鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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(手紙書いたけど、内容が固いわ。これだと、しのぶが緊張しちゃわないかしら。ここはしのぶが思わず飛び上がるような一文を冒頭に――)


第3話 姉妹

 ――弦司とカナエは危機を迎えていた。

 

 

 大日本帝国陸軍に似通った黒い詰襟。整った容貌は、やや垂れた目尻がやさしい印象を与える。艶やかな唇は強く引き結ばれ、意思の強さを表す。美しい黒髪は夜会巻きで一纏めにされており、後頭部の蝶の羽飾りが色を足す。

 胡蝶しのぶ。

 カナエの最愛の妹であり、彼女に残された唯一の家族――に、弦司は刃を向けられていた。

 どうしてこうなったのか。

 どうしてこうなってしまったのか。

 もう何度目になるか分からない嘆きに、弦司は少し時を戻して事態を再確認する事にした。

 

 

 

 

 弦司が最初に行ったのは着替えだった。大事に使っていた一張羅だったが、やはり半年も過酷な環境に晒していたため、すでに限界が近かった。そこで気分も一新する意味も込めて、カナエは衣装の変更を提案した。

 弦司はありがたく快諾し、最近はほとんど着なかった着物に袖を通す。真新しい藍色の着物に白い帯を結ぶと、気持ちも新たに生まれ変わったような気分になる。高揚感もあり、今までの澱んだ気持ちも全て洗い流された気がした。

 カナエの家『蝶屋敷』へは、徒歩で向かった。弦司を人目に晒されるのを避けた……というだけでなく、そっちの方が早かった。弦司の足が速いのは当然として、カナエの足も弦司に劣らず――いや、むしろカナエの方が早かった。

 ――鬼殺隊。

 夕闇の中、人喰い鬼から人々を守る政府非公式の剣客集団。それを支える()の一人がカナエだった。弛まぬ訓練の果て、鬼をも凌ぐ身体能力を彼女は有していた。

 カナエは弦司を頑張ったと何度も言ってくれる。弦司からすれば、彼女こそが本当の努力の人だと思った。

 道中の会話は鬼に関する情報共有を行った。

 ――鬼の弱点は陽の光である。

 ――日光を除けば弱点は首のみ。

 ――しかし、その首も特別な金属で作られた『日輪刀』でなければ、殺すに至らない。

 話を聞く度に、弦司は己の無知を思い知らされた。そして、己が鬼から外れ始めている事も理解できた。

 ――今の弦司は鬼でもなければ人でもない。

 それが弦司の率直な感想だった。

 鬼でもない、人でもない己の行き着く先は……。考えれば考えるほど、不安になった。

 そういう時は、カナエとの約束を思い出した。それだけで、前に進む力が湧いてくる。

 今になって思う。あれはカナエの気遣い……それだけではなかった。これから弦司が生き抜くための、覚悟を決める意味もあったのだ。

 気づき『ありがとう』とカナエに伝えた。彼女はしばし首を傾げると『どういたしまして』と微笑んで応えた。

 

 

「着いたわよ」

 

 

 夜のうちに『蝶屋敷』に着いた。

 大きな日本家屋だった。

 カナエに導かれるまま弦司が門をくぐる。そのまま玄関の扉に手をかけ、カナエが首を傾げる。

 

 

「どうした?」

「う~ん。鍵が閉まってるみたい」

「夜だから、当然だと思うけど」

「いいえ、しのぶが起きている時はいつもここは開いているの。手紙送ったのに、寝てしまったのかしら?」

「まあ、この際どっちでもいいと思うけど、どうする?」

「本当に寝ているかもしれないから、裏口に回りましょ。あっちなら静かに入れるわ」

 

 

 カナエは玄関から離れると、庭の方へ回る。

 広い庭だった。無骨な岩で組まれた池に、茂った木々。草木の伸び加減や、岩の見える角度。弦司から見て、その庭園には何ら計算された配置が見られず、美しさは感じられない。

 ただ、全てが()()。作られた美しさはない。作られていない、自然体な姿。それが穏やかな気持ちにしてくれる。疲れを取るならここ……と思えるいい場所だった。

 弦司は庭園を微笑ましく見る。対照的にカナエの顔は険しい。

 

 

