鬼滅の刃~胡蝶家の鬼~   作:くずたまご

8 / 29
いつも誤字報告ありがとうございます。

長くなったので分割しております。
それではお楽しみください。

お腹が痛い……。


第7話 別れ・中編

 ――弦司がいなくなる。

 そんな事、考えた事もなかった。

 助けたい。

 助けさせて下さい。

 あの日の誓いは、まだ果たせていない。彼を私は本当の意味で助けていない。

 助けるまで、彼を離す訳にはいかない。

 それに、彼を助けられるのは私だけだ。

 そう思っていた。

 そう思っていたからこそ、この二か月間「おはよう」「おかえり」「おやすみ」。そんな当たり前の挨拶をくれるだけで、必ず私が彼を助けるのだと強く()()()

 ――想っていたのに。

 これはなんだ。

 彼のあの目は。

 彼のあの手つきは。

 彼のあの表情は。

 全部全部全部、私は知らない。そんなの見た事ない。見せてくれない。

 私にとって、彼は()だった。

 でも彼にとって、私は特別でさえなかった。

 それをまざまざと見せつけられた。

 家族と、恋人と会えて喜ぶ彼を、私は素直に喜べなかった。

 「おはよう」「おかえり」「おやすみ」も私にはなくなる。全て()()が持っていく。

 気づけば、拳を強く握りしめ、一人の女性を見ていた。

 

 

 

 

 会談当日。結局、しのぶとカナエは揃って弦司と共に会談場所に向かった。

 

 

「すごくおっきい……」

「うっそぉ……」

 

 

 日が沈み、訪ったのは弦司の実家・不破邸。その広大さに、カナエとしのぶは語彙力を失っていた。

 産屋敷邸も大きいとは思ったが、ここはそれ以上。外観こそ蝶屋敷と同じ和風だが、門といい塀といい、一つ一つの大きさが規格外すぎる。戦でもするつもりかと問いたい。

 そして、その豪邸の門を当たり前のように潜ろうとする弦司。別世界の住人だったのだと、今更ながらしのぶは気づいた。

 門を潜れば、当たり前のように数名の使用人が待ち構えていた。西洋服を着た使用人たちは、一糸乱れぬ動きで頭を下げる。

 

 

「お金持ちすごい……」

「ええ……私達、本当に入っていいの……?」

 

 

 しのぶとカナエは自身達の場違いを確信し、緊張は最高潮を迎える。

 

 

「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」

「おぼ!?」

「だから、お坊ちゃまはやめろって。えっと、カナエ? 本当に大丈夫か?」

 

 

 苦笑して答える弦司に、挙動が可笑しくなるカナエ。もう色々と規格外過ぎて、しのぶは考えるのを止めた。

 使用人たちの視線がカナエとしのぶへ向くと、使用人一同が笑顔を浮かべる。

 

 

「胡蝶カナエ様、しのぶ様でございますね。御当主様、ならびに御子息・弦十郎(げんじゅうろう)様がささやかながら歓迎の宴をご用意しております。どうかご出席の程、よろしくお願いいたします」

「あ、はい」

「よ、よろしくお願いします」

 

 

 気づけば空気に呑まれ、カナエもしのぶも頷いていた。

 弦司が頭を抱える。

 

 

「ああくそ、やっぱり父上の話に乗るんじゃなかったか……!? カナエ、しのぶ、本当に大丈夫か!?」

「大丈夫よ。こう見えて、私、カナエ。大丈夫よ」

「全然大丈夫じゃない!」

 

 

 カナエが緊張で、さらに語彙力が変になる。もう何もしなくても、勝手に話がまとまるんじゃないかとしのぶは思い始めた。

 後はそのまま流されて、食堂に通された。ここだけなぜか洋風だった。板張りの床には、踏むのを躊躇する華美な絨毯が敷いてある。長机に脚の長い椅子が十数脚ほど置いてあった。どれも目が眩むような高級品だと、一目で分かる。

