

 

 

 弦司が撫でる様にポンポンとカナエの頭に触れると、彼女は悪戯っぽく舌を出した。冗談だったらしい。

 蜜璃はホッとすると同時に、二人をほんの少しだけ羨む。

 今まで、素敵な殿方と添い遂げたいと思っていた。だが、二人を見てそれだけではないと思うようになった。

 添い遂げるだけではない。その先にある幸せを二人で掴む。それこそが、蜜璃の本当の願いだった。

 

 

「ねえねえ、カナエちゃん、弦司さん」

「何?」

「二人みたいにずっと仲良しさんになるには、やっぱり何か秘訣があるの?」

 

 

 気になって、思わず尋ねた。

 弦司は腕を組んでしばらく考え込むと、

 

 

「うーん……やっぱり、ちゃんと男女でいる事が大切なんじゃないか?」

「男女?」

「ああ。長い時間、一緒にいるとどうしても『家族』って意識が強くなるからな。二人っきりの時は、出会った時を思い出して……な?」

「? 『家族』になっちゃいけないの?」

「いや、そういう意味じゃないけど。やっぱり、男と女で結ばれたんだ。そこは大切にしないと」

「うーん……?」

 

 

 蜜璃は弦司の言っている意味が、いまいち分からなかった。結婚すれば分かるのだろうか。

 釈然としないまま、蜜璃はカナエに話を振る。

 

 

「カナエちゃんは?」

「そうね。弦司さんが言いたい事、だいたい言ってくれたけど、強いて言うなら……」

「強いて言うなら?」

「二人きりの時はと~っても()()()する事よ」

「おいっ!?」

 

 

 仲良く、を殊更強調してカナエが言った。なぜか、弦司が慌てている。

 蜜璃は首を傾げる。わざわざ強調するという事は、文字通りの()()()という意味ではないのだろう。そして、二人きりの時と限定してきた。つまり、二人きりでしかできないような事のはず。

 夫婦が二人っきり。そして、仲良く。

 この二つが合わさるという事は――。

 

 

「あーんとかしちゃうの!?」

「……そうよ!」

「ぎゃあぁぁっ!!」

 

 

 カナエの肯定に蜜璃は黄色い悲鳴を上げる。

 なぜか弦司はやれやれと言いたそうにため息を吐くが、もう蜜璃はそれどころではない。想像しただけで体温が上がって、ドキュンとして鼻血が出そうだった。

 

 

「じゃあ、後学のためにお手本見せてあげようかしら?」

「!?!?」

「あーん」

 

 

 カナエが弦司のパンケーキを切り取ると、慣れた手つきで彼の口元に運ぶ。

 蜜璃は両手で顔を覆う。指の隙間から、バッチリ二人を見る。弦司はしぶしぶといった様子で食べていた。

 口元に着いたハチミツをカナエがふき取る。二人が熱々すぎて、蜜璃の目は火傷しそうだった。

 

 

「美味しい?」

「美味しい」

「もう一口どう?」

「……二人きりになってからな」

「えーっ!」

「えー、じゃない! それよりも蜜璃、お前はどうなんだ!」

 

 

 誤魔化すように弦司が蜜璃を呼ぶ。残念半分、ドキドキが止まって安心半分で蜜璃は手を顔から下ろす。

 

 

「どうって?」

「いやいや。秘訣を訊くのは良いけど、相手はいるのか?」

「うっ……」

 

 

 蜜璃は言い淀む。

 

 

「その……まだだけど」

「なら、気にある相手とかは?」

「えっと……伊黒さんとか、不死川さんとか。最近は時透君も素敵だなぁ、って」

「相変わらず気が多いな」

「だってだって! 柱の人は素敵な男性が多いんだもの!」

「それは分かるけど。もう、性格とか色々分かっただろ? ときめくのもいいが、誰か一人に絞ってもいいんじゃないか?」

「誰か、一人に……」

 

 

 蜜璃の胸が高鳴る。柱の中の誰かと添い遂げると想像したから……だけではない。殿方と添い遂げたいという浮ついた理由で入隊した蜜璃を、弦司は受け入れ、さらには背中を押そうとしてくれているからだ。嬉しくて、ついドキドキしてしまう。

 でも、ドキドキしているだけではダメだ。彼はここまで蜜璃の願いを真剣に考えてくれている。彼の助言にしっかり応えたい。そのためには誰と添い遂げたいのか、しっかりと向かい合わなければならない。

 蛇柱・伊黒小芭内。いつもネチネチしていて、それでも仲間想いな。優しくて格好いい人。

 風柱・不死川実弥。会う度に傷を増やしているが、傷の数だけ人を救っている、口は悪いけど、努力家で優しくて強い人。

 霞柱・時透無一郎。いつもはボーっとしてて何を考えているか分からないが、やるときはやる格好良くて可愛い子。

 蜜璃が悩んでいると、弦司は冗談めかして、

 

 

