鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

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第4話 緊急柱合会議・前編

 それは弦司が蝶屋敷を訪れて三日目の夜だった。

 今日も一日が終わり、後は眠るだけ。カナエは何の気なしに弦司の部屋を(おとな)って「おやすみ」と言った。

 

 

「おう」

 

 

 素っ気無い返事だった。

 「いただきます」も「ごちそうさま」も。あんなに嬉しそうで温かかったのに、この時だけは何も感じなかった。

 環境が変わって疲れが溜まっていたのだろうか。そんな風に思って床に就いたが、気になって眠れなかった。

 悪いとは思ったが、気配を消して弦司の部屋を覗いた。

 弦司は一人暗い部屋の隅に座っていた。それが酷く心細そうに見えた。思わず立ち入って訊ねた。

 中々答えてくれなかったが、カナエが聞くまで寝ないと分かると、ポツポツと語り始めた。

 

 

「寝静まった家の中、たった一人起きている」

「誰もが眠る」

「俺だけが眠らない。眠れない」

「たった一人取り残されたような気になる」

「洞穴にいた時は思わなかった」

 

 

 ――今は夜が長い。

 

 

 一人だけ眠れない夜。それは人をどれだけ孤独にするのか。

 また気づけなかった。こんな簡単な事に気づけなかった。

 カナエは部屋を飛び出した。自身の布団と本を数冊引っ掴むと、弦司の隣の部屋まで行った。

 

 

「何やってんだ」

 

 

 騒がしくしていたせいか、弦司がそう訊ねてきた。「お引っ越し」とだけ答えて布団を敷いた。

 弦司は何か言いたそうな顔をしていたが、本を渡して追い出した。

 そして、弦司が部屋から出る前に「おやすみ」と言った。

 

 

「……おやすみ」

 

 

 温かい声が返ってきた。今度はゆっくり眠れそうだ。

 

 

 

 

 弦司が蝶屋敷に居着いて五日が経った。

 なし崩し的に居着いた彼であったが、概ね良い影響を与えていた。

 一番大きいのは、身近な目標ができたことだ。人を唯一鬼に変えられる鬼・鬼舞辻無惨を倒すという目標が、鬼殺隊にはあった。奴を倒さなければ、悲しみは終わらない。最終目標として、カナエもしのぶと同じ目標を持っていた。

 しかし、誰も鬼舞辻無惨を見たことはない。どういう存在なのか、伝え聞いた話でしか分からない。形がない雲のような存在を追う……果たして、自身は無惨に近づいているのか、分からなくなってしまう時がある。

 だが、今は違う。明確に助けるべき()がいる。鬼舞辻無惨打倒をやめた訳ではない。新たに明確な目標ができた事で、日々に張り合いが出るようになったのだ。

 また、しのぶには「よく笑うようになった」と言われた。日々充実しているからだと、カナエは思っている。

 しかし、良い事ばかりではない。

 まだ、人を喰らわない十分な証拠がないため、しのぶとの相談の上、まずは半年。人間の食事だけで事足りるのか。それを確認するために、座敷に閉じ込めているのだ。

 それと課題が一つ。鬼舞辻無惨の情報についてだ。生き証人である弦司は、奴の情報を持っているはずだ。それを引き出せば、鬼殺隊に大いに役立つ。だが、カナエはそれができないでいた。

 鬼舞辻の呪い……とでも言うのか。鬼は奴の情報を口にしようとすると死ぬ。しかし、弦司の存在は鬼の理から外れ始めている。そんな存在を臆病者の奴が放置するとは、とても思えなかった。

 呪いが解けている可能性がある。だから、弦司から鬼舞辻の情報を引き出すことができるはず――。

 しかし、もし……もしも、呪いが解けていなければ。鬼舞辻の名を口にした瞬間、弦司が死ぬ。カナエが弦司を殺してしまう。その可能性が怖くて、カナエは訊けないでいた。

 だからといって、このまま半年を待つつもりはない。少しでも協力者を探すため、奔走する。今日は命の恩人でもある岩柱・悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)へ協力を取り付けるために、忙しい合間を縫って訪っていた。

