――弦司とカナエは危機を迎えていた。
大日本帝国陸軍に似通った黒い詰襟。整った容貌は、やや垂れた目尻がやさしい印象を与える。艶やかな唇は強く引き結ばれ、意思の強さを表す。美しい黒髪は夜会巻きで一纏めにされており、後頭部の蝶の羽飾りが色を足す。
胡蝶しのぶ。
カナエの最愛の妹であり、彼女に残された唯一の家族――に、弦司は刃を向けられていた。
どうしてこうなったのか。
どうしてこうなってしまったのか。
もう何度目になるか分からない嘆きに、弦司は少し時を戻して事態を再確認する事にした。
○
弦司が最初に行ったのは着替えだった。大事に使っていた一張羅だったが、やはり半年も過酷な環境に晒していたため、すでに限界が近かった。そこで気分も一新する意味も込めて、カナエは衣装の変更を提案した。
弦司はありがたく快諾し、最近はほとんど着なかった着物に袖を通す。真新しい藍色の着物に白い帯を結ぶと、気持ちも新たに生まれ変わったような気分になる。高揚感もあり、今までの澱んだ気持ちも全て洗い流された気がした。
カナエの家『蝶屋敷』へは、徒歩で向かった。弦司を人目に晒されるのを避けた……というだけでなく、そっちの方が早かった。弦司の足が速いのは当然として、カナエの足も弦司に劣らず――いや、むしろカナエの方が早かった。
――鬼殺隊。
夕闇の中、人喰い鬼から人々を守る政府非公式の剣客集団。それを支える
カナエは弦司を頑張ったと何度も言ってくれる。弦司からすれば、彼女こそが本当の努力の人だと思った。
道中の会話は鬼に関する情報共有を行った。
――鬼の弱点は陽の光である。
――日光を除けば弱点は首のみ。
――しかし、その首も特別な金属で作られた『日輪刀』でなければ、殺すに至らない。
話を聞く度に、弦司は己の無知を思い知らされた。そして、己が鬼から外れ始めている事も理解できた。
――今の弦司は鬼でもなければ人でもない。
それが弦司の率直な感想だった。
鬼でもない、人でもない己の行き着く先は……。考えれば考えるほど、不安になった。
そういう時は、カナエとの約束を思い出した。それだけで、前に進む力が湧いてくる。
今になって思う。あれはカナエの気遣い……それだけではなかった。これから弦司が生き抜くための、覚悟を決める意味もあったのだ。
気づき『ありがとう』とカナエに伝えた。彼女はしばし首を傾げると『どういたしまして』と微笑んで応えた。
「着いたわよ」
夜のうちに『蝶屋敷』に着いた。
大きな日本家屋だった。
カナエに導かれるまま弦司が門をくぐる。そのまま玄関の扉に手をかけ、カナエが首を傾げる。
「どうした?」
「う~ん。鍵が閉まってるみたい」
「夜だから、当然だと思うけど」
「いいえ、しのぶが起きている時はいつもここは開いているの。手紙送ったのに、寝てしまったのかしら?」
「まあ、この際どっちでもいいと思うけど、どうする?」
「本当に寝ているかもしれないから、裏口に回りましょ。あっちなら静かに入れるわ」
カナエは玄関から離れると、庭の方へ回る。
広い庭だった。無骨な岩で組まれた池に、茂った木々。草木の伸び加減や、岩の見える角度。弦司から見て、その庭園には何ら計算された配置が見られず、美しさは感じられない。
ただ、全てが
弦司は庭園を微笑ましく見る。対照的にカナエの顔は険しい。
「おいおい、今度はどうしたんだよ? 裏口に回らないのか?」
「……ごめんなさい。見通しが甘かったわ」
「おい、どういう――」
