鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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お待たせしました。
さくっと終わるかと思ったら、中々終わらなかった柱合会議となります。


後日譚 柱合会議、変わる鬼殺隊

 ――柱合会議。

 その名の通り、鬼殺隊の最高位・柱たちによる会議だ。半年に一回行われ、情報共有から鬼殺隊の今後の方針や運営など話し合う。ただし、今回の柱合会議は今までとやや毛色が違った。

 

 

「……大丈夫なんですかね」

「大丈夫だろ」

 

 

 産屋敷邸の一室。黒子のような衣装をした鬼殺隊の隠密部隊・隠の一人である後藤は、後輩の隠に即座に返答する。

 後輩の女性の隠は、少し不機嫌になった。

 

 

「ちょっと楽観視しすぎていませんか?」

「別に前例がない訳じゃない。お館様も大丈夫って仰っているんだ、信じればいいだろ」

「そんな簡単に信じられたら苦労しません」

 

 

 彼女は鼻を鳴らすと、不安そうに部屋の隅にある木の箱に視線を向ける。

 ――那田蜘蛛山の戦い。

 下弦の鬼が複数の鬼を率い、多くの隊士を失った戦い。その戦いには、何と()()()()()()()がいた。

 隊士の名は竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)。鬼は彼の妹・禰豆子(ねずこ)――そして、その鬼は人を喰らわぬ鬼であった。

 どういった経緯があったのか、後藤は詳しくは知らない。とにかく、今回の柱合会議に隊士と鬼(竈門兄妹)は産屋敷邸に呼ばれた。会議が始まるまでの間、後藤達が見張っているという状況だった。

 確かに、今は異常事態だ。鬼を連れた隊士など前例がない。後輩の言うように、不安になる気持ちも分かる。だが、人を喰らわぬ鬼は決して禰豆子だけはない。

 後藤は禰豆子()大丈夫だと思っていた。無根拠な自信ではない。あの仲良し夫婦である『胡蝶家の鬼』と蟲柱・胡蝶しのぶが、竈門兄妹の味方として陰で動いていると聞いたからだ。それだけで、後藤には十分信じるに足った。

 ただ、後輩は鬼夫婦と接点がほぼない。だから、ここまで不安になっているのだろう。

 そうして、微妙な空気の中待つ事、少々。後藤達のいる座敷へと、二つの足音が近づいてきた。

 座敷に繋がる障子が開く。

 

 

「ここが禰豆子ちゃんの部屋ね!」

「待たせた、後藤」

 

 

 入ってきたのは黒を基調としたタキシードとワンピース型の洋装を着た一組の男女。人を喰らわぬ鬼……その前例となる『胡蝶家の鬼』弦司とカナエだった。

 後藤は軽く手を挙げて挨拶をする。

 

 

「ういーっす。久しぶり。竈門禰豆子はその箱の中だから」

「世話になる。ありがとう、後藤」

「後は任せて大丈夫よ。二人は休んでて」

 

 

 後藤が気軽に対応していると、後輩に袖を引かれ小声で囁かれる。

 

 

「ちょっとちょっと!? 何でそんなに軽いんですか!?」

「お前だって『胡蝶家の鬼』の噂ぐらい聞いた事あるだろ? あの化け物染みた柱の面々より実力あるんだ、もう安全は確保できたようなものだって」

「それは、私だって功績ぐらい聞いた事ありますけど、柱訓練ばかりで接点が全然ないし……というか、後藤さんはどうしてそんなに馴れ馴れしいんですか?」

「いや、カナエ様が花柱で不破……じゃなくて、弦司が小間使いだった時からの付き合いだからな。付き合い長いし、普通に友人同士だぞ?」

「えっ、意外……」

「まあ、今じゃあ立場は天と地ほど離れたけどな。くっそ、弦司の奴。また高そうな装飾品、カナエ様に買ってあげてるな……!」

 

 

 カナエの首元には、以前にはなかった青色の首飾りがある。話した事はないが、柱に訓練をつけるぐらいになると、やはり給与面は違う。

 後藤が少し不貞腐れていると、カナエが後輩の方に近づいてきた。

 後輩が緊張する。

 

 

「もし」

「は、はい! 何でございましょうか!?」

「大丈夫よ、そんなに緊張しないで」

 

 

 昔から変わらない微笑を携えてカナエは近寄ると、後輩の手を優しく包み込んだ。

 後輩は目を白黒させる。

 

 

「えっと!?」

「心配事はたくさんあると思うわ。でも、何があっても私達が絶対に守るから。あなたはあなたの役割を全うして。それでちょっと余裕があったらでいいから。私達のありのままを見て」

「……はい」

 

 

 最後にニコリと。包み込むような笑顔を向けると、カナエは手を離した。

 後輩は瞬間、カナエに見惚れる。警戒心が解けていく。

 

 

(相変わらずだな、カナエ様は……)

 

 

 鬼になる前と変わらず、優しく包容力のある()だと後藤は呆れ半分で感心した。

 続いて、カナエは笑顔を木の箱――竈門禰豆子に向ける。

 

 

「禰豆子ちゃん、出てきて。お話しましょ」

 

 