「おいおい、今度はどうしたんだよ? 裏口に回らないのか?」

「……ごめんなさい。見通しが甘かったわ」

「おい、どういう――」

 

 

 その時、突如として蝶屋敷が一気に明るくなる。同時、襖が一斉に開いて黒い詰襟の集団が現れる。その腰には一様に日本刀が下げられていた。そしてそれは、弦司を唯一殺める事ができる『日輪刀』。

 弦司の顔が引きつる。

 

 

「歓迎会にしちゃ、ちょっと物騒じゃないか」

「手紙であなたは安全だってちゃんと伝えたけど、それだけじゃ足りなかったみたい……!」

「鬼は死すべし、慈悲はない……という所か。早く動いたのが、仇になったな」

「でも、根回ししてる間に弦司さんへ危害が行くかもしれなかったし……いるんでしょ、しのぶ! これはどういう事!?」

「それはこっちの言葉よ、姉さん」

 

 

 黒い詰襟の集団から、一人の少女が縁側から降りてくる。

 整った容貌はやや垂れた目尻でやさしい印象を与える。艶やかな唇は強く引き結ばれ、意思の強さを表す。美しい黒髪は夜会巻きで一纏めにされており、後頭部の蝶の羽飾りが色を足す。

 もし、カナエを幼くさせたら――そんな容姿を持った少女。

 

 

 胡蝶しのぶ。

 

 

 カナエから伝え聞いた、彼女の妹だ。

 しのぶはまるで細剣のような刀を抜くと、切っ先を弦司へと向ける。

 どうしてこうなったのか。

 どうしてこうなってしまったのか。

 弦司は嘆かずにはいられなかった。

 

 

 ――こうして、話は冒頭へと戻る。

 

 

(兎にも角にも、状況は最悪って事か)

 

 

 再確認し、弦司は思わず舌打ちをする。何にせよ、囲まれた最たる理由は弦司が鬼だから。鬼というだけでこの仕打ち、本当に鬼という存在が弦司は嫌になる。

 

 

(それでも、約束したんだ。何とかしないと)

 

 

 弦司が思考する間も事態は進み、他の剣士達はしのぶに倣って抜刀した。

 

 

「大丈夫。じっとしてて」

 

 

 カナエが弦司を庇う様に前に出る。しのぶの顔が怒りに歪んだ。

 

 

「鬼は平気で嘘を吐いて、本能のまま人を殺す……姉さんが一番知っているはずでしょ! どうして、鬼を連れてきたの!?」

「手紙に書いたでしょ、しのぶ。彼は……不破弦司さんはこの半年間、一人も人を喰らっていないのよ。それだけじゃない、私たちと同じように普通に食事を摂って生きていけるわ」

「そんなの有り得ない……! 姉さん、現実を見てよ……!」

 

 

 しのぶが吐き捨てるように言う。彼女の刀の切っ先が、小刻みに揺れる。

 カナエは揺らがず、ただ真っ直ぐとしのぶを見据え微笑みかける。

 

 

「その有り得ないが起きたのよ。鬼が、彼らの考える鬼から外れる……この事態は間違いなく、鬼達にとって不都合なはずよ。彼の体に一体何が起きているのか、これを究明すれば、今後の鬼殺隊の戦略に大いに寄与するわ」

「だったら、そいつを地下牢に放りこんでみればいいわ! 数日もすれば、飢餓で狂暴化する!」

 

 

 しのぶの言葉に、カナエは笑みを深くする。

 

 

「それじゃあ、地下牢に一週間ぐらいいてもらいましょう。弦司さん、一日三食栄養満点の食事ならいい?」

「おう、世話かける」

「えっ!? なんで――」

 

 

 弦司があっさり承諾したのが意外だったのか、しのぶが困惑する。このまま押し切れば、当面の弦司の身の安全は確保できる。弦司はそうは思ったものの、しのぶは頷かなかった。

 

 

「そ、そもそも、姉さんは鬼を匿おうとしているのよ。これは重大な隊律違反だわ」

 

 

 弦司もカナエから尋ね聞いただけだが、しのぶという少女は頭が良く真面目で理知的だと思った。今のような問答はあまりに頑なすぎる。

 カナエも弦司と同じ推論に至ったのか、心配そうに眉尻を下げる。

 