その時、突如として蝶屋敷が一気に明るくなる。同時、襖が一斉に開いて黒い詰襟の集団が現れる。その腰には一様に日本刀が下げられていた。そしてそれは、弦司を唯一殺める事ができる『日輪刀』。
弦司の顔が引きつる。
「歓迎会にしちゃ、ちょっと物騒じゃないか」
「手紙であなたは安全だってちゃんと伝えたけど、それだけじゃ足りなかったみたい……!」
「鬼は死すべし、慈悲はない……という所か。早く動いたのが、仇になったな」
「でも、根回ししてる間に弦司さんへ危害が行くかもしれなかったし……いるんでしょ、しのぶ! これはどういう事!?」
「それはこっちの言葉よ、姉さん」
黒い詰襟の集団から、一人の少女が縁側から降りてくる。
整った容貌はやや垂れた目尻でやさしい印象を与える。艶やかな唇は強く引き結ばれ、意思の強さを表す。美しい黒髪は夜会巻きで一纏めにされており、後頭部の蝶の羽飾りが色を足す。
もし、カナエを幼くさせたら――そんな容姿を持った少女。
胡蝶しのぶ。
カナエから伝え聞いた、彼女の妹だ。
しのぶはまるで細剣のような刀を抜くと、切っ先を弦司へと向ける。
どうしてこうなったのか。
どうしてこうなってしまったのか。
弦司は嘆かずにはいられなかった。
――こうして、話は冒頭へと戻る。
(兎にも角にも、状況は最悪って事か)
再確認し、弦司は思わず舌打ちをする。何にせよ、囲まれた最たる理由は弦司が鬼だから。鬼というだけでこの仕打ち、本当に鬼という存在が弦司は嫌になる。
(それでも、約束したんだ。何とかしないと)
弦司が思考する間も事態は進み、他の剣士達はしのぶに倣って抜刀した。
「大丈夫。じっとしてて」
カナエが弦司を庇う様に前に出る。しのぶの顔が怒りに歪んだ。
「鬼は平気で嘘を吐いて、本能のまま人を殺す……姉さんが一番知っているはずでしょ! どうして、鬼を連れてきたの!?」
「手紙に書いたでしょ、しのぶ。彼は……不破弦司さんはこの半年間、一人も人を喰らっていないのよ。それだけじゃない、私たちと同じように普通に食事を摂って生きていけるわ」
「そんなの有り得ない……! 姉さん、現実を見てよ……!」
しのぶが吐き捨てるように言う。彼女の刀の切っ先が、小刻みに揺れる。
カナエは揺らがず、ただ真っ直ぐとしのぶを見据え微笑みかける。
「その有り得ないが起きたのよ。鬼が、彼らの考える鬼から外れる……この事態は間違いなく、鬼達にとって不都合なはずよ。彼の体に一体何が起きているのか、これを究明すれば、今後の鬼殺隊の戦略に大いに寄与するわ」
「だったら、そいつを地下牢に放りこんでみればいいわ! 数日もすれば、飢餓で狂暴化する!」
しのぶの言葉に、カナエは笑みを深くする。
「それじゃあ、地下牢に一週間ぐらいいてもらいましょう。弦司さん、一日三食栄養満点の食事ならいい?」
「おう、世話かける」
「えっ!? なんで――」
弦司があっさり承諾したのが意外だったのか、しのぶが困惑する。このまま押し切れば、当面の弦司の身の安全は確保できる。弦司はそうは思ったものの、しのぶは頷かなかった。
「そ、そもそも、姉さんは鬼を匿おうとしているのよ。これは重大な隊律違反だわ」
弦司もカナエから尋ね聞いただけだが、しのぶという少女は頭が良く真面目で理知的だと思った。今のような問答はあまりに頑なすぎる。
カナエも弦司と同じ推論に至ったのか、心配そうに眉尻を下げる。
「しのぶ? あなた、一体どうしたの? 隊士を連れてるのもそうだし、何かあったの?」
「何かあったのは、姉さんじゃないの? 隊律違反をしてまで鬼を匿うなんて、今の姉さんは異常だわ」