 優しくカナエが呼びかける。僅かに間を置いてから、ゆっくりと木箱の扉が開いた。

 恐る恐る出てきたのは女の子。腰まである長く美しい髪と、大きな丸い瞳が非常に可愛らしい。ただし、口元に咥えた竹筒と牙、長い爪と青白い肌が、鬼だと知らせる。しかしながら、牙と爪は鬼夫婦も同じ。後藤は別段、禰豆子を見ても驚かなかった。

 対して、出てきた鬼――禰豆子は笑顔のカナエと弦司を見ると、目を大きく見開き固まった。自身と同じ鬼がいた事に驚いたのだろうか。

 一瞬、流れる静寂。それを崩したのはカナエだった。

 

 

「か……可愛い!」

 

 

 悲鳴のような歓声を上げると、禰豆子を抱きしめる。さらに、頬をスリスリし始めた。弦司もどさくさに紛れて、禰豆子の頭をヨシヨシしている。完全に子どもへの対応である。今のこの光景を見れば、誰も鬼同士だとは思わないだろう。ちなみに、禰豆子は眉尻を若干下げながら口角を僅かに上げている。困惑と喜び半々といった所だろうか。

 しばらく禰豆子の頬の感触を堪能したカナエは、スリスリをやめると後藤の方へ振り向く。

 

 

「後藤君、手拭いとお湯と櫛と……あれば着物を持ってきて!」

「えっ? 何でですか?」

「だってこの後、みんなの前に出るのよ! せっかく可愛いんだもの、ちゃんと綺麗にしなくちゃ。いいよね、禰豆子ちゃん?」

 

 

 カナエは訊ねるが、禰豆子は事態がよく呑み込めないのか、首をこてっと傾げる。この仕草がまたカナエの心に響いたのか、まずます目尻が下がった。

 

 

「この後ね、禰豆子ちゃんは怖くないって大人の人に伝えに行くの」

「君のお兄ちゃんもいるし……それまでに綺麗になって、お兄ちゃんを驚かせよう?」

「!!」

 

 

 兄を引き合いに出された途端、ぶんぶんと縦に勢いよく首を振り出した。妹が鬼になっても共にいる……炭治郎は間違いなく、禰豆子を愛しているだろう。そして、愛しているのはきっと禰豆子も同じなのだろう。

 後藤は覆面の下で微笑むと、座敷を出て行く。

 慌てて後輩が後ろを着いてくると、

 

 

「……あんな鬼も、いるんですね」

「ああ。良い子なんだろうな……」

「幼児趣味」

「ちげぇ!!」

 

 

 また新しく現れた兄想いの可愛い鬼。鬼殺隊のためだけではない、彼女のためにも後藤達は行く。

 

 

 

 

「『胡蝶家の鬼』カナエと弦司だ」

 

 

 耀哉から紹介を受けた弦司とカナエは頭を下げる。

 あれから禰豆子を身綺麗にした後、すぐに御内儀のあまねから声を掛けられた。禰豆子を伴い柱合会議に出て欲しいとの事だった。元々そのつもりで来ていたので、弦司達に否やはなかった。

 子どもらに付き添われた耀哉の後を着いて、縁側まで来た。日の当たらない所まで下がり、耀哉の背後に控える様に座ったところで、紹介を受けた。

 もちろん、紹介をしたのは庭にいる今や顔なじみの柱九名――ではなく、禰豆子の兄・竈門炭治郎に対してだ。

 炭治郎の反応は上々……というか、しのぶに微笑みかけられて泣いていた。似たような立場だからこそ、色々とこみ上げるものがあったのだろう。それでもすぐに気持ちを切り替え、今は耀哉の言葉に耳を傾けている。

 心の強い、そして妹想いの優しい男の子。それが弦司とカナエの炭治郎に対する第一印象だった。

 

 

(禰豆子ちゃんのお兄ちゃん、優しそうな良い子ね)

(自慢のお兄ちゃんだな)

 

 

 カナエの膝の上で寛ぐ禰豆子に、二人がそっと囁いて炭治郎を褒めれば、禰豆子は目を細めて嬉しそうに唸る。兄妹愛し合っている事が感じられた。

 弦司とカナエが兄弟愛にほわほわ癒されていると、小柄な女性――胡蝶しのぶが声を上げる。

 

 

「お館様におかれましても御壮健で何よりです。加えて、柱合会議の前にこのようなお時間もいただき誠にありがとうございます」

「いいよ、しのぶ。むしろ、君にはいつも苦労をかけているから、これくらいしかできなくてごめんね」

「ありがたきお言葉を頂戴して、恐縮至極に存じます」

 

 

 しのぶが声を弾ませ礼を述べる。他の柱から、ちょっとした歯軋りが聞こえるのはご愛敬だ。

 

 

(何とかここまでこぎつけたな……)

(うん。あなたの時みたいにならなくて、本当に良かった)

(ああ。しのぶ様々だな)

 

 