 悲鳴嶼邸。

 柱にはそれぞれ屋敷が与えられる。蝶屋敷はしのぶの希望もあり、医療向けに改造を繰り返した。ここ悲鳴嶼邸は、柱の邸宅とは思えないほど質素で小さい。

 座敷に通されたカナエは、主である行冥を正座して待つ。

 すぐに彼は来た。

 

 

「柱合会議以来だ、花柱・胡蝶カナエ。お互い息災で何よりだ」

 

 

 現れたのは七尺を超える巨漢。

 カナエと同じ黒い詰襟、その上の羽織りには念仏が所狭しと刺繍され、首と合掌された両手には数珠。さらには、額には真っ直ぐの傷跡。

 得体の知れないこの男が悲鳴嶼行冥その人だ。外見からは想像もつかないが、これでも非常に涙脆く心優しい。

 ――それに、胡蝶姉妹に対する負い目もある。

 もちろん、この場で負い目につけこむつもりはない。それでも、他の柱と比べれば交渉はしやすい。理解はされなくとも、中立ぐらいは保ってくれるだろう……そんな思惑もあり、訪れたのであった。

 カナエの対面に行冥が正座する。

 

 

「一別以来です、行冥さん。それと、今日は私人として訪れましたので、そんなに固い呼び方をしないで結構ですよ。あっ、それとさっき来る途中にお饅頭見つけたんですけど、美味しそうなので買ってきました。後で食べて下さい」

「それでは、そうさせてもらおう」

 

 

 にこやかに挨拶を交わすカナエと行冥。

 それからしばらくは、世間話をした。行冥の口数は多くないため、自然とカナエが話すようになる。それも、カナエ自身としのぶについてが主だった。

 

 

「最近、ちょっと男性と話をする機会があったんですけど、それを見てしのぶったら()()()()()()にすぐ結びつけるんですよ~。やっぱり、思春期なのかしら~」

「この時期は多感だ。あまり揶揄うのはよしなさい」

「……はい。それはもう、海より深く反省してます……」

 

 

 終始、和やかな会話が続く。突然の来訪であり多少は心配もあったが、行冥に不機嫌な様子はない。

 カナエは頃合いだと思い、話を切り出す。

 

 

「それで、その男性についてお話ししたい事があります」

「あぁ……彼が鬼である事か」

「――えっ!?」

 

 

 行冥の言葉に、カナエは二の句が継げなかった。

 腹の底が冷えてくる。思考がまとまらない。

 鬼殺隊に弦司の情報は広まっていなかった。それなのに、なぜ。どういうことか。

 千切れる思考の中、行冥が涙を流す。

 

 

「情報は宇随天元からだ。信じたくはなかったが、その様子を見る限り……なんと哀れな」

「いつから……ですか?」

「私が聞いたのは一昨日。彼が情報を手に入れたのは、五日前だと聞き及んでいる」

「……最初から全て筒抜けだったわけですね」

 

 

 カナエは臍を噛む。先手を取ったつもりが、完全に後手に回っていた。いや、ともすればすでに手遅れかもしれない。

 もし、このまま自身の力不足で弦司の身に何かあったら。生きろといって、ただただ苦しめただけではないか。悔やんでも悔やみきれない。

 ――今、やれる事を全てやらねば。

 カナエは頭を下げた。

 

 

「申し訳ありません、行冥さん。伝え聞いているのなら分かっていると思いますが、私は彼……不破弦司さんを人を喰らわない鬼だと確信しております。それを証明するための時間が必要と判断し、()()()()()()報告していました。伝えていなかったのは、証明する前に危害を加えられる事を防ぐためです。決して、鬼殺隊を蔑ろにした訳でも、鬼殺を軽視した訳でもありません。それだけはご理解を」

「……かつて、私は鬼から君たち姉妹の両親を助ける事ができなかった。君の哀しみは分かっているつもりだ。なぜ、鬼を受け入れる? 私には理解できない」

 

 