 

 

「うわぁ……こんな事になるなら、隊服で来るんじゃなかったわ……うう、礼儀のなってない女って思われちゃいそう……」

「言わないでよ姉さん……! 急に恥ずかしくなってきた……!」

 

 

 話すだけだからと、鬼殺隊服で来たのを姉妹揃って滅茶苦茶後悔する。対して、弦司はネクタイまで締めてスーツをばっちり着こなしている。それだけで弦司が立派に見えてきた。

 使用人に案内されるまま、長机の端に座る。しのぶの隣にはカナエ、向かい側には弦司という並びだ。

 そのまま待つこと数十秒。時計の針の音だけがなる部屋に、重厚な扉の開く音が響く。

 入ってきたのは、四名の男女。年嵩の男女はおそらく弦司の両親で、若い男性はどことなく弦司に雰囲気が似ている。弦司の兄弟だろうか。いずれも、スーツやドレスなどの洋服を着こなしている。

 そして背が非常に高い和装の美女──。

 

 

「弦司様……!!」

 

 

 入った瞬間、緊張していた女性の表情が一気に和らいで、崩れていく。

 

 

「弦司様!!」

 

 

 女性は一直線に弦司へ向かって駆け出し、彼に向って飛び込んだ。弦司は立ち上がると、咄嗟に真正面から女性を受け止めた。

 

 

「弦司様! 弦司様!」

「……ごめんな、環」

 

 

 女性――環は弦司の名を何度も何度も呼ぶ。弦司に抱き着き、決して離れまいとしがみついて離さない。彼女は泣き笑い、弦司に縋りつく。

 弦司はそれを優しく受け止め、何度も何度も環の頭を撫でた。そしてその視線には、決してカナエやしのぶには向けない熱があった。

 ――しのぶにはこの時、なぜか二人がとても輝いて見えた。

 鬼により命の危機を迎え、そして助けた時。彼ら彼女らはお互いの無事と共に、自身の間にある気持ちを確かめ合う。

 それはある意味、何度も見た光景だった。

 今までの男女と違う点を挙げるとすれば、弦司は鬼である事。そして、環は背も高く容姿も凛々しく、誰よりも女性らしくて――。

 

 

(あっ、そっか……これ、私の理想なんだ)

 

 

 弦司は鬼になっても、一人の女性を想い続けて。

 環は誰よりも上背があって、それでも何もかもが女性らしくて。鬼になった男性を変わらず一途に想い続ける……。

 そこには、しのぶの考える理想が詰め込まれていた。だから、彼らの『愛』はこんなにも輝いて見えるのだ。

 それは鬼殺隊にいる自身では、一生手に入らないモノだった。

 

 

(二人を助けたい)

 

 

 だから、せめて代わりに、自身の理想を彼らに叶えて欲しかった。

 今までのあやふやな感情ではない。しのぶはしっかりと己の意思で、二人を繋げると決心した。

 ――だから、姉が強く拳を握っている事を、全く気づけなかった。

 

 

 

 

 いつまでも離れない二人を止めたのは、意外にもカナエだった。

 

 

「んんっ! そろそろ座ったらどうかしら~」

「──申し訳ない。すぐに始めよう」

 

 

 わざとらしく咳払いをして場の雰囲気を変えると、弦司の父――弦一郎の合図により、宴となった。

 料理が運ばれる間、しのぶは弦司の家族を見る。

 弦一郎は口ひげに細い目と、容姿こそ弦司に似ていないが、体躯は弦司と同じく大きかった。弦司の体躯は、きっと父親譲りだったのだろう。

 弦司の母・あやのは、まさに弦司とうり二つ。大きめの口や瞳や、笑うと柔和に見える表情といい、血の繋がりを確かに感じた。

 弦司の兄・弦十郎は、弦司が少し年を取った――数年後――といった容姿だった。ただ体は小さく、しかし笑う姿は豪快で性格はまさに闊達。弦司と再会し、一番喜びを露わにしたのは、彼だろう。