「まあ、お前が二人以上がいいなら――」

「そ、そんな事しないもん! 私は……私は――!」

「はいはい。蜜璃ちゃん、そこまで」

 

 

 答えようとした蜜璃を、カナエが止める。

 

 

「今すぐ答えなんて出さなくてもいいのよ?」

「でも……」

「恋なんだから、迷って悩んでいいの。急がなくていい。大切なのは、しっかり気持ちに向かい合って答えを出す事なんだから」

「カナエちゃん……」

 

 

 カナエが目を細めて、側頭部に着けている虹色の簪に触れる。

 二人のおおよその馴れ初めを、蜜璃は知っている。

 きっと今の関係になるまで、何度も迷って悩んだのだろう。でも、迷いも悩みも全て今の二人の幸せに繋がっているのだ。

 

 

「うん!」

 

 

 蜜璃は力強く頷いた。

 もし、蜜璃が夫婦になるのなら二人の様になりたい。だから、これからもっと迷い悩もう。

 そしていつか、素敵な恋をする――。

 

 

 

◆柱訓練・蛇 ~伊黒小芭内と恋話~ ◆

 

 

 

「お前の旦那、浮気していないだろうな」

 

 

 色彩の異なる左右の瞳。長い黒髪に、口元は強く結ばれた包帯と蛇。

 蛇柱・伊黒小芭内。彼は柱訓練後、適当な理由をつけて胡蝶カナエと二人になるなり詰問した。

 カナエの答えは訓練用の模造刀だった。

 

 

「ちょっと訓練が足りなかったようね」

「ごふっ!?」

 

 

 カナエの嵐のような太刀を、小芭内は同じく模造刀で何とか受け止めるが、腕力が違いすぎる。小芭内は道場の端までぶっ飛ばされた。

 小芭内は咳き込み、愛蛇・鏑丸は目を回す。フラフラしながら立ち上がる。

 

 

「っ、やはり、心当たりがあるんだな」

「人の旦那を浮気者呼ばわりされて、怒らない訳ないでしょ!? ……どうせ蜜璃ちゃんの事なんだろうけど、事実無根です」

 

 

 カナエは一度小芭内をぶっ飛ばして満足したのか、頬を膨らませながらも模造刀を鞘へと納める。

 恋柱・甘露寺蜜璃。

 桜の髪色を可愛らしい女性。鬼殺隊はどうしてもその成り立ちや隊士の入隊理由から、後ろを向いてしまう。蜜璃はその生来の明るさで、みんなを前に向かせる。鬼殺隊における輝かしい光だと、小芭内は思っていた。

 だが今、輝かしい彼女が穢されるのではないかと、小芭内は懸念している。それが胡蝶弦司の浮気だ。

 蜜璃と弦司は恐ろしく相性が良い。十数年来の親友かと思うほど馬が合う。

 蜜璃は洋食などハイカラな食事を摂る事を趣味としている。美味しい物であれば、先入観なく割と何でも口にする。弦司も元々の趣味は食事であり、人間だった頃のあだ名は『悪食家』と呼ばれるほど、色々な物を食べていた。弦司は蜜璃の知らない料理をたくさん知っており、彼が蜜璃の知らない美味しい料理やお店を教える度、彼女は喜び距離が縮まっていく。

 価値観だって似ている。蜜璃は他人を色眼鏡で判断しない。その人の長所を見て、すぐにときめく。弦司も個人の長所を探し、すぐに褒める。特に、女性に対してはその傾向が強い。

 好みも趣味も同じで、価値観も似通っている。だから居心地よいのだろう、会う機会があればいつも長々と話している。何かの拍子に心が移ろい……いや、すでに懸想をして蜜璃に粉を掛けるのではないかと、小芭内は本気で懸念していたのだ。

 カナエは弦司を信じているようだが、恋は盲目とよく言われる。証拠もない精神論では小芭内は納得できない。

 

 

「信用しない信用しない。あの女好きの事だ、その内、妾にでもしたいとか言い出すんじゃないだろうな」

「あのねえ、弦司さんはその辺り、すごい気を遣ってるのよ? 蜜璃ちゃんといるのも、私がいる時だけだし。私が他の女性の話をしない限り、会話にも女性の名前は出さないぐらいなんだから。浮気なんて有り得ません」

「語るに落ちたな、胡蝶カナエ。女性について進んで話さない……逆に言えば、旦那はお前に恋愛遍歴を隠しているという事だろう? その調子で、浮気も隠しているんじゃないのか? やはり、信用できない信用できない」

「……そうとも取れるけど。それは私が嫉妬深いからで、何も弦司さんが悪い訳じゃないし……浮気なんて、しないし……」

「だから、俺が調べてきた」

「何しているの、伊黒君!? 私も恋愛関係はポンコツな自覚あるけど、伊黒君も大概そうよね!?」

 

 

 カナエが何やら言っているが、小芭内は無視して話し始める。

 

 