 弦司とカナエは柱合会議が目論見通り進んでいる事に、安堵のため息を吐く。

 随分と前から、炭治郎と禰豆子の柱合会議招集を提案していたのはしのぶだった。それは竈門兄妹を糾弾する訳でも罰する訳ではなく――自身達と同じ想いをさせないため。

 ――緊急柱合会議。

 忘れもしない、初めて弦司が白日の下にさらされた会議だ。

 あの日、受けた仕打ちに何も理不尽な事はなかった。鬼が人間社会で生きるために必要な事を、柱達はやっただけだ。

 でも、傷つかなかった訳ではない。弦司もカナエもしのぶも、鬼でなければ、鬼にならなければと何度も思った。

 誰かこの気持ちが分かってくれる人がいれば。そう思わずにはいられなかった。

 もちろん禰豆子にも鬼の治療へ参加させたいという下心はあるが、あの日あの時。自身達が受けた仕打ちを、二人に受けさせない。それが一番の理由で、弦司達はここにいた。

 

 

「それじゃあ、しのぶ。今回の進行をお願いするよ」

「はい」

 

 

 しのぶは顔を上げ、これでもかと明るい笑顔を義勇へ向けると、

 

 

「この度、竈門炭治郎および竈門禰豆子の存在を隠し、水柱・冨岡義勇が鬼殺隊へ入隊の手引きをしました」

「……」

 

 

 いきなり二人の間に剣呑な空気が流れ、一同は居心地が悪くなる。禰豆子の存在がしのぶに露呈したあの日から、二人の仲は今もなお亀裂が入ったままだった。ただ、この問題は義勇が少しでも心の内を晒せば全てを解決する。しかしながら、肝心の彼の心を開く方法が誰も分かっていなかった。

 それでも、一縷の望みをかけて一同はこの空気の原因である義勇に視線を集める。しかし、当の義勇は特に堪えた風もなく、いつもの不愛想のままであった。

 

 

「……はぁっ」

 

 

 しのぶはため息を吐き出す。そこには諦観と、僅かな怒りが込められていた。

 しのぶは義勇から視線を外すと、何事もなかったかのように鈴のような声音で続ける。

 

 

「この際、彼の不手際は一旦不問とします。大事な事は、竈門禰豆子が人を喰らわぬ鬼であった事。竈門炭治郎に鬼舞辻無惨からの追手が直接仕向けられた事。竈門禰豆子の存在は元より、鬼舞辻無惨が見せた尻尾を逃さないためにも、二人の存在は鬼殺隊に有益と判断し、この度の柱合会議で正式に鬼殺隊として認める事を提案します」

「……っ!」

 

 

 しのぶが言い終わると同時に、再び炭治郎の目から涙が流れる。同じ感情を共有できるしのぶだからこそ、心に響くものがあるのだろう。

 しのぶは炭治郎へ微笑みかける。しのぶにも炭治郎と共感できる部分が多くある。炭治郎に向ける微笑は、優しさしかなかった。

 

 

「いかがでしょうか、皆さん?」

 

 

 しばらくして炭治郎が涙を拭うと、しのぶは柱達に問いかける。実はこれは()()()()()だった。

 柱合会議開始以前に、すでにしのぶは全員に根回しを行っていた。

 ――二年以上、禰豆子は一度たりとも人を喰らっていない。

 ――睡眠により力を蓄えているが、これはカナエと弦司と比較しても異質であり、鬼の研究にこれまで以上に寄与する可能性がある。

 ――兄である炭治郎と共に、すでに複数体の鬼を討伐し人を守っている。

 ――炭治郎は鬼舞辻無惨と遭遇しており、彼の報告にある容貌は弦司の報告と一致している。

 これまで、そしてこれから挙げるであろう功績を、理路整然と説明した。

 もし、竈門禰豆子が前例のない鬼であれば、誰もまともに説明を聞かなかっただろう。だが、胡蝶夫妻という前例がいた。だからこそ、柱達はしのぶの説明に耳を傾け、竈門兄妹を客観視する事ができた。

 さらに、胡蝶夫妻との長い付き合いで、人を喰らわない鬼の気配というものを知っていた。身に染みついた人を喰らわない鬼の気配……禰豆子からは同種の気配があった。理屈や理論だけではない。感覚で、禰豆子が人を喰らう可能性がほとんどないと、柱達は理解していた。

 もはや、竈門兄妹を処断しようと思う者は皆無だった。ゆえに、ここから先は本当にただの確認となる。

 

 

「ならば竈門少年に質問だ!」

 

 

 真っ先に声を上げたのは炎柱・煉獄杏寿郎。声の大きさに、ちょっと炭治郎がビクつく。

 

 

「胡蝶は人を喰らわぬ鬼と言った! これは真か!」

「本当です。俺の妹は鬼になりました。でも、二年以上人を喰らった事はありません。逆に、これまで何人も禰豆子が体を張って守ってくれました。これからだって、それは変わりません、絶対!」

「うむ! 良い返事だ!」

 

 

 炭治郎の返事に杏寿郎と満足そうに頷く。

 続いて、蛇柱・伊黒小芭内。

 

 

「お前の妹は、先の戦いで血鬼術を使ったらしいな。喰わないと言うが、力がなければ鬼は動けない。血鬼術など以ての外だ。隠れて、喰っていたりしないだろうな?」

「そんな事していません! 禰豆子は鱗滝さんが言うには、代わりに睡眠で力を蓄えているそうです。多分、体を小さくしているのも、消費を最小限にするためだと思います。だから、禰豆子は人を喰らっていないし……これからも絶対にしないし、させません!」

「……」

 

 