 彼ら彼女らからは、しっかりと血の繋がりと心の繋がりを、しのぶは感じていた。

 しのぶにも、姉のカナエがいるが……もうここにあるようなモノを、感じる機会は減っていた。そして、いつかなくなってしまう。

 弦司には別れないで欲しい……その気持ちがより強くなった。

 

 

「――私も、ワインがおいしく飲めるようになったんですよ」

「本当かぁ? それじゃあ、試すために今日は俺のとっておきの物を開けてもらおうかな」

「ふふ、後悔しないで下さいね。飲む量が減っても、恨みっこなしですよ」

 

 

 その弦司と言えば、環の隣に座り談笑している。

 環は笑ったり驚いたり、表情が忙しい。

 しのぶはマジマジと環を見る。上背もあって美人で髪も綺麗で所作も洗礼されて、見る度にしのぶの方がドキドキして、憧れが強くなる。姉以外の女性で、しのぶがここまで慕うのは初めてだった。

 

 

「…………」

 

 

 一方、カナエは環の向かい側に座って、無言で笑顔だ。いつもの笑顔なのに、なぜか身震いがした。

 料理が運ばれた所で、弦一郎が杯を掲げる。

 

 

「この度は、息子を助けていただいて感謝しております」

「ああ! 我が家のきかん坊を助けて感謝の念に絶えない! 坊がいないと、この家もまるで枯れ木のようであった!」

「それでは、最愛の息子との再会と、我らが恩人に感謝して……乾杯!」

 

 

 男衆が口々に感謝を伝え、皆が乾杯をする。もちろん、しのぶもそこに参加する。

 白いワインを舐めるように飲みながら、しのぶは不破家の面々を眺める。

 全員が笑顔。隔意は全く見られない。鬼になり、肌の色が変わろうと、目の色が赤くなろうと、陽の光が浴びられなくても、変わらない愛情がはっきりと見えた。

 

 

「弦司。そちらの恩人を、改めて紹介してくれないか?」

「ああ。こちらの方が胡蝶カナエさんで、こちらが妹のしのぶさんで――」

 

 

 それから自己紹介をした後、しばらくはただの宴となった。

 なぜか、ちまちま洋食が運ばれてきたり、金持ち特有? の理解できない点も多々あったが、しのぶにとって楽しい宴となった。もちろん、その中で当然のように話題はしのぶ達姉妹の話に及んだ。

 弦十朗が赤ら顔でしのぶ達に話を振る。

 

 

「しかし、まさか我らの恩人が、こんなにも麗しき女性とは!! 君達のような才女も鬼殺隊は多いのか!!」

「いいえ、女性隊士は希少です」

「姉さんは幹部です。もちろん、男性を含めてですよ。すごく優秀なんですよ」

「なるほど! 確かにその才気、我が社にいれば会社の一つぐらい任せていただろう!!」

「その……お世辞でもありがとうございます」

「世辞など言わん!! しのぶ嬢はその年で毒を作ったと言っていたか? なら、しのぶ嬢には薬品会社を一つ任せていただろう!! 毒と薬は表裏一体だからな!! しかし、君達のような優秀な人材さえ命を懸けねばならないとは、日本の……いや世界の損失だ!! 我らの代で、必ず鬼は滅せねばならん!!」

「兄上、ここに鬼がいますよ」

「揶揄うな!! お前は例外中の例外だ!! それぐらい分かっているぞ!! あっはっは!!」

 

 

 弦十朗は杯を一気に呷り、大笑い。闊達な弦十郎の話は裏が感じられず、素直に受け入れられてとても楽しかった。

 ――だが彼も、その家族も楽しいだけではない。

 軽く話した限りだと、不破家の鬼に対する認識は、かなり正確だ。

 鬼、頚、日輪刀、藤の花……。

 どうやら鬼殺隊を、政府非公認の私設の兵隊として代々調査していたらしい。さすがに、鬼殺隊の内情までは知らなかったが、鬼に関しての知識は、一般隊士と相違なかった。彼らはただの気の良い人ではない。お館様と同じく、生粋の人を使う側の人間だった。