「まずは十二歳の時だ」

「まずは!? それに十二!? 待って、頭が追いつかない!?」

「実家の近隣に住む、四つ年上の娘と付き合っていたらしい」

「え、いや、四つ上!?」

「最初は姉のように接していたようだが、どうやら、娘の方は不破家は金持ちと聞いて玉の輿を狙うようになり、付き合い始めたそうだ」

「えっ、本当に子ども?」

「だが、付き合って一年後には娘の見合い話がまとまり、別れている」

「だから、何で全体的に生々しいの!?」

 

 

 忙しなく反応するカナエ。一つ目でこれでは先が思いやられるが、小芭内は気にせず続ける。

 

 

「二つ目は十六の時、友人の姉で二つ年上だ」

「私が結婚した年齢より上……」

「こっちも一年は付き合ったらしいが、外出が多い弦司に娘の方があまり付き合おうとせず、段々と距離を置くようになり自然消滅したらしい」

「……」

 

 

 徐々に聞き入り始めるカナエ。何だかんだ言っても、旦那の恋愛遍歴が気になるらしい。聞き入って邪魔にならないなら、小芭内は構わない。もちろん、この後は容赦なくネチネチと責め立ててやるつもりだが。

 続いて、三人目。

 

 

「次は十八。そろそろ落ち着けと親に勧められた、同い年のお見合い相手だ」

「ふーん……今度は普通な感じ。どうして別れたの?」

「三回目の逢瀬で『貧乳娘』と吐き捨てて、派手に喧嘩別れした」

「何してるのよ、弦司さん!?」

「女が全面的に悪いから心配するな。続けるぞ」

 

 

 ちなみに、別れた原因は価値観の不一致。見合い相手が選民思想で、華族以外を見下すという中々()()()()していたらしい。

 両家の顔を立てて三回も会った弦司だったが、たまたま出会った友を愚弄され堪忍袋の緒が切れた……というのが事の真相だ。もちろん、小芭内は弦司の印象を少しでも下げたいので、真実は今しばらく伏せておく。

 

 

「そこから先は付き合う、とまでいかない浅い交際がしばらく続き……最後は、お前が知る人物だ」

「……熊谷環さん」

「ああ。事の顛末は目の当たりにしたお前の方が分かっているだろう。省略するぞ」

 

 

 熊谷環。弦司に関わる一連の事件で、最も被害を被った女性だ。この件については聞くだけでも、鬼舞辻無惨に対して腸が煮えくり返るので、小芭内はわざわざ話はしない。

 それよりも今、肝心なのはこの恋愛遍歴がどう浮気に結び付くか、である。

 

 

「長々と説明したが、共通項が彼女らに存在する」

「共通項?」

「もちろん、お前を含めてだ」

「私も? それって――」

 

 

 怪訝に眉を顰めるカナエに、小芭内は言い放つ。

 

 

「乳房だ」

「……」

 

 

 カナエの視線が絶対零度になった。

 男なら誰もが慌てるような冷たい視線だが、視線の主は蜜璃ではないので小芭内は一向に気にしない。

 

 

「分からないのか、お前の旦那の事だろう」

「分かりません。分かりたくありません。旦那の恋愛遍歴を勝手に調べた挙句、変な事を言う伊黒君を軽蔑します」

「大きさだ」

「――っ」

 

 

 構わず小芭内が言うと、カナエが固まった。

 

 

「あの男は女を乳房の大きさで判断している」

「……待って」

「若年時から年上の女と付き合っていたのは、そのせいだ」

「待って待って」

「最も胸の小さかった女とは一番酷い別れ方をしている」

「待って待って待って!」

「お前も身に覚えが――」

「旦那の性癖を冷静に分析しないでぇ……!」

 

 

 カナエが両手で顔を覆って横に首を振る。恥ずかしいのか、手で隠し切れない耳や首筋は真っ赤だった。心当たりがありまくるのだろう。

 小芭内はますます確信を深める。

 

 

「分かっただろう? 胡蝶弦司は乳房の大きな女が好みだ」

「じゃあ何なの!? 伊黒君は蜜璃ちゃんの胸が弦司さん好みだから、浮気するんじゃないかって疑ってるの!?」

「そういう事だ」

「それだとしのぶも候補に入るんだけど!?」

「じゃあ、そういう事だ」

「暴論よ!!」

 

 

 カナエが顔を覆っていた両手をのけて反論する。案の定、羞恥心から顔は真っ赤で、目尻には僅かに涙が浮かんでいた。

 

 

「そもそも、お義父さんもお義兄さんも愛妻家です! 妾、ましてや妻の妹に手を出すだなんて、そんな発想ありません!」

 

 

 家庭環境を引き合いに出し、カナエが有り得ないと論じる。

 だが、相手は鬼殺隊一ネチっこい男・伊黒小芭内。その程度の反論を封じる術は、すでに準備していた。

 

 