 

「しのぶ? あなた、一体どうしたの? 隊士を連れてるのもそうだし、何かあったの?」

「何かあったのは、姉さんじゃないの? 隊律違反をしてまで鬼を匿うなんて、今の姉さんは異常だわ」

「さっき言ったよね? これは鬼殺隊の戦略に寄与するって。これって、そんなに異常な事?」

「姉さん、そいつは人じゃなくて鬼なのよ……!」

「……ああもう、こんなことしたくないんだけどなぁ」

 

 

 しのぶからは絶対に鬼を受け入れないという、確固たる意志を感じる。このまま話しても説得は難しいと思ったのか、カナエは話の方向性を変える。

 

 

「ねえ、隊律違反隊律違反って言っているけど、あなた達はどうなの?」

「――っ」

「平隊員のしのぶにも、後ろのあなたたちにも、勝手に鬼殺隊の人員を配置転換する権限なんて持ってないわよね? 方法についてはこの際訊かないけど、今の状況、しのぶ達が隊律違反でしょ」

「……私達を見逃すから、鬼を匿えっていうの?」

「しのぶが何も話してくれないなら、私もそうするしかなくなるわ」

 

 

 悲しそうに語るカナエに、迷いが生じたのかしのぶの瞳が揺れる。

 ここぞと思ったのか、カナエは力強く語る。

 

 

「簡単じゃないのは分かってるわ……でも、弦司さんを他の鬼と同じように見ないで。それにほら……弦司さんの気配を感じてみて、分かるでしょ? 彼は他の鬼とは違う、人を喰らっていないって」

「姉さん……」

 

 

 しのぶが後ろの剣士に視線を向ける。後ろの剣士が隣の剣士に視線を向ける。そして、それは連鎖的に広がっていって――ヒソヒソと。

 ――お前、分かるか?

 ――分かる訳ないだろ。

 ――そもそも、人を喰らっていない気配って何よ。

 ――これだから、人をやめた柱は……。

 

 

「…………」

「そんな傷ついた顔しないでよ!? 私達が悪いみたいじゃない!? それにいつも言ってるでしょ。普通の人でも分かるように言ってって」

「うん……」

 

 しょんぼりするカナエ。空気が弛緩するが、それは一瞬。

 しのぶは殺意を込めて、弦司を睨みつける。睨みつけるが……弦司はなぜか、あまり恐怖を感じなかった。殺意とは何か別の感情があるのだろうが、弦司には読み取れなかった。

 

 

「姉さんはそいつに騙されているだけだわ。結局はどの鬼も同じよ。今は優しくて大人しくても、いつか牙をむいて人を喰らう」

「でも、半年以上も人を喰らっていないのは事実よ」

「それはこれから先も、人を喰らわない保証にはならない!」

「だから、それを証明させて!」

「証明するまでに人を喰らったらどうするの!?」

「そんな事しないし、させない。そうね、せっかくしのぶがこんなに隊士を集めたんだから、そのまま手伝ってもらいましょう」

「それで犠牲が出たら、姉さんはどうやって責任を取るの?」

「そんな事言ってたら何もできないじゃない……」

 

 

 完全に話し合いは平行線を辿る。当然、解決の糸口どころか妥協点も全く見えて来ない。しのぶが多くを語らないのだから、彼女が頑なに拒む理由が見えてこない。

 それでも、なんで、どうして……そういう想いがあるのだろうか。しのぶのカナエを見る目には、悲しみが垣間見える。しかし、弦司はしのぶという少女の詳しい人となりを知らない。考えても、結論は出なかった。

 そして、話し合いは何の進展もなく、争いの元凶となる弦司にしのぶの怒りが向く。

 

 

「お前が姉さんを誑かすか! 一体、どんな手管を使った!」

「しのぶ、いい加減にしなさい。私は私の判断で、彼をここに連れてきているの。彼に当たらないで、何かあるなら私に言いなさい」

「……姉さんが鬼に同情しているのも、哀れんでいるのも知ってる。仲良くなれたらって、願ってたのも知ってる。だけど、今日こそははっきり言うわ……そんな事、有り得ない! ()だからって絶対に有り得ない事よ! お願いだから、目を覚まして姉さん!!」