「さっき言ったよね? これは鬼殺隊の戦略に寄与するって。これって、そんなに異常な事?」
「姉さん、そいつは人じゃなくて鬼なのよ……!」
「……ああもう、こんなことしたくないんだけどなぁ」
しのぶからは絶対に鬼を受け入れないという、確固たる意志を感じる。このまま話しても説得は難しいと思ったのか、カナエは話の方向性を変える。
「ねえ、隊律違反隊律違反って言っているけど、あなた達はどうなの?」
「――っ」
「平隊員のしのぶにも、後ろのあなたたちにも、勝手に鬼殺隊の人員を配置転換する権限なんて持ってないわよね? 方法についてはこの際訊かないけど、今の状況、しのぶ達が隊律違反でしょ」
「……私達を見逃すから、鬼を匿えっていうの?」
「しのぶが何も話してくれないなら、私もそうするしかなくなるわ」
悲しそうに語るカナエに、迷いが生じたのかしのぶの瞳が揺れる。
ここぞと思ったのか、カナエは力強く語る。
「簡単じゃないのは分かってるわ……でも、弦司さんを他の鬼と同じように見ないで。それにほら……弦司さんの気配を感じてみて、分かるでしょ? 彼は他の鬼とは違う、人を喰らっていないって」
「姉さん……」
しのぶが後ろの剣士に視線を向ける。後ろの剣士が隣の剣士に視線を向ける。そして、それは連鎖的に広がっていって――ヒソヒソと。
――お前、分かるか?
――分かる訳ないだろ。
――そもそも、人を喰らっていない気配って何よ。
――これだから、人をやめた柱は……。
「…………」
「そんな傷ついた顔しないでよ!? 私達が悪いみたいじゃない!? それにいつも言ってるでしょ。普通の人でも分かるように言ってって」
「うん……」
しょんぼりするカナエ。空気が弛緩するが、それは一瞬。
しのぶは殺意を込めて、弦司を睨みつける。睨みつけるが……弦司はなぜか、あまり恐怖を感じなかった。殺意とは何か別の感情があるのだろうが、弦司には読み取れなかった。
「姉さんはそいつに騙されているだけだわ。結局はどの鬼も同じよ。今は優しくて大人しくても、いつか牙をむいて人を喰らう」
「でも、半年以上も人を喰らっていないのは事実よ」
「それはこれから先も、人を喰らわない保証にはならない!」
「だから、それを証明させて!」
「証明するまでに人を喰らったらどうするの!?」
「そんな事しないし、させない。そうね、せっかくしのぶがこんなに隊士を集めたんだから、そのまま手伝ってもらいましょう」
「それで犠牲が出たら、姉さんはどうやって責任を取るの?」
「そんな事言ってたら何もできないじゃない……」
完全に話し合いは平行線を辿る。当然、解決の糸口どころか妥協点も全く見えて来ない。しのぶが多くを語らないのだから、彼女が頑なに拒む理由が見えてこない。
それでも、なんで、どうして……そういう想いがあるのだろうか。しのぶのカナエを見る目には、悲しみが垣間見える。しかし、弦司はしのぶという少女の詳しい人となりを知らない。考えても、結論は出なかった。
そして、話し合いは何の進展もなく、争いの元凶となる弦司にしのぶの怒りが向く。
「お前が姉さんを誑かすか! 一体、どんな手管を使った!」
「しのぶ、いい加減にしなさい。私は私の判断で、彼をここに連れてきているの。彼に当たらないで、何かあるなら私に言いなさい」
「……姉さんが鬼に同情しているのも、哀れんでいるのも知ってる。仲良くなれたらって、願ってたのも知ってる。だけど、今日こそははっきり言うわ……そんな事、有り得ない!