「馬鹿め、俺が調べていないと思ったか?」

「えっ」

「俺の調べでは次男……旦那のもう一人の兄は三人ほど妾がいるようだが?」

「うっ……!」

 

 

 上の兄と父親が一途なせいか、不破家の次男は中々に性に奔放だった。

 その良し悪しは今は関係ないので脇に置き、呻くカナエに小芭内はさらに追い打ちをかける。

 

 

「義父の妻……義母は二人目であり前妻は義母の姉だと聞いたが、間違っているか?」

「ううっ……!」

「発想がない? 嘘を吐くな。むしろ奴にとって妻の一人や二人は日常だ」

「に、日常は言いすぎ……!」

 

 

 ちなみに、姉妹で愛憎劇を繰り広げた……などという事はなく、姉が流行病で死去してしまった後、家の繋がり保つために後妻となっただけである。今でも、前妻の墓参りは続いている。そんな温かな家庭を曇らせた鬼舞辻無惨は、死すべきである……が、今はひとまず蜜璃である。

 小芭内は再びカナエへ詰問する。

 

 

「性格も価値観も身体的特徴も胡蝶弦司と一致し、家庭環境も許容できる余地がある。それでも、お前の旦那は浮気をしないと思っているのか?」

「弦司さんは身も心も私の物だもの。そんなの有り得ない」

 

 

 カナエは即座に否定した。もはやそれは愛ではなく、執着であった。

 だが、どれだけカナエが感情を見せても、それに見合う証拠は提示されない。

 

 

「俺は信じない」

「私は信じる」

「ふん。なら、俺はこれからお前の旦那を詰問する。俺を納得させられなかったんだ、それぐらい問題ないだろう?」

「いいですよー。恥かくのは伊黒君なんだから」

 

 

 

 

 こうして、小芭内が弦司を問い詰める事になったのだが――。

 

 

「……お前は一体何をしている?」

「いや、話長いから。小腹が空いたから食事」

 

 

 弦司は伊黒邸の台所を借りて作ったオムレツ(半熟)を、美味しそうに頬張っていた。浮気を疑われているのに、本当に呑気な男であった。

 

 

「伊黒もどうだ?」

「いらない」

「そうか……それで、カナエはどうしたんだ? カナエの分も作ろうかと思っていたんだけど」

「しばらく席を外させた」

「ん? 何か話でもあるのか?」

「甘露寺の事だ」

 

 

 弦司の箸が止まる。

 この男、遠回しに言うと良いように受け止める傾向があるので、小芭内は直裁する事にした。

 

 

「随分と甘露寺と楽しくしているようだが。もしかして、友以上を望むつもりはないだろうな?」

「蜜璃と? ないない」

「お前は乳房が大きい女が好みなのは調査済みだ。信用しない信用しない」

「お前何してるの!?」

「否定をすれば、お前の恋愛遍歴を語る」

「ぐっ……! い、いいじゃないか……! 巨乳は夢が詰まっているんだから……!」

「やはりお前、浮気を――」

「考えてないって! ああもう、心配性だな……!」

 

 

 弦司は困ったように眉尻を下げると、箸を置いて腕を組む。

 少し悩んでから、

 

 

「伊黒は俺に浮気をしないように釘を刺したい訳だ」

「ふん。それぐらいは分かる脳みそはあるみたいだな」

「でも、口約束じゃ信じないよな? じゃあ、俺は蜜璃ともう会わなければいいのか?」

「……」

 

 

 小芭内は言葉に詰まる。

 弦司と蜜璃が会わなくなれば、心配は完全に杞憂となる。会うなと言ってやりたい。でも、小芭内はそこまではできなかった。

 間違いなく、蜜璃は弦司との時間を楽しんでいるのだ。それを勝手に奪ってしまえば、間違いなく蜜璃を傷つける。笑顔を曇らせる。

 だからといって、弦司をそのままにする事も納得できない。小芭内は弦司が変な気を起こさないように、ただただネチネチと責めるしかできなかった。

 黙る小芭内に、弦司が語りかける。

 

 

「いいよな、蜜璃の笑顔は。彼女の笑顔で俺もカナエも、何度救われた事か」

「……」

「だからこそ、蜜璃の笑顔が失われるのが怖い」

「……知ったような口を利く」

 

 

 小芭内は悪態を吐くが、特に反論はない。

 何よりも美しく明るくて輝かしい蜜璃の笑顔に、小芭内を始め何人の隊士が救われた事か。何物にも代えがたい笑顔だからこそ、傷つき曇ってしまう事が何よりも怖い。()()()()()()()()()()()()()、全てから守りたいと思ってしまう。

 

 

「甘露寺は……誰よりも優しく明るい。彼女の輝きが失われるような事は、あってはならない」

「俺もそう思う。だけど、何もしないってのは嫌なんだよな?」

「……」

「そうなると……そうだ。伊黒、蜜璃と付き合えよ」

「!?」

 

 