 カナエは頭を上げる。行冥の目が、カナエを見ている。彼は盲目だ。その視界には何も見えていないが、まるで心を見透かすように、白い瞳がカナエを射抜く。

 ――理解。

 彼の心と在り方を理解するのは困難だ。鬼殺に身を置けば置くほど、弦司の存在は鬼から遠い位置にある。

 鬼殺隊一、鬼に甘いと自負できるカナエでも、弦司を殺しかけた。それぐらい、彼の存在は異質だった。

 もしかしたら、いくら言葉で説明しても、誰も弦司を理解してくれないのでは。彼の心が伝わらなければ、通じ合えないのでは――と、ここでカナエは首を横に振る。

 彼の在り方を伝え、理解者を一人でも多く募る事が、自分の役割ではないか。そして、弦司を理解したと思えるなら、それは難しい仕事ではない。

 カナエは彼のあるがままを言葉にする。

 

 

()()()()()()()

「……」

「想像してみてください。人を喰らえと求め続ける体で、心は人である自分を。人を助けます、人と心を通じ合わせられます、そして……人を愛せます。しかし、心の奥底では人を喰らえと体が囁くのです」

「ああ……なんと哀れな生き物だ」

「はい。ですが、私は哀れだと嘆くだけで、終わらせたくありません。知って理解した以上、助けたい。これは鬼殺隊……いえ、人として間違っていますか?」

「間違ってはいない。しかし、それは相手が人の場合だけだ。鬼にそのような慈悲は必要ない」

「――ごめんなさい。私、もう彼が鬼だとは思えません」

 

 

 カナエはもう一度、深く頭を下げる。

 行冥からバチリと破壊音がした。砕けた数珠が畳に散らばるのが、視界の端に見えた。

 

 

「……今、何と?」

「私は彼が()だと思っています」

「人を見て、涎を垂らす生き物を人とは言えない」

「彼は子どもを助けました。恋人を自身から助けるために離れました。大切なものを守るために、自身を犠牲にできる……それでも彼は人と言えないのでしょうか? 傷つくたびに涙を流す彼を、私は人としか見られないんです」

「……」

「私は頸を斬るのではなく、本当の意味で救うべき()を見つけたんです。彼の事を全て理解しろとは言いません。行冥さんが危惧している事も何も間違っていません。ただ……私の救いたいという気持ちだけは否定しないで下さい」

 

 

 行冥が沈黙する。

 失望しているのだろうか、それとも軽蔑しているのだろうか。そうなったら悲しい。悲しいが……自分の心に嘘は吐けない。弦司を助けたいという気持ちは、もう捨てられない。

 しばらくして、行冥は長く息を吐き出した。

 

「……思えば昔から君たちはそうだ。これと決めたら、決して曲げない」

「いつもいつも、心配ばかりかけてごめんなさい」

「鬼は理解できない。しかし、君の心は理解した。私から言える事は一つ……彼が人である事を証明しなさい」

「行冥さん……」

 

 

 カナエは顔を上げる。行冥は再び涙を流していた。

 彼は鬼に家族のように大事にしていた子どもたちを殺されている。自身と同じように、鬼に大切なものを奪われている。鬼の醜さを知っているゆえ、弦司を理解してくれなかった。

 それでも、カナエの気持ちには理解を示してくれた。本当に優しい人だった。

 

 

「ありがとうございます。黙っていた事、本当に申し訳ありませんでした」

「良い。それより、急いだ方がいい」

「どういう事ですか?」

「本日、緊急柱合会議が開かれる」

 

 

 行冥の言葉に、カナエは驚きで固まる。

 ――柱合会議。

 その名の通り、鬼殺隊の柱達による合同会議だ。通常、半年に一回開かれる。

 今回は名前の通り緊急なのだろう。問題は柱であるカナエが会議の存在を知らない事だ。

 

 

「今、宇随天元・不死川(しなずがわ)実弥(さねみ)の両名によって、胡蝶カナエ・胡蝶しのぶ・()()()()三名に処罰を求める動議が出ている」

「っ! 情報封鎖の本当の意味は、そういう事ですか! 私たちを逃がさないように、対策も打てない内に処罰を下すために」

「緊急柱合会議では、()()()()()()()()()でお館様とともに会議を行う。今頃、不死川が蝶屋敷で胡蝶しのぶと不破弦司の拘束に向かっているだろう。決して殺すことはないだろうが……傷つけないとは言えない」

「行冥さん……」

「さあ、早く向かうといい」

「ありがとうございます! このお礼は必ず!!」

 