 小芭内は気怠そうに息を吐く。

 二人の質問はしのぶの情報と炭治郎の証言に、相違がないか確認しただけだった。ここで炭治郎が話を盛ってしまえば、途端に信用は落ちただろうが、彼は正直に話した。しのぶと炭治郎が事前に話し合う時間はない。ゆえに、この話は信憑性が高いものとして、再び柱達に受け入れられる。

 とはいえ、そんな裏事情を禰豆子は知らない。妹を信じる兄の言葉に、禰豆子の大きな瞳は潤む。愛おしそうに兄を見つめる。

 

 

「おいィ」

 

 

 おおよそ決まりかと思われた所で声を上げたのは、風柱・不死川実弥。その凶悪な視線は炭治郎ではなく、弦司とカナエへ向く。

 

 

「鬼夫婦、お前らから見てその鬼はどんな感じなんだァ? 本当に喰わないのかァ?」

「人を喰ってないのは、俺達の感覚でも同じだ。今後は……きっと俺達が思っている以上に、この娘は強い。大丈夫だろう」

「それに、禰豆子ちゃんは私達の数段すごいから。このまま進んで行けばいいと思うわ」

「あァ? それはどういう意味だァ?」

 

 

 柱達の視線が一斉に禰豆子へと向かい、彼女が体を強張らせる。カナエは禰豆子を背後から優しく抱きしめ、弦司は頭を優しく撫でる。禰豆子の体から力が抜けて、カナエに体を預けた。

 弦司とカナエは禰豆子へ微笑みながら、出会った時からずっと感じていた感覚を再び感じ取る。

 自身達と禰豆子にある明確な差異。それを感じながら、弦司とカナエは表情を引き締め口を開く。

 

 

「俺と普通の鬼の相違点は摂取対象だ」

「私と弦司さんは人以外からも力の摂取ができる。言ってしまえば、普通の鬼との違いはたったのそれだけよ」

「結局、何かを喰わなければならない所は、鬼と同じなんだ。でも、この娘は違う。何も口に入れなくても、力が確保できる。俺達とは根本的に違う。俺達の知り得る鬼の理から完全に外れている」

「……お前達がそこまで言うほど、異質なのかァ」

 

 

 場が騒然としていく。

 鬼になってから数年……僅かずつだが弦司とカナエも力が僅かに増加している。今も鬼として、人として成長している。しかし、それ以上はない。弦司とカナエの変化など、今や常識の範囲内でしかなかった。

 ――だが、禰豆子は違う。

 まず、力の摂取方法が根本的に異なる。睡眠から力を得ると簡単に言うが、これは無から有を生み出しているに他ならない。生物の理から完全に外れている。

 その上で目覚めた血鬼術は――鬼だけを燃やす炎。まるで彼女の存在そのものが、鬼を否定しているかのようだった。

 さらに、その事実を補足するかのように、弦司とカナエの()()()()()()()が禰豆子は異質であると訴えかける。何が違うのかまでは、正直分からない。ただ、禰豆子が弦司とカナエでは辿り着けなかった場所まで行くのではないか。そんな確信めいた感覚が確かにあった。

 ――この娘は自分達の知る鬼とは何もかもが違う。

 だからこそ、明らかな劣化と言える思考能力の幼児退行……これにも何か意味があるのではないかと考えていた。

 今までの事実と鬼の感覚が合わさり、一つの推論が導き出される。

 

 

「さっき炭治郎が言ったように、禰豆子は体を小さくして力の消費を抑えている。身体能力を低下させる事で力の消費を抑えているなら、それは思考能力にも当てはまるんじゃないか? ……ただ、そうなると一つ疑問が浮かぶ」

「何だそれはァ?」

「抑えた力の行き先だ。外見に変化は見られない。そうなると、見えない場所が変わり続けているんじゃないか?」

「おいィ……それは、つまり――」

「今後もこの娘は飛躍的に成長……いや、鬼の楔から外れるように()()()()()()。そんな気がしてならない」

 

 

 弦司の言葉に、誰もが驚愕した。

 

 

「お館様の仰っていた()とは、この事なのか……」

「派手に事態が動きそうだな」

「何なんだァ、一体ィ……」

「異質だと思ってましたが、そこまでですか……」

「禰豆子ちゃん……」

「……」

 

 

 常は冷静な柱達も騒がしくなる。

 柱達はしのぶから、人を喰らわぬ鬼と聞いていた。しのぶも調査結果から、禰豆子が異質だとは思っていた。だが、誰もここまで特殊とは思っていなかった。

 鬼殺隊に有益だとか、そういう段階の話ではない。禰豆子の存在が、人と鬼の戦いを変えていくのではないか。誰もがそうは思わずにいられなかった。

 

 

 ――こうして皮肉にも、禰豆子の異質さが決定打となり、柱合会議は全会一致の空気が出来上がっていく。

 

 

 その最中、カナエは禰豆子を力強く抱きしめる。

 きっと禰豆子は、鬼殺隊の今後の戦いを変える切っ掛けとなる。それだけ大きな存在だ。きっとこの先、過酷な運命が待ち構えているだろう。ともすれば、弦司とカナエが味わった以上の苦難が降りかかるかもしれない。