 そして、前提知識があるにも関わらず、弦司を受け入れると決めた……そこには、彼らの覚悟が垣間見えた。弦司は別れると決めていたが、相当に困難だとしのぶは思う。

 弦十郎は使用人に、空になった杯を片付けさせると、

 

 

「楽しい、本当に楽しいぞ! 恩人に感謝も伝えられて、愛らしい弟と再会して……だからこそ、信じられん! なぜ、坊は俺から離れる!!」

 

 

 場が一気に静まり返る。そう、今回の場は弦司の進退についてが本題だ。今の楽しい宴は、ついでに過ぎない。

 弦司が飲みかけの杯を机に置く。

 

 

「みんなには申し訳ないと思っている」

「申し訳ないと思うなら、撤回せよ!! 我らの誰も、お前に隔意がないのは伝わったであろう!!」

「だからこそ、俺は居たくないんだ」

「何っ!?」

 

 

 弦司が自身の掌を掲げる。鬼の特徴である青白い肌と鋭い爪が、全員の目に入る。

 

 

「鬼の体は恐ろしい。どんなに大切な人でも、少しでも飢餓になったら、美味しそうに見えるんだ。そうだよ、俺は家族が食料に見えるんだ……もちろん、愛する人だって! みんなは俺を愛してくれるかもしれない。でも、俺は俺自身が一番嫌いなんだ、こんな俺を愛して欲しくないんだ」

 

 

 弦司は拳を握りしめる。自身の手を憎しみで睨みつける。

 

 

「それに俺が仮に暴走した際、どうやって止めるんだ? こう見えて、カナエとしのぶは俺より強い。もし、俺が誤ったとしても必ず止めてくれる。彼女たちなら、安心して俺を預けられる。父上、母上、兄上、環……お願いだから、俺に家族を手にかけさせないでくれ」

 

 

 隠しきれない鬼に、自身に対する憎しみ。それが家族の愛を拒絶する。

 しのぶには、否定の言葉が出せない。柱合会議の惨劇に、身を顧みない戦い。その二つを知っているだけに、彼の憎しみが根深い事を理解していたからだ。

 同じく憎悪を感じ取ったのか、弦十朗は口を閉じた。代わりに、弦一郎が立ち上がる。

 

 

「お前の気持ちは分かった」

「……ごめん」

「だからこそ、まずは理屈で反論させてもらおう」

 

 

 弦一郎が手を叩く。使用人が一人、入室する。その手には香炉と匂い袋がある。

 

 

「お前が人を喰らわない特別な鬼だから大丈夫……と言っても、納得せんのだろうな。万が一を考えれば、確かに私達には止められん。だが、被害の拡大を防ぐ事はできる」

「その匂い……藤の花」

「これは鬼が嫌うらしいな。この家に来た者には、藤の花の匂い袋。夜には周囲に藤の花の香を焚こう。これならば、少なくとも私達以外の被害者は出ないだろう」

「俺は父上達にこそ、身を守って欲しい」

「うーむ……気が進まんが、しのぶ嬢。我らに毒を分けてくれんか? それがあれば、多少は息子の不安も解消されよう」

「……そんなの、気休め程度だ」

「確かに、お前が本気で暴走した時の事を思えば不足か。ならば治療面ではどうだ? 我が家に最新鋭の医療施設を設置し、我が社の医療部門をしのぶ嬢に協力させよう。これは、鬼殺隊では受けられない待遇ではないか? ……最新の顕微鏡も使い放題だぞ、しのぶ嬢」

「使い放題!?」

 

 

 しのぶはゴクリと唾を飲み込む。顕微鏡が自由に使えれば、あんな研究もこんな研究もすごく捗る――。

 