「だから、その先入観をやめて! 彼は鬼に襲われた子どもを救ったのよ! 人を助け、人を慈しめる! どこが人と違うの!」
段々と二人が昂っていく。怒りが二人の冷静さを奪っていく。
まずい、と思う。それでも、争いの切っ掛けである弦司は、簡単に介入できない。火に油を注ぐ結果になるのは、明らかだったからだ。
ならば剣士達は、と弦司は彼らを見るもいきなり始まった姉妹喧嘩に、アタフタしているだけ。彼らは一体何のために来たのだろうかと、弦司は割と本気で尋ねたい。
その間にも、言い争いは大きくなる。
「だから、姉さんは騙されているのよ! 鬼が子どもを助ける訳がない! どうしてそんな事も分からないの!?」
「嘘じゃない、本当よ! 彼は誰に言われなくても、子どもを助けた! 証人だっている!」
「そんなの仕込みよ!」
「そんな訳ないでしょ!? そもそも、一体そんな事をして彼に何の得があるの!?」
「姉さんは柱よ! どんな事をしてでも、罠に嵌める価値はある! もう鬼舞辻無惨に操られているのかもしれない!」
「何? 本当にどうしたの? 言ってくれないなら、私だって――!!」
弦司は会話が途切れたのを機に、カナエの蝶のような羽織りの袖を引く。
「深呼吸」
火に油を注がないように、弦司は端的にそれだけを伝える。
カナエは目を閉じると、深呼吸を一回だけ行い、
「ありがとう」
カナエも端的に返すと、再びしのぶを見た。これで仕切り直し……といこうとしたところで、なぜかしのぶが、強く唇を噛む。悲しそうに視線を落とす。
「――やっぱり、そういうこと……?」
「? ねえ、しのぶがここまでするのは、何か理由があるのでしょう? それを教えてもらわないと、私もしのぶが何を言いたいのか、何をして欲しいのか分からないわ」
「……なら、姉さんが何でそいつに拘るのか教えてよ」
「……人が鬼になる苦しみと哀しみを教えられたから。もう私は彼を放っておけない。それに……」
「それに?」
「毎日おいしいご飯を一緒に食べる約束、させられちゃったから」
「おい、言い方」
弦司が苦笑しながら指摘すると、カナエは楽しそうに弦司へ微笑みかける。
(全く……変に勘違いされたらどうするんだよ)
弦司は心の内で苦言を呈しながらも、居心地の良さを感じる。ちゃんと理解し合っていると心の底から思える。
周囲から見ても、人と鬼が通じ合っているように見えるはずだ。これで少しは鬼殺隊も認識を改めてくれれば。そう思いしのぶを見るが、その表情はより一層悲壮となっている。
それが何か引っかかった。
(この感覚……そうだ、カナエと初めて会った時の、こっちが思っている感覚と、何となく噛み合っていない感じだ)
茂吉からの伝達でカナエは弦司を人間と思った。同様にしのぶも、弦司を何かと勘違いしているのではないか。
弦司は再びカナエの袖を引く。
「何か見落としてないか?」
「どういうこと?」
「しのぶとカナエの認識、何か異なっていないか?」
「えーっと、そんな事あった……?」
頬に手を当て思考するカナエ。何か情報があればと思って聞いたが、ここで時間切れとなる。
見ればしのぶの目が完全に据わっていた。いつの間にやら、覚悟完了となっていた。
「姉さんにとって
「しのぶ? えっ、ちょっと何? 本当に分からないんだけど」
「私が姉さんの目を覚ます……これが、鬼の悍ましさよ!」
しのぶが日輪刀を構えた瞬間、鮮血が舞った。
しかし、それは弦司ではなく、カナエでもなく――しのぶ。
しのぶは自らの腕を斬りつけていた。
鮮血が舞い散り、庭園を赤く染める。そして、立ち上った血の甘い香りに弦司は食欲を促される。
(本当に嫌になる――!)