 だが、異質だとか特異だとか言ったところで、禰豆子は元は普通の女の子だ。鬼にならなければ、鬼さえいなければ、今も幸せに暮らしていた、どこにでもいる優しい女の子だ。

 可能ならば、変わってあげたかった。しかし、待ち受けている苦難を取り除く力は、きっと弦司達にはない。それを思うと、悲しく悔しくて。せめて禰豆子は日々を健やかに過ごせるように、心に寄り添いたかった。

 抱きしめられた禰豆子がくすぐったそうに、朗らかに笑う。それだけで、弦司とカナエも笑顔になれる。これではどっちが慰められているのか、よく分からない。

 と、ここでしのぶが手を叩く。

 

 

「皆さん、各々思う所がありますが会議に戻りますよ。それでは、竈門炭治郎および禰豆子についてですが――」

「おい、胡蝶ォ。まとめる前にやる事があるだろうがァ」

 

 

 会議を進行させようとするしのぶを、実弥が止める。

 しのぶは大きくため息を吐いて答える。

 

 

「分かってますよ。ただ、不死川さんが提案すると、乱暴になって事態が拗れるんです。少し黙ってて下さい」

「んだとゴラァ!」

「じゃあ、提案前に不死川さんの好感度を上げますんで、ちょっと待って下さい」

「あァ?」

「炭治郎君、あの傷だらけで口が悪く粗暴な男は乱暴に見えますが、本当は優しい人なんですよ」

「おい、何を言――」

「この前なんか、雨の日に捨てられていた子犬を拾って、ちゃんと新しい飼い主まで見つけ――」

「やめろォ!! 俺はそんなことなんざしてねェ!! って、お前らもそんな目で見るんじゃねェ!!」

 

 

 しのぶの暴露に皆がほっこりして、生暖かい視線を実弥に送る。その中にはもちろん炭治郎と耀哉、禰豆子も含まれていた。

 実弥はわなわなと体を震わせてしのぶを睨みつけるが、しのぶは何食わぬ顔で思案しながら、指を一つずつ立てていく。それはまるで、まだまだ話の種はこれだけあると言っているようであった。

 

 

「……勝手にしろォ!」

「ありがとうございます」

 

 

 実弥は大きく舌打ちをすると引き下がり、しのぶは笑顔で答えた。だが、すぐに笑顔をしのぶは引っ込める。カナエと弦司も緊張に顔を強張らせる。

 ――ある意味、ここからが本番だった。

 しのぶは緊張と僅かに悲痛に滲ませ、炭治郎と向き合う。

 

 

「炭治郎君」

「はい!」

「私は君も禰豆子ちゃんも人を喰らうとは思っていません。ですが、私が君達を信用しているからといって、他の人にも信用を強要する事はできません」

「それは……そうですね」

「だからこそ、これから鬼殺隊に役立てると証明し続けなければならない。でもその前に、禰豆子ちゃんは誰の目にも分かるように、無害であると証明しなければ、取っ掛かりさえ与えられません。その取っ掛かりのため、ある『確認』を行ってもらいます」

「それは、どうやって――?」

「『稀血』です」

「っ!!」

 

 

 知識として知っていたのだろう、炭治郎の顔が強張る。

 『稀血』は鬼にとって御馳走だ。そして、人口増加著しいこの国で、確実に『稀血』は増え続けている。人間社会にいて、『稀血』に巡り合わないなどあり得ないのだ。

 禰豆子は証明しなければならない。例え『稀血』が目の前にあっても、耐えられる事を。弦司がそうであったように、証明して初めて人のために戦う事が許される。

 

 

「炭治郎君。禰豆子ちゃんが君と共にいるなら、これは絶対に避けられないものです。だから――今から人を喰らわない事を、証明してもらいます。いいですね?」

「はい!」

 

 

 炭治郎は即答した。共に居るならば、ここで言い淀むような事は許されない。それぐらい理解しているし、覚悟も持っていると炭治郎は声を大にする。

 しのぶは嬉しそうに頷くと、今度は耀哉へと体を向ける。

 

 

「お館様」

「うん、ちゃんと別室は用意しているよ」

「ありがとうございます」

 

 

 『稀血』による確認は壮絶だ。その姿を晒せば、例え乗り越えたとしても心が傷つく。弦司とカナエがそうだった。今回は考慮し、別室を予め用意していた。

 

 

「それと炭治郎、珠世さんによろしく」

「!?」

 

 

 耀哉が一言、何やら炭治郎告げると、

 

 

「炭治郎君、不死川さん、行きましょうか」

「……は、はい」

「……チッ」

 

 

 しのぶの声に炭治郎がなぜか慌てて、実弥が不機嫌そうに立ち上がる。炭治郎は実弥がいる意味が分からないのか、顔には少し疑問が浮かんでいる。

 

 

「禰豆子ちゃん」

「一緒に行こうか」

 

 

 カナエも膝から禰豆子を下す。

 

 

「……」

 

 

 禰豆子は不安そうにカナエと弦司と見上げる。申し訳ないと思うものの、この確認を覆す事はできない。人と共に生きる、最低限の義務だから。

 

 

「禰豆子ちゃん、ごめんね。これは絶対に避けられないの」

「どう思ってくれても構わないから、絶対に耐えてくれ」

 

 