 

 カナエは行冥の返事も聞かずに屋敷を飛び出した。

 風柱・不死川実弥。

 カナエが穏健派だとすれば、彼は鬼殺隊一の過激派。全ての鬼を憎み、その存在自体を許さない。悪鬼滅殺を体現する男。

 会議にて処罰を決めるなら、今すぐ殺す事はないだろう。それでも、鬼を見て()()不死川実弥がただ拘束するとは思えない。

 カナエは全速力で蝶屋敷へと向かった。道のりは酷く遠く感じた。

 

 

 

 

 弦司の一日は単調だ。

 まず、飯を食う。三食食う。ひたすら食う。最近では、一食で力士三人前は軽く食べられるようになって、しのぶからは『穀潰し』というありがたい名前までもらうほどに。

 食べてからは、ひたすらじっとしている。たまには本を読むが、それでも基本部屋にいる。

 今は、食事のみで飢餓状態を耐えられるのか、検証を行っていた。そのため、食事以外の要素をなるべく省いた生活を送っている。

 これを後、半年――思うと弦司は溜息が出る。正直、カナエの頼みでなければ、弦司は断っていただろう。

 基本的に、この何もしない時間というのは苦痛だ。本もいずれ読み終える。前世の映像を見返すのもいいが、とにかく何か手につけたかった。囲碁か、それとも裁縫でも始めようか。そんな風に弦司が考えていた時であった。

 

 

「朝食ですよ」

「待ってました」

 

 

 襖の向こうからしのぶの声がかかり、弦司はちゃぶ台を取り出す。

 襖を開け、しのぶが持ってきたのは、お櫃にお鍋。それを直接ちゃぶ台へドン、と。これが現在の弦司の朝食である。

 もちろん、最初はお椀に盛っていたのだが、いちいちお替りが面倒だとこんな形になってしまった。ここから直接食べはしないが、全部弦司が盛れという事だ。

 お櫃にはご飯、鍋は野菜のごった煮である。弦司がよく食べると分かってから、鍋しか出てきていない。今後も鍋しか出ないのだろうか、ちょっと不安になる。

 

 

「不破さん、今日の調子はどうですか?」

 

 

 しのぶは、自身のお膳をちゃぶ台を挟んだ弦司の向かい側に置く。距離を感じる。

 

 

「特に何も変わった感じはないな。そっちこそ、腕の調子はどうだ?」

「っ、こんなのかすり傷ですから、何ともありません」

「そうか。重い荷物を運ぶ時は、声をかけてくれよ」

「かけません。そもそも、ここから出てはダメじゃないですか」

「うーん。でも、こうやってじっとしてるのもな」

「いいから、早く食べて下さい。私はお喋りしに来たのではなく、あなたの経過観察を朝食ついでにしに来たんです」

(固いなー)

 

 

 それだけ言うと、黙々と食べ始めるしのぶ。初対面の時、彼女にとって様々な失態があったせいか、今も壁を感じる。でも、時間はたっぷりある。なんせ半年だ。距離を縮める機会は、いくらでもある。

 弦司が自身のお椀に料理を盛ったところで、

 

 

「ああ、そうだ。囲碁とか裁縫とかなんか時間潰すもの用意してくれないか? さすがに暇でしょうがない」

「もう本は読んでしまったんですか……はあ、しょうがないですね。後で持ってきます」

「申し訳ない」

「申し訳ないと思うなら、これ以上姉を振り回さないで下さい」

「手厳しいな」

 

 

 厳しい言葉に、弦司の手が止まる。思ってた以上に、壁があるかもしれない。

 しかし、しのぶは弦司の様子を特に気にした風を見せる事もなく、再び食事を始め――その手を止める。

 

 

「どうした?」

「屋敷が騒がしいですね」

「えっ」

 

 

 しのぶに言われ耳を澄ます。鬼となり発達した聴力が、屋敷中の音を拾う。玄関も縁側も――裏口からも足音が聞こえる。

 

 

「全部で六人か? 何かあったか?」

「静かに。それと私から離れないで」

 

 

 しのぶが箸を置くと、ちゃぶ台とお膳を部屋の隅に置き中央に立つ。弦司も傍に立ち、何が起きてもいいように身構える。

 すぐに廊下から一段と荒い足音がし、一気に襖が開け放たれた。

 