 

「しのぶ」

「っ!?」

「物に釣られたりは……しないわよね?」

 

 

 耳元で囁かれる。しのぶはカナエを見るが、微笑むだけ。

 しのぶは慌てて首を横に振った。

 

 

「あ、あの! お気持ちはありがたいですけど、これとそれとは別問題です! 交換条件のような対応はお断りします!」

「むっ……それもそうか。まあ、顕微鏡の事はさておき、我が社の医療部門の協力は約束しよう。君に刺激を受ければ、我が社の利益にもなる」

「あ、ありがとうございます」

「とにかく、物資面においては可能な限り援助を行う。鬼殺隊で不安定な仕事をするより、我が家で治療を徹底する方が安全で安心とは思わないか?」

 

 

 弦司の管理体制に研究施設……少なくとも、治療面において弦司を鬼殺隊に留める理由は、ほぼなくなった。

 まさに至れり尽くせりに、当の弦司が疑問を実の親に呈す。

 

 

「父上……なぜそこまで?」

「いつも言っているだろう。金を稼ぐ事が目的になってはならん。幸せになるために、金を稼ぐのだ。金で息子の安心が買えるなら、安いものだ」

(覚悟決めたお金持ちすごい)

 

 

 稀血を耐え抜いた弦司が暴走する可能性はほぼない。ならば後は弦司の精神的な面。自身に対する嫌悪感……それさえ払拭されれば、弦司は晴れて不破家に戻るだろう。弦司と環が結ばれる。しのぶの肩にも力が入る。

 ところが、弦一郎や弦十郎、あやのといった不破家の面々は早々と席を立つ。

 環が戸惑い、腰を上げる。

 

 

「御当主様、弦十郎様、あやの様――」

「環!! 我と父上で道は整えたぞ!! 後はお前のやり方次第だ!!」

「これ以上、私達が息子に言っても無理強いにしかならないからな」

「後はあなたがもぎ取りなさい。私達は応援します」

 

 

 それだけ言うと、彼らは笑顔で本当に食堂を出て行った。最初から最後まで、器の違いを見せつけられた気がした。

 部屋には、しのぶにカナエに環と弦司の四人が残された。

 ――逃げられたと気づくのは、もう少し後だった。

 

 

 

 

「弦司様、心配は無用です」

 

 

 最初に口火を切ったのは、環であった。彼女は弦司の手を取ると、熱っぽく語る。徐々に弦司に顔を近づける。

 

 

「あなたは自身が嫌いだと仰いました。ですが、そんなもの些細な問題です。あなたが私に自信をつけたように、今度は私があなたに自信をつけてあげます」

(うんうん、その調子です、熊谷さん)

「自信って……そんなの、関係ない。俺は鬼そのものが嫌なんだ。鬼の俺が嫌いなんだ」

「大丈夫です。ちょっとだけ、目を瞑っていただければ――」

「ちょっと待って。私達の前で、何をしようとしているの?」

(んん?)

 

 

 そこに、カナエが笑顔で割って入った。しのぶは空気がヒリつくのを感じた。

 おかしい。ここから先は、環が愛を語らい弦司を説得し、しのぶがいい感じに取り持つはずだ。なぜお腹が痛くなるのだろうか。

 今度は環がカナエを見る。やはり笑顔だ。だけど、今度は空気がひび割れた気がした。

 

 

「えっと……胡蝶カナエさんと仰いましたよね。ごめんなさい、気が回りませんでした。では、ちょっと席を外していただけますか?」

「いいえ。まだ弦司さんは私達鬼殺隊の監視下にいますから、それはできません」

「う~ん……では不本意ですが、そのまま()()()()の語らいを見ていて下さいね。それでは弦司様、目を瞑って――」

「だから――止めてって言ってるでしょ!」

 

 