「だから、その先入観をやめて! 彼は鬼に襲われた子どもを救ったのよ! 人を助け、人を慈しめる! どこが人と違うの!」

 

 

 段々と二人が昂っていく。怒りが二人の冷静さを奪っていく。

 まずい、と思う。それでも、争いの切っ掛けである弦司は、簡単に介入できない。火に油を注ぐ結果になるのは、明らかだったからだ。

 ならば剣士達は、と弦司は彼らを見るもいきなり始まった姉妹喧嘩に、アタフタしているだけ。彼らは一体何のために来たのだろうかと、弦司は割と本気で尋ねたい。

 その間にも、言い争いは大きくなる。

 

 

「だから、姉さんは騙されているのよ! 鬼が子どもを助ける訳がない! どうしてそんな事も分からないの!?」

「嘘じゃない、本当よ! 彼は誰に言われなくても、子どもを助けた! 証人だっている!」

「そんなの仕込みよ!」

「そんな訳ないでしょ!? そもそも、一体そんな事をして彼に何の得があるの!?」

「姉さんは柱よ! どんな事をしてでも、罠に嵌める価値はある! もう鬼舞辻無惨に操られているのかもしれない!」

「何? 本当にどうしたの? 言ってくれないなら、私だって――!!」

 

 

 弦司は会話が途切れたのを機に、カナエの蝶のような羽織りの袖を引く。

 

 

「深呼吸」

 

 

 火に油を注がないように、弦司は端的にそれだけを伝える。

 カナエは目を閉じると、深呼吸を一回だけ行い、

 

 

「ありがとう」

 

 

 カナエも端的に返すと、再びしのぶを見た。これで仕切り直し……といこうとしたところで、なぜかしのぶが、強く唇を噛む。悲しそうに視線を落とす。

 

 

「――やっぱり、そういうこと……?」

「? ねえ、しのぶがここまでするのは、何か理由があるのでしょう? それを教えてもらわないと、私もしのぶが何を言いたいのか、何をして欲しいのか分からないわ」

「……なら、姉さんが何でそいつに拘るのか教えてよ」

「……人が鬼になる苦しみと哀しみを教えられたから。もう私は彼を放っておけない。それに……」

「それに?」

「毎日おいしいご飯を一緒に食べる約束、させられちゃったから」

「おい、言い方」

 

 

 弦司が苦笑しながら指摘すると、カナエは楽しそうに弦司へ微笑みかける。

 

 

(全く……変に勘違いされたらどうするんだよ)

 

 

 弦司は心の内で苦言を呈しながらも、居心地の良さを感じる。ちゃんと理解し合っていると心の底から思える。

 周囲から見ても、人と鬼が通じ合っているように見えるはずだ。これで少しは鬼殺隊も認識を改めてくれれば。そう思いしのぶを見るが、その表情はより一層悲壮となっている。

 それが何か引っかかった。

 

 

(この感覚……そうだ、カナエと初めて会った時の、こっちが思っている感覚と、何となく噛み合っていない感じだ)

 

 

 茂吉からの伝達でカナエは弦司を人間と思った。同様にしのぶも、弦司を何かと勘違いしているのではないか。

 弦司は再びカナエの袖を引く。

 

 

「何か見落としてないか?」

「どういうこと?」

「しのぶとカナエの認識、何か異なっていないか?」

「えーっと、そんな事あった……?」

 

 

 頬に手を当て思考するカナエ。何か情報があればと思って聞いたが、ここで時間切れとなる。

 見ればしのぶの目が完全に据わっていた。いつの間にやら、覚悟完了となっていた。

 

 

「姉さんにとって()が大切だって事、よく分かったわ。()()()()も、やっぱりそういう意味だったのね。だけど、それは絶対にやってはいけないの」

「しのぶ? えっ、ちょっと何? 本当に分からないんだけど」

「私が姉さんの目を覚ます……これが、鬼の悍ましさよ!」

 

 

 しのぶが日輪刀を構えた瞬間、鮮血が舞った。

 しかし、それは弦司ではなく、カナエでもなく――しのぶ。

 しのぶは自らの腕を斬りつけていた。

 鮮血が舞い散り、庭園を赤く染める。そして、立ち上った血の甘い香りに弦司は食欲を促される。

 

 

(本当に嫌になる――!)