 カナエと弦司が禰豆子の左右それぞれの手を引いて立ち上がる。禰豆子は眉尻を下げ、二人の手を痛いぐらい強く握る。

 少しでも禰豆子の不安が和らぐように、カナエは微笑みかけ弦司は頭を撫でる。

 

 

「大丈夫」

「俺達も一緒に受けるから。頑張ろうな」

「――っ!!」

 

 

 禰豆子の大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。

 鬼の苦しみは誰よりも分かる。だからこそ、言葉を掛けるだけで終わらせるつもりはない。

 禰豆子だけを苦しめやしない。共に苦しみ、共に乗り越える。それこそが、同じ痛みを知る者ができる事だから――。

 

 

「禰豆子ちゃん」

「行こうか?」

「ムー!」

 

 

 了解、とでも言う様に禰豆子が唸ると、三人で進んでいく。

 ――それでも、禰豆子の手から力が抜ける事はなかった。

 

 

 

 

 別室。炭治郎達は陽の差し込まない座敷へと通された。

 今、座敷にいる()は炭治郎としのぶ。そして、何と『稀血』の中でも希少な血を持つという実弥。確認には実弥の血を使うとの事だった。

 対して()は禰豆子と胡蝶夫妻。禰豆子を間に挟むように三人は手を繋ぎ、その時を待つ。

 

 

「本気かァ?」

 

 

 実弥は念を押す様に確認する。もちろん、カナエと弦司に対して、だ。

 二人は確認が必要ないほど、信頼も功績もある。それでも、禰豆子に付き合うためにここにいた。それを聞いた時、炭治郎はまたちょっぴり泣いてしまった。胡蝶家の人々は本当に良い人ばかりであった。

 

 

「ごめんね、不死川君」

「今度おはぎ作るから、勘弁してくれ」

「いらねえェ」

 

 

 実弥は大きく舌打ちをする。

 最初、実弥は血を少し提供するだけのつもりだったそうだ。炭治郎が話を聞く限り、どうやらこの確認は壮絶らしく、別室へ通されたのも少しでも衆目から遠ざけるためらしかった。

 血液だけを提供するのも、親交のある人を食事として見てしまう……そんな受け入れ難い鬼の本能で傷ついてしまう事を、少しでも和らげるためであった。

 だが、胡蝶夫妻は実弥にいて欲しいと逆に願い出た。彼らの心境がなぜ変わったのかは分からない。ただ、何やら覚悟めいた固いものを、炭治郎の鼻は嗅ぎ取った。

 

 

「……チッ、それじゃあやるぞ」

 

 

 実弥がもう一度を舌打ちをし、日輪刀を抜く。しのぶと実弥、胡蝶夫妻から強い緊張の匂いを、炭治郎の鼻は感じ取った。一度、確認を乗り越えた彼らでさえそうなのだ。どれだけ壮絶なのか、今の炭治郎には想像できなかった。

 実弥は自身の左腕に近づけると――何の躊躇もなく斬る。

 瞬間、血の匂いが部屋に充満する。実弥の腕から滴った血は、畳の上に置かれた皿に溜まっていく。

 ――すぐに変化は表れた。

 

 

「はぁっ! はぁっ!」

「うっ……! うぅ……!」

「フーッ! フーッ!」

 

 

 ほぼ同時に三人の呼吸が乱れる。そして、苦しそうに息を吐き出すと、大量の汗と同時に流れる――涎。

 誰も口元を拭おうとしない。ただただ実弥の腕に視線が釘付けとなり、それでも決して襲うまいと互いが互いの手を強く握りしめる。

 禰豆子だけではない。胡蝶夫妻がこんなにも乱れている。あれだけ優しく、穏やかで、実弥に対して信頼の匂いが感じられたのに。炭治郎は目の前の光景が信じられなかった。

 ――これが『稀血』。

 ――これが鬼。

 頭では分かっているつもりだった。だが、心では理解していなかったから、驚いてしまった。もしかしたら、そんな心根を読まれていたからこそ、炭治郎を同席させた上で胡蝶夫妻は実弥に直接血を流させたのかもしれない。

 しかし、炭治郎が理解したからといって、できる事は何もない。耐えるために、歯を食いしばるしかない。

 そして、しのぶも実弥も炭治郎と同じだった。しのぶは手が白くなるほど力強く拳を握りしめ、実弥からは歯軋りが聞こえた。二人からは悔しさ、そして怒りの匂いが強く感じられた。

 荒れた呼吸と、血の滴る音だけが室内に響く。音だけで炭治郎の心を削る。

 目を逸らしたい。でも、逸らしてはいけない。本当に苦しいのは、禰豆子とカナエと弦司なのだ。先に、炭治郎が根を上げるような事は許されない。だが、この苦しみがいつ終わるのか、炭治郎には全く分からない。

 先の見えない苦しみ――最初に動いたのは弦司だった。

 

 

「くそ……がぁっ!」

 

 

 悪態を吐きながら、弦司は実弥から目を逸らし跪く。涎は止まらない。だが、その瞳には理性の色がしっかりと見て取れた。

 何度も叩きのめされて、何度も立ち上がってきたのだろう。彼の精神力の強さを示すかのように、襲い掛かる飢餓を、気合のみで跳ね返していた。

 