 カナエが机を叩きながら立ち上がる。表情から笑顔が消え、憤りに頬を引きつらせている。カナエにいつものおっとりした空気はない。しのぶには今のカナエの姿が信じられなかった。だが、それはカナエも同様なのか、震えた指先から動揺が伝わってくる。

 対して、環は勝ち誇ったように笑う。それがしゃくに障ったのか、ますますカナエの眉尻が上がる。

 

 

「どうされました?」

「どうされたじゃなくて……! 今、何をしようとしているの!?」

「言わないといけません?」

「っ! よく、人前でそんな事できますね!」

「だから、席を外して下さいって言いましたよね?」

「……体で繋ぎ止めようとして、恥ずかしくないんですか」

「全然。髪の毛一本に至るまで、私は彼の物ですから。何か問題でも?」

「……わ、私だって、弦司さんを助けるために()()()()()()()()()()

(その情報、私も知らない!)

 

 

 しのぶは弦司を見ると、顔を青くして思いっきり首を横に振っていた。つまりあれだ、最近多くなった言葉の足りない説明だ。

 問題はそれを聞いた、第三者。今度は環が笑顔を消すと、一度弦司を睨みつけてから、ゆらりと立ち上がった。

 机越しに般若顔の美人が睨み合う。しのぶの胃壁が悲鳴を上げる。

 

 

「人に恥ずかしくないと言っていながら、あなたのその発言こそ何ですか? 下品と思いません?」

「人前でやるのが恥ずかしいだけです。私は二人きりの時しかしてませんから、あなたと一緒にしないで下さい」

「……そもそも、あなた弦司様の何ですか? もしかして、弦司様に優しくされて勘違いされました? ごめんなさい、私と弦司様はすでに婚約してますので、あなたの入る余地はありません」

「……入る余地も何も。あなたと弦司さんは、八か月も離れていたそうですね。それなのに、まだ婚約者気取りですか? 弦司さんは、そう思ってないようですよ」

「だから、あなたは弦司様の何ですか、偉そうに。まあ、今はそれは良いでしょう。何と言われようと、私は弦司様を助けるだけです」

 

 

 カナエは冷ややかに笑った。こんなカナエをしのぶは知らない。今のカナエには自身の感情が全く制御できていない。何が起きているのか、理解したくない。

 

 

「あなたがどうやって、彼を助けるんですか? 生きれば生きる程、鬼と人との違いを痛感します。私は彼よりも強い……その事実が、どれだけ彼を救っているか。彼を本気で救いたいと思うなら、できない事は仰らない方がいいですよ?」

「別に今すぐではないです。時間を掛けてゆっくり助けるんです」

「ですから、できない事は仰らない方がいいですよ? 口だけならば、何とでも言えます」

「口だけではありません。例え命を失っても、私は弦司様を助け出してみせます……少なくとも、あなたには一生懸けても救えませんから」

「……ふふふ、救えない。救えないですか」

 

 

 空気が一段と重くなる。

 カナエは鬼でさえも同情し、救うために鬼殺隊に入った。彼女に救えないとは、まさに龍の逆鱗を撫でるような発言だった。

 しのぶは息をするのさえ苦しいのに、環は全く怯まず。それどころか、カナエを真っ直ぐ見据えた。

 

 

「あなたの生い立ちは御当主様より事前に伺いました」

「……」

「ご両親を鬼に奪われる……痛ましい限りです。あなたの鬼殺隊にいる理由も、おおよそ予想がつきます。それでもなお弦司様を保護したのは、あなたに高潔な精神があるからでしょう。でもだからこそ、あなたに弦司様は救えません」

「そこまで仰る理由を伺っても?」

「あなた達姉妹に()()()()()()()()()()()()()からです」

「――っ」

 

 