 

 

 自身の恩人の妹が傷ついたにも関わらず、弦司の体は空腹を訴える。しのぶの血が滴る度に美味いと囁く己が身体が、本当に本当に本当に、心底嫌いになる。

 だからこそ、弦司はこの欲求に逆らう。鬼が大嫌いだからこそ、人のための最善を選ぶ。

 

 

「カナエ、手当!!」

「――っ、はい!」

「おい、後ろの剣士一行! 何ボーってしてる! 早く包帯と消毒液持ってこい! ――って、全員行くな!! 俺の見張りがいなくなるだろうが!!」

 

 

 弦司の指示に穴もなく、また彼らも冷静でなかったためか、全員が素直に従った。

 カナエはしのぶの腕を止血し、鬼殺隊の面々は一名だけ救急道具を取りに行くと、残りは弦司の周りに集まった。

 剣士達から困惑が伝わってくる。

 

 

「……なあ、あんた。鬼殺隊の俺が言うのもおかしい話だが、本当にこれでいいのか? いつでも斬れるぞ」

「斬ってもいいが、カナエに一生軽蔑される覚悟しろよ」

「えっ」

「妹の治療中に、治療の指示を出した男を討った……どう思う?」

「やめておくよ」

 

 

 弦司の言葉に、彼は苦笑を浮かべる。そして、剣士たちはお互い目配せすると刀を鞘にしまった。

 弦司は念のため尋ねる。

 

 

「そっちこそ、いいのか?」

「ああ、いいよ。人間の血を見て顔色一つ変えなかったし。何より、一番最初にしのぶさんを治療するように指示を出したんだ。カナエ様の言葉もある。信じるよ」

「そうか」

 

 

 そっけなく返す弦司だが、実はホッとしている。剣を持った大人に囲まれたのだ、普通に考えて動揺しない訳がない。鞘にしまってくれて、大変感謝している。無論、それは伝える必要のない情報。凛とした表情を崩さず、弦司は救急道具の到着を待った。

 ほどなく隊士が道具を持ってくる。

 カナエは受け取ると、しのぶへ治療を施す。

 カナエが口を開いたのは、しのぶの治療が終わってからだった。

 

 

「――終わりよ。痛くない?」

「……」

「しのぶ……」

 

 

 やはり、妹が自傷した……いや、させてしまった事が衝撃的だったのか、元気がない。目尻もいつもより垂れ下がっていて、哀しみ一色だ。

 対して、しのぶはバツが悪そうに視線を彷徨わせた後、弦司を見やる。

 

 

「……本当に、人を喰らわないの?」

「ああ、喰らわないし、喰らってやるものか」

「そう……」

 

 

 しのぶはそう言うなり、俯いて何かに耐えるように目を強く閉じる。

 しばらくすると目を見開き、再び弦司を見る。悲しくも覚悟を決めた、そんな表情だ。

 そして、

 

 

 ――姉さんをお願いします、義兄さん。

 

 

「??????」

「んんんっ!!」

 

 

 弦司は全く意味が分からなかった。対して、カナエの方は目を大きく見開き頬を引きつらせる。

 こいつが原因か。弦司はそう直感した。

 一方、しのぶは止まらない。

 

 

「姉は一見、やさしそうで包容力はあるけど、無茶苦茶な理屈で振り回す時があるわ。気をつけて」

「あ、ああ」

「でも、本当に思い遣れる人よ……これは、言わなくても分かっているわよね」

「う、うん」

「だけどそのせいで人一倍頑張って抱え込んでしまう時もあるから。なるべく気づいてあげて」

 

 

 聞いてるこっちが恥ずかしかった。止めて欲しいが、肝心の姉は顔を両手で覆っていた。耳が真っ赤だった。

 仕方なしに、弦司はしのぶに訊く。

 

 

「えっと……どうやってその結論を?」

「うん。実は姉さんからの手紙に、明らかに変な文章があったの。『紹介したい男の人がいます』って」

「いやぁあぁぁっ!!!!」

 

 

 カナエが手で顔を覆ったまま首を横に振る。

 

 

「鬼の説明がある後半部分と意味を繋げると『紹介したい鬼がいます』。でも、本来ならこの文章は婚約者を紹介するときに使う文章。つまり、二つを合わせると『鬼になった婚約者を連れてきます』って意味で――」