 なにが「そうだ」なのだろうか。弦司が名案とでも言いたそうに指を鳴らし笑顔になる。

 小芭内は無表情、鏑丸は恥ずかしそうにそわそわし始める。

 

 

「何を言っている? 頭が沸いているのか?」

「結局は蜜璃が独り身で、本人さえ同意すれば()()()()()()()だから心配なんだろ? 伊黒が幸せにすれば、万事解決じゃないか」

「……極論だな」

 

 

 弦司の言わんとする所は小芭内にも分かった。

 弦司が求め、蜜璃とカナエが受け入れさえすれば正当に成立してしまうのが現状だ。ならば前提……蜜璃が独り身を崩せば、心配しなくても済むと。さらに、笑顔が失われない様に幸せにしてしまえと、弦司は言っている。

 きっと小芭内が今の状況を外野から見ていれば、文句をつけるぐらいならお前が幸せにしろと、同じような事を言うだろう。でも、小芭内は頷けなかった。ほとんど反射的に反論する。

 

 

「お前が略奪しないとは限らないだろ」

「蜜璃が略奪されるような娘か? つーか、俺ってそこまで伊黒にクズに思われてる?」

「ふん。まあ百歩譲って、それぐらいの人間性は信用してやる」

「ほら、やっぱり伊黒が蜜璃と付き合えば解決じゃないか」

「……」

 

 

 殊更嬉しそうに言う弦司を、小芭内は睨みつける。

 

 

「……簡単に言ってくれる」

 

 

 蜜璃と付き合う? そんなもの、できるものならとうの昔にやっている。

 小芭内の一族は鬼と結託し人々から金品を奪い、しなくてもよい贅沢ばかりをしていた。薄汚れ穢れた愚か者たちだった。

 小芭内は一族では珍しい男で、さらには左右の眼の色が変わっていた。だから鬼の生贄に捧げられながらも、珍しいからと肥え太らせ生き永らえさせられていた。

 死にたくなくて、小芭内は逃げ出した。そのせいで一族の五十人は死に、生き残ったのは小芭内といとこだけだった。

 鬼殺隊に入り、たくさんの人を助けた。たくさんの人に感謝された。だが、いくら誰かのために命を賭しても、己の中に流れる穢れた血は変わらない。切り捨てた五十の命が、重石となって体から離れない。

 こんな穢れ汚れた体では、傍にいる事さえ憚られる。胸に秘めた想いを伝えるなど、もっての他だ。伝えるとしたら鬼舞辻無惨を討ち、汚い血が全て浄化され、真人間として生まれ変わってからしかない。小芭内は少なくとも、そう考えていた。

 だというのに、弦司は簡単に小芭内の罪を乗り越えろと言う。いや、弦司だからこそ簡単に言うのだろう。彼も小芭内と同じく、自身に流れる血を憎み、苦しんでいる。しかし弦司は小芭内と違い、想いを告げて好いた相手と共にいる。乗り越えた弦司だからこそ、小芭内はこんなにも危機感を募らせ、イラついているのかもしれない。

 

 

「別にそう難しく考えるなよ。とりあえず、蜜璃と付き合ってみて、それから――」

「おい」

「ん?」

「俺はお前が甘露寺を軽々しく名で呼ぶ事も気に入らない。馴れ馴れしく呼ぶな」

「そうは言っても、今さら変えたら蜜璃が傷つくし……そうだ、お前も同じように呼べよ。そうしたら、気にならなくなるし、蜜璃も超喜ぶ」

「なぜそうなる」

「まあまあ。付き合うのは難しいかもしれないけど、名前を呼ぶのは簡単だろ? まずはそういうところから、始めてみよう」

 

 

 押しつけがましく、弦司が言う。この男、意外と押しが強い。

 

 

「……」

「それじゃあ、まずは練習だ。蜜璃。ほら、言ってみろ」

「……なぜ練習する必要がある。そもそも、呼ぶ必要性も――」

「何でも予行演習は大切だろ」

「……」

「ほら、蜜璃」

「お前が言う必要はない」

「伊黒が言ったらやめるって。ほら、蜜璃」

「……」

「蜜璃」

「……ちっ」

 

 

 こんな戯れ言無視すれば良い。だが、言わなければこの男は不愉快にも延々と蜜璃と呼ぶかもしれない。

 どうせただの練習なのだ。この男を黙らせられるなら、蜜璃を呼ぶくらいならどうって事ない。

 小芭内は言い訳がましく言葉を心の中で並べ立て、

 

 

「……………………蜜、璃」

 

 

 たった一度。たった一言。その名を呼んだだけで、鼓動が速くなった。呼吸が乱れた。

 

 

「……」

「おっ、言えたじゃないか。それじゃあ、後は本人の前で――」

「……っ」

「あっ、おーい。どこに行くんだよ?」

 

 