自身の恩人の妹が傷ついたにも関わらず、弦司の体は空腹を訴える。しのぶの血が滴る度に美味いと囁く己が身体が、本当に本当に本当に、心底嫌いになる。
だからこそ、弦司はこの欲求に逆らう。鬼が大嫌いだからこそ、人のための最善を選ぶ。
「カナエ、手当!!」
「――っ、はい!」
「おい、後ろの剣士一行! 何ボーってしてる! 早く包帯と消毒液持ってこい! ――って、全員行くな!! 俺の見張りがいなくなるだろうが!!」
弦司の指示に穴もなく、また彼らも冷静でなかったためか、全員が素直に従った。
カナエはしのぶの腕を止血し、鬼殺隊の面々は一名だけ救急道具を取りに行くと、残りは弦司の周りに集まった。
剣士達から困惑が伝わってくる。
「……なあ、あんた。鬼殺隊の俺が言うのもおかしい話だが、本当にこれでいいのか? いつでも斬れるぞ」
「斬ってもいいが、カナエに一生軽蔑される覚悟しろよ」
「えっ」
「妹の治療中に、治療の指示を出した男を討った……どう思う?」
「やめておくよ」
弦司の言葉に、彼は苦笑を浮かべる。そして、剣士たちはお互い目配せすると刀を鞘にしまった。
弦司は念のため尋ねる。
「そっちこそ、いいのか?」
「ああ、いいよ。人間の血を見て顔色一つ変えなかったし。何より、一番最初にしのぶさんを治療するように指示を出したんだ。カナエ様の言葉もある。信じるよ」
「そうか」
そっけなく返す弦司だが、実はホッとしている。剣を持った大人に囲まれたのだ、普通に考えて動揺しない訳がない。鞘にしまってくれて、大変感謝している。無論、それは伝える必要のない情報。凛とした表情を崩さず、弦司は救急道具の到着を待った。
ほどなく隊士が道具を持ってくる。
カナエは受け取ると、しのぶへ治療を施す。
カナエが口を開いたのは、しのぶの治療が終わってからだった。
「――終わりよ。痛くない?」
「……」
「しのぶ……」
やはり、妹が自傷した……いや、させてしまった事が衝撃的だったのか、元気がない。目尻もいつもより垂れ下がっていて、哀しみ一色だ。
対して、しのぶはバツが悪そうに視線を彷徨わせた後、弦司を見やる。
「……本当に、人を喰らわないの?」
「ああ、喰らわないし、喰らってやるものか」
「そう……」
しのぶはそう言うなり、俯いて何かに耐えるように目を強く閉じる。
しばらくすると目を見開き、再び弦司を見る。悲しくも覚悟を決めた、そんな表情だ。
そして、
――姉さんをお願いします、義兄さん。
「??????」
「んんんっ!!」
弦司は全く意味が分からなかった。対して、カナエの方は目を大きく見開き頬を引きつらせる。
こいつが原因か。弦司はそう直感した。
一方、しのぶは止まらない。
「姉は一見、やさしそうで包容力はあるけど、無茶苦茶な理屈で振り回す時があるわ。気をつけて」
「あ、ああ」
「でも、本当に思い遣れる人よ……これは、言わなくても分かっているわよね」
「う、うん」
「だけどそのせいで人一倍頑張って抱え込んでしまう時もあるから。なるべく気づいてあげて」
聞いてるこっちが恥ずかしかった。止めて欲しいが、肝心の姉は顔を両手で覆っていた。耳が真っ赤だった。
仕方なしに、弦司はしのぶに訊く。
「えっと……どうやってその結論を?」
「うん。実は姉さんからの手紙に、明らかに変な文章があったの。『紹介したい男の人がいます』って」
「いやぁあぁぁっ!!!!」
カナエが手で顔を覆ったまま首を横に振る。
「鬼の説明がある後半部分と意味を繋げると『紹介したい鬼がいます』。でも、本来ならこの文章は婚約者を紹介するときに使う文章。つまり、二つを合わせると『鬼になった婚約者を連れてきます』って意味で――」