「なんでそんなに深読みするの!? 繋げないで、二つを合わせないで!?」

「え、でも、あの後の内容すごい真面目で! だから、この手紙には裏があるって!」

「出来心です! しのぶを揶揄っただけです!」

「……ならここ半年、継子の私も連れずに深夜によく一人になっていたでしょ!? 彼に会うためじゃなかったの!?」

「普通に任務です! しのぶにも一人で任務をこなして欲しかったんです!」

「……じゃあ、最近ご機嫌だったのは!?」

「しのぶが立派になって嬉しかったんです!」

「『毎日おいしいご飯を一緒に食べる約束』の意味は!? どう考えても、そういう意味よね!?」

「『おいしいご飯を一緒に食べる』約束はしたけど、回数は決めてなかったから! 話を盛りました! 調子に乗りました!!」

「…………」

「ごめんなさ~い!」

 

 

 カナエが悲鳴を上げて土下座。それを見て、しのぶが俯く。その表情は見えないが、何となく察しが付く。

 もうなんだか馬鹿らしくなった弦司は、隊士の面々に屋敷に上がろうと屋敷を指差す。そして、このままなし崩し的に住み着いてやる。

 置いて行かれそうになったカナエが慌てる。

 

 

「え、待って、弦司さん! 他の人も、待って!」

「姉さん」

「はいっ!」

 

 

 カナエはしのぶに声を掛けられ、再び土下座。

 弦司達は徐々に離れていく。

 

 

「私、すごい悩んだのよ。理由があったとしても、柱の姉さんが鬼を連れて帰るのが信じられなかったし、もし血鬼術の影響だと思うと怖かった」

「……ごめんなさい」

「もしも本当に婚約者だとしたら、姉さんに新しい家族を断ち切る事はできない。私が代わりに断ち切ろうって……例え姉さんに一生恨まれても、正しい道に戻すって思っていたのよ」

「本当にごめんなさい!」

「姉さんの馬鹿!」

 

 

 縁側から屋敷に入る弦司達の背後からは、そんな愉快な会話が聞こえる。

 弦司は振り返り、一言だけ呟いた。

 

 

「全部カナエが悪い」

 

 

 他の隊士も黙って頷いていた。

 

 

 

 

 男とも女とも判別がつかない巨大な影。それはゆらりと揺れると、掻き消えるように高速で動いていく。屋根と屋根を、まるで舗装された道のように危な気なく駆けていく。

 しばらくして、影はとある一角に身を隠すように飛び込む。そこは月明かりも指さない。影は影のままである。

 

 

「花柱が鬼を連れてるって聞いた時は何事かと思ったが、とんだ茶番だな」

 

 

 鬼殺隊が鬼と戦い続けるのは容易ではない。外敵である鬼との戦闘はもちろん、隊を内から食い破る輩にも注視しなければならないからだ。

 影はその前兆とも思える情報を掴んだ。

 

 

 ――花柱・胡蝶カナエが鬼を連れている。

 

 

 すぐに事の重大さを理解し、()が直々で一連の騒動を監視した。

 そして経緯はともかく、胡蝶家は鬼を匿う事に決めた。

 彼女たちの理屈も頷ける部分もあった。なぜ、他の鬼殺隊に黙るのか、理解もできる。

 しかし、我らは鬼殺隊だ。宵闇から人々を守る剣士だ。鬼を匿うなど有り得ない。

 胡蝶姉妹には処罰が必要だ。彼らに気づかれないように、()()()()()

 

 

「さあて、()()な仕事はこれで終わり」

 

 

 彼が宵闇を抜け出し、月明かりの下へ出る。

 巨大な男だった。

 身長は六尺をゆうに超え、袖のない黒い詰め襟から覗く腕は子どもの胴回りほど太く隆々。端整と言っていい容貌は様々な装飾が施され、見る者に過剰な印象を残す。そして、背中に背負われた巨大な片刃の剣は、なぜか柄を鎖で繋いでいる。

 この派手を体現したかのような男こそ、音柱・宇随天元。

 彼はまるで月に対して挑発するよう、宣言する。

 

 

「こっからは()()()に動くとするか」

 




ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

――こっそり修正(2019/11/23)。

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