 小芭内は逃げる様にこの場を離れる。

 非常に癪だが、弦司が一度付き合ってみろと言った意味が少し分かった。

 蜜璃の傍にいる事も憚られる。共にいるだけで、身の内から罪悪感で苛まれるような気さえした。だから、ただ見ているだけで良いと思っていた。

 だが、彼女の名を呼んだ。見ているだけではなく、己から近づいてみた。それだけで、沼の様に己を引きずり込む罪の意識から、離れられた気がした。

 

 

(違う。俺はどうしようもなく、薄汚れている。絶対に、許されない)

 

 

 あの場にそのままいて、弦司の口車に乗っていたら。己がどうなっていたのか、見当もつかない。だが、流されるような事は許されないと小芭内は否定する。

 しかし、一度味わった甘美な感情は簡単に離れる事なく。この夜、小芭内は中々寝付けなかった。

 

 

 ――ちなみに。

 全てを隠れて聞いていたカナエは、

 

 

「弦司さんが蜜璃って言う必要なかったよね?」

「えっ、いや、そうでもしないと、あいつ言わないし……」

「私も呼んで」

「カ、カナエ」

「もっと優しく」

「カナエ」

「もっと甘く」

「カナエ」

 

 

 ――この日、延々と妻の名を呼ぶ鬼がいたとか、いないとか。

 

 

 

 

 後日、小芭内が蜜璃に会うと顔を真っ赤にさせながら「お、おおおお、小芭内さん、って呼んでも、いい?」と半ば錯乱しながら提案された。どういう手管を使ったのか分からないが、弦司の仕業だという事だけは分かった。

 罪の意識? 蜜璃の提案を断る方が大罪である。

 ――その日から、小芭内と蜜璃は名で呼び合うようになった。

 

 

 

◆柱訓練・炎 ~煉獄杏寿郎と見合い話~ ◆

 

 

 

「今日の柱訓練は中止だ!」

 

 

 炎柱・煉獄杏寿郎。

 意志の強さを示す吊り上がった目と眉。髪は紅蓮の様に明るい。その快活な性格もあり、まさに炎を体現した好漢。

 カナエと弦司が煉獄邸の一室に案内するなり、訓練の中止を告げた。

 

 

「それはいいけど。これはどういう次第だ?」

 

 

 困惑する弦司とカナエ。突如、中止となり怒らないのは、杏寿郎なら意味もなく中止にはしないと、人となりを信じているからに他ならない。きっと真に困惑しているのは、今の状況のせいだろう。

 

 

「いつも兄がお世話になっております」

「……ふん」

 

 

 座敷にすでにいたのは、杏寿郎によく似た正座した年若い少年と、酒を片手に悪態を吐く壮年の男。

 千寿郎と槇寿郎。それぞれ杏寿郎の弟と父である。

 互いが互いを、なぜここにいるのだと言いたそうにしており、座敷の空気は非常に微妙な感じだった。

 あまり時間を取らせるのも悪い。弦司とカナエも腰を下ろした所で、杏寿郎が話を切り出した。

 

 

「今日、皆に集まってもらったのは他でもない! 相談したい事がある!」

「兄上が相談? その、僕で役に立つのでしょうか?」

「千寿郎、俺は皆の忌憚のない意見が欲しい! 遠慮なく言ってくれ!」

 

 

 心配は無用だと杏寿郎が告げる。安心させるために言ったのだが、千寿郎の顔が強張る。弟の意見が欲しいとは、それだけ杏寿郎が切羽詰まっている証左に他ならないと思ったのかもしれない。

 実は、そこまで切羽詰まっている訳ではない。困っているのは確かだが、少し大げさにし過ぎたかもしれない。

 杏寿郎は前置きもさっさと切り上げ、

 

 

「見合い話を受けた!」

 

 

 意外な内容だったのか、瞬間皆の表情が固まる。

 少しだけ間を置く。僅か、冷静になったところで、杏寿郎は集めた目的を告げる。

 

 

「受けるべきか否か、忌憚のない意見が欲しい!」 

 

 

 

 

 話は数日前に遡る。

 杏寿郎は馴染みの牛鍋屋に入った。店員の案内を受け、通された一室には、

 

 

「久方ぶりだな、杏寿郎!」

 

 

 大音量で挨拶をする大きな瞳と口、そして柔和な微笑を携えた小柄な壮年の男性。

 不破弦十郎。不破家の長男で弦司の十歳年上の兄だった。

 

 

「一別以来だな、弦十郎!」

 

 

 杏寿郎も大音量で挨拶を返す。

 柱訓練を通して何も弦司やカナエとだけ仲良くなった訳ではない。一部の柱は弦司を通して、不破家とも交流を持つようになっていた。

 その中でも最たる例が杏寿郎と弦十郎だった。年は親子ほど離れているが、今では無二の親友となっている。こうして、二人で鍋をつつきあうのも一度や二度ではなかった。

 杏寿郎が弦十郎と鍋を挟んで座る。それから、美味い牛鍋に舌鼓を打ちながら、会話に花を咲かせる。

 