 

「鬼を匿った馬鹿共はここかァ」

 

 

 現れたのは凶悪な目つきを持った黒い詰襟の男。身長こそ僅かに弦司より低いが、その肉体は鍛え抜かれている。何よりも目を引くのは、全身の傷跡だ。顔に腕に胸に――なぜか、詰襟の前が全開――晒した肌に押し並べて傷跡があった。

 

 

「テメェ……」

「っ!?」

 

 

 男は弦司を見るなり表情を一変させる。ただしそれは殺意などという表現は生温い。弦司の腕一本……髪毛一本でさえ、存在を許さない――悪鬼滅殺。男の目は弦司の全てを否定していた。

 男は腰に下げた刀に手を掛ける。

 

 

「鬼殺隊に巣食う鬼かァ!」

「不死川さん!」

 

 

 しのぶの小さな体が弦司と男の間に入る。

 不死川――その名前に、弦司は聞き覚えがあった。カナエが言っていた、鬼殺隊の柱の中でも要注意人物。鬼殺を体現したような男――それが不死川実弥だと。

 その実弥がしのぶを見て凶悪に笑う。

 

 

「おう、鬼を匿った馬鹿かァ。何の用だァ?」

「それはこちらの言葉です。朝食中に人の家に勝手に上がり込んで、一体どういうおつもりでしょうか?」

「どうもこうもねェ。鬼と馬鹿共を処罰しに来たに決まってんだろォ!」

「意味が分かりません。そもそも、鬼とは――」

「テメェら馬鹿共の行動は全部筒抜けなんだよォ!」

「えっ」

 

 

 実弥の言葉に、二人揃って身を固める。

 半年。弦司の無害を証明するために、匿うと決めた期限だ。当然、カナエは情報封鎖に努め目撃者や隊士に、情報が拡散しないように話をつけている。

 それが蝶屋敷に来てまだたったの五日。五日で全てがバレた。

 一体、いつ、どこで。そもそも、今は何が起きているのか。何も分からない。

 動揺する二人の前で、実弥は懐から一枚の書を出す。それを見てしのぶは顔を青くする。

 

 

「『胡蝶カナエ・胡蝶しのぶ・不破弦司 以上の三名を緊急柱合会議に連行する』」

「嘘……なんで……」

「鬼なんか匿ったからに決まってんだろうがァ!!」

「っ!!」

 

 

 屋敷が揺れるほどの覇気と怒気で叫ぶ実弥。弦司としのぶ、二人して身を竦ませる。

 

 

「『産屋敷』に連れていくゥ」

「……でも、こんな――」

「待て、しのぶ。従おう」

 

 

 弦司はしのぶの肩を掴み、止める。

 

 

「これは正式な命令書なんだろう?」

「……はい」

「なら、俺達の策は失敗だ。ごねることに意味はない。大人しく従――がっ!!」

「不破さん!!」

 

 

 弦司は気づけば、大きな手に頭を掴まれ畳に叩きつけられた。

 仕掛けたのは実弥。鬼となった弦司でも、その動きは追いきれなかった。

 さらに力も強い。弦司は抵抗もできず、後ろ手に畳に押さえつけられた。

 

 

「鬼、いい心だけだなァ。特別に頸を斬る時は、苦しまないようにしてやるゥ!」

「不死川さん! 彼は逃げません! だから、乱暴な事はやめて下さい!」

「誰も鬼なんざ信じないんだよォ! 黙って蹲っていろォ!」

「っ!!」

 

 

 またか。またなのか。

 何もしていない。ただ、生きてしまっただけなのに。鬼。それだけで、権利も尊厳も何もかも踏み躙られてしまうのか。理不尽だった。

 それでも、今の弦司に拘束される以外の選択肢は存在しない。

 しのぶも何もできない。確か、実弥はカナエと同じ柱だ。平隊士であるしのぶが言い返しただけでも、十分すぎる抵抗だった。

 弦司はそのまま何もできず、実弥によって拘束された。どこから取り出したのか、ご丁寧にわざわざ鎖を使って、芋虫になるまで何重にも巻きつける。

 さらには麻袋を取り出す。こんなものに入れられたら、ただ苦しいだけだ。

 弦司としのぶは抗議の声を上げる。

 