「なんでそんなに深読みするの!? 繋げないで、二つを合わせないで!?」
「え、でも、あの後の内容すごい真面目で! だから、この手紙には裏があるって!」
「出来心です! しのぶを揶揄っただけです!」
「……ならここ半年、継子の私も連れずに深夜によく一人になっていたでしょ!? 彼に会うためじゃなかったの!?」
「普通に任務です! しのぶにも一人で任務をこなして欲しかったんです!」
「……じゃあ、最近ご機嫌だったのは!?」
「しのぶが立派になって嬉しかったんです!」
「『毎日おいしいご飯を一緒に食べる約束』の意味は!? どう考えても、そういう意味よね!?」
「『おいしいご飯を一緒に食べる』約束はしたけど、回数は決めてなかったから! 話を盛りました! 調子に乗りました!!」
「…………」
「ごめんなさ~い!」
カナエが悲鳴を上げて土下座。それを見て、しのぶが俯く。その表情は見えないが、何となく察しが付く。
もうなんだか馬鹿らしくなった弦司は、隊士の面々に屋敷に上がろうと屋敷を指差す。そして、このままなし崩し的に住み着いてやる。
置いて行かれそうになったカナエが慌てる。
「え、待って、弦司さん! 他の人も、待って!」
「姉さん」
「はいっ!」
カナエはしのぶに声を掛けられ、再び土下座。
弦司達は徐々に離れていく。
「私、すごい悩んだのよ。理由があったとしても、柱の姉さんが鬼を連れて帰るのが信じられなかったし、もし血鬼術の影響だと思うと怖かった」
「……ごめんなさい」
「もしも本当に婚約者だとしたら、姉さんに新しい家族を断ち切る事はできない。私が代わりに断ち切ろうって……例え姉さんに一生恨まれても、正しい道に戻すって思っていたのよ」
「本当にごめんなさい!」
「姉さんの馬鹿!」
縁側から屋敷に入る弦司達の背後からは、そんな愉快な会話が聞こえる。
弦司は振り返り、一言だけ呟いた。
「全部カナエが悪い」
他の隊士も黙って頷いていた。
○
男とも女とも判別がつかない巨大な影。それはゆらりと揺れると、掻き消えるように高速で動いていく。屋根と屋根を、まるで舗装された道のように危な気なく駆けていく。
しばらくして、影はとある一角に身を隠すように飛び込む。そこは月明かりも指さない。影は影のままである。
「花柱が鬼を連れてるって聞いた時は何事かと思ったが、とんだ茶番だな」
鬼殺隊が鬼と戦い続けるのは容易ではない。外敵である鬼との戦闘はもちろん、隊を内から食い破る輩にも注視しなければならないからだ。
影はその前兆とも思える情報を掴んだ。
――花柱・胡蝶カナエが鬼を連れている。
すぐに事の重大さを理解し、
そして経緯はともかく、胡蝶家は鬼を匿う事に決めた。
彼女たちの理屈も頷ける部分もあった。なぜ、他の鬼殺隊に黙るのか、理解もできる。
しかし、我らは鬼殺隊だ。宵闇から人々を守る剣士だ。鬼を匿うなど有り得ない。
胡蝶姉妹には処罰が必要だ。彼らに気づかれないように、
「さあて、
彼が宵闇を抜け出し、月明かりの下へ出る。
巨大な男だった。
身長は六尺をゆうに超え、袖のない黒い詰め襟から覗く腕は子どもの胴回りほど太く隆々。端整と言っていい容貌は様々な装飾が施され、見る者に過剰な印象を残す。そして、背中に背負われた巨大な片刃の剣は、なぜか柄を鎖で繋いでいる。
この派手を体現したかのような男こそ、音柱・宇随天元。
彼はまるで月に対して挑発するよう、宣言する。
「こっからは
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
――こっそり修正(2019/11/23)。