 

「健勝そうで安心したぞ!」

「それはこちらの言葉だ! また業務を広げたそうだな。兄上は仕事をしすぎていないかと、弟が心配しているぞ!」

「最近は後進も育ってきている。心配無用だと伝えてくれ!」

「相分かった!」

 

 

 美味い料理と気の合う友人。本当に楽しい時間だった。

 

 

「子どもは良いぞ、杏寿郎! 今日もまた、新しい漢字を覚えていた! 俺なんぞ、もう忘れるばかりと言うのに!」

 

 

 話題は弦十郎の子ども、年少の三男についてである。かわいい盛りなのか、しきりに弦十郎は緩み切った笑顔で褒めていた。

 今だ結婚もしていない杏寿郎は、微笑ましく思うも縁遠い話であった。しかし、全く共感できない訳ではない。

 

 

「確かに! 俺の継子だった甘露寺も今ではあんなに立派になった! 年若い者の成長には目を見張るばかりだな、弦十郎!」

 

 

 甘露寺蜜璃。元々は杏寿郎の継子として、炎の呼吸を教えた女性隊士だ。気づけば、杏寿郎も予想だにしない急成長を遂げ、立派に独り立ちした素晴らしい隊士である。

 きっと子どもの成長と似たようなものだろうと話に出してはみたが、弦十郎の表情が真剣なものに変わった。

 

 

「杏寿郎」

「うむ」

「後継者を育てる事と子を育てる事は、似て非なる事だ」

「そうなのか!」

「ああ。命を繋げるとは、こんなにも難しいのかといつも痛感させられる」

 

 

 弦十郎の表情が憂いを帯びたもに変わる。

 杏寿郎と弦十郎は性格が似通っているだけではない。立場も、非常に似ていた。

 鬼殺隊の名門・煉獄家。肩や旧家の不破家。どちらも古くから続く家柄であり、家長に求められる役割は多い。その重圧は生まれた者にしか分からないだろう。そして、その重石を子へと繋いでいかなければならない。今は想像しかできない杏寿郎だが、それがどれだけ重い事かは理解できた。

 

 

「でも……いや、だからこそ、友の怠慢が気にかかる」

 

 

 弦十郎は憂いを消すと、真剣な眼差しで杏寿郎を射抜く。

 

 

「どういう意味だ?」

「なぜ、未だ身を固めない?」

「むぅ……」

 

 

 杏寿郎が言葉に詰まる。もうすぐ二十歳にもなるのに、杏寿郎は未だに独り身であった。

 

 

「今まで、突っ走る事しか考えていなかった!」

「杏寿郎、俺達の役割を考えれば、それは言い訳にはできん!」

「しかし、俺はまだまだ未熟だ! 些か、早くはないか!」

「何を言っている、杏寿郎! 我らは常に未熟であろう! 人生に成熟はない! 未熟を言い訳に使うな!」

「確かに! はっはっは、俺とした事がこれは恥ずかしい! 穴があったら入りたい!」

 

 

 家長の役割を考えれば、杏寿郎の現状は確かに怠慢であった。

 自力で炎の呼吸を極めるのに忙しかったから。まだ未熟だからなど、ただの言い訳にしかならない。それだけ、煉獄家の果たさなければならない役割は大きいのだ。

 

 

「間違いを認められる度量、見事だ杏寿郎!」

 

 

 弦十郎は笑顔で賞賛する。本当に良い友を持った。

 

 

「良い、弦十郎! それよりも、俺も良縁を真剣に探さねばならん! 何か助言はないか!」

「はっはっは! 俺が手ぶらで叱責したと思うか!」

「! それでは!」

「ああ――見合い話が一つある。受けるか?」

 

 

 

 

「――そういう次第だ!」

「勝手にしろ」

「父上!」

 

 

 事情を説明するなり、気怠そうに槇寿郎が立ち上がる。

 

 

「この中で婚姻し、子を持つのは父上のみです! ご助言をいただけないでしょうか!」

「くだらん……どうでも、いい」

 

 

 それだけ言い残すと、酒を飲みながら立ち去っていく。

 昔はこんな人ではなかった。妻・瑠火を早くに亡くし、それでも情熱を持って杏寿郎と千寿郎を育てていた。それがいつの日か心の炎さえも消してしまい、無気力となった。

 今回、かなり無理を言って参加させてみたのは、見合いの話を聞けば、何か変わるのではないかと淡い期待があったからだ。

 結果、何も変わらなかったが杏寿郎は落ち込まない。こういう事もある。大切なのは、諦めずに続ける事だ。それに「勝手にしろ」と許諾はもらった。ならば、後は勝手にこっちで決めるだけである。

 杏寿郎は切り替え、この中で唯一の夫婦である弦司とカナエを見る。

 

 

「弦司と奥方はどう思う!」

「……煉獄がいいならいいけど。正直、俺はお前が何を相談したいのか、よく分からない」

「私も。煉獄君は養える財力も度量もあるし、人格も立派だもの。一体、何か聞くような事があるの?」

 