 

「おい、それに入れるつもりか!? やめてくれよ!」

「不死川さん! 本当にここまでする必要あるんですか!? 今、朝なんですよ? 外へ連れていくだけで、逃げる事もできません!」

「うるせェ。鬼なんて信用ならねえだろうがァ。これぐらいが丁度いいんだよォ。そもそも、どうやって連れて行こうが、()である俺の勝手だ。鬼の味方は黙ってろォ」

「お、鬼の味方だなんて……! 私はただ――」

「おい、誰かこの馬鹿も拘束しろォ」

「えっ」

 

 

 実弥が声を上げると、目元だけ開いた黒子のような衣装をまとった二人が現れる。おそらく、(かくし)。鬼殺隊の剣士達を陰ながら援助する部隊と弦司は聞き及んでる。そんな彼らが縄を取り出し、しのぶを拘束しようとする。

 

 

「待ってくれ! その子は縛らなくてもいいだろう!?」

「本当にうるせえなァ。そうやって、女にお優しい言葉でも囁いて篭絡したのかァ? 馬鹿共には通じても、俺には通じねえよ鬼ィ!」

「あああッ!!」

 

 

 うつ伏せになった弦司の背中に、実弥の足が圧し掛かる。

 苦しい。痛い。

 

 

「不破さん!!」

 

 

 しのぶの悲鳴のような声が聞こえる。

 手足は動かない。歯軋りしかできない。無力だった。悔しかった。しかし、弦司には最早どうする事もできない。

 

 

「もし」

 

 

 そこにかけられた優しい優しい声。あまりに場違いな声音に、全員が振り返る。

 胡蝶カナエ。彼女が、いつもの美しい笑みをたたえて、いつの間にか部屋に立っていた。ただし、額には大粒の汗を流し頬は上気しており、蝶の翅のような羽織はない。

 ()()()()()()()。ここにいる誰もが、カナエを見て緊張していた。笑っている。なのに、()()()()()。ここにいる全員が、同じように感じていた。

 カナエはひどくゆっくりと隠に近づくと縄を取り上げ、さらに実弥の麻袋に手を――。

 

 

「っ、胡蝶! テメェ!」

「あら酷い。女性の手を叩くなんて乱暴ですね~」

「ああん? ぶっ殺されてえのかァ?」

「ふふ、それはそちらでしょ? 随分と我が家で好き勝手しましたね~」

 

 

 縛られた弦司と悲しそうなしのぶを見やり、カナエは笑顔のまま殺気を実弥に放つ。いつもの優しいカナエと対照的な気配に、誰もが動きを止める。しかし、殺気を向けられた当人である実弥は、面白そうに口角を上げる。

 

 

「おいおい、勝手したのはテメエらだろうがァ。鬼殺隊は平和ボケした仲良し集団じゃねえんだァ。仲良しごっこのおままごとなら、姉妹だけでやってろォ」

「目に入るもの全て斬りつける暴力集団でもありませんけどね」

「鬼を匿う馬鹿の言葉は違うなァ」

「不死川さん、あなたが全てを主導していたなら、問答無用で斬りますよね? 斬っていないって事は、緊急柱合会議までの()()は全て宇随さんが描いたのでしょう? 対して、あなたは連行一つ穏便に遂行できないなんて。馬鹿は誰でしょうか?」

「……」

「……」

 

 

 互いに射殺さんばかりに睨みつける。互いに、腰の『日輪刀』に手を掛ける一歩手前。まさに一触即発。少しでもこの均衡が崩れれば、恐ろしい柱達の斬りあいが始まるだろう。

 止めなければ。ここにいる誰もがそう思い、恐ろしくてできない。一言も声を上げられない。

 ――そこへ無遠慮にずかずかと。()()に一人の男が乱入する。

 

 

「随分と派手にやってるな。祭りの神に黙って、先に祭り開催とはいただけないぜ」

「宇随ィ……!」

「宇随さん」

 

 