 

「~~っ、このぉっ!!」

 

 

 次に動いたのはカナエだった。

 感じた匂いは自身に対する強い怒りと……弦司に対する僅かな恐怖。それがどういう意味なのか、炭治郎には分からなかった。ただ、彼女はその強い感情で無理やり視線を落とすと、そのまま崩れ落ちるように膝を突いてみせた。口から涎は流れ続ける。だが、害意も何もなく、決してこれ以上動かない。カナエもまた、『稀血』に打ち勝ってみせた。

 残るは禰豆子だけ。だが、禰豆子は目を実弥から逸らさない。逸らせない。それどころか、ミシミシと口に咥えた竹筒が今にも噛み砕かれそうな嫌な音が加わる。

 さらに一段と軽い、何かが弾けるような音がした。

 

 

「ぐっ!」

「~~っ!」

 

 

 同時に弦司とカナエが唸る。禰豆子が二人の手の骨を、握り折った音だった。

 歯痒かった。こんなにたくさんの人が手を差し伸べてくれているのに。禰豆子は期待に未だ応えられず、炭治郎は何もできずただただ眺めている。

 

 

「禰豆子!!」

 

 

 炭治郎は叫ばずにはいられなかった。

 これで一体、禰豆子の何の力になれるのか。そうは思ってはいたものの、そうせずにはいられなかった。

 

 

「!!」

 

 

 でも、その何でもない行為で、炭治郎の想いが禰豆子の届いたのだろうか。禰豆子はしっかりと炭治郎を見た。その瞳に()が戻ってきた。

 禰豆子が弦司とカナエの手をさらに力強く握ると、

 ――プイッ。

 そんな効果音でも鳴っていそうなほど思い切り、そっぽを向いた。決して喰わないと、その意思を示すかのように両目は力強く閉じられている。

 炭治郎は呆然とする。こんなもので乗り越えたと判断していいのか、よく分からなかったからだ。

 

 

「炭治郎君、もう大丈夫です」

「! はい!」

 

 

 しのぶに声を掛けられ、炭治郎はようやく乗り越えたと確信する。炭治郎は禰豆子に駆け寄り、力いっぱい抱き締めた。禰豆子も甘える様に顔を炭治郎の胸に押し付け、抱き着いてくる。

 

 

「ごめんな、禰豆子! 兄ちゃん、何もできなくて!」

 

 

 そんな事ない、とでも言うように禰豆子は首を左右に振ってくれた。炭治郎は堪らず禰豆子の頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに喉を鳴らす。本当に可愛い妹だった。

 那田蜘蛛山から続いた激闘に、ようやく炭治郎は一息つけた気分だった。

 そうして、少しは心の余裕を取り戻せたためか、自身に向けられている視線にようやく気付いた。身形を整えた弦司とカナエが、優しい眼差しで炭治郎と禰豆子を見ていた。

 

 

「す、すみません! 感謝も言わずに、勝手な事をして! それどころか、禰豆子が二人の手を折ってしまって、何と謝ったらいいのか――」

「いや、いいよ。むしろたくさん喜んでくれ」

「うん。あなた達が喜んでくれると、頑張った甲斐があったって感じられるもの」

「弦司さん……カナエさん……!」

 

 

 涙ぐむ炭治郎。

 もし一人だったら、どうなっていただろうか。人を喰わない鬼と信じられずに、心だけではなく体も傷つけられたかもしれない。二人がいて、一緒に苦しんで乗り越えてくれて、感謝しかなかった。

 

 

「はい、ハンカチ。禰豆子ちゃんを綺麗にしてあげてね」

「何から何までありがとうございます」

 

 

 炭治郎は白いハンカチをカナエから受け取り、禰豆子の汗や涎を拭う。そう言えば、那田蜘蛛山から直接来たため禰豆子の汚れを落としていない……と思いよく見ると、那田蜘蛛山で付いた血や汚れはすでに拭い去られていた。こんな事をしてくれるのは、禰豆子を連れてきてくれた胡蝶夫妻以外考えられない。もう炭治郎は感謝で頭が上がらず、地面にめり込みそうだった。

 炭治郎が重ね重ね胡蝶夫妻に感謝していると、

 

 

「おいィ」

「不死川さん……」

 

 

 治療を終えた実弥が、禰豆子を一瞥するとすぐに視線を外し、炭治郎に声を掛けてきた。

 実弥は凶悪な視線で炭治郎を見下ろすと、

 

 

「頑張ったのはテメエじゃねえェ。妹だァ。調子に乗んなァ。俺はテメエを認めねえェ」

「認めないで下さい。簡単に認められたら困ります」

「……あァ?」

 

 

 炭治郎は本当に何もやっていない。胡蝶家の人達が助け、禰豆子が頑張った。それだけである。

 今回、禰豆子が成し遂げてくれたのは切っ掛けだ。鬼殺隊の役に立つ、その証明をするための切っ掛け。認めてもらうのはこれからだ。

 

 

「俺と禰豆子は鬼舞辻無惨を倒します! 悲しみの連鎖を断ち切ってみせます! その時、認めて――」

「いや、今のテメエじゃ無理だろォ。まずは十二鬼月を倒せェ」

「……はいぃ」

 

 