 

 大丈夫だと、むしろ相談する事があるのかと弦司とカナエは言うが、杏寿郎はそうは思わない。

 

 

「それは買いかぶり過ぎだ、ご両人! 俺とて今の家庭環境が、妻を迎えるにあたって良くはないと分かっている! それにこの身は鬼殺に捧げている! そんな男の元に嫁ぐなど、あって良い事なのか!」

 

 

 杏寿郎が結婚に当たる己の欠点を挙げると、弦司とカナエからやや呆れた視線を向けられる。

 

 

「隠して結婚するなら、確かにやめろって言うけどな。隠すつもりはないし、承知の上で来てもらうんだろ? 相手が金目当てでもない限り、問題ないさ」

「それに一番大切な事は、困難をどうやって()()()乗り切るかよ? 煉獄君だけ、奥さんだけが頑張るんじゃなくて二人で頑張るつもりなら、大丈夫よ」

「つまり……今後の努力次第という事だな!」

「そういう事」

「あまり難しく考えすぎないで。いつもの煉獄君で頑張れば良いのよ」

 

 

 笑顔で肯定する胡蝶夫妻。杏寿郎に対する確かな信頼が感じられる。結婚と聞いて、名門の義務や責任ばかり考えていた重石が、少しだけ軽くなった。

 弦十郎の様に同じ立場ではなく、違う視線からもらえる言葉がすごく有難かった。

 

 

「千寿郎はどう思う!」

「兄上。僕も言わないといけないんですか……?」

「さっきも言っただろう! 俺は忌憚のない意見が欲しい! 何でもいい、思った事を言ってくれ!」

「ええと……それじゃあ――」

 

 

 千寿郎は困惑した表情のまま、なぜか杏寿郎ではなく胡蝶夫妻の方を向く。

 

 

「兄は忙しい身ですから、お見合いして、すぐに結婚するかどうか……っていう話になると思います。大きな決断です、兄でもきっと迷うでしょう。ですから、その、参考程度でいいので結婚の決め手とかって何かありますか?」

「千寿郎……」

 

 

 杏寿郎はすっかり結婚するつもりでいた。だがまずはお見合いなのだ。そして、お見合いとは相手がいて、当然杏寿郎の感情も介在する。人生の大きな選択だ。贅沢な話だが、相手次第では杏寿郎も迷うかもしれない。

 そんな時に、何か役に立つ情報がないか。義務ばかり先行する情けない兄に代わり、千寿郎が聞いてくれた。よく気が付く弟であった。

 

 

「決め手……決め手なぁ……」

「私達の場合は、好き合ってた……とは違うわよね。告白する前から、そんな感じだったし。決め手……」

 

 

 問いかけに胡蝶夫妻は頭を悩ませる。

 

 

「色々あり過ぎてなぁ……まあ、敢えて言うなら……そう勢いだよ、勢い!」

「うん、そうね。今思うと、場の雰囲気と勢いで色々決めちゃった感じよね」

 

 

 当時を思い出したのか、二人は苦笑いを浮かべる。

 二人の様子に後悔などは感じられない。きっと悪い決め手ではないとは思ったが、杏寿郎は聞かずにはいられなかった。

 

 

「言葉は悪いが、随分と軽いな。鬼と人が共になるという大きな決断だったのだろう? 覚悟とは違うのか」

「そんな大層な物じゃないさ。それにこんな事、覚悟だけじゃ決められないって」

「そうね。冷静に考えたら、私達の選択は滅茶苦茶だもの。それでも突き進むには、やっぱりその場の勢いが一番よ」

「つまり……機を見るに敏、という事だな!」

「そうそう。結婚なんて理屈だけじゃ考えられないし、正解だって分からないし」

「たまにはその時、その場の勢いで決めてみるのも、いいんじゃないかしら」

「うむ! そういうのは得意だ、任せろ!」

 

 

 杏寿郎が胸を強く叩いてみせると、皆が笑い場の空気が緩んだ。

 杏寿郎も微笑み、皆に感謝する。

 

 

「貴重な助言を感謝する、弦司に奥方! それとありがとう、千寿郎! 俺では気づけない視点だった! 感謝する!」

「これぐらいの相談なら、いつでも乗るさ」

「うん。また困った事があったら、いつでも言って」

「いえ、兄上のお役に立てたのなら僕も嬉しいです」

「よし! ならば善は急げだ! それでは皆、今日は感謝する!」

 

 

 杏寿郎は立ち上がると、座敷から飛び出した。

 

 

 

 こうして杏寿郎は弦十郎へ許諾の手紙を書いた。

 すぐに見合いの場は整えられ、そして――杏寿郎は大切な伴侶を得る事となる。




実は相性が良い三人組編。
相性良いのに本編出さなかった理由は、原作でカナエさん生存時に存在が確認できなかったからです。

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