 言葉に詰まった。しのぶも、カナエも。

 『私達と同じ思いを、他の人にはさせない』。

 それが姉妹の誓いだ。この誓いを叶えるならば、例え姉妹のどちらかが欠けても、自身の命を失ってもいいと、覚悟の上で鬼殺隊に入った。

 彼女の言う通り、これまで通り戦っていたら、きっと遠くない未来に姉妹共にいなくなる。果たして、その未来までに弦司を救えるか――答えは否。しのぶとカナエが鬼を人に戻す薬を作る前に、二人とも死ぬ。

 不破家が手を挙げる前であれば、消去法でカナエが面倒を見るしかなかった。しかし、不破家は覚悟を決めた。鬼と共に生涯を生きる覚悟を決めたのだ。そして、カナエに彼らと同じ思いはない。

 カナエの夢がいかに薄っぺらいか、今更ながらに気づかされた。

 カナエの顔から表情が抜け落ちる。

 

 

「あなた方が全力で弦司様を助け、それでもしくじるなら私も何も言いません。ですが、他の何かを優先して、命を燃やすつもりなら、私は弦司様を手放すつもりはありません。それではカナエさん、改めて問いましょう……弦司様を本気で救う気があなたにあるのですか?」

「私は……そんなつもりじゃ……」

「そうですか、残念です。ですが、大丈夫。あなたの気持ちが偽りだったとは言いません。ただ、()()()()()()()()()()()()()なだけです。私が、私達が、一生を懸けて弦司様を救います。どうか、全てを託してお引き取り下さい」

「──っ」

 

 

 深々と環が一礼する。しのぶもカナエも、もう何も言えなかった。

 だが、置いてきぼりを喰らった弦司が、さすがに噛みついた。

 

 

「人を置いて勝手に話をまとめるなよ。俺は納得していない」

「不破さん」

 

 

 しのぶは立ち上がって弦司を呼び止める。彼が頑なな理由が一つ思い当たった。

 

 

「もしかして、鬼殺隊に拘るのは、私達を少しでも手伝うためですか?」

「……全くないとは言わない」

「なら、その気遣いは無用です。私も姉さんもすでに覚悟を決めています。それに、話を聞く限り鬼殺隊で無理に管理する必要は全くありません」

「だからって納得できるか。命を助けられて、こんなにも良くしてもらって……俺には最高の家族がいたから良かっただけで、本来なら――」

「本来も何も家族がいるのでしょう!」

 

 

 しのぶは弦司に怒鳴りつけた。憎いのではない。怒っているのでもない。目の前にある大切なものを守るため、しのぶは敢えて弦司の優しさにつけこむ。

 

 

「私達には、もう家族はいないんです! どうやっても取り戻せないんです!!」

「っ、それは――」

「ねえ、まだ家族がいるんでしょ? 大切な人が生きているんでしょ? 幸福なんて薄い硝子の上にあるようなものなんだから……お願い。家族を大切にして。今の幸せを大事にして──」

 

 

 しのぶは言うだけ言うと、弦司が反論する前にカナエの手を引いた。カナエは逆らわなかった。そのまま出口へ向かう。

 環とすれ違いざまに、

 

 

「熊谷さん、とりあえずはお試しで一週間という事で、上には報告しておきます。今後、何度か査察には入りますが、問題なければそのまま不破さんには住み続けてもらおうかと思います」

「分かりました、しのぶさん。それとカナエさん、今までありがとうございました。後はお任せください」

「これからも不破さんを、よろしくお願いいたします」

 

 

 それだけ伝えると、しのぶはカナエと共に部屋を出て行った。呆然とした弦司とカナエの顔が脳裏にこびりついた。

 これで良かったのだろうか。そんな思いが一瞬過るが、慌てて否定する。愛している者同士が一緒にいて、悪いはずがない。

 カナエも夢は最後まで叶えられなかったが、一人の鬼と仲良くなり、そして幸せにしたのだ。いつの日か、今日を懐かしむ時が来るはず。

 しのぶは何度も何度も己にそう言い聞かせた。

 

 

 

 

 それが浅い考えだと知るのは三日後。

 花柱・胡蝶カナエが負傷したと連絡が入った。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。