 実弥に冷静に返され、炭治郎の顔が赤くなる。十二鬼月の強さは那田蜘蛛山の下弦の伍・累で分かっている。下弦に苦戦しているような炭治郎では、実弥の言う通り鬼舞辻無惨の討伐など夢のまた夢であろう。だというのに、つい興奮して大風呂敷を広げてしまった。

 弦司とカナエはますます笑みを深め、しのぶが肩を震わせそっぽを向いている事も加わり、炭治郎はさらに恥ずかしくなる。

 

 

「少しでも不審な行動を起こしてみろォ。その時は、俺がテメエらの頚を縊り切るから覚悟しろォ」

 

 

 それだけ言い残すと、実弥は部屋を出て行った。しのぶも後を追いかけよう――とする前に、炭治郎の方へ振り向くと、

 

 

「そういえば、今から何か予定があったりしますか?」

「いえ、特にはないです」

「それでは、この後は姉さん達と一緒に私の屋敷へ来て下さい。禰豆子ちゃんの検査もそうですが、炭治郎君の治療もしないといけないですからね」

「本当に何から何までありがとうございます」

「いいですよ。私にもちゃんと見返りはありますから。それでは『蝶屋敷』で会いましょう」

 

 

 そのまましのぶを炭治郎は見送った。

 

 

 最初、産屋敷邸に連れて来られて、炭治郎は不安だった。もう鬼殺隊にいられないのではないか。最悪、己も禰豆子も処断されてしまうのではないか。そう考えられずにはいられなかった。

 だが、実際は違った。炭治郎よりも先に、同じ気持ちで戦ってくれている人達がいた。彼らが炭治郎と禰豆子の手を引っ張って、共に乗り越えてくれた。終わってみれば、良い事しかなかった。

 

 

(でも、ここで満足してたらダメだ)

 

 

 炭治郎は気持ちを引き締める。

 先達がいた。それ自体は嬉しい。だが、それは炭治郎が頑張らない理由にはならない。

 鬼殺とは何時、命を落とすか分からない危険な戦いだ。炭治郎だけではない。しのぶでさえ、明日死んでしまうかもしれない。

 しのぶと炭治郎は同じだ。だから分かる。己が死んでしまった時、誰かにこの気持ちを引き継いで欲しいと思っている。

 もし、炭治郎が死んでしまったら。きっと禰豆子はしのぶが守ってくれるだろう。

 そして、しのぶが死んでしまった場合。カナエと弦司を守って欲しいと、しのぶは思っているはずだ。

 そんな事態、起こらない方が良いに決まっている。しかし起きた場合、炭治郎は全てを引き継いで戦わなければならない――いや、戦いたい。

 しかし、今の炭治郎はあまりにも弱すぎる。炭治郎は強くなりたい。鬼舞辻無惨を倒すためだけじゃない……他でもない、自身に寄り添ってくれた人々を守るために。

 

 

(俺はまだまだ力不足だ。もっと体を鍛えないと)

 

 

 心を改めながら何となしに禰豆子を見遣れる。禰豆子は眉根を下げてカナエと弦司の手を必死に撫でていた。手の骨を折ってしまった事を気に病んでいるのだろう。弦司とカナエは大丈夫だと何度も返し、むしろ良く頑張ったと禰豆子を褒めてくれている。一見し、三人が鬼だとは思えない光景だった。

 

 

(珠世さんの事、どうしよう……)

 

 

 三人を見て頭を過ぎったのは、もう一人の人を喰らわない鬼・珠世。彼女は鬼を人に治す方法を探すために、炭治郎を信頼して十二鬼月の血の採取を依頼した。

 炭治郎は鬼を倒す事しかできない。だが、しのぶは違う。話を伺う限り、彼女には医療に関する技術がある。そんな彼女が、肉親が鬼になって鬼を治療する方法を研究していないとは考えにくかった。

 炭治郎と同じく、人を喰らわぬ鬼を肉親に持つしのぶ。もしかしたら、珠世としのぶを結び付けられないかと炭治郎は考えていた。そして、結び付ける事が出来たなら、きっと今以上に鬼の研究は進む。

 だが、珠世が信用しているのは炭治郎であってしのぶではない。結びつけるならば、事は慎重に運ばなければならない。

 ――と、部屋の襖が開き、

 

 

「駕籠の用意ができました。蝶屋敷へご案内します」

(まあ、それは少しずつやっていこう)

 

 

 隠の人が入ってきて、準備ができた事を告げる。

 

 

「それじゃあ、炭治郎」

「蝶屋敷まで行きましょう?」

「はい!」

 

 

 禰豆子の手を引いて立ち上がった胡蝶夫妻に、炭治郎は力強く頷く。

 那田蜘蛛山の戦いから色々あった。

 ――ヒノカミ神楽。

 ――禰豆子の血鬼術。

 ――柱合会議。

 ――胡蝶家の鬼。

 ――稀血。

 思い返すだけでも色々あり過ぎて、ちょっと頭が痛くなりそうになる。

 でも、たくさんの人が炭治郎に手を差し伸べてくれて、今ここに居られる。ちゃんと前に進んでいけている。それはきっと炭治郎だけではなく……鬼殺隊も。

 

 

 ――人も鬼殺隊も前に進んでいく。


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