 額には大きな宝石、左目には血飛沫のような赤い模様。袖のない鬼殺隊服に鎖で繋がれた大剣が二振り。

 音柱・宇随天元。伝え聞いただけだが、弦司は一目で彼が宇随だと確信した。

 ――そして、この場には鬼殺隊の最高位・柱の三名が揃った事になる。

 鬼殺隊について理解の浅い弦司であっても、これがいかに異常事態か分かる。そして、それを引き起こした弦司は一体何なのか。これから己はどうなってしまうのか、全く分からなくなる。

 対して天元は、この異常の渦中をまるで予定調和のように歩き、カナエと実弥の間に入る。

 

 

「柱がこんなところで派手にドンパチする気か?」

「そこの馬鹿が邪魔してるだけだァ」

「そこのお馬鹿さんが余計な真似をしているだけです」

「ああん?」

「ふふふ」

「だから、俺よりも先に派手に始めようとするんじゃない! それと不死川はその鬼から離れろ!」

 

 

 言いながら、天元は実弥を押しのけると弦司の鎖を解いた。弦司には彼が何を考えているか分からず、混乱する。

 実弥は天元ににじり寄り、カナエは悔しそうに歯を食いしばる。

 

 

「テメェ、どういうつもりだァ……!」

「今回の会議は緊急で、かなり無理に時間を作ったからな。会議まで地味に時間がない。お前がやると拗れるばかりだ」

「私は――」

「被告が被告を連れていけるわけないだろ。胡蝶は不死川が連れていけ。俺が代わりに鬼は連れていく。そうすれば、拘束もいらない……これで納得か?」

「ちっ……」

「全部あなたの掌の上……という事ですか」

 

 

 今日、実弥が訪れ、カナエが止めて、天元が仲裁する。それが全て偶然とは、カナエには思えなかったのだろう。

 今回の一連の騒動、完全に主導権を宇随天元に握られてしまっていた。

 

 

「さあ、分かったならお前たちは一緒に地味に行け! 俺は派手に行く!」

 

 

 天元はカナエとしのぶ、実弥を追い出す。入れ替わるように、隠が箱型の赤い大きな駕籠を部屋に運んでくる。

 彼は駕籠の上に飛び乗ると、下を指差す。

 

 

「俺は上で派手に行く。お前は中で地味にじっとしてろ」

「あ、ああ。その、鎖解いてくれて、ありがとう」

「……鬼からの礼とか気持ち悪! 早くしろ、地味に調子が狂うぜ」

「気持ち悪いはないだろ」

 

 

 天元は面倒そうに対応すると、駕籠をコツコツと叩く。

 弦司は素直に従い、駕籠の中に入る。戸を閉めると、中は光が入らないよう穴一つなく、真っ暗だった。もちろん、弦司には全てはっきりくっきり見えてはいるが。

 ――音柱様、重いです!

 ――何であなた様まで乗っているんですか!?

 ――うるさい奴らだ! 黙って派手に運べ!

 そんな愉快な遣り取りがあった後、浮遊感。

 文句があった割には、揺れの少ないしっかりとした足取りで駕籠は進んだ。

 

 

(……一体何が起きているんだ)

 

 

 柱達のそれぞれの目的は。弦司に何を求め、何をしようとしているのか。全く分からなかった。

 

 

(俺は一体、どうすればいいんだ)

 

 

 そして思うのは、カナエ。

 初めて会った夜、蝶屋敷まで走って向かった。あの時の彼女は()()()()()()()()()()。対して、今日の彼女はどうだ。息が荒れていた上、羽織までなかった。一体、どれだけ急いだのか弦司には想像もできない。

 彼女に負担ばかりかける己が、このまま頼り続けてもいいのか。そんな考えが頭を過ぎる。

 いや、このままでいいはずがない。カナエがどれだけ理解を示してくれても、弦司は鬼だ。それは覆らない。

 そして何より、弦司は()()()()()()()。そう、()()()()()()()()()()()()

 人間社会にいて、何もしていない化け物が認められるか? 認められる訳がない。もっと形に、行動にしなければ、誰も認めてくれなどしない。

 足りない。何もかも、今の弦司には足りな過ぎる。

 生き続けるために、もう一度変わる必要があるのではと弦司は感じていた。

 

 

 ――そして、緊急柱合会議が幕を開ける。




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